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最低限の照明の中、服を着終えたシドリアは、静かに駆動音のする冷蔵庫からペットボトルを2つ取り出し、ミコトに声を掛けた。
「――悪かったな。
しかし、こんな夜遅くにどうしたんだ?」
ミコトは言葉にならない声を発して、シドリアの持っているペットボトルを受け取り、ソファーの方にシドリアを誘導する。
目が見えないシドリアは、普段から視覚以外の感覚を使って行動するが、音を発せずオーラも込められていない無機物に関しては、さすがに認識できない。
1人でいるときは、文字通り手探りでないと何処に何があるか分からないのだ。
シドリアは不要なサポートを嫌う。
ミコトはそれを知っていて、シドリアが苦手な部分だけを自然に補助することが出来るようになっていた。
「ミコト、ありがとう。」
ミコトの誘導により、シドリアはソファーに座ると、感謝の言葉を言った。
シドリアは、ペットボトルを開けて飲み始める。
シドリアは内心、困惑していた。
ミコトは、普段から元気でお喋りだから、自然にそこにいることを、シドリアは認識できた。
しかし、今日のミコトは、ここに来てからまともに言葉を発しない。
正確にいえば、シドリアの質問に対して、短く肯定的な返事をするだけだった。
シドリアは考えていた。どうすればいいのかを――。
そもそも、何故ミコトは、この部屋に来たのか――?。
「シドリア様は――」
ミコトが話を始めた。
シドリアは声のする方向に向いて、頷く。
「えと、どんな能力にするつもりです?」
意外な質問だ、とシドリアは思った。
また、それがたまたま今思い付いた質問であることも感じた。
だが、シドリアはミコトのその質問に真剣に答えるべきだと確信していた。
「――影だな。私は影の能力がいいと考えていた。」
その返答に対して、ミコトは息を呑んだ。
構わずシドリアは説明する。
「変化系と聞いて、真っ先に思い付いたのがそれだ。 私は、常に闇の中にいる。
向いているとは思わないか?」
ミコトは泣いていた。
その涙にどんな意味があるのか、分からない。
ただ泣いていた。
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花柄の着物を着た少女、ミコトが泣いていた。
濁流のような涙は、感情の波が渦を巻くように激しく、そこに流れていた。
ミコトは察した。理解したのだ。
シドリアという少年を形成する悲しいモノを――。
本来、その質問は、大した意味はなかった。
シドリアに自分の気持ちを伝えるには、心の準備が必要だったから――。
しかし、その質問をしたおかげで、ミコトは理解した。
シドリアは、目が見えないことを受け入れている。
それを一生のモノとしようとしている――。
おそらくは、シドリアが念能力の存在を知ったときには、希望を持っていた筈だ。
しかし、今日の念の最後の修行でやった「水見式」で、シドリアが変化系であることが判明した。
シドリアは、操作系か、具現化系で治癒の能力をつくりたかったらしく、深く落ち込んでしまった。
ミコトは大いに励ました。
ミコトは、自分が何を言ったかを思い出す。
――世の中には、色々な能力者がいるです!いつか、治るです!
自分のせいだ、とミコトは思った。
余計な励ましにより、シドリアは理解してしまった。
ミコトの言葉によって、「その目は当分、治らない」ということを――。
ミコトの中で、様々な想いが渦巻きながら、ある1つの考えが生まれた。
彼の目と自分の目を交換できれば――。
その考えは、明確にミコトの中で言語化されることはなかった。
想いの濁流の中、感情の渦巻きの中でチラリと見え隠れするような一筋の光のようなもの。
ミコトは、自分の中の感情をコントロール出来ず、しかし、だからこそ、今シドリアの部屋に来た目的を思い出すと、何の躊躇いもなく伝えることが出来た。
「好きです!
ワタシ、シドリア様のことが好きです!」
目の前の少年は、目を大きく見開き、持っていたペットボトルを落とした。
泡が混じった黒い液体が、ペットボトルからドクドクと床に広がり続ける。
その光景は、まるで自分の心の中のようだ、とミコトは思った。
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――勝ってうれしい、はないちもんめ、負けてくやしい、はないちもんめ――。
――あの子がほしい、あの子じゃわからん、この子がほしい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよう――。
その夜、2人は混じりあった。
初めて同士だと、中々うまくいかないものだと、ミコトは思ったが、それも素敵なことだと感じた。
シドリアは目が見えない中、懸命にミコトを愛した。
ミコトは痛みを懸命に我慢し、シドリアの愛を受け止めた――。
ミコトの告白の後、ミコトの予想以上に、シドリアは混乱し、慌てふためいていた。
ミコトは、シドリアのミコトへの評価が低いことを自覚していたが、その態度はあんまりだと少し腹が立った。
シドリアは言った。
「ほ、本当に?
