無駄に長くなったので、無理やり引き伸ばして二話に分けました。
こちらは前編。
完全自律式の人形。
自分で考え、自分で思い、自分で動く。
一体につき一つ。固有の心と魂を内包した、一個の生命として成り立つ完璧な人形。
七色の人形遣い、アリス・マーガトロイドの悲願。
――とまぁ、仰々しく語ってはみたものの、手段を選ばないのであればこれは案外簡単に達成出来たりする。
「鋼の錬金術師」で、主人公は錬金術と呼ばれる等価交換の原則により肉体の一部を対価として弟の魂を呼び戻し、鎧へと定着させた。
「からくりサーカス」で、一人の人形師は万能の霊薬「
どちらも世界観や方法は違うが、無機物である鎧や人形に魂を宿す事に成功している。
この幻想郷での話をすれば、魂を入れるだけで良いのなら、冥界や彼岸などにうろつく霊を一匹とっ捕まえ、人形にぶち込んで固定させれば完成だ。
無垢な魂が望ましいなら、数は少ないが赤子の霊を使えばそれで事は済む。
他人の魂を使う事に忌避感を抱くなら、自らの手で作り出す事も可能だ。
下世話で極端な話、おしべとめしべがあれば命――つまり魂は生み出せる。類似の方法を取れば、例え花一輪からでも手に入れる事が出来るだろう。
一寸の虫にも五分の魂。どれほど小さく弱い魂であっても、不変の人形に込めて定着させれば、その生は永遠だ。
ね、簡単でしょう?
しかし、原作のアリスがその程度の事を考え付かない訳がない。ならば、彼女はこの方法を是としなかったのだ。
類似品や代替品を良しとしない、彼女の目指した自律式人形の完成方法とは何か。
色々と考えて私が辿り着いたのは、人形の付喪神化だった。
言いたい事も言えないこんな世の中を毒吐く、捨てられた鈴蘭人形、メディスン・メランコリー。
忘れられた番傘ベロリンガ、オッドアイベビーシッターの、多々良小傘。
年を経た道具が、妖怪として誕生するのは幻想郷内で周知の事実だ。
ぞんざいな扱いによって、人間への恨みつらみを抱える妖怪へと変化させるのではなく、長年大事に使い続ける事で徳を溜め込み、神格を持つ神霊の付喪神として覚醒させる。
使っていた道具が、使われていた経験をそのままに、意思を持って道具としての本分をまっとうしようとする、本当の意味での昇華。
アリスは、本来九十九年掛かると言われているその工程を、魔法を始めとした何らかの手段を行使する事で短縮化・簡略化したかったのではないだろうか。
憶測ばかりで申し訳ないが、とりあえず私は今語った方法での自律化を目標に、研究を勤しんでいる次第だ。
道は険しいが、だからこそやりがいがある。
……なのだが、中々思うように研究が進んでいないのが現状だ。
理由の多くは、衣装作りや写真、人形やぬいぐるみ作り、「
今日は真面目に研究をしようと思った矢先の、この出来事である。勢い良く開けようとしたドアに鍵が掛かっていた時のような、強烈に出鼻を挫かれた気分だ。
まったく、がーんだな。
そんな事を思いながら、元凶であるそれを両腕に抱え、頭を悩ませる私。
で、どうしたもんかね? コレ。
脳内の問いに、答えられる人など居るわけもなかった。
◇
「大掃除?」
小悪魔が、休暇を取って故郷へと一時帰省していても、その主である魔女の生活は変わらない。
何時もの如く、大図書館に置かれた自分の机で悠々自適に読書をしていたパチュリー・ノーレッジは、突然の来訪者からの一言に首を傾げた。
その来訪者である十六夜咲夜は、背後に大勢の妖精メイドを引き連れながら、うやうやしく腰を折る。
「はい。どうも明日、霊夢がこの館へと遊びに来られるそうで。お嬢様から「今日中に屋敷の隅々まで掃除しておくように」、とのご命令を頂きまして」
「レミィの霊夢好きにも、困ったものね」
「昔に比べれば、可愛いものです」
顔を見合わせ、小さく笑い合うパチュリーと咲夜。
紅魔館の当主が思い付きで我侭を言い出すのは、館の住人にとって日常茶飯事だ。
