ルイズはアンリエッタの執務室にいた。学院に来たアニエスに、緊急の用があると呼び出されたのだ。執務室にいたのはアンリエッタ、アニエス、ルイズの三人だけ。いつもならこの手の時には、マザリーニもいるのだが、彼は今、ロマリアへと旅立っていた。こちらもまた緊急の用件で。
用意された席に座ったルイズは、対面にいる女王へと真っ直ぐに向く。そこにあったのはアンリエッタの張り詰めた面持ち。呼ばれる度にトラブル解決を頼まれるルイズ。おかげで彼女の思い悩んでいる姿は何度も目にしたが、そのどれよりも重々しく見える。今回はよほど大きな問題らしい。気持ちを引き締め、息を飲むとアンリエッタの言葉を待った。そして、女王の口が開く。
「ルイズ。今、我が国は危機に瀕しています。それも今までにないほどの」
「はい」
よく通る返事をするルイズ。幼馴染を励ますように。
「まずはこれを見てください」
アンリエッタはそう言うと、数枚の書簡をアニエスに手渡した。そして彼女はルイズ前に手渡す。スラスラと読み進める虚無の少女。並んでいる文字に目を流していくが、その目つきはだんだんと険しくなっていく。
一通り読むと、ルイズは跳ねるように顔を上げた。すぐさま出てきたのは、怒声混じりの問いかけ。
「陛下!何なんですか!?これは!」
当然とも言える反応。書簡の内容は、トリステインに潜んでいるエルフを探すためガリア軍を入れさせろ、というものなのだから。アンリエッタは、ルイズ程ではないが憤りを感じつつ返す。
「驚くのも無理はありません。わたくしたちも最初はそうでしたから。ルイズ、いろいろ聞きたい事もあるでしょうけど、内容については一旦置いといて。問題なのは、この親書の影響です」
「影響?」
アンリエッタの言葉を、ルイズは疑問形で繰り返す。女王の代わりに説明し始めたのはアニエス。こちらは感情を抑え込んでいるような、固い顔つきだった。
「アルビオンからの情報なのだが、同じ内容のものがゲルマニア、アルビオンにも送られたそうだ。しかもロマリアからのガリアへの協力要請付きでだ」
「宗教庁から!?」
信じがたい話だった。宗教庁がガリアの言い分、トリステインにエルフがいるという話を、事実として受け取ったという意味となる。アニエスは続けた。
「ただ、アルビオンと言ったが、アルビオン大使館からの話だ。つまりは、あのワルドを通しての話となる。素直に信じる訳にはいかない」
「ワルド!?まったくアイツは!」
かつての憧れの人物も、もはやアイツ呼ばわり。当然だろうが。自分の思い出を木っ端みじんに砕いた上に、トリステインに災難を持ち込んでおきながら、今はアルビオンの重臣としてのうのうとしているのだから。
思わず立ち上がるルイズ。声を張り上げていた。穴でも空けるかのように、鋭く親書を指さす。
「ガリアはなんの根拠があって、こんな言いがかりつけてんです!?だいたい聖戦するんじゃなかったんですか?ハルケギニア全体の危機だってのに、何考えてんですか!あの無能王は!」
「ルイズ、落ち着いて」
「あ、いえ……すいません。姫様……じゃなくて、陛下……」
我に返り、席に戻るちびっ子ピンクブロンド。 一拍置いて、アニエスがルイズの興奮加減とは対照的に、冷静に話を進める。
「今、注視すべきは、親書の内容の真偽や聖戦についてではない。トリステイン周辺の現状だ」
「……。そう言えば、さっき陛下は親書の影響とおっしゃいましたが、どういう意味です?」
ルイズが尋ねると、アンリエッタはアニエスの方を向き、うなずく。それを合図に、銃士隊隊長による授業かのような現状解説が始まる。
「まずアルビオンだが、ティファニア陛下護衛の名目で竜騎士隊一個小隊が、トリステイン魔法学院に配備された」
「え?昨日来たあれが?トリステインの警護の兵って聞きましたけど」
「アルビオンから要請され、表向きは我が国の竜騎士隊となっている。しかし実態はアルビオンの親衛隊だ」
「親衛隊……」
