東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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山も落ちも無い普通の話が書きたかったんだ。
書きたかったんだ……


87・イエスか農家で答えてくれ

 秋は収穫の季節である。

 しかしながら、何もせずとも勝手に畑から生えて育つ訳もなく、まずは収穫をする為の作物を植えて育てる必要がある。

 しかも、当然作物は一朝一夕で出来上がらない。

 成長の遅いものは春から、早いものでも夏には苗や種を植えて毎日世話をする必要がある。

 そんな苦労の結晶を味わうのだから、毎日の食事に「いただきます」と感謝を捧げる事を忘れてはいけない。

 人里から妖怪の山方面へ向かった場所にある、人口三十人ほどの農村。

 本日私が訪れたこの小さな集落でも、春の訪れに合わせ畑や田んぼで種植えや田植えの作業が行われていた。

 

「あ、アリスさーん。こっちこっちー」

 

 村長宅と思われる村で一番大きな建物の縁側に座り、子供たちとお手玉で戯れていた芋ジャージ姿の神様が私に気づいて朗らかに手を振ってくれる。

 一房のぶどうを添えた赤い帽子を頭に乗せるその神様の名は、秋穣子。秋姉妹と呼ばれている二柱の妹であり、「豊穣を司る程度の能力」を持つ農家の味方だ。

 神格はそれほど高くないらしいが、それでもこういった幾つかの村へ加護を与えている彼女は、やはり「神」と呼ぶべき存在なのだろう。

 

「手伝いが欲しいと聞いたのだけれど、あの人たちの作業に手を貸せば良いのかしら?」

「話が早くて助かるわ。でも、本当に良いの? 貴女みたいなお洒落な魔法使いさんが、畑仕事だなんて」

「依頼を受け、仕事をする。健全でしょう?」

「妖怪としては不健全よ。最近は、村の若い子たちが都会に憧れて人里の方に流れちゃうらしくて、人手が全然足りないの」

「難儀ね」

 

 早速、麦わら帽子につなぎの服を着せた二十を超える農民コスプレ人形たちを召喚し、魔法の糸を伸ばした両手の指で操作を開始する。

 農作業をしていた村人たちは、突然農具を片手に現れた人形たちに驚いた様子だったが、穣子が私に警戒していない事を確認するとほっと溜息を吐いて作業に戻っていく。

 この農村のように、実は人里以外で人間が集落を形成している場所はそれなりに多い。

 例えば、人里が設立される前から存在している村や、妖怪の山にある鉱脈での発掘作業を行う坑夫の集落等だ。

 普通の人間は、私や霊夢たちと違って空を飛ぶ事が出来ない。なるべく職場の近くに住みたいと思うのは、当然の思考だと言えるだろう。

 

「この村も、後十年ぐらいが限界かもしれないわ……敬ってくれるから、結構気に入ってるのに」

 

 停滞を求めて生み出された幻想郷であっても、人の営みは変わらない。

 より楽に、より豊かに。より効率的に。

 こんな小さな農村では、農業をする以外の選択肢が選べない。生活の維持が精一杯で、他の物事に取り組む余力がないのだ。

 村に愛着のない若者は、より安全で裕福な暮らしを求めて小さく狭い土地を捨て、大きく文化的な都会へと移り住んでいく。

 実りの神である彼女は自然農法を好み、過度な農薬や整地を嫌っている。

 収穫量を増やす為、正にその二つを用いて田畑の近代化を進める人里がこのまま台頭し続けてしまえば、穣子が加護を与える農民の数はこれからもっと減っていくだろう。

 人間だけが、不変の神を置き去りにして変わっていく。なんとも虚しい話だ。

 

「ねぇ、アリスさん。農家とか、興味ない?」

「魔法使いを農家にしても、それこそ不健全でしょう」

「むー、難しいなぁ」

 

 可愛らしく膨れてもダメでーす。

 でも、そのプク顔はいただき!

