東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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72・ゴーゴー星蓮船(始)

 魔法の森とは異なる、妖怪の山から続く普通の森林。

 夏には、鬱蒼と茂った緑葉の群れが頭上を遮るのだろうが、春も近づいたとはいえ冬の今は眠りの時。枯れ葉と枝だけが、遮る事の叶わない太陽の光にせめてもの抵抗をみせている。

 そんな、少し物悲しい場所へ一人の妖獣と一人の魔法使いが出向いていた。

 妖獣の名は、ナズーリン。普通の人間であれば肌がかじかむほどの気温にも関わらず、金属製のダウジングロッドを両手に真剣な表情で周囲を探索している。

 魔法使いの名は、アリス・マーガトロイド。彼女は先日、メリーと名乗る未来の少女が幻想郷へ来訪した際、彼女を逃がす為に永琳の術を破壊した反動により星たちの隠れ家となっていた廃屋の頭上へと飛ばされていた。

 その時アリスは気絶していたので、星が受け止めていなければ屋敷の屋根に直撃していただろう。本当に、運が良いのか悪いのか解らない娘である。

 一時的な魔力の枯渇により髪色を金から銀へと変えたまま、昼ご飯のサンドイッチを入れたランチボックスを片手にナズーリンの後ろを歩いている。

 彼女の相棒である上海と蓬莱は、魔力の供給による浮遊が行えない為ランチボックスに括り付けられていた。

 大きなストラップのように見えなくもないが、非常にバランスが悪く人形の重さでランチボックスが斜めに傾いてしまっている。

 

「ネズミたちの反応を見るに、この辺りのようだ。アリス、何か解るかい?」

 

 毘沙門天より現世へ遣わされた小さな賢将の能力は、「探し物を探し当てる程度の能力」。配下の小ネズミたちを使役する広範囲の索敵を用いた、失せ物探しを得意としている妖怪なのだ。

 ナズーリンから声を掛けられ、アリスは無言のまましばし周囲を見渡し一本の枝に付く枯葉を指差す。

 

「あの枝に付いている葉っぱ。あれね」

「そうか。確かめてみよう」

 

 浮かび上がったナズーリンが、アリスの指差す方向へと飛んでいき枝から枯葉を摘み取る。

 摘み取られた枯葉はしばらくそのままの姿だったが、次第に輪郭を崩して大きくなり最後には何かの木片へと変化する。

 

「また当たりだ。どうやら、君の「眼」は間違いなく本物のようだね」

「恩人である貴女たちの力になれて、ほっとしているわ」

「謙遜しないでくれ。私のネズミたちは、大まかな場所までしか知らせてくれない。私の能力と君の「眼」があって初めて、効率良く飛倉の破片を集められる」

 

 謎の襲撃者によって破壊され、幻想郷中にばら撒かれてしまった飛倉の破片は、探索が困難となるよう更にこうした変化の術まで施されている状態だった。

 ただの法力を内包した木片であれば、ナズーリンのネズミたちだけでも詳細な探知は可能だったのだが、変化後の形状が解らないネズミたちでは匂いや法力を辿っても大まかな位置しか解らない。

 そして、運良く破片の一つを見つけたもののその捜索の困難さに頭を悩ませていたナズーリンたちへ、布団の中で療養しながら話を聞いていたアリスが協力を申し出た。

 アリスの両目は、精神世界面(アストラル・サイド)から物体や人物の本当の姿を見抜く。例え、特殊な変化の術を施されていようともこの人形遣いには通用しないのだ。

 ナズーリンが探し、アリスが見つける。この方法で、二人は二日も経たず全体の三分の二以上の破片を回収する事に成功していた。

 このままいけば、恐らく数日中に全ての破片を回収する事が可能だろう。

 

「しかし、ご主人にも困ったものだ。まさか、この大事な時に宝塔までを失くしてしまうとは」

「随分落ち込んでいたし、許してあげたら?」

「ふんっ、知らないね」

 

