空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない 作:白山羊クーエン
旧市街も前と比べれば歩きやすくなった。街の急激な成長に意図的に置き去られた一区画は、自然とその変化にわだかまりを覚える者たちが集まるようになる。警察の巡視もなく、結果的にクロスベルの繁栄の陰を生み出すことになっていたが、一月も前のことを鑑みればましなのである。こうして14歳の少女が一人で歩けるほどには。
もちろん相変わらず赤いジャージのサーベルバイパーや青い服のテスタメンツなど不良と称される方々はいらっしゃるが、それでも彼らはこの青髪の少女が警察関係者であり自分たちでは歯が立たない存在であることを知っている。故に彼女はそのままトリニティの前を過ぎ、とある私的工房を訪ねたのであった。
「こんにちは、ギヨームさん」
「お、嬢ちゃんか、久しいな!」
そう言って笑いかける偉丈夫ギヨーム。お久しぶりです、と返したティオはその場で立ち止まり、奥でびくついている人影を睨んだ。
「主任……」
「びくっ!? てぃ、ティオ君……」
自分でびくっ、とか言わないでほしいとティオは内心思いながらその男性を見る。
白衣、年配、丸眼鏡、以上。
「おいおい何びくついてんだよ、この間も会っただろうがよ」
ギヨームに引っ張られて表に姿を現す彼こそがエプスタイン財団でのティオの上司、通称“主任”のロバーツである。
おどおどした彼は気弱ではあるが非常に優秀な人物である。心配性だという事実も付け足しておこう。ちなみにこの間とは、銀に壊されたプロテクターの修理の時。彼女はその時にやっと自身の上司の姿を発見したのである。
「主任、別にわたしは怒っていませんよ」
「う、うそだっ、ティオ君怒ってるよ絶対っ!」
「では何について怒っていると思うんですか?」
ほら否定しないじゃないか、とロバーツは零し、そして恐る恐る口を開く。
「…………魔導杖を武器屋に流した、とか……」
「……確かに。なんでわたしに直接渡さないんですか?」
威圧感が増した気がしてロバーツは薮蛇だと自身を呪った。
ティオの問いに対してさてどう言い訳しようかと考え出したところで、
「もういいじゃねぇか嬢ちゃん。ところで、今日は何の用だい?」
「ギヨーム……っ」
感極まったと言わんばかりに両手を合わせて涙を流すロバーツを無視し、ティオは用件を口にした。
「ちょっとストレス発散したかっただけです」
「…………」
「てぃ、ティオ君! きみストレスが溜まるようなことしているのかいっ!? これは大変だ速やかにその問題を撤去しないとでもまずティオ君からそのストレスの元凶を聞き出さないとああいやティオ君が素直に言ってくれるかわからないなこうなったら警察の使用している通信に介入して情報を集めてから僕が対応策を考え出して――」
* * *
支援要請が多い、それは創立記念祭が差し迫り各機関がてんやわんやだからだろう。
街全体が齎す一大イベント、それはもう気合の入り方が違うのである。普段何気ないサービスしかしていない店ですら、年に一度のこの期間では大盤振る舞いなのである。街は活気に溢れ、普段使わないものや大量に使用しそうなものを集めまくる。故にどうしても物資・人材が不足するのは仕方のないことで嬉しい悲鳴だろう。さて、では特務支援課はというと、記念祭云々ではなくそのしわ寄せによる忙しさに背中を押されていた。
ティオを除いた三人が支援に駆け回っている間にその除いた彼女はストレス発散ではなく魔導杖の点検に行っているわけだが、ティオのことを忘れるほどに市内を駆け回っている。市外に関しては遊撃士に一切を任せるという大胆かつ諦めの含んだ結論を出した彼らだが、それは天秤にかけたというよりは遊撃士との共存の道であった。事実セルゲイはミシェルと連絡を取っており遊撃士のほうも了解している。
再度言おう、忙しい。忙しいのだ。これは人手不足の遊撃士が常日頃ぼやくそれとはレベルの異なる話なのだ。
だが――だからと言って人格を忙殺されるわけではない。
そんな状況では不可能だと思っていたある事柄を、実はやる気満々でそれを励みにしている者がいることを知っているのは、当の本人とそのパートナーだけであったのも無理はないのだ。