「さらにアルビオンとトリステイン国境ギリギリに艦隊が派遣されている。もっとも小規模で、偵察を任務としているようだが。常時同じ場所に停泊している」
「……」
ルイズは妙な胸騒ぎを覚える。アルビオンがティファニアを守るというのは分かるが、少々大げさにも思えた。さらに説明は続く。
「ゲルマニアについてだが、これはあなたの実家、ヴァリエール公爵から報告があった」
「父さまから?」
「国境の向こう、ゲルマニア側で不穏な動きがみられると。特にツェルプストー家が慌ただしく、どうも出陣準備を整えつつあるらしいとの報告だ」
「ええっ!?」
身を乗り出して声を上げるルイズ。この所のキュルケとの付き合いもあって、ツェルプストー家に対しては、以前のような悪印象が薄くなってきていた。今ではキュルケに対しても、友情のようなものを感じている。それだけに、この話は寝耳に水なだけではなく、かなりショックでもあった。
虚無の担い手は、肩を落とし席へと戻る。次にアニエスは、ハルケギニア最大の国について話す。
「ガリアだが、もう動き始めている。すでにいくつかの隊は、国境に到着している」
「……!」
口元を半ば開け、唖然とするルイズ。ここでさらに、アンリエッタから追い打ちとでもいうべき話が告げられる。
「実は昨日、ゲルマニアから同盟破棄の通告を受けました」
「同盟破棄!?なんでです!?」
「"虚無条約"が結ばれた以上、二国間の同盟は不要との名目でした」
「陛下!絶対嘘です!そんなの」
「はい。わたくしも臣下の方々も、そのままに意味には受け取ってはいません」
「きっと、ゲルマニア皇帝はエルフ探しを建前にトリステインに……!」
言いかけた言葉が途切れる。全ての意味を理解して。茫然とした眼差しを、床へ落とすルイズ。頭に溢れる緊急事態の警報。
つまりは、エルフがいるかどうかはともかく、トリステインは今侵略の危機にあると。実際、ガリアとゲルマニアの動きは、本気と思えるもの。アルビオンはそこまで大規模な動きはないが、あのワルドがいるのだ。いつ豹変するか分からない。何にしても、トリステインが包囲されつつあるのは間違いない。だがトリステインは小国。ガリア、ゲルマニア、アルビオンの全てを相手にするなんて無理だ。それは自分の虚無の力を持ってしても、どうにかなるとは思えなかった。
しかし、ここで一つの固い意志が胸に浮き上がってきた。しっかりと形を持って。貴族の矜持が。幻想郷の連中との付き合いの影響もあって、霞みかけていたそれが。自分はトリステイン王家に繋がる公爵家の人間。もっとも王家に近しい者。そしてアンリエッタは幼馴染でもある。
ルイズは毅然と前を向き、覚悟を口にする。
「陛下。私の力が必要でしたら、なんなりと申し付けください」
力強い言葉。そこには今までも国を救った自負があった。しかしアンリエッタは、親友のその覚悟に頼もしくも悲痛なものを抱く。またも彼女を、死地に送り出す事になるのかと。女王は、気持ちを落ち着かせるように話しだした。
「そう気負わないで、ルイズ。実はすでに手は打っています」
「え?手と言われますと……どうされたのですか?」
「マザリーニ枢機卿を、ロマリアに派遣したのです」
「教皇聖下の勅命で、戦争にならないようにするんです?」
「目的としてはそうです。今回の騒動、エルフが我が国に潜んでいるという話が発端です。異教徒の関する問題なので、宗教庁の管轄の元、我が国とロマリアでエルフ探索を進めるのです」
「えっと……そうなると……」
「各国は、我が国への介入の名目を失います」
「あ、なるほど」
思わず感嘆の声をあげるルイズ。上手い手だと。もし戦争が起これば、あっと言う間にトリステインは蹂躙されてしまうぐらい、簡単に想像がつく。戦争が始まった時点で、何もかもが終りだ。トリステインにとっては、戦争を起こさない事が最善手。
ルイズの高ぶっていた気持ちが、少し落ち着いていた。しかし、アンリエッタの重い顔つきは変わらない。
