東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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ほら見ろ、やっぱり四話じゃ終わらねぇじゃねぇか!
私のど阿呆めっ!


69・幻想のおとしもの(転―A)

 二人の少女が幻想郷へと迷い込み、そして一夜が明けた早朝。

 外来人である蓮子は、拡声器片手に朝の日課を済ませた早苗を連れて妖怪の山を下山している頃合いだろう。

 守矢神社の奥にある祈祷場では、祭神の一柱である八坂神奈子が祭壇の中央に座り瞳を閉じて瞑想を続けていた。

 おごそかな神気に満ちたその部屋へ、お伺いすらなく更には足で戸を開くという無礼極まる者が入室する。

 入って来たのは、この神社における対の祭神、洩矢諏訪子だ。

 

「日も昇ったし、もう良いんじゃないかな。おつかれー」

「――ふぅっ」

 

 ひらひらと片手を振る諏訪子の気楽な言葉に、神奈子は大きく息を吐いて形成していた神域を解除する。

 「乾を創造する程度の能力」。山の神であり、雨風の神でもある神奈子の能力は天地創造。その中でも、とりわけ「天」の創造に特化している。

 蓮子の能力は、特定の空間と対象――つまりは空と星や月を視認する必要がある。逆に言えば、見えているものが「正しい空」でなければ正常に能力を発現出来ない。

 その為、乾神はあの少女が現れてから夜が明けるまで、守矢神社の周囲一帯に新たな「天」を創造し蓮子の能力を阻害し続けたのだ。

 当然、それほどの規模での創造を維持するには、莫大な霊力と精神力が必要となる。

 そして、空から落ちて来た外来人の少女には、神奈子がこうして心を砕くだけの価値があった。

 

「いやぁ、正直自分の目で見るまでは話半分だったけど、わざわざ八雲がウチに来て頼むだけはあるよ。確かに、あの手の手合いは死ぬまで無知でいてくれた方が何かとやり易い」

「しかし、あの伸び代を放置するのはもったいなく感じるわね。こちらが上手く誘導すれば――」

 

 彼女が自身の立ち位置として認識している「現実の座標」が幻想にとって危険ならば、その座標そのものを幻想側にずらしてしまえば良い。

 幻想郷で数年も暮らせば、恐らくそれも可能だろう。

 そうした後、彼女を外の世界に放てばどうなるか――

 まったく同じ能力であっても、立ち位置が真逆となればその意味も真逆となる。

 「幻想を殺す瞳」は「幻想を生む瞳」と化し、外の世界へと牙を向く事になるだろう。

 

「はっ、無理むり」

 

 しかし、野心を見せる戦神の考えを土着神が鼻で笑って一蹴する。

 

「早苗が良い例えになっただろうに、もう忘れたのかい?」

 

 奇跡を起こす風祝(かぜはふり)が外の世界で辿った道は、苦難の末に己の存在すら失うという悲惨なものだった。

 あの人間を尖兵に仕立て上げたとしても、得られる成果は想像しているものよりもずっと少なく、そして、すぐに修復出来てしまうほどに小さいものとなるだろう。

 

「一人や二人特殊な人間が居たところで、それがなんになるってんだ。押し流されて、おしまいさ」

「そうか……そうだな……」

 

 栄枯盛衰。信仰によって生まれた個としての結晶は、同じく信仰によって薄れて消えてしまう。

 世界に――何よりも、人間に敗北した二柱。

 神すらも屠る世界と言う名の高き壁に、たった一人の少女を挑ませるのは余りに酷というもの。

 

「ほらほら、何湿っぽくなってんのさ。あのスキマから貰ったお神酒、早苗が帰って来る前に飲んじまおう」

「あぁ、たまには二人で愚痴りながら飲むのも悪くないね」

 

 生まれてこの方幾星霜。

 酸いも甘いも噛み分けて、それでも滅さぬ限り神の今生は続いて行く。

 神が愚痴も文句も吐けぬ世など、それこそ滅びてしまえば良い。

 幸いにして、この幻想郷(世界)の器は底なしなほどに大きいのだ。

 好きに生き、好きに死ぬ――想いによって紡がれた神でさえ、それが許される異端の土地。

 諏訪大戦の罵りあいから始まり、最後には弾幕ごっこにまで発展する二人の酒盛りは、早苗の幼少期からの成長を綴ったアルバムを引っ張り出して眺める事で収束していく。

 守矢神社は、今日も平常運転だった。

 

