東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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68・幻想のおとしもの(承)

 何時かの昔の話だ。

 私は、気紛れに訪れた京の都で人間たちから「正体不明の大妖怪」と噂されながら、自由気ままに遊んでいた。

 時に脅かし、からかい、血気盛んで無能な陰陽師たちを適当に返り討ちにして、その恐怖を糧に更なる力を得る。

 そうした、ある意味妖怪として最も充実した日々を過ごしていた私の前に、一人の尼が現れる。

 何時ものようにあしらってやろうと侮っていたら、一瞬で正体を見破られ、叩きのめされ――そして、とどめを刺されずに匿われた。

 それが、私と聖と――ついでに、その他の連中との始まり。

 つまり、聖は私を破った怨敵で、同時に命の恩人なのだ。

 でも、別に他の連中と同じように彼女の為に働いたり、良く解からない理由で修行する気にはなれなかった。

 そんな、集団の中での爪弾き者である私は、あの寺では余り歓迎されていなかったはずだ。

 それでも、聖は時々寺へと訪れる私を何時だってこころよく迎え入れてくれた。

 

 あの場所は、とても居心地が良かった。

 あの場所は、居心地が――良過ぎた。

 平和過ぎて、危機感なんて忘れてしまうくらいに――

 

 何時も通りの、ちょっとした悪戯のつもりだった。

 怒った側近気取りの入道使いに追いかけられて、気の合う船幽霊に大笑いされ、生意気なネズミに苦笑されて、マヌケな虎もどきに「皆さん、元気が良いですね」なんて見当外れの褒め方をされて――そうして最後に、聖に許して貰う。

 そんな、変わらない日常になるはずだった。

 

 あの時、外から寺に来ていた坊主が宮中の伝手に明るくなければ……

 護身程度でも、法力なんて余計な術を学んでいなければ……

 そんな奴に、聖が退治したという事になっていた私の正体が見破られなければ……

 

 なんて事はない。あの虎の事をマヌケ、マヌケと馬鹿にしていた私自身が――一番マヌケだった。

 仕出かした事の重さに怯えて隠れている間に、全てが終わっていた。

 寺に居た連中も、皆何処かへ散りぢりになっていた。

 私のせいで、全部台無しになった。

 都の軍が攻めて来たって自分一人で返り討ちに出来たはずなのに、聖はろくに抵抗もせずに捕まり封印されたらしい。

 虎とネズミが裏切り、そのせいで入道使いと船幽霊も別の何処かに封印されたと伝え聞いた。

 

 なんで……

 私の入る隙間がないくらい、仲が良い連中だと思ってたのに……

 

 悲しくて、苦しくて、訳が解からなくて――もう、何もかもがどうでも良くなった。

 だから、私も人間に封印される振りをして人間と地上に愛想を尽かした連中と一緒に、地底へと流れた。

 もう、私にとって地上に居る意味はなかったから。

 そこからは、ただの惰性だ。

 生きていても死んでいても変わらないから、ただぼんやりとその日暮らしを続けた。

 何時か、封印された聖と再会するという微かな可能性に縋って、ただただ無意味に日々を過ごす。

 地底に起こった異変も、地上との条約の緩和もどうでも良かった。

 

 だから――これはただの気紛れなんだ。

 何百年振りに、軽く地上でも眺めてやろうっていう単なる暇潰しなだけ。

 どうせ、何もないのは解かってるんだ――

 聖やアイツらの居ない地上なんて、つまらないに決まってる――

 期待なんて、するだけ無駄だ――

 

 それでも、私は突き動かされるように地上へと飛んでいた。

 旧都を抜け、地上と地底を結ぶ唯一の道である大きな縦穴へと向かう。

 自分でも何故そんな行動を取っているか定かではないのに――

 無性に跳ねる心臓の音が、私にもっと急げと何かを訴え続けているようだった。

 

 

 

 

 

 

 走る――

 走る――

 探し人の探索方法として、蓮子が選択した行動は「ひたすらに足で稼ぐ」だった。

 彼女と最後に立ち寄った喫茶店、先日の活動内容で訪れた公園、二人で良く利用する図書館、彼女の通学路――

 休日である利点を最大限に活かし、早朝から己の脚力と体力を頼りに彼女の立ち寄りそうな場所をしらみ潰しに駆け抜け、聞き込みや調査を繰り返す。

 結果――

 