***
そして本日も慌しい中支援要請が終わり、時刻は夕ご飯には少し早いという頃であろうか。ティオも合流して午後の支援要請を片付けた特務支援課、夕食当番のロイドが調理に取り掛かろうとした時に鳴った導力通信。それが本日の最終要請となる。
「はい、クロスベル警察特務支援課です」
「あ、もしもしエリィさん? 私っ、エステルっ!」
「エステルさん、どうしたんですか?」
「うん、今私たちも依頼が終わったんだけど、どうせなら夕ご飯を一緒できないかなって」
どうやら食事の誘いらしい。エリィはいざ調理開始と腕まくりしたロイドに聞き、残りの二人にも了承を取ってその誘いに応えた。
「じゃあ東通りの龍老飯店で。あ、武器も持ってきてね!」
「武器?」
首を傾げるエリィだがそれで通信が切られてしまい、彼女は困惑するも一応指示に従った。
「まぁ、予想はついていたけれど」
エリィはそう言って対峙する二人を見た。彼女の視線の先の一人、棒術具を構えたエステルは、あはは、と笑い、
「いやぁ、せっかくの機会だからー」
「俺としても妥当なところじゃないかと思うがね」
そのエステルの正面でハルバードを構えるランディはうんうん頷いている。両者に不満がないならエリィとしても文句はないので、いつの間にか観客席なるものを用意したティオと一緒になって座る。
食後にエステルが言い出したこととは先日の訓練の約束である。特務支援課も遊撃士協会も迫ってきた創立記念祭を考えれば果たすのが大分後になってしまう。そのため思い立ったが吉日が如く誘いをかけたということだ。
流石に市外に出るには時間が遅いため現在は港湾区の公園にまで来ている。人影もなく訓練という名の運動ということにすれば迷惑もかかりにくい状況だった。
「それじゃあ始めましょうかっ!」
風斬り音を立てて振り下ろした棒具とともに戦闘態勢に入るエステル、それを見たランディもいつものように体を弛緩させて自然体で応えた。
「始めっ!」
ヨシュアの合図とともにエステルが飛び出す。くるくると得物を回転させながら迫り、その勢いのままに左から振り下ろす。それを冷静に、しかし一歩退いて受けるランディ。鍔迫り合いになるならば力で押そうと考えていたが、エステルの棒術は止まることを知らない。
「うりゃっ!」
受けられた後はそのままの姿勢で右手を引き刺突に切り替えランディの胸部を狙う。点の攻撃をランディはハルバードを縦にして軌道をずらし自身は半身に、エステルの腕が伸びきった瞬間に距離を詰めて当身を敢行する。
エステルはタイミングを合わせて後方に衝撃を流しくるりと横に一回転、遠心力を付与した大振りの薙ぎを放つ。それを当身の体勢のままに得物で防ぎ、しかし重心が高かった為にそのまま飛ばされたランディは、更に回転して迫るエステルの薙ぎの連続を防ぎ続ける。
間断なく響く武器と武器の交わる音は回転を終えて後方に跳躍したエステルによって終わり、ランディはその瞬間に前進する。連撃で痺れた手もそのままに振り下ろし、今度はエステルが受けた。
一撃の重さは流石にランディのほうが大きいが、彼女はそんな相手と常に戦ってきているので防御にも隙はない。そのまま押し込もうとするランディだが、エステルは左手の位置を先端部分にまで移動させた。瞬間その手を支点としてエステルの身体が回転する。
ランディは押していた勢いに僅かに姿勢を崩す。エステルは回転のままにランディの背中を狙い振り下ろし、しかしランディはハルバードの先端を地につけることで柄の部分を持ち上げてそれを防いだ。びりびりと空気が振動し、両者の視線がぶつかる。
エステルは武器を引き、距離をとった。顔には笑みが浮かんでいる。
「あはは、やっぱりランディさんやるわね!」
「はは、終始押されっぱなしじゃ俺としても立つ瀬がないからねぇ」
よっ、と気合を入れて姿勢を正すランディ。額には汗が浮かんでいる。
「っかし腕力はそうでもないが遠心力の乗せが相当だな、まるで男とやっているみたいだぜ」
「私はちゃんと女の子ですっ! でも遊撃士として誇れるように修練してきたからちょっと嬉しいな」
えへへ、と笑うエステルに審判をしていたヨシュアが話しかける。
「エステルは回転しすぎ、確かに威力は増すけど隙も増えるんだからさ」
