エルニーニョ   作:まっぴ~

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第13話 敗退

 土曜日、というのは学生にとっては心躍るような言葉だ。

 それよりも躍動する感じを味わえるのは日曜日という言葉で、祝日や休日などという言葉は最早感動すら覚える。というのは、日々の学校生活に対してつまらないと感じている様な、青春を謳歌していない学生限定だろう。

 青春、などという甘い幻想的な言葉に踊らされる人間は――或いはそれを謳歌しているようなリア充と呼ばれる存在は――学校が休みであるその日を有意義に使うのだろう。学業に励む者もいれば、恋人との時間に使う者もいる。そんな中で、葉蔭学院という学校の生徒の大多数は恐らく学業に励んでいるだろう。それも高校二年生の期末直前という事を考えれば、テスト勉強をしていておかしくは無い。何しろ進学校なのだから、勉強が出来ない事は死につながるかのような重大事項だ。

 だが、そんな葉蔭生の中にも休日をスポーツに励む生徒がいる。それはスポーツ特待制度が設けられているサッカー部の事であり、その彼らは、高校総体の県予選準決勝戦を戦っている。相手は鎌倉学館という神奈川でも屈指の強豪校であり、タレント揃いの高校だ。

 トップに鷹匠という国内外のクラブチームから既にオファーを受けていると噂の、将来の日本代表FWを約束されているとまで言われている彼を置き、その下に湘南ユースでのエースを務めていた世良を備え、佐伯という逢沢傑の後輩。そして最終ラインには傑と同じ学年でプレーしていた国松というスイーパーが収まり、攻守のキープレイヤーが縦に綺麗に並んだ陣形。その攻撃力は爆発的なまでにある。しかも、前三人は世代別代表としての経験も豊富だ。本来であればここに逢沢傑という日本サッカー界の至宝とまで呼ばれた人材を加えて、全国でも随一のチームとなる筈であった。

 

 対する葉蔭は、鎌学とは逆に全国屈指の防御力を誇る学校だ。

 矛と盾、どちらが強いのかと、珍しいトーナメントの組み合わせとなりこの二校のどちらかが今年の総体に出場できないという采配を受けたこの試合はスカウトの目が光っている。県大会の決勝であればスカウトが何チームも見に来るという事も稀ではないが、準決勝の段階から来るという事は大抵は青田買いだ。

 だが、そうではなく既に何チームものスカウトマンが試合を見に来ているのは、鷹匠と飛鳥という両チームのエースの実力を見に来ているのが第一であり、そしてあわよくば一条というGKを早めに獲得したいという思惑があるからだろう。

 

 その両チームは試合前の評価では互角の戦いを繰り広げると予想されていた通りに、前半を共にスコアを動かさずに終了させて、後半には攻撃の枚数を増やした鎌学が何度も攻め込んだがその鉄壁のゴールを割る事が出来ずにPK戦にもつれ込む。

 そしてその結果が、こうしてピッチ上でうなだれている葉蔭イレブンの姿に表されている。鎌学は鷹匠と世良、佐伯の三人が見事に決めて、それ以外はすべて真守にキャッチかパンチングで弾かれて、逆に葉蔭は飛鳥と鬼丸の二人が決めて、残りは三人とも枠外へと飛んでしまう結果。その内の二本はポストに当たって嫌われることになり、一本は鎌学の山を張ったキーパーの判断が見事だったと言わざるを得ないだろう。

 

 結果として試合は鎌学が勝利し、決勝進出と共に全国大会出場を決めたことになる。そして反対に、葉蔭学院は実に2年ぶりに総体出場を逃すことになった。その事実は重々しくピッチでうなだれる選手だけではなく、応援席に居た観客のほとんどがそんな空気だ。

 今年もまた全国大会に応援に行けると思っていたチアリーディング部に、吹奏楽部。そして有志での応援団。彼らの練習成果もついぞ県大会でしか発揮される事は無く、彼らもまた残念そうに泣いている者すらいる。

 たかが高校の試合の全国大会出場がかかっている県予選で負けたというそれだけで選手が泣けるというのは、それだけ試合に込めていた思いが強いという事なのだろう。それは選手だけではなく、応援していた者も同じなのかもしれない。

 その選手たちが立ち直る暇も与えられずに監督とキャプテンである飛鳥に促されてピッチの端で一列に並び、応援席に悔しさに塗れた顔を向けている。一番端に立っている飛鳥派キャプテンマークを付けながら、真守から隣に続いている自らのチームのレギュラー、そして背番号を与えられた選手が並んだのを確認してから、かいている汗を拭おうともせずに大声を上げる。

 

「期待に応えられずに申し訳ありません!! 応援、ありがとうございました!!!!」

「「「「ありがとうございました!!!!」」」」

 