外の世界に居た頃は、気性も激しかった為に過激で殺伐とした命令が多かったが、幻想郷に来て管理者たちとの戦争が終わった頃からは、今回のような微笑ましいものばかりで落ち着いている。
長年の命題であったフランの闇を、命を懸けた大芝居を打ってまで救済へと導けた事で、彼女の肩の荷が下りたからかもしれない。
「紅魔館では、ここが一番部屋の面積が広く難所ですので、妖精メイドを総動員して掃除を行いたいと思っております。ほこりや汚れが大量に出る事が予想されますので、パチュリー様には大変申し訳ありませんが、大図書館からの移動をお願い致したく」
「別に、霊夢はこんな所には来ないわよ」
この大図書館に来訪する者の理由は、主に二つ。本を読む為か、部屋の主であるパチュリーに会いに来るかの二択だ。
霊夢は読書家ではないし、パチュリーと霊夢にそれほど深い接点はないので、博麗の巫女が大図書館に訪れる理由はない。
「お嬢様からのご命令です。それに、アリスの良く来訪されている場所ですので、可能性はゼロではないかと」
「……そうね」
しかし、咲夜から正論によって反論されれば、パチュリーは頷くしかない。
霊夢がアリスに対して、何らか少々思う所を持っているのは、ちょっとでも勘の働く者であれば容易に察する事が出来る。
それが一体、どんな感情から来ているのかまでは解らないが、関心を持った人物が利用する場所ならば、確かに一度覗いてみようとするかもしれない。
「それじゃあ、終わるまで空いてる部屋にでも行かせて貰うわ」
「こういった事態ですし、時には外出など、普段とは違う行動を取られてみてはいかがでしょうか?」
「外出――ねぇ」
「はい――シッ!」
椅子から腰を上げたパチュリーと会話をしていた途中、咲夜は突然足の付け根に巻いた数本のナイフをあらぬ方向へと投擲する。
「うわぁっ!」
ナイフを投げた先には、大図書館に侵入し、幾つかの魔道書を抱えた泥棒少女――本人的には「死ぬまで借りるだけ」らしい――霧雨魔理沙の姿があった。
「あぁ、そういえば来ていたわね」
地下にある大図書館の出入り口は、正面の一つしかない。なので、今のように誰かが気配を隠してこっそり侵入したとしても、パチュリーならば長年の経験から余裕で気付く事が出来る。
それでも魔理沙を放置していたのは、今回彼女が持って行こうとしている本が大して貴重度や危険度の高くない、平凡な魔道書だったからにすぎない。
「妖精メイドをお供に付けようかと思っていましたが、丁度良い所に来てくれましたわ」
咲夜の中では、すでにパチュリーが外出するのは決定事項らしい。このメイド長は時折、館の住人に対してやんわりと生活改善を求めて来るから困る。
「お、おぅ?」
鼻先の本棚に刺さったナイフを見ながら、事態が理解出来ずに戸惑う魔理沙。
「……はぁっ」
今日は、きっと面倒な一日になるでしょうね。
パチュリーは、平穏を失った我が身を憂い深々と溜息を吐いた。
◇
七曜の魔女パチュリーを筆頭に、瀟洒なメイド長と大量の妖精メイドに囲まれた魔理沙に拒否権など許されるわけもなく、彼女は日陰の少女と共に幻想郷の夏空を飛んでいた。
「あ~ぁ、私も暇じゃないんだぜ? 咲夜とお前のせいで、今日の予定が狂っちゃったなぁ」
「じゃあ、後は好きにしなさい。別に付いて来なくても良いわよ」
箒に跨って浮かびながら、さも面倒事を頼まれて悲観した風に言う魔理沙を、隣で飛翔するパチュリーはあっさりと突き放した。
パチュリー自身は、魔理沙に付いて来てくれなどと頼んだ覚えはなく、彼女が居なくなっても何も問題はない。
「はぁ? お前は喘息持ちで身体が弱いんだから、誰かが付いてないと危ないじゃないか。お前に何かあったら、私が咲夜から小言を言われるんだぜ?」
「何で、貴女も咲夜も私より年下のくせして過保護なのよ。老人扱いでもしているの? 自分の身体の事ぐらい、ちゃんと管理出来るわよ」
目線も向けず、うんざりしながら反論するパチュリーは、どうやら目的地が決まっているようで迷いなく一方へと飛んで行く。
