東方虚真伝 作:空海鼠
正月は、父方の実家に帰省していました。
「……で、収穫なしですか」
「はっはっは」
「あれだけ格好つけて『現場百回は、基本だろ』とか言っちゃって、何もなしですか。どうしようもなくどうようもないですね」
「はっはっは」
「いやいや、そろそろ笑って誤魔化すのにも無理がありますよ?」
岬ちゃんの小言を右から左。馬耳東風を心がけて受け流しを試みる。岬ちゃんはあいかわらずにこにこと微笑んでいる。僕を罵倒するときが一番生き生きとしているのは気のせいだろうか。
とはいえ、いつまでも笑って誤魔化しているわけにもいかないので、全く関係のないことを話しかけてみた。
「ところで、岬ちゃん」
「何ですか、え、私に嫁に来て欲しいと?いやあ光栄だなあ、檜垣さんがそんな風に思ってくれているなんてそれはもう身に余る光栄すぎて本当にどうしようもないくらいですよ。おや?おやおや?おやおやおや檜垣さん?何を頭を抱えているのですか?私は檜垣さんのことなら何でも知りたい健気な女の子ですからねえ。いくら檜垣さんがどうしようもなかろうと心配は私の心に降り積もり、さながら雪のようですよ。美しい愛情というやつですねえ」
雪ならそのまま溶けて消えてしまえ。と言いかけたが、僕が話題を変えるまでもなく岬ちゃんが話の方向転換を計ってくれるとは喜ばしいことなので、押し黙る。
が、そんな意図はお見通しだと言うように、岬ちゃんは楽しそうにその弁舌を休めない。
「うふふふふ、そんな情熱的な目で見られたら、照れてしまいますよ。ほら、私ったら照れ屋さんじゃないですか。だからこそ檜垣さんに酷薄…失礼、告白というものができなかったんですけどね」
なぜ告白を言い直したかはわからないが、岬ちゃんの言うことだ、あまり気にしないでおこう。
………ああ、きっと昔の僕を相手にしていた諏訪子とか、紫はこんな気持ちだったんだろうなと一人反省。今後は少し自重しようかなとか思ってしまった。
「あ、そうだ岬ちゃん。少し見てもらいたいものがあるんだけど…」
「何ですか?私は基本的には面白いものなら大歓迎ですよ?」
ならば、おそらく気に入るだろう。
定位置を立ち、岬ちゃんの隣の空間に向かって何かを掴むような仕草をし、思いっきり手を下げる。
「ぶぎゃっ!?」
空間から落ちてきた女性が、おおよそ女の子とは思えないような声を出し、既視感のあるよな光景を作り上げてくれた。
その女性は、前に見たよりも大人びていて、胡散臭いというような雰囲気を纏っている……というか、ゆかりんだった。
「やっほー、ゆかりん。で、何用?」
落ちて潰れてへたっている女性に対してそんな声をかけるとはどんな教育を受けてきたんだと言われかねないが、ろくな教育を受けてこなかったのである。
岬ちゃんがわざとらしくふむふむと頷くと、しゃがんで紫と視線を合わせる。
「おやおやおや。これは確かスキマ妖怪として名高い八雲紫さんじゃあないですか。まさか、まさかまさかまさか檜垣さん、あなたは八雲紫さんとお知り合いだったのですか。わー、これはびっくりですねえ、驚きですねえ」
これっぽっちも驚きを表さないような、顔と声だった。
今まで倒れていた紫が上半身を起こし、文句を言おうと口の回転を速める。
「な、ななな…何な………けほっ、………何なのよ!」
回転を速めた口は、見事に空回りし、端的かつ曖昧な文句を言うに留まった。
紫は、そのまま数度咳をして落ち着くと「…ていうか、貴方、どこかで会ったことあるわよね?さっき私の名前らしきものを言ったことも含めて」と言った。
「はっはー、何を言っているんだいゆかりん。僕はきみとは初対面で、ついでに言うと僕は誰からも知り合われないことで有名なんだぜ」
いや、本当に。僕が生前会ったことのある人物で、ろくに僕のことを知り合いって言ってくれる人いなかったんだよ。
「いや檜垣さん、いやいや檜垣さん。少なくとも私は檜垣さんと知り合えていると思っていますし。知って――――知り尽くせていると思いますし、私は除外ですよねえ?まったく、私を忘れるだなんて、檜垣さんはどうしようもないですね」