 まるで濁点が付いているかのような声を上げて、飛鳥の声の後にイレブンと、そして番号を貰った選手たちが続く。

 誰よりも悔しそうなのは勿論、PKを外してしまった者と、そしてアレだけの守備を見せてくれたチームに貢献できなかった攻撃陣。

 チームの力は互いに互角ではなかった。ボールの支配率は圧倒的に鎌学が上回り、葉蔭のシュート本数は僅かに3本。全てのカウンター攻撃は相手のボランチとスイーパーに完全にシャットアウトされていた。そして鎌学の圧倒的な攻撃力は中盤でボールを奪われる事でパスを回されて守備陣形を崩されたにも関わらず、天才リベロと天才GKがそのボールを一度もゴールに通さなかったのだ。

 

「ナイスゲーム!」「みんな胸張れー!」「冬の選手権でまた頑張ろう!!」「飛鳥さーん!」「泣くな鬼丸!」「本当に惜しかった!!」「一条君立派だったよ!」「また応援に来るから!」

 

 色々な声が葉蔭生に向けて飛ぶ。

 そのどれもが今日の健闘を讃える応援であり、そして結果から導き出された言葉だ。飛鳥が入ってからの去年と一昨年、そして真守と鬼丸が加入した事で特筆すべきは去年。守備力は更に上がり、問題だった攻撃力も当てが見え始めていた。だが、周りがどれだけ惜しかったと言おうとも、頭を下げている彼らの誰もが分かっている事は、攻撃力が足りないという事。どれだけ点をやらなくても、点を入れなければ勝てないのだ。

 

 だから、応援してくれた人たちに挨拶を終えた彼らはいつも通りに監督のところへ集合して、その泣き顔を見せまいと唇を固く結ぶ。いつものあの厳しい監督は、ここでも怒るのだろうかと、客席の誰もが呼吸すら忘れたように息を飲む。

 ゴクリ、と誰かが唾を飲んだような音が聞こえたと思った時には、重々しく田岡監督は口を開く。

 

「……お前たちは私が監督として見てきた中でも一、二を争うほどに完成されたチームだ。三年生の中にはサッカーではなく、この後は受験を控えていて冬を一緒に戦えない選手もいる」

「……ッ!!」

 

 そんな言葉で、何人かがこらえきれずにそのダムを決壊させる。

 葉蔭学院というチームは、ここの実力も確かに高いが、それでも全ての選手が特待制度で入ってきた特待生という訳ではない。むしろ、そんなのは一部だけで、ほとんどが生え抜き――つまりは、一般受験をして入ってきた生徒たちだ。つまりほとんど全員が頭がよく、戦術を理解して刷りこめるからこそ、葉蔭学院というチームは組織的なプレーがアレだけ可能になっているのだ。何度も行われた反復練習によって培われた確かな自信と、それを瞬時に選択できる戦術眼を持ったキャプテンの存在。それが葉蔭というチームを支えてきた組織力だ。

 だからこそ、頭のいい彼らは、サッカーだけで食べていける選手というのはほんの一握りしかいないという事も気付いている。このチームの中でそうなるのは、飛鳥と春樹と真守の三人だけ。残りのメンバーは、そのほとんどがこのインターハイを最後に受験勉強をするつもりだったのだ。

 

「そんなお前たちを全国大会へ連れていけなかったのは監督である私の責任だ。すまなかった」

 

 監督が頭を下げる姿など、誰が見た事があっただろうかと、客席にいる者たちだけではなく、彼の元に集合しているサッカー部の面々の表情を見れば分かる。

 全国一の組織的な守備力。

 予選の初戦が始まる前からそうやって言われてきたチームで勝てなかったのも事実であり、監督自身も歯痒い思いをしているのだろう。それだけの力がありながら、全国大会出場を逃した事が無かったという2年連続での成績をストップさせてしまったのだから。

 誰が悪かったのかと言えば、誰も悪くは無いというべきだろう。

 いや、そう言わざるを得ないほどに、空気が重いのは観客席にいても、伝わる事だった。

 

「なるほど、日本の学校の部活もまだまだ捨てたもんじゃないな」

「……何? 何であなた泣いているのよ?」

「バカ野郎! 目にゴミが入っただけで泣いてない」

「何その使い古された言い訳。それに、私は野郎ではないわ。女だもの。……それにしてもあなた、私と同じタイプだと思っていたけど、案外感受性が高いのね」

 

 目からこぼれている液体が涙だというのは間違いなく隣でそれを見ている二見の勘違いである。そう、誰が何と言おうと本人が泣いてないと言えばそれは泣いてないのと同義なのだ。

 いや、ただ単に感動したというだけだけど。

 ついでに言えば日本の高校生が部活の勝敗でこれほど熱くなれるとは思っていなかったという要素が加わってこんなになっているのもあるが、元々涙もろいタイプだというのは否定しきれない事実だ。

 

「……ねぇ、あなたがいればこの試合勝てたと思う?」

「何だ、勝たせてやりたかったのか? 試合観戦に来る事すら随分と渋ってたのに」

「別に私はサッカーに興味があって来ている訳ではないもの。半分はあなたに無理やり連れ出されたから。もう半分は、陽香に来て欲しいと頼まれたからよ」

 