「なぁ、どこに向かってるんだよ?」
「貴女は忙しいのでしょう? 私の事は気にせず、今日の予定とやらを消化しに行って貰って結構よ」
「……アリスの所か?」
「えぇ」
パチュリーからの肯定を聞き、魔理沙の機嫌が目に見えて悪くなる。
咲夜から依頼されたのは、アリスではない。だというのに、パチュリーは魔理沙ではなくアリスを頼ろうとしている。
それが、魔理沙には気に入らない様子だった。
パチュリーにしてみれば、たまの外出に友人の家を選択しただけに過ぎず大した意味は欠片もないのだが、それは今の魔理沙にとって理解の外だ。
「お前の世話を頼まれたのは、私だぜ?」
「何? ないがしろにされたからって、アリスに対抗意識でも出しているの?」
憮然とする魔理沙に、パチュリーは呆れを含んだ調子で苦笑を送る。
「やめておきなさい。彼女と何かで競おうだなんて、疲れるだけよ」
友人に対して酷い評価だが、友人だからこその正当な評価でもあった。
良く言えばマイペース、悪く言えば唯我独尊な部分がある彼女と争えば、きっと相手の調子に乗せられて翻弄され、気付いた時にはグダグダになっているのが落ちだ。
「皆して、アリスのどこがそんなに良いんだよ。弾幕戦の腕前だって、私の方が断然上だぜ?」
「そうね。相手を攻撃する為の魔法を研究してはいても、彼女は事戦闘行為に順ずる項目に関して、然程関心を持っていないものね」
無意味な比較を持ち出す魔理沙の言葉を、適当に右から左へと聞き流しながら、パチュリーは当たり障りのない返答を返していく。
今代の博麗の巫女、博麗霊夢が提唱し幻想郷の新たな基準として定着した、スペルカード・ルール。通称、弾幕ごっこ。
妖怪が異変を起こし易く、人間が妖怪を退治し易くと考えられたこのルールにも、アリスは一線を引いた立ち位置を保っていた。
ルールに対して反意がある訳ではなく、彼女もスペルカードは作っている。だが、お世辞にも上手いとは言えない強さであり、幻想郷の名のある者たちの中では恐らくは最下位の腕前しか持っていない。
妖怪は、肉体よりも精神に比重を置く存在である為、その力量も精神の強さに依存する。
そんな、パチュリーでさえ避けられない「力量を保つ・誇示する」という妖怪にとって不変の
だがしかし、彼女の「強さ」は「吸血鬼異変」の時から続く数々の事件の中で、証明され続けて来た。
弱いのに、強い。強いのに、弱い。
パチュリーは、アリスの在り方に強い興味を抱きつつも、しかし同時に彼女を探るのは労力の無駄だと理解しているので、深く考察しようとも思ってはいない。
しかし、魔理沙はどうやら違うようで、今回のようにアリスが褒められたり優遇されたりすると、途端に今のような感じで不貞腐れてしまうのだ。
そうこうしている内に、二人は魔法の森の入り口付近に建つ、二階建ての一軒家に到着する。
魔理沙を背後に、パチュリーが玄関の石段に乗って扉をノックすると、入り口を開いて現れたのは金髪の魔法使いではなく、青と赤の服を着た金髪の人形たちだった。
「上海と、蓬莱?」
アリスの何時も連れている二体の人形は、蓬莱が扉を開けた後に上海が侵入を防ぐように玄関の中央に浮かび、両手を×印にして首を振る仕草をしている。
「アリスが居ないのに動いてる――アイツ、人形の自律に成功したのか?」
「いいえ、コレは違うわ。家の中に魔力を満たして、その中であらかじめ設定しておいた動きをさせているだけね」
「こんなに可愛らしくてあざとい動きを、あの鉄面皮のアリスが設定したのかよ?」
立ち塞がる上海は、時折左右に腰を振ったり回ったりと、喜劇役者のような非常にコミカルな動作であり、何時も不動の無表情を貫くアリスからは到底想像が付かない動き方だ。
「そうよ。あぁ、貴女は彼女の人形劇を見た事がないのね。だったら、一度見学する事をお勧めするわ。年齢性別を問わず見られるよう趣向も凝らしているし、魔法使いとしても勉強になるでしょうから」