「ぜーひー、ぜーひー……ダ、ダメだわ」

 

 大学とメリーの自宅の中間地点ほどの歩道で、蓮子は両膝に手を置き息も絶えだえになりながら首を振っていた。

 当たり前である。

 彼女の本来の狙いは別だが、微かな手掛かりのみしかない孤立無援の状況で、闇雲に動き回ったところで成果など出るわけもない。

 立ち並ぶ街頭の煌々とした光が、空に浮かぶ三日月からの淡い明かりを押し退け、この場所が紛れもない現実である事を突き付けてくる。

 時間だけが容赦なく過ぎていく中、僅かに焦りを感じながらも蓮子は冷静に打開策を模索するべく、思考の海へと没していく。

 

 私が持っている情報は、記憶にある彼女の渾名や容姿や言動。それと、携帯端末に残っていた登録内容。

 電話は当然不通。

 大学の同級生も、教授も、商店街のおばちゃんも、コンビニの店員も、誰一人メリーを覚えていない。

 メリーは、「境界」の向こう側に行った夢を何時も語っていたけれど、それは今までは問題なく帰還出来ていたという証明に他ならない。

 もしも、今の状況が「向こう側」の住人の手によるものであるなら、私の行動は相当に目障りなはずだ。

 後は、他に何をすれば良い。

 考えろ、宇佐見蓮子。

 何をすれば、彼女に辿り着ける。

 今日の探索を諦め、明日にするべきか。

 推測が間違っていた場合を想定し、別の手を考えるべきか。

 

 午前二時、八分、三十二秒――

 

 星空を見上げれば、彼女の頭に現在の時刻が即座に思い浮かぶ。

 疲労により、頭の中でまとまらない考えがぐるぐると回る中、とりあえず何処か座れる場所を探そうと棒になった足を無理やり動かして当てもなく歩みを進める。

 現実と幻想の境界が揺らぐ、丑三つ時。

 現実への意識を手放した事で、彼女は図らずも幻想への一歩を踏み出していた。

 

「あ、れ?」

 

 来た道を戻るように進んでいたはずの蓮子は、気が付けば周囲の景色は見知らぬ路地裏へと変貌していた。

 振り向けば、先ほどまで歩いていた歩道が見える。どうやら、呆けて変な道に入り込んでしまったらしい。

 見知った道の見知らぬ一面に興味を惹かれ、どうせだから気晴らしにと裏路地の奥へと向かって行く蓮子。

 街頭もほとんど存在しない薄暗さも相まって、そのまま別の世界へと引き込まれてしまいそうなほどの不気味さだ。だが、彼女にとってはむしろその不気味さが面白く、疲れなど忘れて雰囲気を楽しむ。

 時代がどう変わろうと、深夜に人気のない裏路地を歩く少女の行動は、見る者が見れば世を知らず、危機感の薄い絶好の獲物に映っているだろう。

 

「――え?」

 

 そんな中、ポケットの中にあった携帯電話が軽快な着信音を奏で始めた。

 掛かって来た相手によって音が変わるよう設定していた為、誰からの着信かは直ぐに理解出来た。

 

「もしもし! メリー!? アンタ今何処に――っ!」

『――こんばんわぁ、宇佐見蓮子さん』

「っ。アンタ……誰よ」

 

 画面も見ずにそのまま通話を開始した蓮子の耳へと届いたのは、聞くだけで甘ったるくなりそうなほどしなを作った女の声だった。

 

(わたくし)の名など詮無き事。捕らわれの姫君にお会いしたければ、そのままお進み下さいな』

「上等」

 

 挑発する声に応じて通話を切り――やがて彼女が辿り着いたのは、路地の途中にポツリと建つ中華風の装いをした小さな建物だった。

 看板も何もなく一見するとただの家屋に見えるが、良く見ると入り口のドアノブに小さく「商中」という小さな掛札が下げられている。

 

「――うしっ」

 

 ここで、明らかにおかしい現在の状況も、目の前にある不自然な店舗にも――その全ての異常を理解してなお躊躇無く足を踏み入れる蛮勇は、きっと誇るべきものだろう。

 

「うぉっ」

 

 店内で蓮子を最初に出迎えたのは、摺りガラスの衝立に立て掛けられた人間の模型だった。

 灰色の肌をした顔に札を張り、赤い半袖の上着に黒色のスカートというキョンシーの格好をさせたその模型の完成度は、蓮子が思わず本物の人間と勘違いして謝りそうになったほどだ。

