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とあるアサシンの物語、楽しんで頂ければ幸いです。
「はぁはぁ……はぁはぁ……」
地下水路が流れる湿った道を、男はひたすら逃げていた。
手持ちのハエの羽が徐々に減っていけば、安易にワープすることをやめて、しぶとく逃げ回る。
いま、彼を追っているのは泥で作られた巨大な手のモンスター「スティング」である。
スティングの動きは鈍いものの、その攻撃速度は凄まじい。
彼がその攻撃全てを回避することは難しいだろう。
しかも、彼を狙っているのはスティングだけではない。
素早く動く凶悪な鼠のクランプが突然襲ってくる。また遠くから弓を射てくるガーゴイルの存在も厄介だ。
「はぁはぁ……はぁはぁ……くそっ! 師に地図をもらってくるんだった!」
グラストヘイムに向かう前に彼はプロンテラの冒険者ギルドに寄り、グラストヘイムの最下層へ行くための地図を求めた。
しかし、地図は地下水路2階までしかなかったのだ。その先に向かう者がほとんどいないためである。
中には地下水路、さらにはその先の最下層まで足を運ぶ冒険者もいるが、丁寧に地図を作成してくれるとは限らないのだ。
現在、彼は地下水路3階にいる。
地下水路2階でワニ型モンスター「アノリアン」から逃げ回り何とか辿り着いた先に待っていたのが、スティング、クランプ、ガーゴイル。
お得意のハイディングとクローキングで隠れて逃げようにも、悪魔型モンスターであるガーゴイルはハイディング見破りの特性を持っているため見つかってしまう。
地下水路4階へのワープポイントの前にワープしないかと祈りながら、何度かハエの羽を使ってみるものの、そんな幸運な奇跡が彼に訪れることはなかった。
グラストヘイムに入ってからすでに何時間、何十時間経過しているのか分からない。
睡魔に負けて安全と思われる場所で仮眠を何度か取ったが、いつモンスターが襲ってくるかもしれない恐怖から熟睡できるはずもなく、浅い眠りを何度も貪るだけだ。
幸いにも、仮眠を取っている間にモンスターに襲われたことは一度もない。
起きる度に頭は気怠くなるばかりだが、モンスターを見れば死の恐怖から意識は一気に覚醒するようになった。
このままではジリ貧だな、と彼は思う。いずれアイテムが底を尽けば蝶の羽で戻らざるを得ない。
もともと師の無茶な言葉から始まったグラストヘイム最下層への旅だ。達成できずにモロクに戻ったとしても師に笑われるだけで済む。
しかしあの酔っ払いのだめだめ師に負けるのは嫌だし、師の期待に応えられず失望されるのはもっと嫌だった。
故に、彼は目指す。グラストヘイムの最下層へと。
「クランプ、ガーゴイルは何とかなるけどスティングがマジでやばいわ。あれはやばいわ。
移動速度はあんだけ鈍いのに、攻撃速度のあの速さは何なんだ。
くそっ……もっと俺に攻撃力があれば!」
彼はスティングの攻撃をまったく避けられないわけではない。1対1の状況であればスティングの攻撃の8~9割ほど避け続け反撃することも可能だ。
しかし殲滅までの時間がかかり過ぎると、他のモンスターが集まってきてしまう。
スティングの攻撃に意識を向けながら、他のモンスターの攻撃を避けることは不可能なのだ。
彼は両手に装備されたカタールを見る。
アサシンの天職を得た時に買ったスロットの無いただのカタール。
一度の精錬もしていない無強化である。
この装備ではスティングを倒すのに時間がかかってしまうのも仕方がないことだろう。
こつこつと貯めた資金で武器を更新しようと思っていたが、その資金は師の酒代となり泡となって消えていった。
疲れて湿った壁に寄りかかり、そのことを思い出した彼は急激に師が恨めしく思えてきた。
せめて武器を更新できていれば! 言い訳ではなく本心からそう思うのである。
アサシンになった彼に二刀流の才能はなかった。
二刀流を使った時、右手と左手の攻撃力が極端に落ちる者がいる。正確にはアサシンの天職を得た者はみな最初そうなのだが、ジョブレベルが上がることで徐々に両手の攻撃力が戻ってくる感触を得られるようになる。
そうして二刀流を扱えるようになる者もいれば、カタールの才能に目覚める者もいる。
彼は後者であった。
カタールの攻撃力もジョブレベルが上がることで増していくことがあり、彼はそれを感じることができた。
またカタール専用スキル「ソニックブロー」を得られたことからも、彼がカタールの才能を持ったアサシンであることが分かる。
そこで彼はふと思った。
そういえば、師はどっちなんだ?