 

 

 

 

 

 すっかり仲良くなった蓮子と早苗が和気藹々とお喋りをしながら下山するかたわらで、その山を縄張りとする組織では内部で小規模な衝突が発生していた。

 

「ごがぁっ!?」

「おっと失礼。丁度良い場所にあるので、止まり木と勘違いしました」

 

 神社から出た直後から、外の世界の人間と守矢の風祝(かぜはふり)を監視していた十人ほどの集団へと乗り込んだ射命丸文の飛び蹴りは、先頭に立っていた壮年の男天狗のあごを正確に捉えて吹き飛ばす。

 

「貴様、射命丸!?」

「なんのつもりだ!」

 

 この集団の目的は、宇佐見蓮子の捕縛と拷問すらも視野に入れた情報収集だ。

 突然現れたはずの彼女からは、マヨヒガに住む妖猫すらも超えたスキマ妖怪の気配を感じ取れる。

 橙は藍の式であり、襲えばその主人に介入される。紫の式である藍は、そもそも気軽に襲えるほどの弱者ではない。

 上手くいけば、秘匿され続けている賢者の弱点を掴める可能性すらあるのだ。現れた外来人についてなんの情報もない今だからこそ、明らかに紫との関係性を匂わせる人間を襲わない理由はない。

 

「八雲紫の打倒は、我ら山の組織が幻想郷を総べるに必須の条件! 何故、かような横槍を入れるか!」

「しかり! 何度もかの雌狐どもに煮え湯を飲まされた我らが怒り、解らぬとは言わせぬぞ!」

 

 しかし、その絶好の機会をあろう事か同胞に邪魔されているのだ。彼らの憤りは、相当なものだろう。

 

「解りませんよ。そんな負け犬の遠吠え、解るわけがないでしょう」

「貴様! 愚弄するか!」

「はっきり言ってあげましょうか? 私が貴方たちを止める理由は、()()()()()()()()()()――ただそれだけですよ」

 

 あの胡散臭い妖怪が、こんなにも簡単に手の内を晒す情報源を取り落とすものか。

 あの人間を幾ら痛め付けたとて、得られるものは精々あの妖怪への不満や確執を和らげる自己満足くらいだろう。

 

「そも、八雲紫を憎しと思うのならば彼女を直接八つ裂きにすれば良いだけの話。かの妖怪が冬季に弱体化するのは周知の事実なれば、根城を探り当て攻め落とすぐらいの気概を見せなさい」

「馬鹿な! そのような大言壮語、口にするだけならば誰にでも出来るわ!」

「――これ、なんだか解りますか?」

 

 文が袖から取り出したのは、一枚の写真だった。そこには、落ち着いた雰囲気のある大きな屋敷が映し出されている。

 

「屋敷の写真? ――っ!? ま、まさか……」

「はい、紫さんのご自宅です」

 

 それは、敵対する者ならば誰もが喉から手が出るほどに欲しい情報だろう。

 山の組織は、「八雲」と長年小競り合いを続けている。この程度であれば、当然揃えていて然るべきだ。

 だが、それでも――その情報が、楽に手に入れられる代物でない事だけは確かだ。

 

「必要であれば、特定した位置情報も併せてお渡ししますよ。向こうも、こちらが探り当てている事ぐらいは察しているでしょうし」

「ぐ、ぐぬ……っ。そ、それでも我らの大義は――げごぶぅっ!」

 

 文の冷ややかな視線に晒されながら、蹴り飛ばされた天狗が起き上がろうとした瞬間――更に別の何者かが真横から突っ込み、男を無情にも吹き飛ばす。

 

「うわっ、なんか踏んづけた! 気持ち悪っ!」

「前方不注意は怪我の元です。お気を付け下さい」

 

 現れたのは、文の同僚である姫海棠はたてとその腕に抱えられた犬走椛。轢かれた男は、泡を吹いて今度こそ完全に気絶してしまっていた。

 

