東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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95・されど幻想は龍と踊る(結)

 空飛ぶ島の連なる天界の中でも、最も高度の高い位置に浮かぶ小さな小島。

 掘っ建て小屋と小さな池。それが島の全てであり、ここに住まう者にとってそれ以外は不要だった。

 

 一時間幸せになりたかったら、酒を飲みなさい。

 三日間幸せになりたいなら、結婚しなさい。

 一生幸せになりたいなら、釣りを覚えなさい。

 

 この格言に従うならば、小島の縁に座り釣りに興じる二人は間違いなく幸福な時間を享受しているのだろう。

 こんな空高くで釣り糸を垂らして意味があるのか、などと考える者はこの中には居ない。

 ここは、幻想の集う土地。()()という名の海があるのに、その中に住人が住み着かない訳がない。

 事実、それぞれの背後にある桶の中では、小島を支えるようにその周囲へと浮かぶ雲の中から釣り上げた本日の釣果が元気に跳ね回っている。

 ヒラメを極限まで薄く広げた紙切れのような魚や、風船の如く十倍以上にその身を膨れ上がらせる小魚など、一般的な地上の生態系とは少々趣きが異なるのはその環境故だろう。

 一人目の少女は、側頭部より伸びた捻じれた二本の角が特徴の鬼、伊吹萃香。

 二人目の男は、異様なまでに伸びた後頭部を持つ禿頭の老人。

 額を隠す黒の頭巾に、同色の和装。左右に長々と伸びる白髭が、地面に付く事なく天界の風に揺れている。

 

「あー、暇だー。なぁ、勝負しようぜー」

「嫌じゃゼヨ」

 

 釣り竿片手に反対の手で瓢箪の酒を煽る萃香が隣に問えば、老人は脊髄反射にも近い速度でその申し出を断る。

 

「わっしはまだ死にとうないゼヨ。外を探せ」

「んあー、けちー」

 

 袖にされた小鬼は、ぱたぱたと可愛らしく投げ出した足を振り不満を示す。

 その可憐さに騙されてはいけない。萃香の誘っている「勝負」とは、断じて弾幕ごっこなどの遊戯ではない。

 おやつ感覚で鬼と死合うなど、たまったものではない。

 そして、二人のやり取りはこの老人が山の四天王であった萃香と、それだけの勝負を成立させる事が出来るという事実を同時に物語っている。

 

「しっかし。天界の主が自ら地上に出向くつもりとは、随分と珍しいね」

「流石に詫びまで無礼では、天界そのものの品位が疑われるゼヨ。ま、天界のお宝を二、三個持って、あの性悪女に頭を下げに行くだけの簡単なお仕事じゃゼヨ」

 

 駄々をこね飽きた小鬼が再び問えば、老人は酒の代わりとして二人の間に置かれた饅頭を食べながら平然と語る。

 浮島の頂点に住まう、最も天の意思に近き者。

 その肩書に似合わず、老人は悪戯を企む少年のように愛嬌のある笑みを作る。

 

「しししっ。久方振りに緋想の剣が主と認めた、有望なる若人。惹かれる引かれる」

 

 名居家の家臣である比那名居家は、天界の中でお世辞にも高い地位にはない。

 にもかかわらず、その比那名居家の者が上位者を相手に蛮行を繰り返し、未だ天界の至宝である緋想の剣を所持し続けている状況で、課せられた罰が門番というだけでは余りに軽過ぎる。 

 つまりそれは、その所業を見逃すだけの価値があの比那名居天子の中に見出されたという証明に他ならない。

 緋想の剣は、取り返せないのではない。取り返す必要がないから、今も不良天人の手に収まっているのだ。

 

「あー、良いなー。わたしも、あんな観察しがいのある玩具が欲しいなー」

「んん? お主は確か、今代の博麗の巫女に粉を掛けているのではなかったゼヨ?」

「あっちはあっちでつれないんだー。あーあ。アリスの前に、わたしがその天人に挑んどきゃ良かった」

「……無用な犠牲が出ずに終わって、本当に良かったゼヨ」

 

 どれだけ天人が硬いと言っても、鋼を砕く鬼の拳を耐える事は出来ない。盾と鉾の問題は、得てして鉾に分があるのだ。

 その上、この老人と同じように鬼とまっとうな勝負が出来るだろう天子と萃香が激突すれば、それだけで浮島の幾つかは確実に消滅していただろう。

 

「――至ると思うかい?」

 

