失意の中、1人の男が大森林の中を歩いていた。
生命力に満ち溢れる大森林も、今のこの男には灰がかかったように見えていることだろう。
小鳥のさえずる声もどこか悲しげに聞こえていることだろう。
大森林を歩いている男はグリームだ。
時計塔最上階での爆風に吹き飛ばされた彼は、そのまま姿をくらました。
師から託された2本のアサシンダガーを持ってウンバラを目指したのだ。
ウンバラはモロクから西へと向かい、パプチカ森を抜け、カララ沼を越え、さらにフムガ森を抜けた先にある。
大自然の中で暮らす原住民ウータン族が暮らす村がウンバラである。
そしてその大森林にそびえ立つ巨大な樹「ユグドラシル」。
この世界を支えているといわれるその巨大な樹を目印に、グリームはウンバラを目指す。
師の娘を探しに。
フムガ森に入ったところで「ウータンファイター」と「ウータンシューター」と呼ばれるモンスターがグリームを襲ってきた。
強靭な肉体と俊敏な動きでグリームを襲うも、森の番人の彼らがグリームの前に立っていられるのは数秒である。
心の中で黒く疼くものを抱えたグリームは襲いくるものが何であるかを認識することなく、ただただカタールを振って己に敵意を向けるものを殺していった。
フムガ森を抜ける頃には日が暮れ始めていた。
ただでさえ太陽の光りが生い茂る木に阻まれて薄暗いのに、日が暮れ始めればあっという間に大森林の中は暗くなっていく。
グリームがふと視線を上げれば、深緑色の葉の間から夕焼け色の空と雲が見えた。
刹那
ヒュン! とナイフがグリームの頬をかすめていく。
グリームが顔を動かさなければ、急所の眉間に突き刺さっていただろう。
ウータンシューターがナイフを投げてくることはない。
では誰か。
グリームの向けた視線の先には、奇妙な仮面を被った人が立っていた。
褐色の肌に白銀の髪をしたその人は、骨格から女性と思われる。
仮面を被っているので歳を推測することはできない。
奇妙な仮面と同じぐらい奇妙な服を着ていた。
大森林の草を編んで作ったようなその服はまさに原住民であるウータン族のものである。
グリームは自分に敵意がないことを示すために両手を挙げた。
「ウンバラのウータン族の方とお見受けした。
俺はグリーム。貴方達に害を成すことはありません。
故あってこの村に住んでいる恩人の娘さんを探しにやってきました。
どうか、」
グリームは最後まで喋ることが叶わなかった。
再びグリームの眉間に向かってナイフが飛ばされたのだ。
それを難なくかわしたグリームを見つめる仮面を被った女性。
近づくと幼い印象を受けた。
まだ10代ではないだろうか、とグリームは思う。
しかし目の前の女性から感じるオーラは戦士そのものである。
気を抜けばすぐにでもグリームを殺しにかかるだろう。
女性が短剣を両手に持つ。
二刀流だ。
その構えが、ごく自然に構えたその姿が、あまりにも師に似ていた。
グリームの気が一瞬だけそれた。
「ウガ!」
その声は女の子の声だった。
グリームの気が一瞬それたことを見逃さず、懐に潜り込んだ女の子の一閃はグリームを捉えたかに見えた。
しかし、女の子が斬ったのはグリームの残像だけ。
一瞬で背後を取られて首にカタールを向けられている。
「いい動きだ……誰に習ったんだ?」
半ば答えを分かりながら、グリームは女の子に問うた。
「ウガ! ウガ!」
女の子は首にカタールを向けられているのも構わず、短剣を逆手に持つとグリームに向かって突き刺した。
「勇気と無謀は違うぞ?」
「ウガ! ウガ! ウガガ!!」
女の子は疾風の如くグリームに向かって連続で攻撃を続ける。
その動きの1つ1つがグリームには輝いて見えた。
神に愛された天賦の才。
今はまだ荒削りで未熟だが、この女の子が自分をあっという間に超えていくことは想像に難くない。
「それは悪手だな!」
グリームが軽くカタールを女の子の腹に打ち込む。
女の子はHPに守られながらも、木の根元まで吹き飛ぶ。
「立て。相手してやるよ」
「ウウ……ウガガアア!」
