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「シドリア、立派に・・・なったな。」
約6年振りに再会した父は、涙ながらに私にそう言った。
父のその言葉に何と返したか記憶は定かではない。
気の利いたことも言えず、歯痒い思いをしたことだけは覚えている・・・。
何の因果だろうか?
その翌朝、私の父サミエルは静かに息を引き取った。
私は、何もできない自分を不甲斐なく思い、心から悔やんだ・・・。
せめて、もっと話をしておけば――。
幼い頃、私は父が嫌いだった。情けない男だと考えていたからだ。
自分ならば父にできないブライト家の復権ができるという自信もあった。
私が幼い頃に母が亡くなった後から、それは顕著に態度に出ていた。
その頃、私はこの世の中どんな理屈をこねたとしても結局強い方が勝つと考えていた。
故に、強さをひたすら追い求めていたのだ。
しかし、今思うとそれは幼稚な思考回路だった。
浅薄としか言えないと思う。
あの頃の私は、何も知らない癖に全てを悟ったかのように振る舞い、父よりも自分の方が優れているとさえ考えていたのだ。
我ながら呆れるくらいだと思う。
こんなことなら、もっと父に対して何かしてやりたかった。
しかし、もう戻ってこない。
人の命も、失った時間も――。
父の葬儀から2週間が経過した。
多岐に渡る各種の手続きはなんとか終えたが、私は変わらずブライト家の屋敷にいる。
私が驚いたのは、現在のノースタリア公国のブライト家の立場だ。
6年前、大公の地位を捨てざるを得ない状況に追い込まれた父は、私の身の危険を案じ、ガイアッグと一緒に私をシムズ市の富裕層が住む地域に移住させた。
その後、私の知らない間、父が粘り強く交渉と根回して相応の身分と領地を確保したそうだ。
私は、改めて父の優れた手腕に驚くと同時に、私には最早やるべきことがないことに気付かされた。
歴史的にノースタリア公国という国は、V5の1つであるミンボ国の北部が独立した形で生まれた国だ。
ミンボ国の北西側には、謎の多いパドキア共和国という国があり、当時のブライト家の領主が、領民を守る為に領地を国として独立させたのが始まりだったそうだ。
その後様々な変遷を経て、今に至る――。
故に、1970年のクーデターの責任問題から辞任に追い込まれたとしても、ブライト家がかつて所有し、管理し、経営していた土地の一部を別な人間に完全に譲渡しただけの話だということだ。
ただし、その土地に住む人間に対しての支配権すら譲り渡したことになるが――。
私からすれば、最早どうでもいい。
貴族という立場もその資産力も大きく変わらないということが分かり、今まで目指していた「復権」という目的もなくなった。
他人を支配することにこだわりもないしな。
強いて言えば、もっと早く知っていれば、父ともう少し話くらいは出来たのではないかと考えてしまう・・・。
父の事を何も知らないということで、私は
そんな徒然ならないことを考えていると、内線が鳴った。
私が受話器を取ると、執事が言った。
「近衛隊隊長が謁見の許可を求めに参りましたが、如何致しますか?」
「通せ。」
私はぶっきらぼうにそう答えて内線を切ると、椅子にきちんと座り直して考え始める。
――ガイアッグが?
何の用だろうか?
「よう、シドリア――じゃないか、ブライト公爵殿?」
部屋に入ってきたガイアッグが、照れながらそう言った。
まだ正式に爵位授与の式典は行われていないが、法的に私は父の領地と爵位を引き継いでいた。
私は笑いながら、返事をする。
「やめてくれ。お前にそう呼ばれると、痒くなる。
それで、何の用だ?」
私がそう聞くと、ガイアッグは深刻な表情で説明を始めた。
「実は・・・ロドルフ=マーキュリーを知っているか?」
「ああ、議長として現在のノースタリア公国政権を事実上担う、軍事系の伯爵だろう。」
1970年のクーデターの数年後に公国議会が生まれ、私兵団によりクーデター制圧に貢献したロドルフ=マーキュリー伯爵が、公国議会の議長を務めることになった。
大公という爵位が消滅した現在、議長であるマーキュリー伯爵が、事実上の統治者であることに違いはない。
私の反応を見たガイアッグが話を続けた。
「それが実は、そのロドルフがお前の父親を暗殺したという疑いが――。」
「バカな!? そんなことをするメリット等ないだろう?」
ガイアッグの言葉に私は心から怒りを覚えてそう言った。
政権から離れた父を暗殺しても、余計な混乱を招くだけだ。
事実、病死とは言っても、父の死はこの国に対してインパクトは強かった。
私の言葉に対してガイアッグは言った。
「サミエル殿の胃の内容物に微量の化学物質が検出されたらしい。
もしかしたら、食事に少しずつ毒物を混入されていたのかもしれない。」
ガイアッグにそう言われ、私は沈黙した。
――まさかそんな――?
