この学校には割とサッカーファンが多い。
それは神奈川でも指折りの強豪校だからというのが挙げられるが、それ以上に葉蔭学院という学校は進学校以外にはサッカーでしか名前が売れていないからというのが理由の一つでもある。結局は、学校を挙げて話題にすることと言えば、勝ち進むことになるサッカーの話しになるのは当然のことであり、それは現在在籍している高校生全てが全国大会という場に行った実績を持っている者たちを二年生、三年生と同級生か先輩として有しているのだから当たり前かもしれない。
その話題の中心となるのは、勿論皇帝と呼ばれる飛鳥享に、一条真守というまるで将来が約束されているかのような葉蔭の顔とも呼ぶべき二枚看板。たかが高校の練習に彼らを求めてやってくるプロチームのスカウトマンも珍しくは無く、その二人が個別に応接室に呼び出されるのは、大概決まって契約の話しだ。
飛鳥享という皇帝とまで呼ばれる男は、もう既に横浜と契約の話しが上がっているという噂で一時期校内が持ちきりとなったらしいが、それ以降スカウトマンの数が減ったという事実があればこそ、その裏付けともなっている。何しろ、彼が中高一貫校である葉蔭学院に入る前には、横浜のジュニアユースで活躍していた選手であり、ユースの昇格を蹴って高校の部活でやる事を決意したというのは、葉蔭生ならばだれしもが知っている話しだ。
その逆に、一条真守という男にはスカウトの話しが尽き無い。日本のプロチームを始めとして、海外のクラブチームからも契約の話しが来ていて、色々と優遇条件を付けてもらっても一向に首を縦に振らない彼には何かしらの思惑があるのだ、とうわさを流す様な人物は皆がそう予想している。どれだけ契約金を積まれても、どれだけの年棒を提示されても、そしてどれだけ名前の知られているチームであろうとも契約しない彼は、まるでプロとして戦う事を拒否しているかのようだとも陰口のように叩かれる事もある。
それは仕方ない事だ。成功する人間はほんの一握りであり、多くの人間は負ける、或いは失敗する、上手くいかないという事を人生の常々で経験することになるのだから。
だからつまり、何が言いたいのかと言えば、葉蔭生はプロサッカー選手の事情にも詳しいのだという事だ。それは男女を問わず――というよりも日本サッカー界の現状から考えればむしろ女子サッカーの方が話題としては上る頻度が高い。何しろ、なでしこジャパンという名称に恥じないほどに召集されるメンバーには美女が多いというのも一つの売り要素となっているのは否定しきれない事実だ。
なでしこ指折りの美女、エースストライカーの一色妙子。ファッション誌のモデル経験もある様なナイスバディという既に死語となりつつあるようなそれを再び流行語として再発させる勢いすらある、代表不動のDFの中江美奈。そして一時期昔の女子バレーボールが世界的に強かった事をもじって、彼女自身の容姿とそのテクニックで異名を取っている“小さな魔女(リトル・ウィッチィ)”美島奈々。一番最近に加入した、カポエイラをサッカーに取り入れるというまるでブラジルサッカーのような事をしでかす群咲舞衣。後者2人は、現役の女子高生という事もあってメディアの注目度も高く、アイドル級が加入したと話題を呼んでいるのは記憶に新しい。
「おい、アレなでしこの中江美奈じゃね？」
「え、うそ、マジで？ 俺大ファンなんだけど！」
「つか、ウチの学校に来てるってことは誰かに用事あるって事だよな……誰だ？」
「そりゃお前、飛鳥先輩か一条だろ」
「……あの二人男だろ？ 何でなでしこの人が来るんだよ」
「……確かにそうだな」
つまり、その内の一人が高校の敷地内に入るというだけで目立つのである。
こんな噂が立っているという事を確認した時点で、冷や汗をかき始めたのが一人。言わずもがな、先刻の噂でも話題に上がっていた内の一人である。まるで生徒の下校時刻を見計らっていたかのようなタイミングで現れた彼女は、一つしかない校門のところで立っていた為に余計に目立つ。
それだけ生徒に名前が知られている人物という事もあり、警備の人間も教師も、彼女にここの生徒に用事があると言われては不審者がいると言って追い出すことも出来ない。相手は女子サッカーの代表選手であり、誰しも名前を知っている様な人物相手に不審者という言葉が罷り通る筈は無い。
「真守、一応聞いておくが顔色が途端に悪くなったのは噂のせいか？」
「い、いや？ 決してそんな事はない。断じて違う」
「真守君、さっきからケータイ鳴ってるよ？ とらなくていいの？」
「落ち着け陽香。いたずら電話かもしれない」