 ナズーリンは独り言のように呟き、アリスのフォローも知らん顔でプリプリと肩で怒りを表している。

 

「本当に、是非教えて欲しいものだよ。飛倉を修復する為にあの廃屋から一歩も出ていないご主人が、どうやって宝塔を屋敷の外に紛失出来るのかをね」

 

 宝塔は最高峰の仏具であり、普通の妖怪には触れる事すら出来ない。

 飛倉を破壊した不埒者が妖怪だったならば、宝塔を強奪しようと手に取っただけでただでは済まないはずなのだ。

 だからこそ、星が宝塔を失くしたと言い張った時点でおおよその答えは出ていた。

 不埒者の正体は、毘沙門天の代理から宝塔に触れる事を許された過去の同胞の誰かである、と。

 しかも、襲撃から退避までの短時間で飛倉の破片にこれほどの変化の術を施せる者となれば、それはもう一人しかいない。

 つまり、ナズーリンの主人はかつての同士を擁護する為に下手くそな嘘を吐いてまで自分で泥を被ろうとしているのだ。

 正体不明の大妖怪を気取っていたあの不届き者の罪を、少しでも軽くする為に。

 

「バカだよ、あの人は」

 

 何よりもナズーリンが悲しんでいるのは、長年仕えて来た従者にさえも真実を打ち明けてくれなかった事だ。

 普通に考えて、星が口を閉ざしている理由はナズーリンならば察して貰えると彼女が信頼しているからだろう。

 信頼や信用の問題ではない。そんなものを超越する程度には、二人の付き合いは長い。

 だが――

 それでも――

 

「いや、愚かなのは私の方だね」

 

 自身の願望がただのわがままだと理解しているナズーリンは、小さく溜息を吐いて首を振る。

 

「まったく、妖怪の身とは難儀なものだよ。この程度の感情すら、ろくに制御が出来なくなる。何故、毘沙門天様は私をこんな不浄の存在として地上へ生み出したのか……」

「単に、星が妖怪だからその従者も妖怪にしたのではないかしら」

「くくっ。あのお方の適当さを考えると、それが正解に思えるね」

 

 内にくすぶる悟りとは程遠い情念に辟易としながら、今度は自分への苛立ちに眉を寄せるネズミ妖怪は、後ろを歩く人形遣いの適当な考察に低く喉を鳴らす。

 

「さて。ネズミたちの反応だと、この近くに後二つ三つはありそうだ。手早く見つけてしまおう」

「えぇ、それが終わったらお昼にしましょう」

「食を捨てた魔法使いの昼食、か。余り期待しないでおくよ」

「その言葉、宣戦布告と受け取るわ。昼食が貴女の舌にあえば、今日の晩御飯も私に任せて貰おうかしら」

「悪いが、それは私の一存では決めかねるね。まぁ、君の期待通りの結果になれば、口添えくらいはやぶさかではないとだけ言っておこう」

 

 互いに軽口を言い合いながら、二人は更に森の奥へと足を進めて行く。

 冷たい空気が枝葉を揺らし、落ち葉を踏み鳴らすかさかさとした音が周囲へと響く。

 アリスが飛倉の破片の回収に協力しているのは、何も恩返しだけが目的ではない。

 ナズーリンたちの最終目標は、魔界へ封じられた聖白蓮の救出。異界への渡航手段として、何よりも聖の封印を解く為の鍵として、飛倉を変化させた空飛ぶ宝船である聖輦船は必須だ。

 アリスの目的も、同じく魔界。

 奇妙な同盟者を加え、ナズーリンたちの計画は最終段階へと移行し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 星たちは、恩返しを申し出た人形遣いを一時的な同盟者として受け入れた。

 しかし、だからといって彼女を全面的に信用したわけではない。むしろ、都合の良過ぎる登場に不審感を抱いている者も居る。

 廃屋の一室で胡坐を掻く村紗は、その筆頭だった。

 