 萃香からの、三度目の問い。

 天衣無縫の小娘が、鬼を超えた至高の存在へと至れる確率は如何ほどか。

 これこそが、鬼の王者が饅頭という手土産すら持参してこの場所へと訪れた本当の理由だった。

 

「さてのぉ。こればっかりは、本人次第。半端者のわっしには、ちっとばかり荷の重い話じゃゼヨ」

 

 森羅万象の輪廻を正しく循環させる為に、是非曲直庁(あの世)があるように。

 その輪廻の裁きを待つ者たちの憩い場として、冥界があるように。

 この天界という土地が存在するのには、それに相応しいだけの役割があるからなのだ。

 

「とはいえ、今代は健在でバリバリの現役じゃゼヨ。何も焦る必要はない」

 

 天界とは、言わば特殊な養殖場なのだ。

 天寿をまっとうした穢れなき魂と、偉業を成し遂げた素質ある者たちに用意された、理想的な修練場。

 永劫を過ごすに相応しい、何一つ不自由のない環境。

 仙果の実を食して肉を鋼に変え、時の流れと共に魂を極限まで練磨させた果てに到達するものとは、一体何か。

 龍神の直属であるはずの竜宮の使いたちが、何故天人の命令を聞いているのか。

 

「天へ昇り、門を開き、極点へ至る、か。「鬼」として完成してるわたしたちにゃあ、ちょっと解んない感覚だね」

「成長と進化は、生きとし生ける者の特権じゃゼヨ。幻想()現実()、片方だけで治めるには、この土地は少々捻じ曲がり過ぎておるゼヨ」

 

 天界の生活に堕落した者たちに、用はない。驕れる者も、諦念した者も、いずれ脱落者として死神による引導が渡される。

 天の上、その更に先にて存在する本当の到達点。

 最強の鬼と対等となるほどの者ですら道半ばに過ぎない、天に住まう者たちが目指すべき真なる頂。

 

「人が翼を得て、空へと飛び立つ――滝を昇る鯉である()()()()の綴る、今後の未来に期待じゃゼヨ」

「そんなもんかね。そんじゃ、飽きたから帰るよ」

「ほいほい。ぐっどらっくじゃゼヨ」

 

 霧となって消える暇人を、釣りを続ける暇人が片手を振って見送った。

 期待はある。資質もある。だが、その途次にて果てるのであれば、所詮それまで。

 後人の成長こそが、歩みを止めた先達の喜びとなる。

 祖父が孫を見守るように、幻想郷と天界の行く末を見守る守護者の一人として、老人による不良天人の観察はしばらく続くらしかった。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷の何処かにある、八雲の屋敷。

 主人と、従者と、従者の従者。普段から出入りしている三人に加え、今この場には四人目となる者が居候をしていた。

 

「ちょっとぉ! 私は捕虜で人質なのよ!? こんな待遇はなんとか条約違反よ! なんとか条約いーはーんー!」

 

 首から下の全てを失い首だけで喚き散らしているのは、先の異変で完全なる敗北をきっした不良天人、比那名居天子。

 こんな状態でありながら、一切不遜な態度を改めない豪胆さを褒めるべきか、蔑むべきか。

 因みに、彼女は現在居間の隅にて適当に転がされていたりする。

 退屈を嫌う彼女にしてみれば、それだけで拷問に等しい嫌がらせだろう。

 

「騒がしい事だ。それだけ元気があるのならば、脱走の一つでも企ててみたらどうだ?」

 

 土鍋を抱えながら訪れた藍が、脱出不可能である事を承知で転がる天子を挑発する。

 

「もう試したわよ。ここまでしないと安心して眠れないなんて、あの紫婆はよっぽど臆病者なのね」

「臆病というよりは、単に面倒が嫌いなだけだろうな。異変のような大規模な催しならばともかく、()()()()()()()()以外の面倒をあの方は余り好まれない」

 

 天子からの挑発も、従者には通用しない。

 居間の食卓に置いた土鍋の中身は、どうやらおでんらしい。

 蓋を開ければ、醤油仕立ての汁に浸かり熱々に煮えた具材が部屋中に食欲をそそる匂いを漂わせ始める。

 

「あら、今日のお昼はおでんなのね」

「美味しそうですね、紫様」

 

 紫と橙。ほどなくして他の者たちも姿を現し、八雲家の住人が揃った事で昼食が開始される。

 

「「「いただきます」」」

 

