東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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78・過去から来たりて

 神とは、試練というものを好む者が多い。

 自分が全能であるが故に、地を這う者たちが足掻く姿が堪らなく愛おしいのだ。

 時に誰かの成長を促し、時に奇跡や財宝という名の報酬で釣り、或いはただの気紛れとして、様々な試練を他者へと与え監察する。

 それは、伝説という名の盛大な自作自演。

 神の目に止まった者に訪れるのは、栄光か破滅の二択のみ。

 さて、ここに途轍もなくわがままで自由気ままな性格をした、自身の希望を叶えられるだけの確かな権能を行使出来るはた迷惑な神様が居たとしよう。

 どれだけ理不尽であろうと、どれだけ無意味であろうと、「彼女」の願いは叶うだろう。

 何故なら、「彼女」はもう事を成し終えているのだから。

 「彼女」は眺める。少女の足掻くその姿を。

 理不尽を嘆き、傲慢に歯向かい、平穏に安らぎを得て、再び争いの地へと足を踏み入れていく、欠陥を抱える人形の少女を。

 ()()()()()のだから、当然だ。

 「彼女」が用意した今回の人形劇も、そろそろ終盤へ向かいつつある。

 「彼女」の望みは、少女の幸せたった一つだ。

 幸福とは、それまでの工程に不幸が多いほどより深く心を潤す。

 つまり、あの少女を幸せにするにはそれ以上の不幸を与えなければならない。

 「彼女」の考え方は、どうしようもなく間違っていた。だが、その間違いを正してくれる者は居なかった。

 だから、「彼女」は止まらない。

 少女の幸せを願いながら、台本通りに動いてくれる少女が幸福であると錯覚し、嬉々として数多くの不幸を与え続ける。

 その果てに訪れる結末を知らぬまま、「彼女」は少女を愛で続ける。

 用意した台本が破れ果て、崩れ去っている事にすら気付かぬままに。

 子は親を超えていくものだ。それは当然であり、必然の流れでもある。

 親が気付くのが先か、子が気付くのが先か。

 これは、ただそれだけの問題だった。

 

 

 

 

 

 

 早苗にとって、弾幕ごっこではない戦いはこれが初めてではない。

 しかし、それは知能の低い妖獣や小物妖怪相手の戦闘であり、実際に己の命を懸けるほどの勝負はこの戦闘が初めてに近い。

 そして、そんな戦いで手も足も出せず完膚なきまでに敗北するのも。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ――ぐっ」

 

 星を追って走り続け、古城の見える荒野にて対峙した早苗に待っていたのは、余りに一方的な展開だった。

 霊符を弾かれ、弾幕を受け止められ、挙句神の力を借りて召喚した御柱は長槍の一撃で粉砕された。

 荒い呼吸を繰り返しながら、早苗は地面から起き上がる事が出来ない。

 右肩と右の脇腹、そして左の脛。傷口から血液が流れ、徐々に体温が失われていく。

 まだ、この少女があの時に経験したような死の足音は遠い。

 しかし、鼻先三寸に突き立てられた光沢を放つ刃を前にすれば、起き上がる勇気など涌いて来るはずもない。

 

「命までは取りません。どうか、事が終わるまでそのまま伏せていて下さい」

「星さんっ。貴女が救おうとしていた大切な人は、貴女を騙していたんです! 目を覚まして下さい!」

 

 拳を握り、強い歯軋りをしながら必死に自分が見た真実を星へと告げる。

 しかし、そんな悲痛な想いが毘沙門天の代理に届く事はない。

 何故なら、彼女は全てを理解した上でここに居るからだ。

 

「ご忠告、痛み入ります。しかし、大変申し上げにくいのですが私は聖の封印があの時点ですでに解除されている事に、最初から気付いていましたよ」

 

 本当に申し訳無さそうに眉根を下げ、星は早苗の前に置いた槍を手元へと回収する。

 振るった先の刃から付着していた血が払われ、僅かに地面を汚す。

 