なんで俺なんか――?」
そこで、ミコトは泣きそうになった。
シドリアの驚き方は、ミコトを子供扱いしているからこその態度だと思い込んでいた自分を恥じた。
違うんだ。この人は、自分自身の自己評価が低すぎるんだ、とミコトは思った。
シドリアは、その言動から、プライドが高いと周囲から思われている。
しかし、実際はそうではないのだと、ミコトは痛感した。
シドリアは、怖がりなのだ。
まるで小さな子供のような、だからこそ常に周りを警戒しているだけなのだと――。
ミコトは、言った。
その言葉は、不思議と怒ったような口調になってしまったと、ミコトは思った。
だが、シドリアからすると、その言葉は、優しい天使のような母性を感じた。
「ワタシを、抱いて欲しいです!」
シドリアは、ミコトの優しさを理解し、落ち着きを取り戻して答えた。
「俺も、ミコトが好きだ。
会ったときからずっと――。」
それを聞いたミコトは、突発的に泣き出した。
それは、嬉しさで満ち溢れた優しい涙だった――。
それからミコトはシャワーを浴び終わると、急に恥ずかしくなり、意味が無いと理解しながらも、部屋の全ての照明を消して、寝室に向かった――。
「――悪いな、俺は初めてだったからうまくできなかった。」
「大丈夫です!次からは、きっと――。」
ミコトは、そう言い掛けて、心から恥ずかしくなった。
シドリアが鋭く指摘する。
「さりげなく、次からって言ったな?」
「うー。それよりも、シドリア様は約束守るです!」
ミコトは話を反らそうと懸命に頑張った。
シドリアは、何のことか分からないようだったので、ミコトは少し得意気な口調で言った。
「シドリア様は、大分前から『俺』って言ってるです!」
「あ、そうか・・・。」
暗闇の中、シドリアの顔が見れないのが、ミコトは少し残念に思った――。
★★★★★★★★★★★★★★★
「シドリア!急で悪いんだけど、今日里に帰ろう!?」
早朝、ガルナはシドリアの部屋にノックもせずに入ると同時にそう言った。
すぐにガルナは唖然とする。
シドリアとミコトは同じベッドに寝ていた。
どちらとも幸せそうな表情で、しっかりと抱き合っている・・・。
「ええと、この2人はいつの間にそういう――?」
ガルナは独り言を言っていると、シドリアが目を覚ました。
シドリアは、ガルナと目を合わせてから、驚いた表情をした。
ガルナは、すぐに声を掛ける。
「ちょっと悪いんだけど、今すぐ出発できる?
準備あるだろうから、1時間後に師匠の宿でね!」
ガルナは一方的にそれだけ言うと、部屋から立ち去った。
シドリアは困惑した様子で、横で幸せそうに寝ている少女に目をやった。
「なんで?どういうことだ――?」
シドリアは、混乱した口調でそう言った。
ガルナは、走った。ひたすら走った――。
ガルナにとって、あんなに怒った人を見たのは初めての経験だ。
かつての、ジョニーが怒ったのを見たことは無かった。
ジョニーが不機嫌なときは、そっとしておけば、それで良かった。
ニコラス=ポートネスの追っ手には、遂に一度も遭遇しなかった。
ガルナにとって、追われる身になるのは初めてだったのだ――。
とにかく、逃げたい!