だとしても、何故だ!?
私は心の中でそう呟くと、勢いよく立ち上がった。
さながらあのバカのように――。
△△△△△△△△△△△△△△△△△
夏の夕暮れ、暗い森の中を馬車が走っていた。
馬車は、山頂にそびえ立つ大きく古びた城のような屋敷に向かう。
敷地内に着くと、従者は素早く馬車の扉を開け、丁寧な仕草で手を差し出した。
その手を取り、馬車から降りたのは1人の気品溢れる女性――。
控えめな淡い緑色のドレスを着た育ちの良さそうな貴婦人のようではあったが、その顔立ちにはどことなく幼さを残している。
従者に先導され、彼女は屋敷へ向かった。
従者が扉を開けたまま保持し、彼女が屋敷に入ると、扉の向こうには大勢の執事や使用人達が彼女を出迎えていた。
そのとき、大きな螺旋状の階段から、口髭を生やした恰幅のいい男が笑いながら降りてきた。
「帰ったか、ジェシカ! 旅はどうだった?」
「はい、お父様。
とても楽しく、見聞を広めることができましたわ。」
男の言葉にジェシカと呼ばれた女性はそう答えた。
それを聞いた男は満足そうに笑うと言った。
「長旅で疲れただろうが、4時間後にディナーがあるので出席しなさい。
驚くようなゲストが待っているぞ。」
「はい、かしこまりましたわ、お父様。」
ジェシカは自室に戻ると軽い部屋着に着替え、何人かのメイドと一緒に浴室へ向かった。
それは、ジェシカが特注した浴室で、豪華ではあるが気品のある造りだ。
浴室の壁や床面は全て大理石でつくられ、何かの幻獣をモチーフにした純金製の華やかな蛇口から浴槽に湯が流れ出ている。
脱衣場で部屋着から湯着へと着替え、浴室内で湯着をメイドにとらせると、ジェシカは湯船に体を沈めた。
湯はジェシカの体を芯まで温め、全身の疲労物質が全て流れ出るかのように全身の疲れを癒した。
毎日、念入りにケアしている若々しい完璧な体――その肌は白く水を弾き、裸体が描くアーチは芸術的ですらあり、その脚線美はメイド達も羨む程だった。
しばらくの間、ジェシカは湯に浸かりながら、メイド達と旅の話などの雑談をしていた。
入浴を終えると、ジェシカはメイド達と一緒にディナー用のドレスを選ぶ。
客人が誰かは知らないが、自分の父の客人なのだから余りに派手だと失礼になるだろう。
かといって余り質素でも――。
メイド達と笑いながら意見を交わし、ドレスを選んだ。
ドレスを着替え終わると、専用の使用人がメイクとヘアセットを施す――。
ジェシカの注文通りの完璧な出来映えだった。
そんな風にゆっくりと、ジェシカ本人的にはあわただしく準備をして、彼女は階下に向かう――。
ディナーの席には、既にジェシカの父と件の客人が座っていた。
「遅いぞ、ジェシカ!」
父のロドルフは、強い口調で叱ると、客人の男がそれを制止して言った。
「いえ議長、私が伺うのが早すぎたのです。
失礼しました、お嬢様。
私は、シドリア=ブライト公爵です。
この度、亡くなった私の父サミエル=ブライトに代わってブライト家当主を引き継ぐにあたり、ご挨拶に参りました。」
「こちらこそ失礼しましたわ。
ワタクシは、ロドルフ=マーキュリー伯爵の娘のジェシカ=マーキュリーですわ。」
シドリアとジェシカが互いに挨拶をすると、ロドルフが言った。
「さて、私は堅苦しいのは嫌いなんだ。
挨拶も終わったことだし、ディナーにしよう。」
ロドルフの合図で、使用人達が食器を運び始め、簡単なお祈りを済ませるとディナーが始まった。
ディナーでは、これからのノースタリア公国の展望に始まり、多彩な雑談に興じた。
ロドルフの話術は素晴らしく、ユーモアを交えた話は場を大いに盛り上げた。
シドリアもしっかりと自分の考えを簡潔明瞭に述べ、時に話の核心を突く的確な質問を返してロドルフを驚かせた。
「――サミエル卿が亡くなったことは本当に悔やまれるが、ブライト家にはこんな立派な跡継ぎがいらしたとはな――。」
ロドルフが程よく酔いながら楽しげにそう話した。
「いえ、私はまだ未熟者です。早く一人前になれるように努力したいと思います。」
シドリアがそう言うと、ジェシカが疑問を口にした。
「失礼ですが、ブライト公爵の御年令は、おいくつですの?」
「16歳になったばかりです。」
シドリアがそう答えると、ジェシカは嬉々とした表情で言った。
「まあ、驚きましたわ!