 

 何時も通り、光学迷彩(ステルス)状態のうぜぇ丸にてアルバムに加わる一枚をフィルムに収めつつ、ほっこりする私。

 

「あ、そうだ。私、この後はたてさんの新築祝いに行く予定なの。アリスさんも良ければ一緒に行かない?」

「えぇ。私で良ければ、喜んで参加させて貰うわ」

 

 思わぬお誘いに、私は迷いなく首を縦に振る。

 はたての家が不幸に見舞われた事は知っていたが、新居が出来たとはめでたい限りだ。これは私も、全力でお祝いをしなければ。

 幸せのお裾分けをしようと、村の畑仕事を補佐しつつ娯楽の少ないだろう子供たちに余興を見せる為、左右に浮遊させていた上海と蓬莱を地面へと下ろす。

 

「あ、皆おいでー。人形遣いさんが面白い事を始めるみたいよー」

「えー」

「なになにー」

 

 穣子の言葉を聞き、近くで遊んでいた子供たちが一斉に縁側へと集まって来る。

 ショーの始まりは、スカートの両端を摘まむ私の気取った挨拶から。

 上海が懐から取り出したのは、六本の小さなナイフ。蓬莱が取り出したのは、三重の丸が描かれた木板。

 ひょいひょいと滑稽に動き回る蓬莱に対し、上海はナイフをジャグリングしながら器用に投擲し、蓬莱の持つ的のど真ん中へと次々に命中させていく。

 

「おぉーっ」

「すげー!」

 

 私の始めた大道芸に、キラキラと瞳を輝かせる子供たち。

 

 よーし。お姉ちゃん、ちょっと本気出しちゃおうかなぁ。

 

 今度は更に難易度を上げて、空気を入れて膨らませた大玉に乗った上海が、速さと動きの複雑さが増した蓬莱の持つ的へとジャグリングするナイフを命中させる。

 他にも、フラフープやクラブを使った組体操や楽器を使った音楽等、二体の人形が織りなす様々な芸を披露してあげる。

 

「すごいすごーいっ」

 

 沢山練習した成果を褒められるのは、嬉しいものだ。私の妙技に、純朴で知られる秋の神様も興奮気味に手を叩いてくれる。

 笑顔の皆と、無表情の私。

 私の磨く技術の果ては遠くとも、その過程こそ楽しむべきだ。

 結局、興が乗ってしまった私は種植えの手伝いを終えても人形たちの芸を披露し続け、はたてたちとのお祝いの時間まで村の住人たちと戯れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 妖怪の山の中腹にある滝の近く。

 真新しさが目立つ一人用の住居を前に、烏天狗のはたてと白狼天狗の椛が立っていた。

 

「復活! 私の家、復活!」

「おめでとうございます。はたて様」

 

 両手を天へと広げ身体全体で喜びを表現しながら、感動で半泣きになっている上司へと部下からの冷静な祝いの言葉が贈られる。

 洩矢の御大の呪いによって、結果として自宅が全焼し衣食住の食以外を突然奪われたはたて。

 そりの合わない実家にも帰れず、知己を頼って白狼天狗用の共同宿舎にある椛の部屋で長らく居候をしていたが、そんな肩身の狭い日々も今日までだ。

 

「うんうん。これでもう、貴女や共同宿舎の白狼たちに迷惑掛けなくて済むわ!」

 

 天狗は、上下関係を重視する種族だ。

 上は下が従うのが当然だと認識し、下は上からあごで使われるのが当然だという意識しか抱いていない。

 そんな中で、組織の下っ端である白狼相手にさえ配慮してしまうはたての価値観は異常だとすら言って良い。

 

「今夜は私の奢りで、人里の高級店で買ったお肉を使った焼肉パーティーよ!」

「はい。ご相伴に預からせていただきます」

 

 しかし、そんなおかしな上司だからこそ椛はこうして己の意思で付き従い、単純な上下関係以上の友好を結んでいるのだ。

 

「それじゃ、皆が来る前に中で準備を――」

「っ!? はたて様!」

「ふわっ!」

 

 上機嫌のまま意気揚々と自宅に入ろうとしたはたてだったが、突然背後の椛から両肩を掴まれた上に強引に抱き寄せられ、目を白黒させてしまう。

 

「ちょ、ちょっと椛!? 幾ら私が魅力的だからって、流石に段階飛ばし過ぎ――っ」

「御免!」

 

 真っ赤になったはたてのズレた混乱を他所に、何かを察知した椛は間髪入れず二人で大きく後ろへと後退し新居から距離を離す。

 直後、はたての自宅が爆ぜた。

 正確には、はたての自宅の地下からとてつもない爆発が起こり、真上にあった建物を根こそぎ吹き飛ばしたのだ。

 勿論、買っておいた肉も家の中であり、回収は絶望的だろう。

 

「ぁ……え……?」

 

 余りにもいきなりな展開に、呆けた声を漏らすはたて。

 そんな彼女を守るように、背負っていた盾と大太刀を構えた椛が臨戦態勢で爆心地を睨み付ける。

 

「けほっ、けほっ」

「げほっ、うぇっほっ! あ゛ぁ゛、死ぬかと思ったあぁ」

 

