東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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突っ走っただけのラスト。
もうグダグダ……


7・あの日見た巫女の名前を、私は覚えていない(結)

 アリスの唱えた呪文の衝撃は、波紋となって周囲へと伝播した。

 地下室を越え、紅魔館を越え、幻想郷を越えた波動は、その世界全てを一瞬で走破する。

 

「……ありす?」

「にゃ? どうしたの、霊夢?」

 

 最初に気付いたのは、夜通しアリスたちの帰りを待っていた霊夢だった。

 そして、幻想郷内外の力ある者たちも、その波動に反応していく。

 

「――ほぉ、この地底にまで音色を届かせるたぁ、豪快だねぇ。地上にも、ちったぁ面白そうな奴が残ってるじゃないかい」

 

「――あやややや、これは良いネタを頂きました。ただの魔法使いと軽く見ていましたが……中々どうして」

 

「――姫様、今外へ出られては危険です」

「大丈夫よ永琳。この波は、ただの波。寄せては消える、ただの残滓――須臾にも届かぬ儚い音叉――素敵ね」

 

「――すわこさま、かなこさま……いまのは?」

「心配要らないよ、早苗。誰かが――いや、何かが世界を引っ掻いたのさ」

「無茶をする。しかし、これほどの力を単身で発揮出来る場所が、まだこの地上に残っていたとはね。我々もそこに行けば、或いは……」

 

 外の世界では、その一瞬だけ世界中の計測器にノイズが入るという、不可思議な出来事が起こった。

 結局、理由も解らぬその謎はただの誤作動として、各機関の調査を終了する事となる。だが、その真相を探ろうと、何時かのどこかで秘密発見倶楽部を立ち上げた少女たちが奔走するのは、また別のお話――

 

 

 

 

 

 

「ぐぶがぁっ!」

 

 斜め下から、抉り込むように入った右の拳が下腹部に突き刺さり、美鈴は口から血と胃液を吐き出して空を跳ぶ。

 天井を跳ねて地面に強かに落ち、それでも震えながら立ち上がろうと、足と腕に力を込める。

 

「……ぐ、うぐぅっ」

 

 しかし、肝心の足が言う事を聞かず、美鈴は片膝を付いた姿勢から身動きが取れなくなってしまった。

 

「まったく、呆れたタフさね」

「一応、それだけでしたらかなりの自信があったのですけれどね……」

 

 殴り飛ばした張本人である幽香から半眼の視線で見下ろされ、脂汗を流しながら苦笑する美鈴。

 美鈴が幽香の攻撃を食らったのは、これが初めてではない。

 戦闘を開始して、既に十発近い攻撃をその身に食らっていながら、美鈴は五体満足の状態でここに居る。

 周囲を見るも無残なくぼ地へと変え、一撃で地形を変える規格外の拳を何度も耐えられ、当人である幽香も呆れ顔だ。

 そんな幽香の側も、肩で息をしながら少なくない疲労の色が滲んでいた。

 しかし、それももう終わり。

 膝を屈した美鈴に、幽香へと抗う力は残されていない。

 

「戦場で果てるは武人の本懐。未練は山ほど残っておりますが、どうぞこの首級をお持ち下さい――ぐがっ!?」

 

 (こうべ)を垂れた美鈴の頭に、まるで鞠を蹴飛ばすような気軽さで横蹴りを叩き込んだ幽香は、転がる美鈴をうつ伏せにした状態で踏み付け、右手に出現させたお気に入りの日傘をその背骨へと突き立てた。

 

「ぐ、が、がぁ……っ!」

「負け犬の癖して、何勝手に希望とか口に出しているのかしら。貴女の生殺与奪権は、勝者である私のものよ。ちょっと黙っていなさい」

 

