空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
古戦場。起伏の激しい大地は戦士の疾走と衝突を思わせる。
小山のように高低差のあるこの場所は自然の造ったアスレチックのようだ。生い茂る木々はそのアクセント程度、元々は多かっただろうがそれも戦場に選ばれた時点で大半を消滅させる運命にあったはずだ。
先に進むと遺跡が残っている。鐘楼があるのはなんともクロスベルらしい。
ほぼ破損なく存在しているのは戦場における拠点であったからだろう。
太陽の砦と言われているそれは高低差の激しいこの地の頂点に君臨している。安全な場所であるなら確かに観光名所に相応しいだろう。
ゼムリア大陸における過去の要所が全て七耀脈上にあるというのは偶然だろうか。この古戦場も外れることなく含まれており、そのために魔獣が発生しやすい環境にある。
また多くの死者が生まれた場所だからだろうか、魔獣の異様さと凶暴性はクロスベル随一である。遥か昔から変わらないここは、既に人間がいるべき場所ではなかった。
その中を進む特務支援課は雨のために活動が活発でない魔獣の網を潜りながら目を凝らしている。植物型の赤い魔獣ヴァンパイアソーンは動きが鈍いが射程距離は長い。ティオが居場所を感知していなければ奇襲を喰らったことだろう。雨の中なのが幸いしたのか苦にもならず撃退する。
しかしそれは失策、捜索に戦闘は必要ないのだ。魔獣に遭遇しても逃げることを優先し先に進む。
途中で分かれ道があった。一方は高所への道、もう一方は奥への道である。ティオの探査とロイドのエニグマが鳴るのは同時だった。
「スコットさん――」
「こちらは太陽の砦に辿り着いた。今から探すから通信は切らないでくれるかい?」
「了解です。ということはそちらには……」
「見つけた――!」
同時に聞こえる言葉、それはスコットとティオのものだ。一気に緊張感が爆発する。
「そのまま直進! 砦の門があるから急いで――!」
「動かない反応が二つ、100アージュ先です!」
「了解、行こう!」
走力を上げる。危険な魔獣が跋扈するこの状況に躊躇はいらない。
雨音の中泥を弾く音が木霊し池を越える。すると存在するのは巨大な砦、太陽の砦だ。
スコットがいる場所が居住スペースなら彼らが辿り着いたのは防壁に囲まれた正しく主戦場。訓練も行われただろうそこは重厚な門の先で異質を帯びていた。
囲い込む石の壁は左右両側に建物へと至る階段が設けられている。真っ直ぐに進む道もあるが奥は建物で見えない。その主戦場の左隅、小さな塔のようなものの下に人間の姿があった。
「あれか――っ」
急いで駆け寄る。詳細が明らかになっていくに連れ表情が険しくなっていった。
カップルというとおり男女一人ずつ、女性はぐったりとして倒れており、男性も塔に寄りかかるようにして座り込んでいた。四人が駆け寄る音に気づいたのか男性が顔を上げる。そこには魔獣かという恐怖感はなく、しかしそんな反応すらできない状況だと思わせるものだ。
「警察の者ですっ、大丈夫ですか!?」
「けいさつ……警察の人か……」
「ティオ、エリィ!」
二人がアーツを唱える。その間にランディが女性のほうの診断もした。
「外傷で危険なものはねぇ、疲労と精神的なもんだろう――おい、魔獣に襲われなかったのか!?」
ランディは男性に問うも、彼は答えられない。
「応急処置をしたら俺とランディで運ぼう。スコットさんもすぐに来るはずだ」
エニグマは相変わらず通信状態のままだ、スコットにも状況は伝わっているだろう。しかしそのエニグマから発された次の音は彼らに時間を与えない。
「すまないっ、少し時間がかかりそうだ――っ!」
「スコットさん!?」
銃撃音とその言葉、そして小さく鳴り響く獣の咆哮。魔獣の襲撃に違いなかった。
「どうする、ロイド」
「……スコットさんも心配だけどこの二人を危険に晒すわけにはいかない。信じて俺たちだけで運ぼう」