「遠慮しとくぜ。この年でお人形遊びなんて、寒いだけだからな」
そっぽを向いて、完全にへそを曲げてしまった魔理沙を気にせず、パチュリーは上海に質問を投げ掛ける。
「貴女のご主人様は、家に居るの?――そう、でも今は手が離せないのね。家の中で待たせて貰っても、問題はないかしら?」
「居るんだったら入ろうぜ。お邪魔しまーす! っと」
「無作法ね」
喋れずとも、首を振る動作などでパチュリーと会話を行っていた上海を押し退け、魔女からの小言も聞き流した魔理沙は、我が物顔で家の中に入り靴を脱いで傍にある階段を上っていく。
二階にあるのは、アリスの自室だけだ。恐らくそこに居るだろうと当たりを付け、魔理沙は勝手知ったる他人の家にずかずかと侵入して、遂にその扉を開け放つ。
「よう、アリス!――え?」
そこには、確かにアリスが居た。
そして、アリス以外のもう一人が居た。
蜂蜜色の金髪をした、彼女の両手に収まる小さな人型。
無表情なアリスに抱えられ、静かに寝息を立てているのは、紛れもなく生まれ立ての幼い生命――赤ん坊だった。
◇
どう説明したものかと、上海を使って来訪者に待って貰っていたら、突然魔理沙が突入して来たなう。
催眠の魔法まで使って、ようやく眠ってくれた赤ちゃんに一息吐いたのもつかの間、上海を無視したのだろう魔理沙が私の部屋へとやって来た。
私と赤ん坊を見て、目玉がこぼれ落ちそうなくらい驚いている。
え、ひょっとして、この子が私の子供だと勘違いしてるとか?
ははー、ないない。
「アリスが産んだ……アリスが、産んだぁー!」
正にその通りだった。
「待ちなさい、魔理沙」
「――突然の来訪、失礼致します! 毎度おなじみ、清く正しい射命丸です!」
事情を説明しようとしたら、今度は魔理沙の雄叫びによって防護魔法を掛けて強化しているはずの窓ガラスをかち割りながら、烏天狗が飛び込んで来た。
嫌な予感しかしない。
というか文。タイムラグなしで現れるとか、お前一体どこで話を聞いていた。
「この度はご出産、真におめでとうございます! 幻想郷屈指の美少女であるアリスさんの幸福を郷中の人妖に喧伝させて頂こうと、この射命丸文、文字通り飛んで参りました!」
割れた窓から漏れ入るキノコの胞子を、魔法を使って遮断する私に向けて、文はメモ帳と万年筆を手に素晴らしい笑顔で言い募った。
うん、凄い迷惑。
「情報は鮮度が命。明日と言わず、本日夕刻に烏が鳴き始める前には号外を配り終えてみせますよ! あ、掲載用の写真頂きますね。はい、笑ってー!」
やめて。
「騒がしいわね。一体、何……が――」
自分の言いたい事だけ言って、窓から飛んで逃げようとした文を魔法の糸で拘束し、もう一度事情を説明しようとした所で、三度お客さんとしてパチュリーが現れた。
た、助かった。分からず屋だけかと思ったら、ちゃんと話の解る人も来てた。
彼女なら、きっと私の話を聞くまでもなく一から十までを理解し、理路整然と皆に説明してくれるに違いない。
「……はぁっ」
と思ったら、なぜか盛大に溜息を吐かれた。
「アリス。産むなら産むで、ちゃんと事前に教えてくれないと。ご祝儀とか、こっちにだって色々と準備が必要なのよ?」
どうやら、冷静そうに見えたパチュリーも、見えているだけで相当に混乱しているらしい。
「皆。とりあえず、私の話を聞いてくれないかしら」
「まったく。まずは相手の男をくびり殺して、それからレミィたちに相談してパーティーの準備をして――」
「アリスが、産んだ……アリスが……」
「あやややや。冗談半分のつもりだったのですが、ここまで頑なに情報を規制しようと目論むとは……実は真実だったりするのでしょうか!? これは、超特ダネです!」
ねぇ、聞いてよ。
誰も私の話を聞いてくれない、少女たちの錯乱状態はしばらく続き、ようやく落ち着いた所で事情を説明する。
「――つまり、この赤子は魔法の森の入り口に貴女宛で捨てられていた。そういう事ね」