「アリスは?」

「ナズーリンと、飛倉の破片を回収しに出掛けているわ。昨日の夜、皆が居る時に伝えておいたでしょう?」

「そうだっけ?」

「彼女が信用出来ないのは解るけれど、そこまで露骨に疑うのはどうかと思うわよ」

 

 アリスが廃屋に来てから、逐一彼女の同行に目を光らせる村紗に対面の一輪が呆れを含んだ半眼を向ける。

 

「だって、飛倉が破壊された直後に偶然空から落ちて来たなんて、信じる方が難しいわよ。犯人の共謀者で、私たちに取り入って土壇場で邪魔するのが目的に違いないわ」

「それでも、アリスの協力がなければ幻想郷中にばら撒かれた飛倉の破片を回収するのは困難よ。今は、彼女を頼る他ないの」

 

 一輪とて、知り合ったばかりの人形遣いを信用してはいない。しかし、村紗とは違いあの魔法使いの利用価値を理解している。

 故に、今は黙認という形で彼女を協力者として認めているのだ。

 

「じゃあ、その後は?」

「彼女次第ね。分離させた雲山の一部を監視役として付けているから、不穏な動きを見せれば直ぐに解るようにしているわ」

「それじゃ温いって。破片の回収も大体終わったし、もう要らないじゃない。さっさと殺すか追い出すかしちゃおうよ」

「いいえ。彼女が本当に善意の協力者だった場合、安易に切り捨てるのは愚策よ」

 

 仲間以外の全てを積極的に排除しようとする排他的な舟幽霊と、利用価値のある内は最低限の相互扶助関係を維持したい入道使い。

 互いの意見は、ひたすらに平行線を辿っている。

 

「村紗、姐さんを助けた後の事を考えなさい。私たちが幻想郷に地盤を作る時、この土地での伝手が多いアリスの助けがあればそれだけ早く活動を開始出来る」

「あんな女居なくたって、聖さえ居ればそれで良いじゃない。なんでそんなに、アリスの肩を持とうとするのさ」

「私だって、出来ればあんないかにも怪しい魔法使いなんて今すぐにでも追い出したいわよ。でも、姐さんはきっと幻想郷での布教を願うはずよ。あの人が喜ぶのなら、私たちの不満なんて些細な問題でしょう」

「――お止めなさい。そんな言い争いを聖が聞けば、きっと悲しみます」

 

 徐々に語調を強め始めた二人の居る部屋へと、立て付けの悪くなった障子をガタガタと開き毘沙門天の代理が入室する。

 

「星は、アリスを信用するって言うの? 幾らなんでもそれは――」

「いいえ。私も、アリスさんを信用してはいません。そもそも、たった数日で他者へ信を預けるのはとても困難であり危険です。それは、アリスさん自身もきっと望んではいないでしょう」

 

 不満気に睨む村紗の言葉に否定を被せながら、星は先に部屋に居た二人と適当な距離を保ちつつ畳張りの床へと腰を下ろす。

 

「貴女たちの会話を全て聞いたわけではありませんが、恐らく議論の中心はアリスさんとどこで関係を切るか、という点ではないかと推測します」

 

 居住まいを正し、説法でも聞かせるように静謐とした空気をまとう星の雰囲気に、懐かしい聖女の影を感じた二人は口論を止めて耳を傾ける。

 

「村紗の言う通り、悲しい事ですが今はとても重要な局面であり不確定要素は容認すべきではありません。しかし、一輪の言う通りこちらの都合だけで折角出来た縁を切り捨ててしまえば、恩を仇で返す事となり今後の行動に影を落とす結果になりかねない」

「それじゃあ、どうするって言うのよ」

「簡単です、村紗。こちらの意思と目的をアリスさんに伝え、彼女自身と今後の展望を相談します」

「はぁっ!?」

 

 事も無げに告げる星の案に、村紗は大げさなほど驚きすっとんきょうな声を上げる。

 何故ならこの虎の化生は、疑っている本人に直接「貴女を疑っています」と馬鹿正直に告げようと言っているのだ。しかもその上、秘匿していた情報すら惜しげもなく開示すると言う。