「ですがルイズ。枢機卿の交渉が、必ずしも順調に進むとは限りません。不測の事態が起こるかもしれません」
「つまり、交渉が成功する前に、戦争が始まってしまうかもと思われているのですね」
「はい。ですから、大変言いづらいのですが、その際にはルイズ……。あなたの力を借りたいと思います」
「陛下。先ほど申しましたように、私は国のために全力を尽くしたいと思ってます」
「ありがとう。ルイズ」
わずかに笑顔を見せる女王。だがルイズには、このアンリエッタの無理をしたような笑顔に、余計に決意を固くする。虚無の少女は、その小さな姿に似合わず力強い姿勢を見せる。同時に、胸の内でさらに自らを鼓舞していた。
やがて竜騎士に送られ、学院へと戻ったルイズ。もう授業は終わっており、皆、思い思いに時間を過ごしていた。当のルイズは、そんな彼らがまるで目に入らず、ブツブツとつぶやきながら自分の部屋へと戻っていく。
「最悪、三カ国と戦争?シャレになんないわよ!なんでこんな事になってんの?だいたい何よ!エルフが忍び込んでるって、デタラメにも程が……」
その時、はたと言葉が止まった。足も止まる。予想外の考えが頭を過る。デタラメではないのではと。
脳裏に蘇るのは、初めてエルフを見た時の光景。シェフィールドが自分を誘拐しようと罠を張ったが、逆にハメ返した時の出来事。窮地に陥った彼女を、逃がしたのはガリアのエルフだった。だがそのエルフ。ルイズ達と戦う所か、交渉を持ちかけてきた。しかも幻想郷の人妖達はその交渉に乗り、最終的には約定を交わしてしまったのだ。
「まさか……」
血の気が引いていくルイズ。彼女達がガリアのエルフをトリステインに連れ込み、それがバレたのではないかと。
彼女はピンクブロンドを大きく揺らし、廊下を駆け出した。幻想郷の人妖達の部屋に向かって。
寮の部屋のドアを勢いよく開け、飛び込むルイズ。中には本を手に、不機嫌そうな顔をしているアリスがいた。
「ルイズ。静かに開けてよ」
「……。ちょっと聞きたい事があるの」
アリスの文句に答えず、厳しい表情でズカズカと足を進めるルイズ。人形遣いの方は、いつもと違う様子に少々呆気に取られていた。ルイズはテーブルの側に立つと、尋ねた。彼女らしからぬ、緊張感の籠った声色で。
「前に、私とあなた達でシェフィールド、罠にハメた事があったでしょ」
「ええ。彼女の罠、逆利用したヤツね」
「うん。それ。あの時、エルフが後から出てきたでしょ?あなた達、あのエルフと手結んだわよね」
「ええ。それがどうかした?」
「そのエルフ。今どこにいるの?」
ルイズの問に、アリスはわずかに眉の先を揺らす。しかしそれだけ。人形かのように、彼女の態度に大した変化はなかった。何てことはないという仕草で返す。
「何よ、藪から棒に。顔、ちょっと怖いわよ」
「え?あ、そう?」
「とりあえず、座ったら?」
「ん?うん……」
「で、一体何があったの?」
「実は……」
ルイズはアリスに勧められるまま席に着くと、説明を始めた。王宮で聞いた話を。今、トリステインが置かれている危機についてを。アリスはそれを淡々と、最近の町の話題でも聞くかのように耳に収めた。
「なるほどね」
「それで、どうなの?あのエルフ、どこにいるの?」
「調べてみないと分かんないわ。実は、あまりやり取りないのよ。こっちも彼に頼むような用は、今の所ないから」
「そう……なんだ……。うん。分かった」
エルフを彼女達が連れ込んだ訳ではないと知って、急に顔つきを緩めるルイズ。アリスはそれに笑みを返す。人形遣いは、態度をあらためると一言。
「それにしても、大ピンチね。トリステイン」
「うん……。最悪、三カ国との戦争になるかもしれないわ。えっとその……もしもの時は、手借りれる?」
「その"もしも"にならないようにしないとね」
「そうね。それはもちろんだわ」
「ちょっと、私達もいろいろ考えてみるから。形になりそうになったら、声かけるわ」
「うん。こっちは、いつでもいいわよ」