「えぇ」
「貴女が、直接産んだわけではないのね?」
「えぇ」
「貴女に結婚願望や出産願望があって、ホムンクルスや
「えぇ」
えっと……なんで私に対する尋問みたいになってるんですかね? パッチェ警部。
今朝方、切れた紅茶の茶葉を人里で買い足した帰りに、私は森の入り口で籠に入ったこの女の娘の赤ちゃんを発見した。
布で包まれたこの娘の上には、「どうかこの娘をお願い致します。アリス・マーガトロイド様」とだけ書かれた小さな紙が置かれており、放置しても獣か妖怪の腹に納まってしまうので、仕方なく家へと持って帰って来たのだ。
黒髪黒目が主流の人里において、この子の金髪は珍しい部類なのだが、まったく居ないわけでもない。
ここに居る魔理沙とか、日本人っぽいのに地毛で金髪だしね。
妖怪の血が、僅かに混じった家系の隔世遺伝や、外来人と呼ばれる外の世界からやって来た人間の中に外洋の人が居て、その血を受け継いでいたりと、少数ながら髪色や瞳の色、肌の色などの違う人々が人里でも暮らしている。
時にはピンクや、今はまだ幻想郷に来ていないが聖白蓮のようなグラデーションのある複数色の地毛など、生物学に正面からケンカを売っているような人も居て結構面白い。
「拍子抜けですね。面白くないので、好き勝手に憶測を加えて脚色しても良いですか?」
良いわけあるか、このマスゴミめ。
糸です巻きにされた状態で、私に向かってヘラヘラと笑う文。
「烏の鍋って、美味しいのかしらね」
「あややや。じょ、冗談に決まってるじゃないですかぁ……半分くらい」
おい、さっきから残り半分はどこ行ってるよ。
彼女との会話は、基本成立しないか先に進ませて貰えないので、適当に切り上げて次へと移らせて貰おう。
「呆れるほどに自業自得じゃない。人間に侮られ、捨て子を押し付けられるとはね」
「……そうね」
パチュリーから送られる、ジト目や言葉が大層痛い。
人形劇を始めとした様々な交流により、私が子供好きだという認識は人里でも知れ渡っているのだろう。
要するに、私は人里の人間――つまりはこの子の親から、頼めば何でも引き受けてくれるちょろい魔法使いとして、相当に舐められているのだ。
まぁ、それは全然構わないのだが、だからといってこんな風に無茶振りをされても、正直私の手には負えない。
「その子、どうするの?」
「見つけたばかりで、今のところ情報は一つもないけれど、慧音や人里の有力者に頼ってこの子の親を探して貰うつもりよ」
どういう理由で捨てたのかは知らないが、私に人間は育てられない。
大事に大事に育てた娘が、不老の私より先に死ぬとか、結末を考えただけで発狂してしまいそうだ。人外に変化させ、共に生きるなど論外中の論外。
よって私は、頼ってくれた親には悪いが、さっさと見つけて返品させて貰おうと考えていた。
「文、貴女も手伝って」
文屋をやっている事もあり、彼女の情報収集能力は折り紙付きだ。協力して貰えれば心強い。
「ふむ、報酬は如何ほどで?」
「私のアルバムに入っている写真を、二枚」
「五枚で」
「二枚」
「五枚」
「……三枚よ。ただし、一枚は私が選ぶわ」
「はい、交渉成立です」
強く押せない日和見な性格と、饒舌ではない不器用な舌のせいで、交渉事は本当に弱い。
くそぅ、文の笑顔がめっちゃムカつく。
腹いせに、人里の服屋で可愛い系の服を前に懊悩する、絶賛少女あややちゃんの写真を選んでやる。
「ふざけんな!」
話がまとまりかけた所で、今まで黙っていた魔理沙が唐突に立ち上がった。
その表情は怒りに満ち、両の瞳は私と私の膝で眠る赤子へと注がれている。
「こんな赤ちゃんを捨てるような、最低の親なんだぜ!? 返したって、またどっかに捨てるに決まってるだろうが!」
「だったら、貴女は私にどうしろと言うの? 私に、この人間の赤ん坊を育てろとでも?」
「お前たちがお手上げなら、私がなんとかしてやるよ!」