 

「うっへぇ、無駄にリアル~」

 

 その人形の造形に感心しながら店内を見回せば、オリエンタルな内装の外壁に設置された棚には、色分けされた小さな袋が所狭しと並べられている。

 小袋たちの前に置かれたラベルには、「不眠解消」、「食欲改善」、「滋養強壮」などが日本語表記で書かれており、どうやら漢方を扱っているらしい。

 

「ようこそ。ご来訪いただき、誠にありがとうございます」

 

 衝立で隠れていた店の奥から、客である彼女へと艶のある女性の声が掛かる。

 

 エ、エロいっ。

 

 部屋の奥で簡素な木椅子に座る店主らしいその女性を最初に見て感じた、蓮子の感想である。

 そして、その反応はおおむね正しい。

 明らかに蓮子よりも年齢は上だろう、小娘には逆立ちしても捻り出せない肉感的な色香を振り撒く肢体。水色のワンピースから覗く、組まれた両足のなんと扇情的なことか。

 薄暗い店内の雰囲気も相まって、蓮子は何もしていないにも関わらず謎の背徳感を抱いてしまっているほどだ。

 この場所が一軒家であるにも関わらず、「昼下がりの団地妻」というフレーズを体現しているような女性だった。

 波打つ美しい()()をかんざしで止めた妙齢の女性は、ニコニコと笑いながら客である黒帽子の少女を見ている。

 

「あ、えと――」

「さて、何をお求めですか? 避妊? 性病? それとも堕胎? 貴女はまだお若いのですから、人生はこれからですわよ」

「話題の方向性に、悪意しか感じられないわよ!」

 

 思わず物怖じした蓮子への酷過ぎる言い草に、思わず女性へと全力で突っ込みを入れてしまう。

 見れば、女性は口元に手を当ててクスクスと悪戯っぽく微笑んでいる。どうやら、そういう性格らしい。

 

「――あー、アンタがメリーの居場所を知っているのね」

 

 なんとなくやり辛さを感じながら、それでも蓮子は探し人の事を女性へと尋ねた。

 

「えぇ、存じておりますわ」

 

 女性が右手を上へ上げる。そこには、今しがた蓮子へと電話を掛けた携帯端末が掲げられていた。

 

「しかしながら、大変恐縮なのですが(わたくし)はただの仲介役に過ぎませんの。差し支えなければ、一度そのメリー様と呼ばれる方の容姿をお聞かせ願えませんか?」

「このくらいの長さの金髪で、白い帽子を被ってて、多分紫色の服を着てる、私と同じくらいの女の子よ」

「金で、白で、紫――あぁ、なるほど」

 

 相手に大事な仲間を奪われている以上、下手な抵抗や嘘は無意味だ。

 蓮子が身振り手振りでメリーの容姿を伝える中、対面の女性は何が可笑しいのか徐々に口角を吊り上げ、そうして最後に得心がいったと一人で勝手に納得しだす。

 

「今更、「外」に関心を抱くとは如何なる事情かと思っておりましたが……なるほど、()()()()()()()()()()

「伝えたわよ。メリーを何処へやったの!?」

「拙速の上に稚拙。しかして、その目は狂う事なく真実を捉えている――」

 

 怒鳴る蓮子の剣幕を柳に風と受け流し、女性はその瞳を細めて値踏みするような無遠慮な視線を向け始める。

 

「残念ですわぁ。世が世なら、ありし時代の英傑や悪鬼羅刹として語り継がれるほどの、特別な存在となり得たでしょうに」

「どうでも良いわよそんな事! メリーに会わせなさい!」

 

 ここで、蓮子は「返せ」でも「放せ」でもなく、「会わせろ」と願った。

 何故なら、彼女の目的は親友と同じ場所へ辿り付く事だから。

 ――故に、その願いは叶う。

 

「はい、よしなに――芳香」

「あ゛ー」

「うぇっ!?」

 

 椅子から立ち上がった女性に警戒し蓮子が身構えた直後、突然少女の背後から濁声と共に第三者の介入が入る。

 それは、入り口に飾ってあったキョンシーの模型だった。

 蓮子の認識は間違っていたのだ。模型であれば、動くはずがない。

 

「く、この……っ」

「あーばーれーるーなー」

 