「いや、普通に名前表示で中江美奈って書いてあるんだけど」
「ば、バカ野郎、春樹。それはただの見間違いだ！」
「……ねぇ、どうでもいいのだけれど、私の席に集まって話しをするのはやめてくれるかしら？」
意地の悪い顔をしているのは二名。間違いなく内一名は鏡を見たら同じ動作をしている筈で、もう一名は既に顔がにやけていて、先ほどから早く電話を取れと催促している。
そして一人は自分の机に皆が集合した事を迷惑そうにして、眉間にしわを寄せている。彼女についてはいつも通りなので割愛。
最後の一人、冷や汗を書いている奴の恋人である彼女は健気に心配している。まるでこの状況が分かっているのか分かってないのか。真守の様子を見る限りでは分かっていないと断定する方が合っている確率は高そうだ。
そして意を決したように深呼吸してから真守が自分のケータイをボタン操作し始める。それをワクワクと見つめる残り二人の男が望んでいるのは、間違いなく修羅場なのだが、健気に心配しているちっこい女の子は分かっているのだろうか。
「……はい、俺です。……はい……すいません。い、いえ！ 決してそんな事は！ あ、あの……今日はこれから用事が……な、何でもないです！ すぐに準備して向かいますので！ え？ 2人も連れて行くんですか？ ……あ、はい、了解しました。失礼します」
と、電話に出ていた彼の口調から察するべきなのは何なのだろうか。
こんな時こそIQの高い天才少女の出番だとばかりに見ようとしたら、どうやら真守の電話に気を取られていた隙に帰る支度をして教室から出ていたらしい。
そして、天才少女に聞かずとも答えはすぐに真守の口から飛び出てくる。
「春樹、俺ら三人とも御呼び出しがかかったから部活には出れないって監督に言っておいてくれ」
「りょーかい♪ また後で面白い話し聞かせてねー」
いやいや、待て待て。
春樹君や、それで部活に行こうとするのですか。
と、声を駆ける暇すら見つからずに葉蔭の誇る俊足MFはいなくなる。ぽかんとしているのは当然俺と小動物の二人だけ。思わず彼女の方を見て見れば、何も分かっていない様子で小首を傾げているので一瞬可愛いと思ってしまった自分を殴ってやりたい。
いや、何でか分からないけど。
「え？ 何で俺がなでしこジャパンに呼び出されるの？ 俺の事知らない筈だろ？」
「は？ 何言ってるんだ輝。中江さんだって」
「……いや、なでしこの中江美奈だろ？ 接点無いと思うんだが」
「ほら、青葉JFCで一緒だった6年生のDF」
ほう、ふむ。
小学校で在籍したサッカーチームなど1つしかないから鮮明に覚えている。
中江という名前の選手も確かに居た。6年生で、DFだった事も記憶にある。加えて言えば、自主練習に付き合ってくれたのも付き合わされたのも中江さんと若森さんの二人だったからその二人の事は鮮明に覚えている。
だが……中江さんがその中江さんと同一人物で、つまりは中江さんが中江さんだったという事なのだろうか。
……いかん、何言っているのか自分でも分からなくなってきた。
「その中江さんって……女性、だったのか？」
「輝……お前まさか……気付いてなかったのか……」
「……。イ、イヤダナー。キヅイテナイワケナイダロ。タダノボケダッテ」
「わざとらしいカタコトやめような」
「え、嘘。じゃあもしかして、最近来てた中江美奈ですってメールはいたずらじゃなくて本人だった疑惑？」
「お前あの人のメール無視したのか！？」
「い、いや、だってまさかなでしこからメール来るとか思わないだろ！ 普通はいたずらだと思うだろ！」
あ、何か冷や汗出てきた。
急いでスマホを開いて受信メールを確認してみると、いたずらだと思えていた人物からのメールが段々本人からのだと思えるようになってきた。よく見ると、小学校以来に久しぶりに会いたいですとか書いてある。普通に会いたいですの部分しか目に入らなかったから、思わず出会い系メールかと思っていたのが運のつき、という奴なのだろうか。
って言うか、何で俺のアドレス知ってるんだろうか。
「お前が俺のアドレス教えたのか？」
「いや、普通にお前のお母さんから聞いたって言ってたけど……というか、それでお前がメール返さなかったから最近不機嫌な電話が俺のところにかかってきてたのか……」
「あ、皺寄せお前に言ってたのか、それはスマン。……ってか母さん」
せめて息子に一言くらい下さい。
メアド教えちゃったよ(・ω<)、みたいな感じでもこの際許すんで。
いや、唐突に頭に浮かんだのがその顔文字だっただけだけど。てへぺろとか母親が使ってるのも言ってるのも見たこと無いけど。いや、見たいとも思わないけど。