岬ちゃんは、底の見えないような、暗い目を細めて言った。
どうしようもない。
案外、僕にぴったりと当てはまるような言葉なのかもしれない。何も出来ず、嘘ばかり吐いて、常に狂い続けている。終着なんか無いくせに、壊れないことに執着する。どうしようもなく、どうしようもない。どうしようもできない、そんな存在。
この娘は意外と、その辺を見抜いて言っているのかもしれないと、取り留めもない予想をしてみた。
「……気のせいだったかしら。顔は昔会った誰かに似ているような気もするんだけど…。雰囲気が違うわね」
「ちなみに、その人の名前は?」
紫の呟きに、岬ちゃんが反応する。なかなかの反応速度だった。
「えっと…確か、加城冥利、だったかしら。偽名の可能性も高いけど」
「………へぇ、加城冥利、ですか」
意味深に、納得するようなそぶりを見せる岬ちゃん。表情のにこにこが、にやにやに変わるのがわかった。
「岬ちゃん、とてもお茶の間にはお見せできないような笑顔になってるよ」
「女の子の慈愛溢れる微笑みを、こともあろうに『お見せできないような笑顔』とは。酷いですねえ、私は深く傷つきました。それはそれはもう、海よりも深くです。精神的にとはいえ傷物にされたので、これは何としても檜垣さんに責任を取ってもらわなければなりませんね」
慈愛と言うよりは、自愛溢れる笑顔だった。
「ところで、紫は何の用でここに来たんだっけ。確か、聞いてないよね」
岬ちゃんの言葉を華麗にスルーして、紫に話題を振る。…………いや、普通の台詞を発しているはずなのに、どことなく違和感。異常筆頭が普通の言葉を使っているからだろうか。
「都一と呼ばれる実力を持っているくせに変な依頼ばかり受けている、檜垣櫂っていう陰陽師を見に来たのよ。………まさか、こんなのとは思わなかったけどね」
「こんなのとは失礼だな。僕は……………」うわ、やばい。僕が嘘もつけなくなったら、ただの嫌われ者じゃねえかよ。もっと頑張れよ、脊髄「何だっけ」これはもう駄目かもわからんね。
「まだ若く見えるくせに、痴呆ですか?しっかりして下さいよ、唯でさえどうしようもないのに、さらにどうしようもなくなってどうするんですか」
「というか、自分で言おうとしたことを忘れるなんて、末期よね」
………そろそろ、限界だろうか、僕。
僕は今、非情に調子が悪い。
いや、確かに僕はいつでも絶不調な訳だが、今回は、異常と言ってもいいだろう。
異常と言うより、異調。
異調と言うより、怪調。
きっと僕が快調だったり、絶好調だったりという日は無いのだろうが、ここまで調子が悪いとやはり不安になる。いや、不安と言うよりは、恐怖だろうか。
テセウスの船、というパラドックスがある。
船を構成する木材を次々に交換していって、最終的に全ての部品が置き換えられたとき、その船が元の船と同じものだと言えるのかという問題だ。
これと同じで、ここで時間が経つにつれ────この世界で過ごすにつれ、段々と、『僕』が変わってきている気がするのだ。
僕は、テセウスの船の疑問には「同じとは言えない」と返す派なので、僕が変わることは、僕が死ぬことと同じだと思っている。
狂っていない僕。
嘘をつかない僕。
そんなもの、想像できないし、想像したくもない。もしそんな未来があったとしても、そんな──────見ただけで壊れてしまいそうな未来なんて、それこそ死んでも嫌だ。
僕が死ぬことが死んでも嫌だ、だなんて、些か可笑しいものだ。
きっと、アレがここにいたら腹を抱えて大爆笑していただろう。そういう意味では、転生して良かったと捉えるべきなのだろうか。……いや、どちらにしろ、夢の中に勝手に出てくるんだよな…。
閑話休題。
兎に角、僕が──────この場合、壊れてきているとでも言おうか、壊れてきている現状は見過ごせないものがあるのだ。
僕は、僕であるべきだ。
「だから、僕を返せよ」
僕の要求に対して、相変わらずにやにやと、表情を一切崩すことなく岬ちゃんは嗤う。
「私はあなたなんて持っていませんよ、檜垣さん」
「ああ、そういうことじゃないんだ。だから、返せ」
掌を向けて、速やかに返却してくれることを促す。