 ただ、覆い被さるようにして抱きついているだけだというのに、蓮子はどれだけ必死に振り解こうとしても異様に肌の冷たいキョンシーの少女の拘束から逃れる事が出来ない。

 ふざけた口調とは裏腹に、とんでもない怪力だ。

 そうこうしている内に、近づいて来た女性の右手にあごを持ち上げられ二人の双眸が再び重なり合う。

 

「綺麗な瞳……瓶詰めにして飾れば、さぞや美しく食卓を彩ってくれるでしょうね」

「……っ」

 

 明日の天気でも語るような自然な声音で紡がれる狂気の言葉に、少女の足下から全身へと一気に悪寒が駆け巡る。

 

 この人――本気だっ。

 

 秘封倶楽部の部長として、活動の一環で廃墟や裏通りなど少々治安の悪い場所にも足を運んだ事もある経験上、極端に暴力的だったり、会話が支離滅裂だったりと、理屈の通じない相手に出会った回数は一度や二度ではない。

 しかし、今目の前に居る女性はそんな生易しいレベルではない。

 冷静な狂人。この女性は、今の発言を実行に移す事に対し一欠片ほどの罪悪感すら抱いてはいないのだ。

 

「「二人になりたければ、まずは一人になれ。一人にならない限り、貴女は永遠に二人にはなれない」」

「は、はぁ?」

 

 突然訳の解からない事を言い出す女性に、蓮子は恐怖も忘れて間抜けな声を出してしまう。頭の中は、疑問符が踊り狂っている状態だ。

 

「夜を統べる帝王様からのお言葉ですわ。確かに伝えましたわよ」

 

 女性にとって、拘束された少女の反応などどうでも良いのだろう。

 髪留めにしている一本のかんざしを抜き取り、それを蓮子の足元へと向けた女性は、最初に見せたニコニコとした笑みを作りもう片方の手をひらひらと振って見せる。

 

「ふふふっ――再見(サイツェン)

「なっ!?」

 

 次の瞬間、三人の立っていた辺り一面の床がなんの前触れもなく消失し、棚や家具と一緒に全てが一斉に落下していく。

 そんな中で、落ちている人間は蓮子だけだ。

 何故なら、他の二人はあろう事か当たり前のように()()()()()()()のだから。

 

「何それぇ!? ずるーい!」

 

 全力の非難も虚しく、蓮子は兎に導かれるまでもなく無明の闇へと沈んでいく。

 持ち物は、愛用の黒帽子と肩掛け鞄。そして、鞄の内容物のみ。

 道連れもなく、予兆もなく。

 それは、不思議の国へと旅立った相棒を探す少女の追跡劇が、ようやくスタートラインへと辿り着いた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

「「無知は罪なり」……この場合、罰せられたのは私の方なのでしょうね」

 

 穴が塞がり、家具が消失した為に随分とすっきりした店内で、蓮子を奈落へと叩き落した女性――邪悪を肯定する神仙である霍青娥は、自嘲気味に笑う。

 

 仙人など居ない――

 長寿の秘術など存在しない――

 人間は、人間以外には成れない――

 

「時を置き去りにした人外(私たち)を前にして、「現実の自分」という絶対の座標を決して見失う事のない異能ですか――」

 

 現実の肯定は、即ち幻想の否定。幻想に憧れる少女の能力は、皮肉な事に世界(幻想郷)の天敵と成り得る価値を秘めていた。

 ともすれば、恐らく「幻想殺しの魔眼」と呼べるほどの代物にまで昇華可能だろうが、本人に自覚はなく更には能力の練度も未熟。

 今はまだ、脅威には程遠い。

 だが、今実際に危うく「霍青娥」という一つの幻想が否定され掛けた事実は、決してなくなりはしないのだ。

 彼女のかんざしを持つ自身の右腕は、まるで干乾びたミイラのように渇き、枯れ果て、軽く風が流れただけで千切れて飛んでいきそうなほどに細まっていた。

 蓮子は青蛾に、何もしていない。

 これは、邪仙という「幻想の存在」である彼女自身があの少女の瞳を通して「現実の自分」を直視してしまった結果だった。

 

「――あぁ、素敵」

「あ゛ー?」

 