 嗜虐全開の口調で命令しながら、背骨を圧し折るギリギリの力加減で、傘によって美鈴を圧迫する幽香。若干楽しそうなのは、恐らく気のせいだ。

 そうして、しばらく美鈴の苦悶を聞いていた幽香は、足と日傘を離すと開きっぱなしになっているスキマへと踵を返す。

 日傘を開いて肩に乗せながら、幽香は振り向きもせずに言い募った。

 

「貴女、門番兼庭師と名乗っていたわね。貴女の両手からは、花を愛する土と草の匂いがしたわ。今度時間を作ってお邪魔するから、私に貴女の庭を見せなさい。それが及第点だったら、見逃してあげる」

「……ありがとうございます(謝々)

 

 起き上がれない美鈴からの感謝を聞きながら、日傘を陽気にくるくると回してスキマを通り抜けていく幽香。

 

「甘くなったものねぇ、誰に影響されたのかしら」

 

 呟いた台詞に、答える者は居ない。

 その時、地下室から発信された振動が、幽香の身体を通り抜けた。澄ましていた彼女の顔が、一気に凶悪へと変貌する。

 

「そこそこ楽しく戦ったばかりだっていうのに……疼かせてくれるじゃない、アリス。一体どうしてくれようかしら」

 

 くつくつと、舌なめずりをしながら肩を震わせる大妖怪の心は、一時だけでは静まりそうにもなかった。

 幽香がこうなる前に決着が付いた事は、美鈴にとって至上の幸福だったと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 十六夜咲夜の能力、「時間を操る程度の能力」は、咲夜がレミリアに咲夜という名を与えられる以前から、彼女の身に備わっていた。

 時の祝福(呪い)を受けた彼女の身体に、時はほんの少しだけ味方(敵対)をする。

 

――今の所、貴女が成長するのは五年につき一年といった所かしら。この先能力を使えば使うほど、それだけ「時」は貴女の身体を蝕むわ。

 

 主の旧友である魔法使いは、ただ淡々と事実だけを教えてくれた。

 使い続ければ、いずれ身体はおろか心の「時」さえ止まってしまうと。

 

 それがどうした。

 

 主であるレミリアに拾われ忠誠を誓った彼女は、だからといって能力を出し惜しみするつもりなど毛頭なかった。

 

「おー、また避けられたのだー」

 

 闇色をした弾幕を時間を止めて動いた事で回避され、ルーミアは面白そうに笑っていた。

 宵闇の少女の弾幕は、能力によって生み出されている為威力は凶悪極まりないが、速度は大した事もなく能力を使えば回避は余裕だった。

 ルーミア自身も、ほとんど現れた場所から動いておらず、視線や身体の位置を動かし弾幕を撃つだけに終始している。

 だからといって、咲夜の攻撃はルーミアに通用していない。

 既に、何本消費したかも解らない大量のナイフは、ルーミアを覆う闇の腹へと飲み込まれているだけ。

 事態は完全に千日手となり、互いに決定打を打てない状態が続いていた。

 

「おねーさんは、どーやってそんなに速く動いているのだー?」

「私の能力で、時間を止めているからよ」

 

 私は、何を律儀に答えているのかしら。

 

 子供のような容姿に騙され、何となく戦い辛いと感じていた咲夜は、ルーミアの質問へ正直に答えていた。

 しかし、咲夜の油断により何気なく答えてしまったこの瞬間、勝負の結末は決定した。

 

「そーなのかー。だったら、レティと一緒なのだなー」

「何ですって?」

「レティも、おねーさんと一緒で時間を止められるんだぞー」

 

 ルーミアの言葉を聞いた瞬間、咲夜は時を止めて背後へと大きく跳躍していた。

 自分以外の、同系統の能力を持った者が知り合いに居る。それはつまり、能力に対する対策を知っている可能性があるという事。

 止められる時間の長さに制限がある以外、弱点など特に思い付かない咲夜だったが、他の者なら別の結論に辿り着くかもしれない。

 そんな、ルーミアの居る正面だけを見据えて後ろへと下がる咲夜の背後に、黒墨を垂らしたような一つの点が虚空へと出現した。

 現れた黒点は、停止した世界だというのに一気に肥大化し、咲夜の背面へと襲い掛かる。

 両手で輪を作るほどの黒球に触れた瞬間、不意打ちに気付いた咲夜は無理やり身体を捻り上げ、何とかそれを回避する。しかし、完全には回避仕切れず、黒球は彼女の脇腹の近くを通過していった。

