東方虚真伝 作:空海鼠
「はっはっは、檜垣さん、また面白いことに勤しんでるんですか。いいですねえ、羨ましい限りですよ。私は今やることが多すぎてろくに娯楽もまとも楽しめない状況が続いてますからねえ。本当に、羨ましくて恨めしいですよ」
岬ちゃんは、いつものようにニタニタと気味悪く笑って、嘘とも本心ともつかないような台詞を吐いた。
「……うん、岬ちゃん。それはいい、というかどうでもいい」
「おやおやおやおやおや、私の長く生きてる中でもたった一つの楽しみをどうでもいいの一言で切り捨てるとは。檜垣さんってもしかしてドSだったりしますか?それでしたら私もドMに」「そのネタは前曖でやった気がするかな」
岬ちゃんはちぇー、と適当に呟きながら頭を掻き、ついでとばかりに髪の毛を弄る。黒髪をさらに墨汁で染めたような色の髪の毛が、みるみるピンク色に変化していき、死人のような顔とのコラボレーションを果たす。シンクロ率はマイナス四百パーセントを突破し、違和感が暴走して僕の腕を引きちぎり自分の腕へ置き換えそうな雰囲気を醸し出している。
岬ちゃんが「どう?」と視線で訴えてくるのを冷たい視線で返し、「似合ってない」と言外に伝えてみる。僕の返しはご不満だったらしく、岬ちゃんは浅く溜息をつくと髪の毛を乱暴にわしゃわしゃと掻いて髪色を元に戻すと「檜垣さんはデリカシーというものに欠けますね」と文句を追突させてきた。
「デリカシーだけじゃなく頭のネジとか羞恥心とか色んなものを欠いてるぜ!」と若干とち狂った発言で返そうかとも思ったが、生憎と常識は欠けてる部分が少なかったらしく、喉のあたりまで出かかったところで停止。そのまま気道へと吸い込まれていった。咽せた。
「……突然咽せる癖、どうにかした方がいいですよ。ほら、玉藻前にも引かれていたじゃないですか。怪しさてんこ盛りですよ、てんこ盛り」
「何故きみがそれを知っているかはともかくとして、この癖はどうしようもないかな。僕の気道は吸引力が変わらないことで評判だからね」
「百円均一ショップでも吸い込みそうな気道ですね」
「ジュラシックパークの住人さえも吸い込む気道だからね」
「いや、岬ちゃんごときと会話をしている暇はないんだったな。すぐにでも行動しないと玉藻前の命がちょーやばい」
言いながら床に座って、足の親指を鳴らそうと試みてみた。成功の母親の声が僕の左足から聞こえた。
立ち上がって、三秒前の動作を無意味にしてみた後、伸びをする。岬ちゃんは、僕のやる気が伝わってきているのか、何も言わずにただ左の口角を少しつり上げている。
首を絞める動作をしながら首の熱を冷たい掌に移し、息を止めながら手の行動力の回復を図った。
「げは」
妙な息が口から漏れて、気道に何かが詰まっているような感覚に思わず顔をしかめるが、咳をしたら僕の病原菌が岬ちゃんへ移ってしまうのは必至なので、ぐっと堪えて自己犠牲に勤しむ。嘘だけど。
「移動法は……玉藻前の近くにワープでいいか……」
「あー、そうですね。今回のイベントクリアしたら、ご褒美あげちゃいますよ」
唐突に岬ちゃんが言ってきた。しかし、ご褒美とはもう少しワクワクドキドキしていいんじゃないだろうか。僕はこれほどまでに楽しみでないご褒美なんぞ、始めてだ。
面倒な構ってちゃんや上機嫌な睡魔くんに返答を返さず、瞼を摘んで裏返しながら能力を行使する。
「まあ、頑張って主人公でもしてみてきてくださいよ。ふふふっ」
岬ちゃんは、嫌みったらしい声でそう言った。
移動した場所は、洞窟だった。
丁度、僕が昔引きこもった洞窟と酷く似ていて、既視感がノイズとして視界を横切る。しゃがんだ状態から立ち上がると、脳に向かう血液が停滞して、立ちくらみの症状に襲われた。眼球が裏返るような感覚がおぶさってきて、蜘蛛を背負っているかのような不快感が背中を這う。
懐かしい感覚に顔をしかめながら進んでいくと、ダンゴムシのように丸まって防御姿勢に入った玉藻前を発見した。頭皮が剥がれて血液が爪に付着することも厭わず、一心不乱に頭を掻き毟っていた。もっとも、そんなことをしなくても既に血まみれで、ところどころ肉が抉れて骨が露出趣味を隠さずに裸体をさらけ出している。
なるべく足音を立てずに近づくと、彼女の呟きが聞こえてきた。
「どうすればいいんだよ……。何で、何で……、くそっ。どうしてなんだよ…………」
声は涙に混じっていて、体は時折しゃっくりと共に小さく跳ねる。その度にぽたりぽたりと紅い液体がこぼれ落ち、洞窟内の小粋なBGMとして機能していた。
その玉藻前にどうやって声をかけようか迷って、
「こーんにーちはー」
少々頭の作りを疑われるほど馬鹿っぽいような声で挨拶をすることに決めた。
「!?」
僕の挨拶に玉藻前は過剰反応をし、大きく跳ねた後にすぐさま振り返ってその爪を戦闘態勢へと切り替える。
全体像を僕の網膜に映し出した玉藻前の服は大分破けていて、服としての機能をギリギリで果たしているというようなレベルだ。ともすれば扇情的ともとれるような服装をしているが、それは滴り落ちる血液と露出趣味が過ぎる骨によってぶち壊され、こちらを警戒する顔も含めて、不気味と言っても差し支えない様となっている。
「まあまあ、そう警戒しないでくれ。僕は争いごとはそれほど好きじゃないんだよ」