 腕に治療を施しながら恍惚とした表情で悶える青娥を見て、彼女に生み出された本物のキョンシーである芳香が首を傾げる。

 死すらも超えた消滅の危険すら伴う憂き目に遭ったというのに、彼女は心の底から喜んでいた。

 何故なら、彼女は捨てる女だからだ。

 

 立派な家――

 温かい家庭――

 豊かな財産――

 何不自由のない、平穏な日々――

 

 仙人へと至る過程で、彼女は自身を囲うそれら全てに穴を開けてすり抜けて来た。

 心持つ者の欲は千差万別。時には、ほの暗い欲望にこそ幸福を見出す者も居る。

 そして、幸福とはその出来事が劇的であればあるほど得られる喜びは増していく。

 

「あぁ――あぁ――」

 

 ある時から己の住まいとなった、幻想郷という世界の崩壊を想像した邪仙はその場で絶頂してしまいそうなほどの多幸感を味わっていた。

 それが、虚しいほどに地産地消の妄想である事を理解しながら――それでも邪仙は、夢を見続ける。

 いずれ、穴を開けてさえ逃れ得ぬ本当の絶望が、己の前に姿を現すその時まで。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷の何処かにある八雲の屋敷では、三人の共同作業により完成したとり鍋に舌鼓を打っていた。

 居間の丸机を三人で囲い、白菜、しらたき、豆腐、鶏肉――ポン酢のタレに様々な具を浸し、思う様に食らう。

 

「ふーっ、ふーっ。はふっ、はふはふっ!」

「ん。良い味ね」

「うむ。そこの小瓶は、生姜と小ネギだ。欲しければ入れろ――ぬっ」

 

 しかし、そんな幸福な一時は間の悪い闖入者によって乱される事となる。

 

「無粋な……っ」

 

 本人の趣味である食事を邪魔されただけではなく、紫の冬眠時を狙い「八雲」の本丸であるこの場への侵入を許してしまったのだ。

 藍の露骨な苛立ちも、無理はない。

 

「橙、お前はこの場に居ろ」

「は、はい」

「私も行くわ」

「良いだろう。だが、邪魔はするなよ」

 

 アリスの申し出を受け、二人は侵入者の現れた庭へと向かう。

 アリスはすでに、上海、蓬莱を含む二十を超える人形を展開済みだ。しかも、ゴリアテ三機の召喚も即座に行えるよう準備を終えている。

 藍も同じく、内に練り上げた妖気を放出し臨戦態勢を取っていた。

 この場所は妖怪の賢者によって完全に防備された結界の内。それを突破して侵入出来ている時点で、最大限の警戒が必要だ。

 しかし、そんな二人の懸念は空振りに終わる。

 

「なん……だと……」

「これは……」

 

 藍が警戒も忘れて呆然となり、アリスがその双眸を細める。

 到着した庭には、一人の少女が尻餅を突いて間の抜けた声で呻いていた。

 

「いっ、たたたぁ……」

 

 肩口ほどの金髪に、頭には白の帽子。そして、紫のカーディガン。

 容姿だけではない。

 匂い、気配、そして妖気――ありとあらゆる要素が、現れた少女を別人と錯覚させるのに十分なものを持っているのだ。

 

「ゆ、ゆかり、様……?」

「気持ちは解かるけれど、良く見なさい。別人よ」

 

 その類似度は、第一の従者にして本人と見間違うほどである。

 しかし、同時に現れた少女は人間であり、妖怪ではなかった。

 

「あ、あわっ、ごめんなさいっ。私、またやっちゃった……」

 

 少女は、藍とアリスの存在に気付くと慌てて立ち上がり二人に対して大きく頭を下げ、続いて何かを悔いるように懊悩しだす。

 

「初めまして。私は、アリス・マーガトロイド。隣に居るのは、八雲藍――良ければ、貴女のお名前を聞かせて貰えるかしら」

 

 動揺する藍に代わり、上海と蓬莱以外の人形を自宅へと戻したアリスが会話を請け負う。

 

「あ、はい。私は……私は……あれ? えっと……」

「もしかして、思い出せない?」

「は、はい……何時もは、こんな事ないんですけど……」

「そう、困ったわね……藍、どうしたら良いと――どうしたの?」

「うむ、その、なんというか……初々しい紫様を見ているようで、面映い気持ちになるな」

「やめなさい」

 

 別の意味で、少女に危険が迫っていた。

 アリスは隣の友人に溜息を吐いて、記憶喪失の少女へと歩み寄る。

 人形のように一切変化をしないアリスの無機質な表情に、少女が僅かな怯えを見せる。

 