「むぅ、でも訓練なんだしいいじゃん。せっかくの対人なのに……」
「俺なら空いてる時はいつでも誘ってくれていいさ、こっちも訓練になる」
ありがとー、と笑うエステルにヨシュアも苦笑し、
「でもエステル強くなったね、ランディさんくらいの相手ができるようになるなんて」
「でしょでしょっ、いつまでもヨシュアに負けてられないからねっ!」
そんな二人の会話を不思議に思ったランディ。
「つーか俺よりエステルちゃんのが押してんのに相手できて云々はおかしくないか?」
「今回は訓練ですからね、こっちはこっちで枷を付けさせていただきました」
そう言ってヨシュアが見せるのはエニグマである。
その数は二つ、一つは彼のものでいいとして、残る一つは……
「……何か? エステルちゃんは生の能力でやりあってたってか?」
頷く二人にランディは冷や汗を流した。ちなみに現在のランディのエニグマには、攻撃2・防御2・行動力1などバリエーション豊かにセットされている。
「すみません、事前に言っても良かったんですが……」
「あーいい、いい。実力的に妥当なハンデだよちくしょう」
悪態を吐くもそこに悪意はない。本当に実力的にはそんなものなのだ。
ランディはそのまま観客席にいる仲間を見やり、怒鳴る。
「おいお嬢ティオすけっ、どうだったよっ!」
「いえ、いきなり怒鳴られても……」
「すごかったです、特にエステルさんが」
「ありがとーティオちゃん!」
「裏切り者めっ」
ランディが唾を飛ばす中ヨシュアはあはは、と笑い、
「続けますか?」
「いや、交代でいいだろ。おいロイド、出番だぞ!」
ランディは早々に矛を収めロイドを呼ぶ。今まで沈黙を保っていた彼は呼ばれて少々陰鬱気味に応えた。
「――――俺か」
「おう、ぼこぼこにやられちまえっ」
八つ当たりのようなコメントにしかし少しだけ元気をもらった気がするロイドは自身の頬を張って気合を入れる。目の前には双剣(練習用)を持ったヨシュアの姿があった。
「よろしく、ロイド」
「ああ、お手柔らかに頼む」
「始めっ」
エステルの掛け声に、ロイドは始動した。
まるで教官を相手取っているようだったとロイドは思う。
ヨシュアは基本的に攻めては来ず、ロイドがひたすらにトンファーを振るっていた。かと思えば防御した直後にカウンターを仕掛けてくるので油断することはできない。無駄口を叩く暇も精神的余裕もなく、ただ目の前の双剣に攻撃をし続けていた。
「僕のこれとロイドのトンファー、この二つの違いは表現にも出ているね」
トンファーで叩く、撃つ。双剣で斬る、薙ぐ。
「元々相手を害する攻撃用なのが僕の剣で君のそれは防御・制圧も考えられた攻防一体の武器だ。使い方に違いがあるのも当然なこの二つの武器はまず付加効果が異なる」
剣で攻撃すると切り傷ができる、トンファーで攻撃すると衝撃が襲う。
「トンファーの利点は攻撃に向けたベクトルがそのまま衝撃となって内部を襲うことだ。つまり奥行きのある武器ってことだね。表面だけ斬って傷になって終わる剣よりも相手の行動を阻害しやすい。そういう意味で警察も導入しているんだろう」
専ら魔獣と戦う遊撃士は魔獣の討伐が目的であって拿捕することではない。逆に警察官は逮捕することが目的であるので不用意に傷つけることはできない。
エステルの棒術など遊撃士でも打撃系の得物を持つ者はいるが、それでも目的が違うのである。
「だから僕がトンファーの扱い方を教えることはできない。僕にできることは、その二つの武器をいかに効率よく使うことだけだ」
そう纏めたヨシュアに、気づいたらひっくり返されていた。暗い空を背景にヨシュアが剣を向けている。そんな夜空色の髪の青年は、もっと訓練しないとね、と言って笑った。
四人の訓練が終了しブレイクタイムとなった。片手に持つ飲料は最近クロスベルに導入された自動販売機から買ったものである。
コーヒーを啜ったランディは訓練の感想を言っていたが、それはいつの間にか質問となって二人の遊撃士へと向かっていた。
「そういや二人は流派か何かはあるのか?」
両手で持ったドリンクを足の上に置いたエステルは、んーっと考え、
「そうねぇ、強いて言うならブライト流かな。私は父さんに教わったんだけど、その父さんが色々混じっているから」
