空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
運命のクロスベル
特務支援課ビルに戻ってきた四人を出迎えたのはキーアとシズク、そしてセルゲイとツァイトだった。
ロイドはセルゲイに状況を説明、セルゲイの判断を仰ぐ。セルゲイはダドリー他一課が空港爆破事件を切り上げたこと、更に二課は警察学校に向かったことを告げる。直前までダドリーと通信していたらしく、そろそろこちらを訪れるところだそうだ。
遊撃士は現在その全員がクロスベルを離れており、現況市内の警備は警察のみに委ねられている。正直な話、遊撃士協会が市内を空にするというのはリスクが高く、今までにはない対応だ。それはクロスベル警察に抱く信用に直結しているからという理由だが、そこに対して幾ばくかの改善が見られたのだろうか。
「みんな、大丈夫……?」
キーアが心配そうな声を上げ、ロイドは大丈夫だと薄く笑った。その手には少女の眠る写真が握られていた。
ダドリーが来た事で改めて事実確認を行う。
首謀者であり教団の生き残りであるヨアヒム・ギュンター及びその配下であるアーネスト・ライズ、そしてルバーチェの残党は現在行方不明。ウルスラ病院を襲ったルバーチェの構成員はタングラム門の警備隊員が拘束している。
午前中からあった空港の爆破予告事件はどうやらデマだったようで爆発の心配はない、おそらくは一課の目を釘付けにしたかったのだろう。
目下、遊撃士が自治州内を捜索、D∴G教団のロッジを探している。黒月は関わる気がないのか静観を決め込んでおり、今回ばかりは彼らを監視する人員も惜しまず投入する次第であるが、いかんせん上層部からの圧力がありまともに動けるのは少数という状況である。
病院に残された資料からは教団がキーアに対して何かを知っているのは明らかであり、その目的もおそらくは少女であることがわかっている。故に少女の安全を考えるならば遊撃士に頼んで外国に逃げることが一番である。
しかしそれをわかっていながら、支援課の誰もが口を開こうとはしなかった。
ロイドを除いた三人はキーアとの約束を胸に抱いたためだが、ロイドが何故その選択肢を己の中から外したのかは本人にしかわからない。
「とにかく遊撃士協会に連絡しましょう。ロッジの情報があるかもしれませんし、教団の狙いがわかった以上、最高戦力であるアリオスさんを頼ったほうがいいと思います」
遊撃士嫌いのダドリーだが、その選択に文句はないようだ。度重なる警察の腐敗を見せ付けられた彼にとって、もはや私情を口に出すこともできなくなっていた。
コール音が響き、ミシェルが出る。彼に状況を説明し、今度はミシェルから進捗情報を聞こうと待った時。
それが、クロスベル市における攻防の引き金となった。
「説明しろバニングスッ!」
ダドリーが吼える中、ロイドはエニグマを耳から外し口を開く。
「遊撃士協会が襲われたようです。ミシェルさんの驚きの声の後、窓ガラスが割れる音と機関銃の掃射音が聞こえました」
「ルバーチェが手薄のギルドを襲ったってこと?」
エリィが冷静を顔に貼り付けて問う。ミシェルの安否は心配だが、ギルドの受付がそう簡単に負けるとは思えなかった。
「身内を人質にして遊撃士を足止めするつもりか? いやしかし関係者ならそれなりの覚悟はあるはず。緊急の事案で判断を誤るとは思えないが」
「市民への見せしめでしょうか?」
「頭を潰して遊撃士に情報を与えないようにしたってのが妥当かもしれないが、だがいくらなんでも強引すぎる。拉致った市民がいるならそれを人質にしたほうが早いはずだ」
「なら遊撃士に対する手じゃなく陽動、本命はキーアか!」
迅速に結論に達したところで今度はエリィのエニグマが鳴る。ハンズフリーにして応答するとそれはノエル・シーカー、彼女の情報は彼らを一気に暗闇に引きずり込んでくる。
「ベルガード門の警備隊との連絡が途絶えましたっ! そちらは何かありましたかっ!?」
「そんなっ……ルバーチェだとしてもありえないっ!」
「それでも何かあったと見るべきです! 通信機器は専用車両全てにありますっ、その全てが壊されることだって考えられません! 私もクロスベルに向かいます、皆さんに空の女神の加護を!」
通信が切れ、全員の顔に焦燥が表れる。警備隊はクロスベル随一の戦闘集団だ、それがルバーチェに遅れを取るなど、何らかの異常事態が発生したに違いないのだ。
「グルル」
そんな彼らの困惑を後押しするようにツァイトが唸りを上げて玄関を睨む。ティオが意志を汲み取り何者かの接近を報告、構えを取った瞬間に二つのスタンハルバードが扉を砕いて飛び込んできた。