 誰であっても、眉をひそめるのは当然の反応だろう。

 

「アリスさんは、私たちが疑っている事を理解しています。その上で、飛倉の破片の回収へ協力を申し出てくれました。そこまで気遣いの出来る方ならば、変に隠し事をするよりもきっと正直に告げた方が良い」

「星、あの魔法使いにこれ以上情報を与えるのは危険よ」

 

 星たちがアリスへ与えた情報は、宝塔と飛倉の破片の回収に困っているという部分だけだ。

 その後の目的も、過去から現在に至るまでの足跡も、何一つあの魔法使いへは語っていない。

 

「いいえ、それは違いますよ一輪。彼女は私たちの与えた僅かな情報だけで、こちらの情勢をある程度把握している節が見受けられます。今更こちらが何を言おうと、彼女の中では想定の範囲内で収まるはずです」

 

 澱みなく二人の意見に答えを返す星は、アリスを非常に高く評価していた。

 信仰の対象となる事で、彼女は今まで多くの人間たちを見て来た。そんな人間たちと関わる、妖怪や神霊たちもまた同様に。

 度合いは違えどまずは警戒心が先立ってしまう二人とは違い、星はアリスをそういった色眼鏡なしで捉えているのだ。

 

「別に良いよ。二人の意見なんて聞いてないし。星や一輪がやらないんなら、私が勝手に――」

「村紗。長年の悲願が目前に迫り、気がはやるのは解ります。ですが――少し頭を冷やしなさい」

「「……っ」」

 

 独自に動こうとする村紗を制する言葉の最後に、星の身体から息が詰まるほどの濃密な重圧が放たれる。

 毘沙門天の代理は、聖の不在を預かる全権代理者でもある。

 穏やかな気性に隠された、仲間の中でも群を抜く絶大なる法力。自力というただ一点において、星の力は本来の長である聖よりも上だ。

 眠れる虎の尾を踏めばどうなるか。それを忘れるほど、村紗は愚かではない。

 

「今しばらくの辛抱です。大丈夫、聖は必ず助け出します」

「……当たり前よ」

 

 雰囲気を元に戻しにっこりと笑う同僚へ、捨て台詞のように呟いて舟幽霊は水面に落ちるように畳の底へと消えていく。

 

「あの娘にも困ったものね」

「きっと、言葉の半分も本心ではないのでしょう。村紗は、私たちならば止めてくれると甘えているのですよ。ありがたい事です」

 

 逃げた村紗に呆れる一輪へ、星は畳へと視線を下げながら申し訳なさそうに呟く。

 聖白蓮という高僧にして破戒僧たる女性を魔界へ封印したのは、寅丸星という仏を宿した妖怪だ。

 この事実は、例えどれだけ月日が経とうと揺らぐ事はない。

 本当であれば、むしろアリスではなく星の方こそこの集団から浮いた存在でなければならないはずなのだ。

 もっと恨んでも良いはずだ。もっと嫌っても良いはずだ。頭で理解しただけで、納得出来るような事柄ではないのだから。

 それでも、村紗も一輪も再会してから恨み言の一すら星へと告げた事はない。

 二人は、星の内に今もなお抱え続ける無念を感じ取り、糾弾の拳を降ろしていた。

 

「本当に、ありがたい事です」

「――あー、はいはい。解ったから湿っぽい空気出さないでよね、辛気臭いっ」

「あいたっ」

 

 しみじみと呟く罪人に対し、復讐の権利を持つ妖怪は努めて明るい口調で立ち上がり相手の肩をしたたかに叩く。

 

「代理でもなんでも、今は貴女が私たちの頭なんだからもっとしゃきっとしてなさい」

「……はい」

 

 頼りない頭領代理を見下ろしながら腰に手を当てて鼻を鳴らす一輪へ、星は穏やかな笑顔で頷いた。

 