 もうもうと上がる黒煙の中から這い出して来たのは、二人の知る二人だった。

 一人は、地底にある地霊殿の主が飼っている地獄鴉の霊烏路空。

 もう一人は、この妖怪の山に住む河童の河城にとり。

 大した接点を持っているようには思えない二人は、はたてたちに気づいていないのかその場で口論を開始する。

 

「おいこら、お空! まだ試作段階だから、ジェネレーターに撃ち込む威力は五割ぐらいで良いって言っただろ!」

「うにゅうぅぅ! うつほ、言われた通りちゃんと五回分溜めてから撃ったもん!」

「それじゃ五倍だバカたれ! ジェネレーターどころか、研究所(ラボ)ごと消し飛ぶわ! 良く生きてるな、私!」

「えと、危なそうだったからかみさまが加減したって」

「ありがとう神様! でも、出来れば加減よりこのアホガラスの勘違いを正して欲しかったなぁ、どちくしょう!」

 

 どうやら、はたての新居の真下ににとりの研究所があり、お空の勘違いによる暴走の結果がご覧の有り様だという事らしい。

 

「お二方。お話しの途中で申し訳ありませんが、あちらをご覧いただけますか?」

「あぁん!? あ……」

「うにゅ?」

 

 笑顔を浮かべながらまったく笑っていないという器用な表情の椛から声を掛けられ、にとりとお空がようやく天狗たちに気づく。

 

「私の、いえ……わたしの……いえ……」

「あ、えと……その……」

 

 同時に、黒こげの河童は膝から崩れ落ち魂の抜け落ちたはたての姿を見て、ここに何があり、どうなったのかを察してしまう。

 何も言えない。言える訳がない。

 どんな事情があったとしても、友人の自宅をお釈迦にしたのはにとりだ。

 可愛らしく小首をかしげる太陽の卵の隣で、河童の爆破魔は顔面蒼白のまま言葉にならない単語を漏らすだけだった。

 その後、轟音を聞き付け集まって来た白狼天狗たちに椛が事情を説明し、虚ろとなった両目からさめざめと涙を流すはたての代行として一帯の警戒解除を指示する。

 そうこうしている内に時間が経過し、新居祝いをするはずだった面子たちが集い始めた。

 

「随分と前衛的(アバンギャルド)な新居ね」

「アリスさん。はたて様の傷口に、塩を塗り込まないで下さい」

 

 見るも無残な跡地へ感想を漏らすアリスを、椛が咎める。

 

「あちゃー。これじゃあお祝いじゃなくて、慰め会になっちゃうわねぇ」

 

 妹と同じ野暮ったいジャージ姿で大穴を覗き込む、秋静葉。

 おざなりなその口調は、はたてへの同情を語りながら微塵も心が込められていない。

 

「は、はたてさん、大丈夫ですか!? 気をしっかり! 元気を出して下さい! はたてさーん!」

 

 薄情な姉に代わり、穣子が廃人と化したはたてを抱き寄せ全力で慰めている。

 人生は、クローズアップで見ると悲劇であり、ロングショットで見ると喜劇である――かの有名な喜劇王の言葉である。

 失い、得て、また失う。

 世間一般では、これを「天丼」という。

 この世界から再び一人の少女の家が消失した事実を見せ付けるように、大穴の下から未だに止まらない黒煙がその勢いを留める事なく上がり続けていた。

 

 

 

 

 

 

 はたての新居祝いに来てみたら、その家が爆散していたでござる。

 どういう事だってばよ。

 運が悪いとかツキがないとか、もうそういう次元を超越しちゃってるよね。

 

 例え運命の悪戯だったとしても、余りにむごい展開に正直ドン引きである。

 

「――という訳で、「はたて家ご臨終追悼式」を始めましょうか」

 

 人里にある、ちょっと高めの料亭。

 はたての用意したお肉やその他は文字通り爆発四散してしまったので、はたて以外で割り勘にして慰め会を開く事になった。

 参加メンバーは、私、秋姉妹、にとり、椛、そしてはたて。

 お空も誘ったのだが、さとりからの頼まれ事があるからと断られてしまった。

 

「「「かんぱーい」」」

「かんぱい」

 

 気の抜けた掛け声の中で、椛だけ真面目なのはお約束だ。

 死んだ魚の目をした天狗に河童が土下座しているが、気にせず他のメンバーだけで杯を重ね合う。

 

「……」

「えと……かんぱーい」

 

 穣子だけは、性分からか横目でチラチラとはたてたちを気にしながら遠慮がちに杯を掲げている。

 