「な――!」
「警備隊員だとっ……!?」
咄嗟にキーアとシズクをかばい前に出たロイドとランディはその見知った制服の二人を見やり、その生気の喪失に唇をかみ締めた。それはつい先ほど見たルバーチェの構成員と同じ、グノーシスによって理性を奪われた姿である。
「く、どうして警備隊員が――っ!」
「ヨアヒムの野郎が言ってた栄養剤にグノーシスが入ってたのかもしれねぇ! そうなりゃベルガード門だけが消えたのも頷ける!」
栄養剤はタングラム門にも向かうはずだったが、それより先にベルガード門に届いていた。効果が浸透するまでに時間が必要なら、まだタングラム門の警備隊と連携が可能である。しかしこの場にいるベルガード門の隊員はもう手遅れだった。
そんな驚愕に身を包まれている間に増援がやってくる。いずれもライフルを構えた三人はやはりベルガード門の隊員にしてランディと旧知の間柄である。奥歯が砕けんばかりにかみ締められ、ランディはその激情をコントロールしようとした。
彼らが撃ってこないのはおそらくキーアに流れ弾が当たらないようにというのが理由だろう。つまり遅れてきた三人はアーツしか使わない。前衛のハルバード二人を抑えれば勝機はあった。
「恨みはないが許せ!」
そして、いち早くそれを察知したダドリーの拳銃が警備隊員の防弾チョッキを打ち抜く。
弾は肉体に届かなくとも軍用拳銃の威力は絶大だ。あまりの衝撃に膝を折る。
瞬間、電撃的に飛び込んだロイドとランディが追い討ちをかけて失神させ、二人が退いた穴よりエリィとティオが後衛のライフル三挺を破壊する。破片が手を切るのも構わず隊員がアーツの詠唱に入るも懐に入ったロイドとランディ、そしてダドリーが鳩尾を打ち貫いて屈服させた。
「――現在警察本部も警備隊の襲撃を受けているそうだ」
いつの間にか通信機の前にいたセルゲイがそう告げることで、彼らは市内に伸びた教団の魔の手を理解した。グノーシスを投与されたであろう警備隊員はクロスベルの重要施設を制圧せんとその力を振るっている。そして同時に、彼らはキーアを狙ってきているのだ。
「市外に出ましょう、それしか道はない」
「警察本部もギルドもダメ、なら市外の車両が入って来れない場所に行くしかないわ」
ロイドとランディがそれぞれシズクとキーアを抱き上げる。既に襲撃を受けた今、このビルにいても未来はない。
「西は近いがベルガード方面だ、行くなら東か南しかない!」
「ウルスラを危険には晒せない! 東だ!」
「よし。ロイドとランディは中、ダドリーが先頭でティオが続け、後ろは俺とエリィだ! ティオ、センサーを最大にして集中しろ。障害排除はダドリーに任せておけ!」
「了解です!」
セルゲイがショットガンを携え陣形を整える。
今回は逃げ切ることが目的だ、機動力の下がる陣形は組めない。極力戦闘を避けていくしかない。
「本日最大の任務だ、気合入れろ!」
セルゲイ・ロウの激励、彼は頭を過ぎる頼もしい部下に対し情けない姿を見せられなかった。
市内には既に警備隊員が数多く存在していた。その全てが理性のない瞳で武器を持ち、一般市民に危害こそ加えていないがその威容で外に出ることを防いでいる。
行政区の警察本部玄関には既に防犯用のシャッターが閉められており、そこを打ち破らんとハルバードを振るっていた。
そんな中、旧市街のプールバーではワジ・ヘミスフィアとヴァルド・ヴァレスが対峙していた。雰囲気はお世辞にもいいとは言えない、しかしワジの話はヴァルドにとって聞き流せないものだったので彼は得物を握り締めて己を抑えていた。
その二人を置き去りにして事態は加速していく。市内に飛び出した特務支援課とダドリーはやってくる警備隊員を銃で牽制しつつ走っていく。
しかし恐怖心のない隊員たちに威嚇射撃は事を成さない、そのためしかたなく急所ではないが行動を制限する部位を撃ち抜いて侵攻を阻んでいた。
「数が多いっ! このままではまずいぞ!」
ダドリーが叫ぶのを契機としたように彼らの耳に機械音が響く。彼方を見やるとそこには警備隊車両、狭い通路を強引に走破してそれは大量の警備隊員を吐き出した。
「お前らは走れっ、ここは俺とダドリーで食い止める!」
セルゲイがショットガン片手に仁王立ち、それに伴ってダドリーも足を止めた。場所は中央広場から東通りに向かう道、そこにバリケードのように立ちふさがった二人の無事を祈りながら四人は東通に抜け出した。
長い鉄橋を必死に走る。汗が目に入り痛みを伴うがそんな痛みよりも背後からやってくる不安のほうが痛い。ベルガードの警備隊員はおそらく全滅、タングラムの状況は不明である。