 

「ぎっ、いぃっ!」

 

 触れた箇所を食い千切られ、痛みによって能力を解いてしまった咲夜は、数回地面を転がった後歯を食い縛って再び時間を停止させる。

 近くの隠し扉から医療道具を取り出し、包帯を素早く傷口へと巻いていく。

 深くはない。だが、決して浅くもない。

 血と肉を失い、包帯を紅く染めながら顔を青ざめさせる咲夜。彼女の能力の限界に伴って、時間の歩みが元へと戻った。

 

「おー、また消えたのだー」

 

 時の戻った室内で、ルーミアののんきな声が響いた。

 何をされたのか、咲夜には何も解らなかった。

 時間を停止していたのだ。その中で動けるのは自分しかおらず、何らかの攻撃を行ったはずのルーミアは、襲撃が成功した事にまるで気付いていない。

 

「んん? おねーさん、怪我したのかー?」

「えぇ、見ての通りよ。貴女今、一体何をしたの?」

 

 痛む脇腹を押さえて立ち上がりながら、咲夜は苦い表情で質問した。

 

「レティは、時間を止められるのだー」

「それは聞いたわ。それがどうしたの」

「アリスがなー、「貴女は時間も食べられるのよ」って教えてくれたのだー」

「――は?」

 

 ルーミアからの答えを聞いても、咲夜には訳が解らなかった。

 進める、止める、巻き戻す。それまでなら、咲夜も自分の能力で行っている為まだ理解が及ぶ。

 しかし、時間を「食べる」とは、一体何だ?

 咲夜の知識は、そこで止まっていた。しかし、アリスの知識はその先を行く。

 そんなものは、創作の世界では序の口だ。「揺らす」、「引き裂く」、「折り畳む」、「ぶっ飛ばす」、「爆破する」――本当にやりたい放題である。

 幻想郷では、そういった幻想が現実に起こり得る。

 既に、別の世界の魔法が同じ理論で使用出来た事でその可能性を知ったアリスは、レティとルーミアを呼んである実験をした。

 レティの「寒気を操る程度の能力」によって時空を凍結させた場所に、ルーミアが今使っている捕食用の「闇」を投入してみる。

 レティに、「時空」という概念を理解して貰うのには時間が掛かったが、何とか実験を行う事は出来た。

 中央に、魔法で作った凍っただけでは動き続ける砂時計を配置し、その砂時計の停止を確認した後、精神世界面(アストラル・サイド)から見ても完全に凍結している箱型の空間に、ルーミアの「闇」を通す。

 結果は、例え停止した空間であろうとルーミアの能力はお構いなしに通過する、というものだった。

 つまり、人食い妖怪であるルーミアは、時間も「食える」のだ。

 そして、ルーミアの操る「闇」はルーミア自身。例え本人は知覚していなかろうと、能力は止まった時の中でも強引に周囲を捕食出来る。

 

「おねーさんは怪我をしたから、わたしの勝ちで良いかー?」

「えぇ、そうね」

 

 自分の攻撃は相手に通じず、逆に相手はこちらの能力への干渉を可能としている。今の咲夜に、ルーミアを打倒する手段はなかった。

 

「それじゃあ――」

 

 真っ赤な口内を笑みの形に開きながら、一歩、また一歩と咲夜に近づいて行くルーミア。人食い妖怪が傍へと歩み寄る恐怖に、敗者である少女の身体が小刻みに震え出す。

 食われる――咲夜がそう確信し身構えた瞬間、ルーミアは相手を見上げてこう言った。

 