どこまでも遠くまで――。
ガルナは、心からそう考え、走っていた。
ガルナは自身の歩法や体法、念を最大限に駆使して、天空討議場から街の建物の屋根を飛び渡り、師匠の家に向かった――。
僅か数分で、師匠の家に着くと、ガルナはヘトヘトになってドアに向かった。
昨夜、ガルナは、1ヶ月間でウナに習った技を駆使した。
全力で――。
ガルナは、ウナの本気の怒りを体で感じ、恐怖した。
ガルナは戦いでは、優れた危機感知能力がある。
それにより、危険な試合ならば、逃げることができた。
しかし、この恐怖は別種のモノだと、ガルナは思う。
ウナという女の本気の怒りは、不思議と逆らえない、精神的な恐怖をガルナに与えた。
故に、ガルナはウナに従うことにした。
これは、本能的な母への恐怖に近い。
恐怖を感じたガルナが、真剣に謝罪し、自らベッドに向かうと、ウナは驚く程コロリと態度を変えて、ガルナと交じり始めた。
ガルナの心の中では、結論は決まっている。
むしろ、もっと面白そうな案すら思いついていた。
逃げなければ――。
ガルナは、その為の最適な行動をすることにした。
ウナが、ガルナの技により、6度目の絶頂を経て、完全に眠りについたのを確認すると、ガルナはゆっくりと寝室を後にした。
ガルナは、電話台の上のメモとペンを見つけると、殴り書きで「ゴメン、バイバイ」とだけ書いた。
絶を使って移動し、ガルナはゆっくりと部屋の出入口の扉を開ける・・・。
そしてガルナは、素早く通路に出ると、扉を静かに閉める為に、部屋の方に身体の向きを変えた――。
「わああああああ!?」
通路にいるガルナは突然叫んだ。
目の前にウナがいた。
無表情のままウナは、部屋の中から手を伸ばして、ガルナの閉めようとしていた扉を、力強く掴む。
瞬間、ガルナは駆け出した。
ガルナは、背後の気配に気を付けながら、最高速度で走り始めた。
案の定、蛇のような形のオーラが追ってくる。
ガルナは姿勢を低くして1匹を回避してから、無駄の無い動きで通路の天井まで飛び上がり、絶妙な動きでウナの伸ばしたオーラを2匹とも回避した。
そのままガルナは、天井をオーラを込めた足で踏み込んで飛び出し、ランダムに床と壁、天井をジグザグに動きながら、逃げていった――。
背後のウナが走ってくるのが分かるが、ガルナには追い付かない。
最後には、ウナの泣きながら発した罵声が聞こえた――。
そのままガルナは、シドリアの部屋に行って、一言伝え、走って師匠の宿に向かったのだった。
「しまった!シドリアの部屋って、いつもロックしてないから、ウナがあいつの部屋行ったらヤバイかな?」
ガルナは独り言を言いながら、師匠の部屋の扉をノックする。
ノックは2回。反応が無くてもそれ以上は禁止。
ガルナが過去に無断で扉を開けたときには、師匠にかなり怒られたものだった。
ガルナは思い出してから、気付いた。
「そうか、ウナ程じゃないけど、怒られて怖いって思ったのは、師匠が初めてだったんだ――。」
10分後、師匠が扉を開けた。
「おや、ガルナか?
随分朝早いね。ん?」
師匠は、そう言ってから、ガルナの様子に勘づいて、呆れた声で言った。
「まさか、彼女から逃げてきたの?」
「ぐっ!な、なんで知ってるの?」
ガルナは半袖のTシャツを着ていた。
剥き出しの両肘にロープで縛られたような痕がついている・・・。
師匠にそれを指摘されると、ガルナは赤面して答えた。
「ああ、これか。いや、そういうプレイとかじゃないからね!?」
部屋でお茶を飲みながら、ガルナは師匠に事情を話すと、師匠が答えた。
「ていうか、それってカラダだけの関係だね。
まあ、ガルナはバカだからすぐには分からないだろうけど――?」
ガルナがキョトンとしているのを見て、師匠は怒りのチョップをガルナの頭に打った。
「痛い!」
「うるさいな、女の敵め。」
ガルナが痛がるのを見て、師匠は不愉快そうにそう言った。
しかし、ガルナは理解していない様子だったので、師匠は小さくため息をついて、別な話をすることにした。
「ああ、そういえば、姫が昨日シドリアの部屋に行ったまま帰ってこないんだけど――?」
「姫?姫ならシドリアの隣で寝てたよ?」
ガルナがそう答えるのを聞いて、師匠は唖然とした。
そのまま師匠は、しばらくの間ブツブツと何か自問自答していた・・・。