「それでもエステルの動きにはアリオスさんの使う八葉一刀流の流れも含まれているけどね」
継いだヨシュアから聞こえた言葉に反応した四人の顔を見てヨシュアは更に詳しく語る。
「元々うちの父は八葉一刀流の剣士だったんだけど、とあるきっかけで棒に切り替えてね。一応アリオスさんの兄弟子に当たるけど、本人は剣を取る気はもうないらしい」
烈波まで使えるのにね、と言ってコーヒーを一口。
ヨシュアの発言には突っ込みどころが多すぎて口が動いてくれない。それでもエリィは最後に聞こえた単語について尋ねた。ヨシュアが話す。
「八葉一刀流はそれぞれ型があるんだ。アリオスさんは風の型、父は螺旋の型。それぞれ免許皆伝が目標になるけれど、まずその試練に望むために必要なのが “烈波”と呼ばれる到達点なんだ」
「私もそこに一歩入ったんだけど、全然まだまだね。修行が足りないわ」
エステルは悔しそうに言う。しかし彼女の年齢でその域に達することこそが異常であることを彼女自身は知らない。
「その烈波を会得して、更にその先にある“皇”に到達すると免許皆伝となる。アリオスさんはそこに届いた人だよ」
烈波という説明の中に更に新たな単語が現れこんがらがる。
「で、その “烈波”とか“皇”とかってのは何なんだ?」
ランディは簡潔に聞き、ヨシュアは答えた。
「技術ですよ。武人における到達点――理に届くために必要な無と螺旋、それを会得したという証拠がそれぞれのものなんです。“烈波”は螺旋を極めることで会得できる。これは破壊という一点に関して絶大な威力を作り出すことができる言わば動の技術。そして“皇”は無を極めることで完成する。嵐の前の静けさのようなものです。烈波を破壊とするならば、皇は創造の力。自身が皇となる世界を創り、それを支配する」
エステルの鳳凰烈波、アリオスの風神烈波。これは螺旋という技術の粋を集めた結晶である。
そして――
「皇は、理に至った武人が極められる領域だよ。尤も、その逆である修羅にも到達することはできるけどね」
ヨシュアはそう言って揺れる水面を眺めた。
そこに映るのは兄の姿、理ではなく修羅の道に進んだ彼の人物が放った技こそが“皇”の一撃である。
彼の剣術の流派を終ぞ知ることのなかったヨシュアだが、もしかしたら八葉一刀流の流れを汲んでいたのかもしれない。
もちろんこの話にも例外はある。
理に至った武人と言われている彼らの父カシウス・ブライト、彼は八葉一刀流の免許皆伝者ではない。それは皇の会得段階で剣を捨ててしまったからだが、しかしそれ故に彼が理に至っていないというわけではない。
物事の本質を見極める力こそが理の証明、カシウス・ブライトはそれを持っている。
剣を捨てたために弟弟子であるアリオスに技術では負けていても、皇に至っていなくとも、その不足分を他で補い結果として彼を凌駕している。それはカシウスの烈波が他者のそれを遥かに超えていることにも現れていた。
「なんとも奥が深い話ですね……」
ティオは武人ではないのでそういった話に疎い、それでも極めるという部分においてはどの分野でも共通するテーマであるのでそれを追い求めるという姿勢だけは理解できた。
「……少し話しすぎたね」
ヨシュアは饒舌になった自分が少し恥ずかしかったのか照れくさそうに笑い、そんな彼を見てエステルも笑っていた。
「仲が良いんですね、恋人みたい」
エリィが二人の様子を見て微笑み、
「えっと、そうです。あはは……」
嬉しそうに笑うエステルにその事実を知らなかった四人が目を丸くする。
そのまま話は色恋の方向に、ランディの自慢話とロイド・エリィの疑惑など年相応の話を楽しんだ。
* * *
「よし、行くか」
翌日、ロイドはリュックを背負いある物を片手に部屋を出る。支援要請のほうも都合よく終わったので予定通りに事が進められた。
階段を下りたところで話し中だったエリィとティオが目を向ける。
「ロイド、どこか行くの?」
「ああ、お昼までには戻るよ」
当然である。午後に更新される支援要請によっては忙しくなるのだ、彼に道楽の時間はない。
「それ、何ですか?」
ティオが視線を向ける先、それは彼の持つ長い袋だ。1アージュほどのそれを見たロイドはああ、と呟き、
「――これは、釣竿だ」
勝負師の顔をした。