東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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幽霊×百合=ヤンデレ
村紗が抱く聖への想いは、あくまで母や姉へ抱くような愛情です。
――愛情です(大事な事なのでry)



75・挑むべきは、神か仏か

 妖怪は、恐怖する人間が居なければ存在を保てない。

 しかし、人間は恐怖の対象である妖怪が居なくなっても存在し続ける事が出来る。

 この歪な関係に終止符を打つべく、妖怪の精神を鍛え確固たる「個」として自身を保つ(すべ)を与える。

 本当の意味での、妖怪と人間の共存。

 ある一人の女性が掲げた思想は尊く、同時に何処までも報われない永遠の理想でもあった。

 

「水蜜」

 

 この人から名前を呼ばれるたびに、私は止まった心臓がはねるような浮かれた気持ちになってしまう。

 

「はい」

 

 古寺の一室で正座する聖の膝に頭を乗せ、彼女の指が私の頭に触れてくれる幸福に酔いしれる。

 

「水蜜」

 

 もっと、私の名前を呼んで欲しい。

 もっともっと、私を必要として欲しい。

 私がこの人を求める気持ちと同じくらい、この人に私を求めて欲しい。

 

「貴女は、私を必要としてくれるのね」

「はい。私には、貴女が必要です」

 

 当たり前の事を口に出しているだけなのに、そこはかとなく誇らしい気持ちすら浮かんで来る。

 

「私も、貴女たちが必要よ。水蜜」

「はい」

 

 解っている。

 聖はただ、慈悲のみで私たちを救って来たわけではない。

 それでも良かった。むしろ、()()()()()良かった。

 孤独と死を恐れ、魔道へと堕ちた僧侶。

 この人の孤独を埋める一助となれるのならば、他の全てがどうでも良かった。

 

「命蓮が死んで、私は自分の事だけを考えるようになったわ」

 

 部屋の中で遠くを眺めながら、聖はぽつぽつとこぼすように語り始める。

 

「弟との永遠の別れが、私に死への恐怖を植え付けた。ただただ、老いたくないという一心で、朽ちたくないという一念で魔法を学んだわ」

 

 暗く澱んだ自身の過去。

 聖を崇拝する星や一輪たちには決して語る事の出来ない、この人が人間として抱える欲の部分。

 

「長い生という孤独の中で、私は退屈と寂しさを何時も持て余していたわ。でも、やっぱり死ぬ事だけはどうしても受け入れられなかった」

 

 聖の代理者として、この人に信頼される星の強さと心根が怨めしい。

 聖の思想を叶える、その数々の働きを認められている一輪の勤勉さが気に入らない。

 星の監視者として、その生みの親である聖への忠言を許されるナズーリンの存在が憎たらしい。

 皆大好きなのに。大好きだから、沈めたくなる。

 私自身が抱える、どこまでも汚い穢れた感情。

 聖は、そんな私をこうして肯定してくれる。

 私もまた醜いのだと。貴女だけが、穢れているのではないのだと。

 だから、必要以上に自身を貶めてはいけないと。

 

「私は、誰かに必要とされないと生きていけない。貴女たちが私を必要としてくれるから、私は今もこうして生きていられる。ありがとう、水蜜」

 

 例え、この人の愛が私だけに向いていないと理解出来たとしても。

 この人が、決して私だけを求めるようにはならないと理解出来たとしても。

 この人の求めるものが、本当は誰でも良かったのだとしても。

 この人が、どれだけ自己愛に満ちた女性だったとしても。

 私たちを救ってくれた事実に、偽りなんて何一つない。

 

「聖。逃げましょう、私たちだけで。今ならまだ間に合う」

「いいえ、もう手遅れよ。都の人間たちは、決着なくして決して私たちの存在を許しはしない」

「そんなの、知った事じゃない。なんなら、他の連中を囮にして――」

「水蜜。もう、決まった事なの――いいえ、違うわね。私が、貴女たちを守るとそう決めたの。ずっと昔に。そして今も」

「ひ、じり……?」

 

 聖の手が、私の頭から離れる。

 身体が動かない。立ち上がる彼女に押し出されるように床へと転がった私は、そのまま起き上がる事すら出来なくなっていた。

 

