エルニーニョ   作:まっぴ~

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第10話 息の合う2人

 澄み渡る青空、とでも表現するべきなのか。

 雲ひとつないとは少し言い過ぎな気もするが、そう言ってもはばかられないほどに上を見上げると視界に入っているのは8割以上の青。白が疎らにしか目に入らないというのはコントラストという色彩の観点から考えると寂しいが、それも天気が良いという事を思って帳消しにするべきか。

 地面と垂直にしていた視線を平行にしてみれば、今度は青よりも白の方が視界に飛び込んでくる。眩しいくらいのその白は実に歓迎すべき色合いで、辺りを見回してみれば割と多くのお仲間が同じように白を追っている。男子高校生というのは性欲が制服の皮を被って歩いている、と誰かが表現していたがそれも強ち間違いではないのかもしれない。夏だから、暑いから、という理由で制服のシャツを着込んで、上に何も羽織らないというのは実に男子学生の目に毒だ、という事を分かった上で彼女たちはやっているのだろう。それが証拠に、という訳ではないが、うっすらと透けてしまっている夢を内包する膨らみを包んでいる布は、実に華やかであると思える。

 

 そんな事を考えながら校門あたりに差し掛かったところで、ようやく自分の認識が単なる知識のすり合わせに過ぎず、間違っていたことに気付かされる。久しぶりの日本の道を、つまりは学校までの通学路をリフティングしながら向かっていれば、自然と視線は集まってくる。スペインでは数年もすると近所の人たちが皆慣れて気にしてくれなくなったものだが、やはり初めて見る人しかいないこの通学路ではこうなる事も必然か。

 つまり、白を追っている視線も確かにあるが、むしろそれよりもこちらに向いている視線の方が数が多く、誰が最初に話しかけるか、などという事で悩んでいる者もいれば、そうではなく雑技団を見るかのような表情を向けている者もいる。それは当然、昨日の一件で放課後に学校に残っていた者で俺の姿を見ていない様な人間はいないわけで、そんな注目の的が普通ではない登校をしてきたら当たり前のことだ。

 

「鬼丸!」

「おっと♪」

 

 そんな中に一人、ボールを急に回しても扱えそうな人間を見つけてパスを回してみれば、地面に落とすことなく何度か自分でボールを蹴りあげた後に返してくれる。昨日顔と名前が早くに一致した内の一人で、サイドのMFを得意ポジションとする男だ。特筆的な能力としては、俊足にドリブル突破、そして周りに繋げられるだけのクロス。後は、こうして圧倒的な力の差を見せつけられた相手とも腐ることなく向き合える精神力だろう。

 その精神力は称賛されるべきだが、足りない部分もまだまだ多いように感じる。それはやはり、世界のトップレベルを相手にしてきただけあって、彼らと比べると、という意味合いだが、日本国内、それも高校の部活という枠でくくれば、優秀なMFである事は疑いようがない。今こうして彼のボールタッチを見ていると、努力で駆け上がったのだろうことが推測できる。

 

「身体が固いなぁ……もっと柔らかくしないと」

「そんなこと言われても! こっちは必至でやってるんだけど」

「もっと楽しまなきゃ。昨日の試合でも思ったけど、スピード型のドリブラーでもボールタッチは柔らかく丁寧に。せっかくのスピードもそれじゃ泣いてるよ」

 

 努力型の選手だからこそ、高校2年生であるという現状を考えるのならば、まだまだ伸びしろがあってしかるべきだ。それも、スピード型のドリブラーなのだからなおさら。何しろ、彼が昨日の試合を見る限りでも得意としているのは、フェイントで揺さぶってからの縦に切り裂く様な深い位置まで持って行くドリブルだ。一瞬だけでも相手の意図する方向とは逆の方向に突破を図ったその瞬間に、大抵の相手を置き去りにすることも不可能ではない。だが、そうするためにはやはり決定的なフェイント能力として柔らかいボールタッチが必要になってくるのだ。