「一つ、質問に答えなさい」

「は、はいっ」

「貴女は、どうやってここまで来たの?」

「えと、夢の中で、誰かに呼ばれた気がして、そしたら翌日から小さな「綻び」が沢山見えるようになって――それで、あの夜突然目の前に「境界」が……」

「もう良いわ」

「ご、ごめんなさい……」

「恐がらないで。十分という意味よ」

 

 「原作」という一方的な知識ではあるが、元よりこの中で最も事情を理解しているアリスにとって現れた少女は見知らぬ他人でもなければ、正体不明の警戒すべき侵入者でもない。

 上手く説明出来ずに萎縮する少女に、アリスは変わらぬ鉄面皮のまま気遣うような言葉を贈る。

 

「今度は確認ね。話から察するに、貴女はここが自分の住む世界とは異なる場所だという事を理解しているわね?」

「あ、はい」

「元の世界へ帰る方法は、あるのかしら?」

「えと……普段なら、夢から覚めればすぐに」

「でも、今はそれが出来ない。そうね?」

「……はい」

「私が「見た」限りだと、今の貴女は境界を渡った影響からか精神(アストラル)体が――つまり、「自分の存在」が非常に不安定な状態なの。名前を忘れているのも、恐らくはそれが原因でしょうね」

「自分の、存在が?」

 

 現実の世界で忘れられ、幻想の世界でも忘れられてしまったものに待つのは、完全なる消滅だ。

 今、この少女をそのまま外の世界に帰還させた場合、最悪「存在しないはずの人間」として扱われる可能性すらある。

 

「何か、貴女の元居た世界について思い出せる事はあるかしら」

「……メリー」

 

 アリスの質問にしばし悩み、少女の出した答えは一つの名前だった。

 

「友達に、そう呼ばれていました。でも、それは彼女の付けてくれた愛称で、私の本当の名前は……名前は……」

「焦る気持ちは解かるけれど、落ち着きなさい」

 

 表情を歪め、必死に記憶を掘り起こそうとする少女――メリーの肩を軽く叩くアリス。

 彼女の身に起こった出来事が偶然から来る不慮の事故であれば、確かに今のような方法も有効だろう。

 だが、メリーは「誰かに呼ばれた」と口にしていた。

 彼女がこの場に落ちた時点で、「誰が」の部分を考える必要はない。問題は、「何の為に」彼女を()()()()()()()()へと誘ったのか、だ。

 裏で手を引く賢者の望みを叶えない限りメリーの記憶が戻る事はなく、また、現世へと帰還する事も叶わない可能性が高い。

 

「藍、この娘を任せても良いかしら」

「解っている。無碍に扱う事はすまい」

 

 藍としても、主の意向が読めない以上メリーを排除するわけにもいかず、また、彼女を危険に晒さない為に一定の配慮も必要になる。

 

「おい」

「は、はいっ」

「私の事は、藍で良い」

「はい……」

「怯えるな。頼む……」

「えと、はい……うわぁ、もふもふだぁ……」

 

 どうやら、先ほどの藍の発言は冗談ではなかったらしい。お互いが距離感を掴めず、なんとも微妙な空気になっていた。

 

「あ、お帰りなさい――え、紫様!?」

 

 夕食を再開するべくメリーと共に居間へと向かえば、当然橙も時を渡った少女に己が主の気配を感じ驚きの声を上げる。

 その後、監視と警護の名目で橙がメリーに付く事が決まり、客間に用意された布団で二人が一緒に寝る事となる。

 メリーは、幻想の存在であるネコミミ少女を現実で抱き締められたという幸せを――

 橙は、別人とはいえ大好きな紫に似た人物に抱き締められるという幸せを――

 二人で別々の意味での幸福を味わう夜は、深々と過ぎていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、妖怪の山にある守矢神社にも一風変わった客人が訪れていた。

 

「ぐぎゃおっ! ぐ、ぉぉぉ……っ」

 

 上空からの落下により、尾てい骨を強打した黒帽子の少女――宇佐見蓮子は、深夜の境内に突っ伏し女の子にあるまじき呻き声を上げていた。

 落ちて来たのは彼女だけであり、一緒に落ちたはずの家具たちは何処にも存在していない。

 