軽快な返事をするルイズ。幻想郷の人妖達が、手を貸してくれると言ってくれた。今までと同じように。それだけでルイズは、気持ちが楽になっていた。これまでのように、今回も想像もつかない策で窮地をひっくり返してしまうだろうと。
ルイズは気分よさげに、部屋を出て行った。一方、残ったアリス。人形のように変化のなかった顔つきが沈みだす。頭を抱える人形遣い。
「マズイわね。かなりマズイわ……」
すぐさま立ち上がると、急いでアジトへの転送陣を潜った。
幻想郷。妖怪の山。天狗や河童の住処として知られる場所だ。さらに山頂には守矢神社が建っている。いろんな意味で人外の巣窟だった。
そこのとある場所に一軒の家があった。ここの住人は、今、頭を悩ましている最中。その人物とは烏天狗の射命丸文。
「ネタが思いつかない……」
愚痴が自然と漏れてくる。
ハルケギニア関連を独占報道し続けたため、この所の新聞ランキングトップを走っていた『文々。新聞』。しかも記事の内容は、ハルケギニアでの日々の生活でも十分注目を集めた。さらにイベントも多かった。つまりは取材が楽だったのだ。記事作りも簡単。取り立て脚色する必要がなかったのだから。そんなものに慣れてしまったため、いざ普段の生活に戻ってみると、ネタ探しの腕がすっかり鈍っていた事に気付いたという訳である。
「あ~ダメだ~!」
頭をかきむしり、畳の上に仰向けに倒れる文。胡乱な瞳で天井を見る。
「気分転換に、ちょっと散歩してこっか……」
むっくりと起き上がり出口へと向かった。そして戸に手をかけようとした時、戸の方から声がした。
「文さん。います?」
聞き慣れた声。白狼天狗の犬走椛だった。一体何しに来たのか。ともかく彼女との会話も、悪くない気分転換になるだろう。文は勢いよく戸を開けた。歓迎の笑顔と共に。
「どうしたの!椛!とりあえず入って……。え?」
途切れた言葉の後に、首を傾ける烏天狗。目の前の状況がよく呑み込めなくて。視線の先には弱り顔の白狼天狗と、仏頂面の七曜の魔女がいた。さらにその後ろには、小悪魔達がゾロゾロ。
文は並ぶ面々を一通り見回すと、椛の方へ顔を戻す。
「どういう事?」
「えっとですね……」
困ったという仕草で説明しようとした白狼天狗。しかし邪魔が入る。もちろんパチュリー。
「文、用があるのよ」
「用?」
「ここじゃ何だし、ちょっと入っていいかしら?」
「いきなりやってきて、不躾な」
パチュリーの突然の訪問に、露骨に嫌そうな文。日頃の自分の行いは棚の上。しかし魔女は気にしない。
「ハルケギニア関連の話よ。私達が黒子探ししてるの、知ってるでしょ?あれの手がかり見つけたのよ」
「あ~……、ハルケギニアに、神様みたいなのがいるかもしれないって話ね」
「ええ。ともかくその正体を探るのに、あなたの取材ノート見せてもらいたいのよ」
「は?何、言ってんの。取材ノートは記者の命よ。見せられる訳ないでしょ」
「協力してくれれば、あなたに黒子の正体を一番に知らせるわ」
「!」
つまりハルケギニア関連の大スクープを、最初に報道できるという訳だ。飽きられ始めていたハルケギニアネタだが、これならまだ行ける。したたかな烏天狗は、ただちに結論を導きだした。
いきなり営業モードに切り替わる文。
「どうぞ、どうぞ、みなさん入ってください」
「それじゃぁ、お邪魔するわね」
無遠慮にズカズカと入っていく、パチュリー達。そんな彼女達を椛は、ただ眺めていた。全員が入り口を潜ったのを見届けると、一言。
「それじゃぁ、文さん。私はこれで」
まだ彼女は勤務時間中。すぐに戻らないといけなかった。
実は椛、警邏中に妖怪の山へ侵入するパチュリー一行を見つけ、職質。すると逆に、ここへの道案内を頼まれてしまった訳だ。もっともパチュリーの方も、そうなるよう目論んでいたのだが。彼女は文の家など知らなかったので、ワザと見つかるようにしたのだった。
踵を返し、仕事に戻ろうとする白狼天狗。すると後ろから声がかかった。紫魔女だ。