ワタクシと同い年なのですわね!?」
「ジェシカ、それ以上は失礼だぞ。」
最後にロドルフがそう言った途端、屋敷の照明が消えた。
使用人達が慌てて駆け出す音が聞こえる。
「なんだこれは!?
すみませんブライト公爵、すぐに復旧させますので――。」
「いえ、お構い無く。」
ロドルフの言葉にシドリアが答えた。
自然と沈黙が続く・・・。
照明が消えてから10分は経過したが、依然として辺りは暗いままだった。
ロドルフは苛立ちを隠せない口調で言った。
「使えない奴らだ。すぐに復旧が無理だとしても、蝋燭を用意するとか、他にやりようはあるだろうに――。
失礼、少し席を立ちますぞ。」
ロドルフはそう言ってその場を離れた。
ロドルフが席を立った後、しばらくしてからジェシカがシドリアに小声で言った。
「なんだか、折角の楽しいディナーが散々な結果ですわね。」
「そうですね。しかし、明日になれば笑い話になるでしょう。」
シドリアがそう答えると、ジェシカは思い出したように話を始めた。
「そういえば、今日まで旅に行ってましたの。その旅先で――。」
ジェシカは、旅先で乗った汽車での不思議な体験を楽しそうに話した。
怖い思いもしていたが、今となってはそれはスリルのある楽しい思い出に変わっていた。
最後には、ジェシカが見知らぬ青年の口真似までして、シドリアを大いに笑わせた。
「ハハハッ。それは面白い体験談ですね。
私も似たような男と一緒に仕事をしているんですよ。しかし、不思議なこともあるもの――。」
そこでシドリアはふとあることを思い出した。
不思議なことと聞いて、念を連想したからだろう。
シドリアは、自身の指先に意識を集中させる――。
――ポゥ
シドリアの指先から淡い光が生まれた。
ディナーテーブルが照らされる程度の蝋燭のような弱い光であったが、完全な暗闇からは解放された。
ジェシカが驚いた口調で尋ねる。
「ど、どういうことですの?」
「ハハ、ただの手品ですよ。」
シドリアは、笑いながら簡単に嘘をつき、心の中で呟く。
(まさか、まだ覚えていたとはな――。)
――【
シドリアが最初に編み出した、オーラを光に変化させる念能力である。
光は放射してしまう性質がある為、放出系が苦手な変化系能力者のシドリアは持続時間も限りなく短く、蝋燭並みの照度だった。
シドリアは、この能力のイメージの根元である閃光手榴弾レベルの光量をどうやっても得られそうにないと判断し、特に使い道がない為早々に切り捨てた。
そのすぐ後に、シドリアはオーラを影に変化させることに成功し、今では影の能力だけを使っている――。
「――とはいっても、弱い光で申し訳ないのですが・・・。」
シドリアが心から残念そうに言うと、ジェシカは言った。
「フフッ!
