元おっさんの幼馴染育成計画   作:みずがめ

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116.忘れてはいけない日と忘れられない日

 俺は小学生の頃、同級生の品川秋葉をいじめていた。

 理由なんて大したことはない。反吐が出るほどの小さいイライラを、か弱い女子にぶつけていただけだった。

 

「わかった。森田が品川ちゃんに甘えてるってのがよーくわかった」

 

 だから高木さんに殴られて、そう言われた時にようやく自分が最低のガキだって気づいた。そうまでされないと気づかねえ俺は本当にただのクソガキだったんだ。

 それだけじゃなく、いじめを止められたのをきっかけに折り合いの悪かった親や上級生との関係だって改善されてしまった。勉強のことですら品川に見てもらうようになっただなんて、俺は本当に甘えてばっかりだ。

 今だって、品川の描いた漫画に関わらせてもらっている。これ以上のわがままが許されていいのだろうか? 俺がしてしまったことを許されていいのだろうか。いや、許されていいはずがない。できることなら彼女への罪滅ぼしをしたかった。

 高木さんは、俺と品川が積み重ねてきた時間は腹を割って話せるだけのものだと言った。

 いじめをしていた関係だなんて信じられないほど品川と仲良くなれた、と思う。俺自身、彼女といっしょに過ごす時間が居心地がいい。いっしょにいるだけで満たされている自分がいた。

 それだけで満足できる。満足……してしまいたかった。

 でも、もしも品川が手の届かないところへ行ってしまったら? そう考えるだけで胸を掻きむしりたい衝動に襲われる。そんな気持ち、無視してしまえればよかったのにな。

 

 

 学校が終わり、その足で品川の家へと行く。いつも通り漫画の手伝いをするためだ。

 

「ふわぁ……」

 

 今日の品川はあくびばかりだった。さすがに人前で大口を開けたりはしないが、俺はその油断したところを目撃していた。

 昨日、俺と高木さんが帰った後も漫画を描いていたのだろう。新人賞に応募するんだもんな。だからといって体を壊させるわけにはいかないが。

 

「森田くん」

「なんだ?」

「手伝ってもらっててなんだけど、部活はいいの?」

 

 品川にじっと見つめられる。身長差のせいで思いっきり顔を上げている。首を痛めやしないかと心配してしまう。

 

「今は品川の漫画の方が大事だからいいんだ」

「そう……」

 

 部のことを考えれば、中学最後の大会が控えているので練習しなければならないだろう。それでも、俺にとって品川の方が大事だってのは事実なのだ。彼女のためなら試合に出られなくても構わない。

 品川の性格が変わったと高木さんは言うけれど、こうやって無理をしていないかと確認してくるのは彼女の優しさだろう。本当に忙しそうなら先輩方に手伝いを強要することもないんだから。

 品川の部屋に入ってすぐにテーブルへと向かう。今日も張り切ってやるぞ。

 

「森田くん……あのね」

 

 原稿を渡されるのを待っていると、品川が言いづらそうに口を開く。

 

「昨日まで手伝ってくれたものなんだけどね……没にしたの」

「えっ!? あれ面白かっただろ! なんでだ!?」

「ひゃうっ!?」

 

 動揺がそのまま声に出てしまった。そのせいで驚いた品川が縮こまってしまった。「悪い」と謝ってから心を落ち着ける。

 手伝っていたとはいえ、それは全部品川の作品だ。俺がとやかく言うことじゃない。そんな資格もない。

 

「そ、それでなんだけど……新しいネームがあるの。読んでくれる?」

 

 おずおずとその新しいネームが描かれた用紙を出してくる。もう新しい話を思いついたのかと尊敬の念が湧き上がる。やっぱり品川はすごい。

 

「読んでいいのか?」

「森田くんに読んでほしいの!」

 

 前のめりになる品川。勢いに負けたようにのけ反ってしまった。

 ネームを受け取る。差し出す品川の手は震えていた。

 緊張しているのか? 最初の頃はそうだったが、最近は別段緊張なんてしている様子はなかったのにな。

 品川は俺を見つめていた。穴が空きそうなほどじーっと見つめている。なんかこっちまで緊張する。

 