師とパーティーを組んで2ヵ月。一緒に戦いはしたが、師はいつも逃げているだけだったので、師が戦う姿なんて見たことがないのだ。
いや、何度か見たことある気がするも、その時、師が何を持っていたのか意識して見たことがなかった。
「師……ちゃんと布団かぶって寝てるかな。風邪引いてないかな」
子供を心配するように、師を心配する彼の顔には恨めしいなどという感情はなく、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
カラン
通路の先の曲り角に石が突然落ちてくる。
その音に反応すると、曲り角からどろどろとした泥の巨大な手が現れる。
スティングだ。
後ろから続くモンスターはいない。1匹なら相手することもできるが、やはり問題は殲滅速度だろう。
戦っている間に他のモンスターがくれば、またハエの羽を消耗することになる。
それなら戦わずして逃げるが得策、という思考回路が出来上がってしまっている。
スティングの移動速度は鈍いため、逃げるだけなら簡単だ。
逃げている間にクランプが襲ってこようが、スティングの感知範囲外まで一気に逃げて倒せばよい。あまりに数が増えてしまうと結局はハエの羽に頼ることになってしまうが。
厄介なガーゴイルに遭遇するのがもっとも嫌なことだ。
ヒュゥゥゥン!
風を切るような音と共に彼の姿がスティングの視界から消える。
隠蔽スキル「ハイディング」によって姿を隠したのだ。
のそのそと、どろどろと動く巨大な手が彼の前を通り過ぎていく。
彼のハイディングのレベルは10。およそ5分間姿を隠すことができる。
最高レベルのハイディングとはいえ、出来れば早く通り過ぎて欲しい。こんな時は普段逃げる時にはありがたいスティングの移動速度の遅さが恨めしい。
スティングが通り過ぎるのを待つだけで暇だった彼はアイテムボックスをぼ~っと見ている。
アイテムボックスの中の「消費」の中にあるアイテムを眺めれば、ここまで来るのに消費したアイテムの数を自然と頭の中でゼニーに換算してしまう。
逃げてばかりの今回はもちろん大赤字である。
暇だったので、何となく「装備」の中を見てみた。
別に大した装備は入っていない。切り替え用の装備などないのだから。
「……ぇ?」
驚きのあまり思わず声が漏れてしまった。
ハイディング中であっても声を発することはできる。
声を発したところでスキルが解除されることはないのだが、当然居場所がばれることになる。
スティングの足……といっても足はないのだが、どろどろと蠢く泥が止まる。
幸いにもスティングの知能はそれほど高くない。しばらく静止した後、またどろどろした泥を蠢かしながら動き始める。
スティングの背中……といっても背中はないのだが、その姿が遠くに消えていったのを見届けて、彼はハイディングを解いた。
「ふぅ、俺としたことが。それにしても、これは……」
アイテムボックスの装備の中にあったそれを彼は取り出す。
手の中に現れた武器はカタールだ。
カードを刺そうと、精錬しようと、武器の見た目が大きく変わることはない。
しかし、手に持つカタールはまるで輝いているように見えた。
カタールのスロットは12、精錬値は+10。
刺されていたカードは、
ソルジャースケルトン×4、効果はクリティカル(大)
セドラ×4、効果はクリティカルダメージ(大)
この2つのカードが4枚刺しでも卒倒するほどの驚きなのだが、さらに続いて刺されているカードを見ると、この2つのカードの存在が霞んでしまう。
ドレイク、効果は全てのサイズの敵へ最大ダメージ。
ドッペルゲンガー、効果は常時攻撃速度増加。
バフォメット、効果は攻撃が全範囲の範囲攻撃となる。
3枚のボスカードが刺されていたのだ。
どれも1枚だけで一生遊んで過ごせるぐらいの大金が手に入る貴重なカードである。
それが3枚。
最後に残されたスロットにはまだカードが刺さっていない。