「椛。人手がいるのよ。手伝ってくれない?」
「何言ってんですか!こっちは勤務中なんですよ。だいたい案内してあげたでしょ。本来ならそんなものする必要ないんですよ」
恩を受けた上に、さらなる要求。図々しい紫寝間着に、さすがにムッとする椛。すると今度は文が、口を挟んでくる。少々威圧気味の笑顔で。
「これからあなたは休憩時間」
「休憩時間は自由に取れません!」
「なら、侵入者の監視」
「何を言って……」
「いいから来なさい!」
椛、首根っこ掴まれて、家に連れ込まれた。泣く泣く作業を手伝うハメに。
頭数がそろった所で、文がさっそくパチュリーに質問を一つ。
「それで、取材ノート見てどうするんです?」
「言葉を探すの」
「言葉?」
「ええ。説明するわ」
それから七曜の魔女の説明が始まった。作業自体は大したものではなかった。ただし手間が膨大だった。これなら人手が必要になる訳だ。しかもミスも許されない。一同は、作業の要点を飲み込むと、さっそく取り掛かった。
一時ほどが経った頃、結果が出る。しかしその結果に、難しい顔つきのパチュリーと文。烏天狗がつぶやく。
「ファッションに、コックピット……。他にもいくつかありますね」
「ええ。けど、考えてたのと違う結果だわ。妙な具合になってきたわね」
「まあでも、このノートはあくまで、私が分かりやすいように書いたもんなんで。事実を完璧に記録してる訳じゃありませんから」
「……」
文に返事をせず、うつむいて黙り込む魔女。作業結果を記した書類を眺め、意味するところを探る。だが答は容易には出てこなかった。やがて一息漏らすと、立ち上がる。
「紅魔館に戻るわ。文、ありがとう」
「いえいえ、この程度ならお安い御用です」
最初は不満ありありで拒否していた割に、得があると分かるとこの対応。さすがはパパラッチ。そして、逞しいパパラッチはここで終わらない。パチュリー達の後に、無言でついて行こうとする。彼女が怪訝そうに返した。
「何よ。もう用は済んだわよ」
「調査現場にいれば、一番に黒子の正体を知れるじゃないですか。私も手伝いますよ。魔法は素人ですが、新聞記者として情報を扱うのは長年やってきましたからね。パチュリーさんとは違う、意外な発想が出てくるかもしれませんよ」
「……。分かったわ。ついてきて」
七曜の魔女はあっさりと、烏天狗の同行を許した。さて残った椛だが、これ以上巻き込まれるのはごめんだと、一言仕事に戻ると言い、さっさとこの場から去って行った。
ハルケギニアにいる人妖達が、全員リビングに集められた。アリス、魔理沙、天子、衣玖の四人が。一時は11人もいたが、今は半分もいない。
すでにアリスは一同に、ルイズからの話を説明し終わっていた。トリステイン存亡の危機とも言える状況だと。
魔理沙がぼやくように言う。
「なんで、ビダーシャルがここにいるって分かったんだ?」
「それは問題じゃないわ。少なくともガリアとゲルマニアは、トリステインに兵隊入れるつもりだって事よ。エルフを探すって大義名分でね」
アリスの落ち着いた返事。つまりビダーシャルがいようがいまいが関係ない、という訳だ。だが、すぐさま天子があっけらかんと解決策を披露。
「大した話じゃないでしょ。トリステインに、あのエルフ渡しちゃえばいいだけじゃん。探し物が見つかって、大義名分もなくなるし。全部、丸く収まるってねー」
「ビダーシャルが、そんなもん飲む訳ないだろ」
「話つける必要ないでしょ。抵抗するなら伸しちゃえばいいし」
「おいおい」
「あれ?納得いかない?あのエルフに義理も何もないでしょ。助けたのだって、成り行きだし」
「そりゃそうだが……」
魔理沙は口ごもる。確かに天子の言う通りではある。だが一旦命を救ってやった相手を、またも死の危険に晒すのは気が引けた。この辺りは人間と天人だからか、それとも直に会話をした者の差か。
ここで衣玖が言葉を挟む。しかし、いつもの事務的な口調ではなく、どことなく厳しめのものだった。