 首だけの一名を除く三人の唱和を持って、土鍋の中身が次々と各自のお椀に注がれていく。

 

「八二点」

「恐縮です」

「はふっ、はふはふっ!」

 

 一々採点する紫に、(こうべ)を垂れる藍。橙はそんな二人のやり取りを横目に、幸せそうにちくわと格闘している。

 家族の団らんとは少々異なるが、それでも食卓を囲む三人には確かな繋がりがあった。

 

「こらー! あんたたち、何普通に食べてんのよ! おかしくない!?」

 

 すっかり忘れ去られていた首だけ天人が、己の存在を声高に主張する。

 飲食不要の天人とはいえ、目の前でこれほど美味そうに食事をされては黙っていられない。

 文字通り手も足も出せない癖に、口だけでぎゃんぎゃんと吠える騒音の元を一瞥し、紫がにんまりとあくどい笑みを浮かべる。

 

「それでは、(わたくし)が食べさせて差し上げますわ。はーい、あーん」

「ちょっ、熱っ、やめっ、あっつっ」

「紫様……」

 

 自分のお椀の中に入っていた熱々の卵を箸で持ち上げ、天子の口に運ぶ振りをしながら頬や鼻下へと押し当てる。

 従者の狐が大層冷めた視線で見ているが、主は気にせず嬉々として捕虜への拷問を続行する。

 天人は堪らず顔を捩るが、頭部だけで動ける範囲などほんの少しだ。

 

「――なーんてねっ。天人である私が、この程度の熱で熱がる訳ないでしょ。ばーかばーか!」

 

 しばらく抵抗を続けていた天子だったが、今度は大きく舌を出して紫を馬鹿にしだす。どうやら、今までの苦しみようは演技だったらしい。

 人間であれば骨まで燃やす液体燃料の火炎放射ですら、火傷で済んでいる肉体だ。おでんの熱さ程度でまいるはずがない。

 しかし、そんな事は紫も承知の上だ。

 

「んがっ! アンタこれ、卵じゃなくて白くて丸いただの石ころじゃない! なんてもん食わせようとしてんのよ!」

「おーっほっほっほっ! (わたくし)は別に、おでんを食べさせてあげるとは一言も言っておりませんわよ!」

 

 スキマを使って境界を操作し、外見を卵と瓜二つにする手の込みよう。

 隙を生じぬ二段構え。無駄に洗練された、無駄のない、無駄な悪戯である。

 争いとは、お互いが同等の立場でなければ成立しない。

 目を逸らしてはいけない。これが、幻想郷の賢者と天界の麒麟児のやり取りである。

 幻想という泡沫の世界の中であろうと、現実は非情だった。

 食事中だというのに騒ぐ人数が二人に増え、そのままじゃれ合いが続くかと思われたが、そうは問屋が卸さない。

 だんっ、と板に亀裂が走りそうなほどの勢いで藍が机を叩き、般若の形相で紫と天子を睨む。

 

「食事中に、遊ばない」

「「あ、はい。ごめんなさい」」

 

 食事を楽しむべき一時に、その食事を台無しにする行為は何人たりとも許さない。

 その恐るべき剣幕は、天人だけでなく主人であるはずのスキマ妖怪でさえ思わず素で謝るほどであった。

 結局、手の使えない天子の代わりに橙が給仕を請け負い、今度はちゃんと彼女の口へおでんを食べさせてあげる事で事態は解決した。

 例え主であろうと、過ちを犯すのであればその行いを正すのが真の忠臣だ。

 八雲藍。彼女が居る限り、八雲家の食卓でおふざけが許される事はないのであった。

 

 

 

 

 

 

 多少騒動のあった昼食を終え、本格的に天子の世話役を申し渡された橙は、天人の首を抱えて自身の住処であるマヨヒガへと戻っていた。

 妖怪の山の中にある別邸とはいえ、この場所も八雲の領域である事に変わりはない。

 一応の護衛として藍の式神である前鬼と後鬼も配置されており、余程の強者でない限り天子を奪還する事は不可能な状況と言えるだろう。

 そんな厳戒態勢の中、橙と天子は何をするでもなく縁側で日向ぼっこに興じていた。

 

「ちょっと」

「んー、なにー?」

「暇なんだけど」

「暇で良いんだよー。今日は、修行がお休みの「何もしない日」だからねー」

「何その無駄な時間」

 

 橙の膝に抱えられながら、口しか動かせない天子が忌々し気に眉をひそめる。

 