「聖……聖……っ」

 

 声は出る。だが、出るだけだ。

 何をされたのか解らないが、大きな声を出そうとしても喉が一向に開かない。

 障子を開け、あの人が遠ざかっていく。

 人間も、妖怪も、皆を愛するこの人は、自分を犠牲に全てを救おうとしている。

 あれだけ恩義を受けておきながら、あっさりと手の平を返した人間たちに己の身を差し出し、私たちが逃げ散るまでの時間を稼ごうとしてくれている。

 少なくともここに一人、救われない舟幽霊が居る事を知りながら。

 

「貴女はきっと、私を追って来てしまうのでしょうね。でも、出来れば逃げて下さいね」

「あぁ……聖……」

 

 私は、貴女さえ居てくれればそれで良いのに。

 貴女が封印されるというのなら、私も同じ場所に行きたいのに。

 私は、ただ貴女と共に居たいだけなのに。

 航海の中、突然の嵐によって船と共に水面の底へと沈んだあの時のように、この世はどこまでも理不尽だ。

 こんなちっぽけな願いさえ、誰も叶えてくれないのだから。

 神を呪えば良いのか、仏に怒れば良いのか。

 誰を恨めば良いのか。誰を憎めば良いのか。

 沈めるべき相手すら、私には見えて来ない。

 聖という太陽を失った私には、もう何も見えて来ない。

 私という醜く汚い水溜りに、救いの光はもう二度と届いてはくれないのかもしれない。

 それでも私は、あの人への愛を叫ぶのだ。

 私には、もうそれしか残されていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の対岸に位置する、霧の湖の近くにある平野へと到着したお燐と村紗の勝負は、すでに決着の時が近づいていた。

 お互いが全力で弾幕をぶつけ合う弾幕ごっこに近い殺し合いの途中、徐々に村紗の動作が遅くなり最後には地面に落ちて棒立ちの状態になってしまう。

 

「ふぅっ。ようやく、か」

「あ……ぁ……」

「何かおかしいと思ったら、パルスィから嫉妬の毒を食らってたんだね。どうにも操り辛いわけだよ」

 

 虚ろな表情となった舟幽霊を蝕む精神汚染とも呼べるの気配を感じ取り、火車の少女が辟易と溜息を吐く。

 橋姫の能力は、本人の意思に関わらず無差別に周囲を狂わせる。

 相性の良い者、悪い者によっては、軽く会話をしただけでもその毒に身体を侵され致命的な最後の一線を超えさせられてしまう。

 

「さて。ちょっと物足りないけど、これでとりあえずお姉さんからのお願いは果たせたかね」

「――あぁ、お陰で目が覚めちゃったよ」

 

 溺符 『ディープヴォーテックス』――

 

「え? がぼがっ!?」

 

 しかし、影響を受け易い存在がその事実を自覚し、修練を重ねればどうなるか。

 舟幽霊、村紗水蜜は聖白蓮という高僧を師事し、彼女と共に修行を続けた妖怪の一人。

 村紗は、橋姫の影響で狂ったのではない。狂いたかったから、その波へ自ら進んで乗り込んだだけだ。

 相手の足下から吹き上がるようにした噴出した膨大な海水に飲まれ、完全に油断していたお燐の身体が水中に没す。

 

「ぐ……ごぼ……っ」

「あーあ、どうしてこうなっちゃったかなぁ。私をあの妖怪まで導いた黒幕を引き摺り出そうと、折角あんな演技までしたのに……」

 

 巨大な水球の中、顔を歪め脱出を試みて足掻くお燐を見ながら同じ場所に居る村紗が平然と言葉を紡ぐ。

 あの夜、橋姫との邂逅というあり得ない偶然からいち早く自分たちの計画に対する第三者の介入を察知した村紗は、あえて相手の思惑に乗る事でその大本を割り出そうとしていたのだ。

 だが、実際に引っ掛かったのは協力者を名乗るアリスの仲間。実は水球に捕らえたこの妖怪こそ、村紗が求める介入者へ繋がる数少ない入り口なのだが、その事実に気付く事はない。

 

「まぁ良いや。お前とアリスを沈めてから、先の事は考えよっか、な!」

 