スコットは後方の人間だが、それでも一人で魔獣を圧倒する実力の持ち主である。何度か入ったという彼ならよほどのことがない限り大丈夫だろう。彼も同じ状況ならこの二人を優先させるはずだ。
「アーツだと疲労は取れないわ。雨に濡れないようにしながら病院に連れて行くしかないわね」
「ティオ、魔獣は――くっ!」
雨の微かな変化に瞬間的に振り向いたロイドとランディは同時に得物を振り上げた。そこに感じるのは力強く硬い感触。頭上から降ってきた鉤爪を防いだ彼らは戦闘の開始を告げた。
エリィが銃を構えた時点で魔獣は危険を察知、掴んでいた両の得物を放して飛翔する。曇天の中浮かぶ大きな黒き姿、橙の鶏冠と嘴を持つ鳥型魔獣。
「――確認しました! ズゥ、地属性弱点です!」
ティオが発し、四人は改めて上空の魔獣を見た。二羽のズゥは旋回しながら機を窺っている。彼我の距離は目算で15アージュほどだろうか、エリィの銃撃がなんとか届く距離である。
「まずいな、あれじゃあ攻撃が……」
「く……ティオはアーツ、エリィはそのまま撃ってくれ! ランディは――」
指示が終わる前にロイドは彼方を見た。その先には地を這う四足魔獣、オレンジの体躯に背中の多色球が特徴だ。
「セピスデーモン――っ!」
「ち、頭使ってんじゃねえか……!」
ズゥの旋回に変化が起こる。セピスデーモンの襲撃に合わせて降下してくるつもりだ。ならば支援課に迎撃の道はない。
「ランディ――!」
「合点承知だっ!」
ロイドとランディはセピスデーモンに突っ込む。ズゥがタイミングを計っているならこちらでそれを崩せばいい。
あえて向かうことで襲撃ポイントをずらす。セピスデーモンは襲撃に対してその鋭角な牙の隙間から火の粉を漏らして待ち、一気に飛び込んできた二人に対してそれを解き放った。
「ぐぅ……!」
跳躍したロイドはそれをもろに浴びる。火炎に対して防ぐ手段がない彼はトンファーをクロスさせて顔を守り、それでも高温の息に声が出る。
「うらぁ!」
しかしランディは咄嗟に回避、燃える吐息の発射口である魔獣の口をハルバードで無理やり閉ざした。
「グブゥ――!」
おかしな音を立ててセピスデーモンは頭部を地に落とす。その間にロイドは地を転げて引火を防いだ。雨の影響か、この攻撃は威力を減退させている。つまりはチャンスだった。
受身を取って立て直したロイドはランディに合わせて追撃を行う。狙いは背中だ。
セピスデーモンは名のとおりその体内に多くのセピスを溜め込んでいる。属性関係なく集めている為に浮かんできた瘤が七色に変化するのだ。
しかしそれ故に体内で七耀脈の力が暴発する危険性も帯びている。それを誘発するポイント、それが背中だった。
「はぁ!」
「せい!」
同時に振り下ろした武器が背中を強打する。
元々乾燥を好む魔獣だ、この雨の中で実力を出せたのか怪しい。水分で緩んだ外皮はその衝撃を内部にまで通してスタンさせる。
二人は感触によって結果を知り、故にすぐに上空を見やる。二羽のズゥは連携でエリィに的を絞らせず、ティオのアーツも高速の回避で当たらない。反して彼らの牙は二人にダメージを与えている。降下は一羽ずつなのでなんとかお互いにカバーし合っているがそれでも二人には裂傷が目立っていた。
「エリィ、ティオ――!」
「待ってろ!」
二人の下へ駆け寄るロイドとランディ。だが彼らにできることは彼女らを守ることだけだ。空を支配するズゥに対して彼らにできることは少ない。
ズゥが降下する。その勢いは通常の飛行とは歴然たる差があった。空気を切り裂き重力を味方につけ、その爪の切れ味を上昇させる。
フォールダイブ、鳥型魔獣の主要攻撃である。
ロイドとランディが魔獣に触れられる時間はズゥがそれで以って攻撃を仕掛ける時だけだ。しかしその時間を彼らは可能な限り削ってくる。フォールダイブとはそれほどの速度なのだ。
今までは攻撃に重点を置いていたのか、突き立てた爪を更に食い込ませていたので反撃の余地があった。しかし万全の支援課に対して彼らは流れるように裂いていくだけ。
