ルイズと幻想郷   作:ふぉふぉ殿

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災禍

 

 

 

 

 

 今か今かと出陣を待つアルビオン軍。そんな意気盛んな集団を窺う六つの目があった。

 タルブの平原を囲むようにある森。その内のとある一本の高い木。天辺付近に三人の姿が浮いていた。こあ、魔理沙、タバサだ。タバサは魔理沙の箒の後ろに座り、何やら金属製のような奇妙なアイマスクをつけている。こあは手に持つ地図にタバサの言葉を受けつつ、何か書き込んでいた。その木の根本には見上げる二人。ルイズとキュルケ。

 キュルケがポツリとつぶやく。

 

「あれで見えるのかしらね?」

「こあは悪魔だから夜目が利くんだって」

「そうじゃなくてタバサの事よ。そこまで夜目なんて利かないでしょうし」

「だから、あのマスクみたいの付けてんじゃないの?」

「あれ何?夜でも見えるマジックアイテム?」

「さあ?幻想郷でもあんなの見たことないし」

 

 ルイズは肩をすくませる。すると三人が降りてきた。迎えたのはアリス。

 

「で、どうだったの?」

「分かる範囲は、何とかなったぜ」

 

 魔理沙がそう答える。ルイズが覗き込んだ地図には、城にいた時よりもさらにアルビオン軍の陣容が明確になっていた。

 タバサに頼んだのはこれについてだった。見たままを描いただけの文の情報だけでは不十分なので、軍に詳しい者が補足する必要があったのだ。そして適任なのがタバサ。彼女は間諜として軍にも詳しく、風系統のメイジでもあるので遠見の魔法が使える。さすがに本陣全体を見るのは無理だが、必要な部分を掴むことはできた。ちなみに彼女が付けていたアイマスク。実は文の持ち物で、パパラッチご用達の河童特性暗視スコープだったりする。

 

 広げた地図を全員が囲み、仔細を決めていく。ここにいる10人にも満たない数で数万を相手にするというのに、その作業にはよどみがない。

 準備が整うと、パチュリーが何の気なしに口にする。

 

「さてと、そろそろ始めましょうか」

 

 作戦開始の言葉を。

 

 

 

 

 

 ルイズ達が城を出て間もない頃。アンリエッタとアニエスは会議室に向かっていた。部屋の扉を開け中に入ると、厳しい目が二人に向けられる。だが無理もなかった。

 深夜の原因不明の大混乱。今開かれているのは、その収拾のための緊急会議だ。ところが肝心の国のトップ、女王がなかなか来なかった。散々、アンリエッタの寝室へ呼びに行ったのだが、アニエスがなんだかんだと言って、出席を延ばしていた。もちろんその理由は、中にいたルイズ達との話が終わっていなかったからだが。もっとも、そんな事情を知らない将軍達やマザリーニには、アンリエッタに緊張感が足らないように思うしかない。

 しかし、こうして部屋に入って来た女王は、大幅に遅れてきたという後ろめたさを微塵も感じさせないもの。それどころか、これから戦にでも出かけようかという顔つき。

 将軍達は、彼女の予想外の様子に、非難めいた態度を収める。ただ一人、マザリーニを除いて。彼は枢機卿という役職だが、同時にトリステインの宰相の立場だった。この国の手綱を握っていると言ってもいい。その立場から、締めるところは締めねばならないという意識があった。

 

「この非常時に、ずいぶんと悠長なお出ましですな」

「遅れた事は、申し訳なく思います。それで兵達はどのようになりました?」

「落ち着きは取り戻しております。ただ全軍兵装は解除せず、警戒を続行中ですが」

「そうですか。それは丁度よいです。ではそのまま、出陣準備に入ってください」

 

 アンリエッタの言葉に一同、目を丸くする。一体何を言い出すのかと。すかさずマザリーニが問いただす。

 

「出陣とはどういう事ですかな?」

「もちろん、アルビオン軍を討ちに行くのです」

「また何をおっしゃるのかと思えば。無暗に攻めかかった所で、勝利など得られませんぞ。玉砕でもするおつもりですか」

 