 疑わしきは全て殺す。どうせ、一人沈めるも二人沈めるも同じ事。

 ここに来て、村紗は計画の裏に潜む者を炙り出すよりも、自分が邪魔者と判断した者たちの排除を優先する事にした。

 このまま放っておくだけでも十分だろうに、舟幽霊は出現させた巨大な錨を妖猫の脳天へ向けて振り降ろす。

 

「づっ!」

「……っ」

 

 しかし、その一撃は当たらない。直前で顔を歪めた村紗の錨は、お燐の身体から大きく逸れた場所を通過していく。

 

「へぇ。この状況でまだ私を操ろうとするなんて、中々骨のある妖怪ね」

「ごぼ……っ」

 

 精一杯皮肉気な表情を浮かべるお燐に対し、村紗の口元が弧を描く。

 

「良いよ。なるべく苦しまないように、なんて考えてたけど、貴女がどうしても苦しみたいって言うならその願いを叶えてあげる」

「ぐ……っ」

 

 悪戯好きな性格の者が悪戯を止められないように、どれだけ修練を積もうと妖怪としての本質は変わらない。

 村紗の本質は舟幽霊。水難によって無念の死を遂げた未練と生者への嫉妬が、他者へ同じ苦しみを味わう事を願わせてしまう非業の悪霊。

 

「ごぼっ……が……っ」

 

 ゆっくりと、じっくりと、村紗の水がお燐の肉体を侵して行く。

 火車の身体が限界を迎えて溺れ死ぬまで、舟幽霊の水攻めは続くのだ。

 そんな二人の少女を入れた陸の水中に、第三者が割って入る。

 

「やめろぉぉぉっ!」

 

 お燐の時間稼ぎが功を奏し、空中から現れたお空が大きく黒翼を広げ水球の中でもがくお燐を高速で水の外へと救い出す。

 

「お燐! お燐、大丈夫!?」

「げ、ごっ、ごぼっ、が……っ!」

 

 しかし、助け出したはずのお燐の口から、止め処ない海水が溢れ続ける。

 口だけではない。鼻、耳、眼球、股の下、穴という穴から水が零れて止まらない。

 

「お前! お燐に何をした!」

「何もしてないよ。間抜けなソイツが、勝手に自分から水面に足を突っ込んで溺れただけさ」

 

 一人水の中で錨に腰掛けて浮かびながら、村紗はお空を小バカにするように鼻を鳴らしてみせる。

 「水難事故を引き起こす程度の能力」。修業により精神を鍛えた結果、村紗の能力は悪霊としての呪いに関しても更なる高みへと至っていた。

 地底の妖怪にすら通用する、深く強い呪詛。今、お燐の身体を蝕んでいるのはそんな強力な呪いなのだ。

 

「妖怪だからそれなりに頑丈なんだろうが、私の水は止まらないよ。何時かは溺れ死ぬだろうね」

「お燐を虐めるな! 今すぐ止めろ!」

「イヤだよ」

 

 三本目の足である制御棒を向けるお空への返答は、真っ赤な舌をだらりと伸ばす無情なものだった。

 村紗は別に、お燐を恨んでいるわけではない。

 ただ、この世界そのものを恨んでいるだけだ。

 

「聖が居ないのに、なんでお前らは生きてるんだよ。なんでお前らは、そんなに楽しそうに生きてるんだよ」

 

 彼女から、愛した女性を奪ったのが世の中だ。

 しかし、この世が存在しなければそもそも彼女は存在せず、愛する女性との出会いもなかった。

 誰を恨めば良いのか。誰を憎めば良いのか。

 解らないから、彼女は世界そのものを恨む。

 どうすれば良いか解らないから、彼女はその怒りを世界へと向けてしまう。

 

「聖の居ない世の中なんて、端から全部沈んじまえば良いのさ」

 

 それが、誰も幸福にならない虚しい八つ当たりと知りながら、村紗は自分を止められないのだ。

 

「止めろって、言ってるだろぉ!」

 

 爆符 『メガフレア』――

 

 込み上げた怒りを火力に変換し、照準を定めた銃口より灼熱の光線が発射される。

 防御としての役割を果たすはずだった水球を一瞬で蒸発させる八咫烏の火力を目の当たりにしながら、舟幽霊は身の丈を超える錨と底の抜けた柄杓を両手に素早く湖の方角へと後退していく。