でも、シドリア様のお顔を見るのには十分ですわ。」
――シドリア様。
瞬間、シドリアはジェシカに幻影を見た。
ミコトの顔と声を――。
ミコトがGIの中に入ってから半年近く経過するが、いまだにミコトはゲームの中だった。
ミコトの幻影を見たシドリアはミコトに対する強い想いを抱くと同時に、ミコトの身を案じた―。
思わずシドリアの顔は強張り、それを見たジェシカは戸惑った様子だ。
ジェシカの反応に気付いたシドリアは、慌てて言った。
「すみません、少し昔のことを思い出してしまい――。」
「それは、どちらかの女性のことですの?」
ジェシカの女の勘から発したその言葉には、苛立ちに近い感情が多分に含まれていた。
何故なら、この場にはいない筈の女性のことを考えてしまうということは、目の前にいるジェシカをないがしろにしているということに他ならないからだ。
少なくとも、貴族令嬢であるジェシカのプライドが、それを良しとはしなかった。
シドリアは苦笑いをしながら答える。
「手厳しいですね。
実は、先程の貴女と同じ呼び方でいつも私のことを呼ぶ女性が――。」
シドリアは一旦話を止め、言葉を選んでから静かに言った。
「半年前に、失踪してしまいましてね――。」
ジェシカはそれを聞くと、瞬時に理解した。
シドリアが、親しい女性の失踪と彼の父親の死を結び付けて考えていることを――。
シドリアの立場で考えてみれば、悪い想像をしてもおかしくはない。
「そ、それは、大変失礼しましたわ。
その・・・きっと良い知らせが待ってらっしゃるわ。」
ジェシカは自身の発言を恥じ、心から謝罪した。
シドリアは、そんなジェシカを笑って許した。
しばらくすると、シドリアの指先の光は、前触れもなく自然にスゥと消えた。
辺りはまた暗闇に包まれる・・・。
「すみません、種火が切れたようです。」
シドリアは簡単にそう言った。
シドリアがオーラを光に変えるには、一定量の光を浴びてオーラに溜めておかないとならない。
暗闇の中では、大した光を浴びることも出来ず、シドリアのオーラからはもう光を生み出すことはできなかった。
「あら、残念ですわね。」
ジェシカは笑いながらそう言った。
シドリアの言葉から、ジェシカは本当にこれが手品の一種だと確信した様子だった。
――!?
シドリアの身に緊張が走った。
殺気を感じたからだ。
素人のものではなく、もっと訓練されたような――。
シドリアは言った。
「ジェシカ様、移動しましょうか?」
ジェシカは何のことか分からない様子でいると、シドリアが言った。
「あれから誰も帰ってこないのは異常だとは思いませんか?」
シドリアが強い口調でそう言うと、ジェシカは焦った様子で席を立った。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
実際に会ってみて、シドリアはロドルフが喰えない人物だと感じた。
シドリアはディナーでロドルフと会話し、その巧みな話術に思わず心を奪われそうになった。
しかし、本性は分からない。
公爵に次ぐ伯爵という身分で議会の議長に就任する為に、話術やカリスマ性が必要なのかもしれない。
シドリアの感触では、ロドルフ=マーキュリーという男は裏で何を考えているか分からない人物だった。
そして今起きている明らかに人為的な異常事態――。
シドリアは、この異常事態は2つのパターンで説明できると考えていた。
1つは、ロドルフが首謀者であるパターン。
この場合は分かりやすくシドリアの命を狙うということだろう。
先程の席を離れる際のロドルフの言動が演技だとすれば、その推測は成り立つ。
先日、ガイアッグに「メリット等ない」と吠えたシドリアであったが、ロドルフの立場で考えるならばそれは存在したのだ。
それは、所有する領地の面積――。
ブライト家の広大な領地が狙いだとすれば、それは十分に動機になりえる。
継承者がいない領地は、他の貴族に等分される。
現在のマーキュリー家が領地を増やすと、自動的に公爵の仲間入りになることができた。
そうなれば、ロドルフは名実共に支配者になることができる。
2つ目として、ロドルフが今回の件の首謀者ではないパターン。
その場合賊の狙いは――。
堅牢な城を改築したロドルフ邸には、精鋭の兵士達が常駐する。
