空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
七耀教会の法術はアーツに似たものがある。つまりは七耀脈の力を利用して作動させる術であるのだが、それは教会の人間全てが使用できるわけではない。とりわけ通常の司祭やシスターは典礼省という一般的な教会業務を行う者たちだ。ミサや日曜学校を開き教えを説く、そこに法術は必要ない。
法術を使用するのは七耀教会本部であるアルテリア法国を守る僧兵庁や、アーティファクトの回収・管理を務める封聖省の人材である。
クロスベルの教会を任されているエラルダ大司教は大の封聖省嫌いであり、それ故に法術を使用できる者は限られていた。ちなみに、その大司教も法術を使用できる一人であるのは不思議な話であるのだが。
「まさか、ロイドやお嬢の先生を頼ることになるとはなぁ」
教会を出たランディが呟く。他の者も同意のようだった。
「二人の昔話が聞けなかったのは残念だねぇ」
ワジが本当に残念そうにため息を吐き、彼に割と否定的なティオもそれに頷いていた。
キーアに法術を施してくれたのはロイドとエリィの日曜学校時代の恩師である。住んでいた区が違う為に幼い二人は出逢うことはなかったが、もしかしたら幼馴染であった可能性もあったのかもしれない。
エラルダ大司教に頼むはずが何故そうなったのか、それは偏にワジの存在に尽きる。
何故だろうか、大司教はワジを見るなり顔を歪ませ、教会を預かる身としてはありえない拒絶の言葉を放った。ワジも予想していたのかしれっと受け流し、大司教は自室に消えていく。
理由を尋ねると、教会通いに熱心でない彼が旧市街で教会もどきのような集団を作っているのがお気に召さないらしい。
「あれはアッバスの趣味なんだけどな」
「確かに頭丸めて坊さんみたいだな」
不思議に納得するランディ、キーアはアッバスを知らないのでよくわからないような顔をしていた。
「それじゃあ今度はウルスラ病院ですか……」
ティオがよくわからない顔で呟く。ランディはその表情に苦笑し、ワジとキーアは不思議な様子でいた。
七耀の力を持ってしてもキーアにはあまり意味をなさなかった。ということで今度はレミフェリアの医療技術を頼ることにする。
「あー、どうしてエオリアさんはここにいないんだ! 紹介したんなら同行してもいいじゃねぇか!」
「エオリアってあの遊撃士のお姉さんかい? 彼女がウルスラを勧めたの?」
「そうです。エオリアさんは医師免許を持つ方ですから」
「えおりあってキーアも会ったことないよ、ティオ」
「そうですね、キーアもそのうち会いますよ……その時は気をつけなければいけませんが」
「よくわかんないけどわかったー」
「エオリアさんの扱いがひどいよな、俺に言わせりゃ天使に程近いお姉さんなのによ」
「綺麗な花でも遊撃士だからね、棘どころか猛毒を持ってそうだよね」
話も弾む四人である。
エリィはスコットの射撃技術を、ロイドはリンの格闘技術を見せ付けられながら依頼をこなしていった。
エリィのほうは援護を的確にこなしていたがロイドのほうは全く戦闘に参加せず、ただリンによる魔獣蹂躙を見ていただけだった。それでも彼は彼で盗める部分を探して脳内でシュミレートしていた。時たまそれが小さな呟きとなって表れていたのでリンも戦いながら笑みを深めるのだった。
そしてエリィ・スコット組がマインツの鉱山で魔獣の掃討を行っていた時、ロイドとリンはウルスラ病院にやってきていた。今回の依頼はとある薬の材料の調達である。
「それじゃよろしく頼むよ」
そう言って笑うのはヨアヒム・ギュンター、薬学専門の医師である。
釣りとサボりが趣味のこの人物とはロイドもそれなりに関わっているので知人の頼みを聞いているような感覚になっていたが、今回集めるべき材料がある場所は彼が行ったことがない場所だったのでそこは真剣に耳を傾けていた。場所はマインツトンネル道の途中、左に逸れる道の先にある。
「ロイド、お前はこの先に行ったことがないって言ってたな? 後学のために聞いておけ」
リンが説明を始める。
マインツトンネル道中間から分岐するこの道は標高の高い細い道である。言ってみればマインツのある高所、つまり岩山の崖を通る道である。当然足場は悪く、魔獣も特殊なものが生息しているが、不思議なことに道が壊れることはない。その理由はその道の先にある建造物にある。