グリームは片手を女の子に向けてクイクイっと挑発的に動かす。
その意図は伝わったのか、女の子が怒りの声と共にグリームに向かってきた。
「動きが雑だな! もっと集中しろ!」
「ウガ! ウガ!」
暮れ始めていた日が落ちて大森林が暗闇に包まれても、グリームと女の子が打ち合う音は響き続けた。
「今日はここまでだな」
グリームが女の子の腹に思いっきり蹴りを入れると、宙を3回転ほど舞いながら吹き飛んだ。
間合いが離れたところでグリームは戦闘態勢を解く。
女の子に背を向けて、野営を張れそうな場所を考えた。
ここに来るまでに綺麗な泉がある場所を思い出し、そこで野営をしようと考えたのだ。
「ウ……ウガガ!」
しかし、女の子にグリームの意思は伝わらない。
己に背を向けた獲物に斬りかかった。
「終わりだといったんだよ」
女の子の一撃を見ることもなくかわしたグリームは、その奇妙な仮面に拳を一発入れた。
HPが残っていたのか、0だったのか分からない。
グリームの拳の一撃は女の子の奇妙な仮面を半分に割った。
割れた仮面の奥から現れたのは、やはり10代の女の子の素顔だった。
美しい蒼い瞳が暗闇の中でも輝いているように見えた。
顔は師にあまり似ていないな、きっとお母さん似なのだろうとグリームは考えたところで、女の子なんだから師に似なくて良かったと少しばかり師に失礼なことも考えてしまった。
「俺はここで野営する。また明日、日が昇ったからこい。相手してやる」
「ウガガ……」
「ま、四六時中俺を狙うってなら別にいいぜ。構わないよ」
グリームはおそらく師の娘であろう女の子を放っておいて、己の食事の準備を始める。
アイテムボックスの中に持ってきた調理道具を取り出し、大森林の中に落ちている木の枝で火を起こすと、鍋に水を入れてスープを作り始めた。
グリームの料理の技術は飛躍的に向上している。
なぜなら、師がダンジョンなどに籠る時に美味しい料理が食べたいとグリームに駄々をこねたからである。
そのせいで、グリームは戦いに使うこともない調理道具や食料、調味料を常にアイテムボックスの中に入れておくようになった。
包丁さばきも慣れたものである。
しばらくすると鍋から良い匂いが漂い始める。
空腹を刺激するその匂いは、大森林の生活では嗅ぐことのない圧倒的な「旨味の匂い」となって娘を襲った。
「ウ……ウガ……ウガ……」
割れた仮面を捨て完全に素顔を晒す娘の口からは、だらしなく涎が垂れている。
グリームはこの瞬間、この女の子は間違いなく師の娘だと確信した。
「食うか?」
師が使っていた皿にスープと具を入れて、師が使っていたスプーンと一緒に娘の前に差し出した。
「ウガ!」
さっきまで殺そうとしていた相手から施しを受けても、何の疑いもなしに娘はグリームの料理を食べ始めた。
料理を貪るように食べるその姿は女の子というより、野生動物そのものであった。
「ウガ!」
グリームの前に皿を突き出す娘。
当然のようにおかわりを要求してきたのである。
「お、おぅ」
なぜか娘のペースに乗せられておかわりまで上げてしまうグリームであった。
それから奇妙な2人の生活が始まった。
グリームが寝ている間こそ襲うことはなかったものの、それ以外の時は娘が常に全力でグリームを殺しにかかる。
訂正。
グリームが寝ている間と、グリームと食事をする間は襲うことはなかったである。
とにかく、2人は戦い続けた。
ただひたすら戦い続けた。
グリームも全力で娘を叩きのめした。
娘がちょっとでも甘い動きや隙を見せれば容赦なくカタールを打ち込んでいった。
娘のHPはとっくに0となっている。
ウンバラにプリーストがいるのか分からないが、娘はHPが無くなった後もひたすらグリームと戦い続けた。
その身体のあちこちは傷だらけである。むろんグリームは手加減しているのだが。
ここが世界樹ユグドラシルの近くであるなら、ユグドラシルの葉が取れるはずだ。
おそらくウンバラの人達はHP0となった時にはユグドラシルの葉で神なる加護を復活させるのだろう。
だが娘のHPは復活しない。