大柄であるのが救いだがそれでも満足にダメージを与えられない。ならば、足りない速度を補えばいい。
「ランディ!」
ロイドは目を向け、ランディも意図に気づき頷いた。同時に得物を下ろす。
構えを解いたその姿は無抵抗に見える。ズゥもそう感じただろうが、そこに警戒が混ざるのがこの魔獣の厄介さだ。
しかし流石に好機と見たのか一羽だけでなく二羽がコースを外れて降下に入る。一気に加速した両のフォールダイブ、それは沈黙する二人に同時に降り注ぎ――
「――ッ!」
二人が爆ぜた。いや、互いを押しのけあうように攻撃を叩きつけ強引に距離を離す。
加速したズゥは反応できない、突如生まれた間隙にその身を飛び込ませる。
「行くぜロイド――!」
二人は同時に加速、獲物を見失ったズゥを邀撃する。スタンハルバードとトンファーが互いを補い合うように交互に打撃を連ね、挟みこまれたズゥは身動きがとれず繰り出される攻撃のままに身体を震わせていく。
そして連撃が止むと同時、二人は一気に後方へ退き、助走の為の距離を稼いだ。エニグマが起動し、それぞれの牙に紫電と振動が加わる。引き絞った弓のように溜めた脚力、それは磁石が引き寄せ合うかのように同時に解放された。
「バーニングレイジ――ッ!!」
咆哮は駆け抜けた二人の奏でた最後の音、引き寄せあいかち合った二人に飲み込まれた二羽の魔獣は最後の最後まで声を上げることなくその一撃に意識を掻き消された。
「エリィ! セピスデーモンは――」
そこで緊張を途絶えさせるわけにはいかない、ロイドは硬直する体をそのままに一度目を切った魔獣について指示を出し、
「ええ!」
遠距離からの一斉掃射。セピスデーモンは雨中という環境に負け、その身に溜め込んだセピスを吐き出し散っていった。
「時間はかかりますが許してください」
ティオが詠唱にかかる。風の属性値を持たないティオは範囲回復魔法を持たず、それ故に一人ずつしか回復できない。しかしブレスと違いEPや精神的疲労を抑えることができるので、危機が去った今はそれが最善手だった。
「――ロイド」
ランディが手を上げている。ロイドはそこに手を放り込んだ。
ズゥとセピスデーモン、二種の魔獣の奇襲を退けた四人は周囲の警戒をしつつ二人の病人を護送する準備を整えていた。
上着を被せて男二人が背負う形になる。雨は降り続いているため、担架を作るよりも背負う側の体温を利用する方法を選んだ。体格的にランディが男性のほうを担当するが、それを悔しく思うほどには余裕を取り戻している。
本来ならば急患のため導力車を呼びたい、しかしエニグマの通信範囲である導力ネットワーク計画の範囲はクロスベル市とウルスラ病院間、そしてミシュラムだけでこの場では通信は届かない。
スコットとの連絡が取れたのはエニグマ同士が持つエネルギーを消費することで一定距離ならば通信が可能になるという例外を利用したに過ぎない。これはコンビクラフトで使われる機能でもあった。
「ロイド、スコットさんとの通信は?」
エリィが問う。ロイドは首を振った。
「EPが切れたんだと思う、戦闘中も繋がったままだったからな」
「そう。遊撃士の判断が聞きたかったのだけれど仕方ないわね。とにかくできる限り早く移動しないと」
魔獣の襲撃に遭う。そう言外に告げたエリィはティオを見た。絶えず索敵中の彼女は雨で濡れた髪を額に貼り付けながら目を閉じている。
ハンカチを取り出して顔を拭いた。焼け石に水のようなものだがその気持ち分だけティオに力が戻る。
「ランディ、行けるか?」
「おうよ、じゃあ行くとすっか」
以前とは異なる不思議な連帯感がある。それは先の戦闘で決めた連携が理由なのかもしれない。
バーニングレイジ、コンビクラフトとして登録はしていないが、それでもそれはコンビクラフトだった。
旧市街の一件の時に幻視した映像、それは確かに二人が共有したものだが、この土壇場でアイコンタクトのみでそれを再現するというのはかなりの成功率であったはず。