 厳しい言葉が放たれる。しかしアンリエッタに動じた様子がない。日頃の彼女を知っているマザリーニだが、見慣れないその態度に少々面喰っていた。

 一方の女王は、側にいる近衛の方へわずかに顔を向ける。

 

「アニエス。お願いします」

「はい」

 

 アニエスは静かに返事を返すと、将軍達へと語り始めた。

 

「先ほど、我が手の者より、アルビオン軍についての情報がありました。陛下のご出席が遅れたのは、その説明を受けていたためです」

「アルビオン軍の?あれほど偵察がうまくいかなかったというのに。如何にして成したのだ?」

「方法についてはのちほど。問題はその内容です」

 

 この平民出の騎士団がどうやって偵察に成功したのか疑問ではあったが、ものがものなので将軍達は耳を傾ける。アニエスは話を続けた。

 

「アルビオン軍は出陣準備に入っております。遅くとも本日の午前中には出陣し、こちらに攻めかかって来るとの事です」

「な、何?それはまことか!?」

「はい」

 

 一斉にざわめき立つ将軍達。その内の一人が、アンリエッタへ質問をぶつけた。

 

「ならば陛下!出陣とはいかなる事ですか。むしろ籠城の準備を始めるべきではありませんか?」

 

 だがその質問に答えたのはアンリエッタではなく、アニエスだった。

 

「それはできません」

「何故だ!」

「入手した情報によると、陸軍を主力とした部隊はこちらに、そして艦隊はトリスタニアに向かうとの事です」

「な、何!?トリスタニアへ!?」

 

 動揺した声が返って来る。いや、動揺したのはこの将軍だけではない。この場にいる誰もが。あのマザリーニですら、顔色を変えている。

 今、トリステイン軍のほとんどはこの地にいる。一方、トリスタニアに残っているのはわずかな兵だけ、事実上のもぬけの殻なのだ。今攻められれば簡単に落ちる。大局的な戦略を考えず、強引に出陣してしまったツケだ。またラ・ロシェール攻防戦の損耗が大きく、軍を二つに分ける余裕がなかったのもあった。

 その時、他の将軍が、何かを思いついたように言葉を発する。

 

「そうだ!ヴァリエール公の軍がまだ進軍中だ!急遽、トリスタニアに向かうよう伝令を出してはどうか」

「間に合いません」

「な、何!?」

「船で移動しているならいざ知らず、公爵の軍は街道を徒歩で進軍中です。どう急いでも、トリスタニアへは1日はかかるでしょう」

「…………」

 

 アニエスの厳しい返答に、将軍達は何も言えなくなった。

 

「ただ、不幸中の幸いと申しましょうか。敵陣への侵入を果たした者達がおります。早朝、混乱の工作を行う手筈となっています」

「混乱中の敵に攻め込むという訳か……」

「はい」

「…………」

 

 だがそれを聞いても将軍達は渋い顔。やがてアンリエッタが重々しく口を開く。

 

「みなさん。劣勢の我々にはできる事は一つしかありません。出陣準備中のアルビオン軍の虚を突き、勝利するのです!」

「「…………」」

 

 女王の勇ましい言葉にも、将軍達は頷こうとしなかった。成り上がりのシュバリエの言う事では信用できないのか、それとも思わぬ事態を受け入れ兼ねているのか。やがて一人の将軍が声を荒げる。

 

「納得いきませぬぞ!そもそも、当てになるのですか!?その潜入した者とやらは」

「やはり籠城すべきでは?」

 

 あちこちから不満の声が噴き出す。

 その様子を見て、アニエスは厳しい表情。やはり無理があったかと。アンリエッタとアニエスの言葉だけを信じ出陣しろ、なのだから。しかし、ここはなんとしても出陣させねばならない。何か手はないかと考えていると、すぐ側から声が上がる。アンリエッタだった。思わず口を開いていた。

 

「みなさん!もはや滅亡の淵まで差し掛かっている我々を、救おうとしている方々がいるのです!その方達に応えるためにも……」

「おや?陛下。もしや手の者とはその者達ですかな?して、何者ですか?」

「え!?そ、それは……その……」

 