「遅いですよ、はたて」

「仕方がないでしょ。椛も抱えて来たんだから、速度なんて出ないわよ」

 

 半眼を向ける文へ、刻限に遅れたはたては椛を下ろしならが憮然と言い返す。

 

「いや、なんで連れて来たんですか。私が呼んだのは貴女だけですよ」

「この娘が来たいって言うから連れて来たの。文句は椛に言って――で、用事って何よ?」

 

 愚かしく、打算すらなく――呼べば、ただ「友達だから」というだけの理由で当たり前のようにやって来る念写天狗は、何故自分がこの場に居るのかすら理解していない。

 しかし、この少女が事情を把握するまで待つかどうかを決めるのは、すでに仲間を一人蹴り潰された相手の天狗たちだった。

 

「はたて様、来ます」

「え?」

「構わぬ! 小娘らを黙らせ、あの人間を捕らえよ!」

「「はっ!」」

「うぇぇ!?」

 

 結局、何時も通りの面子となった三天狗へと号令を受けた相手の天狗たちが殺到しだす。

 文は扇、椛は大刀と大盾――はたては、迫る凶刃を回避して写真機を。脅威に対し、三者三様の構えを取る少女たち。

 相手がわざわざ、自分たちの不利も知らず力押しで来てくれているのだ。身内の揉め事に、外聞用のスペルカード・ルールを持ち出すまでもない。

 

「はぁっ、構って下さいよ。こんな小事、身内で揉めるほどの事柄でもないでしょうに――ねっ!」

「がぶぇっ!」

「はたて、椛。全員を確実にこの場で叩きのめしてください」

「よ、良く解んないけど、オッケー!」

「承知!」

 

 溜息を吐きながら風の一撃によって一人を吹き飛ばした文へと、はたてと椛も別の天狗を相手にしながら大きく返事を返す。

 

「やれやれ……何時もながら、大天狗様は面倒な命令を寄越します」

 

 清く正しい新聞記者は、別に嘘を吐いたわけではない。ただ、本当の事を言っていないだけだ。

 元より、小心者を地でいくこの烏天狗が自分の意思でこんな三文芝居にもならないような面倒事に手を出すなど、天地が引っくり返っても起こるものではない。

 

「あの人間に如何ほどの価値があるのかは存じませんが、か弱い新聞屋に荒事を要求しないで欲しいものです――よっ!」

「ぐげっ!? ぶっ!」

 

 更にもう一人のみぞおちに膝蹴りを叩き込んだ後、文は不満を解消するように倒れ伏す天狗の頭を一本下駄で踏み付ける。

 文の実力は、幻想郷でも上位に入る。本来であれば、この程度の手勢は彼女一人で十分制圧が可能だ。

 それでもはたてを呼んだのは、万が一の事態に備えて壁の数を増やしておきたかっただけの人数合わせに過ぎない。

 なんの危な気もなく敵の数を減らしながら、文は背後の山道をのんきに下っていく外来人について興味を募らせていく。

 出来る事なら真っ先に取材を行いたいところだが、生憎それは上司から止められてしまった。しかも、何時もの「お願い」ではなく滅多にしない「命令」でだ。

 

「「相手にしても疲れるだけ」――ですか。まるで、何処ぞの人形遣いのような扱いですねぇ」

 

 上司から伝え聞いた人間の評価にとある魔法使いを思い浮かべ、烏天狗の少女は小さく溜息を吐いた。

 関わるな――それが、山の組織の中で事情を知る者が出したあの人間への決定だった。

 血の気の多い者の手綱握りを古参である烏天狗に任せ、こうして誰にも知られる事なく山は何時もの姿を取り戻していく。

 動く者、動かぬ者――静かに、深く、本人すらも与り知らぬ水面下で様々な思惑が交錯する。

 未来から来た特別な火種を抱えた今日という長い一日は、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 動いているのは、天狗だけではない。

 冥界の白玉楼では、半人半霊の少女が長短の刀を腰と背に這わせ外出の準備を整えていた。

 目的は、当然外の世界から訪れた外来人である二人。

 

「幽々子様。妖怪の山に居るであろう外来人を秘密裏に守れと仰せですが、その人間たちとは一体何者なのですか」

「そうねぇ」

 