万が一彼らが手段を選ばないなら――
そこまで思考したロイドは自身が抱く少女に視線を落とした。
キーアを狙っている教団が何を失おうともキーアを欲しがるのなら、ヨアヒムは操っている警備隊員で以ってクロスベル市の制圧を本格的に始めるだろう。
それは今の市民を襲わないものではなく、何の例外もない殲滅戦である。
市民全員の命と引き換えにキーアを差し出せ、と要求された場合、果たして自分は、どちらを選べるのだろうか。
この世界を変える少女を犠牲にしたほうが、世界は救われるのではないか――
「――――ッ!?」
そんな思考に愕然とした彼の足は止まる。その急停止に三人が困惑の表情を浮かべた。
「おいロイドッ、何止まってる!」
「後続っ、はぁ、来ますっ!」
「ロイドッ!」
三人の叱咤にも反応を示さずロイドは固まる。その見開かれた眼球には既に三人の姿はなく、いつかの光景が映し出されていた。
* * *
血溜まりに沈む彼を見た。
顔が見えず、その最期の心情もわからない。
いや、その姿を確認できただけで僥倖だったのだろう。最初の二人は、結局最期すら見届けられなかった。
すまなそうな表情と、仇を見るような瞳を見た。
いずれも既に光はない、その正反対の意志と、似たような悲しみの大きさだけは理解できた。
そして、残った二人も、自分は最期を見ることなく消える。
その全ては他ならない自身と、視界を埋め尽くす巨大な神の仕業で――
* * *
「戻ろう」
その一言を、果たしてすぐに飲み込めた者はいなかった。エリィ・マクダエルが反応できたのは数秒の後、それも発した意図すらわからないものだった。
「な、何を言って――」
「教団がキーアを欲しがっていてかつ手段を問わないなら市民全員を人質にしてもおかしくない。俺たちが彼らの手の届かない場所に行ってしまえば、その時点で市民を守れなくなる」
「で、ですがここで戻ればわたしたちの力では――!」
「時間を稼ぐしかない。遊撃士が戻ってくるまでの間、俺たちは彼らの手の届きそうな場所で逃げ続けなければならないんだ。そうじゃなきゃクロスベルが終わってしまう――――キーア、すまない」
ロイドは申し訳なさそうな顔で少女を見つめる。そんな視線を受けた少女は、青年の奥底の気持ちを感じ取り、儚く笑った。
「……謝らないでいいよ、ロイド」
悪いのは全部、キーアだから……
そんな少女の声は青年には届かない。顔を上げたロイドは未だ戸惑っている仲間に檄を飛ばす。
「ランディはシズクちゃんを安全な場所まで運んでくれっ、ティオはその護衛だ! エリィごめん、付き合ってくれ」
「いいのかよっ、二人だけじゃ逃げ切れねぇだろうが!?」
「適度に隠れながら動くさ。そのためには少人数のほうがいい」
「それならわたしが同行します! 索敵に神経を注げば――」
「いや、エリィじゃなきゃダメなんだ――――時間がない、空の女神の加護を」
ロイドは反論を打ち切り走り出す。その後姿に困惑の瞳を向けながらエリィも後を追った。
残されたランディとティオは悪態を吐きながらそれを見送り、正反対の方向へ走り出した。
追ってきていた警備隊員の集団、それを個別に認識できるまで近づいたところでロイドは足を止めた。すぐにエリィが追いつき、弾んだ呼吸を整えながら尋ねる。
「――ねぇ、どうして?」
「…………」
その問いにロイドは沈黙で返す。
彼女のそれは答えを限定するには曖昧すぎて傍目からは何を答えればいいのかわからない。しかしロイドにはそれが何を指しているのか理解でき、故にそれを言うのは憚られた。
そんなロイドを心配そうな瞳で見つめるキーアとエリィ。やがて根負けしたようにエリィはふうと一息吐いた。銃を握り締める。
「ロイド、私たちはいつだって力を合わせてきた。今回の別行動も、それを思ってのことなの? それとも、あなた自身の都合なの?」
「…………」
「もう時間がないわ。だから答えて。私たちは――――私は、今のあなたをただ信じていればいいの?」
それは不信の一言。青年はそれに肩を震わせ、それでも何も言わない。
ただ彼の反応を敏感に感じ取った二人は、そんな彼に居た堪れない表情を見せた。
「ロイド、無理しなくていいんだよ? キーア、全部わかってる。――――ロイド、キーアが怖いんでしょ?」
「――ッ!?」
びくりと。
明確な驚きを以ってロイドは少女を見下ろした。エリィも突然の宣言に驚愕を隠せない。
そんな中キーアは慈しみを込めながら話し出す。