両手を広げて無抵抗を装い、念のためにと嘘はついておく。
玉藻前は最初こそ警戒心を露わにしていたが、相手が無抵抗だと見ると徐々に落ち着いてきて、泣き笑いのような表情を浮かべた。
ふむ、僕がゆかりんに情報をリークして、玉藻前がこんなことになった元凶だってこてゃまだ知られていないようかな。良かった良かった、最初から恨み満点だったら助けることもできやしないからな。
「何だ……貴方か……。で、どうしたんだ?私を退治する依頼でも受けたのか……?」
頬に伝う涙を手で拭い、半ば諦めたよな口調で僕に問いかけてきた。
諦めたように振る舞ってはいるが、まだ期待を残しているような感じだ。
僕の中のデビルみょうりんが「このまま絶望のずんどこへたたき落としてみるのはどうだろうか?」と提案してきたが、それをエンゼルみょうりんが「いやいや、そうすると物語繋がらないし、駄目でしょ」と窘める。エンゼルが人道的な問題を指摘しないあたり、僕らしいとも言える。
「いいや、僕はある依頼を受けてここにやって来たんだ」
僕の言葉を聞いた玉藻前は自嘲的な笑みを浮かべて落胆する。おそらく、僕の言葉から勝手に推測して自分を退治しに来たと判断し、助けてもらうのを期待していた自分を発見してしまったのだろう。玉藻前は最後まで人の話を聞かないタイプらしい。
僕が次の言葉を発する前に玉藻前が言う。
「そりゃあな……わかってたさ……。私は妖怪で、あいつらは人間だ。相容れることは無いし、共存なんてできるわけがないって、わかってたさ!それでも……それでも!妖怪が人間に憧れちゃ駄目なのか!化け物が人間になりたいって思ったら駄目なのか!人間と共に生きて、過ごしていけたらいいって願ったら駄目だって言うのか!」
「…………」
玉藻前の言葉を、黙って聞く。
まあ、勝手な言い分だとは思う。自分はどう足掻いても自分以外にはなれないし、覆しがたい現実を受け入れないというのは、それは単なる我が儘だ。身勝手な言い分だ。
だが、あえてそれを言わずにいい子ちゃんを続行して続きを聞く。
「……何で私は人間に生まれなかったんだよ!何で私は化け物なんだよ!何で私が傷つかなきゃいけなかったんだよ!何で私が悪者にされているんだよ!何で…………何で、何で、何で、何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で……何で!」
それは、振り絞るような声で。
「何で私は……幸せになれないんだよ…………!」
玉藻前の目から、再び涙がこぼれ落ちた。涙の粒が頬を伝い、洞窟の床に落ちて小規模な塩水湖を形成する。彼女の唇は肉が裂けるほど強く噛まれ、涙と共に血が滴り落ちて、いい女を演出しようとする努力の一端が見受けられる。
反省の様子が見受けられないデビルの囁きに耳を貸さずに、仕方がないから今回だけは『主人公』として振る舞ってみようかなとでも考えてみる。こみ上げてくる不快感に胃が今朝の朝食の逆流を訴えてくるが、その気持ち悪さも騙しきる。最近はやっていなかったが、自己暗示は生前の僕の十八番だった。
この頭痛も、耳鳴りも、吐き気も、震えも、不快感も、全部気にするようなことではないのだと。
そう、嘘をついた。
「『玉藻前を助けて欲しい』。帝の第二だか第三だかの皇女からの依頼だ」
瞬間、玉藻前が停止する。
涙を溜めた目を限界まで見開き、信じられないような顔をして譫言を呟いている。溜まっていた涙が引いていき、目の乾きが心配になるなあとお門違いな心配をしてみた。
「でも…………え……?わ、たし、は、よう、妖怪、で……」
「それでも助けたいらしいよ?母親だからって」
眼球がぐりんと回って限界を伝えてきたが、まだいける、大丈夫だと無理に演技を続ける。
「そうしてその麗しい親子愛に免じて、僕はきみを助けることに決めたのさ」
「…………………………ぇ、あ」
玉藻前は日本語としてギリギリ機能しているかどうかのラインの言語を発して膝から崩れ落ちた。
「あ、あ、あああ、ああああああああああああああああああああ!!!」」
笑いながら泣くといった、僕からしてみれば羨ましいほどの超高等技術を駆使して、洞窟一杯に響き渡るような声を上げる。
耳元で響いた音波攻撃に思わず耳を塞ぐが、それでも完全にはシャットアウトできずに音は聞こえてくる。
「……まあ、今の僕は『主人公』だし、いいか」
響き渡る声に眉をひそめながら、玉藻前をそっと抱きしめる。
不快感が濁流のように押し寄せてきて、鳥肌が体の内側からぞわわと浮き上がってくる。「無理すんな」と全身の感覚が訴え出てくるが、自己暗示でじっと耐えてみる。
頭が鉄パイプで殴られるような衝撃に襲われ、目玉がぐるりと視神経の方向を見ようとする。首筋に針が刺さっているような感覚と、心臓と肺の異常に燃料を注ぎ込まれたのかのような動きが、徐々に強くなっていくのがわかる。
何か動きを取り入れないと耐えられないと判断した僕の体は、玉藻前の頭を撫でた。
「……よしよし」
今回、だけだ。
僕が自分から誰かに抱きつくのも、僕が慈善事業に身を置くのも。
まともな思考が出来なくなるような気持ち悪さの中、それが唯一考えられたことだった。
静乱さんの『東方事反録』とのクロスが決定しました。
わー。ぱちぱち。