 冥界の剣士に与えられた命令は、縁もゆかりもない外来人の守護。

 主人の前で正座する妖夢の疑問に、対面に座る幽々子は扇子で口元を隠ししばし視線を虚空へと放る。

 冥界の主である亡霊姫が気に掛けるほどの人間となれば、興味を抱くのは当然だろう。それに、その人間を守る上で注意するべき点があるのならば事前に知っておきたいという面もある。

 

「妖夢――もしも明日世界が滅ぶとして、たった一つだけ何かを残せるとしたら、貴女は何を残したい?」

 

 しかし、結局幽々子が口にしたのは疑問への回答ではなくまるで方向性の見えない新たな問い掛けだった。

 

「質問の意図を理解しかねます。世界が滅びるのであれば何を残したとしても先はなく、また、意味もないはずです」

「そうね、貴女の考え方は間違っていないわ」

 

 実直な剣士に相応しい回答を聞いて満足そうに頷き、幽々子はあやすように従者の頭を撫でる。

 

「でもね――残念だけど、それは正しい答えではないのよ」

 

 人間が、同じ人の輪の中で暮らすように。

 妖怪が、人間を糧とするように。

 (ことわり)の裏側に、幻想郷があるように。

 世界とは、それほど簡単に完結しない。

 何かが終われば、その影響は他へと伝播し足跡を残す。

 偶然であれ、必然であれ。

 望む、望まざるに関わらず。

 その果てに、何が産み落とされる事になろうとも――

 

「彼女たちは、選択されなかった過去の一つよ――幻想(私たち)が居る為に今という時から拒まれ、だからこそ未来に残された「もしも」の具現」

 

 神などなく――

 妖怪はおらず――

 幻想は語られぬまま――

 隔離の郷は生まれず――

 至らなかったそれら全ての欠片を、泡沫の夢へと押し込めて――

 ただ、真実のみがそこにある――

 

「少なくとも、救いではないわね。呪いとも違う。どうしてもと、言葉として表すのなら……未練、になるのかしら」

「……良く、解りません」

 

 説明する気があるとも思えない幽々子の話を聞いても、妖夢は当然何一つ理解が及ばず眉を寄せる事しか出来ない。

 

「うふふ。もっと先を見れるよう、精進する事ね――まぁ、今日のところは目の前を切る事だけに集中していれば大丈夫よ」

「はいっ!」

 

 妖夢は剣士であり、策士ではない。

 小難しい理屈を語るより、示された明確な指針へ向けて全力を尽くす方が性に合っている。

 だが、それは思考の放棄と同義だ。

 部下として、従者としてはそれでも良いのかもしれないが、魂魄家の当主としては到底及第点とは言えない。

 だからこそ、幽々子は毎度期待を込めて妖夢へと真実を語るのだ。

 

「それでは、行って参ります!」

「はーい、行ってらっしゃい」

 

 気合十分と出立していく可愛い従者を見送った後、幽々子はしばらく出されたお茶を飲んだりしながら時間を潰す。

 そして、妖夢が完全に居なくなったのを確認するとおもむろに席を立った。

 

「――なんてね。妖夢には悪いけど、私だって会ってみたいもの」

 

 妖夢を向かわせた先に居る外来人は、言わば囮。本命は別に落ちている事を、幽々子は白玉楼に居ながらすでに把握していた。

 

「可能性の死、か――ふふふっ、それも面白いかもしれないわね」

 

 亡霊の周囲に、幾つもの七色に輝く蝶が舞う。

 「死を操る程度の能力」。その比類なき終焉を前に、あらゆる存在が生きてはいられない。例え命なきものでさえ、一切の例外ではなく。

 何より恐ろしいのは、能力の保持者がそのおぞましい力を振るうのに一切の躊躇を持たない事だ。

 幻想郷において、絶対の「死」が動く。

 次の瞬間、僅かな余韻すら残す事なくもうそこに亡霊の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

「えー。早苗、目からビームって撃てないのぉ?」

「はい、ご期待に副えず申し訳ありません。私も、一時期体得しようと頑張ってみたのですが……」

 

 蓮子が空を飛べない為、徒歩で移動する早苗たちはどうでも良い会話をしながら順調に山の麓へ向かっていた。

 