「ごめん! ほんとーにごめんよ、はたて!」

「良いの、良いのよ。貴女が幾ら謝ったって、私の新居は……うぅっ」

 

 未だに衝撃が抜け切れないのか、謝罪するにとりを気遣う途中で涙腺が決壊し泣き崩れるはたて。

 自宅を二度も目の前で失った悲しみは相当だろう。

 にとりがお空と共にラボで何をしていたのかは気になるが、今は彼女に烏天狗の慰め役を任せ残った面々で建設的な話をしたいと思う。

 

「手っ取り早くさー、もう一回はたての家を建てれば良いじゃん」

「建てるのは当然よ、お姉ちゃん。だけど、その間はたてさんが椛さんの宿舎にまた厄介になるのは、周囲を含めて余り良い事じゃないわ」

 

 出された刺身をパクつきながら心底どうでも良さそうに言う静葉へ、穣子が大皿の料理を取り分けつつ微妙な表情をする。

 仲良くなれば別なのだが、はたてのコミュニケーション能力は人並みよりも割と低い。

 白狼の共同宿舎に出戻りすれば、白狼たちにとっては常に上司からの視線に晒され、はたてにしてみれば常に部下からの視線に晒されるという、誰も幸せにならない空間が再び出来上がってしまう。

 今のはたての精神状態でそんな気まずい場所へ住まわせるのは、流石に酷というものだろう。

 しかし、私はその辺りについて余り心配していなかったりする。

 

「はたての自宅については、別口が動いているから気にしなくて良いわ」

「ありゃ? そうなの?」

「えぇ、信頼出来る筋からの情報よ」

「ふーん」

 

 私の断定に、興味なさげな様子で曖昧に頷く静葉。

 

 まぁ、その信頼出来る筋って、はたたんの隣で椎茸の土瓶蒸し食べてるもみもみなんだけどね。

 

 消滅したはたての自宅再建に向けて動いているのは、同じ烏天狗である射命丸文だ。

 はたてのお祝いに、数少ない彼女の知り合いである文が呼ばれない訳がない。

 だが、あの場にも、この場にも、あの伝統文屋は姿を見せていない。その上、人里に号外も配られていない。

 圧倒的な権力や暴力を前にした、己の命を守る為の保身。

 もしくは、自分自身の献身や功績を広めたくない隠蔽。

 椛曰く、彼女が記事を書かない時は大抵そのどちらかが理由らしい。今回は、後者が該当する。

 捻くれ者の彼女にしてみれば、友人の壊れた家を再建する為に東奔西走している自分など、他人に知られるだけでもじんましんものなのだろう。

 

「だったら、後はこの辛気臭いはたてを慰めるだけで良いのね。ほーれはたてー、神様からの美味しいご飯だよー」

「もごもごっ」

 

 静葉がはたての口に運んでいるのは、刺身の下敷きである大根の千切り。

 慰めるにしてもおざなり過ぎて、喧嘩を売っているレベルである。

 

「もう、お姉ちゃんっ」

「嫌な事なんてさー、美味しいご飯食べて温かいお風呂に入ってふかふかのお布団で寝れば、大抵どうでも良くなるってー」

「そうじゃなくて、大根に醤油付けてないよ」

 

 ブルータス、お前もか。

 

 まさかのお姉ちゃん肯定派である。

 もしかすると、豊穣を司る穣子にしてみれば美味しいご飯とは作物全般なのかもしれない。

 

「もしゃもしゃ」

「はーい、どんどん食べよー」

「もしゃもしゃ」

「次々いくよー」

「もしゃ――ブハッ! ちょっと静葉! せめて大根以外も寄こしなさいよ! 私は鶏か!」

「もう、はたてさん汚い。口にものを入れたまま喋っちゃ駄目よ」

「あ、ごめんね穣子」

 

 怒り続けても良い場面だろうに、ここで普通に謝ってしまうのがはたてだ。

 マイペース過ぎる二人に挟まれ、意気消沈していたカラスがようやく正気に戻る。

 

「まったく。なくなっちゃったものはしょうがないし、また次が出来るまで大人しく待つわよ。お酒、高いの持って来て!」

「はいどーぞ。杯はこっちねー」

「もうっ、もうっ。今日は皆、とことん付き合って貰うからね! じゃんじゃん持って来なさーい!」

「ばだでーっ!」

「わぷっ」

 

 不機嫌なまま手酌でとっくりを傾けていたはたてへと、土下座を継続していたにとりが顔中を涙と鼻水塗れにしながらひっしと抱き付く。

 