「だったら、何故……っ」

「聖は言いました。施された封印が、魔界からの脱出を妨げていると」

 

 仮にも聖職者である聖が、相手を誤解させるような物言いをする理由は限られる。

 それはきっと、自身の為ではなく力になると決めた誰かの為に必要だからこそ、あのような言い方で星を誘導したのだ。

 

「彼女がこの地で誰と出会い、どんな事情が出来たのかは解りません。ですが、少なくとも「私とアリスさんが争う事」が聖をこの地から連れ出す為の条件として提示された事実は揺るがないのです」

 

 本当にアリスを魔界へ封印する必要があるのか、それとも戦闘を始めた時点で条件が満たされるのか。

 あの場で聖を問い質したとしても、明確な答えが帰って来た可能性は限りなく低いだろう。

 また、妖怪の為に数百年を超える封印を受け入れたほどに罰や罪に対し真摯な姿勢を貫く聖は、その謎の条件が達成されない限り例え封印が解除されたとしても絶対に魔界から動こうとはしないのは明白だ。

 故に、聖白蓮という女性にどんな事情があったとしても、星は彼女の言葉に従う以外の選択肢を選ぶ事が出来ないのだ。

 

「そんなの、そんなの……酷過ぎます……っ。アリスさんが、一体何をしたって言うんですかっ」

 

 早苗の握った拳と噛み締めた奥歯に、更なる力が込められる。

 不条理に嘆き、理不尽に怒り、そして無力感に苛まれた震える声がこぼれ落ちていく。

 

「もしかすると、アリスさんが魔界への渡航にこだわったのは、こうなる事を察していたからかもしれませんね」

「でも、違うかもしれませんっ」

「そうですね。聖が魔界で過ごした過去を知らないように、私はアリスさんの過去や今を知りません」

 

 誰も彼もが、今この場に立つまでに様々な事情を抱えて生きて来ている。

 星にとって魔界がただ去るべき場所だったとしても、聖やアリスにとっては別の意味を持つ土地なのかもしれない。

 

「しかし、私はもう決めたのですよ。聖を救い出す為であれば、この手がどれだけ汚れようと構わない、と」

「……っ」

 

 だとしても、星の意思は揺るがない。

 もう二度と、同じ想いをしない為に。

 もう二度と、導き手を失わない為に。

 自分自身という犠牲さえいとわないほどの決意を込めて、彼女はこの地へ訪れているのだ。

 

「申し訳ありませんが、これ以上は加減が出来かねる可能性があります。追って来た場合、命の保障は出来ません」

 

 心からの忠告の後、星はアリスの居るであろう古城へと振り返り、二度と早苗へと向き直る事なく立ち去って行く。

 

「後悔しますよ! 星さん!」

「えぇ、そうでしょうね」

 

 争い事を好まない魔法使いと神獣が、他人の思惑によって無理やり争い合うのだ。

 きっと後悔するだろう。きっと苦悩するだろう。

 しかし、それでも、二人にはぶつかり合うだけの理由が出来てしまったのだ。

 大切な人が居て、救い出せる機会が巡り、その手段が提示された。

 星が戦う理由は、それだけで十分だった。それ以外の全てが無意味だった。

 故に、彼女は止まらない。

 止まる理由よりも、進む理由の方が大きくなってしまったから。

 彼女を止められるのは、きっと救い出すべき相手であるあの心優しい僧侶か、これより対峙する不完全な魔法使いだけだろうから。

 戦場となるだろう古城をしばし眺めた後、星は瞳を閉じて一度だけ小さく溜息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 しっかし……私って、本当にあの人の娘なんだなぁ。

 ノリとか勢いとか、良かれと思って完全に滑ってるところとかまんまだわ。

 

