その日の昼。『魅惑の妖精』の店主スカロンと娘ジェシカは、キッチンにいた。そこで二人は作業を進めている二人の珍妙な貴族、魔理沙とアリスに見入っていた。怪訝な顔で。
「パパ……。あれって、ケーキよね?」
「……そう見えるわよね」
アリスのやっている作業は、ケーキ作りにとても似ていた。こう思うのも無理はない。
そもそもなんでこの二人が、『魅惑の妖精』にいるかというと、シエスタの紹介からだった。
2日前、シエスタから手紙が届く。チュレンヌの件の時にいた貴族で、話がある者がいると。恩はあるし、姪の頼みでもあるのでスカロンは引き受ける。そしてやってきたのが、魔理沙とアリスだ。二人が口にしたのは商売の話。最初、スカロンはなんとか断ろうとした。まだまだ学院に通っていそうな二人。貴族とはいえ、そんな少女の道楽に付き合う暇はないと。だが、なんだかんだと粘る二人に折れ、結局扱う品を見ることに。こうしてアリスと魔理沙は、商品サンプルの製作に取り掛かっていたのだった。
作業を後ろから見守るスカロン親子。ジェシカはさっきから首を捻っている。
「もしかして、あれってケーキ作り機?」
「う~ん……」
唸るしかないスカロン。
ジェシカの言うあれとは、魔理沙の足元にある金属製の樽。いや樽のようなもの。頭頂部にはハンドルがあり、回すようになっている。二人はこんなものを見た事がない。
やがてアリスの下拵えが終わる。すると仕上がったものを金属の樽の中に入れた。ふたを閉め、魔理沙がハンドルを回すこと数分。蓋を開けると、樽の中から粘土状の白い塊を取り出した。それを人数分に分ける。
魔理沙がスカロン達の前へ持ってきた。白い塊の乗った皿を。自慢しに来たかのように、自信ありげに。
「さ、食べてみてくれ」
「えっとぉ……食べ物……なのですか?」
「おう。一口食べたら驚くぜ」
「そぉ……でしょうか……」
さすがのスカロンも、なんと言っていいか困る。微妙な顔をしながら、差し出されたものを見た。その白い粘土の周りには霧が立ち込めており、どこか魔術的。本当に食べ物なのかという気すらさせる。
なかなか匙を進めようとしないスカロン達に、魔理沙が自分の分を食べて見せる。いかにもおいしそうに。それを見て観念したのか、スカロンとジェシカはスプーンで一口、白い塊を拾い上げた。そして覚悟を決め口に放り込む。
「「……!」」
二人の目が、パッチリ開いたまま固まる。いや全身が固まった。
「ト、ト、トレビアン~!!」
「な、何これ~!?」
歓喜。というしかない声が漏れる。身も震えるおいしさとはこの事か。
その様子に満足そうな魔理沙とアリス。人形遣いは片づけを済ますと、説明を始めた。
「それはアイスクリームって食べ物よ。作り方はそう難しくないわ。ケーキと似たようなものね。だからアレンジもいろいろとできるわ」
「どうだ?売れそうか?」
魔理沙が笑みを浮かべて聞いて来た。ジェシカが真っ先に返答。目を輝かせながら。
「絶対、売れます!誰だって食べたいわよ!」
スカロンもうなずく。むしろこれは是非とも売りたいという顔。やや傾きかけているこの店の、秘密兵器となるのは間違いないと確信していた。
すると次に気になったのは作り方。特にさっきから気になっている金属製の樽。
「ところで、その樽はなんなのでしょうか?」
「これはアイスクリーム製造機だぜ」
「マジックアイテムか何か?」
「まあ、みたいなもんかな。ただし、こいつには氷が必要だ。氷がないと、ただの樽だぜ」
氷と聞いて、スカロンは考え込む。氷なんてものは、夏に差し掛かろうとしているこの時期、全くない。つまりは、この貴族たちが氷を提供するのだろう。そして自分達が製造販売する。そのあがりを分けるという訳だ。
ところで、このアイスクリーム製造機。マジックアイテムでもなんでもない。魔法瓶状の金属製手動攪拌機だ。ただ、魔法瓶というものは河童製コンプレッサーと溶接技術があって作れるもの。ハルケギニアで作ろうとしたら、かなりレベルの高い風系統と土系統のメイジと、腕のいい鍛冶職人が協力しないとまず作れそうにない。不可能ではないが、ハルケギニアではマジックアイテム同然のものだった。