「「心のぜい肉は付けておけ」」

「は?」

「藍様の教えの一つだよ。無駄と余分をなくしていくのは大事だけど、だからといって余裕まで失って良い訳じゃない。だから、無駄を覚える事は決して無駄じゃないんだって」

「「だって」って……結局良く解っていないんじゃない」

「えへへー」

 

 天子の指摘を、陽気に当てられた蕩けた笑みで適当に誤魔化す橙。

 その余裕が、そののん気さが、一々人質となった天人の癪に障る。

 だから、天子は意地悪をする事にした。

 

「外に居る紙の鬼でさえ、あんたよりずっと強いわ。つまり、あの狐にとってあんたより優秀な(しもべ)を生み出す事は造作もないの。この意味、解るわよね?」

「……」

「あの狐は、あんたに期待なんてしていないわ。愛玩動物が必死こいて無駄な努力をするさまを、手慰みとして眺めているだけよ」

 

 今正に、橙自身が言った事だ。

 藍にとって、橙こそが「心のぜい肉」なのだ。

 藍は橙に、何も求めていない。ただ、健気に頑張る子猫の姿を眺めてほくそ笑んでいるだけ。

 しかし、そんな残酷な事実を突き付ける天子の悪意は通用しない。

 

「確かに、今の私じゃあ前鬼や後鬼には勝てないよ。でもね、それでも、藍様は私を選んでくれたんだ。だから、私は頑張りたいよ」

 

 それは、確かな覚悟だ。

 例えそれが北斗の彼方であろうと、必ず辿り着くと決意を込めた絶対の宣誓。

 

「それにね、貴女の言う通り私が居る事で藍様の心を少しでも軽く出来てるのなら、それだけで嬉しいよ」

「……ちっ」

 

 綺麗過ぎる。

 妖怪として破綻しているとすら思えるほどに、この妖猫は純粋だ。

 太陽の光から目を逸らすように下を向き、挑発が空振りに終わった天子は露骨な舌打ちを零す。

 

「うん、そっか」

「何よ」

「私ね、貴女に似てる人間を知ってる。意地っ張りで、意地悪で、真っすぐなのにへそ曲がりな、変てこな人間」

「何処が似てんのよ。欠片も掠っていないじゃない」

「ううん。そっくりだよ」

 

 特に、自分の心が暴かれそうになるのを口の悪さで隠そうとするところは、瓜二つと言っても良いかもしれない。

 自分を理解しない天人を見下ろし、くすくすと小さく笑う子猫。

 白黒の魔法使いとそれなりに縁のある橙にしてみれば、性根の捻じ曲がった悪童の相手も慣れたものだ。

 

「私は、そんなんじゃないから」

「はいはい」

「なー」

「うなー」

 

 のらりくらりとやり取りをしながら日向ぼっこを続ける二人の足元に、マヨヒガに住まう猫たちが集まり始める。

 構って欲しさ半分、一番日当たりの良い縁側を占領されている苦情半分で、橙の足に次々と身体を擦り合わせて来る。

 

「もー、くすぐったいよぉ。こんな時ばっかり甘えて来るんだからぁ」

 

 文句を言いながら、橙の表情は嬉しそうだ。 例えどんな理由からだったとしても、普段言う事を聞かない猫たちが自分に懐いてくれる事に喜びを感じているのだろう。

 そうしてしばらく橙にじゃれついていた猫たちだが、彼女が手に持っている新しい玩具の存在を見つけるとフスフスと鼻を鳴らしながらそちらへと意識を向け始める。

 

「何コイツらっ。ちょ、馴れ馴れしいわね、離れろってのっ」

「こーらっ。それは新しい毬じゃないから、悪戯しちゃ駄目だよ」

 

 繰り返しになるが、マヨヒガを住処とする猫たちは橙の言う事を余り聞かない。

 そんな、好奇心旺盛かつ悪戯好きの猫たちが、抵抗の出来ない喋る毬である今の天子を見て遊ぶなと言う方が無理な話だ。

 

「ぬがっ」

「あっ」

 

 それは、本当に「あっ」と言う間だった。

 一匹が橙の手の平を舐めて動きを封じ、別の一匹が天子の髪をくわえ庭へと飛び出す。

 待ち構えているのは、二十を超える猫、猫、猫。

 

「ふごっ。こんのクソ畜生共っ。私を誰だと思って、ひんぎゃっ、ぷわっ」

 

