東方虚真伝 作:空海鼠
滞在、一日目。
爽やかな朝日が降り注ぎ、小鳥が楽しげに歌う中、僕は。
「そう、これはまるで布団と僕に磁石がついているかのような…」
久しぶりの布団から、起きることができないでいた。
だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。客が主人よりくつろいでいるとは何事だ。
僕はそこまで礼儀を知らないわけではないのだ。
部屋の隅に置いておいた荷物から着替えを取り出し、五秒で着替える。生前は、家に少しでも長くいたくないから、自然と身についた、僕の数少ない特技の一つだ。
まあ、外に出たら出たでどちらにしろ嫌われ、暴力を振るわれることが多かったのだが、家にいるとリアルに死の危険がつきまとうので、別段自殺願望があるわけではなかった僕は自然と家にいる時間を短くした。
僕が交通事故などという、割と普通の死因で死ねたことは、案外、奇跡に近いのかもしれない。
「フーハァーハァー」
狂気のマッドサイエンティスト風に笑ってみた。
笑うしかないだろう、交通事故で死ねたのが奇跡だなんて。いや、むしろ死んだ後もこうして転生して生きてるのが奇跡だろう。
何か生前、いいことでもしただろうかと脳内を検索してみる。
少年検索中……
少年検索中……
あ、いじめにあっている後輩を助けたことあったっけか。
確かその時は、何らかの理由でいじめられている知り合いの女子生徒を発見して、浦島太郎風に『これこれ、いじめはやめなさい』と金を差し出したのは嘘だとしても、単に通りがかっていじめの矛先は僕へと向いたのを逃げずに受け入れたことは一応人助けの部類に入るのではないかと推測。
しかしその後、『善意も悪意も無いくせに、いじめから助けるなんていう偽善的な行動が気持ち悪いです』と言われてしまった。
せっかく助けたのに、まさしく踏んだり蹴ったりという言葉にふさわしいと懐かしの記憶を引きずり出す。嫌われていたころの切なひ思ひ出がぽろぽろとこぼれ落ち、着地に失敗してべちゃっとトマトみたいに潰れた。
で、それを見ていた神様っぽい人が、「おお、なんと心優しき人間よ。この者は死後、その姿を星にして飾ろう」とか思ったのだろう。嘘だけど。
「しかし、記憶が随分と劣化しているな…。あの後輩の名前、思い出せないや」
妖怪の記憶力というのも、存外頼りないものだ。いや、数億年経ったら妖怪の記憶力でも、普通忘れてるか。
「
どこか聞き覚えのある、起伏の少ない、平坦な声が聞こえた。
「お久しぶりです、せんぱい」
そこにいたのは、紛れもなく衛藤天音ご本人だった。
――――――というところで目が覚めた。まさかの夢オチだった。
「おおう」
もしこれが漫画か小説だったら、読者のふざけんなの大合唱がコンクールで優勝できるであろう。
もそもそと布団から起き上がり、伸びをする。ついでに自分の腕をつねって、これが現実でることを確認する。地味に痛い。
「しかし天音かあ……。すっかり忘れてたな」
忘れるほどキャラが薄かっただろうか、あいつ。むしろどちらかというとキャラが濃くて印象に残りやすいタイプだと思うんだけどな。
今度こそ部屋の隅にある荷物から着替えを引っ張り出し、五秒チャージを試みる。うむ、特技は夢でも現実でも健在だ。
荷物の中から鏡を取り出して、ナルシスト的なポーズをとってみるが、残念ながら鏡は顔しか映さなかった。大きなアホ毛がみょいんと立っている。左右にみょんみょん動いて、まるで生き物のようだ。
「えい」
潰してみた。
アホ毛はHPがゼロになったのか、それっきり起き上がってくることはなかった。主人に似て、根性のないアホ毛のようだった。特性はおそらくなまけ。
「さて、今日は何をしようか」
正直、都に来たはいいも何も決めていない。目的なしのいきあたりばったりなのだ。
そんなのだから天音にも『意味無し価値無し心無しの三拍子が揃っている』と言われてしまうのだろう。反省。
とりあえず、客間を出て、昨日の部屋へと行く。
廊下には、虫が数匹いた以外には何もなかった。飾り気のないシンプルな廊下というやつだろう。それが普通だけど。
廊下の隅でじたばたともがいている虫…、おそらく蛾だろう。それを拾い上げ、無意味に投げてみる。蛾は羽がちぎれているのか上手く飛べないようで、ひらひらとゆっくり降下していった。ふむ、僕の人生と類似している部分があるな。この後に踏みつぶされて死んで能力持って転生すれば完璧だ。地面に落ちた蛾は、またじたばたともがき始める。
生前、よく虫に例えられたからか、謎の親近感が湧いてきた。
そして、ぐちゅっと踏みつぶした。
「世の中には近親憎悪という言葉もあるのだ」別に憎悪してなかったけど。
しかし、反省したその直後に意味のない行動をするとは、僕にはやはり学習機能という高等なプログラムはインストールされていないのだろうか。是非機会があればダウンロードしたいところだ。
「あら、布瀬さんじゃありませんか」
その胡散臭さが口内でガス爆発をおこしてそれを発射したような声は、青娥さんじゃありませんか。
「おはよう、えーと…青娥、でよかったかな?」
無意味にうろ覚えのような演技をする。
「ええ、その通りですわ」
さすがにイグザクトリーとは言わないようだ。言うとも思っていなかったけど。
「すまないね、長く生きてるといろんなことを忘れるんだ」
「ちなみに何年ほど生きてるのかしら?」
「数億年ほど」本当だけど。
「まあ、それは凄いですね」
うふふふふふ、とこの後すぐにじゃんけんぽんをして手を振りそうな笑顔を浮かべる青娥。
ちなみに僕はチョキを出したけど、見事勝つことができただろうか。何にかは知らないけど。
「そうです、僕は凄いのです」主に頭のイカレ具合が。
「あら、是非その凄さをご教授願いたいですね」
「企業秘密ですので」
「残念」
うふふあはは。
中身のない空っぽの笑顔を貼り付ける青娥と、笑顔さえ浮かべない僕の違いはあまりないように思えるけれど、世間的には違うんだろうな。日常的なところでも、自分が劣っているところを、狂っているところを自覚させられる。
「この後、朝食が済んだら、貴方の仙人としての力を見せてくれませんか?」
「勿論。ただし、僕の仙術は独学だからね。きみの知っている仙術とは少し違うかもしれないね」
暗に「きみが疑っているのは知っているぞ」と言ってみる。
「あらあら、そうなのですか」
壁に無理矢理貼り付けたような笑顔を、全く崩さない。予想はしていたが、ボロは出さない、か。
「じゃあ、朝食をご馳走になろうか」
「ええ、そうですわね」
白々しいやり取りは、食欲に引っ張られて、終わりを強制宣告された。
物語が全く進行しません。