 椅子に腰掛けたまま、人形たちを使って城内に十分な仕掛けを施した後、文字通り事態は動いた。

 目の前に映るのは、動き始めた一体の「アリス」。そして、彼女から伸びる糸によって操られる大量の人形たち。

 当然、それら全員が私の作製した人形ではない。

 最初に見つけた「アリス」の人形と同じように、この工房に置き去りにされていた人形たちを、一斉に起動させて繰り出して来たのだ。

 しかも、その全てがこれみよがしに過去の遺物を彷彿とさせる人形ばかりという、無駄に思えるほどの手の込みよう。

 

 まったく。

 「本当の戦いは、自分自身と向き合う事よ!」とかなんとか言ってそうな、「あの人」の渾身のドヤ顔が目に浮かぶようだよっ。

 

 想像した「彼女」のサムズアップ姿の顔面に渾身のエルボーを叩き込む想像で溜飲を下げつつ、金髪メイドから振り下ろされる黄金剣を上海の双剣によって受け止める。

 

「ふっ――「黒魔波動(ブラスト・ウェイブ)」!」

 

 更にその下を潜り込んで接近した私の手の平から、振動による強烈な衝撃波が炸裂し人形を一撃で爆砕した。

 ばらばらと崩れていく破片へと、別れの言葉を贈る。

 

「さようなら」

 

 何処かのるろうに侍ではないが、ここに来た大きな理由は墓参りついでの確認という意味合いが強い。

 これは、予測ではなく確信だ。あの人は、自宅にあったあの魔本やこの城のようにきっとこの世界に沢山の足跡を残している。

 何故なら、私ならばきっとそうするから。

 飛ぶ鳥跡を濁さず、なんて潔くはなれない。私はここに居たのだと、確かにここで生きていたのだと、未練がましく鬱陶しいほどに沢山の証を残さずにはいられないのだ。

 

「「風魔咆裂弾(ボム・ディ・ウィン)」!」

 

 圧縮した風の爆裂が、三日月の装飾を先端に付けた長杖を持つ三角帽子の幽霊魔女を、撃ち込んで来た風の弾幕諸共に吹き飛ばす。

 彼女たちを全員倒せば、きっとまたあの時のように「ご褒美」が用意されているはずだ。

 人形たちに罪はないが、元より破壊される事を目的に作られた者たちだ。申し訳なくは思うが、ここは心を鬼にしてまかり通らせて貰おう。

 

「「地撃衝雷(ダグ・ハウト)」!」

 

 迫り来る敵の人形たちへ、私は次の呪文を解き放つ。

 大地の力を借りた、広範囲殲滅呪文。私を中心として、全方位へ向けて岩の隆起が無数の円錐槍となって吹き上がる。

 

「貴女たちも、さようなら」

 

 全身を貫かれて沈黙する赤い外套の女性と水兵服の少女へと、私は再び別れを告げる。

 過去との決別という意味では、これ以上ないほどの儀式と言えるだろう。

 「彼女」はきっと、ここで過去を捨てろと語っているのだ。

 だが、私も「彼女」と同じくらいわがままだ。

 過去も見つける。今も生き抜く。同時にこなすくらいは、してみせる。

 

「「暴爆呪(ブラスト・ボム)」!」

 

 空間の軋む音を立てて、私の周囲へと幾つもの火球が出現する。

 狙うのは、爆風により吹き飛んだお化けの魔女。

 

行け(ゴー)!」

 

 私の意志に従い、火球の群れが一気に出来損ないの人形へと殺到していく。

 しかし、その攻撃は当たらない。体勢を立て直した人形の杖から膨大な魔力を乗せた巨大な障壁が出現し、私の火球とぶつかりあって盛大な爆裂を撒き散らす。

 巻き起こった強烈な烈風と煙の中を走り抜け、次の呪文を唱え終えた私の手の平が障壁へと触れる。

 

「「崩魔陣(フロウ・ブレイク)」!」

 

 解呪を込めた六芒星の閃光が弾け、私と人形を隔てた一枚の壁を打ち砕く。

 後退する魔女に追いすがり、相手からの妨害の弾幕を複数の人形たちの盾で防御した私は、瑠璃玉の瞳からの視線を正面から受け止めながら両手を真上へと振り上げた。

 