少なくともわざわざ、攻めるのに難関なこの屋敷にいるときにシドリアを狙うことは考えづらい。
すなわち、このパターンの場合の狙いは、ロドルフ――。
「――だとしたら、厄介だな。」
暗闇の中を歩きながら、シドリアは呟いた。
「え? 何ですの?」
ジェシカは、シドリアの独り言に反応して言った。自然と他意なく2人は手を握っている。
ジェシカに何と説明しようかシドリアが考えている途中で、ジェシカは言った。
「少し、怖いですわね。先刻から本当に人の気配がしないですわ。」
「大丈夫です。貴女の事は、私が守りますから。」
ジェシカの不安な言葉を、シドリアは力強い言葉で励ました。
自然にお互いが、力強く手を握り合う。
しばらく手探りで進むと、エントランスホールに繋がる通路に出た。
「あら? あそこに赤い光が見えますわね。」
「赤い・・・光?」
シドリアはハッとしてジェシカを抱きしめて静かに床面に伏せる。
ドギマギして何か言葉にならない声を発するジェシカを意に介せず、シドリアは影の能力を進行方向に展開した。
かなり視認しづらいが、エントランスホールに赤い点がいくつもあるのが見えた。
シドリアは、前方の気配に変化がないことに安堵して影を解除した。
ジェシカに言われなければ危なかったと、シドリアは溜息する。
シドリアのオーラを影に変化させる念能力【
端的に言えば、シドリアの念能力は近中距離だと、肉眼よりかなり性能が悪い。
その為、暗闇の中でシドリアは念能力を使わず、盲目時代を思い出しながら気配のみを警戒して進んでいた。
「あ、あの・・・どうしたのですの?」
長身のシドリアに押し倒されたままの恰好のジェシカが、消え入りそうな小声で恥ずかしそうに聞いた。
シドリアはジェシカよりも更に小さい声で答えた。
「あれは恐らく暗視ゴーグルでしょうね。この屋敷の停電は仕組まれたものだと思います。
この戦術を使うということは、訓練されたプロ集団でしょう。」
シドリアの言葉を聞いてジェシカが言った。
「まさか、お父様や使用人達は殺されて――?」
「いえ、それは断定できません。
しかし今は何よりもジェシカ様がこの屋敷から脱出するのが先決です。」
シドリアは、銃声を聞いていないので殺されている可能性は薄いと考えてはいたが、プロならばサイレントキルも心得ている為に断言することなく、そう答えた。
目の前の状況から考えて、狙いはシドリアではない。
何故なら、エントランスホールを封鎖することから、敵は屋敷の制圧が目的。
堅牢な防備のマーキュリー邸を狙うことから、武装したプロ集団による計画的な犯行とシドリアは考え、現状に強い危機感を抱いていた。
今、シドリアは武器を何も持っていない。
せめてナイフのような刃物があれば戦闘もできたが、ジェシカと一緒に暗闇の中で武装集団に丸腰で挑むのは無謀であると判断した。
「どこか、この屋敷の人間以外知られていない脱出口はありませんか?」
「それなら確か、昔つくられた隠し通路がありますわ。」
シドリアの問いにジェシカがそう答えた。
△△△△△△△△△△△△△△△
「き、貴様こんな真似をして――グッ!」
鈍い音が鳴り、男の叫びは途中で途切れる。
叫んだ男はゲフゲフと声を発した。
「おい、お前の立場を理解しているのか?」
目の前の銃を装備した男が、有無を言わせぬ強い口調でそう言った。
状況は最悪であった。
屋敷の外に配置していた兵士達は全滅し、使用人達は厨房で拘束されていた。
「この屋敷は、全て我々が占拠した。
お前はこれから、俺の言う通りに動け。いいな?」
その言葉を聞き、先程殴られた男は頷くと、忌々しく思いながら考えた。
(ということは、首謀者は――?
しかし、だとすれば――。)
「む、娘は、ジェシカは無事なのか?」
それを聞くと、銃を持った男は笑いながら言った。
「フハハ、もうすぐ会えるぜ!」
――ガシャン!
入り口が開く音と共に、部屋に入ってきた2人組がいた。
シドリアとジェシカだった――。
■■■■■■■■■■■■■■■
ジェシカが隠し扉を開ける音を聞き、私は影の能力を展開する。
私の目の前の壁がスライドし、現れたのは――。
薄暗い照明の部屋の中、拘束され、顔面が腫れた男がいた。
その男が私達の姿を見た瞬間に叫ぶ。
「ジェシカ! 大丈夫か? 酷いことはされてないか?