刺す必要がなかったのか、それとも何かのカードを刺す予定も、そのカードを入手できずこのカタールは未完成のままなのか。
彼がどれほど考えてもその答えが分かるはずもない。
どうしてこんな武器が自分のアイテムボックスの中に入っているのか。
彼に思い当たる節は1つしかない。
師だ。
全てのアイテムを没収されてアサシンギルドまで往復マラソンさせられた時、戻った自分に師はゼニー以外のアイテムを返してきた。
あの時はゼニーを返してくれないことに気が向いて、戻してもらったアイテムを取引ウィンドウで確認することなんてしなかった。
自分が武器更新のために貯めたお金を酒代に使われたことに激怒し、さらにはグラストヘイム行きを宣言されてパニックになっていたのだ。
あの時だろう。それしか考えられない。
戻すアイテムの中にこのカタールを忍び込ませたのだ。
カタールを眺める目に薄らと涙が溜まる。
まったく本当にどうしようもない師だ、と呟きながらも、頬に流れる涙を止めることはできなかった。
装備ウィンドウを呼び出し、師のカタールを装備する。
両手に現れた新たなカタール。なぜかずっと使っていた以前のカタールよりもこっちの方がしっくりとくる。まるで長年連れ添った相棒のようだと。
「待てよ……まさか!」
彼は急いでアイテムボックスの装備の中を探した。
まさか、と思った彼の予想は当たっていた。
「防具もかよ……」
見知らぬ防具がアイテムボックスの中に紛れ込んでいた。
どれもスロット2以上の防具であり、鎧のシーフクロースに至ってはスロット4だ。
ウィスパーカードのモッキンを始め、どれもアサシンにとって有用なカードばかり刺さっている。
この装備一式で一体どれだけの財産になることか。
「酒代……にしては高すぎませんか、師よ」
今が朝なのか夜なのか分からないが、きっとモロクで酒を飲んでお腹を出して寝ている師を思い浮べながら、彼はありがたくその装備を借りた。
そう借りるだけ。これは自分で集めたものではない。これによって得られる強さは自分の強さではないのだ。
酒代として消えたゼニーでは到底借りることの出来ない装備だが、今はこの装備を使わせてもらう。
防具もカタール同様、自分の身にしっくりとくる。
全て装備すると、自分が自分でないような不思議な感覚に包まれる。
安心という言葉よりかは、高揚感という言葉が合っているだろう。
高ぶる気持ちに任せて、彼はさきほどやり過ごしたスティングの後を追った。
すぐに追いついた。泥の巨大な手は一定距離まで近づくと、くるりとこちらに向き直る。自分を感知し迫ってくる巨大な手が、さっきまではひどく威圧的に思えたのに今はまったく怖くない。
ぐっと右足に力を込めて、彼は一気に駆けだした。
「うおおおおおおお!」
地下水路で叫べば声が響き渡ってしまう。なのに彼は声を出さずにいられなかった。
いや彼が叫ばずとも、スティングを切り刻むカタールの打撃音が響き、結局は地下水路の中に己の位置を知らせることになったのかもしれない。
さきほどまでとはまったく違う打撃音に乗せて、彼の手に残る強烈な手応えの感触が、さらに彼の心を高ぶらせていった。
スティングを倒すまでの時間は、装備を変える前の半分を通り越し、4分の1ほどまで短縮された。
彼は、ただの泥となり光の粒子となって消えていくスティングを満足そうに見つめていた。
これならいける。全範囲攻撃までついているのだ。ある程度囲まれても強引に倒すことだってできる。
高まる気持ちを抑えられず、彼は歩き出す。
それは地下水路4階への道を探しているのか、それとも倒すべきモンスターを探しているのか。
手に残る熱い感触が冷めないうちに次のモンスターと戦いたい。彼の目がそう語っている。
しかしすぐに彼は己の未熟さに気付くことになる。
「うおらああああ! おらおらおら!」
全範囲に巻き起こるクリティカルダメージが、彼を包囲するモンスターに炸裂していく。