 しまった、と気づいた時には遅かった。ルイズが連れてきた亜人と仲間達については、伏せておくように言われていた。もっとも、口で説明しても信じてもらえないだろうが。

 将軍達は女王の言葉を無言で待つ。この秘策の鍵となる人物について。集まる視線に、アンリエッタのさっきまでの落ち着きと厳しさがしぼんでいく。それで……。

 

「れ、"烈風"カリン殿です!」

 

 と、つい言ってしまった。寝物語に聞いていた英雄の名を。

 将軍達は一斉に色めき立つ。

 

「な、なんと!」

「あの烈風カリン殿が!?」

「だが、軍をお辞めになってから、いずこへか隠棲されたと……」

 

 将軍達はお互いの顔を見やりながら、思い思いの事を口にする。無理もない。もはや伝説の領域に入りつつあるかつてのマンティコア隊の隊長、烈風カリン。だが、誰もが知っているのは武勇伝であり、その人物の仔細についてはほとんどの者が知らないのだから。

 そんな時、ふと言葉がこぼれる。

 

「なるほど。自軍の進軍を待っておられず、ご自身で動いたのでしょうかな。あの人らしい」

 

 グラモン元帥だった。その言葉に思わず、隣の将軍が反応。

 

「はて?グラモン卿は、ご存知なのですか?烈風殿を」

「あ……!いや……その……」

 

 こちらもしまったという顔。グラモンはカリンの正体を知っている数少ない人物。そしてそれは、ちょっとややこしい事情により、伏せられていた。別に秘密にしておけと言われた訳ではないが、現役時代のカリンが纏う雰囲気を知っている者たちの中では、他言無用の重大事のように捉えられている。

 疑問の視線をぶつけてくる隣の将軍に、グラモンは少しばかり冷や汗。で、気づくと立ち上がっていた。

 

「お、各々方!我らは陛下に最後まで付き従う覚悟で、トリスタニアを後にしたはず!その陛下が、この苦境の中、乾坤一擲の策があるとおっしゃっているのです。ならば、ここはトリステイン貴族の矜持を見せてやろうではありませんか!一戦に国の命運をかける。そんな戦で杖を振るってこそ、貴族冥利に尽きるというものではありませんか!それに籠城した所で、展望が開ける訳ではありませんぞ!」

 

 なんて事を勢いよくのたまわっていた。焦ったように。

 だがそれが功を奏する。グラモンの言葉にマザリーニも賛同。

 

「グラモン元帥のおっしゃる通りですな。私も神職の立場ではありますが、この国の命運にすでに身を捧げる覚悟はできております。陛下のある場所が、この身のある場所と心得ております」

 

 やがて将軍達の表情も変わる。何かを思い出したように。それは清々しいと言ってもいいほどだった。

 

「左様ですな。城を出立した時に、腹の内は決まっておりました。不肖、私めは陛下にどこまでもついていきますぞ!」

「ならば、私も!」

「それにすでに引退なされた烈風カリン殿も参加されているとなれば、現役の我らこそ応えねばなりますまい」

「左様!」

 

 次々と将軍達は声を上げる。それを聞いたアンリエッタは一人一人に視線を送る。感謝に満ちた視線を。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「みなさん。ありがとうございます。わたくしも心強い限りです。その忠義、決して無駄には致しません」

 

 やがて表情を引き締めた。

 

「では参りましょう!決戦の地へ!」

 

 ハッキリとよく通る声で宣言。それに合わせるように、将軍達は杖を高々と上げ、気勢を上げた。

 

 そんな女王の側で、アニエスは一人安堵していた。表情には出さなかったが、内心ではかなり無茶だと思っていたから。何が無茶かというと、トリステイン軍全軍をこの城から出陣させる事だ。だがこれが、パチュリー達と話し合って決めた作戦の一つだった。