「それじゃあ、私も少し出て来るわ。記事がどうとか言っていたあのうっとうしい天狗に、餌を与えて黙らせておかないと」

「お願いします。そういった交渉事は昔から苦手で……申し訳ありません」

「別に良いわ、適材適所よ。代わりに、アリスの事は任せたわよ」

「はい、任されました」

 

 星も、一輪も、村紗も、今は居ないナズーリンも。同じ目的の為に集い、そしてこれからも共にある事を望んだ大切な仲間たちだ。

 一人は皆の為に、皆は一人の為に。そして、ただ何よりも自分たちを救い出してくれたあの優しい僧侶の為に。

 

「――えぇ、大丈夫ですとも。聖は必ず私が助け出します」

 

 一輪が去った部屋の中、星は一人言い聞かせるように己の決意をこぼす。

 

「例え、私の命に替えたとしても。私の手を、再び同胞の血で染める事になろうとも。私が、貴女の傍に居られなくなったとしても。貴女を助けられるのであれば、何も惜しくはない」

 

 贖罪として、懺悔として、成さねばならぬという悲壮なる覚悟を持って。

 

「聖、お願いです……貴女が居ないと、駄目なんです……どうか、今一度私たちを導いて下さい……どうか……どうか……」

 

 風が鳴く。彼女の心を表すように、寒々しく渇いた冬の風が。

 恩人をその手に掛けた罪深き虎にとって、春の訪れは未だ遥か遠くに感じられていた。

 

 

 

 

 

 

 私は、幻想郷で何度「知らない天井だ」のシーンを味わえば良いのだろうか。

 回数を数えているわけではないのでなんとも言えないが、恐らく二桁には到達してはいないと願いたい。

 永琳の術に「重破斬(ギガ・スレイブ)」を叩き込むという暴挙に出た私を待っていたのは、毘沙門天の代理である寅丸星を含むお近づきになりたいと願っていたお寺組みの皆さんだった。

 どうやら、術の崩壊によって吹き飛ばされた着地点が、彼女たちの活動拠点の丁度真上だったらしい。

 原作通り、謎が謎を呼ぶ正体不明の不思議っ娘である封獣ぬえによって、正体不明の種が植え付けられた飛倉の破片が幻想郷の各地へとばら撒かれ、彼女たちの計画は大幅な後退を余儀なくされていた。

 渡りに船とは正にこの事だ。恩を売るついでに魔界行きの渡航に便乗させて貰おうと、私は悩んでいる星たちに早速協力を申し出た。

 

 ふはははっ! 獅子身中の虫とは実は私の事よ!

 いや、別にペコ虎ちゃんたちの邪魔なんてしないけどね。むしろ、全力でお手伝いするつもりだけどね。

 

 そう、今までの異変で私は解決側の立ち位置となり主人公である霊夢たちに協力していた。つまり、その場合敵となる相手は必然的に異変を起こした側の勢力だった。

 しかしながら、今回は逆に異変を起こす側に協力している。この意味は非常に大きい。

 何故なら、このままお寺組の皆に協力した場合、敵となる相手は霊夢や魔理沙など異変を解決しようとする知り合いばかりになるからだ。

 流石に、霊夢や魔理沙たちが私を全力で殺しに来る事はないはずなので、主謀者側に居る限り私の身の安全は確約されているようなものなのだ。

 

 ふっ、この異変勝ったな。

 ちょっと風呂入って来る。

 

 今はまだ、知り合って間もない事もあり警戒混じりのぎこちない協力関係なので、最悪の場合魔界へ連れて行って貰うのは異変の後になってからでも構わない。

 聖を助け出し幻想郷で勢力の地盤が固まれば、聖輦船は何時でも出航が可能となる。異変で協力した対価に今一度魔界へ潜って貰う程度なら、きっと問題なく了承を得られるはずだ。