なぜならグリームと戦い始めて娘は一度もウンバラに戻っていないのだ。
グリームのテントに入って一緒に寝ているわけではない。
そのテントの近くの木の枝の上で寝ているのだ。
獲物がいつ逃げ出すかもしれないと、まるで見張っているかのように。
グリームが食事を作り終えた後に、近くの泉で水浴びをしていた時だ。
娘がやってきた。
食事が終われば眠るまで戦いの時間だ。
この娘に水浴びという概念が存在するのかちょっと疑わしいと思ったグリームだが、己の身体がちょっと臭くなってきたので今日は水浴びすると決めていたのだ。
「お前は水浴びしないのか?」
「ウガ?」
布を泉で濡らして腕を拭く仕草を見せる。
こうしてお前は身体を洗わないのか? と聞いているのだ。
「ウガ!」
娘は突然泉の中に飛び込んだ。
「ええ!?」
泉の中から顔を出して気持ちよさそうに泳ぐ娘。
「ま~いいけど……泉が汚くならないか?」
グリームは知ることのないことだが、この泉はユグドラシルの持つ浄化の力で常に綺麗な水を保っているのである。
どんなに汚い身体で泳ごうと関係ないのだ。
身体を拭き終えたグリームは先に野営地に戻った。
その後を追うように娘が泉から泳ぎ終えて戻ってきたのだが、ウータン族の衣装を脱いで裸で戻ってきたのである。
下着、という概念は存在しないのだろう。真っ裸である。
泉で濡れたその衣装をバタバタと水を切るように振ると、適当な木の枝に干した。
目のやり場に困ったのはグリームである。
すぐに大きめの布を取り出して、娘に放り投げた。
「それで身体を拭いてその布巻いておけ」
言葉が通じているのか分からないが、投げられた布の感触を気に入ったのか、娘は布を頬に擦りつけて喜んでいる。
グリームは焚き火が弱くなっていたので視線を焚き火へと移した。
その瞬間である。
ビリビリビリビリ!
何かを破く音。
見ると娘が布を破いて、胸巻きと腰巻きにしていたのである。
確かに巻いておけとは言ったが、こう露出の高い巻かれ方をされるとまた目のやり場に困る。
破かなかったとしても、女が布1枚だけ巻いているなら同じか、とも思うグリームであった。
ここで戦い続けてどれだけの時を過ごしただろうか。
アイテムボックスの中に入れてあった食料はとっくに無くなっている。
大森林の中で獲れる獲物と果実を食べて過ごす日々が続いていた。
調味料が切れたことで、娘がグリームの食事にやや不満の顔を見せるようになったがグリームは気にしないことにした。
そうして戦い続け、グリームはついに決心する。
これなら大丈夫だろうと。
自分が去っても娘は強く生きていけるだけの技術を身に付けたと判断したのだ。
しかしグリームは気付いていない。
娘と戦い続けた中で、灰のかかった景色は色彩を取り戻し、黒く疼く復讐心に身を焦がしていた自分こそが救われていったことに。
復讐を忘れたわけではない。
ガイルだけは己の手で殺すと強く誓った心はそのままに、しかし人としての生命の輝きを失いかけていたグリームに再び輝きを取り戻させたのは娘であった。
その日はまだ日が高く昇っていた。
娘の攻撃をギリギリでかわしたグリームは、娘の両手を掴む。
今まで見せたことないグリームの行動に一瞬困惑の表情を見せる娘。
グリームは真っ直ぐ娘の瞳を見つめて言った。
「ウンバラで君のお母さんに会わせて欲しい。
伝えなくてはいけないことがある」
グリームの言葉を聞いた娘は両手から力を抜く。
そしてゆっくりと頷くと背を向けてウンバラに向かって歩き始めた。
ウンバラの中に入ったグリーム達だが、すぐに他のウータン族の村人達が集まってきた。
そしてウガウガと何やら娘と言い争いを始めてしまったのだ。
言葉の分からないグリームには何を言い争いしているのか分からない。
そこに衣装から族長か何か偉い人だと分かる者がやってくる。
「旅人よ。ウンバラに何のために来られた?」
人族語を解する者のようだ。
「この娘のお母様に会いにきた。
故あって恩人の願いを叶えるためにやってきました」
「この娘の……ウガガ! ウンガウンガ!」