 しかしそうは言っても、劣勢の側が野戦に挑むのだから、無謀とすら言える。むしろ常識的に考えれば、籠城が当たり前。こんな状況にも関わらず城から出すために、いろいろと策を練った。アルビオン軍の作戦を分かっているかのように言ったが、実はまるで知らない。自軍の兵が潜り込んでいるかのように言ったが、これも嘘。全部、将軍達のケツを叩くための方便。もちろんアンリエッタがカリンの名を出した点も大きかった。

 

 やがてアニエスはポツリとつぶやく。

 

「こちらの仕事はこなした。後は連中次第だな……」

 

 

 

 

 

 

 アルビオン軍、本部の天幕。その外で、総司令官のジョンストンは港の方を見上げていた。ラ・ロシェールの港、世界樹に係留されている戦艦や桟橋には、いくつもの篝火が焚かれていた。あたかも、豪華な飾りつけのように輝いている。別世界ならクリスマスツリーの様だと言われているだろう。しかも戦艦は係留されているものだけではない。すでに補給を終えた船が周囲で、出陣の時を待っていた。まさしく大艦隊であった。

 

 そして他方、視線をずらせば、この広いタルブの平原を埋め尽くす兵達が見える。竜騎士に騎馬兵、そして歩兵達。兵力、士気共に高い大規模な陸軍が。

 総司令官は満足げに天幕の中へと戻ると、つぶやいた。

 

「我ながら、この陣容には惚れ惚れする。これらが轡を並べ一斉に進軍する姿は、さぞ圧巻であろう」

「成果がともなえば、なおよろしいですな」

 

 実質的な副指令であるボーウッドがチクリと一言。しかしジョンストンは気にしない。ほぼ勝利が見えているのもあって機嫌がいい。

 やがて総司令の定位置につく。その時、ふと思い出したように口を開いた。

 

「そう言えば……。トリステインの古強者がまだ残っていると聞いたな」

「ヴァリエール公爵でしょうか」

 

 ボーウッドは真っ先に思い浮かんだその名を口にした。ヴァリエールの名は、かつてはトリステインだけではなく、その周辺にも知られた名だ。政務から退いたとは言うものの、警戒すべき存在として彼の脳裏に刻まれていた。

 ジョンストンは、少しばかり楽しそうに頷く。

 

「おお、そうだそうだ。それで次の戦には参加するのか?」

「進軍中との情報は得ています。ですが杖を交える事はありますまい。戦地に来た時には全て終わっているでしょうから」

「ほう。それも作戦の内という訳か」

「はい」

 

 ヴァリエール公爵軍がトリステイン本隊に合流すれば、負けないまでも少々厄介な事になる。それを見越しての今回の出撃だ。敵が合流する前に各個撃破する。兵法の基本。

 だがジョンストンはそんなボーウッドの考えも知らず、勝手な事を言う。

 

「できれば、杖を交えたかったものだ。少々トリステイン軍は拍子抜けなのでな」

「侮らぬ事です。足元をすくわれますぞ」

「お主が言うのならそうなのであろう。何、私の出番は戦の後、政治の世界に入ってからだ。それまでは頼りにしているぞ」

「……はい」

 

 ボーウッドは何の抑揚もなく、返事をした。調子のいい総司令に、大人しくしていて欲しいとばかりに。

 

 

 

 

 

 ジョンストンが自軍の様子に酔っている頃。森の中を荘厳な光が照らしていた。天人の秘宝、『緋想の剣』の放つ光だった。自慢の剣を手にした天子は、悠然と構える。

 

「さてと、まずは私の番ね」

 

 光る剣を、天高く振り上げる。さらに輝く剣。すると見る見るうちに、雲が集まりだした。隣にいた衣玖は、そんな空の様子を確認。すると真上に飛び立つ。

 

「少し痛いかもしれませんが、我慢していただきましょう」

 

 そう呟きながら。

 雲の際までたどり着いた身には、今にも放電しかねない程の大量の電気で溢れていた。

 

 

 

 

 

 本部天幕では、急激に広がった雲に気づかず作業が続いていた。ボーウッドは忙しく動いていたが、ジョンストンは相変わらず。どうでもいい事を口にするか、頷いているだけだった。

 ふと外から、遠雷が耳に入る。

 

「雷か?」

 