「おねーさんは、食べても良い人類?」

「……」

 

 満面の笑顔で質問するルーミアに、咲夜はしばし呆然としてしまう。

 そういえば、確かに言った。戦闘を開始した直後に、その台詞は勝ってから言えと。

 この子供妖怪は、律儀にその事を覚えていたのだ。そして、アリスという誰かの言った、「悪人だけを食べろ」という言葉もまた、この宵闇の少女は疑いもせずに受け入れていた。

 

「……私は、食べては駄目な人類よ」

「そーなのかー」

 

 咲夜の答えに、ルーミアは本当に残念そうに呟いた。

 そこに、地下からの衝撃が二人へと走る。

 

「これは、お嬢様の仰っていた……っ」

「おー、アリスなのかー?」

 

 戦闘を終え、互いに別の形でその意味を知る二人は、揃って地下室のある床を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 カードを配るディーラー役を小悪魔とし、魔女と鬼の二者が命を賭けた遊戯で戯れる。

 

「伏せカードをオープンします。萃香様、二十一。パチュリー様、二十。萃香様の七勝目です」

「おっとっと、今のはもう一枚貰ったら危なかったね」

「……」

 

 これで七勝七敗。両者は一進一退の攻防を続けていた。

 

「やっぱり札遊びってのは、お互いの手札を晒す瞬間が最高だね。どんだけそこまで色々やってようが、勝ちと負けがその一瞬で決まっちまう」

「同意しかねるわね。私は貴女のいう「色々」の時間の方が、思考を巡らせて相手との駆け引きに興じれる分、面白いと感じるわ」

「いやいや、魔女ってのはやっぱり陰険だねぇ」

「愚直というには、貴女は刹那的で破滅主義過ぎるわ」

 

 カードゲームをしながら、お互いの舌戦も止まらない。

 知略と策謀の魔女を、まどろっこしい陰険と評する萃香。

 豪快で気風の良い鬼を、脳筋で破滅的な愚者と評するパチュリー。

 つくづく平行線の二人だが、時間を稼ぐという点では上等にその役目を果たしていた。

 その時、大図書館の中にもアリスの放った波動が流れていく。

 

「……ほぉ、コイツは心地良い。紫はやっぱり人が悪いね。こんな面白そうな奴を、紹介してくれないってんだから」

「どうやら、ここまでのようね」

 

 地下室の方向へ向けて視線を移す萃香の前で、パチュリーが椅子に身体をもたれ掛けさせながらそう言った。

 

「おいおい、折角始めた勝負なんだ。今更降りる何てなしだろうに」

「今回の件で私に課せられた責務は、もう最後まで果たし終えたわ。貴女の仕事もね。要は時間切れの引き分け(ドロー)よ」

「それじゃあここからは、純粋なただの勝負といこう。盛り上がって来た所じゃないか」

「嫌よ。無理やりにでもと言うのなら、私は地の果てまで逃げるわよ」

「つれないねぇ。ま、紫から釘を刺されちゃってるし、ここらが潮時か」

 

 一切のやる気を失ったパチュリーに、萃香はつまらなそうに肩を竦めると、椅子から立ち上がって踵を返した。

 

「行く前に、一つだけ聞いても良いかしら」

「あぁ、アンタと良い勝負出来てたネタかい?」

 

 首だけで振り向きながら、萃香は右手を開いて地面へと向ける。

 

「アンタは紫みたいな策士だけど、嘘吐きにゃあ向かないね」

「どういう意味かしら」

「最初にサマを疑われないように、何て前置きして新品を出したろう? それじゃあ、「それ以外でイカサマします」って宣言しているようなもんだ」

「……」

 

 からからと笑う萃香の指摘に、パチュリーは押し黙るしかない。

 

「それと、今回の勝負で新品を用意したって事はだ――今まで使ってたお古もある訳だよねぇ」

 