「「魔王剣(ルビーアイ・ブレード)」!」

 

 伸び上がる血の色を模した烈光が、再び生み出した障壁ごと人形の魔女を一直線に叩き切る。

 油断せず、不慮の事故なく終わるならば、これは勝てる戦いになるだろう。

 だが、だからこその疑念が浮かぶ。

 「彼女」はもう、ここには居ないはずなのに。きっと、ずっと昔に居なくなったはずなのに。

 何故、こうして私がこれまで積み上げて来た十数年の実力で、ぎりぎり「勝てる」相手が用意されているのか。

 つまりそれは、こちらの成長速度をある程度正確に予測されているという事だ。

 

 全ては釈迦の手の平の上、か。

 もしかすると私は、対峙しているこの「アリス」人形みたいに、製作者の思惑通りにしか動いてなかったりするのかな。

 私が「私」だと認識する意識すら、或いは……

 

 そこまでで、強引に思考を打ち切る。明確な回答もなく、これ以上考えても良い方向には向かわないだろう。

 口の中に、言い知れない苦味が疼く。

 私の展開した防御用の人形たちをすり抜け、太刀を構えた一角の鬼が迫る。

 

「ぐぅっ――来なさい! ゴリアテ!」

 

 蓬莱の魔力障壁を貫く強烈な刺突に左肩を抉られながら、お返しとばかりに腕一本だけ召喚したゴリアテの大剣を豪速で振り抜かせ、鬼の人形を動力源の核ごと突き貫く。

 偽装用の赤い液体が流れる義手の損傷を押さえながら周囲を見渡せば、「アリス」が無言のまま操る人形の数は減るどころか更に増加を続けていた。

 

 まさかの旧作キャラオンパレードとか、ちょっと気合入れ過ぎじゃないですかね。

 子供の遠足に、全力全開のキャラ弁用意するお母さんか。

 ちくしょう、ちょっと可愛いとか思ってしまう自分のオタク脳が怨めしいぜ。

 

「土は土に、灰は灰に、人形は人形に還せ。私も何時か、人形に還る時が来るのかしらね」

 

 勝てる戦いではあるのだが、どうやら楽な勝負にはならないらしい。

 然して面白くもない苦し紛れの冗談が、背筋を伝う冷たい感触から目を避けるように口からこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 城の城門を越えようとしていた星が立ち止まり、槍を構えて腰を落とす。

 

「――何者です」

 

 警戒するその声に応え、暗がりから滲み出るようにして一人の女性が空中へと姿を現す。

 

「大した者じゃないよぅ。ここの昔の住人と、ちょっとした知り合いなだけさぁ」

 

 眠そうに目を垂らし、うつ伏せでぐにゃぐにゃと形を変える桃色の不定形物に乗った少女。

 お尻から生えた動物の尻尾からして、人間ではない。しかし、魔界の住人である悪魔とも性質が違う。

 

(バク)、ですか」

「ごめいとうぅ」

 

 夢に住み、夢を食い、夢を操る妖怪。それが(バク)だ。

 精神に依存する妖怪にとって、夢という場所は幻想郷のような隔離された別世に近い感覚であり、一種の娯楽所のようなものだ。

 現界の法則や掟に縛られる事なく、己の望む妄想の世界へと逃避出来る娯楽施設の管理者。

 

「お退きなさい、貴女に用はありません。そして、本体ですらない貴女に私は止められない」

 

 星は、目の前の妖怪が本人ではない事を看破していた。本体の妖気か能力の一部を切り離し、特定の条件にのみ反応して顕現するよう設定された、自動的な装置に過ぎない。

 星と会話をするだけの思考能力はあっても、そこに彼女の意思はないのだ。

 