 周囲を囲む悪戯っ子たちの猫ぱんちによって、あっちこっちにころころと転がされる天子。

 痛みもしないし傷も出来ないが、平衡感覚は人並みらしく頭部が延々と回転する事で目を回してしまったのか、次第に抵抗が弱まっていく。

 

「きゅー……」

「あわわ、駄目だってー!」

 

 天子は人質ではあるが、だからといって無体を働いて良い理由にはならない。橙は、大慌てで猫たちの魔の手から土塗れの首を回収する。

 再び盗まれないよう警戒しながら、飲料水にも利用する水瓶の中身を木桶に移した橙は、手頃な布を濡らして天子に付いた汚れを拭いていく。

 

「……酷い目に遭ったわ」

「うぅ、ごめんなさい」

 

 恨みがましい天人の吐露に、彼女の濡れた長髪を竹の櫛で梳く橙が身体を縮こまらせる。

 

「なんか、すっごい疲れたわ」

「あ、それじゃあ天気も良いし、少しお昼寝しよっか」

「どうせ今の私じゃ何も出来ないし、好きにすれば」

 

 足もない、手もない、胴もない。唯一動かせるのは口だけで、要求をぶつける相手は未熟で幼い妖猫一匹。

 ここまで惨めな状況になれば、何もかもがどうでも良くなる。

 不貞腐れた天人は、どうにでもなれと瞳を閉じた。

 

「なー」

「うなー」

「うげっ、また来たっ」

「あはは、今回は大丈夫だよ。皆も一緒にお昼寝がしたいみたい」

 

 わらわらと集まり、猫たちはより良い日当たりを目指し縁側へと昇って来る。

 一匹一匹の大きさはそれほどでもないが、それでも数が揃えばそれなりの面積を占領する。

 結果として、縁側一帯は足の踏み場もないほど猫で溢れる場所へと変わっていた。

 その中心である橙は、猫たちに盗られないよう天子の首を両手で抱え、背と膝を曲げて本格的な睡眠の体勢へと移行する。

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

「えぇ、おやすみ」

 

 全身を包む、誰かの体温。

 日の光は穏やかな熱を生み、少女たちを祝福するように安らぎを振り撒く。

 仙果を食し、酒を飲み、歌って踊って生きていく。何もかもが予定調和で終わり続ける、天の世界。

 生きて、食べて、息をする。同じ事をしているはずなのに、不自由しかない地上での生活は天子にとってとても刺激的だった。

 天人たちを困らせていた悪戯では味わえなかった、安らかな達成感と倦怠感が天子をまどろみへと誘う。

 

 何時以来かしらね。

 こんな下らない事で遊んで、疲れて、そうしてただ眠るなんて。

 

 天子と対等であれる者は、天界でも幻想郷の中でも極少数だ。彼女の両親でさえ、その隔絶した力の差を前に怯えと恐怖を伴った視線を向け遠ざける事しか出来ない。

 強者は孤独だ。本人が望む、望まざるに関わらず。

 皮肉な事に、彼女の孤独を埋める者は楽園であるはずの天界ではなく、穢れた地上に住んでいた。

 遊び、喧嘩して、罵り合い、同じ釜の飯を食う。

 誰も困らない、誰も傷付けない、誰も不幸にならない。

 ここには平穏があった。誰かと共にある事が出来る、そんなささやかな平穏が。

 

 心のぜい肉、か。

 何時の間にか、「退屈な時間も悪くない」なんて思う余裕もなくなっていた事に、今更気付かされるだなんて。

 まぁ、今は、とりあえず――

 寝ときましょうか――

 

 それは、遠い昔に置き去りにした「比那名居天子」ではない少女の残滓。

 何もない、だからこそ全てがある。この瞬間、この一時こそを、少女は望んでいたのかもしれない。

 だから、少女は――「地子」ではなくなってしまった一人の少女は、誰かの温もりに身をゆだね、薄れゆく意識に(とばり)が下りる事を受け入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 天子の起こそうとした異変から数日。

 傷の治療も義手や人形の修理も終え日常に戻った私は、自宅のダイニングで机に突っ伏し虚ろ目で虚空を眺めていた。

 今の私の心境を一言で表すなら、「やっちまったぜ……」だ。

 

 ほんと、何やってんのよ。私。

 よしんば、天子を退治するまでは良かったとしても、最後のめり込みパンチは絶対要らなかったよね。

 

 あの一撃のせいで、浮島の一つを半壊させた凶悪犯として天界から出禁命令を食らってしまった。

 霊夢と魔理沙には怯えられただろうし、正に踏んだり蹴ったりである。

 