ブライト公爵、貴様の暴挙を許す訳にはいかない!
私の私兵団の総力を結集させて貴様の野望を打ち砕いてやるぞ!
事態を収束させた後、公国議会で――。」
ガシャンと背後の扉が閉まる音と同時に、男が私の名前を呼んで非難するのが聞こえた。
その男は、ロドルフ=マーキュリー。
正直、面食らったという印象で、私は事態を飲み込むのに時間がかかった。
しかし――。
「ブライト公爵、屋敷の制圧を完了しました。」
傍にいた、軍用散弾銃を装備したガイアッグがそう言った。
そこで、確信を持った。――というより突き付けられたのだ。
ロドルフが父を暗殺した疑いがあると言ったのは、ガイアッグ。
つまり、全てガイアッグの書いたシナリオなのだと――。
「ガイアッグ、貴様!?」
私がそう叫ぶよりも早く、ガイアッグは無駄の無い動きでロドルフを銃床で殴り、気絶させて言った。
「失礼しました。確か指示では議長を拘束し気絶させろ、とのことでしたね?」
「お父様!」
その瞬間、今まで混乱し立ち尽くしていたジェシカが、うずくまるロドルフに駆け寄った。
その様子をニヤニヤした顔で見ながら、ガイアッグが言った。
「どうぞお嬢様、お父上を連れてそちらの脱出口からお逃げ下さい。そう――。」
ガイアッグはそう言ってから、私の方を見て言った。
「お嬢様には危害を加えるな、とのブライト公爵の指示ですので――。」
ガイアッグを見上げたジェシカは、振り返り様に私をキッと睨みつけた後、ロドルフを一生懸命引きずりながら脱出口から出て行った。
ガイアッグはそれを見送ると、私の方を向いて言った。
「フハハ、どうだ? シドリア?」
「何がだ?」
私が忌々しくそう聞くと、ガイアッグが言った。
「何って、決まってるだろう。お前の夢だったじゃないか?
俺と暮らしてた頃、必死に鍛えていたのは今日のこの為じゃないのか?」
「違う! 確かにあの頃はそう言ったかもしれない。
だが、違うんだ。強ければ全てを支配できるなんていうのは妄言でしかなかった・・・。」
私がそう答えると、ガイアッグは、しばらく私を凝視していた。
「お前、変わったな。貴族の割に見込みがあると思った俺が間違いだった・・・。」
「確かに私は変わった。でも今の自分は嫌いじゃないし、そもそも人は変わるものだ。」
私が諭すようにそう返すと、ガイアッグが叫び始めた。
「そうじゃない! お前は弱くなったんだ!
まるでお前の親父のように――。」
――
私の脳内で、その言葉がリフレインした。
そしてガイアッグが先日言った言葉――サミエル公爵の胃の内容物に微量の化学物質が――。
全てが線で繋がった。
「き、貴様が殺したのか!?
私の父サミエルを!?」
私は考えるよりも先に叫んだ。
記憶の中のガイアッグとの思い出が繰り返される。
小さい頃はガイアッグにいつも遊んでもらっていた。
シムズ市で一緒に暮らしていたときは、毎日のように喧嘩をし、騒ぎ、最後に2人で笑った。
ガイアッグは料理もできないし、部屋をすぐに散らかす。
しかし、私と過ごしていた頃、貴族の子息である私を特別扱いしなかったことが嬉しかった。
ジョニーとガルナに出会った後も、ガイアッグは私に戦術や格闘術を伝授してくれ、お菓子争奪戦の勝率はトップになった。
ガイアッグは私にとってかけがいのない仲間であり、家族だった――。
私は、涙を流していた。
訳も分からず、あのガイアッグがそんなことするとは信じられなかったのだ。
ああ、今分かった。
あの日、師匠が死んだ日、あの奇術師を見たガルナはこういう気持ちになったのか――。
「――ああ、そうだ。お前の親父は復権を諦め、あのクソ野郎の、ロドルフの言いなりになりやがったんだ!