「それは仕方のない事だってキーアはわかってる。エリィもティオもランディもわからない理由だけど、それでもキーアだけはわかってるよ。だから大丈夫。ロイドが選んだんだもん、キーア満足してるよ? だってロイドは、こんなキーアを想ってくれたんだから。それだけで十分だよ」
「キー、ア……」
「だからロイドは自分を許すの。ロイドを許せるのはロイドだけなんだよ」
先の光景を思い出す。もう明瞭に思い出すことはできないけれど、それでも感じた思いだけは確かに思い出せる。
そんなデジャヴのような感情を真に受け選択した現在を、それでも少女は許してくれると言ってくれた。わかっていると言ってくれた。
「ああ、俺はなんで……」
なんで、あんな気持ちを抱いてしまったんだろう……
「ロイド……?」
エリィが心配そうに名前を呼ぶ。そんな彼女にまっすぐ向き合った。
なんだか長い間、彼女と正面から向かい合っていなかった気さえする。それはつまり、単なる独りよがりに陥っていたことに他ならない。
そんな自分を認識していたにもかかわらず、本当の意味でわかってはいなかった。
「エリィ、キーア、ごめん。ティオも、ランディも、ごめん。俺、なんだかおかしかったみたいだ」
ここにいる彼女たちに、ここにいない二人の仲間に詫びる。
自己満足だが、これでやっと前を向いて進んでいける。そのために、もうすぐそこまで来ている警備隊の波を超えなければならない。
「精鋭揃いだ。エリィ、今更こんなこと言えた義理じゃないかもしれないけど、俺は、君となら乗り越えられると思ったんだ」
「――そう、なら期待に応えないとね。私も、貴方となら一緒にいけるって信じてる」
キーアを下ろすと同時、エリィの導力銃に光が宿る。ロイドもトンファーを構え、迫り来る集団に狙いを定めた。
解き放つは流星の一撃、二人で作る未来への道である。少女を抱えて移動する以上長時間は戦えない。ならばその僅かな時間こそ、最大の一撃で以って潜り抜けるべきだ。
「スターブラスト!」
光が溢れ、一気に隊員を吹き飛ばす。エリィがキーアの手を掴み走り、ロイドと合流の後彼が抱き抱えた。
「行こう!」
タングラム門とアルモリカ村への分岐点まで走ったランディとティオはそこでようやく歩みを止め、不安な様子を隠せないシズクを一旦下ろした。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫も何も、シズクちゃんは軽すぎて落としちまったって思ったくらいだぜ」
軽口を叩き不安を減退させる。
目が見えない彼女は状況を具に把握することは難しい。ならば得られる情報を極力プラス方面に抑えれば彼女の精神状態的にもいいはずだった。
「どうしますか? 距離的にはタングラム門のほうが近いですが、万が一グノーシスが回っていたら……」
「つってもアルモリカ村に行ったら巻き込んじまう。安全を考えるならやっぱそっちだろ。ヨアヒムの野郎の目的がキー坊なら俺たちのことなんて放っとくだろうしな」
ランディはそう言いつつ、しかしキーアと関連のある自分たちをヨアヒムが見逃すとは思っていない。それはティオも同様だが、しかし他に選択肢がないのは事実だった。
警備隊が無事なら戦闘のエキスパートである彼らにシズクを任せられる。クロスベルの生命線であるアリオス・マクレインの急所とも言える少女の存在を無事に守りきることは重要事項なのだ。
「お二人とも、大丈夫ですか?」
シズクがそんな二人を気遣い、それに対して二人は平静を装いながら応える。二人とも、その手のごまかしには慣れていた。
「行きましょう」
ティオが呼びかけ、行動を再開する。
可能な限りの速度で走り始めたランディは背中に感じるシズクの温もりを感じながらこれから向かう先のことを考え、連想によってとある人物に行き着いた。
その女性の安否はわからない、グノーシスが投与されていた場合、間違いなく能力的に戦場の指揮を任されるだろう。
有能な人物だ、理性を奪われたとてその力を十全に発揮するだろう。いや、生来の性格が封印されることでその能力は更に増すと考えていい。
つくづく厄介で難儀な性格だと思う、本来あんな職に就くべき人物ではないのだろう。
そんな彼女が前線に赴いた時、その時、果たして自分はその場にいるのか――
「は……」
「ランディさん?」
「なんでもねぇ!」
詮無いことだ、と割り切る。
自分がいくら気持ちを割いても結果は変わらない。ただ願うなら、最悪の事態に陥らないことを。そんな当たり前のことを思って静かに自嘲した。
そんな資格が自分にないことなどわかっているのだから。
「ッ!? 何か来ます!」
「――ッ!」
ティオの声に前方を睨み、そして彼らは進路を変更する。