「そんな露骨な落ち込みアピールをしても、別に私は慰めませんよ? あ、これ美味し」

 

 落ち込む私の対面に座り、上海たちの作った謎魚のソテーに舌鼓を打っているのは、先ほど語った天界からの通知書を持って来た衣玖だ。

 幻想郷の住人である私が、迷惑を掛けられた天界からの指示に従う筋合いはないので、実質は意味のない見栄だけの通知だ。

 因みに、彼女の食べている魚は萃香から釣りの戦利品としてお裾分けして貰った、「へそ」が挨拶のスカイピアにでも居そうな謎過ぎる形状をした魚たちの一匹である。

 幻想郷で過ごしていると、たまにこういった不思議な食材に遭遇する事がある。基本的に味も料理方法も不明なので、なんの前情報もない段階から手探りで試行錯誤を繰り返す過程が割と楽しかったりする。

 

「天界からの正式な謝罪が、幻想郷の管理者に行われたそうです。これで、私の心労と今回の騒動はとりあえず解決ですね」

「宣戦布告をしておいて、随分な言い草ね。私たち地上の者が、天界に攻め込む可能性を考えないの?」

「考えませんよ。そんな無益な真似を、幻想郷の管理者が許すとは思えませんから」

 

 机にあごを乗せる行儀の悪い姿勢で問えば、衣玖は白ワインを一口含み自信あり気に答えを返して来る。

 むしろ、その紫が一番怒りそうな案件なのだが、どうやら衣玖にはあのスキマ妖怪が手打ちをする理由に心当たりがあるらしい。

 

「詳しい事情は話せませんが、天界は天人が住むからこそ価値のある土地です。滅ぼしてはいけませんし、天人以外の住人が住んでも意味がありません。ある程度の虐殺くらいは容認するでしょうが、それ以上の被害については恐らく閻魔クラスの者が調停に動きます」

 

 何それ怖い。

 閻魔クラスが動くって、いきなりクライマックスじゃないっすか。

 

 そして、ある程度の虐殺を認めてでも天界の存続が優先されるという事は、天人という存在は割と替えの利く代替品程度の扱いらしい。

 

「あぁ。そういえばついでに、天界の上層部から天人に効く毒というものを全て回収するよう命じられているのですが、譲って貰えます?」

 

 駄目で元々、と考えているのだろう。真剣味のない適当な態度で聞いて来る衣玖。

 天子を苦しめたゾナハ病の病原体であり、自動人形たちの動力源である疑似体液は、人形格納庫の最奥に設置した自動生成装置にて製造が続けられている。

 食糧庫や人形素材庫などの復活する材料を素材にしているので、元手はゼロという素晴らしいコストパフォーマンスを実現している。

 外の世界を超える機械技術を持つ河童のにとりから様々な技術を習い、そこに錬金術等の魔法技術も加えるだけ加えて私が一人で作成した自慢の装置だ。

 新たに作り直せば良いので、今ある分は全て渡しても別に良いのだが……問題は、その総量だ。

 

「多分一トンくらいあるけれど、持って帰れる?」

「なんでそんなに作っているんですか!? 貴女の方こそ、幻想郷を滅ぼそうと画策していません!?」

 

 失敬な。

 装置を作って放置してたら、何時の間にかめがっさ出来てただけですー。

 うん、ごめん。まさか、目を離してた間にあそこまでもりもり作られてるとは、私もびっくりだよ。

 無限拡張する人形格納庫の特性が、滅茶苦茶上手くはまっちゃったなぁ。

 

 疑似体液生成装置の近くには、アポリオン製造装置も設置されている。こちらの素材も、日々復活する地下室の資源だ。

 元々、この二つの装置は使っても使わなくても毎日一定量まで復活する地下室の資源を折角だから有効活用しようと、私のもったいない精神によって作り上げられたものだ。

 素材の投入や機械のメンテナンスは、一連の動きをインプットした人形たちに一任しているので、私は本当にノータッチで良い。

 年中無休で延々と稼働を続けている現状、このままいけば原作の「真夜中のサーカス」を余裕で再現出来る量を作り上げる事が出来るだろう。

 アポリオンの製造方法については、「人形は全て自分の手で作る」という原作での「アリス・マーガトロイド」の制約に抵触しているが、流石に千や万を超える数が必要になる超小型人形を全て手製で作成するのはほぼ不可能に近いので、製造機そのものを一人で作った点でお目こぼしをお願いしたい。