だから殺した。お前が後を継げばきっと復権を望むと踏んだんだ!」
「期待に沿えなくて悪いが、私は父を殺した相手に容赦はしないぞ?」
ガイアッグの言葉に私がそう返すと、ガイアッグは叫んだ。
「うるせえ! 俺はお前を殺して、英雄になる!」
ガイアッグの言葉を聞いた私は、深い溜め息をついて言った。
「なるほど、それが本当の目的か?
そうでなければ、2人を逃がした戦略的意味は全くないからな。」
私がそう言うや否や、ガイアッグが私に散弾銃を向けた。
私は、強く静かな殺意を胸に抱きながら、映影を展開してガイアッグとの間合いを詰める――。
いくらオーラでガードをしたとしても、散弾銃が直撃すれば致命傷を負うだろう。
しかし、散弾銃は連射ができない故に、その装填中に最大の隙が生まれる。
その隙を突き、私はできるだけ素早くガイアッグを殺すことを決めた。
――ダンッン!
「な、何?」
私は予想外の事態に思わず呟いた。
私は射線を回避する動きをしていたが、ガイアッグは発砲の瞬間に狙いを変えたのだ。
それは、私が展開した影――。
私は目眩と共に困惑し、思わず立ち止まってしまった。
「それが、お前の念能力ってやつか?」
ガイアッグが素早く弾を装填をしながらそう言った。
その言葉に私は驚いて、ガイアッグの気配を探る。
「――ん? 俺が念能力者かって? 違うぜ。
だがな、過去の戦闘で何人かそういう奴らがいたからな。対処法は思いつく。」
ガイアッグがそう言った。
そうだったのだ。ガイアッグは昔から敵の戦力の分析をしたり、戦術と戦略を立てる才能が優れていた。
私が強さに憧れを持っていた頃、そんなガイアッグを尊敬していたのを思い出した。
「お前がこの部屋に来ることも、全て計算づくだ。
ここは遮蔽物もないし、気配を消して近接も不可能。
あとは、お前の念能力とやらだが、ここに来るまでのお前の動きを観察して気付いたことがある。」
ガイアッグはそう言うと、鼻で笑ってから言った。
「お前、目が見えないだろ?
念能力で代用してるみたいだが、何もないところに影が伸びたり縮んだりすりゃ、使えない俺でも分かるぜ。」
私は驚きで声が出なかった。
念の事をきちんと教わった訳ではないのに、そこまでの洞察ができることに思わず感嘆してしまった。
「お前の能力、影で周囲の光学情報を得る能力だな?
その能力の最大の弱点、それは照度調整ができないことだ!」
「な、何故それを? いつ気付いた?」
まるで、負けを認めたような台詞が私の口から出ると、ガイアッグは笑って答えた。
「最初からだよ。
お前が覚えてるか分らんが、俺と一緒に移動する日、家から外に出た瞬間にお前は影を慌てて引っ込めたんだ。
それが、最初に影の能力に気付いたきっかけでもあるが、引っ込めた理由について確証はなかった。
でも、今日確信したぜ。先刻まで監視カメラでお前の動きを見ていたからな。
そう、お前は照度調整ができないんだ。眩しくても暗くても、そのままの情報が届くんだろ?」
ガイアッグの言葉を聞き、私は心から負けを覚悟した。
先程のガイアッグの攻撃、あれは私の能力の対抗策としては最善手。
何故なら、散弾銃の着弾で起こる強い火花で、私は他の光学情報を得ることができなくなるからだ。
先程は偶然かと考えたが、この男が偶然そんなことをする訳がない。
私は理解した――。
私はガイアッグに勝てない。
逃げるにしても後方の隠し扉の開け方を知らない。
活路があるとすれば――。
「それとも、俺に向かって破れかぶれで特攻するか? やめた方がいいけどな!
俺が過去出会ったどんな念能力者も、銃弾を回避していた。ピストルの1発2発ならまだ知らず、軍用散弾銃に突っ込む勇気があるか?」
思考を読まれ、私は沈黙を守った。
しかし、他に道はない。せめて影の能力を使わず、オーラの全てを堅に回せば致命傷は避けられると――。
「シドリア様!!」
――!?
その声はジェシカだった。父親を運んだ後にここまで戻ってきたというのか――何故?