「よ、読むぞ?」

「うん」

 

 決意がこもったような、力強い頷きだった。

 よほどの力作なのだろう。俺は原稿に目を落とした。

 

「……」

 

 学園ものなのだろうか? 中学生らしさのある描写で進んでいく。これが青春ものなのか恋愛ものなのかはもう少し先を読むまでわかりそうにない。

 しかし、途中で手を止めてしまう。

 

「読んで」

 

 すかさず品川の声。俺は黙ったまま、動揺を顔に出さないように続きを読み進めた。

 

 内容はこうだ。普通の女子がふとしたきっかけでクラスメートの男子に目をつけられてしまう。そこから始まるいじめは俺の過去を想起させた。

 品川ならではのリアリティのある描写に胸が苦しくなる。だからって手を止めることは許されない。これを俺に見せた彼女の意志を考えなければならなかった。

 だが、半分を過ぎたあたりから状況は一変する。

 周囲の手助けもあり、いじめは終息する。それからぎこちないながらもいじめっ子といじめられっ子の関係は縮まっていくのだ。感情の表現が上手く、俺の心を揺さぶってくる。

 最後のページを読み終わり、俺は動けずにいた。

 

「時間なかったし眠かったし、もっともっと丁寧に描きたかったりご都合主義なのは全面的に認めるけど……今の私の気持ちは、こんな感じ、です」

 

 早口にまくし立てたかと思えば、最後はか細い声量。うつむいてしまった彼女の表情はうかがえない。

 

「……」

「いや! 黙ってないで何か言ってよ!」

「わ、悪い」

 

 謝りながらも何を言っていいかなんて思いつかない。頭をかいて誤魔化してしまう。

 俺は本当の意味で高木さんのすごさを知ったかもしれない。こういった女の子の行動に、どう返していいか咄嗟には思い浮かばなかった。

 

 漫画なので事実とは差異があるが、この物語は俺と品川の過去を描いたものだった。いや、過去だけじゃなく未来も描かれている。

 もちろん未来なんて予知しているはずもない。だからこの未来というのは、品川の願望ということなのだろう。

 

「……」

「……」

 

 俺は顔を上げた品川と見つめ合う。何か、なんて不確かなんかじゃないものを待っている瞳だった。

 物語のラストシーン。それはいじめられっ子といじめっ子が和解を果たし、恋人になっていた。

 このネームこそが品川にとっての「腹を割って話し合う」ということなのだろう。確かに物語として見れば急ぎすぎなところがあるが、彼女の気持ちがこれでもかと伝わってきた。

 これは新人賞用の話じゃない。品川から俺へのメッセージだ。問いかけであり、答えが必要だった。

 まったく、こんなことまでさせて俺はいつまで彼女に甘えてんだろうな……。

 

「品川」

「は、はい」

 

 息を大きく吸う。自分の心と見つめ合う時間なんて呼吸一つ分だけで充分だ。なぜなら今までずっと考えを巡らせてきたことなんだから。

 

「俺は――」

 

 

  ※ ※ ※

 

 

 昨晩、森田くんと高木先輩が帰ってから、入れ替わるようにして葵先輩と瞳子先輩が訪れた。

 高木先輩から話を聞いてアシスタントに来てくれたのかと喜んでいるのもつかの間、二人から切り出された話題は頭に水をかけられたかのように一瞬で脳を凍りつかせた。

 それは私の心に直接触れるような問いかけだった。つまり、森田くんに抱いている気持ちについてだ。

 普通の先輩と後輩なら深く踏み込むようなことじゃないのかもしれない。けれど葵先輩も瞳子先輩も私達の事情を知っている。恋する心も知っていた。

 いつの間にか私はすべてを吐き出していた。彼への想い、今に至った現状、踏み出せない理由。吐き出すということが、私の感情を整理させてくれた。

 

「秋葉はたくさん悩んでいたのね」

 