「貴女にも、もう怒ってないわよ。にとり」

「心の友よー!」

「わわっ。ちょっとー、あんまり強くまとわりつかれると、お酒が注げないんですけどー」

「お酌させていただきます! お大尽様!」

「お大尽どころか無一文よ! 仕事上の事故じゃないから労災も下りないだろうし、もう散々!」

 

 度量が深いと言うよりは、他者へ悪意を向け続けられる性分ではないのだろう。

 平身低頭の姿勢で酒を注ぐにとりへ、怒鳴りながらも呆れを含んだ微笑を送るはたて。

 妖怪でありながら悪意に疎いというのも、如何にも彼女らしいと思えてしまう。

 豪華な食事と高価なお酒。そして、ノリと勢いで行われる隠し芸の数々。

 傷心のはたてを慰撫する小宴会は、夜が更け、主役が酔い潰れるまで続いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、二日酔いの頭痛によって人里の宿屋で目覚めたはたては、せめて何か回収出来るものはないかと爆炎に呑まれた自宅の跡地へ向かい、そこで驚くべきものを発見する。

 

「……家だ」

 

 そう、家だ。

 妖怪の山の中腹にある滝の近く。同じ場所の違う位置に、昨日出来上がった上で消滅した家とまったく同じデザインの家屋がぽつんと建っている。

 煤けた大穴は未だ健在であり、その空洞が昨日の出来事と今現在の光景が夢ではない事を証明していた。

 入口であるドアの近くには、「姫海棠はたて」と黒墨で書かれた白い石の表札が掛けられている。

 

「私の、家?」

 

 表札の名前が間違いないのだから、そういう事なのだろう。

 一体誰が、どうやってたった一日で家を建てたのかは解らないが、それでも誰かがはたての為にこの家を新しく用意したのは確かだ。

 

「ひ、う……うぇぇぇぇぇぇぇん!」

 

 感極まったのか、その場にへたり込み子供のように泣き出してしまうはたて。

 気にしないよう振舞っていても、やはり帰るべき場所を失った喪失感を早々に克服出来る訳もない。

 

「――慰めに行かないの? にとり」

「いや、アレに関しては私別に何もしてないし」

 

 大穴の下にある河童の工房にて、設置した監視カメラの映像でその様子を覗きながら会話をするのは、昨日の宴会に参加したアリスとにとりだ。

 近くには、荒れ果てた室内の片付けを手伝う秋姉妹や椛の姿もあった。

 

「よいーしょっと。でも、昨日今日でもう新しい家を建て直すなんて、一体どんな手品を使ったのかしら」

 

 廃棄物となった黒焦げの部品たちを拾って木箱の中へとひとまとめにし、邪魔にならない場所へ積み上げている穣子が当然の疑問を漏らす。

 

「あれだけの建築物を、一晩で作れる存在は限られるわ。近場で縁があるのは、土蜘蛛、鬼、その辺りね」

「アリス、せいかーい」

 

 三角巾とフリフリエプロンを装備した、上海や蓬莱たちを操作して縦横無尽に室内を掃除するアリスの推測に、無事だった機器の補修を行っているにとりが火傷防止用のゴーグルをずらして人形遣いを指をさす。

 

「昨日の真夜中に、地底に繋がる穴から十人くらいがぞろぞろ出て来てさ、設計図を見ながら夜明け前には造り終えてたよ」

「……凄いわね」

 

 にとりの説明にアリスが驚いたのは、その建築速度ではない。

 それだけの人数を動かしたという事は、旧地獄街の元締めである勇儀に話を通し承諾を得たという事になる。

 

「文、あれだけ勇儀を苦手そうにしているのに。良くそこまで出来たわね」

 

 鬼――特にその頂点である四天王は、かつて妖怪の山を腕力と暴力で支配していた。

 天狗や河童はもちろん、この山に住む全ての妖怪にとって鬼は未だにトラウマの代名詞だ。

 文は、その恐怖の対象である勇儀を単独で説得し、速やかに人員を借り受け結果のみを残したのだ。

 

「普段の文様は尊大な小心者ですが、成すべきと腹を決めた物事は必ずやり遂げるお方です」

「うわー。普段の素行が最低だから、まるで尊敬出来ないわー」

 

 休憩用のお茶を用意しつつ上司の評価を語る椛に、奇麗にした横長の机に寝そべり刷毛を振るって神力を飛ばし壁や天井を着色していた静葉が気の抜けた笑みを漏らした。

 

「これで一応、問題は解決ね。もう、はたての家を壊しちゃ駄目よ」

「解ってるって、アリスは心配性だなぁ。次はないよう、気を付けるよ」

「そもそも貴女、お空と一緒に何をしていたの?」

「ひゅいっ」

 