「あはは、確かにねぇ。でも、約束は約束だからさぁ。ごめんねぇ」

「約束?」

「「一日に、通して良いのは二人まで」。残念ながら、あえなく君は三人目という訳さぁ」

「なるほど。では、門番である貴女を排除した後に城へと入らせていただきます」

 

 星の目的は城の中に居るだろう魔法使いであり、障害として現れた妖怪は邪魔者でしかない。

 油断なく戦闘開始の機会をうかがう毘沙門天の代理を見下ろし、(バク)の少女はいっそ友好的とさえ言える緩んだ笑みを送る。

 

「それじゃあ、()()()()ねぇ」

「……っ」

 

 次の瞬間、(バク)の少女の姿が()()()。まるで、身体全体が水で出来ていたかのように少女を構築していた全てが真っ黒な液体となって、地面へとこぼれそのまま居なくなってしまった。

 

『星……』

「聖……っ!?」

 

 門番として現れた少女は、他者の夢を操る妖怪。相手が最も嫌う夢を見せるなど、造作もない。

 これこそが、(バク)という妖怪の恐ろしさだ。

 妖怪の少女の消えた地面から、今度は別の女性が血塗れの状態で浮かび上がって来る。

 それは、正しく悪夢の具現だった。

 

『星……どうして、どうして私を見捨てたの……』

「やめて下さい……」

 

 忘れようがない。胸に開いた大きな傷口は、過去に星が宝塔を突き刺した場所だ。

 現れた影をまとう女性の落ち窪んだ瞳から、星は堪らず視線を逸らす。

 それでも、亡霊として現れた聖の言葉は止まらない。

 

『貴女に刺された傷が疼くの……あの時、貴女は笑っていたわね……あぁ、痛いわ、苦しいわ……』

「やめて……下さい……」

 

 容赦なく過去の傷を抉る、大切な人からの呪詛。

 言い返すでもなく、耳を塞ぐでもなく、何かに耐えるように食い縛った、星の奥歯が軋む。

 

『そうやって、可哀想な自分に酔う事で犯した罪から目を逸らし続けているのね……ずるい娘……醜い娘……貴女みたいな恩知らず、死んでしまえば良いのに……』

「黙りなさい……っ」

 

 怒りを込めて叫んでみたとて、それは虚しい独り言に過ぎない。

 何故なら、目の前に立つ血塗れの女性という偶像を生み出しているのは、他ならぬ星自身なのだから。

 しかし、頭で理解していても己の醜悪な部分をこうもあからさまに見せ付けられては、怒鳴りたくなるのも当然だ。

 

『償いもせず、今までのうのうと怠惰な日々を生きておきながら……今更全てを許されるとでも思っているの? 身勝手な娘……』

「裁きがあると言うのなら、悪夢(貴女)ではなく聖本人から直接受けます。それが出来るだけの場所に、今の私は居るのですから」

 

 星の意思に呼応し、手に持つ宝塔が強い光を放ち始める。

 

「私は罪悪感(あなた)を否定しません。ですが、立ち塞がるというのであれば容赦はしません」

『少しばかり力を取り込んだだけの妖怪が、仏を気取るの? 傲慢のつもりなのだとすれば、随分滑稽ね』

「えぇ、理解しています。そして、アリスさんに不遇を課すのであれば、確かに私は罪悪感(あなた)を乗り越えておくべきでしょう」

 

 この悪夢を排除する事は、かなりの苦難となるだろう。何故ならば、星は己の救済者である聖を「絶対に勝てない相手」だと認識してしまっているからだ。

 幻影とはいえ、否、幻影だからこそ、真に己の中にある未練や苦悩を乗り越えなければ勝利はない。

 

「まったく、恐ろしい事です。聖は一体どんな存在と契約(約束)を交わしたのやら」

 