「まぁ、とりあえず早めに行こう。あの人怒らせると後に響くし色々と面倒だから」
「お前がビビってるくらいだから相当だろ……とりあえず早く行くか」
「陽香、何してるの？ 陽香も行くんだって」
「え？ 私も？」
「うん。だから早く帰る支度して。5分しても来なかったらまた電話かかってくる筈だから」
「何で私も？ あ、ちょっと待ってよー！」
バタバタバタバタ。
二足かける三組。合計六つの足音が廊下に響く。
廊下は走るな、と風紀委員に怒られるまでそんなに時間はかからなかった。
「へぇ～、そうなんだ。私の事を男だと勘違いしてた、と」
あれよあれよという間に連れてこられた平塚のとある喫茶店。
個人的に何度も中江さんが利用している店らしく、閑散としている訳ではないが、その代わりに静かでもないという程度の丁度いい塩梅。何がいいのかと言えば、有名であろう――そして有名でなくともその美貌とスタイルで人の目を惹きつけて止まない彼女がこうして店にいるというのに、視線を向けてくるような無作法な者がいないというところだ。
マナーの悪い人間はそういった場所に集まり、マナーのある、常識人はこう言った店に集まるのかもしれない。
「いや、だからメール無視については許して欲しいと思いまして」
「別にそれはいいけどさ、それならそれで、性別勘違いしてた事も謝って欲しいなぁ」
「それについては本当にすいませんでした」
「はい、よろしい」
クスクスと笑っているその様子は、テレビ越しにインタビューを受けていた時などに見せる笑顔とは少し違って何とも柔らかいが、小学校の時からはまるで想像も出来ない。
無口で頭のいい子という印象だったのに、それが今や喜怒哀楽の表現が大きい、それでいて普段は柔らかな表情をする女性になっているのだから。アスリートという事で引き締まった体をしているばかりか、あり得ないほどに足が長い。すわ、モデルか、と思いそうになったが実際モデル経験もあるのだからその通りで、美島奈々と群咲舞衣の二人が出てくるまではなでしこのアイドルとして一世を風靡していたのだから、今こうして目の前に座っているのが信じられないくらいである。
「それで、真守の隣に座ってるのが彼女？」
「は、ひゃい！ えっと、三枝陽香です！」
「ゴメンね？ 急に連れ出しちゃって。本当ならこのバカが彼女が出来た時に報告しますって言ってたんだけど、一向に連れてこないばかりか忘れてたみたいだから」
「い、いえ！ 私も中江さんに会えてうれしいので大丈夫です！」
顔が真っ赤、というのが一番目につく。
強豪校でのマネージャーをしているのだし、女子サッカーの有名選手に憧れていてもおかしくは無い。というか、割と多くの少女の憧れなのだろう。すらっとした日本人女性にしては長身の背丈に、主張し過ぎてもいない胸、引き締まった細い腹筋に、上半身と下半身の比率をおかしくさせている長い脚。そしてそれら全てを調和させている顔立ちに、まるで年上の女性という憧れを体現したかのような柔らかで大人びている雰囲気。
なるほど、どうやら修羅場、みたいな最初に予想していた話しを春樹に持ち帰ることは難しいらしい。てっきり二股的なことを真守がしていたとか、或いは彼女が真守に好意を寄せているのかと考えていたような幻想は打ち砕かれる。
何しろ、どうやってひいき目で見ても、彼女が真守に寄せている行為は姉が弟に向けるそれと同種のものだ。間違っても男女関係に発展する様なものではないし、加えて言えばそれが自分にも向けられているのだから分からない筈は無い。
聞けば、俺が海外に行った後も良く練習をしていた残り三人は連絡を取り合う関係であり、オフの日が重なれば懐かしの青葉JFCの練習に参加もしていたというのだから。一番年上だった中江さんが、年下の俺たちに向ける感情が姉弟愛のそれに類していてもおかしくは無い。
むしろ、一緒にスパイクを買いに店に行った時などに、彼女の母親が一緒にいたというのに俺が手をつないでいたというのは、そういう影響があったのかもしれないと今さらながらに納得する。
なるほど、弟だと思って接していたから手をつながれたのか。
「それで陽香ちゃんと真守は、どうやって付き合うことになったの？ つまり、具体的にはどっちが告白したのか知りたいんだけど」
「……あ、あの、彼に、その」
「おい、陽香！ 言わなくて良い！」
「そういや俺も詳しく聞いてないから聞きたいな」
「輝まで！」
約二名、顔が真っ赤である。
その二人が並んで座っているのだから、机の反対側に座っている俺と中江さんは実にいい顔をしている事だろう。