 元々、今回の一件はにとりが自分の研究所(ラボ)にあの太陽神の巫女を呼び寄せたのが発端だ。

 アリスの疑問に対し、にとりはびくりと肩を震わせ口から怯えの声を漏らすのみ。

 

「ひゅー、ひゅひゅー」

 

 おまけに、吹けない口笛まで披露されては最早疑いようもない。

 この河童は、技術者としてろくでもない事を仕出かそうとしているに違いなかった。

 

「……にとり?」

「ま、待って! その糸は危ない! 危ないから、早くしまって!」

 

 過去の案件から危険性を十分に理解している為、人形の操作とは別に伸ばし始めた魔法の糸を見て素早く穣子の後ろへと退避する被告妖怪。

 

「――ふぅっ。深く追求はしないけれど、余り危ない事はしちゃ駄目よ」

「もももちろんじゃないか私がそんな危ない事なんてする訳ないよあははは」

 

 鉾である糸を収めた人形遣いへ、にとりは一息でなんの当てにもならない適当な言い訳をした後笑って誤魔化そうとしている。

 研究所(ラボ)が吹き飛ぶほどの惨事を生み出しておいて、危なくないとはなんの冗談か。

 そういった態度が周囲からどんな目で見られるかを、この少女は理解していない。

 臆病で、怖がりな、内弁慶の自信家。そんな面倒な性格を含めて、彼女の美点と言っておくべきか。

 その後、粗方の片付けが終わりにとりからお礼の報酬を受け取った少女たちは各々研究所(ラボ)を後にする。

 アリスは自宅、椛は泣き続けるはたての傍に。そして、秋姉妹は己の住処へ。

 

「……ねぇ、お姉ちゃん」

「なにー?」

「言わなくて、良かったのかな」

 

 日の高い帰りの山道。

 並んで歩くジャージ姿の神様姉妹の妹が、そんな言葉をぽつりと漏らす。

 

「んー? そう思うんなら、穣子が言えば良かったじゃない」

 

 対する姉は、とぼけた態度で肩をすくめるだけ。

 共に語り合い、共に同じ釜の飯を食ったとしても、結局静葉にとってにとりは神と妖怪という隔てられた存在なのだ。

 

「言えないよ。にとりさん、あんなに頑張ってるのに……()()()()()()()から止めた方が良いなんて残酷な事、言える訳ないじゃない」

 

 あの河童は、不敬にも神の力を利用した動力装置を作成しようとしている。しかも、炉心に込める燃料は未熟とはいえ太陽神の末席という最上級の代物。

 同じ神だからこそ、解る事もある。

 しかし、神の見地を説明したところで妖怪を納得させる事は難しい。

 そもそも、にとりは他人から忠告された程度で止まるようなたまでもない。

 

「じゃあ、別に言わなくて良いじゃん。穣子って、ほんとそういうとこめんどくさいわよねー」

 

 どうしようもないなら、何もしない。静葉の考え方は、正しくなくとも間違ってはいない。

 穣子が、消えゆく村の未来を感じながら何一つ手を貸さないように。

 人々と同じ地上で暮らしながら、それでも二人は神として生きている。

 信仰を自力に変換し、加護を与えて人心を導く。

 彼女たちに許されているのは、あくまでそこまで。

 

「むーっ。私だって、お姉ちゃんのそういう薄情なところ嫌いだもん!」

「これは、薄情なんじゃなくて無関心なだけでーす」

 

 故に、静葉は語らない。

 故に、穣子は語れない。

 

「余計に悪いわよ! にとりさんは友達でしょ!? 心配じゃないの!?」

「でも、なんだかんだ言っときながら結局教えないんでしょ? 穣子ちゃんってばさいてー。ていうか、仮にも神様の癖に妖怪が友達とか。ないわー」

「お姉ちゃん!」

 

 姉妹だからといって、仲が良いのが当たり前ではない。

 意見が違えば口論もするし、喧嘩もする。

 

「ちょ、いたたっ。口で負けそうだからって、直ぐそうやって手を出すんだから。もー、暴力はんたーい」

「これは、愛の鞭だから良いの!」

「えぇ、良くなくない? 退散たいさーん」

 

 姉としての矜持なのか、穣子から叩かれても静葉は反撃せずに逃げの一手を取る。

 叩く穣子に、逃げる静葉。春の日差しの中、互いにじゃれ合いながら秋の姉妹が山道を進んでいく。

 知って辿り着くのと、知らずに辿り着くのは、果たしてどちらが幸福と言えるのか。

 それでも、結末はすでに決まっている。

 動き始めた歯車を、止める(すべ)はない。

 