 よって、別に焦る必要はどこにもないのだ。

 そんな私は今、知的クールロリという素晴らしい複合属性を持った小さな賢将、ナズーリンととある森の一角で昼食を取っていた。

 野外用のシートを敷き、早起きして私が作ったサンドイッチを二人で分け合う。

 挟んでいる具は、ポテトサラダや苺ジャムなどの定番から納豆や沢庵などの変化球も加えた内容だ。

 二重の蓋が二人用のコップになる大き目の魔法瓶に入っているのは、淑女のたしなみである温かい紅茶。

 

「ふむ、これは……うん、うん」

 

 外洋のお手軽料理は、食べる前はやや懐疑的だったナズーリンの舌にも合ったらしく、何度も頷きながらもぐもぐと口を動かしている。

 

「どうやら、お気に召して貰えたようね」

「あぁ、そうだね。食に制限を持つ私たちでも問題なく食べられるよう、食材にも気を使っている。どうやら私は、君を少し過小評価していたらしい」

 

 頭の良い幼女というのは、総じて皮肉屋になる法則でもあるのだろうか。肩をすくめながらの言い回しには、どこかの兎詐欺師を彷彿とさせるものがある。

 

「約束だからね。君が私たちに夕食を振舞いたいという希望について、口添えはさせて貰うよ」

「ありがとう」

 

 相手の胃袋を掴むのは、人心掌握として有効な手段だ。

 お寺組の皆と食事がしたいというのも、紛れもない本心ではある。だが、それに加えて少しでも私への警戒を解いて貰いたいという想いもあるのだ。

 裏切りというには少々語弊があるが、人間たちの仕打ちによって自分たちの慕っていた相手が封印されたのだから、他者への過剰な警戒心にも納得が出来る。

 だからこそ、こちらから積極的に友好の意思を示す必要があるだろう。

 

「君は、不思議な娘だね」

「突然どうしたの?」

 

 全員の味の好みが解らないので、無難に豆乳を使った肉なしシチューでも作ろうかと紅茶を飲みながら献立を考えている私を、ナズーリンがなんとも言えない表情で見つめて来る。

 

「私たちが君を受け入れていない事は、少なからず伝わっているだろうに」

「言ったでしょう。私は、貴女たちに恩返しがしたいのよ」

「であれば、こうして飛倉の破片の回収を手伝ってくれるだけで十二分以上に果たされているさ。何故、そこまで私たちに向けて過剰とも言える関心を持っているんだい?」

 

 現在、私に与えられている情報は飛倉と呼ばれる仏具が何者かの手によって破壊され、破片の回収に難儀しているという部分だけだ。

 魔界に封印された破戒僧の事も、完成した飛倉が変化して生まれる聖輦船の事も、私は何も知らされていない。

 正直に答えてあげたいが、本来知り得ないはずの情報を素直に語ってしまえば、飛倉破壊の犯人との共謀を疑われるだけだろう。

 一度崩壊してしまった関係は、繋ぎ直す事が非常に困難になる。

 

「貴女たちが、本当に困った顔をしていたからよ」

 

 私は、僅かな罪悪感を抱きながら事実をぼかした別の言い訳を語るに留めた。

 

「何をするつもりなのかは聞かないけれど、幻想郷に危険を呼び込む行為でない限り、私は手を貸すつもりよ」

「それは、恩返しとしてかい?」

「いいえ。いずれ友達になる為の、先行投資としてよ」

「なるほど、良いね。とても面白い理由だ。君という存在が、少し解った気がするよ」

 

 私の答えが可笑しかったのか、ナズーリンはふわりと優しい笑みを浮かべている。

 その眩しい光景に胸中で抱くのは、強い感動と同じくらいの無念だ。

 

 ぐあぁっ。今は魔力が枯渇してるから、撮影用のうぜぇ丸人形が呼び出せない。

 こんなに、こんなに超絶可愛い被写体が目の前にあるというのに……

 おのれ永琳、許すまじ。

 

 ほぼ八つ当たり気味の想いを胸に、私は小さな大人の少女との昼食を楽しむのだった。

 

 

 

 

 

 