 

「解るよ。お前の力は、聖に届く。そんな化け物、生かしておけるわけないだろうが!」

 

 自身の有利なフィールドに誘い込み、確実に仕留める。

 村紗の中心にあるのは、何時だって聖白蓮ただ一人。

 彼女の害となり得るものは、全てこの世から排除するべき対象だ。

 例えそれが、かの人の意に添わない行為であったとしても、村紗は決して止まらない。

 最初に自分の願いを無視し、勝手に居なくなったのはあの人なのだから。

 

 溺符 『シンカブルヴォーテックス』――

 

 ただ一人の女性の為に、神へと挑む少女の手からカードが弾ける。

 繰り出される弾幕は、弾幕ごっこの規定を無視した相手を確実に殺傷せしめる威力だ。

 

「お前なんて、丸焼きだぁぁぁ!」

 

 核熱 『ニュークリアエクスカーション』――

 

 対するお空は、きちんと威力を調節した弾幕だ。ただし、八咫烏の神力から発せられる数の暴力は村紗の比ではない。

 水が舞い、炎が弾ける。互いが譲れないものを抱え、湖の真上で新たな勝負が始まる。

 

『ほっ、危ない危ない。お燐が死んじゃったら、お姉ちゃんも私も悲しいもんね。間に合って良かった良かった』

 

 そんな中、運命の女神を気取る舞台の仕立て人が、風に溶けるように呟いて飛んで行く姿を見た者は居ない。

 

 

 

 

 

 

 聖輦船から落下した萃香と一輪は、先に落ちた二人とは違い妖怪の山に近い平野へと到着していた。

 

「いたたた。わたしの腕を折るなんて、凄い力だね」

 

 滅茶苦茶な方向へ折れ曲がってしまった自分の腕を眺め、へらへらと笑う鬼の少女。

 

「アリスは貴女を随分と警戒していたようだけれど、大した事ないわね」

 

 両腕に雲をまとったまま、相手を挑発しながら腰を落とし戦闘の態勢を整える一輪。

 

「ほぉ、(わたし)を相手に素手で()りあう気かい? 無知もここまで来ると、ちょっと滑稽に思えるねぇ」

 

 萃香の右腕が霧へと変わる。再び集ったその時、彼女の腕は元の形へと戻っていた。

 そして、鬼の妖気が一気に膨れ上がった。力の弱い存在であれば、ただそれだけで気を失ってしまうほどに濃密な気配が一輪を襲う。

 だが、入道使いの少女は動揺も怯えもなくただ静かに構えを取り続ける。

 

「――ちっ、本当に厄介だよ。お前らの使う法力ってやつは」

 

 これだけの威圧感を放っておきながら、萃香は自分の両手を見やり苛立たしげに吐き捨てる。

 鬼の四天王として頂点に座す彼女にしてみれば、()()()()()()()しか出ない事が異常なのだ。

 法力とは「法」の力。それは、強過ぎる脅威に対し、抑え、鎮め、封じ込める抑制の力だ。

 「無敵の盾(イージス)理論」、というものがある。

 これは、どれほど敵が強大であろうとその力を零にしてしまえば、例えこちらが一の力しかなくとも勝利出来るという考え方である。

 今、萃香の持つ全ての力は一輪の法力により見るも哀れなほどに落ち込んでいるのだ。

 そして、同じ妖怪である一輪と雲山はこの力の影響を受けない。

 一輪は、元人間という出自故に。雲山は、その一輪と一心同体であるが故に。

 相手の力を限界まで低下させた上で、自身の能力は最大限に発揮出来る。

 自身の弱さを認めた上で、脅威を排除する為に全力を尽くす。妖怪に対する戦法として、一輪の戦い方は人間のそれに近く非常に理に適ったものだ。

 そしてそれは、精神を基盤とし決して己の弱さを認める事が出来ない純粋な妖怪には、絶対に真似の出来ない戦法でもあった。

 

「昔は、お前みたいな僧侶たちがご高説を垂れてわたしたちを退治しようと躍起になってたもんさ。いやぁ、懐かしいねぇ」

「私も、貴女みたいな勘違いした馬鹿を沢山退治して来たわ。貴女もその一人に名を連ねてあげる」

 