「神奈子様! 諏訪子様! 空から女の子が! 空から女の子がっ!」

 

 彼女の前では、何がそんなに嬉しいのか二人の神に示唆され真冬の夜空を見上げていた早苗が、両の瞳をキラキラとさせながら大声ではしゃいでいる。

 因みに、彼女は蓮子の出現から着地に至るまでの全てを眺めていながら、助けるでもなく完全に傍観を決め込んでいたりする。

 

「だ、誰? さっきの奴の仲間?」

「良くぞ聞いてくれました! 私は、知る人ぞ知る守矢のスーパー風祝(かぜはふり)! 東風谷早苗さんです!」

「じゃあ知らない」

「ノリが悪いですねぇ――いえ、悪いのは機嫌でしょうか」

 

 蓮子が苛立っている事だけは察した早苗は、肩をすくめて対面の女性が立ち上がるのを待つ。

 二人の間に開くのは、適当な距離。

 蓮子は鞄の中に手を入れ、早苗はお払い棒を正眼に構える。

 

「メリーは何処? ていうか、ここは何処よ?」

「メリーさんは貴女の後ろ、ここは幻想郷です」

「真面目に聞いてるの。答えて」

「失敬な。私は、何時だって真面目です」

 

 余裕のない蓮子と、余裕しかない早苗。

 同じ経験があるからこそ、幻想郷の新人は目の前の女性が陥っている状況も、今の会話だけで十分に理解出来ていた。

 

「なるほど、知り合いが「こちら」へ流れ着き貴女はそれを追って来た――実に感動的ですね。であれば、私は貴女の味方です」

「信用出来ないわね」

「信じる者は救われますよ? 勝手に。しかも、今回は更に現人神である私が手助けをすると言ってるんですから、むしろ信仰してくれても良いレベルの親切です」

「生憎、宗教と新聞の勧誘は断る事にしてんのよ」

「それは残念。しかし、貴女はこの土地での伝手なんてないでしょう?」

「……っ」

 

 痛い所を突かれ、蓮子の顔が一瞬だけかげる。

 蓮子には手札すらなく、逆に早苗には相手の生殺与奪すら手にしている。これでは、まともな交渉は何一つ成立しない。

 

「変な意地にこだわって藁に縋れなければ、後は溺れて沈むだけ――貴女が救われる事を拒むというのであれば、残念ですが私はその意思を尊重するしかありません」

「……」

「因みに、この時間帯に神社を出て下山する場合、貴女は十中八九色々危険なアレやコレやに襲われて死にます」

「……」

「私が求めるのは、たったの一言。神は、あらゆる者に平等です――」

 

 後は、貴女の態度次第――

 

 言うべき事は終わったと、お払い棒を袖の中へと戻した神の信徒は握手を求めるように迷い子へと右手を差し出す。

 早苗の側には、特に深い考えや思惑はない。

 神の役目は、信仰による人類の救済。

 目の前の女性は困っており、自分には彼女の問題を解決出来る可能性がある。

 手を差し伸べる理由は、それだけで十分だからだ。

 しかし、蓮子は違う。

 盛大な茶番にすら感じるほどの絵に描いたような異常の連続に、出会ってすぐに協力を申し出るのは明らかに妖しい格好をした自分より若そうな謎の巫女もどき。

 信用など、一欠けらすら出来るはずがない。

 だが、それでも、蓮子に信じる以外の道は許されていない。

 

「お願い……メリーを助けたいのっ。力を貸して!」

「はい、お任せ下さい!」

 

 毒を食らわば皿まで。

 ここに、幻想を肯定し、現実から流れ着いた少女と、現実を否定し、幻想となった少女が手を取り合う。

 また、幻想郷の話題に興味津々の蓮子と、外の世界の話題に興味津々の早苗の相性は抜群であり、夜食を挟んだ二人の会話が翌朝まで続き神の御柱の如き拳骨が降り注いだのは、ただの蛇足としておこう。

 




以下、蛇足。
早「では、まずは腹ごしらえですね! 夜食におにぎりでも作りましょう!」
諏「さなえー、どうだったー?」
蓮「うわ、凄い可愛い! 妹さん?」
早「いえ、凄い可愛い神様です」
蓮「え?」
早「凄い可愛い神様です」
諏「あー、外の人間だとそういう反応になるよねー」



あーぁ、遂に出会っちまったか(歓喜)

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