アリスが話を進める。一枚の紙を差し出して。
「それでレシピだけど、しばらくはこの通りで進めてもらいたいの。そうね、一ヶ月ほど?慣れてくれば、好みの味に調えてもいいし。アレンジを加えていくのもいいわ」
スカロン達は話を聞きながら、レシピを手に取る。ただその項目に、ちょっとばかり目を丸くした。
「このレシピで?」
「あ、そうだ。金ならこっちが出すぜ。まあ、とりあえず一月は様子を見ながら販売って感じかな」
「まあ、そちらが出すのでしたらかまいませんけど……。ただ一つだけ、よろしいでしょうか?」
「ん?」
「その……失礼かもしれませんけどぉ……。キリサメ様とマーガトロイド様の家名には、あまり聞き覚えがないものですから」
「ああ、そうか。そうだな」
魔理沙は納得。ちょっと腕を組んで考え込む。
確かに二人は貴族扱いだが、トリステインには存在しない家だ。取引相手としては不安になるのも仕方がない。
「つまり後見人が欲しいって訳か」
「ええ……まあ……お察しいただき、ありがとうございます」
「うん。分かった。心当たりがあるぜ。ヴァリエール家ならどうだ?」
「ヴァリエール家!それでしたら間違いありませんわ!後見が確認できましたら、是非ご一緒に商いしたいと思いますわ!」
スカロンは、ヴァリエールの名前が出てきて一安心。さっそく、この魔理沙達と手を組む事にした。二人は固く誓いの握手。ちょっと手が痛い魔理沙だった。
それから商売の話が始まった。とりあえずはお試し期間という事で、一ヶ月限定の販売となる。スカロンにとっては、資金も出してもらえるのでそれほど問題はない。もっとも価格をどうするかが引っ掛かるのだが。ただ原価も可能な限り下げるよう、がんばってみるつもりだ。この辺りは慣れてきてから、なんとかしようと考えていた。ただこの価格の問題。ハルケギニアの商売に不慣れな魔理沙達には、ピンと来ておらず全てスカロンに任せてしまう。この時、もう少し気を回していれば、被害は広がらなかったろう。
話がまとまって、とりあえず一同は満足。二人の魔法使いは『魅惑の妖精』を後にする。
「なんとかなったな」
「そうね」
「後は、パチュリーに氷を作ってもらって、文に運ばせるだけだぜ」
「私達は?」
「たまに手伝う」
「文句言われそうだわ」
「交渉したのはこっちなんだから、そのくらいいいだろ」
そんな会話をしながら、トリステインの街角を進む二人。ふとアリスが足を止める。
「ちょっと、ごめん」
「どうしたんだよ?」
「あそこ寄っていいかしら」
指さした先には武器屋があった。そこの亭主が何やら文句を言っている。誰もいない壁に向かって。魔理沙、眉をひそめる。
「何だあれ?頭おかしいのか?」
「いえ、たぶん違うわ」
アリスはそのまま武器屋に入っていった。不思議に思いながらも、魔理沙も後を付いて行く。
「ちょっといいかしら」
「ちっ……。今取り込み中……」
だがそこで店主の声が詰まる。二人の姿を見て。以前買ったマントを付けていた。
急に笑顔を作り出す店主。
「あ!?え~……。貴族の方がこんな店に、なんの御用でしょうかね?別に妙な商売はやっておりませんよ」
「私は用がないんだけどな。こいつがな……」
魔理沙はアリスの方に視線を送る。店主は釣られるように彼女を見た。まるで人形のような美少女。いかにも華奢そうな姿。どう考えても、武器屋に来る理由なんてあるはずない。ますます不安を募らせる店主。思わず口を開く。
「えっと……。お嬢さんが使えるような武器は、ありませんがね」
「さっき壁……、剣に向かって話してたでしょ?」
「ああ、そういう事ですか。これでさぁ」
疑問が解けて、表情を緩める。いつもの話かと。やがて店主は、剣の山から一本引っ張り出した。出てきたのは長剣。しかも錆だらけでボロボロの。もう製鉄の原料以外に使い道がなさそうな剣だった。だがそこから声がした。