 二人の周囲には、一帯を囲う巨大な結界が張られていた。

 密閉された空間に、一輪の法力が満ちる。

 

「おやおや。妖怪が妖怪を「退治」するなんて、お前さんも難儀な生き方してるみたいだね」

「同情は要らないわ」

「する気もないよ。安心しな」

 

 互いにカードは出さない。幻想郷に敷かれたスペルカード・ルールを破る、明確な違反行為。

 だが、双方が納得ずくで開始される決闘に他者の介入がない以上、ルール違反であろうと勝負が止まる事はない。

 

「んー、とりあえず二十分かな」

「え?」

 

 首を左右に曲げてごきごきを音を鳴らした萃香が、右手を持ち上げ霧を集わせる。

 そこに現れたのは、一抱えはある大きな砂時計だった。

 

「あれ。あれだけ大見得切っといて、鬼と戦うのは初めてかい? わたしたちは勝負する時、最初にこうやって条件を付けるのさ。そうしないと、「負け」られないからね」

 

 砂時計を反転させ、地面に付ける。

 上の器に入った赤い砂が、サラサラと下の器へとこぼれ始める。

 

「この砂時計の砂が全部落ちるまで、お前さんが立っていられたらそっちの勝ちだ。勝者は敗者を好きにする。解り易いだろ?」

「それじゃあ、その前に貴女を叩きのめしてしまっても良いのかしら?」

「ははっ、出来るもんならね!」

 

 先に仕掛けたのは萃香だ。拳を振り上げ、なんの策もなく真正面から突撃する。

 待ち構える一輪は、相手の拳を冷静に見据え左の手の平を使ってその勢いを受け流し、右の拳を鬼の顔面へと叩き込む。

 

「ぶっ!」

「はっ、はぁっ!」

「ごっ、がっ!」

 

 更なる追撃として、右手を放つと同時に下げられた左腕が萃香の脇腹を捉え、再び振るわれる右腕が正面から相手の顔を全力で打ち据える。

 

「か、カカカッ。こいつぁ楽しめそうだっ」

 

 雲山の拳に殴り飛ばされ大きく後退した後、萃香は大量の鼻血を噴出しながら盛大に笑っていた。

 相手の威勢に応えず、再び同じ構えに姿勢を戻す一輪。

 格闘技や拳法もまた、人間の編み出した護身の(すべ)にして脅威を打倒する戦闘手段の一つだ。

 しかも、法力を込めた彼女と雲山の拳は、一撃が当たる度に鬼の妖気を削ぎ落とす。

 勝負が続くだけ萃香は弱り、一輪は有利になっていく。

 

「はぁぁぁぁぁぁっ!」

「来いやぁぁぁっ!」

 

 今度は、入道使いが攻めへと回る。

 振るわれる拳が渇いた音を鳴らし、血風を舞い散らす。

 鬼と入道、拳と拳の勝負は、幾度も大きな振動と轟音を響かせながら何時果てる事なく続いていく。

 鬼の拳が相手を捻じ伏せるのが先か、仏僧の法力が相手の暴力を完全に封じ込めるのが先か。

 勝負は未だ始まったばかりであり、互いの余力は十分にある。

 例え、勝敗の行方が決まりきっていたとしても。今はただ、相手が折れるその時まで二人は拳を振るい合うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 地上にて二つの激戦が開始された頃、一人別行動を取ったナズーリンは魔法の森で暴れ回っていた。

 

「これで満足かな? それとも、次はその命でも賭けるかい?」

「ひ、ひぃぃ……っ」

 

 顔を蒼ざめさせ、這う這うの体で森の奥へと逃げる男の魔法使い。

 最初は随分と強気だったのだが、ナズーリンの実力を知り手の平を返して持っていた飛倉の破片をその場に置いた後、全速力で立ち去って行く。

 魔法の森に住む魔法使いたちは、魔理沙やアリスが異色なだけで基本的にはインドア派であり、自身の研究に没頭するだけの引きこもりだ。

 体力もなく、知り合いも少ない為世情にも遊戯にも疎い。弾幕ごっこであろうと、盤上勝負であろうと、賢将に勝てる者は早々居なかった。

 彼女はその有利を最大限に活かそうと、飛倉の破片の反応のある家を訪ねては勝負を挑むという強引な手段で回収を続けていた。

 そのかいあってか、すでに森の中の大半の反応は彼女の手の中へと納まっている。

 