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シドリアは、構えをとると、目の前の空間に、蹴りを放った。
姿勢を低くし、拳を握ると同じように正拳突きを放つ――。
ガルナに一方的に起こされた後、シドリアは混乱した頭を整理した。
優しい朝日に照らされる中、シドリアは、幸せそうに眠るミコトを起こさないように、ベッドからゆっくりと降りた。
まず、シドリアはこれが夢ではないかと思った。
こんな、奇跡があるのかと、シドリアは感動で涙を流しそうになった。
シドリアは、昨晩の行為の後そのまま寝てしまったので、すぐにでもシャワーを浴びたかったが、その前に、少し身体を動かしてみたくなった。
それは、約1年半振りだった。
しかし、自身の身体の動きを自分で見ると、数十年は修業したかと思う程に上達していた。
シドリアは、自分でも驚く程、心から喜んでいた。
歓声を上げたかった。
だが、喜びというのは、程度を過ぎると、声にも出せないようで、シドリアはそれすらも面白く、楽しく感じた。
何故なら――。
眼が、見えるのだ。
シドリアの眼は、間違いなく、復活していた。
少しの間、身体を動かしてジンワリと汗をかいたので、シドリアはシャワーを浴びに行った。
自分の部屋なので、文字通り目を瞑っていても歩けるが、これからは見えるのだ。
人が見ていないところで足を何かにぶつけること数知れず、頭や肩や手が何かにぶつかることもない。
そんな些細なことすらも、シドリアには嬉しく感じた。
シャワーを浴びながら、ふと何かを思い出しかけていた。
目が見えるようになったらやってみたいこと――。
「そうだ!凝だ。凝をやるのを忘れていた!」
オーラが視えるのは先程の演武で確認していた。
感触や気配については身体が覚えていたが、あんな風にオーラが視えるとは、想像もしていなかった。
あまりに面白くて、一人で流を使った蹴りや突きを何度も繰り返していた。
シドリアは、シャワーの湯を止めると、右手のオーラだけに隠を使った。
眼にオーラを集中させていき、凝で右手の隠したオーラを確認すると、シドリアはニヤニヤが止まらなくなった。
「なるほど、これなら隠で隠したオーラも凝で簡単に見破れるな。」
シドリアは、そんな独り言を言ってから、浴室から出て身体を拭いていると、洗面所の鏡が曇っているのが見えた。
何の意図もなく、曇った鏡を手で拭うと、自分の姿が見えた。
少年から青年に成長しつつあるその身体は、明らかに1年半前よりも男らしく、逞しくなっていた。
ふと、自分の顔を見つめる。
こんな顔だったか、随分昔のようでいて、忘れかけて――。
「いや!違う!!」
シドリアは突然、悲鳴に近い叫び声を上げた。
妙な胸騒ぎが心臓を激しく打っている。
違う、チガウ、何が違う――?
自問自答の中、意識の泥の中からゆっくりと掬い上げるように、シドリアは言葉を発した。
「瞳の色が――違う。」
シドリアの瞳の色は、灰色だった。
シドリアの国の人間には一般的な色だったし、それが成長によって変わることもなかった。
今のシドリアの瞳の色は、ダークブラウン。
それは、限りなく黒に近い、チョコレートのような色だった。
シドリアの記憶が蘇る。
そんな瞳の色の人間――。
「ミコトー!!」
シドリアは駆け出した。
それまで、シドリアの頭の中には、希望が溢れていた。
愛する人と結ばれ、おそらくそれがトリガーとなり、機能障害すら回復させるミコトの新しい治癒能力が発動したのだと、内心考えていた。
2人の好意を伝えあい、2人で愛を深め合い、そんな奇跡のような幸福が、自分の眼を治すことが、夢のような素晴らしいことだと、シドリアは思っていた。
実際は、違う。
これは、奇跡でもなんでもない。
純粋な自己犠牲だ。
「ミコト、起きろ!早く!」
シドリアは、激しい感情を抑えることもなく、深く眠る、眠り姫を叩き起こした。
すると、ミコトは、ゆっくりと目を開ける。
シドリアの悪い予感は的中した。
ミコトの目の瞳の色は、灰色だった。
ミコトは起きると寝惚けた口調で言った。
「シドリア様?まだ朝じゃないです。
だって、まだ真っ暗です。」
それを聞いた途端、絶望の底に突き落とされた気持ちで、シドリアは床に崩れ落ち、激しく泣いた。
シドリアは、泣き続けていた。