 仮にも傑のように目だけでフェイントをかけるならばそんな事も必要はないが、しかしそれも何度も連続して使える様なものではないし、相手にも慣れというものがある。傑の奴が目でフェイントをかける事が出来たのはその圧倒的な存在感故であり、鬼丸にはそれが向いているようには到底思えない。

 

 なるほど、校門の前というのは場所の選択を間違えていたかもしれない。

 そんな事を考えたのは、何で止まってるのー、という声が聞こえたのがきっかけで、しかしどうやら相手をしてくれている鬼丸と、それを見物している彼らは、声を発した者のそばに居た者しか気付いていないらしい。3度ずつのタッチでお互いにパスをするという芸当を見ているのだから、普段そんなふうにボールを扱う所を見た事もない彼らとしては興味が惹かれるだろうが、流石に他の人に迷惑をかけてまで楽しませるべき事ではない。

 それならば、すぐにでも退散するべきか。

 

「鬼丸、このまま教室まで持って行くぞ」

「え……マジ?」

「落とした方が罰ゲームって事で。ほら、行くぞ」

 

 ボールを受け取ってから、3度ずつのリズムを崩してリフティングしたままで校門から校舎の方へと移動する。今度は周りを楽しませようとすることだけではなく、迷惑をかけないように誰がどの方向に動こうとしているのか、それを注視しながら動く。

 だから、と言うべきか。楽しませようとしていた限りでは気付けなかっただろう種類のマイナスなイメージを含んだ視線が刺さるようにしているのにも気がつく。それは男子からのものであり、半分以上は鬼丸に、そして何割かが俺の方に来ている。

感じられる視線は僻み。なぜそんな種類だと断定できるのかと言えば、それが何度も浴びせられてきた視線と全く同じものだからだ。妬み、と言ってもいいかもしれない。つまり、持つ者への持たざる者からの鋭い眼光。

 

かつて古人はボランティアとは持つ者が持たざる者に慈悲の心をもってこれを与える、そういうものだと言った。では、何を持っている者が何を持っていない物に与えるのか。それは勿論、富、名声、力。そう言った一昔前の男なら誰もが目指して然るべきだと言われていた、所謂社会的なステータスを決める物差しだ。今回であれば、それは力だと言えるだろう。

何かしらのスポーツで強豪校と呼ばれる学校の悪いところで、学校という場所は何もスポーツをするための場所ではなく、当然社会的には学業をする場所だ。という事は、むしろ例外的にスポーツで学校に入学を果たした生徒がそのスポーツでのし上がる事を諦めたらどうなるのか。答えは簡単である。落ちこぼれることになるのだ。

総部員数100名以上という数を誇る葉蔭学院のサッカー部で、1軍として選ばれるのは僅かに20人、そしてその内でスタメンとして脚光を浴びるのは僅かに11人だ。サッカーは22人と審判で構成される競技だが、同じチームから出場できるのは11人と交代メンバーだけなのである。

自分の力に自信があってこの学校に来ただろう彼らの中には、当然ドロップアウトしてしまう様な心の弱い人間だっている。いないわけがない。学校というのは社会の縮図であって、ましてや強豪校の部活というのは競争社会を忠実に反映している様な場所だ。年功序列ではなく、完全な実力主義が敷かれている事は珍しくなく、だからこうして感じる視線のほとんどが、妬みや僻みを伴っていても不思議ではない。

 ドロップアウトした様な人間ばかりではないだろう。

 恐らく昨日の一件ですれすれでレギュラーに滑り込んでいた同じポジションの者は間違いなく省かれただろうし、何よりも急に転校してきたのにいきなりレギュラーと同じ扱いという事で、長くやって来ていてもレギュラーに入ることの出来ない3年生からすれば、それは腹立たしいことこの上ない筈だ。

 

「……なるほど、ね」

「ため息なんてついてどうしたんだい?」

「いや、学校生活の難しさを痛感しているところだ」

「らしくないね。飛鳥さんと同じくらいのイケメンがサッカー部に増えたって噂で持ちきりなのに」

「らしさ、という単語を用いて会話が出来るとしたら鬼丸、お前ではなくこの学校では恐らく真守だけだ」

「そりゃそうだ♪」

 