「最後は……ここか」

 

 一番大きな反応。つまり、一番厄介な相手だろう相手の住宅に到着したナズーリンは、森の胞子に塗れたその外装を繁々と眺める。

 扉の上に取り付けられた、「霧雨魔法店」と書かれた木製の看板が一番に目に付く、洋風の家屋。

 霧雨魔理沙。博麗の巫女と同様に、数々の異変へと関わった魔法使い。

 弾幕ごっこの腕前は、相当に高いと見て間違いないだろう。

 しかし、脅威に感じる必要はない。何故なら、好奇心が旺盛だという彼女は恐らく空へ浮かぶ聖輦船に興味を示しそちらへと向かっているだろうからだ。

 万が一、今もなお在宅していた場合の対応もナズーリンはある程度想定している。

 右手を添え、ドアノブを回す。案の定、鍵が掛けられているようで扉を開ける事は出来なかった。

 

「――おっと」

 

 妖気を高め、腕力に任せて更にドアノブを強引に捻る。めきょっ、という破滅の音を立てて家を守る役目を果たす門番が敗れ去る。

 

「困ったな、「軽く捻ったら」「勝手にドアノブが抜けて」しまった。立て付けが悪かったのだろうか」

 

 白々しいにもほどがある独り言を呟きながら、然して悪びれた様子もなく少女は扉を開けて家の中へと侵入を果たす。

 

「さぁ、お前たち。これが最後の一働きだ。後で存分に労ってやるから、頑張ってくれ」

 

 拾われた宝塔を譲って貰う為買取り交渉を行った霖之助とは違い、魔理沙は窃盗犯としてそれなりに名の通った犯罪者予備軍だ。

 盗まれた物を取り戻しただけだと語れば、世間の正当性がナズーリンの側に傾く可能性は極めて高い。

 よって、道具屋の店主の時とは違いナズーリンの影から溢れる小ネズミたちは、魔理沙の家の隅から隅までを好き勝手に漁っていく。

 

「おい君、そんな毒々しいキノコを勝手に食べるなんて死んでも知らないよ。そこの君は、ツチノコを齧ってないで飛倉の破片を探してくれたまえ」

 

 本当に好き勝手に動くネズミたちを時々注意しながら、収拾された法具の破片を探すナズーリン。

 それからしばしゴミ屋敷を漁り続けた彼女は、研究室と思われる紙束の溢れる一室でお目当ての物品を発見する。

 

「なるほど。用意周到の象徴である魔法使いを名乗るだけあって、最低限の防衛は仕掛けてあるようだね」

 

 両手で輪を作る程度の太さをした透明な瓶に詰められた、木片の束。机の上に置かれたその瓶の下には、複雑な魔法陣の書かれた一枚の紙が敷かれている。

 盗難防止用の設置魔法。聞き及んだ性格から、効果は恐らく爆破や電撃など相手を直接的に殺傷するものだろうと推測出来る。

 ナズーリンに、魔道の心得はない。よって、彼女はこの罠を解く事が出来ない。

 だからといって、このまま飛倉の破片を諦めるかと問われれば、答えは当然「否」となる。

 

「さて、心が痛むが仕方がない。お前たち、後は頼んだよ」

 

 ネズミたちに指示を出し、妖獣は足早に他人の自宅を後にする。

 玄関の扉を閉めた直後、家の中から森中に響くかと思うほどの壮絶な轟音と振動が起こった。

 しばらくして、室内が静かになったのを確認し再び侵入したナズーリンが、家の中の惨状を見て額を押さえる。

 

「まぁ、確かにこれなら大抵の相手は必殺間違いなしだろうが……流石にこの威力は、考えなしにもほどがあるだろう」

 

 一分も経たず、魔理沙の自宅は人間が住める環境ではなくなっていた。

 壁や天井など、いたる場所から様々な色形をした巨大なキノコが好き勝手に生え伸び、外の森とは異なる謎の胞子を振り撒いている。

 良く監察すれば、一部のキノコはナズーリンの残したネズミたちを苗床に生えており、トラップの効果をまざまざと見せ付けていた。

 