 ジョンストンが上の方を見上げて言う。それに答えるようにボーウッドは、天幕の入り口から顔を覗かせた。空はいつのまにか一面雲に覆われていた。何も見えない。そして中へと戻る。

 

「雲が出てきたようです。月もすっかり隠れてしまいました」

「確か予測では、当面晴れると聞いていたが」

 

 天気は戦に重要な要素の一つだ。そこで戦の際に天気に詳しい者を連れてきていた。これには風系統のメイジが当たる事が多い。彼らから出てきた予測は、しばらく晴天が続くというものだったのだが……。

 ボーウッドは、総司令に答える。

 

「常に当たるというものでもありません」

「しかし、雨が降るのではないだろうな」

「雨天でも、作戦には支障ないよう組んでおります」

「そうではない。晴れておれば、我が軍の陣容を、トリステインの連中にまざまざと見せつけてやれたものを、と思ったのだ」

「…………」

 

 この総司令に呆れるのは、もう慣れていたボーウッドだった。

 だがそこに突如雷鳴。しかもかなり近い。

 悠然と座っていたジョンストンは、驚いて立ち上がる。

 

「な!ど、どこに落ちた!」

「近いですな。おい。どこに落ちたか確認しろ」

 

 側にいた書記に命ずる。しかし、それより先に外から衛兵が入って来た。

 

「閣下!旗が……。とにかく外にお出になってください」

 

 少しばかり動揺している衛兵に急かされるように、幕僚達は外に出る。そしてすぐにそれに気づいた。本部天幕を挟むように立っていた二本のポールから、炎が上がっている。しかも、そこではためいていたアルビオン国旗に、火がついていた。

 ジョンストンは渋い顔でつぶやく。

 

「ここに落ちたのか。すぐに消せ」

「はっ!」

 

 衛兵たちが消火しはじめた。

 一方のボーウッドは、信号旗を上げるポールも燃えてしまっている事を気にしていた。もっとも、夜間ではそれほど役に立たないが。ただ不便になったのは確かだ。全ての命令を伝令で伝えねばならない。

 消火が終わると、ポールはゆっくりと倒される。さっきまで国旗が上がっていたものが倒れていく様子は、あまり気分のいいものではなかった。

 

「全く、縁起の悪い。これも早く出陣せよとの、始祖からのお叱りかな。で、補給はどうなってる、艦隊司令」

「レキシントン号に多少の遅れが出ておりますが、大きなものではありません」

「まだなのか。あの船の唯一の問題点は、大喰らいな事だな」

 

 ジョンストンは少し不満げに答えながら、処理されていくポールを眺めていた。

 

 だが、この足元で起こったちょっとした出来事のせいで、本部の誰も気づかなかった事がある。雷が落ちたのはここだけではない。直掩に上がっていた竜騎士全てに落ちていた。その怪我の治療のため、皆一旦地上に降りている。暗闇に覆われたアルビオン軍の上空。そこは今、空っぽだった。

 

 

 

 

 

 無人のアルビオン軍上空を、猛スピードで真っ直ぐ進む一本の箒。箒には二人の影。その先にあるのはラ・ロシェールの港。なんの障害もなく、最短距離、最高速度で、あっというにたどり着く。

 

 聳え立つ世界樹の頂上に降り立つ小さな影。ルイズだ。見上げる先には星空すらなく、まさに暗闇。一方の眼下はたくさんのかがり火の元とアルビオン艦隊の威容で溢れていた。息を飲む光景。

 その脇には箒に跨った白黒魔法使いが浮いていた。魔理沙はルイズに不敵な笑顔を向けている。

 

「んじゃ、後で迎えに来るからな」

「うん」

 

 力強い返事。覚悟のこもった声。魔理沙は親指を立てて答えた。

 

「しっかりな!」

 

 白黒魔法使いはそういう言うと、またカッ飛んだ。

 

 暗闇に魔理沙が消えた後。ルイズは一つ深呼吸。自分の中にあるものの高まりを感じる。これが『虚無』、そう記されていた力かと。ルイズはなんとなしに納得してしまった。やがて、手にある始祖の祈祷書を広げる。淡い光を灯す文字が並んでいた。