しかし事実完璧に成功させ危機を乗り越えた。それに対する手応えと達成感は先のハイタッチのとおり、意志が伝わりあうということの素晴らしさを実感できる瞬間である。
それでもそれ以降二人はこの件に関して口にしない。優先順位というものを理解しているというのもあるが、おそらく一番の理由は照れくさいからなのだろう。
身体の前で腕を組ませしっかりと固定、この状態では戦闘は無理なので安全はティオ任せになる。エリィは顔を張って気合を入れた。それが不可能だった時、彼女こそが踏ん張らなければならないのだ。
予備の銃も抜き、二挺拳銃で身構える。一般人を危険に晒す可能性が格段に上がる間合い7アージュ以内。それがエリィの戦闘領域を決定付ける。
脳内で設定した稜線を視界に含め、ティオから譲り受けた鷹目で以って鳥の視点を得る。鋭利な痛みが脳を走るが気にしない。自分にできることは無茶でも行う。
エリィ・マクダエルは今支援課の命を背負っているのだから。
そして彼らは動き出す。それは協力者であるスコット・カシュオーンが呆然とした瞬間と同時だった。
***
ズゥ、セピスデーモン、ヴァンパイアソーン、カースシールド。その他およそ古戦場に生息する全ての魔獣に取り囲まれたスコット・カシュオーンはしかし冷静に戦闘を進めていた。
一番の得物である愛用の導力ライフルは遠距離で効果を発揮するために連射速度は低い。本来は前衛のヴェンツェル・ディーンがいるのだが今は別行動、この多くの魔獣を一人で掃除しなければならない。幸いなのが行方知れずとなった観光客を発見した後だということ、協力者がいる今は落ち着いて現状を免れればいい。
しかし――
「あっちも襲撃か――」
エニグマから聞こえる戦闘の音にスコットは僅かに冷静を乱した。瞬間襲ってくるヴァンパイアソーンの種弾、首を捻って避け、代わりに自らのそれをお見舞いして沈黙させる。
太陽の砦の鐘楼付近で魔獣の奇襲を受けたスコットは足場の狭いそこから一気に地上へ降り、そこで自身を取り囲む魔獣と相対していた。
これだけ時間をかけているのに状況が変わらないことを訝っているのか、それとも余裕なのか、魔獣は一斉にかかってくることはない。それはスコットにとって幸運でもあり不運でもある。
ライフルのエネルギーを確認しつつ、腰に挿した短剣を左手で握り締めた。
どうしてこれほどの数が襲ってきたのかはわからない。しかし同様の状態ならば守るべき存在がいるあちらが気がかりだった。
太陽の砦に再び向かう。階段を駆け、そして追ってきた魔獣を背面跳びで乗り越える。囲まれた状況を逸し、そして一箇所に集めた。
そこでスコットは自身のギアを一段上げた。
「悪いけど時間が惜しい」
両腕の力を抜いてライフルと短剣を地に向けた。エニグマが起動、スコットを光が包む。
刹那、全ての魔獣が言い知れぬ予感を覚え、同時に目の前の人間が急変したことを理解した。人間大だったはずの存在が輪郭を揺らしながら巨大化する。
それは彼の裂帛の気合から生じるイメージ、彼らにとってのスコット・カシュオーン。
その場にいた魔獣が己の持つ最大の警戒心で以って身構え――
「――ラッシュアウト」
――その全てが、消え失せた彼が既に背後にいる現実を知ることもなく光に解けた。
「…………」
天に翳した二つの武器を下ろし、地に下ろしていた右膝を持ち上げる。立ち上がったスコットは首を鳴らし、ライフルとエニグマにEPを補給した。
「――急がないと」
魔獣がいたという証を拾うことなくスコットは走り出す。自身の窮地を抜けたところで依頼を達成したわけもなく、故に彼は先ほど見た場所を目指した。
できる限り速くこの地を動かなければならない。そして無事に事を成したら後輩である支援課を褒めてやろうと、生来の優しさで思考を巡らせたスコット・カシュオーンは――――
「え――――」
――続けざまに慮外の事態に遭遇した。