その者が叫ぶとグリーム達を取り囲んでいた村人達が散っていく。
そしてその者に先導されながら一軒の家に向かっていった。
質素な家の中には、1人の女性がいた。
年老いても美人だと分かるその顔は、娘とそっくりであった。
やはりお母さん似だったのか、とグリームは納得した。
「カーラ。君に客人だ」
「あら? 私に?」
カーラと呼ばれたその女性はグリームを見つめた。
娘はカーラに駆け寄ると隣に立っている。
「初めまして。俺はグリームといいます。……これを」
グリームは名乗った後に両膝を床につくと、両手で2本のアサシンダガーをカーラの前に示した。
それを見た瞬間、カーラにはそれが何なのか分かった。
「あの人は……」
グリームは無言で首を横に振った。
「そう……貴方はあの人の」
「はい。不肖ながら弟子でございます」
「あの人が弟子を取るなんて……あの人は笑顔で逝けた?」
「くっ! ……師は、師は!」
なんと伝えるべきか。
ウンバラに辿り着くその時まで散々頭の中で考えるも、どんなに考えても伝えるべき言葉が思い浮かばなかった。
体内で毒が爆発し、その肉体すら溶けてしまった師。
その光景を思い出す度に目から涙が止まらない。
今もカーラに伝えるべき言葉を探しながら、グリームの目から涙が溢れ出していた。
「いいのよ。無理をしないで。伝えにきてくれてありがとう。
どうしようもない馬鹿な人だったけど、最後に貴方の様な優しい弟子に恵まれて、きっとあの人は幸せだったわ。
あの人がどんな最後だったとしてもね」
カーラは娘の髪を優しく撫でる。
「それでグリームさんはこれからどうするの?」
「……倒すべき相手がいます。そいつを探しにいきます」
「あの人の復讐?」
「はい。師の復讐でもあり、そして世界を救うことでもあります」
「そう……なら止めることはできないわね。
でも1つお願いがあるの。この子を連れていってくれないかしら?」
カーラは愛娘の頭を撫でながら、
「ウガガ、ウンガウンモウンガ」
「ウガ……ウガガ!」
「この子も行くと言っているわ」
「ですが……」
向かう先には修羅が待っている。
今の自分では敵う相手ではない。
これから死を覚悟した修行をするつもりでいるのだ。
その過程で命を落とすことだってある。
「ウガガ! ウンガウガガンガ!」
「あら? この子ったらグリームさんのご飯が美味しいから絶対について行くと言っているわ。またあの美味しいスープを作って欲しいですって」
「え? ご飯……ですか」
「グリームさんはお料理上手なんですね。
この子、言葉は喋れませんが、ある程度の人族語は理解できます。
できれば旅の道中で人族語も教えて頂けると嬉しいですわ」
「は、はぁ……」
「すぐに旅の準備をしないといけないわね。
それにあれを出さないといけないわ」
カーラが家の倉庫から持ってきたのは、アサシンの防具一式であった。
それは娘の祖父でかつて最強と言われたアサシンが使っていた防具である。
「これはおじいちゃんが使っていた防具よ。
貴方が旅立つ時に着せてやってくれって預かっていたの」
アサシンの衣装を身に纏った娘は嬉しそうに己の姿を見る。
くるくると回転するその姿は10代の女の子である。
「そしてグリームさんが持っているアサシンダガーも、おじいちゃんが使い、お父さんが使った短剣よ。大事に使いなさい」
グリームは2本のアサシンダガーを娘に渡した。
2本のアサシンダガーは持ち主に戻った嬉しさで輝いているように見えた。
グリームはまだ連れて行くとは言っていないのだが、どんどん話は進んでいってしまう。
そして気がつけば旅の準備は全て整ってしまった。
「今日は家に泊っていってください。
出発は明日にしましょう。そうしましょう」
意外に強引なカーラに押されてグリームはただ頷くだけだ。
2人の旅が始まる。
第4章はこれで終わりです。
活動報告にも書きましたが、インフルエンザにかかってしまい、おかげで仕事が大変なことになっています。
第5章の再開時期は未定とさせて頂きます。