「なんでぇ、嬢ちゃん。俺になんか用か?」
「け、剣がしゃべった?」
一斉に剣に視線が向かう。驚きの声と共に。
店主は気の張りが解けたのか、ちょっと大げさに説明する。
「初めてのお客さんは、みんなビックリするんですがね。これはインテリジェンス・ソードでさぁ」
「ガーゴイルじゃないの?」
「こんな形のガーゴイルなんて聞いた事ないですぜ。しゃべるってのも。いや……もしかしたら、あるのかもしれませんけど。こっちもガーゴイルの専門家って訳でもないんで」
「ふ~ん……。ガーゴイルかもしれないのね」
「まあ……。けど見ての通り錆だらけ。しゃべる剣っちゃぁ珍しい事は珍しいんですが、肝心の口の方も悪いんもんで。ようはロクなもんじゃねぇってこってす」
店主の言葉を他所に、アリスはまさに珍品を見る目で剣を眺めてる。ただ、話すという点を除くと確かにロクでもない。当の剣は今言われた通り、汚い口調で店主を罵っていた。だが彼女の瞳は輝いたまま。
「これ、もらうわ」
「えっ?いいんですかい?こんなんもん、錘にもなりゃしませんぜ?」
「話すってだけでも、十分価値はあるわ」
「そうかもしれませんが……。こっちとしちゃぁ、厄介払いできるんで、買ってくれるんならありがたいんですがね」
「それで、いくら?」
「金百で」
「わかったわ」
人形遣いはなんの躊躇もなしに金を払う。店主は金額を確認すると、剣を鞘に入れアリスに手渡した。
「う……意外に重いわね」
「剣ってものは、そういうもんです」
店主は少しばかり呆れ顔。剣がどの程度の重さを知らずに、武器屋に来たのかと。もっとも、メイジなら仕方がないとも思ったが。
あながちその考えは外れてなかった。アリスは長い時間を生きているとはいえ、剣に触れるなんて事は滅多にない。しかも彼女は人外でありながらも、その身体能力は人間とそう変わらない。
すると魔理沙が頭を掻きながら、手を出す。
「仕様がねぇな。持って行ってやるよ。ほら、よこしな」
「……。悪いわね」
魔理沙は剣を箒に括りつける。やがて二人は店から出ると、空へ飛んだ。魔理沙は剣の意外な重さに、ちょっとバランスを乱しながら。
それから数日後。ルイズに後見人になってもらい、本格的に話が進みだしていた。スカロンもヴァリエール家の後ろ盾があるならと、かなり気合を入れていた。そんなある日。
魔理沙はいつものように、調理室で食事を取っている。食事も終わった頃、一枚の皿を料理長のマルトーから差し出された。ケーキが乗っていた。
「ん?なんだよ。これ?」
「新作だ。食べてみな」
「へー。んじゃ、いただきます」
魔理沙は遠慮なくという事で、フォークで分けたケーキを口に放り込む。すると絶妙な甘さと味わいが広がっていた。
「ん!?うまい!いけてるぜ、おっさん」
「へへっ」
自慢げに腕を組んで笑うマルトー。魔理沙は遠慮なくどんどん食べる。新作ケーキはあっという間になくなってしまった。
「さすが貴族相手の料理人だな。腕が違うぜ」
「だてに、ここの料理長はやってないからな」
「やっぱ砂糖も悪くないな。けどさすが貴族相手だぜ。こんなに砂糖使うなんてな」
その言葉に、マルトーは怪訝な表情を浮かべる。
「ん?別に貴族相手だから、砂糖を使ってる訳じゃないぜ」
「んじゃ、何で、こんな高いもん使ってんだ?」
「砂糖が高い?いや、安くはねぇけど、買えねぇってほどじゃねぇぞ」
「なら余計に、蜂蜜にすればいいだろ」
「蜂蜜?逆だろ。蜂蜜なんてそうそう買えねぇよ」
「えっ!?」
魔理沙、一瞬固まる。頭の中に嫌な予感が走り始めていた。一つ息を飲むと、ゆっくり口を開いた。
「マルトーの親方。一つ聞きたいんだけどな」
「なんだよ。あらたまって」
「砂糖と蜂蜜はどっちが高いんだ?」
「そりゃぁ蜂蜜だろ」
「どれぐらい差がある?」
マルトーは白黒魔法使いの質問に、大げさに答えた。同時に魔法使いの顔色は、白黒どころか色を失っていた。
というのもスカロンに頼んだアイスクリームの甘味料が、砂糖ではなく蜂蜜だった。当然、大量に発注している