「もう潮時ではありませんか?」
「ん?何が?」
天子が不思議そうに返す。言葉を続ける竜宮の使い。
「もう幻想郷に帰ってはどうですか、という意味です。そのビダーシャルとやらを渡せば、次は聖戦が始まります。渡さなければ、トリステインを中心とした戦争です。どちらにしても今までのように、平和なハルケギニアを楽しむという訳にはいかないでしょう」
「まぁ、そうかもねー」
「でしたら、もう引き上げては?総領娘様の契約も、切れてしまってますし。ルイズさんの卒業まで付き合うと言ってましたが、どの道、戦争となれば卒業も何もないでしょう」
「う~ん……」
腕を組み唸る天子。答がすぐに出てこない。それに衣玖は少々驚いていた。自己中心的な彼女が、珍しく他人との関わりで悩んでいると。
すると魔理沙の不敵な視線が、衣玖へ向けられる。
「潮時には早すぎねぇか?」
「結果は見えてるでしょうに」
「私は結果が見えるって程、頭使ってないぜ」
椅子に寄りかかり腕を組んだ白黒魔法使いは、悠然と返す。天空の妖怪は黙り込んだ。そして天子の方を向く。
「総領娘様。私は『緋想の剣』の監視のためここにいます。ですから、持ち主の総領娘様に従いますよ」
「そう。けど、どうしようかなぁ……」
「……」
衣玖はまたも驚きを隠せない。天子が自分の欲求を、ストレートに出さないとは。ここでの生活のせいか、わがまま天人にも変化があったという事なのだろうか。
なかなか出てこない天子の答。先にアリスが口を開く。仕切るかのように。
「ここで結論を出さないといけない、って訳でもないし。まずは、状況認識してくれればいいわ。一旦、各人で考えましょ。それと、とりあえずパチュリーに知らせるわ」
「知らせるって、どうやってだよ」
「手紙、転送すればいいでしょ」
「ああ、なるほどな」
魔理沙は納得顔を浮かべる。
今回の話し合いは、ここでお開き。人妖達は自分達の部屋へと戻っていった。様々な考えを巡らせつつ。
紅魔館に戻ったパチュリー達。大図書館の扉を開けると、一人の小悪魔が駆け寄ってきた。ここあと呼ばれる司書だ。
「パチュリー様」
「何かあったの?」
「はい。こんなものが実験室にありました」
差し出されたのは一通の手紙だった。ここあは説明を付け加える。
「転送陣の上にありましたよ」
「ハルケギニアからの手紙……?何かあったのかしら?」
さっそく中身を確かめるパチュリー。文やこあも横から覗きこむ。読み進めていく内に、三人の表情が厳しくなっていく。こあが動揺して言葉を漏らす。
「パ、パチュリー様……、これって……」
「エルフを助けたのが、裏目に出たみたいね」
「裏目に出たみたい所じゃないですよ!」
「そうね」
どういう訳かリアクションの薄いパチュリー。そのまま自分の研究室へと早足で進み、部屋へと入る。椅子に座ると、手紙を机に無造作に置いた。
「こあ。資料、ここに置いて」
「あ、はい」
言われるまま、文の家から持ってきた調査結果などの書類を置く。すぐに作業を進めようとするパチュリー。その様子を見て、驚いてこあが声を上げた。
「パ、パチュリー様、心配じゃないんですか!?ルイズさん達とか」
「ルイズ周辺は安心していいわ」
「なんで分かるんです!?」
「黒子はルイズのために動いてるのよ?危険になったら、何か手を打ってくるに違いないわ」
「あ、なるほど」
一先ず安心と、表情を緩めるこあ。しかしパチュリーの方は、そう明るくない。
「問題なのは、何をするかね」
「何をするかって?」
こあが首を傾げる。パチュリーは、引き出しから研究ノートを取り出しながら答えた。
「黒子が今まで使った方法は三つ。一つは記憶操作、もう一つはデルフリンガー、そして幻想郷への転送」
「えっと……どれかがマズイって事でしょうか?」
「転送よ」
「ああ、確かに面倒な話になりますね。また来た方を、お世話しないといけないなんてなったら……」
「分かってないわね。戦争なのよ。100人、1000人単位で送り込まれる可能性もあるわ」