 星にとって、これは間違いなくアリスとの戦闘について勝率の上がる計らいとなる事だろう。だからこそ解らない。

 今までの日々と道中で見せて貰った実力を考えれば、あの人形遣いにそこまでの戦力が必要だとは到底思えないからだ。

 しかし、星とアリスの対決を望む誰かにとっては、今こうして悪夢を見せられた程度で揺らいでしまう軟弱者に用はないらしい。

 実力を隠している、もしくは僅かな手心さえなく追い詰める必要があるという事。

 己の中にある迷いを払い、更に十全となった武神の分体を刺客とする。

 アリス・マーガトロイドという魔法使いは、そうまでしなければならないほどの曲者。躊躇いを抱えたままで挑めば、噛み砕かれるのはこちら側。

 血塗れの聖職者がゆっくりと構えを取り、星は先に待つ封印対象への警戒を更に上方へと引き上げつつ意識を戦闘へと戻す。

 

「――いきます」

 

 星の宣言を合図に、両者が地面を蹴り砕き拳と槍が激突する。

 衝突の勢いにより再び離れた軍神の槍の先端に、全身に漲る法力が収束していく。

 負ける訳にはいかない。いかなる理由があろうとも、今更引き返す事は出来ない。

 聖白蓮という僧侶を地上へと引き上げる為に、屍山血河を生み出す覚悟は当の昔に終わっている。

 後は、その覚悟を実行に移すだけだ。

 

「そこをお退きなさい! もう、嘆くだけの日々は終わったのです!」

 

 前哨戦として用意された舞台にて、過去の残滓へと向けて猛虎が吠える。

 法力が、妖気が、彼女を構成する全ての力が猛る。

 相手と己を血で染めながら、罪と罰を背負う一人の少女が槍を振るい続ける。

 それはどこか、帰り道を見失った幼子が泣き叫びながら親を求める姿にも似ていた。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷の各地で勃発した戦闘を察し、多くの者がそれぞれの思惑を抱えて行動を開始する。

 写真機を片手に、高速で空を飛翔する射命丸文もその一人だ。

 妖気を頼りに訪ねてみれば、雲をまとう僧侶を相手にかつての上司が拳を振るっているではないか。

 嬉々として被写体へ向けてシャッターを切ろうとした彼女は、しかし、その直前で自身の行動を取りやめる。

 

「くわばらくわばら。触らぬ鬼に祟りなしです」

 

 何より恐ろしいのは、ルール違反を暴露された萃香からの報復だ。

 鬼という種族は、とにかく理不尽だ。

 どれだけこちらに正当性があろうと、自分が気に入らなければ腕っ節一つで捻じ伏せようとしてくる。

 そして、それを可能とするだけの腕力があるのだから、余計に性質が悪い。

 この光景を映像として残す事を諦めた文は、とりあえず僧侶の繰り出す拳に鼻血を流しながら押し込まれる小鬼の姿を眺めて嘲笑を送る。

 

「はは、かつての四天王がなんてざまですか。良いですよ、そのまま片角くらいは圧し折れてしまいなさい」

 

 僧侶の実力は不明だが、一人で山を砕く鬼の頂点がここまで苦戦しているのは明らかな異常だ。

 本人か、まとっている雲の妖怪か。どちらかの能力などで鬼の力を封じ込めているのだろう。

 だが、どんな理屈であろうと散々虐げられて来たかつての上司がぼこぼこにされる姿は、中々に痛快な光景だった。

 

「雲井一輪さん、でしたか。予想よりはやるようですねぇ」

 