蜂蜜と砂糖。
実は幻想郷では砂糖の方が高い。どちらかというと雪国な幻想郷は、サトウキビから砂糖を作る訳にはいかない。だから砂糖の原料は、もっぱら寒冷地作物の甜菜だった。しかし甜菜はサトウキビに比べて、効率が悪い上に甘さもイマイチ。
一方の蜂蜜。ハルケギニアに限らず、外の世界でも蜂蜜の方が高い。しかし幻想郷では事情が違った。一人の大妖のおかげで。その名は風見幽香。単純な強さから人々に畏れられる妖怪だが、花の妖怪というファンシーな面も持っていた。彼女のおかげで幻想郷では、他の世界ではあり得ないほど花が咲いている。養蜂業者はそれにあやかっていた。幽香の方も蜂が花のためになるので、養蜂業者を追っ払ったりしない。このため幻想郷の蜂蜜は、当たり前のように豊富にある。
どっぷり幻想郷の生活に漬かっている魔理沙とアリスが、甘味料は蜂蜜と無意識に選ぶのは無理もなかった。
ぐるぐるといろんな考えが回りまくっている魔理沙。その時、シエスタが調理場へ入って来る。
「あ、魔理沙さん!丁度良かった。叔父さんから知らせが届きました。準備ができたって」
「…………」
「あの……、魔理沙さん?」
「そ、そ、そ、そうか……。分かったぜ……」
魔法使いは、パントマイムのようにギクシャクと席を立つと、マルトーにケーキの礼を言う。料理長は微妙な顔で、それを受けた。やがて魔理沙は外に出ると、あっという間に飛んでった。最高度で。「やべぇ、やべぇ」とか言いながら。
すぐさまアリスと合流。二人で『魅惑の妖精』にカッ飛ぶ。そしてキッチンに突入。
「スカロンのおっさん!」
「あら、お早いお着きですね。ごらんください。ご要望の物は全て揃えましたわ。特に蜂蜜を揃えるのは手がかかりましたわ。なんと言っても……」
そこから長い苦労話が続く。だが二人には右から左。意識はただただ、キッチンに置かれている蜂蜜満載の小さな樽に集中していた。何故もうあるのかと。
実は魔理沙達。もう一つ大失敗をやらかしていた。それはハルケギニアでは、貴族相手では後払いという法則を見逃していた。最初に見積もりがくると思い込んでいた二人は、想定外の状況に茫然。幻想郷でルイズが勘違いしてやらかした失敗を、逆にやってしまっていた。ハルケギニアではもちろん、実は幻想郷でもそう商い慣れしてないせいか。だが大きな違いもあった。金額が魔理沙達の方がはるかに上という事実。
皮肉な事に、霊夢が心配していた通りとなる。さすがは巫女の勘だった。
廃村の寺院。幻想郷の住人達の拠点。月夜に浮かぶその姿はまさに幽霊屋敷。だが、地下は全く様相が違っていた。そう広くはないものの、ちょっとした屋敷のような作りとなっている。
そのボロボロの建物の屋根の上に人影が一つ。パチュリーの使い魔、こあだ。空を見上げながら、何かをノートに描いていた。側には望遠鏡もある。そんな彼女に声がかかる。
「何やってんの?」
視線を向けた先にいたのは、珍しい顔。不良天人、ルイズの使い魔、比那名居天子。実はここには滅多に寄り付かない。おとなしくルイズの側に居るわけではないが、一応ルイズを意識はしているようだ。
こあは視線を空に戻して、返事だけする。
「星を観測してるんですよ。パチュリー様の言いつけで」
「星?」
「はい。毎日特定の時間に、一等星以下の星を記録するようにって。他にも、双月の位置と状態、日の出と日の入り、正午を記録するように言われてます」
「なんでそんな事するのかしら?」
「さぁ?私は言われただけなので」
ちなみにこあは悪魔なので夜目が利く。星を記録するのにはうってつけ。もっとも、カメラがあればずっと簡単なのだが。文が貸してくれるはずもない。
天子はちょっとばかり興味があって聞いてみたのだが、思ったより面白くなかったので、すぐに下へと降りて行った。やがて天子は地下へと向かう。そこには、人数分の部屋と共用の部屋が作られていた。さらに幻想郷をつなぐための転送陣の部屋も。ただ後から来た鈴仙には部屋がなく、天子に割り当てられた部屋を使っていた。天子があまりここに居つかないのもあって。