 そう言って瞳子先輩は私を優しく抱きしめてくれた。溜まっていたものがすっと下ろされたような感覚になった。

 葵先輩も私を抱きしめようとしたけど、なんだか別の感情が心の底に沈殿する気がしたので丁重にお断りさせてもらった。どんな顔をされようとも葵先輩の胸に抱かれてはいけないのだ。だからそんな顔しないでくださいよ。

 

「それでも秋葉は強くなったわ。強くなったのなら、待っているだけじゃダメなのよ」

 

 私に抱擁を拒絶された葵先輩を無視したまま、瞳子先輩の言葉が突き刺さる。

 いじめられている頃の私は弱かった。もし高木先輩に助けてもらえなかったら。私は変われないままいつまでもいじめられ続けていたかもしれない。

 あの頃のように待ち続けて、何かが変わるのを待つだなんてしていてはいけない。それじゃあ私は弱いままだ。強くなったのなら、強くなったと示すためには行動しなければならない。

 でも、どうやって?

 

「大丈夫だよ秋葉ちゃん」

 

 葵先輩の満面の笑顔。まるで根拠がない「大丈夫」という言葉が、ざわめく私の心を落ち着かせてくれた。

 

「女の子が好きな男の子にアプローチする時はね、強気が鉄則なんだよ」

 

 やけに自信のある言葉だった。たぶん経験が含まれているからなのだろう。

 だけど私は葵先輩のように強気でいられるほどの容姿じゃない。ただの普通の女の子だ。

 

「バカね。好きって気持ちを決めるのはそこじゃないでしょう?」

「そうだよ。それに、秋葉ちゃんには強気で攻められる武器があるじゃない」

 

 武器? 私の武器ってなんだろう?

 疑問が頭の中で駆け回り、思いついてからは早かった。

 

 私の得意なことは漫画を描くこと。これは森田くんがはっきりと「好き」と言って認めてくれた自慢の武器だ。

 そうと決まれば手を動かさずにはいられなかった。

 今まで抱いていた妄想を叩きつけるようにペンを走らせた。描けば描くほどに自分の気持ちが固まっていくのが実感できる。

 下書きまでだけど完成した。私がこうなりたいっていう願望。今の森田くんに対する偽りない想いだ。

 どんな言葉で繕ったとしても、私と森田くんの関係はいじめから始まった。とても苦しくて嫌な思い出。周りはみんな敵なんじゃないかって考えてしまっていたあの頃を、私は忘れることはないだろう。

 だとしても、その関係が改善してからは違った。彼のことが好きになってしまったのだから仕様がない。思うところはある。彼が私のアシスタントをしてくれている理由もわからなくもないし、それを壊したくないとも思う。

 だけど、あの頃の私とは違うってことを、何よりも森田くんに示さなければいけないんだって思った。

 

 睡魔と緊張に襲われながらも、私の想いが詰まった原稿を森田くんに見せた。

 せめてペン入れをしてから見せるべきだったかと思ったけれど、時間が経てば経つほどに恥ずかしくなって見せられなくなってしまいそうだった。尻込みしてしまう前に強気で攻めることにしたのだ。

 案の定、森田くんの表情は強張った。今の彼からすれば、いじめという題材は心をくじるものだろう。

 それでも伝えたかった。私はあの頃のことを今でも忘れていない。そして、許しているんだって。

 でも……これはさすがに恥ずかし過ぎた。今さらになって後悔してしまう。恥ずか死にそう……。

 漫画で告白だなんて私ってばどんだけ染まっちゃっているのか。脳内で悶えていると、ついに森田くんが口を開いた。

 

「俺は――」

 

 続きを待って彼の唇の動きを凝視している時間がスローモーションに感じる。じれったい心を押さえて根気よく待った。

 

 

「――品川が、好きだ」

 

 たっぷりと溜めて、彼はそう口にした。

 その目はとても真っすぐで、いっしょにいる時間が長くなったからこそ、それが嘘からくる言葉ではないことがわかった。

 

「し、品川?」

 

 ちょっと困惑した風な森田くん。どうしたのだろう?