 その視線の先は、同じく泣いている陽香に向けられていて、何かしら思う所があるのかもしれない。

 転校して一週間だが、冷静沈着すぎて感情を持っていないのではないかと陰口を叩かれている彼女の事だ。それをそのまま信じ込むのであれば、例え親友である陽香が泣いていたとしてもそこまで思う所が無い筈だが、しかしその実はそうでもないのだろう。

 今までも何度か誘われた事はあったのだろうが、一人で観客席に座るなどという事はしたくなくて、俺が無理やりというのを口実にして見に行くという約束を果たしたかったというのが本音だと個人的には思っている。

 

「俺がサッカー部の練習に混ざってるの見た事無いのか?」

「あるわ。でも、幾らあなたが上手くてもチームプレイが必要とされるスポーツならば一人で試合が変わるという事も無いでしょう? 私の質問は、あなた自身が勝てると思うのかということよ」

「二見……お前さ、俺の事どこまで調べた?」

 

 なんとなく気になって、そんな事を聞いて見る。

 一瞬だけ、ピクリと肩が揺れたことに気が付いたが、それは指摘せずに相手の回答を待つ。

 

「……何それ? どういう意味かしら?」

「女子が男子の質問に、ワンテンポ遅れてから質問で答える時は肯定の意味合いが強いって知ってるか?」

「そんな心理的根拠はどうでもいいわ。私が言っているのは、あなたは私が恋する乙女のようにストーカー紛いの事をして男を調べる様な人間に見えるのか、と聞いているの。だとしたらそれは単なる思い込みよ。自意識過剰なのもいい加減にしたら? ナルシストは女性から嫌われるわよ」

「饒舌になる奴は焦ってるというのは知ってるか?」

「知っているわ。だからそれが何だというのかしら。だいたい――」

「――いや、いい。分かってる。君は負けず嫌いだ」

 

 手で言葉を遮って続けさせないようにしてみれば、何とも不機嫌そうな顔をしている。

 だが、手でさえぎるという合図を、それ以上は問答が必要ないという意味合いで受け取ってくれたらしく、よく回る舌はひっこめてくれたらしい。視線をピッチに戻すと、荷物を纏めて引き揚げ始めている葉蔭の選手たちに、マネージャー。そして彼らを見送るようにしている応援の者もいれば、我先にと帰り始めている者もいる。

 

「ここからは俺の勝手な妄想だが、天才少女ならスペイン語のニュースが読めても不思議ではない。そして最近はインターネットの発達の御蔭で、昔のニュースも検索で引っかかって残っていれば見る事が出来る。本来であれば秘匿されるべき情報も、ニュースとしてではなく、古人のブログやツイッターの発言なども検索で引っかかるというシステムのそれを考えれば、俺の事を知っていても不思議ではない」

「……それで?」

「真守には教えてあった事だし、誰にも漏らすなとは言ってない。彼が話題の選択肢として俺の事を挙げていたなら、陽香が知っていてもおかしくは無い。なら、そこから君に伝わるという可能性もある」

 

 さて、“妄想”は間違っているだろうか、という視線を彼女の方に再び戻してみれば、長い嘆息の後に言葉を紡ぐ。

 

「……“El Niño”と呼ばれているらしいわね。何であなた、日本に戻って来たの?」

「さっき言っただろ、日本の部活も捨てたものじゃないって」

「理由になっていないわ。幾らサッカーに疎くて興味のない私でも、日本で練習するよりスペインで練習した方が環境もいいという事は分かるもの」

「恩師が俺に足りないものを補うためには、母国で同年代の選手とプレーしてみるべきだって。その助言に従った結果ここにいるってこと。理由になったか?」

「私、皆に言われるほど頭がいいわけではないのよ。もっと明確に説明してくれるかしら?」

「俺にも分からないからここにいる。分からないから足りていないわけで、つまりはその答えを求めた結果として高校生活を日本で送ることになったわけだ。これで答えになったか?」

「……答えになってはいないけど、納得はしてあげるわ」

 

 不機嫌な顔は不満な顔へ。

 サッカーに興味が無いとは言い草だ。一日でも一緒にいればその人がどういう人間かという、だいたいの全体像をつかむのはそう難しい事じゃない。ましてや一週間という期間を与えられれば、それなりに人となりは見えてくる。だから、彼女が言う興味が無いというのは虚言だろう。

 唯一無二の親友がマネージャーをしていて、熱心に観戦を誘ってくるスポーツを少しも調べないわけがないし、ましてやこうして男と一緒に来てくれるわけがない。無理やりというならば、来たとしても観客席で本を読んでいればよかったのだ。彼女は、彼女自身に対する評価を気にする様な人間ではないのだから。

 だが、本は持って来ていても、結局彼女はこの席についてから一度もその頁を開いていないのだから、そこから窺い知るべき事だ。

 

「だてに異名が付けられている訳じゃないってので、最初の質問の答えにしておいてくれ」

「……やっぱりあなた、私と同じタイプで全然違うタイプね」

「……何だそれ。結局どっちだ?」

「分からなくていいわ。“El Niño”さん」

 

 サッカーなら分かるけど、女子は分からないな。

 


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