「輝も聞きたいって言ってるし、姉貴分の私としては聞く権利もあると思うけど？」
「そうそう、吐いた方が楽になるぞ？」
「別に言わないなら言わないで真守の恥ずかしい話しを陽香ちゃんに聞かせてあげるだけだから」
ニヤニヤしながらスマホをいじり始めたｵﾈｲｻﾝ。
なるほど、力関係は関係に年功序列にあったようだ。まあ、真面目な真守の事だし、年上に敬意を払うのはまるで疑問に思わない。だが、それ以上の力関係を感じるのは、恐らくその弱みとやらに関係しているのだろう。
とは言え、当の本人は何が弱みなのかと冷や汗をかきながら先ほどの赤い顔のままという何とも器用な事をして彼女に何の事かと聞き返す。
「去年の2月、差出人は一条真守。題名はご相談があります。本文、中江さんに相談があるんですが、乗ってもらえるでしょうか。なにぶん自分には女性の知り合いが少ないので、女性が喜びそうなプレゼント――」
「話します！ 話しますから！」
「よろしい」
ニッコリと笑って携帯をバッグに仕舞うｵﾈｲｻﾝ。
さっきからカタコト表現になりつつある心情は、恐らくこれから気をつけないと俺もこうして弱みを握られるのだという将来への警告を今この場で素直に受け取っているからである。
とは言え、興味は既に将来の事よりも目の前に座って顔を真っ赤にしている青春を謳歌している二人に向けられる。
そうしてポツポツと話し始める真守の口から出てきた言葉を纏めて総括すると、去年の冬の選手権での県予選決勝戦の直前に、勝ったら告白させてくれと部員とマネージャー全員の前で大声で宣言してから、なんとか勝って、そして告白したのだという。何そのドラマみたいな、小説みたいな展開。今時そんな事する奴いるんだ、というのが正直な感想である。流石にドラマの見過ぎなんじゃなかろうかと感想を抱いたところで、ふと隣に視線を向けてみると、姉貴分は目をキラキラと輝かしている。
なるほど、そして斜め向かいに視線を向けて見れば、そこにも嬉しそうにしている少女の姿。もしかしたら女性にとってはあこがれのシチュエーションという事なのかもしれない。いや、この二人がずれている感性の持ち主であるという偶然なのかもしれないが。
「真守も案外、強引な所あるんだ。てっきり皆の前とかじゃなくて校舎裏に呼び出して、みたいなのを想像してたんだけど」
「いつもは優しいけど、たまにそうされると、胸がキュンってなるんです！」
「あー！ 分かる！ 私もね――」
と、小さい頃の真守がどうだったの、最近の彼はこんな事をしただの、互いに暴露し始める女性二人。お互いに険悪なムードはまったく感じられず、共通の話題があって楽しそうである。というか、たぶん隣に座っているこの人は、もう既に弟分の彼女の事を既に自分の妹のように思っているのだろうなぁと考え始める。
そんな風に思いながら同時に耳を傾けつつ紅茶を一口含んで流しこんでいたら、何とも憔悴しきった顔の一条真守その人。
「大丈夫か？」
「……なんだこの生き地獄。俺なんか悪い事したのか？ 人の恥が呆気なく晒されてるんだが。それも彼女と幼馴染の姉貴分に」
「アレだろ、もてない男の怨念みたいなのがとり憑いてるんじゃないのか？」
「……除霊しに行った方がいいかな？」
「今後も続くようだったらして貰えよ。俺の方でも腕利きの除霊師見つけておくから」
ゴメン、真守。
でも俺もお前の恥ずかしい話し、聞いてるの楽しいんだ。
それにほら、中江さんの気がそっちに言ってたら男性だと思ってた的な話しがもう蒸し返されない筈だし、メールの件についても咎められることは無い。
俺の為の犠牲だと思って甘んじて受け入れてくれ。
回収しきれてない伏線。
という事で、前回でヒロイン出て来たけど、もう一人キャラ立ちさせたいと考えている人を原作から引っ張って来ました。
たぶん、キャラ立ちしないだろけど、何処かで何かしらの役に立つはず・・・きっと・・・。
ちなみに二見さんは、とあるアニメキャラをかけ合わせた感じのイメージを作者が持っているという事は、同じアニメを見ていれば分かるはず。今のところ一人分しかイメージが感じ取れないけど。
三枝さんは、描いてから同じ名前のキャラが今期のアニメにいたことに気付いたけど、名前変えるの面倒だからこのまま行きます。キャラ設定はほとんど違うけど。
ちなみに、もう皆さんお気づきかもしれませんが、名前に数字の入っているキャラがこの小説においてのオリジナルキャラであり、メインとするべき人物たちです。
原作で名前に数字の入っている人いないよねって思って読み直したら、意外と沢山いて焦った事はなかったことにしたい今日この頃。