対峙している岬ちゃんの、暗い目が歪む。
「……はあ、普通ラスボスは一番最後に現れるものでしょう。まったく、こんなにも早くバラしちゃうなんて、やっぱり檜垣……いえ、加城さんと言った方がいいでしょうか?やはり加城さんは、どうしようもないですね」
そう言って、岬ちゃんは狂うように、笑った。
「うっくっくっくくくく、いつから気がついていたんですか?加城さんに疑われていただなんて、傷ついちゃうなあ、ショックだなあ。くくっ、はっははははうかかかかかか」
「前々から疑ってはいたけど、確信できたのは岬ちゃんが『この時代にそんな法は無い』って言ったときだね。………それと、その笑い方気色悪いから止めた方がいいぜ」
「そおっかそっかそっかそっか、なるほど、うふふふふ、いやあ私としたことが失言をしてしまうだなんて。それを聞き逃さなかった加城さん、まるで名探偵のようですね。うっかりすると惚れてしまいそうになりますよ」
彼女の言葉が、もう嘘かどうかはわからない。そりゃそうだ、僕なんかよりもずっと上位の存在に、そんな一発芸が通じる訳無いだろう。
いや、まあ、おそらく嘘だとは思うけど。
岬ちゃんは、尚も饒舌に話し続ける。
「ええ、その通り。私は加城さんの思っている通り、あなたをこの世界に招いた張本人です。で、『僕を返せ』とは?」
「そのままの意味だ。だって僕は、
僕がそう言うと、岬ちゃんは驚いたように目を見張り、それから、また笑い出した。
「はっはっはっはっはっはっは!もうそこまで気がついているんですか!いや、あなたに選んで正解でしたよ!あなたを選んで大正解でしたよ!」
まだ僕が神になって間もない頃だ。『真実を照らす程度の能力』の実験として、僕自身のことを調べた。頭の中に、僕のひどくプライベートな個人情報が羅列される中、一つだけ、異様なものがあったのだ。
『偽物』
明らかにおかしいだろう。
何から見て『偽物』なのかはさっぱりわからなかったが、今よりも『僕』が劣化していなかった当時の僕は捻くれたことに、真っ先にスワンプマンを思いだした。
スワンプマンとは有名な思考実験の一つで、ある男が沼の近くで雷に打たれて死んでしまう。が、その時また雷が落ちて、沼の泥が不思議な化学反応を引き起こし、死んだ男と原子レベルで同じ構造の人物を生み出してしまうといったものだ。
この場合、そうして生み出されたスワンプマン(泥男)は、見かけも、知識も、記憶も、考え方も全く同一であるのだ。
「岬ちゃん、僕がきみの正体を探ろうとして能力を使っても、全くと言っていいほど、何もわからなかったんだ――――――まるで、疑ってくれと言っているようにね」
神様の能力を使ってでも知ることができなかったんだ。それはきっと、神様以上ということになるだろう。
「いや、それは単に偽装するのを忘れただけです」
やはり、どうにも締まらなかった。
「というか、正体を探れるような能力なんて持ってたんですか?私は『嘘をつく程度の能力』しかあげてませんけど」
「…………」
いや、仮にも転生させたのなら、娯楽目的だとしても第一話から最終話まで全部見ておけよ。喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。案の定、おいしくない。
「だから、本物の僕を返せ」
「……………………仕方がないですねえ、今回は私の負けです。いいでしょう、返します。このままあなたが唯のつまらない人に成り下がっても面白くないですしね」
やはり、僕のここらの調子の悪さは、偽物であるが故の劣化だったのだ。理屈はわからないけど、僕は「本物ではないから」という理由だけで壊れていた。
「そういえば、本物の僕を返してもらっても、記憶を失っているとかそういうことは無いよな?」
「それも面白そうですけど、やはり記憶はあった方が……ねえ?」
「そりゃそうだ」
「そりゃそうでしょう」
岬ちゃんは、笑った。
僕は、笑わなかった。
ええ、何か……僕もこんな展開になるなんて、思ってもいませんでしたとも。
前話を書いていたときは、岬ちゃんはただの胡散臭い助手のつもりだったんですけどね……。