 ルイズはゆっくりとルーンを紡ぎ始める。

 

 

 

 

 

 本部天幕の側に燃えてしまったポールを片づける兵に、ボーウッドが命令する。

 

「新たなポールを、用意しろ。質は問わん。長い棒ならなんでもいい」

「はっ」

 

 だが、それをジョンストンが阻止。

 

「いらん。まもなく出陣だ。余計な手間は増やさんでいい」

「しかし……」

「いいと言っている」

「はぁ……」

 

 興ざめさせられたのか、少しばかり機嫌が悪い。その彼は艦隊指令に話しかける。

 

「我らもレキシントンに向かうとするか。陸軍の準備は終わったのであろう?」

「もうまもなくとは聞いておりますが、完了の報告は受けておりません」

「まもなくなら、かまわんだろう。本部を移す」

 

 気分で本部を移されては、作戦に支障が出る。ボーウッドは釘を刺そうと、総司令への忠告を口にしようとした。だが、ふと東の方から光が目に差し込む。一瞬日の出かと思ったが、それにしては早すぎる。思わず東の方を向いた。

 

 太陽があった。

 見慣れたものとはまるで違う太陽が。膨れ上がっていく太陽が。

 

「な……!?」

「な、な、なんだあれは!?」」

 

 ジョンストンの腰を抜かしたような叫び。ボーウッドも驚嘆の表情のまま固まっている。そして誰もが、同じものを胸の内で叫んでいた。あれはなんだと。

 

 ラ・ロシェールの港を中心にすさまじい勢いで広がっていく太陽。桟橋に繋がれたままの戦艦は逃げる事も出来ず、次々と飲み込まれる。なんとか桟橋から離れ、脱出を試みる船もあったが、太陽の膨らむ速度はそれを遥かに上回る。

 やがて港は全て飲み込まれた。しかし太陽は止まらない。さらに広がり、空中で停泊していた船すら飲み込もうとする。

 

 茫然と見つめていたが、誰より先に我に返るボーウッド。

 

「いかん!退避!この場から離れよ!」

「な、何!?どういう事だ!ボーウッド!」

「このままでは我らも、太陽に飲み込まれます!」

 

 言われてジョンストンも気づいた。あれがなんだか分からない。分からないが、あのまま広がり続ければ、確実に自分たちを飲み込むと。

 

「に、逃げろ!全軍退避だ!」

 

 総司令のその言葉に、周囲は一斉に浮き足立つ。当の彼は、衛兵を捕まえ命令。

 

「おい!竜騎士を!いや、馬でいい、馬を持て!」

「は、はいっ」

 

 まずは、自分の身の確保に走った。一方のボーウッドは全軍を退避させるため、迅速な伝達を心掛けた。配下の幕僚達も同様に。

 

 突然の現れた太陽。飲み込まれていく艦隊。同じく飲み込まれなかねない自分たち。アルビオン軍はもはやパニックに陥っていた。

 

 誰もが慌てふためいたその時、不意に足元が暗くなる。太陽に照らされ明るくなっていた辺りが、急に見えなくなる。ふと港の方を見ると、あれほど大きかった太陽が、まるで空気の抜けた風船のようにしぼんでいっていた。

 ジョンストンが、ボーウッドが、いや、ここにいる数万の兵、全てが立ち尽くし、消える太陽を見つめていた。そして太陽が消えた後、残されたのは、大地にゆっくりと落ち、擱座していく大艦隊だった。

 

 

 

 

 

「私の出番はあるみたいね」

「そうね」

 

 様子を窺っていたカラフルエプロンと紫魔女。突如現れた太陽、虚無の魔法『エクスプロージョン』が何もかも飲み込み、ケリがつくかと思われたが、さすがにそこまでとはいかなかった。

 天子は置いてあった要石を右手で持ち上げる。そのサイズ直径3メイル。それをポンポンという具合に軽々と扱っていた。

 

「う~んと……。この辺りの地震の目は……」

 