「ええっ!?そんな事になったら……」
「幻想郷は大騒ぎよ。特に紫はブチ切れるでしょうね」
そもそも紫や守矢の二柱、永琳達がハルケギニアを探っているのは、この転送現象を起こさないためだ。それが大幅に拡大しては、調査をパチュリー達任せにしていた彼女達も黙ってはいないだろう。もっとも、転送現象が意図的なものと知らなかったとは言え、彼女達も聖戦という戦争を発生させようとしてはいたのだが。
パチュリーは並べた研究ノートの中から、目的のものを探しながら話す。
「だから最悪の場合、トリステインどころか、ハルケギニア自体が大ごとになるかもしれないわ。紫が何かしてね。黒子を探すのを優先させた方が、いいと思うのよ」
「ですけど、放っておくって言うのも……」
使い魔の一言に、手を止める紫魔女。黒子はルイズ達を助けはするが、それによる影響までは予想がつかない。トリステインもどうなるか。確かに全て黒子任せというのも、マズイかもしれない。
ここで文が話に混ざる。パチュリー達の後に続き、この部屋に入っていた。棚の本を勝手に手にしている。
「紫さんのせいでハルケギニアがどうこうってのは、大げさでは?だいたいハルケギニアが、どこだか分かんないんですし。パチュリーさん達に調査頼んでるのも、そのためですし」
「100人単位で転送したら、さすがに場所は分かるでしょ」
「ああ、なるほど。ですがいくら紫さんでも、ハルケギニアの世界そのもの対しては大した事、できないと思うんですが」
当たり前とも言える意見の烏天狗。紫が大妖怪だとしても、限度があると。それにパチュリーは淡々と返す。
「実はあの世界、そんなに大きくないのよ」
「あやや、どういう意味です?」
「ハルケギニアを調査する時、天文観測から入ったの。そして分かったのが、あの世界は天動説の世界って事」
「ほう……。するとハルケギニアがある大地だけの世界ですか」
「そうね」
「面白そうな話です。他に何がありました?」
文は本を棚に戻すと、机の側に来た。新聞記者として、好奇心に溢れた顔つきで。魔女は作業を再開しつつ答える。
「四つの月とかね」
「四つ?二つじゃないんですか?」
「鈴仙がハルケギニアに来たときに、彼女に夜空見てもらったのよ。あの子、目いいでしょ?」
「確かに。幻想郷一じゃないでしょうか」
鈴仙はその気になれば、様々な波長を捉える事ができる。目がいい所ではない。パチュリーは続けた。
「その時、鈴仙が言ってたの。まず二つの月は、私達も知ってる赤と青の月ね」
「はい」
「後、星が一つもない所を指して、何かあるって言ってたわ」
「それが三つめの月ですか。残り一つは?」
「太陽」
「太陽って……月と違うでしょ」
呆れ気味に言う文。しかし魔女の方は変わらない。
「ハルケギニアでは同じよ。実は月も光を発してるのよ。太陽みたいにね」
「え?なんですか、それ?」
「あなた、双月が欠けた所見た事ある?」
「あ……そう言えば……」
こちら世界の月は、太陽の反射で輝く。このため、地球が太陽を遮ると月に影が落ちる。これが月の満ち欠けの仕掛けだ。しかしハルケギニアの双月は、それが全くなかった。さらに双月はお互いを回っているのに、一方が一方へ影を落とす事もない。これが、月自体が光っている証左だ。
「そして天動説の世界だから、月も太陽もハルケギニアの周りを回っている。つまり違いは色と光量だけ」
「なるほど」
「ま、だから正しくは、四つの太陽と呼ぶべきかしら。鈴仙は、太陽を黄色い星って言ってたわ」
「太陽が黄色って……寺子屋の授業ですか」
烏天狗は苦笑い。寺子屋の取材で、黒板に黄色のチョークで描かれた太陽を思い出す。だがこちらの太陽の光は本来白だ。とは言うものの、もしかしたらハルケギニアは違い、黄味がかっているのかもしれないが。ただ太陽の光は強烈なので、並の者には見分けるのは難しい。