言うが早いか、魔理沙は私から赤ん坊を奪い取ると、文が破砕した窓から高速で飛び立とうとする。
「待ちなさい」
「やなこっただぜ!」
引き止める私に舌を突き出しながら、魔理沙は魔法の森の空へと消えて行った。
「……文、今から私と人里に行くわよ」
「魔理沙さんに連れ去られた赤子は、放っておくので?」
「魔理沙なら、赤ん坊に酷い扱いはしないでしょうから」
確かに、文の速さなら魔理沙にも追いつけるだろうが、今は後回しだ。
一体なぜ、魔理沙があんなにむきになったのかは解らないが、捻くれててもあの娘は優しい子だ。何が気に入らなかったとしても、赤ん坊に当たるなんてバカな真似はしないだろう。
「パチュリーはどうするの? 何か、私に用事があったみたいだけど」
「紅魔館が大掃除中で、その間だけ追い出されたのよ。申し訳ないのだけれど、この家に居させては貰えないかしら」
魔理沙の飛んでいった方向を見つめていたパチュリーは、小さく肩を竦めながら私の問いに答えた。
「あやややや。友人の困り事を目の前に、随分と冷たい反応ですね」
「無償で手伝う気はあるけれど、アリスは私に貴女と同じ役目を求めてはいない。それだけよ」
適材適所。
万が一、私たちが人里に行っている間に魔理沙が戻って来た場合、パチュリーが居れば最善の対処を取ってくれるだろう。
彼女が留守を守ってくれるなら、私も安心してこの場を離れる事が出来る。
「魔女同士の以心伝心ですか……ネタとしては少々弱いですが、悪くないですね」
言いながら、文は自分のメモ帳へと何かを書き足していた。
魔理沙には、まったく通用しなかったけどね。
魔理沙と赤ちゃんの事は気になるが、大体の方針は決まった。
後は、解決を目指して最善の行動で動くだけだ。
私と文は、パチュリーを我が家に残し人里へ向けて移動を開始した。
◇
それほど時間も掛けず人里に到着し、協力を仰ごうと慧音を尋ねた私と文は、その場で今回の事件の全容を知る事が出来た。
慧音の居た寺子屋には、あの赤ん坊と同じ金髪をした綺麗な女性――赤子の母親が、慧音を前に泣き崩れていたのだ。
外来人ではなく、純粋に幻想郷の人里で生まれた彼女は、夫との間にあの子供を授かったそうだ。
しかし、彼女の夫は赤ん坊が生まれた数日後に、人里の外で妖怪に襲われこの世を去ってしまう。
とても不幸で、痛ましい事件。だが、幻想郷ではありふれた、一つの事件。
愛する夫を失い、親戚もおらず生きていく為の収入がなくなった彼女は、職を探して人里を歩き回る。
だが、その特異な髪色もあって中々上手く就職する事が出来ない。次第に金は尽き、住んでいた借家からも追い出される始末。
疲弊していく精神、磨耗していく心。
遂には自殺を思い立ち、しかし愛する子共と共に逝く事は許容出来なかった彼女は、人里で知られる子供好きな魔法使いであるこの私、アリス・マーガトロイドへとその希望を託す。
魔法の森の前に赤子を置き、途中で考えを改めて戻るまでの時間は、彼女曰く、ほんの十分程度だったらしい。
彼女がその場所に戻った時には、運悪く入れ違いで私が赤子を拾った後であり、ただの人間である彼女は毒胞子の舞う魔法の森には近づけず、人里でその場所へと入れる数少ない人物の一人、上白沢慧音を頼り土下座を行っていたというわけだ。
彼女と慧音の語りが終わり、私がその時心に思ったのは、彼女への同情や憐憫、捨てられた赤子のこれからなどではない。
ただ、文を頼ったのが完全に無意味だったという、驚愕の展開への悪態だった。
ちくしょう。
写真三枚、無駄に奪われるし。
「いやぁ。早期に解決出来て、本当に良かったですねぇ!」
何の苦労もせずに報酬が転がり込み、文の顔は果てしないほくほく顔だ。「殴りたい、この笑顔」、のタグがこれほど似合う顔もない。
とりあえず、私は母親である女性の心を落ち着かせる為と、時間を置いて赤ん坊とこれからについて考えさせる為に一日時間を開ける事を提案し、その場は解散となった。