「たった一人の風祝(かぜはふり)を失明させるわけにはいかないと、神奈子様や諏訪子様に止められてしまいまして」

「おおぅ。あの人たちって、結構過保護なんだねぇ」

「えぇ。お二人からは、勿体無いほど気に掛けていただいています」

 

 己の未熟さを悔やみながら、それでも誇らしそうに早苗が笑う。

 

「それにしても――まだ実感が全然ないけど、やっぱりここって異世界なのかもね。昨日幾ら夜空を見ても、時刻も現在地もさっぱりだったし」

「外の世界で使えていた能力が、幻想郷で使えなくなるとは少々考え辛いです。もしかすると、お話しにあった「エロい女の人」という方が蓮子さんに何かをしたのかもしれないですね」

 

 普通であれば、外来人である蓮子が居るのだから取材目的の烏天狗や警戒した白狼天狗などが現るはずなのだが、ここまでの道のりで出会ったのは精々小動物が数匹といったところ。

 これは、明らかな異常事態だ。

 実際は、彼女たちに手を出そうとする者を片端から文たちが排除しているのだが、秘密裏に行われるその所業を早苗たちが把握する事はない。

 そうして、蓮子の期待するような異世界の不思議に何一つ触れぬまま山の出口へと差し掛かった時、ようやくと言って良い事態の変化が起こる。

 

「――鈴仙さん?」

 

 人里と妖怪の山の組織が定めた侵入の境界線で待ち構えていたのは、真っ直ぐ伸びる美しい長髪をした長身の女性だった。

 

「頭、どうしちゃったんですか?」

「その人間を渡しなさい」

 

 自分の頭を指差す早苗の質問を無視した、()()()()()()()()()()女性の予断を許さない命令にも近い硬い言葉と、鋭い視線。

 不穏な雰囲気を感じ取り、蓮子が一歩下がると同時に早苗が彼女を守るように横へとずれる。

 

「お薬屋さんが、外来人の蓮子さんになんのご用です?」

「さぁ? 私はただ、「連れて来い」と命令されただけよ」

 

 鈴仙は前に置いた右手の指を銃の形にして、そこに左手を添える。

 命令を受けた兵士に許されるのは、任務の成功か失敗のみ。そこに、交渉や相談の入る余地はない。

 

「蓮子さん、下がっていて下さい」

「う、うん」

 

 外の世界ではまず馴染みのない洗練された戦士の威圧感に怯える蓮子は、早苗の言葉へ素直に頷き邪魔にならないよう後ろへと下がっていく。

 

「――こっちこっち」

 

 突然の声に蓮子が振り向くと、そこには頭に兎耳を付けた可愛らしい低身の少女が手招きしていた。

 再び早苗を見れば、彼女は鈴仙と呼んだ少女と何かを喋っており蓮子の様子には気付いていない。

 どのみち、下がった先に居るのだから良いかと蓮子は呼び掛けを続ける少女へと近づいていく。

 

「アンタは?」

「早苗の知り合いだよ。事情は知ってる――さ、走るよ」

「え? 良いの?」

「あの二人の衝突をただの人間が真近で見るなんざ、自殺行為も良いとこだよ。どうせ足手まといにしかなんないんだし、合流地点で落ち合った方が良い」

 

 そう言って、名乗らない少女は今まで通って来た道とは異なる道へと走り出す。

 

「早苗! ――私! この兎さんと一緒に行くから! 早苗も早く合流地点に来てね!」

 

 自分の判断が間違っていれば、何かリアクションがあるはず――そう思い声を掛ける蓮子だったが、早苗は決して振り向かず、返事もしない。

 ()()()()()()月兎の能力を知らない蓮子は、少し離れたとはいえこの距離で自分の大声が聞こえていない可能性を考える事が出来ない。

 

「怪我しないようにね!」

 

 返事が返されなかった事に若干の不安を感じながら、迷える少女は兎の後を追いかけて行く。

 

「――参ったねぇ、そんな「眼」でこっちを見ないでおくれよ」

「え? 私、なんか不機嫌そうな顔してた?」

「自覚なしかい……」

 