 

「天人たちが納得してくれるかは解らないけれど、あの毒は他の毒と同じく通常であれば彼らに通用しないわ。天子に通用した理由は、一時的に毒や病気に対する耐性を極端に下がるよう私が魔法を掛けたからよ」

「つまり、これから天人は毒そのものではなくアリスさんを恐れる必要がある、という事ですね」

「今回のようにあちらが仕掛けて来ない限り、こちらから理由もなしに襲う事はしないわよ。私を恐れる事で騒動を回避出来るのであれば、喜んで汚名を背負うわ」

「解りました。天界への報告は、お聞きした内容を上手くまとめてみせます」

「お願いね」

 

 頼んでばかりも悪いので、頑張って貰えるよう天女様に報酬を用意しようと思い立つ。

 

「ねぇ、お酒は好きかしら」

「大好きです」

 

 即答かい。

 

「そう。それじゃあ、前払いとしてこれを差し上げるわ」

 

 上海を操りキッチンから持って来させたのは、紅魔館印の赤ワインボトルが二本。

 衣玖が今飲んでいる市販品ではなく、咲夜が「時間を操る能力」を使い短時間で急激に年月を経過させた疑似的な年代物だ。

 

「紅魔館で、贈呈品として数量限定で作られているワインよ。味は保証するわ」

「おぉ、何やら貴重そうな品ですね。袖の下とは、貴女も中々やり手ですね」

「争いは嫌いよ。無用な闘争が避けられるのであれば、これくらいはするわ」

 

 友人のよしみで幾つか譲り受けたのだが、お酒の味が解らない私が飲むより酒好きに渡して楽しんで貰った方がこのワインも報われるだろう。

 

「貴女とは、これからも仲良く出来そうですね。うふふっ」

 

 本当にお酒が好きなのだろう。宝物でも扱うかのように大事そうに二本のボトルを抱え、衣玖は上機嫌で天界へと帰って行った。

 

「……はぁ」

 

 残された私は、再び机に突っ伏し深い溜息を吐いた。

 思い出すのは、天子をなぶり続けた戦闘とも言えないような一方的な蹂躙の時間だ。

 怒りは確かにあったと思う。恨みもあったし、憎しみもあった。

 だが、()()()()()()。怒りも、恨みも、憎しみも、全てを足してさえ比那名居天子という存在へぶつけるだけの感情には届かなかった。

 ついぞ私は、あの天人を霊夢への義理以外で叩き潰す事が出来なかったのだ。

 故に、止まる事もとどめを刺す事も出来ず、ただ相手を痛め付け続けるしかなかった。

 「神滅斬(ラグナ・ブレード)」辺りで腕の一本でも切り飛ばせば、それで終わっていたはずなのに。

 適当に一発殴るだけで、霊夢たちへ交代出来たはずなのに。

 天界での決着の後、改めて実感した。

 なんの事はない。あの時の私はただ、止め時を見失っていただけだった。

 怒りが足りず、恨みも足りず、憎しみも足りず。ただただ、惰性のみでぶちのめしているだけだった。

 最後の瞬間に見た天子の怯えた表情が、そのまま魔理沙の怯えた表情と重なる。

 

 あれは、駄目だ。

 あれは、いけない。

 

 罪悪感も、抵抗感も、高揚感すら、全てが小波で止まる。止まって、進まず、それっきり。

 手を止めるほどではないから、私の手は動き続ける。私の感情が、私自身を止められない。

 

 それは、恐ろしい事だ。

 それは、悲しい事だ。

 それは――それは、絶対に許されない事だ。

 

 そこに、明確な意思があるならばまだ良い。

 倒すと決めて、倒すと覚悟し、相手を打倒するのであればまだ納得出来る。その責任を、自分のせいだと背負う事が出来る。

 だが、そうではない。

 私は、私という欠陥品は、それを()()()()()()()()()のだ。

 息を吸って、吐くように。都合さえ合えば、或いは殺害でさえ私は作業の一部として淡々と実行出来てしまう。

 頑丈な天子で試せた事が、せめてもの救いか。

 大好きな原作のキャラクターというフィルターが掛かってさえ、私は止め時を見失った。

 あのまま天子が倒れてくれず、致命的な傷を負わせていたらと思うとぞっとしてしまう。

 

 私の意思が私を止められないんなら、面倒だけど何かをやる時は目標と中断する条件をその都度で設定しないといけないかなー。

 しっかし、唯一と言って良い収穫が自分のポンコツ具合の再認知って……

 救いはないんですか!?