 今回の異変の顛末を俯瞰した視点から眺めた場合、一番の被害者の候補としてこの正体不明の妖怪が上がるだろう。

 彼女の勘違いによる暴挙によって、この事件は異変と呼ばれるほどに規模を広げる結果となった。

 しかし、その暴挙に至るまでの行動が別の誰かに導かれたものだとしたら、事情は少し変わってくる。

 とはいえ、導かれた本人にその自覚がなく、導いた側も名乗り出る予定はないのだから、事実は闇へと葬り去られる事になるだろう。

 

「か……は……っ」

 

 そんな哀れな彼女は今、妖怪の山で弾幕ごっこに破れ地面へと倒れ伏していた。

 ぬえを破ったのは、同じ山に住む守矢神社の風祝(かぜはふり)である東風谷早苗だ。

 敗北を認めた事で、ぬえのまとっていた正体不明の術が解ける。

 

「貴女が、哨戒の白狼天狗たちが探している侵入者ですね」

「どうやって、私の術を……」

「簡単な推理です。貴女を目撃した天狗たちは、皆さんがまったく違う容姿を告げていました。つまり、貴女の術は見る者によって見え方が変わる術なのだと解ります」

 

 ある者は骨ばった猿のようだったと語り、またある者は筒状の形をした岩の妖怪だったと言う。更に別の者は蔓が丸まった植物のようだったと話し、まるで証言が一致しない為侵入者の探索すらも満足に行えないような状況だった。

 術が解ける前まで、早苗もまたぬえの正確な姿を捉えてはいない。だが、そんなものが解らなくとも対象を探し当てる方法はある。

 

「ならば、「私が初めて見る相手」を片っ端から叩き潰していけば、いずれは貴女に辿り着けます。最初の一人目で貴女と対峙出来たのは、私の日頃の行いの賜物でしょう」

 

 「奇跡を起こす程度の能力」。守矢の風祝(かぜはふり)にとって運命とは、数多の偶然が奇跡と名を変えた現象に過ぎない。

 出会うべくして出会い、集うべくして集う。

 故にこの出会いもまた必然であり、当然の結果でしかない。

 

「では。改めて初めまして、誰かさん。私は東風谷早苗と申します。随分と動きに精細を欠いていましたが、何かお悩み事ですか?」

「別に、なんでもない。あっち行けよ」

 

 いきなり気安い早苗に、正体不明だった誰かは不機嫌そうに拒絶を示す。

 正面から戦ってみて、早苗は目の前の少女が相当な強者だと解った。もしもスペルカード・ルールを無視した殺し合いだったならば、今こうして生きていられたかも解らないと思えるほどに。

 しかし、華奢な少女の正体を晒した妖怪は心ここにあらずといった様子で、まったくその実力を発揮出来ないままあっさりと敗北したのだ。

 救いを差し伸べるのは、神の特権であり義務だ。

 現人神として、悩める子羊を見捨てるという選択肢は最初から存在しない。

 

「イヤです!」

 

 よって早苗は、その拒絶を拒絶する。

 

「現人神であるこの私が、悩みを聞いてあげると言っているんです! さぁ、今すぐその胸に抱えた黒歴史という名の青春を私に暴露しなさい!」

「わけ解んないよっ。なんなんだよ、お前」

「名乗れと言うのなら、何度でも名乗らせていただきます。私は、東風谷早苗です!」

「そ、そうじゃなくて。いや、別にポーズも取らなくて良いから」

 

 元の気性が気弱な者や、気が弱っている者に風祝(かぜはふり)の牽引力はかなり脅威だ。あれよあれよと乗せられ、気付けば正体不明の少女はポツポツとその理由を語り始めていた。

 

「私、昔の友達たちに酷い事しちゃって……でも、アイツらの言ってた事も許せなくて……」

「ふむふむ」

「つい、かっとなって……恐くなって、聖の大事にしてた宝塔も投げ捨てちゃって……」

「なるほど」

「ぐすっ……私もう、どうして良いか解んないよ……」

 