 くつくつと低く笑いながら、実に楽しそうに萃香の劣勢を観戦する文は、ここ数日の取材相手である入道使いへと視線を移す。

 確かに強い。幻想郷の列強たちと比べても、十分渡り合えるだけの実力を備えているのだろう。

 しかし、無理だ。無理なのだ。

 強いだけで勝てるのならば、天狗が数をもって下している。

 力を封じた程度で勝てるのならば、かつて幻想の外に居た時代で鬼と人間は盟友(宿敵)として共存出来ていた。

 妖怪から見ても、規格外と言わざるを得ない存在。それが鬼だ。

 そして、伊吹萃香という鬼はそんな怪物共の頂点として君臨する大妖。

 どれだけ優位に立っていようと、すでに結末は見えていた。

 つまり、このまま眺めていても文の望む結末になりはしないのだ。

 一時だけの栄華ほど、虚しいものはない。

 萃香と一輪の勝負に興味を失った文は、二人に気付かれぬまま別の場所へと移動していく。

 次に辿り着いたのは、遠くに真紅の館が見える霧の湖。

 その湖面を激しく波立たせながら戦っているのは、舟幽霊と八咫烏の末端だ。

 お空の繰り出す灼熱を、相手の少女が湖から引き上げた膨大な水を被せて打ち消している。

 こちらも、すでに見えた勝負だ。多少有利なフィールドで戦っているとはいえ、自然そのものといっても過言ではない神という存在に対し、人間の成れの果てでしかない舟幽霊では余りに力不足だ。

 

「今回の異変は、思ったよりもつまらない記事になってしまうかもしれませんね」

 

 不満を呟きながらも、記事の為には致し方なしと炎と水の弾幕ごっこの写真を取っていく。

 お空と対峙して勝負になっている辺り、あの舟幽霊もそれなりの実力者なのだろう。

 だが、入道使いも舟幽霊も選んだ相手が悪過ぎる。何せ、どちらも幻想郷において最強と噂される一角だ。

 

「こうなれば、これから復活するという僧侶に期待しておきましょう」

 

 出て来たばかりの新参者に敗れるほど、幻想郷は甘くない。

 とはいえ、勢力が増えるのは喜ばしい事だ。より複雑になっていく関係は、新聞記者にとって垂涎と言える飯の種を落としてくれるに違いない。

 文は、新しく現れた波紋たちが完全なる敗北を前に、今後の行動を自粛しないよう祈るばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 誰かの歩みにより、純白の床に落ちていた歯車の一つが跳ね、小さくカラン、という渇いた音が鳴る。

 

「あぁ、なるほど。随分楽に勝たせて貰えたと思っていたら、本命が別に居たからなのね」

 

 大量の残骸を床にばら撒き、残った木椅子に腰掛けていたアリスが血塗れの星を見てゆっくりと立ち上がる。

 二人とも服のいたる箇所が破損し、全身に傷を負った満身創痍の姿だ。

 それでも、アリスは自分の人形たちを起動させ、星は槍と宝塔へ法力を込めていく。

 

「一応、理由を聞いておきましょうか」

「聖を救い出す為に、貴女の犠牲が必要となりました。アリス・マーガトロイドさん、魔界を維持する為の人柱としてこの地に貴女を封印します」

 

 簡潔に、それでいて有無を言わさぬ結論を持って、星はアリスへと槍の先端を突き付ける。

 

「ふぅん。今回は、そういう設定なのね」

「設定?」

「こっちの話よ、気にしないで」

 

 対するアリスは、何処か人事のような態度で肩をすくめるだけだ。

 これから始まる殺し合いを前に、互いが体内にある魔力と法力を練り上げていく。

 

「オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ」

 

 最初に動いたのは星だった。

 真言を唱えると同時に、掲げた宝塔から膜を張るようにして淡い光が一瞬で室内の全てへと広がり消える。

 

「「烈閃槍(エルメキア・ランス)」!」

 

 返答とするアリスの魔法は、発動しなかった。

 否、確かに発動はしたのだろう。だが、彼女の手の平から光が走った直後に突然萎むようにして消失してしまったのだ。

 

「宝塔の力を使い、一帯の「魔」を払いました。貴女の魔法は、もうこの場では発動出来ません」

 

 魔法使いにとって、それは死刑宣告にも近い宣言だった。

 寅丸星という怪物との戦闘において、最も有効となる手段を初手で封じられたのだ。

 

「そう」

「いきます――がっ、ぎぃっ!?」

 