魔理沙もあれで、一人暮らしをしながら何でも屋として生計を立てているのだ。一日ぐらいなら、きっと問題はない。
用済みとなった文も帰り、赤ん坊の母親は慧音が寺子屋で説教がてら面倒を見てくれるそうなので、安心して任せて帰宅する。
そんなこんなで自宅へと帰った私を、気配を消したパチュリーが玄関で出迎えてくれた。
恐らく、扉を開けたのが私以外だったなら、その手に展開していた多重拘束魔法陣の火が吹いていた事だろう。
帰宅早々、心臓に悪い。
「お帰りなさい」
「ただいま。魔理沙は来た?」
「いいえ。あれから誰も来ていないわ」
予想通り、余り確率は高くないと踏んでいたが、やはり魔理沙は戻って来なかったらしい。
維持していた陣を消去したパチュリーは、この時間から紅魔館に帰るのは面倒だと、私の家で一泊を決めた。
再び読書に戻った彼女をリビングに残し、キッチンで二人分の夕食を作りつつ、私は今日の出来事を考える。
いきなり、訳も解らず赤ん坊を預けられ、知り合いたちから突撃訪問されて、魔理沙に赤ん坊を奪われた。そして、人里の寺子屋で事情を知り、明日、最後の仕事として魔理沙から赤ん坊を返して貰わなければならない。
まだ、解決までの工程が残っている上に、たった一日で見事なまでの波乱万丈である。
本当に、こういう時の幻想郷は退屈する暇もないよねぇ。
今日の晩御飯は、ふわとろではない昔ながらのオムライスに、カボチャベースのとうもろこしを入れたスープ。
下品に思えるほどの大量のケチャップを乗せて、大匙のスプーンでモリモリ食べるのが、私流のオムライスジャスティスだ。
「出来たわ。本が汚れるかもしれないから、読書は一端止めた方が良いわよ」
「良い匂いね。きっとアリスは、素敵なお嫁さんになるわ」
「まだ、その話題を引き摺っているの?」
本を閉じてわきに置き、私の運ぶ料理の匂いを嗅いだパチュリーは、小さく笑いながら今朝の勘違いを引き合いに出す。
今まで考えた事もなかったが、確かに今の私は女性だ。恐らくだが、子供も産めるはずである。
だが、魔法使いという身の上からか、私は感情と同じく性欲と呼ばれる欲求もまた、極端に薄かった。
霖之助のような、一般的には美男子に入る男性を見たとしても、胸の高鳴りや恋愛に関する欲求が生まれる事はない。
では、私の持つ記憶が男性であり女性に興味があるのかと問われれば、それもまた否だ。
知り合いたちを着飾っているのは、純粋に彼女たちの可愛さや美しさを求めての事だし、てゐが撮るようなアダルト向けの写真を見ても、その構図や被写体の美しさに目が行くばかりで、性的な情動には私の食指は一切動かない。
結論として、私は性別を問わず枯れているのだ。枯れているのに萌えオタクとは、これ如何に。
まぁ、霖之助の言葉を借りるなら、「解らない事は気にしない」、で良いだろう。
「うん、美味しいわ」
「ありがとう」
ケチャップで、表面の卵に「ぱちゅりー」と書いてあげたオムライスに突っ込んではくれなかったが、どうやら彼女の舌には合ったようだ。
私も、同じく表面に「ありす」と書いたケチャップと卵、そして中に入ったチキンライスを一緒にして、スプーンで頬張る。
うむ、美味す!
食事の不要な私だが、可能な限り三食は規則正しく食べるようにしている。
人間の心を忘れない為にも、こうした日々の何気ない日常は大切にしたいのだ。
便利な身体になったからって、美味しいご飯を食べないなんてありえないしね。
その後、私がお風呂から上がっても相変わらずリビングで本を読み続ける
明日は、魔理沙の説得かぁ……
今日一日、時間のある時に考えてはいたが、結局魔理沙がなぜあんな行動を取ったのかは、まったく見当が付かなかった。
母親も反省しているようなので、あの赤子はやはり母親の下に返してあげるべきだ。しかし、それを魔理沙が承知するかは、また別の問題だろう。
変にこじれなきゃ良いけど。
フラグ臭がしないでもない感想を抱きながら、私はゆっくりとまどろみに身を任せていった。