 前を進む少女のぼやきに、蓮子は不安や苛立ちが顔に出ていたかと慌てて自分の顔を揉む。

 だが、前を走る少女が言いたかったのは、そういう事ではないらしい。

 

「あー、あの神様がなりふり構わずあんな特大の仕掛けをかますわけだ……こりゃあ、貧乏くじ引いたかもね」

「もうっ。そうやって、会う奴会う奴訳解んない事ばっかり。少しはこっちが理解出来るように、言葉を選べってのよっ」

「いひひっ、やなこった」

 

 背後から刺さる蓮子からの不満の視線をむしろ心地良いとすら感じているのか、老婆のようにいやらしい笑みを浮かべる少女。

 その少女は、更に幾つかの分岐路を右へ左へと進みながらおもむろに反転し、そのまま逆走の要領で後ろの蓮子へ身体を向けたまま先導を続ける。

 

「え? ちょ、危ないって!」

「知られたくないから、わざわざ言葉を選んでやってるんだ。理解したけりゃ、幻想郷(こっち)に来たみたいに自分の目と足で確かめるんだね」

「え? えぇ!?」

 

 そして、少女が跳ぶ――否、飛翔する。

 二人の走っていた道の先にあったものは、断崖絶壁――とは言わないまでも、かなり深い傾斜のある下り坂だ。

 動揺させ、自分に視線を誘導したところで、回避の困難な罠へとはめる。

 このままの勢いで進めば、蓮子は必ず転ぶだろう。

 普通であれば、騙された少女はなす(すべ)もなく術中にはまっていた。

 だが、蓮子はすでに一度騙された身だ。

 この短時間に二度も同じ罠を披露されれば、思考より先に反射で身体が動いてくれる。

 

「んなくそぉぉぉっ!」

「どぅえっ!?」

「に、がぁすぅかぁぁぁっ!」

 

 下り坂の直前で全力の一歩を踏み出した蓮子は、その勢いをもって跳躍し空中を浮遊する少女の胴を両手で掴み取る。

 

「ちょっ、ま――っ」

「だっしゃぁぁぁぁぁぁっ!」

「ごっ!?」

 

 驚く少女の隙を逃さず、蓮子は自分諸共に振り落とし相手の後頭部を地面へと勢い良く叩きつけた。

 

「……」

「……とらーい」

 

 得点はないが、詐欺師の罠を破ったという意味では勝利と言えるだろう。

 気絶したのか、だらりと身体を投げる少女を警戒しながらゆっくりと立ち上がる蓮子。

 

「――止まって」

「っ」

「両手を開いて、ゆっくりと上げなさい」

 

 前方ばかりを気にしていた蓮子の後ろから聞こえるのは、先ほど早苗と対峙していた長身の女性のもの。

 まるで映画の一幕そのものの台詞は、冗談ではないのだろう。

 

「さっきも言ったけど、私は「連れて来い」と命令されてるだけなの。「生きて」とは言われてないから、脳漿(のうしょう)をざくろのようにぶち撒けたくなければ大人しく指示に従いなさい」

「さ、早苗は無事なのっ?」

 

 この女性がこの場に現れたという事は、足止めを請け負った早苗が敗北したという事だ。

 現実ではまず聞く事のないだろう物騒過ぎる物言いに、蓮子は何よりもまず早苗の安否を問う。

 

「えぇ、生きてはいるわ」

「そう。だったら大人しく――っ」

 

 女性の回答に安堵しながら、蓮子が背後から見えないように前へ置いた鞄の中から取り出したのは、護身用の電気銃(パラライザー)

 振り向きざまに引き金を引こうとするが、それより早く手首を捻られた挙句無防備な首筋へと強烈な手刀が叩き込まれる。

 

「がっ! く……ぅ……」

「――ばればれなのよ、ど素人」

 

 意識が落ちる寸前、蓮子の耳に残ったのは冷たく突き放すような女性の声だけだった。

 

 

 

 

 

 

「――てゐ、何遊んでるのよ」

 

 波長を操る幻術によって変装した姿のまま、早苗から引き離した外来人を手早く気絶させてた鈴仙は、仰向けに倒れたままの相棒(バディ)へと不満を込めた声を向ける。

 

「ん~、よっと」

 