ふらふらと退屈そうに廊下を歩きながら、辺りを見回す。何かを感じたのか、アリスの部屋の前で足を止めた。ノブに手を添える。すると脇から忠告一つ。
「勝手に入ったら怒られますよ」
「衣玖。なんか久しぶり」
天子の気配を察したのか、部屋から出てきていた。以前なら彼女の監視というかお守りのような立場だったが、今は違う。天子がルイズの言う事を聞くようになってから、大分手間がかからなくなっていた。ルイズが監視役を代わりにやっているとも言うが。
「そうですね。五日ぶりほどでしょうか。気の休まる日が多いのは、こちらに来ていい事の一つです。総領娘様の相手をしなくて済んだおかげで」
「何だって?」
「いえ、別に」
しれっと笑顔を返す竜宮の使い。少し憮然とした天人。
だが、興味はすぐに元に戻る。アリスの部屋のノブに手をかける。衣玖はあきれ顔。
「だから怒られますって」
「なんか気になるのよ」
「それじゃ、許可をもらってからにしてください」
「アリス、いないじゃないの」
「学院にいるんじゃないんですか?いったん戻られたらどうです?」
しかし天子聞かず。というかアリスがいないと知った時点で、無理矢理開けるしかないと考える。許可をもらうためにアリスを探すなんて、思考の外だった。
一方、ため息の龍神のメッセンジャー。お仕置きを一発食らわしてやろうと考えていると……。後ろから声がかかった。
「あら?天子。珍しいわね。どうしたのよ」
パチュリーだった。
「暇になっちゃったからねー。たまには寄ってみようかなって」
「暇?」
「ほら、ルイズに決闘禁止って言われてちゃって」
トリスタニアの一件以来、ルイズは天子に決闘禁止の命令を出していた。ただ彼女の口からそれを聞いて、ちょっと驚く紫魔女と竜宮の使い。この傍若無人天人が、決闘の結果とは言え、人の命令を守っているとはと。意外な律儀さに感心する二人。
だがそれも一瞬。
「で、考えたのよ。毎月、決闘して主導権争いをするのはどうかって。そっちの方が楽しいかもと思ってね」
「あんたって子は全く……。」
思ったほど変わってなかった天人だった。ちょっと見直したのを後悔する魔女と水妖。
パチュリーは気分を取り直すと、質問を一つ。
「それで?アリスに何か用?今、いないわよ」
「彼女じゃなくてこの部屋に用があるの」
「何故?」
「何か感じたのよ」
「…………」
天子の言葉を聞いて、少しばかり考え込むパチュリー。ハルケギニアに来て、こういう場面は何度かあった。その時は必ず『虚無』に関わっていた。
パチュリーは意を決したように言う。
「入ってみましょう」
注意を口にする衣玖を無視して、部屋の中に入っていく。
中は小ざっぱりして、かわいらしい装飾がアクセント的にある。いかにもアリスらしい部屋だった。そして部屋のやや奥。床には魔法陣が描かれていた。
「あ!あれ」
天子は魔法陣を指さす。正確にはその中央を。そこには剣が一振り置かれていた。錆でボロボロの、どう見てもなまくらとしか思えない剣が。すると部屋の奥から声が届いた。
「なんでぇ。俺になんか用か?」
「しゃべった!しゃべったわよ!」
天子は後ろの二人に、嬉しそうに話かける。面白いものをまた発見したという具合に。それにパチュリーは整然と返す。
「あれはデルフリンガーというそうよ。本人の言い分ではね。インテリジェンスソードとかいうものらしいわ。アリスはガーゴイルじゃないかって疑ってるんけど」
「へー。どんな能力持ってんの?」
「さあ?いろいろと忘れてるらしくって、本人も分からないらしいのよ」
「ふ~ん……」
楽しそうにうなずく天子。するとズカズカと魔法陣の中央に寄って行った。慌てて厳しい声を出す衣玖。
「総領娘様!」
「いいから」
それをパチュリーが止める。こちらも何かを企んでいるような顔で。
天子はデルフリンガーの側まで来ると、今からいたずらでもしようかという子供のような笑顔を浮かべていた。デルフリンガー少し不安。汗がかけたら冷や汗を出しているだろう。