 自分の容姿についての褒め言葉は否定しない。

 謙遜は日本人の美徳である、と言われるが、生憎とものの考え方は前世も含めれば日本の方が長いとは言え、今世ではつい先日まで海外に居たのだ。沈黙は金、雄弁は銀とされる日本に居たのではなく、沈黙は銀、雄弁こそが金であるとされる海外に居たのでは、褒め言葉はそれとして素直に受け取るべきで、更にそれに磨きをかけなければならない。磨耗されない宝石はただの石ころであるからして、そんなものに目を向ける人間は、磨く気のある職人だけなのだ。

 

「それより、よく教室までボール落とさなかったな」

「受けやすい位置にボール蹴ってくれたしね。それに多少のミスでもアレだけすぐにカバーしてくれたら、多少の心得があればなんとかなるよ♪」

「その考えを忘れない事だ。なんとかなる、と気楽に考える事さえできれば壁にぶつかっても乗り越える事が出来ると信じる事が出来る。世界的に見ても一流のプレイヤーというのは傲慢な人物が多い」

「なるほど、それはつまり、君も自分の事を傲慢だと思ってるって事?」

「その通りだ」

「……うん、やっぱり面白い♪」

 

 その物言いは、今の問答の中で俺がどういう人間なのかという事を推しはかろうとしたと言う事が目に見えて分かる。たぶん彼は、逆にこうして俺が彼の事を推し図ると言う事を考えていないのだろう。それは落胆すべき事だが、こうして日常生活にまでサッカーの事を持ちこんで能力として訓練するほどには、サッカー漬けの毎日を送った事が無い日本人としては仕方のないことだ。

 そして推測すべき鬼丸春樹という眼前の人間は、その顔立ちや物言い、雰囲気からは割と想像もつかない様な精神構造をしているらしい。同じMFとしては立場を危ぶむべき人間であるにも関わらず、彼は俺という存在を受け入れて更にそこから学び取ろうとしている。ある程度の力があるのは分かっていたし、才があるのは見ての通り。だからこそ、天才と呼ばれる様な人間に多い精神的に脆い構造をしているものかと思えば、そうでもないようだ。

 そこら辺は強豪校ゆえに矯正されたのか、或いは自分で克服したのか興味が尽きないが、その興味を調査する時間はどうやら無いらしい。

 

「輝、鬼丸、二人とも生徒指導室に来るように、だってさ。田岡監督からの伝言」

「……朝の連絡、という訳ではなさそうだな」

 

 鬼丸と話していたら、登校して教室に入ってきた真守が近づくや否や、まるで宣告するように告げてくる。いや、宣告するように告げると言うのは些か表現被りの様な気がしてならないが、そんな事を気にしている場合ではない。

 

「ゲ……やっぱボール蹴りながらってのはダメだったかな?」

「それくらいで小言を頂戴することになるとは、監督も器量が小さいな。俺の方から逆に進言してやろう」

「「やめてくれ」」

「何だ、息がぴったりだな二人とも」

 

 小学校まで真守の一番の親友と言えば誰彼迷わず十文字輝だと答えただろうが、この高校では鬼丸春樹なのかもしれない。

 いや、なのかもしれないと言うよりは既知の事であったから再確認出来たと言うべきだろう。元々スペインに居た時にも真守とメールや電話のやり取りはしていて、面白い奴が高校からサッカー部に入ってきたと言って喜んでいたのは覚えている。攻撃の起点に出来る奴が入ってきたから、もしかしたら全国優勝も出来るかもしれないと嬉しそうに語っていた電話での口調が思い起こされる。

 

「鬼丸、同じMFとして息の合う様を監督に見せつけてガツンと一言かまそうじゃないか」

「「だからホントにやめてくれ」」

 

 なるほど、息の合っている二人だ。

 


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