 後頭部を地面で強打したはずのてゐは、大して痛がりもせず背筋をしならせて飛び上がるようにあっさり立ち上がる。

 元々、人間とは身体能力の基礎が違うのだ。予想外の事態に驚いたとはいえ、それで受身を取り損ねるほどこの妖獣は若くない。

 

「いや、途中までは上手くいってたんだけどねー。もしかすると、同じような手口で騙された経験があるのかもね」

 

 軽く痛め付けて大人しくさせてから、改めて永遠亭へと運ぼうとしたてゐの策は少女の気合と行動力によって不発に終わってしまった。

 ぽりぽりと頭と尻を掻きながら、言い訳にもならない推測を語る低身長の高齢者。

 

「にしても、さっきの「脳漿(のうしょう)をざくろのように――」って何さ。自己暗示してない今は、出来もしないだろうに」

「うるさいわね。ただの脅し文句なんだから、なんだって良いでしょ」

「効き目はなかったけどね」

「ふんっ」

 

 折角吐いた精一杯の脅しが無駄となり、若干恥ずかしそうに顔を背けた月兎の身体がぶれる。

 

「あれ、分身が来てるの? 本体は、まだ足止め中?」

「えぇ。スペルカード・ルール上での早苗の実力は、決して低くないわ。分身だけだと、流石に難しいもの」

 

 「強い」と表現しないのは、彼女なりの意地なのかもしれない。

 鈴仙の分身は、彼女の能力で自身とその周囲の波長を操作する事で出現している。

 その為、本体との距離が離れるほど活動出来る時間が短くなるという欠点があった。

 

「それじゃあ、私も適当なところで切り上げるから、貴女もちゃんとその娘を永遠亭に運んどくのよ」

「あいよー」

 

 てゐが生返事を返すと、僅かな振動を残し分身体の姿が掻き消える。恐らく、分身の維持が限界となり消滅したのだろう。

 幻想郷に現れた外来人を欲しているのは、月の薬師である八意永琳だ。

 一体この少女になんの用事があるのかは解らないが、少なくともただ会って終わりとはいかないだろう。

 全てを理解したわけではない。だが、てゐは「見られた」だけで彼女の異質性を理解していた。

 十中八九、永琳の目的は彼女の「両眼」で間違いない。

 研究の為の人体実験か、危険因子の確実な排除を目的とした処刑か。どのみち、ろくな用事ではない事だけは解る。

 てゐは気絶する少女を哀れには思うが、それだけだ。

 師匠からの命令に背けば、今度は自分の命が危うくなる。安い正義感など、遠の昔に捨てている。

 

「――どうやら、すんでのところで間に合ったようですね」

 

 そんなてゐが少女を肩へと担いだところで、今度は道の先から別の少女が姿を現す。

 それは、すでに両手に長短の刃を持ち戦闘態勢を整えた半人半霊だった。

 

「幽々子様の命により、その女性を保護させていただきます」

「おいおい。いきなり現れて獲物を寄越せとは、随分乱暴な言い草じゃないか」

「無論、譲れないと言うのであれば実力を持って排除します」

「嫌だねぇ、これだから脳筋は……ま、こっちも一応命令を受けてる身だ。そう簡単に渡すわけにはいかないね」

 

 担いだ少女を再び地面に転がし、てゐは妖夢へと四枚のスペルカードを掲げて見せる。

 しかし、外来人を商品とした弾幕ごっこが開始されようとしたその時、更に別方向からの横槍が高速で飛翔しその場へと着地する。

 

「――別に、答える必要はない」

 

 それは、薔薇の模様が描かれた日傘を持つ瀟洒な従者を従えた、夜の王。

 昼日中にあって、優雅に、荘厳に、滾る妖気を隠そうともせず絶大な力を持つ吸血鬼が一歩、二歩と二者へと近づく。

 

()()は私の客人だ。貰っていくぞ」

 

 他の何をも許しはしない、決定の言葉。

 犬歯を剥き出しにして嗤う強者の蹂躙を前に、妖獣と剣士に許されたのはただ命の限り全力で抵抗する事だけだった。

 




蓮子ちゃん大人気
え、主人公? ……し、知らない娘ですね(逸らし目)

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