月の僧院、それは古代の遺跡である。
僧院というとおり神聖な場所であったためにそこまでの道なりで人を試す必要があった、それがこの場所に建てられた理由だと言われている。既に荒廃しており訪ねる人間は皆無だが、それでも今尚荘厳に佇んでいる姿は一見の価値があるそうだ。
「ま、今回は僧院までは行かないんだけどね」
「その途中で分かれ道がある、ということですね」
「そうだ、距離的には近いけどその分険しくなるからどっこいだな」
リンは拳を掌に当てた。小気味よい音が響く。
「ロイド、お前の腕の治療は後回しだ、ちょいと距離があるからな。その代わり、悩んでるあんたを少しだけ楽にしてやるよ」
「…………わかりますか?」
ロイドは神妙な顔で尋ねた。自分では隠していたつもりはなく、むしろ半ば忘れていたようなものだったがそれは他者に気づかれるレベルであったらしい。
「わかるさ、顔に出てるよ。捜査官としてはどうなのかね」
「失格ですね、顔に考えていることが出るなんて問題外です」
「そうだな。でも仲間にとってはありがたいことだと思うよ」
喜んでいいのかわからない。ロイドは歩いて行くリンの背中を眺めながらそう思った。
「ん? あ、ちょっと待ってくれないか?」
二人がヨアヒムの研究室を出ようとしたその時、資料に目を通していた彼は慌てたように言い止めた。
「どうかしましたか?」
「いやぁごめんごめん。さっき言った場所にあったのは昔のことだったみたいだ。いや、今もあるんだけどももっと近い場所にも繁殖しているからそっちに行ったほうがいいね」
星見の塔。その言葉にロイドは僅かな痛みを覚えた。
ロイドが負傷中ということでバスで市まで移動し、そこから徒歩に切り替える。星見の塔に向かうためにはゴーディアンなどの危険な魔獣が生息する森を抜ける必要があった。
銀との邂逅のために向かった際には消耗を考えて戦闘を避けていたがリンにはそんな考えはないようだ。手当たり次第ではないが、障害になり得る魔獣には積極的に仕掛けている。
さて、彼らがかつて苦戦した彼の魔獣だが、リンの戦闘能力の前には足元にも及ばない。
彼女の武器は自身の肉体である。保護のためにプロテクターの類は装備し手甲も身につけているがそれは彼女の攻撃力の高さの証明にはならない。泰斗流、共和国に源流を持つその格闘術にこそ彼女の真価がある。
「ふ――!」
息を吐き出しながら右腕を振るう。その一撃でゴーディアンは巨体を揺るがせたたらを踏み、体勢を整えることなく次の一撃で沈み込む。ただの二撃、それだけでリンはこの魔獣を無力化した。
と思った矢先には反転して見つめていたロイドの方に疾走、遠くから飛んできた鋭利な葉を叩き落す。ブレードバナナンヌというバナナの一房が変質した魔獣だ。彼らの攻撃は非常に鋭く危険である。
リンはそのまま狙いを彼の魔獣に。幸いなのは次弾の装填に時間がかかることだろうか、当然の如くバナナンヌはリンに潰され消滅していく。
「やれやれ、準備運動にもならないな」
リンは全身の力を抜いて呟き、ロイドはそれに言葉も出ない。
たった一人で戦闘をこなし、それが準備運動にならないレベル。そこに辿り着くまでに自身がどれだけかかるのか、その未来が見えなかった。
「ロイド、お前に今足りないもの。その一つを教えるよ」
リンは先へと歩を進めながら後ろの彼に言う。それは今のロイドに一番必要なことで、彼女こそが一番伝えるに相応しいと感じたこと。
「今の私とお前、戦ったら間違いなく私が勝つ。それは単純な実力差に他ならないが、さて。仮に実力伯仲だとしたら、勝つのはどっちだ?」
「……それは」
ロイドはリンと戦って勝つビジョンが見出せない。それは現実が思考を蝕んでいるからだが、しかしリンの言うように互角だったとして、そうしたら自分は勝てるのだろうか。
「……俺は、勝てません」
勝てない、そう思った。しかし具体的な根拠を問われても答えることはできなかった。
自分自身に対する過小評価か、それとも現実なのか。沈黙したロイドにリンはその答えを返す。
「お前の言うとおり私が勝つよ。ま、その理由がわからないんだから意味のないことだが――――私はこう考える。こだわりの差だってね」
「こだわり、ですか……?」
頷き、リンは己の両拳を見た。悩んだ際掌を見るロイドに似た動作だった。