彼が切り刻んでいるのは前方のスティングのみ。
しかし、その攻撃は見えない刃となり360度に向かって放たれていく。
スティング2匹とクランプ2匹が彼を囲んでいるが、クランプが1匹、2匹と光の粒子となって消えていく。
新たな装備によってさらなる俊敏と回避の加護を手に入れ、彼の狩りは徐々に強引なものへと変わっていった。
最初は2匹、次第に3匹、いまは4匹に囲まれても強引に倒すという選択を取っている。
スティング3匹はさすがに避けきれないが、2匹までならかなり避けれるようになっているのだ。 クランプの攻撃は加護の回避頼みで無視している。
スティングを攻撃していれば、いずれクランプは倒れていくのだから。
そんな装備頼りの狩りを続けていけば、響き渡る音に次々とモンスターが群がってくる。
彼の殲滅速度が集まってくるモンスターの速度を越えているため、今のところ大きな問題にはなっていなかった。
しかし、この地下水路3階でもっとも知能が高いモンスター達が集合していることに彼は気付けていない。
ガーゴイル
悪魔型の遠距離攻撃モンスターであるガーゴイルが10匹、角を曲がった先で待機しているのだ。 近づく音の主が現れるのを、弓を引いて待っている。
そんなことは知らない彼が、その角を曲がった。
放たれた矢の数は10。待ち伏せされての攻撃に彼の反応は遅れた。
恐らくほとんどが直撃の軌道を描いていたはずである。
加護の回避でどれだけ回避できたのかは、実際に当たってみないと分からないのだが、下手をすれば全ての攻撃を受けていたかもしれない。
しかし。
彼の身体に届いた矢は一本もなかった。
全ての矢が突然地に落ちたのだ。
理由も分からないまま、彼は全速で駆け出す。
一気にガーゴイルとの間合いを詰めると、一心不乱にカタールを振り回した。
全範囲に広がる怒涛の攻撃が、ガーゴイル達の身体を切り刻んでいく。
彼はいくつかの矢を受けたものの、大したダメージではなかった。
それよりも、なぜ突然矢が地に落ちたのかが気になった。
ガーゴイルは全て倒してしまったので、放たれた矢も光の粒子となって消えてしまっているだろう。
それでも矢が落ちた辺りを見ると……。
「石?」
地下水路の水が流れる湿った道に、小石がいくつも落ちていた。
いくつも落ちている小石を数えれば、その数は10。
放たれた矢と同じ数だったのだ。
まさか崩れた天井の小石が10個で、それがたまたま放たれた矢を全て落してくれたわけではないだろう。
誰かがこの小石で矢を打ち落としてくれたと考えるしかない。
しかしいったい誰が?
神力範囲外で狩りを行う冒険者の可能性はある。地下水路、さらには最下層まで進める冒険者はいるのだ。しかしその姿を確認できないのはなぜだ? 石で矢を落とした直後にハエの羽を使った? でも姿を隠す理由はないはずだ。
転がる小石を見て、彼の頭は急激に冷めていった。
新たな装備の力に興奮し己を見失っていたことに気付いたのだ。
「馬鹿か俺は……自分で得た装備でもないくせに」
装備する時に、師から借りた装備だと自分で自分に言っておきながら、結局はその力に興奮し魅入ってしまった未熟な自分を恥じた。
さっきまでの自分はまるで邪念の塊であり、師が言っていた「明鏡止水」の境地からもっとも遠い状態だった。
装備の性能を引出し使いこなすべき使用者が、邪念によって装備に振り回されていたのだ。
彼は澄み切った水のように心を落ち着かせる。
そして本来の目的を思い出す。
自分はこの地下水路に遊びにきたわけじゃない。この先に進み、最下層に辿り着き、そして「ごっついミノタウロス」のカードを手に入れるのだ。
「地下へのワープポイントを……探すか」
再び歩き始めた彼の目は静かに燃えていた。
流れる地下水路の水に姿無き足跡が続き、それが地下4階へとたどり着くまで、それほど時間はかからなかった。