 

 

 

 

 

 そこには、漆黒があった。

 光を通さぬ真黒の世界を可能にするのは、太陽も月も見せぬ上方の全てをふさぐ土くれたち。

 旧地獄の地底ではない、別の地下世界。

 何者かの霊廟なのだろう荘厳なる建物も、黒しかない世界の中ではその威風も見せつける事すら出来ない。

 

「ほう、ほうほうほうっ!」

 

 そんな暗闇の中で、心からの歓喜を滲ませる少女の声が反響する。

 

「これはこれは一大事! お主の大事な大事な依り代が、事もあろうに壊れておるではないか!」

「それ以上口を開くな、焼き尽くすぞ」

 

 けらけらと呵々大笑する少女の声に、止まらぬ憤怒を押し込めた別の誰かの声が応える。

 笑う少女に両足があるのに対し、応じる少女にはそれがない。代わりに、スカートから覗くのは淡く揺蕩う霊の身体。

 二人は同じ目的の為に同じ術を用い眠りに就き――そして目覚めた者同士だった。

 それは、「何かの物品に自身の魂を宿らせ、時を経たのち神秘を獲得したその物品を肉体に変化させ、仙人として復活する」という、尸解仙へと至る道教の秘術。

 しかし、見ての通りその術が成功しているのは片方だけ。もう片方は、術が失敗した挙句仙人どころか亡霊になってしまっているではないか。

 かの秘術には、死後に自身の魂の器となる依り代が必要だ。しかも、その依り代は百年以上の長い年月を経ても朽ちない物でなければ成功しない。

 笑う少女――物部布都が選択したのは皿。

 怒れる少女――蘇我屠自古が選択したのは壺だった。

 結論から言うと、屠自古の術が失敗したのは布都が原因だ。

 布都は屠自古が眠りに就く際に、術の(かなめ)である壺を「焼かれていない壺」にすり替えた。

 その結果、屠自古の魂が宿った依り代は時間の経過と共に朽ち果てその役目を果たせなくなったという訳だ。

 悪戯にしては度が過ぎる。

 それもそのはず。人間として生きていた頃の二人の関係は、殺し殺される政敵同士。

 後に同じ主へ仕える事となっても、一度でも明確な殺意を向けた相手をどうして信頼出来ようか。

 

「太子様の大望を支える従者は、我だけで十分。お主には、せめて苦しまぬようと安楽なる死に導いてやったというのに、我の好意を無碍にしよって」

「黙れと言ったぞ、クソ餓鬼があぁぁ!」

 

 「雷を起こす程度の能力」。生前に導師として鍛えた霊力に加え、更には亡霊となった事で獲得した強烈な屠自古の雷撃が、暗闇の中を照らし四方へと迸る。

 

「温いなぁっ! 悪霊風情にこの我が――ぽびぎゃあぁぁぁっ!」

 

 袖口から取り出した数枚の霊符にて結界を構築した布都だったが、その余裕の表情も文字通り屠自古の雷が落ちた事であっさりと崩れてしまう。

 

「ちょっ、屠自古貴様! 亡霊になったお主の方が、尸解仙になった我より霊力が上がっておらんか!?」

「ほう。てぇ事は、今の守りがてめぇの全力か。良い事聞いたなぁ」

「待て、待つのだ屠自古。身内同士で争っても、利益は生まぬ」

「私を殺したてめぇが言うなやあぁぁぁっ!」

「ぐぎゅ、げげぎゃ、ほげぎゃあぁあぁぁぁぁあぁっ!」

 

 二度、三度と雷撃が走り、その度に布都が絶叫を上げてのたうち回る。

 尸解仙へと至っていなければ、普通に死んでいる威力である。例えここで布都が本当に死んだとしても、屠自古はざまあ見ろと鼻で笑うだけであろうが。

 

「ふんっ。尸解仙にゃあなれなかったが、これはこれで勝手が良いか。亡霊の私と尸解仙のお前で、太子様を補佐出来る範囲にも幅が出せる」

 

 時代が変われば、価値観も変わる。

 屠自古たちの生きていた時代は、現代よりも神秘が間近にあった。

 死者の暮らす冥界も、一流の術者であれば往来が出来たほどに。

 屠自古たちにとってみれば、亡霊も尸解仙も人間が肉体を捨てた後に至る一つの形に過ぎないのだ。

 

「そ、そうであろうそうであろう。我の深謀遠慮に感謝するが良いぞ」

「ありがとさんよ!」

「しびびびびびー!」

 