文は今まで散々取材し、ハルケギニアに関するものでそう新しい情報は手に入らないと思っていた。しかしまさか、こんなすぐ隣にあったと少々気持ちを高揚させる。記者魂が湧き上がる。
「パチュリーさん。研究ノート見せてください」
「今、私が読んでたんだけど」
「読んでないので。必要でしたら、すぐにお返ししますよ。それに私も調査に協力するという話でしたし」
「…………分かったわ。それじゃぁ……」
「さっきの四つの月、ってのがいいです」
「…………」
紫魔女は積み上がったノートの中から一冊取り出し、手渡した。文はどこかから持ってきた椅子に座ると、さっそくノートを広げた。子供がクリスマスプレゼントを広げるように。
しばらく静かにノートを読み進める二人。不意に文が眉間の間が縮まる。眉が段違いに歪む。さらにページを行ったり来たりしだした。そしてポツリと一言。
「え?これって……まさか……」
顔を近づけ、ノートを覗き込む烏天狗。瞼が思いっきり広がっていた。次の瞬間、ノートを机に置くと、跳ねるように立ち上がる。
「パチュリーさん!」
「何?」
「私、取材に行ってきます!」
「え?何よ。いきなり」
「すぐ戻ってまいりますので、それでは!」
「ちょっと、文!」
パチュリーの制止の声も届かず、烏天狗は最速で図書館から出て行った。
とりあえず研究室が落ち着き、しばらく作業は専念していたパチュリー。だが邪魔が入る。乱入者が突入して来て。いきなり開く扉。大きな音を立て、勢いよく。
「パチェ!」
姿を現したのは、紅魔館の主、レミリアだった。怒っているようにも見える。ただ大げさなだけで、嘘くさいが。
「帰ったなら帰ったって言いなさいよ!」
「忙しくって忘れてたわ。ただいま、レミィ」
「今更言っても遅いわよ!」
「ごめんなさいね」
心の籠ってない謝罪。まるで事務手続きのよう。余計に怒った振りを見せつけるレミリア。
実の所ここに来たのは、パチュリー帰還を聞きつけた彼女が、暇つぶし目的で来ただけなのだが。嘘くさい不満げな顔で、何かネタはないかと机の傍まで寄るお嬢様。ハルケギニアからの手紙を見つけると、一変。来た甲斐あったと楽しそう。さっそく手にした。
「何よこれ」
内容を一気に読むと、今度は逆。顔が青くなっていた。演技ではなく。レミリアは机をたたくと、パチュリーに叫んだ。
「トリステイン、大ピンチじゃないの!」
「ええ。でもルイズ達は安全よ」
「なんでよ!」
「それはね……」
さっきのこあへの説明をまたするのかと、うんざりしたような表情をレミリアへ向けるパチュリー。するとまたも来訪者。今度の相手は文だった。予定通り返って来たのだ。しかしパチュリーの方は怪訝そうな顔。何故なら、他に二名ほど連れがいたので。パチュリーはさっそく問いかけた。
「何で、その二人がいるのよ」
文が連れ来た二名とは、まずは鈴仙。そしてもう一人。緑の帽子を被り、やけに大き目のリュックを背負った青髪の少女。河城にとりだ。
彼女は妖怪の山に住む河童。河童と言えばもちろん水の妖怪。しかし幻想郷では、科学の申し子という印象の方が強かった。実際、数々の電化製品やら内燃機関やらを作り上げている。中にはオーパーツじみたものまである。当然にとりも他の河童と同じく、科学技術に詳しい。
にとりは文句を並べる。
「それは、こっちの台詞。文に頼まれたから、仕方なく来たんだよ」
「どういう訳かしら。文」
パチュリーは烏天狗の方へ視線を向ける。文は余裕ありげに答えた。
「まずは、にとりさんの話を聞いてからにしてください」
「……。分かったわ」
一呼吸すると、全てを文に任せる事に決める。その後、レミリアが茶々を入れてきたが、上手く宥めて一同はにとりの話を待った。
「さてと。じゃあ、まずこれを見てよ」
にとりは全員が囲む机の中央に、一冊の本を広げる。そこには、様々な色合いの四角がタイルのように整然と並んでいた。星の数ほどの本を読んだ七曜の魔女だが、そんな彼女にもこの本が何なのか分からない。言葉に詰まる紫寝間着。
目の前の烏天狗達の意図が、まるで読めなかった。