「私には泰斗があるが、言い換えれば泰斗だけともなる。当然エニグマにクオーツがあるから最低限のアーツは使えるが、それを安易に使おうとは思わない。それは私が、泰斗の拳に対して強い思い入れがあるからだ」
どんな状況でも自身の拳で対応する。泰斗を学び、修め、極めればどんな状況も突破できる。リンはそれを信じて疑わない。
「一方でお前は自分の振るう武術に対する気持ちが薄い。性格なのか特性なのかは知らないが、それはお前が結果こそを重視するからだと思う。結果に至るまでの過程をお前は制限しない。その分思考・選択の幅は広がり柔軟に対処できる。うん、それは悪いことじゃないし良いことだと思う。でもな、お前は過程にも目を向けるべきなんだよ。結果を求める為に柔軟な思考を重ねるお前は、しかし結果という一箇所しか見ていない。これは矛盾じゃないか?」
ロイドには過程に対するこだわりが薄い。
自身のトンファーによる制圧か、理論による論破か、はたまた仲間の助力か。彼は求めるべき結果のためにはそれまでの過程を重視しないのだ。
ただ一つ、仲間を護りきるという結果に対しては過程をこそ重視することもあるが、その過程も自分が頑張って護る、ということであって護る術に関しては思考が向いていない。
幅広く、というのは確かに多くをカバーできるが、一点に対しての力が甘いのだ。
「私は唯一つのことに全力を注いでいるから、範囲を広げすぎるお前とは一つの力が違う。私は泰斗の武術であらゆるものに対処すべく訓練していて、お前はそんなものもなく手数を増やしている。それは確かにリーダーとしての統率力には勝るけれど、個の力では激しく劣る」
極限まで研ぎ澄まされた刃は、様々な材料を使った防具を容易く切り裂く。極限まで改良された防具は、あらゆる攻撃を寄せ付けない。前者がリンであり、後者がロイド。彼女はそう言っているのだ。確かに言っていることはわかる。わかるが、しかし――
「……ですが、状況に応じた選択の多さが一点の力に必ず負けるとは思えません」
「当たり前だろ、言ってみればそれもお前のこだわりだ」
「え?」
思わず反論したロイドだが、それはあっさり肯定されて意表を突かれた。そんな彼を気にもせずリンは告げる。
「私の持論に納得がいかなくて反論した。つまりはお前が今の戦闘スタイルに何かしら感じているからだろう? 別に私の考えを押し付ける気はさらさらないよ。ただ一つ言いたいのは、お前はその選択の中に特別な芯を一つ入れるべきなんだ」
ロイドのスタイルはそのままでいい。しかし今のままでは全てが平坦で、拮抗した時に頼るものがないのだ。リンはそれこそを危惧する。
遊撃士は皆最後に頼るべきものが必ずある。リンのように武術一辺倒なら言うに及ばず、武術・魔法とバランスよくこなすヨシュアにも一番の強みがあるのだ。
今のロイドはその最後の砦、中心となる一本の選択肢がないのである。
柔軟な考えはリーダーとして集団を指揮するにはいいだろう。しかし万一離散した時、ただ一人の状況で選べる手段が少ない場合、最後に頼るものがなければ生き残れない。
「お前が一番大事な結果、それを達成する為に必ず踏む過程。それを為すのに一番重要なお前の芯は何だ? トンファーによる武術か? エニグマによる導力魔法か? それとも純粋な身体能力か? それこそが今お前に一番足りないものだ」
「…………俺は」
ロイドが苦悶の表情で悩む中、二人はいつの間にか森を抜けて星見の塔の威光を視界に収めていた。以前立ち寄った時と同じ、ただ扉の前にあるバリケードは修復されている。
吹き抜けのようなこの場所では風が舞い、地を彩る草々で美しい曲線を描いている。おそらく何度来ても森を抜けた瞬間には息を呑むことだろう。
「さて、ヨアヒム先生の依頼した植物はっと」
リンが軽やかな足取りで周囲を歩き回り、ロイドも思考しながら捜索に入る。しかし彼の目には全てが同じ植物に見えており、一向に力になることはなかった。
彼の脳内ではリンの問いが渦を巻き、しかし杳として答えが出ない。こんなことは何度もあった。自分だけでは見出せない暗がりの中の光、そしてそんな彼を救うのはいつも、いつも、今は亡き兄の背中だった。
結局リンが一度彼の探した場所で発見してお小言を放ち、ロイドがそれにうなだれる結果になった。それでもリンの口が閉ざされるとロイドは口を開く。