 懲りない相棒へ更なる電撃を叩き込み、黒焦げで突っ伏す布都と亡霊となった屠自古はようやく本題へと移る。

 

「おい布都、太子様は?」

「……未だ眠っておられる」

 

 豊聡耳神子。生前の二人が仕え、そして布都と同じ尸解仙として復活するであろう、王者の名だ。

 しかし、同時期にて眠りに就いた三人の中、主君だけが未だに姿を現さない。

 

「あの方の依り代は剣。それも、多大なる霊力を宿した最高峰の霊刀だ。肉体として変質させるには、我らよりも更に長い時が必要になろう」

「具体的には、どんくらいだ?」

「太子様は、我らよりも遥かに優れた術者じゃ。その才能分、数百年は時間が縮まっておるだろうな」

「伸びた分が縮まって、結局はとんとんってところか」

「左様。早ければ今すぐにでも、遅くとも百日は掛かるまいよ」

 

 色々と言動に問題はあるが、布都の術者としての実力は本物だ。

 技量と知識に裏打ちされた予想であれば、そう大きく外れる事はないだろう。

 

「んじゃあ、それまでは霊廟を守護しつつ力を温存し、太子様が復活された時に動き易くなるよう時勢でも探るってところか」

「今世の諜報であれば、眠りに就く前に霍青娥殿へ依頼してある。我らが復活した気配が伝われば、あの方もじきに姿を見せよう」

「うぇ、あの趣味の悪い死体遊び女か。私、あいつ嫌いなんだよなぁ」

 

 邪仙の名を聞いただけで、屠自古が露骨に顔を歪める。

 キョンシーを操る、大陸からの伝道師。

 邪悪を肯定し、己の欲望の為に悪逆非道を良しとする破綻者を相手に、好感を持つ者は極めてまれであろう。

 例外と言えば、屠自古の目の前にいる忠犬ぐらいだ。

 

「何を言うか、太子様を始め我々が尸解仙へと至る行程を導いてくれた恩人であろうが」

「私は、あんたのせいで失敗したがね。恩を感じるのと好き嫌いは別だよ。あの腐った性根とは、どうにも相容れないってだけさ」

「生娘でもあるまいに。多少の毒程度、飲み下せずして何が為政者か」

「あの全身汚物が多少って、どんだけ節穴だよ」

 

 政治家は時として、清濁を併せ呑まねばならない場面もある。

 物部と蘇我。豪族として多くの臣下を抱えていた二人にすれば、邪仙の晒していた邪悪さもなど取るに足らないものに過ぎない。

 しかし、屠自古は知っている。あの口元を三日月にして笑う不死者がまとう闇と穢れは、未だその全容を覗かせないほどに深く濃い代物だと。

 

「こっちも適材適所か」

 

 単純で一途な性格は、布都の確かな長所だ。馬鹿は馬鹿なりの素直さで、厄介者の監視役兼玩具にでもなれれば最上だろう。

 二人が覚醒した理由は、頭上より霊廟へ向けた強烈な封印が展開されたからだ。それは復活を目前に深い眠りに就いていた二人が思わず飛び起きてしまうほどの衝撃だった。

 どうやら、何者かは分からないが地下に埋まるこの霊廟を突き止めたらしい。そして、危険物だと判断して出て来られないように蓋をするつもりのようだ。

 屠自古と布都の二人掛かりでは、不可能とは言わずとも解除には相当に骨が折れると解るだけの、莫大な法力による封印。

 しかも、寺社のような霊的な拠点を霊廟の頭上に築いたらしく、その建物を(かなめ)に強大で広範囲を囲う封印の檻を理想的なまでに安定化させている。

 封印の規模も、強度も、生前にはお目に掛かれなかったほどの規格外。それだけで、頭上に居座る敵対者がどれだけ凄まじい実力者なのかが理解出来る。

 相手にとって、不足はない。

 

「ま、今のところはこっちも起き抜けだ。しばらくは、大人しくしておいてやんよ」

 

 まだ見ぬ不敬者に嘲笑を送り、屠自古は主人の眠る霊廟の奥へと消えていく。

 一つが終わり、次が起こる。連鎖し、反発し、共鳴し、全ての物事が繋がっていく。

 幻想郷の裏にて、新たな非日常の種が芽吹く。

 新しい幻想郷への迷い人たちと、地上の魑魅魍魎たちが邂逅する大きな大きな異変(お祭り)へ向けての序曲が、今この時より始まろうとしていた。

 




秋姉妹の話なのに、二人ともあんまり表に出なかった不思議。

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