 何かを探るように見回す天人。周囲は木々で覆われている上に、この暗闇では何も見えないハズなのだが。やがて、目的のものを見つけたのか、視線を一点で止める。すると要石を掴んだまま振りかぶった。

 

「そぉーれっ!」

 

 軽い調子の声と共に、直径3メイルの要石をブン投げる。凄まじいスピードで飛んでいった要石は、闇夜の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 ほとんどの戦艦が地に落ちた。あのハルゲニア最強と自負していた巨大戦艦、レキシントン号も。生き残った艦隊はわずか一隻のみだった。擱座した戦艦からは、悲鳴とも怒号ともつかない叫びが聞こえる。そして次から次へと、乗員が逃げ出していた。

 

「い……いったい何が……」

 

 そうつぶやかずにはいられないジョンストン。あの冷静なボーウッドすらも言葉がない。無理もない。訳の分からない現象で、自慢の艦隊が壊滅したのだから。

 ジョンストンは、この現実から逃げるように天幕に入る。そしてさっき酒を注いでいたワイングラスを掴もうとした。

 

 だが、ワイングラスが逃げた。動いて、彼の手を避けた。

 

「え……!?」

 

 一瞬、何が起こったか理解できない。

 だが動いたのはグラスだけではなかった。椅子が、机が、指示棒が、地図が、何もかもが動いた。

 

 そして大地が動いていた。

 

「う、うわっ!うわーーーーっ!」

 

 訳も分からず、ジョンストンは机にしがみつき叫びを上げる。

 

 揺れと共に轟く地響き。地震。今まで味わったことのない地異。話にしか聞いたことのない災厄。

 

 アルビオンは浮遊大陸という土地柄、地震がほとんどない。そこで生まれ育ったものは、地震を経験した事などまずなかった。それは人だけではない。馬もドラゴンも皆同じ。そんな彼らに地震というものは、大地が崩れるかという程の恐怖を刻み込んでいた。

 

 タルブの平原の全てから悲鳴が上がる。兵達は四つん這いになり、あるいは天幕の柱に抱き着き、あるいは顔を伏せ叫んでいた。さらに馬達は主を振り落し、駆け出す。ドラゴンは静止の声も届かず、勝手に飛び立っている。

 

 槍を投げ出した兵卒。剣を捨てた騎兵。杖を放りだしたメイジ。闇雲に走り回る馬。空中で当てどもなく飛び回っているドラゴン。

 威勢を放っていた軍勢は、もはや軍として体を成していなかった。

 

 

 

 

 

 

 遠くから混乱の軍勢を、浮いたまま眺めている二人の魔女と烏天狗がいた。同時に彼女達は、別の軍の到来を待っていたのだが。

 

「まだのようですね。もうちょっと急いでほしいのですが」

「結局、私達の所まで順番が来るのね。しかも放火担当」

「適材適所よ。それじゃぁ、任せたわ」

 

 パチュリーは声をかける。すると文は、風の申し子の証、天狗の団扇を手に持ち、文字通りカッ飛んでいった。一方のアリスは十本の指をゆっくり広げた。その指全てには、筒状の指輪がはまっている。

 

「さてと、行くわよ。みんな」

 

 指輪から伸びる10本の筋が、一瞬光ったかのよう。するとアルビオン軍の本陣へ、小さな影が突入していった。

 

 

 

 

 

 アルビオンの客将ワルド。地震を経験済みの彼はいち早く立ち直ると、地面にうずくまっている竜騎士隊の副長を怒鳴りつける。

 

「しっかりしろ!もう地震は止んでいる!」

「…………」

 

 副長は怯えた目を向けてくるだけで、何も返してこない。

 地震自体はせいぜい、震度4レベル。時間もそれほど長くはなかった。だが初めて地震を経験した者にとっては、何時間にも感じられただろう。

 ワルドは役に立たない副長を放っておき、自ら状況を確かめようとする。そして丁度頭上を飛んでいたドラゴンに、フライの魔法で飛び乗った。

 

「さっきの太陽といい。いったい何が起こっているのだ」

 