「な、なんか用か?」
「いろいろ忘れてるんだってね」
「お、おう」
「ふ~ん……」
すると天子は腰のものに手をかけた。抜かれた剣が、光の霧を纏いながら緋色に輝く。武器屋に長らくいたデルフリンガーだが、こんな剣は噂すら聞いた事がない。さらに不安になるなまくら刀。
「な、なんでぃ?それは!?」
「『緋想の剣』っていうの。マジックアイテムと思っていいわ」
「そ、それをどうしようって、いうんでぇ……」
「いろいろ思いださせてあげようと、思ってね」
デルフブリンガー、楽しそうな天子を前にして恐怖でいっぱい。
そこに不安な空気をいっぱい感じ取っている、衣玖の声が挟まれる。
「何をするつもりです?総領娘様」
「この剣にね、気を注入してみようと思うの。ほら、『緋想の剣』って気を天候に移せるでしょ?同じように、この剣に気を移せないかなって」
「そんな事ができるなんて、聞いた事ありませんよ」
「うん。私も知らない。だからやってみるの」
「失敗するかもしれませんよ」
「そうなったら、この剣、弾け飛ぶかもしれないわね」
二人の会話を聞いて動揺している錆剣。
「ちょ、ちょっと待て!なんだそりゃ!殺す気か!」
「大丈夫だって。いろいろ思い出せるんだから、いいじゃないの」
「うまく行けばだろうが!」
「うまく行くって。たぶん」
「たぶんかよ!」
文句言うが、天子おかまいなし。ゆっくりとその左手が伸びて来る。デルフリンガーは、今こそ動けない事を恨みに思ったことはない。
伸びて来る天人の腕。動けぬインテリジェンスソード。そして天人の腕が、剣の柄を握った。
「痛っ!」
天人から声が漏れた。やけに響く声が。
「「えっ!?」」
パチュリーも衣玖も思わず零した。驚きの声を。
頑丈で知られている天人。それが痛みを口にするとはと。確かに痛がる天子は何度も見た事ある。だがそれが本気だと思う者はいなかった。どこか嘘くさい声色なのが、いつもの天子の悲鳴。彼女の叫びは遊び半分。
だが今のは違った。本当に痛い。そうとしか聞こえなかった。
天子は、デルフリンガーからすぐ手を離すと、怒声を浴びせる。
「な、何すんのよ!」
「何にもしてねぇよ!」
「電撃出したでしょ!」
「そんな力ねぇって!」
罵りあいがいくつも重なる中、ふと双方の言葉が止まった。異変に気づいて。
どこからともなく、カタカタという音が響いて来た。三人と剣は辺りを見回す。
ペン立てが揺れる、花瓶が音を立てている、レースのカーテンが波を打つ。
地震。
誰もがそう思った。
だがそれはすぐに終る。あっさりと。精々震度2の揺れ。幻想郷なら、たまにある程度のものだ。どうという事もない。すると次に出て来るのは疑惑の目。なんと言っても、地震の申し子がいるのだから。
天空の妖怪が総領家の娘へジト目。
「総領娘様……。なんのつもりでしょうか?」
「は?私?何もやってないわよ!地震だからって、なんでも私のせいにするんじゃないわよ!」
天子は珍しく、怒って文句を言っていた。無実だと主張するように親指で自分を指して。
その時、思わずその天人の左手に飛びかかる者がいた。七曜の魔女ことパチュリー・ノーレッジ。天人の手を両手でしっかり掴むと、マジマジと凝視していた。目を見開いて。やがてポツリとつぶやく。
「ルーンが……」
「な、何よ?」
さすがの天子も困惑。パチュリーが何をしたいのかさっぱりわからない。当の紫魔女も少しばかり驚いている。やがてゆっくりと、天子に手の甲を見せた。
「ルーンが欠けているわ」
「え?」
向けられた手を見ると、馴染みのルーンがあった。だがそれは見慣れているものと少し違っている。実は、魔女の言う通り欠けていた。ガンダールヴのルーンが。
蜂蜜と砂糖についてですが。中世ヨーロッパでは実は蜂蜜の方が安いです。砂糖が安くなったのは大航海時代。植民地のプランテーションができてからです。しかし原作では砂糖は出てきても蜂蜜は出てこないでの、蜂蜜の方が高いとしました。