 涙声で鼻をすする少女の感情に呼応するように、その姿が再び激しくぶれる。草に、人に、岩に、鱗に――千変万化と移ろう姿形が、彼女の動揺を如実に示していた。

 

「貴女の事情は理解しました。では、これからその昔の友人という人たちへ謝りに行きましょう」

「へ?」

 

 問い掛けや提案ではなく、すでに行動が決定しているように明言する早苗に驚き、正体不明の妖怪の身体が動く。恐らくだが、顔を上げているのではないだろうか。

 

「何を驚いているんですか? 悪い事をしたのなら、謝るのは当たり前の事でしょう?」

「で、でもっ。アイツら、絶対私を許さないだろうし――っ」

「それがどうしたんですか! 謝って許して貰えない事と、貴女が謝りに行く事はまったく別の事柄です!」

 

 早苗の口調に、剣呑な雰囲気が混じる。彼女がここまで頑なに主張している理由を、対面の妖怪は理解出来ずに困惑するしかない。

 誰しも抱える過去があるのだ。例えそれが自分で選んだ道だとしても、選ぶしかなかった当時の選択を他者に重ねる事を一体誰が責められるだろう。

 

「感謝も、嫌悪も、謝罪も。相手に伝えたい想いがあるのであれば、絶対に伝えるべきです。伝えられなくなってから後悔しても、もう手遅れなんですから」

「……っ」

 

 悩める一人の少女を導くのに、神の奇跡は必要ない。

 進む事しか知らない蛮勇と、不屈の意思を宿した熱を灯す瞳。

 真っ直ぐに、風祝(かぜはふり)が手を伸ばす。救いを求める者へと、暖かな人間の手の平を。

 

「あ、ぅ……」

 

 そして、正体不明の少女は何度も悩み躊躇いながら――その手を掴んだ。

 心を通じ合わせたその瞬間、妖怪の少女の術が解ける。正体を隠す臆病な妖怪が、ようやく早苗へと心を開いた瞬間だった。

 

「さ、行きますよ」

「え、付いて来る気?」

「当たり前じゃないですか。焚き付けておいて見捨てるほど、私は薄情ではありませんよ」

 

 関わったのならば、最後まで責任は取る。

 ノリで生きているように見えて、彼女は真面目な優等生なのだ。

 

「出来れば、謝罪の証として贈り物の一つは用意しておきたいですね。何か案はありますか?」

「あ、それなら――」

 

 先日の紅魔館襲撃において、たった三人で屋敷を半壊させた早苗の実力は本物だ。

 多少の逆境であれば、捻じ伏せてでも彼女は目的を果たすだろう。

 例え、それがこれから起ころうとしている異変の中心へと向かう嵐の航路だとしても。

 その程度の苦難は、目指すものを諦める理由にはなりはしないのだから。

 

『うんうん、良かった』

 

 二人には聞こえない。

 二人が出会った頃から、ずっと近くでその様子を観察し続けていたもう一人の存在を、風祝(かぜはふり)と妖怪は気付かない。

 

『これで、今度こそきっと上手くいくね』

 

 小さな節介、大きなお世話。

 良かれと思って介入し、それが大惨事に発展する事もある。

 だからといって、その介入者を罪に問う事は出来ない。何故なら、その少女を誰も認識出来ないからだ。

 彼女を咎める事の出来る唯一の姉妹は、遥か地底の奥底に引きこもっている。

 彼女を認識出来る数少ない友人の一人は、地下室からは出たものの屋敷の中に引きこもっている。

 無意識に潜む少女の献身が、幻想郷へと小石を投げ込み波紋を広げていく。

 彼女は全てを許される。

 だからこそ、彼女は一人遊び続ける。気紛れに、適当に、どんな結末を迎えたとしても。

 彼女はきっと、許されてしまうのだから。

 




地雷職人(作者)の朝は早い……(ゴソゴソ)
今回の異変の対戦表は、何時もより意外な組み合わせが多くなりそうです。

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