 気持ちを引き締めると、手綱を絞り真上へ上がろうとした。

 直後、切り裂くような轟音が耳を貫く。痛みが全身を走る。頭も真っ白、何も考えられない。

 しばらくして我に返ると、そこは地面だった。いつのまにか降りていた。ドラゴンと共に。

 

「な……!?一体……!?」

 

 倒れた体を起こす。体中に痺れを感じる。雷が直撃したと気づいたのは、その数秒後だった。さらに数秒後、痺れているが大した怪我もない事に驚いていた。ふと思い起こす。直掩中に雷に打たれ降りてきた配下の竜騎士。彼の怪我を見た時。丁度、今と似たような状態だったのではと。思わず夜空を見上げる。相変わらずの真っ暗な闇夜。この混乱のさなかとはいえ、そこには竜騎士が一騎も見当たらなかった。妙な悪寒が背筋を走っていた。

 

 だからだろうか。その脇を滑るように飛んでいる小さな影を察知できなかったのは。いや、この状況では、誰も小人のような影が天幕に忍び込んでいる事に、気づくはずもなかった。

 

 

 

 

 

 ボーウッドは本部天幕の前でようやく体を起こす。東には擱座した艦隊。目の前にはただただ混乱している陸軍。これはどういう事なのか。理解しようにも、何を取っ掛かりとして把握すればいいのか分からない。

 ともかく、彼は落ち着きを失っている軍を、なんとか立て直すことを決意する。まずはこの本部天幕からと。その時、また目元に光が入った。今度は西から。またあの太陽が出たのかと思ったが、そうではなかった。一部の天幕から火の手が上がっていた。

 

「あそこは……!」

 

 厳しい顔つきですぐに側にいた、幕僚に声をかける。

 

「おい!」

 

 四つん這いになって、燃える天幕をただ見つめている幕僚には返事がない。彼を引き上げ、ひっぱたく。

 

「しっかりしろ!消火だ!消火にあたれ!」

「は、はいっ!」

 

 幕僚は目が覚めたように駆け出す。

 気づくと隣にジョンストンが立っていた。まるで幽霊にでも出会ったかのような顔をして。

 

「ボーウッド……。あ、あれは……」

「あの一帯の天幕は食糧庫です」

「何!?何故だ!?」

「地震のための事故かもしれません。ともかく、食糧が燃え尽きえてしまうと、戦になりません」

「しょ、消火だ!消火を……。ん?まさか……!あの火の手、こちらにまで来るのではないだろうな!?」

「それはないでしょう。今は東風。幸いあの場所は風下です。本陣全てに火が回る事など……」

 

 そこまで言いかけた時、突然、突風が吹いた。

 西から。

 

「な……!まずい!」

「どうした!」

「風向きが変わりました。もはや、あそこは風上です。下手をすれば、この本陣全てが火の海になるかもしれません」

「な、なんだと!」

 

 動揺し、慌てふためくように、辺りに消火の指示を出すジョンストン。その隣で、ボーウッドはこの間の悪さに愕然としていた。このタイミングで風向きが変わるとはと。しかも穏やかな東風が、突然強めの西風に変わった。船乗りとしての経験が、あり得ないと語っていた。

 その時、ふと一つの思いつきが浮き上がる。

 

 この一連の出来事は敵の攻撃なのでは?

 

 と。

 だが、敵の姿などどこにもない。敵兵は一兵も見えず、敵の杖も一本もなく、一振りの剣も、一箭の矢すらない。しかも今まで起こった災禍。それが全て人の業として、可能な事なのか?

 ならば、なんなのか。

 その答えを、覇気を失った総司令官が口にしていた。

 

「なんだこれは……いったいなんなのだ……。我が軍が……あの我が軍が崩壊している……。戦ってすらいないというのに……。もしかして神罰か!?神罰なのか!?」

「…………」

「アルビオン王家を滅ぼし、さらにトリステイン王家をも滅ぼそうとする我らに、始祖ブリミルがお怒りになったのか!?なぁ!ボーウッド!」

「…………」

 

 いつもなら一笑に付すような彼の言葉。だがボーウッドは何も返せなかった。

 

 

 

 


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