「これがこの土地の常識なのだとすれば、我々はとんだ修羅の国に訪れてしまったようだぞ、ご主人」

 

 家の中の惨状と仕掛け人の常識の両方について考えながら、ナズーリンが右のかかとで床を何度か叩く。

 小ネズミたちの死体とキノコがひしめく中、少女の呼び掛けに応え彼女の影から先ほどと同じかそれに勝る量の小ネズミたちが何事もなかったかのように湧き出して来る。

 小さな賢将の生み出す小ネズミたちは彼女の妖気で生み出した空蝉であり、ただの抜け殻なのだ。

 維持出来る全体数には限界があるものの、彼女の妖気が続く限り延々と生み出せる便利な兵隊でしかない。

 再び飛倉のあった部屋へ訪れ、砕け散った瓶を無視して室内に飛び散った飛倉の破片を小ネズミたちを使って回収していく。

 

「うん? あぁ、お前たちか。収穫はあったかい?」

 

 全ての破片の回収を終え、今度こそ大惨事となった魔理沙宅から立ち去ったナズーリンへ、森の外から数匹の小ネズミたちが走り寄る。

 魔法の森の探索とは別に、もう一つの反応があった守矢神社への斥候として放っていたネズミたちだ。

 

「うん、うん。なるほど、そうか」

 

 小ネズミたちを肩に乗せ、ちゅうちゅうと忙しなく上げる鳴き声の報告を聞きながら、ナズーリンは自分の次の行動について思考を巡らせていく。

 どうやら現在、守矢神社にあった反応は聖輦船の方角へと移動しているらしい。

 余所者を排斥する妖怪の山から出て来てくれただけでも、ナズーリンたちにとっては幸運と言って良い。しかも、大量の破片を抱えた何者かは自分から聖輦船へと向かっているという。

 

 ならば、私も一度船へ戻るべきか。

 事が上手く運べば、私が到着した時点で飛倉が完成するかもしれない。

 後は、船を占拠したキャプテンをどうにか出来ているかどうか。こればかりは、ご主人たちの立ち回りに賭けるしかないな。

 

「良し。お前たち、戻るんだ」

 

 小ネズミたちを自分の影へと戻し、飛倉の破片を抱えるナズーリンが聖輦船を目指し飛翔する。

 この後、魔法の森の魔法使いたちの間では、小柄で尊大なネズミの妖怪への恐怖がトラウマとなり更に外出を控える者が続出する。

 そして、異変が終わり興奮冷めやらぬ本来の家主が「霧雨魔法店」へと戻った時、彼女の口から飛び出した悲痛な叫びが魔法の森へと響く事になるのだが、それもある意味当然の結末だと言えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「アリスさん。今こそ、私たちの真の目的を話しましょう」

 

 座り込んだまま「復活(リザレクション)」を唱え、痛んだ内臓を回復する私へと真剣な表情で星が告げる。

 

 ごめん、星ちゃん。

 実はそれ、全部知ってるんだわ。

 

「今の私が聞いても良いの? 貴女たちの邪魔にならないよう、何も聞かないままこの船を降りた方が良いのではないかしら」

「いいえ、私が貴女に聞いて欲しいのです。どうかご静聴願います」

「えぇ、解ったわ」

 

 彼女の口からは一度も語られてはいないが、原作を知る私は彼女たちの目的を全て理解していたりする。

 その上で、私の目的と一致していたのでこうして全力で協力していたのだが、星たちからしてみれば何も知らされないまま無償で助力を惜しまないという異常なほどの献身を披露しているように映っているのかもしれない。

 星が下した私への評価が不明のまま、彼女の口から幻想郷へ来訪した目的が告げられようとしていた。

 

「ぷぅー、ようやく到着しましたね。あ、そこな妖怪さん――って、アリスさんじゃないですか! どうしてこんな所に!?」

「ご主人、魔法の森での回収作業は終わったよ。次は――ん? どうやら、乗船員が少々変わっているようだね」

 