 伸ばされた大きな手に支えられて気づく。どうやら力が抜けてしまったらしく、椅子からずり落ちそうになっていたようだ。

 自分が想っている以上にめちゃくちゃ力が入っていたらしい。緊張の糸が切れてしまえば体も支えられない。なんだか疲れが押し寄せてきてる。頭も体もふわふわしていた。

 でも、森田くんの手のひらから温かさが伝わってきて、少しずつ現実感を取り戻させた。

 

「ほ、ほわぁっ」

「本当に大丈夫か!?」

 

 私の奇声に目を剥く森田くん。

 

「だ、大丈夫……大丈夫ったら大丈夫!」

「お、おう。わかった」

 

 そう、森田くんの返事は間違えようがないものだった。

 

「どわっ!? し、品川?」

 

 爆発したかのように一気に気持ちが高ぶる。我慢ができなくなった私は森田くんに抱きついていた。

 びっくりしただろうに、彼は優しく私を抱き止めてくれた。硬い胸板にすっぽりと収まる。本当に大きい。

 

「好きっていうのはその……友達とか、そういう意味じゃないよね……?」

「……女として、品川が好きだ」

 

 見上げると、森田くんの顔は真っ赤だった。言葉はよどみないのに、恥ずかしくもしっかりと想いを伝えようとする彼の姿に、心が嬉しさで締めつけられる。

 

「俺の気持ちなんて口にするべきじゃないと思ってた。品川と釣り合うわけがないって思ってた。俺はひでえ奴だから。罪悪感でいっぱいで、こんな風に触れられるなんて思ってもなかった」

「私も。森田くんは罪滅ぼしのために私といっしょにいてくれているんだって思ってた。私が少しでも拒絶するような素振りでも見せれば、森田くんはいなくなるんじゃないかって不安だった。今はいっしょにいるのがとても安心できて、幸せなんだ」

 

 お互いを抱きしめ合いながら、心の底に沈めて、取り出そうとすらしなかった想いを伝え合う。

 どちらにとっても楔となっていた過去のこと。その思い出は罪であり、罰であり、繋がりだった。

 だからこそ、あと一歩が近づけなかった。踏み出してしまえば、こんなにもあっけないことだったのに。

 お互いの感情を吐露しているうちに、窓の外は夕焼けに染まっていた。ハチミツ色になった室内。空気にはすでに甘さが混じっていた。

 

「秋葉……、俺と付き合ってくれるか?」

 

 彼の言葉に身震いした。

 いつからその言葉を待っていたのだろうか。はっきりとはわからなくて、わかっているのはそれに対する返答だった。

 

「……うん」

 

 精一杯の勇気を振り絞った頷き。たった一回頷くだけなのに、胸がドキドキし過ぎておかしくなりそう。

 まるで漫画みたい。なんて考えている私は案外余裕があるのかな? それともテンパってるのかな。自分ではよくわからない。

 よくわからないから強気で攻め続ける。

 

「耕介くん……」

 

 ドキドキに身を任せて目をつむる。耕介くんに顔を傾けて、覚悟を決めた。

 戸惑う気配が伝わってくる。それも数瞬のこと。顎をくいと持ち上げられた。

 

「俺はたくさん秋葉に甘えたからな。次は俺が、秋葉を甘やかせてやるからな」

 

 あ、もう無理。

 私と耕介くんの影が重なる。どちらからが先だったのかもわからなくなっていた。

 ただ、一生の思い出になったのは確信できた。

 

 

「ねえ耕介くん」

「なんだ秋葉?」

 

 優しく撫でてくれる彼。私は高ぶった気持ちのまま、笑顔で口を開いた。

 

「高木先輩達よりもイチャイチャしようねっ」

 

 苦笑する耕介くんだったけれど、その表情は私の言葉に同意してくれていた。

 きっと、もう大丈夫。彼も、私も。これからはちゃんと自分の言葉で気持ちを伝い合えるはずだから。

 目標があって、やりたいことがあって、支え合える人がいる。それだけあれば充分。これだけのぬくもりがあれば、力はいくらだって湧き上がるのだ。そういうことを知った日になった。

 

 


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