いや、まずい!
「お前、今の話を!?」
案の定、ガイアッグはそう叫びながらジェシカに銃口を向けた――。
私は無我夢中で動いた。
――ダン!!
散弾銃の発砲音がしたとき、既に私はガイアッグの銃口の前の至近距離の位置に立っていた。
避けることはできない。
避ければジェシカに当たる。
だが、これでいい。目の前の命を見捨てるなど、二度としたくない。
ガイアッグの位置も正確には分からない為、私には咄嗟にそんなことしかできなかった。
私は死を覚悟した。
――シドリア様は、命を粗末にし過ぎです!
その時、声が聞こえた。ジェシカの声ではない。これは――。
――ミコト!!
その瞬間、私はミコトの言葉を思い出した。
それは、さながら閃光のような一条の光。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
それは、初めてシドリアが生にしがみつこうとした執念――。
その瞬間、シドリアは部屋の全てを支配した。
シドリアは、視た。
空中で分裂した散弾――。
部屋の構造――。
ガイアッグの身体――。
ジェシカの姿――。
2人の筋肉の動き――。
2人の感情による体温の変化や微弱に漏れ出るオーラの変化――。
シドリアは、この「場」と「時」の支配者となった。
シドリアは、普段から両目に凝をしていた。
しかし、ミコトから貰った両目を封印する為、そのオーラは影の性質に変化させている。
シドリアが【偽影】と呼ぶそれは、光学情報を完全に吸収し、遮断する技。
シドリアが初めてオーラを影に変化させる際に成功した型でもある。
すんなり影のイメージ化が成功した本当の理由は、シドリア本人も知らない。
――【
シドリアが最初に開発した念能力。
この能力の照度は低く、しかも使う前には「光を溜める」必要があった。
そう、「光を溜める」工程を強化したのが【偽影】であり、光を溜める効果を円の効果に変えたのが【幻影】だったのだ。
その瞬間に全てが噛み合った。
シドリアは、常時両目に【偽影】を展開していた。
それは、ミコトへの身勝手な愛の為の封印――。
シドリアはその封印を解放した。
影を絶ち、強すぎる愛の封印を解いたのだ。
生きるために――。
生きて愛するミコトと再会するために――。
シドリアの両目は白く光り輝く。
その光は、部屋を光速で反射し続け、放射した光のオーラによる円の効果から、即座にシドリアの脳内に情報を伝達する。
それは、文字通り光速の情報収集能力。
【偽影】を解放することで発生した念の光は、秒速30万キロメートルの速さで部屋を反射し続け、【幻影】を応用した円の効果で360度の全ての情報を連続で得ることが可能――。
「光遺伝学」という脳科学研究がある。
遺伝子操作技術により、脳内の任意の情報伝達物質の量を光によって増減させ、脳を操作する研究だ。
シドリアの脳内では、念による効果で、無意識に同様の効果が得られていた。
すなわち、光とオーラによる脳内の情報処理能力の強化――。
故に、シドリアは一瞬の内に蓄積される膨大な光学情報を処理することができた。
その時、シドリアは部屋にある全てのモノを視た。
その瞬間、この場の支配者は、シドリアだった――。
――――。
「――1つ、聞いていいか?」
ガイアッグが、煙草を吸いながら小さな声で呟いた。
シドリアが無言で頷くと、ガイアッグは煙を吐き出し聞いた。
「お前みたいに散弾を全て指で掴める念能力者はどれぐらいいるんだ?」
シドリアは、首を横に振ると言った。
「そんな能力者は稀だ。
私のあれは、偶然が重なった結果だった。勝負はお前の勝ちだよ。」
「そうか。それなら、い――。」
ガイアッグの言葉は途中で止まった。
吸っていた煙草はポロリと石床に落ち、その赤い小さな火の光は、闇の中で自然と消えていく・・・。
シドリアは丁寧にガイアッグの目を閉じると、立ち上がって言った。
「おやすみ、ガイアッグ。」
シドリアの目から涙が流れていた・・・。
申し訳ありません、相変わらず休みがないので不定期更新です( ̄ロ ̄;)
次話は、いつになるか分かりません(>_<)
今回の話を書くにあたり、知恵を借してくれた友人に感謝します(*´∇`)