 

 上海と蓬莱が、落ち込み続ける私の頭を撫でて慰めてくれる。

 完全な自作自演だが、これくらいしないとやっていられない。

 私に異常がある事は、最初から解っている。

 私は偽物で、欠陥品で、この世界にとってどうしようもない異端(バグ)なのだ。

 だからこそ、嘆いてばかりはいられない。

 

 さて、と。

 とりま、異変を勝手に解決しちゃったんだし、霊夢と魔理沙に手土産持参で謝罪しないとね。

 

 博麗神社はまだ再建途中なので、霊夢は今魔理沙の家で寝泊まりしていると誰かが言っていた。

 二人一緒に謝れるのなら、手間も省ける。

 レミリアや早苗も誘っていたので、明日は別の者の寝床に移ってしまうかもしれないし、思い立ったが吉日だ。

 

 萃香から貰った謎魚はまだまだあるし、カルパッチョとか魚介パスタとか魚尽くしの夕食でも作ってあげようかな。

 ふっふっふー。どうせ二人でキノコばっかり食べてるだろうし、食の救世主アリスちゃんが腕を振るってしんぜよう。

 

 人形を操ってキッチンから運ばせた調味料をバスケットに詰め込みつつ、私は二人の喜ぶ顔を幻視する。

 解った事を一つずつ積み重ね、解らない事を消していく。

 私の欠陥が、誰かを傷付けてしまわないように。

 私の欠陥が、誰かを不幸にしてしまわないように。

 せめて、成して来た全てに私自身が責任を持てるように。

 せめて、私という存在がこの素晴らしい世界を汚してしまわないように。

 幻想郷に生きる「アリス・マーガトロイド」として、私は「私」という矛盾を抱えたまま、それでも前を向き真っすぐに生きていく。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 謎魚のフルコースは、霊夢と魔理沙に大変好評だった。

 魚特有の淡泊な肉質に、ふわふわとした不思議な食感は中々味わえるものではないだろう。

 予想通り不摂生な生活をしていた魔理沙へ小言を言いながら勝手に掃除などを請け負い、研究室以外の場所はしっかりと綺麗にした上で整理整頓してあげる。

 訪ねた時点では少しだけぎくしゃくしていたが、こちらが何時も通りの態度を取り続けた事が幸いしたのか、魔理沙も次第に何時も通りの態度で接してくれるようになった。

 お陰で、調子の戻った白黒魔法使いに「余計な事をするな」と邪魔をされ、掃除の時間が随分と押してしまったのはご愛敬だろうか。

 すっかりと暗くなってしまってから帰ろうとする私を、今度は霊夢が引き止める。

 

「今日は、アリスの家に行きたい」

 

 その小さな我儘に、私と魔理沙があごが外れそうなほど驚いたのは言うまでもない。

 とはいえ、霊夢も年頃の女の子。自宅崩壊という憂き目に遭ったのだから、今は最大限に甘やかしてあげるべきだろう。

 

 いや、別に理由とかなくても甘やかすけどね!

 すっごい甘やかすけどね!

 

 そんなかわゆい巫女に愛情ゲージが天元突破した私は、乞われるままに霊夢を自宅へと招待する。

 一緒にお風呂に入ったり、髪を梳いてあげたり、頭を撫でてあげたりと、全力全開で霊夢を甘やかす。

 普段であれば半眼で拒否を示すだろう少女は、私にされるがままその善意の全てを受け入れていた。

 

「すぅー、すぅー……」

 

 そして今、幻想郷最強の巫女は私と一緒の布団に入り可愛らしい寝息を立てている。

 無防備で、無警戒で、油断しきった優しい寝顔だ。

 霊夢は強く、勇敢で、平等で――それでも、か弱く脆い人間なのだ。

 明日には元に戻っているのだろう博麗の巫女の弱い部分を見せ付けられ、私は少女を抱きしめながらその傷が癒える事を祈る。

 彼女の額にキスをして、私もまたふかふかの布団と人肌の温度に揺られまどろみへと落ちていく。

 きっと、私もこの娘も良い夢が見られる。

 そんな根拠のない確信を抱きながら、私の幸福な一日は終わりを迎えるのだった。

 




天界のあれこれ設定は捏造です。

次回は現在に戻り、非想天則編の始まりになります。

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