「リンさん、俺は結局、このトンファーこそがそれなんだと思います」
「……それはどうしてだ?」
「確かに警察で導入されていて、対象を傷つけずに無力化・制圧できるというのもあります。でもそれよりも――――これは兄貴も使っていた武器だから、だから俺はこれで戦っていきたい。大切なものを、これで護っていきたいんです」
トンファーを持つ左腕に力が籠もる。この武器で兄はクロスベルを守ってきたのだ。
ガイが使用していたトンファーは彼の殺害現場からは持ち去られていて現物はない。それでも同じ武器を持って戦うということに安心感を得られる。
同じ武器を持って護ることに、大きな意味を感じられる。
いろんな武器を試してみて選んだトンファー、そこにはしっくりくるという以上の理由があったのかもしれないと初めて気づいた。
リンはロイドの目を見つめ、やがて息を吐き、
「そうか、なら精進しなよ」
満面の笑みで認めてくれた。それに中てられてかロイドの頬も緩む。
リンは言ったとおり、ロイドを少しだけ楽にしてくれた。改めて頑張れる活力を与えてくれた。
「リンさんは、少しセシル姉に似ています」
「ん、誰だい?」
「俺の姉です。全然似てないですけど、厳しいところが」
「悪かったね、厳しくて」
普段は優しく包み込んでくれるセシルはしかし、必要な時はとても厳しく接してくれる。それは普段とのギャップのせいか必要以上に厳しく感じてしまうが、その厳しさには必ず優しさが込められている。その証拠が厳しくされた後の微笑だった。
リンの厳しさにもその優しさを覚え、その後に笑顔もあったための発言だがリンにはお気に召さなかったようだ。
それでも雰囲気は明るい。リンは屈み続けた自分を労わるように大きく伸びをし、そして――――
「え」
視線。
驚愕。
恐怖。
死。
背筋が凍る。遥か頭上から巨獣に見つめられる感覚に驚愕して天に振り向いた。
見上げるは星見の塔、その頂上には鐘楼があるだろうが塔付近では角度がなく窺えない。急いで距離を離し鐘楼部分を認めるも目立った姿はなく、彼女は狐につままれた気分になった。
「おいロイド、お前は何か感じなかったか?」
厳しい視線を向けたまま尋ねるも反応はない。聞こえなかったのかとリンはようやく視線を下げ、
「な――」
倒れているロイド・バニングスを発見して絶句した。
緊張が走る。急いで駆け寄りつつも周囲に必死に目を配った。
襲撃ならまだ近くにいてこちらを狙っている可能性がある。ここで自分が倒れるわけにはいかないという思いと、すぐに様子を確かめたいという思いの板ばさみによる全力の行動だった。
周囲には目立った気配はない、ロイドを見る。彼は両手で頭を押さえて苦痛にもがいていた。
「どうしたッ! 喰らったのかッ!?」
頭部を確認するも外傷はない、遠方からの狙撃といった類ではなさそうだ。となると上位属性の精神攻撃系魔法か、しかし術者の姿は確認できない。
アーツにも射程はある、リンほどの実力者に気づかれることなく詠唱するのは難しい。辺りを見回しても変化はない。冷や汗が流れた。
「づ、ぁ……っ、たま、が……ッ」
「弾ッ? 撃たれたのか!? おい、しっかりしろッ!」
頭に損傷があるのなら無闇に動かせない。しかしリンにはそれ以外の対処法が思いつかなかった。
心臓が異常なほどに高ぶる、爆発しそうな内臓が襲い掛かってくる。
エニグマの通信外である星見の塔で、彼女はロイドを負ぶさり最高速でウルスラに走った。周囲への注意と引き換えにガリガリと擦り切れる精神、その消耗に歯を食いしばって。
* * *
「彼の者も越えましたか」
蒼穹を衝く星見の塔の鐘の前。呟きには僅かな驚愕と大きな感嘆が込められていたが、しかしそこには好意というものが欠如していた。
空に近い分風は強い。
流れるブロンドの髪は人形のように美しいが、それを覆う白銀のプレートアーマーはその人形を神聖な騎士に変えていた。
碧の瞳が地を窺う。それには黒髪の女性が必死になって走る姿が映されていた。
「…………」
僅かに睫毛が下ろされる。それが何を意味するのか、それは本人にしかわからない。
「これで四度目、ですね」
尤も、覚えていないようですが……
暫しその疾走を眺めた後、呟いた本人は空に消えていった。まるでその瞳の色に融けてしまったかのように。
ターニングポイントです。