 地面へと落ちて動かなくなった人形たちを見下ろすアリスへと、畳み掛けるように突進する星。しかし、人形遣いにその刃は届かない。

 振り上げた腕が突然動かなくなった直後、無数の直線がまるで鎌鼬のように腕全体を走り裂傷を刻む。

 噴出す虎の血飛沫によって、その謎の攻撃は姿を現す。

 

「まさか、糸!? ぐぅっ!」

 

 慌てて反対の腕で爪を振るい、槍を持つ右手に絡まる極細の凶器たちを切断する星。

 

「残念ね。貴女が油断している隙に、腕の一本くらいは貰っておきたかったのだけれど」

 

 切れてしまった糸を巻き戻しながら、人形遣いの魔法使いは軽く自身の右袖をまくって種明かしを行う。

 それは、手の甲の部分に大量の糸の入った円盤を取り付けた手甲のような装備だった。

円盤から伸びる五本の糸は彼女の指先を通り、その先へと垂れ下がっている。

 妖怪の皮膚をものともせずに引き裂いた事実から察するに、人形を操作するよりも相手を直接殺傷する事に特化した道具なのだろう。

 

「人形遣いが、自分が操る人形より弱いと思っているならとんだ大間違いよ」

「くっ」

 

 魔法使いが相手なのだから、魔法を封じれば抵抗の(すべ)はない。

 傷口を押さえながら、星は無意識に考えていた先入観と傲慢を強く恥じた。

 アリスは、紛れもない強者だった。しかも、如何なる不利をも視野に入れた上で更に次の一手を模索出来るほどの技巧者だ。

 

「さて、起きなさい(セットアップ)手動(マニュアル)から半自動(オート)へ、パターンCを想定、戦闘アルゴリズムはランダムに設定」

『『了承(ラージャ)』』

 

 部品の残骸に埋もれたアリスの人形たちの瞳に、光が宿る。

 立ち上がった青服の人形の両袖から黄金の刃が飛び出し、赤服の人形は右腕が変形し高速で回転する一本の槍と化す。

 その他の人形たちも、それそれが武器を構えアリスを守るようにして臨戦態勢を整える。

 

「やっぱり、貴女が封じたのはあくまで発動し外気へ晒された魔法だけのようね」

 

 人形の中で動力として魔力を循環させるだけならば、問題はない。

 発動しなかった自身の魔法から、瞬時にそこまで状況を看破した魔女の観察眼に、星の警戒心が更に上方へと修正されていく。

 最後に、アリスは立ったまま糸によって自身の近くにあった大型のトランクを開く。

 

 イーヒッヒッヒッ――

 

 左手一本だけで操作する糸に操られ、奇妙な笑い声と共に箱の中に閉じ込められていた兵器が姿を現す。

 それは、顔の形にくり抜かれた巨大なカボチャの頭部に、黒の外套で全身を包む人型の人形だった。

 ピエロの靴を履いた人形が両手に持つのは、柄の先に大鎌の付いた異色の箒。

 

「いくわよ、ジャック・オー・ランターン」

 

 それが、この人形の銘なのだろう。

 一対一だったはずの状況が、一気にくつがえされていく。

 魔法を封じ、手札を制限してなおこれだけの兵力を用意するアリスへと、星は尊敬の念さえ抱いてしまう。

 しかし、彼女が全力で抵抗を示しているように、星自身もまた敗れる訳にはいかない理由があるのだ。

 

「それじゃあ、改めて始めましょうか」

「えぇ、始めましょう!」

 

 殺到する小型の人形たちを槍で捌き、カボチャの人形が振り下ろす大鎌を下斜めからの石突で弾く。

 救いのない戦いに身を投じる魔法使いと妖獣に用意された報酬は、共に命を捧げるに相応しい対価だろう。

 世界は、何処までも非情だ。

 しかし、どれだけ無情で理不尽な理由であろうと、始まってしまった争いを嫌う二人の対決を止める(すべ)はなかった。

 




うーむ……
異変後の正月ネタをやりたかったのに、このペースだと間に合いそうにありませんね……

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