 星が改めて口を開こうとしたその時、異なる方角から現人神と賢将が聖輦船へと乗り込んで来た。

 私の「眼」が見る限り、ナズーリンの抱えている物と早苗の背負う風呂敷の中身の反応は同じだ。

 どうやら、二人して飛倉の破片をこの船へと届けに来たらしい。

 早苗が何故飛倉の破片を持って来たのかは解らないが、これで第一の目標はクリアした事になる。

 

「星、どうかしら」

「えぇ、二人の持つ破片を聖輦船へ取り込ませれば、全ての修復が完了します」

 

 飛倉の所持者である星の意見も、私と同じらしい。

 

「貴女がどなたかは存じませんが、飛倉の破片を届けてくれて本当にありがとうございます。これで、私たちは目的の地へ向けてようやく出航を開始出来る」

「え? え? いえ、違うんです。私はただぬえさんの代理としてですね――」

「君のお陰で、随分と計画が早められそうだ。本当にありがとう」

「え、えへっ。そこまで言われると流石に恥ずかしいって言うか……」

 

 星とナズーリンから多大な感謝を示され、事情を知らないのだろう早苗は珍しく照れた様子で前髪を整えたりと挙動不審な行動を取る。

 

「ん゛ん゛。ではなくてですね、出来ればアリスさんがこの場に居る事も含めて事情を教えていただけませんか?」

 

 しかし、持ち前の切り替えの早さは健在のようで、即座に持ち直した守矢の風祝(かぜはふり)は荷物を降ろしながらナズーリンへと問いを投げた。

 

「あぁ、勿論さ。出航の準備が終わるまで、まだ少しだけ時間がある。私の語れる範囲であれば、なんでも教えよう」

 

 語り手を毘沙門天の代理から賢将へと移し、「東方星蓮船」のバックストーリーが語られていく。

 虐げられる弱い妖怪たちを救うべく、立ち上がった一人の僧侶が居た事。

 彼女に救われた者たちが集い、今度は人間によって魔界へと封印されたその僧侶を自分たちの手で救い出そうとしている事。

 今、その目的を達成する為の条件が揃った事。

 

 改めて聞くと、ひじりんの人生って後半部分だけでも波乱万丈過ぎやしませんかね。

 僕には出来ない。

 

 ネズミの少女から全ての説明を聞き終えた私たちの中で、まずは早苗が口を開く。

 

「貴女たちの事情は解かりました。ぬえさんが破壊した船の破片は、お返しさせていただきます」

「ありがとうございます」

 

 真摯に頷き、星へと風呂敷を差し出す早苗。

 

「私は、星さんたちと魔界への渡航へ同伴します――そして、貴女たちが救った聖さんを「退治」させていただきます」

 

 しかし、この幻想郷で博麗の巫女と同じく妖怪退治の役割を自認する彼女の出した答えは、決して星たちの望むものではなかった。

 早苗の言葉に、空気が凍る。

 この娘は、本当に空気を読まない。否、読んだ上で自分を貫く。

 何処までも真っ直ぐで、だからこそ放っておけない。

 私はこっそりと小さく溜息を吐きながら、早苗と星たちの間へと移動する。

 

「ナズーリン。貴女が語ってくれたお礼に、私の目的も教えるわ。私たちを魔界への渡航へ連れて行くかどうかは、貴女が判断しなさい」

 

 まだ、星たちと早苗の目的は決定的な決別には至っていないはずだ。

 呉越同舟。私と早苗が魔界へ渡れるかどうかは、これからの私の弁舌に掛かっている。

 

 ハハッ。ナズちゃん相手に頭脳戦とか、絶望しかないんですが。

 まぁ、最初から戦う気は皆無なんですけどね。

 

 後の判断は彼女に下して貰えば良いので、私としては気楽なものだ。

 もし、早苗と一緒に降りるよう言われたとしても、後からまた関われば良いので然して困る事もない。

 話せる事、話せない事、慎重に内容を吟味しながら私は語れるだけの真実を語っていく。

 完成した聖輦船は更に神々しさを増し、さながら宝船のような荘厳さを放っている。

 春の訪れを待つ寒空の中、天空を泳ぐ船を巡る特大の舞台は次第に次の局面へと場面を移し始めていた。

 




神へ挑むのか。仏が挑むのか。

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