 語った萃香の右手周辺から、大量のカードが地面へと脱落していく。

 彼女の能力、「密と疎を操る程度の能力」を使って、大図書館の別の場所に保管されていたものを集わせ、霧状にしていて周囲に漂わせていたのだ。

 

「他の鬼や、ひょっとしたら勇儀辺りになら通用したかもしれないがね。「化かし合い」も、わたしの領分だよ――ひひひっ」

 

 真っ赤な舌を長く出していやらしく一笑すると、萃香は再び霧になってその場を去って行った。

 大図書館に、再び静寂が戻る。

 

「ふぅー、命拾いしたわね」

「うぅ、恐かったですぅ~」

 

 大きく息を吐いて、椅子へと身を沈ませたパチュリーの横で、ディーラーとして立っていた小悪魔が涙目でへたり込む。

 その瞬間、机に掛けられていた魔法が解け、一陣の風によって粉のような粒子が飛び去っていく。

 土魔法による、極細小の砂粒を使った実体を伴う映像の転写。この魔法により、伏せ札の絵柄は自由自在だった。

 仕掛けたイカサマが読まれ、萃香が能力を使ってカードを僅かに浮かせていたが、パチュリーの用意したイカサマはそれだけではない。

 つまる所、あのまま続けても勝負の行方は解らなかった。

 

「これも使わずに済んだし、結果的には最高に近い終わり方ね」

 

 言いながら、パチュリーが袖から取り出したのは、手の平に転がる小さな黒鉄球。

 中心に両端の尖った針が刺さっており、格子状の球の中には、薄紫色の渦が禍々しく回っている。

 この日の為に用意した魔道具で、使用者と対象の持つ力の反発を利用し、両者の位置を弾く効果を持つ。

 鬼という規格外の妖気を持つ萃香と、魔法使いとして最高峰の魔力を持つパチュリー。両者の間で使ったならば、恐らくは幻想郷や外の世界などという小さな枠組みを超え、お互いが別次元の異空間にまで吹き飛ばされていた事だろう。

 パチュリーはそれでも、紅魔館を幻想郷へと転移した際の座標を記憶している。相手はどうか知らないが、彼女は百年も魔力を溜めれば帰って来れる算段を付けていた。

 まぁ、使わないに越した事はないので、お互いが命拾いをしたという事で良いだろう。

 

「小悪魔、これを捨てて来て頂戴」

「あっ! わっ! わぁっ!? もう、パチュリー様ぁ、発動したらどうするんですかぁ!」

 

 恐ろしい効果を持つ魔道具をぞんざいに投げ渡され、小悪魔は悲鳴を上げて抗議した。

 

「発動に必要な魔力は、とっくに引き抜いているわよ。前にある湖にでも放り込めば、後は時間が勝手に分解してくれるわ」

 

 パチュリーの言う通り、鉄球の中にあった渦は消失しており、相応の魔力を意図的に込めない限り発動する事はない。

 

「レミィが未来を読んで見えた、アリス・マーガトロイド。私が貴女に会うのは、何時になるのかしらね」

 

 頼んだ用事を済ませに行った小悪魔が消え、誰にともなく呟くパチュリー。

 その時が意外と近い事を、彼女はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 強い――

 周囲の崩壊した部屋で、紫はレミリアに対する戦う前から上げていた評価を、更にもう一段上げていた。

 二体の鬼は紙片に戻り、優秀な従者にも傷が付いた。

 結果としてレミリアは壁を背にうずくまり、既に虫の息といった状態だった。

 しかし、それでもなお、彼女の心は折れていないのだ。

 今宵が、吸血鬼の力が最高となる満月の夜ならばどうなっていたか。

 紫は、そんな益体もない考えを浮かべて消した。

 

「これが最後の通告よ。恭順を示せとは言いません。しかし、この幻想郷を保つ為に、幾つかの条約を受け入れなさい」

 

 これまで何度もしてきたものと同じ台詞を、レミリアへと向けて提案する紫。

 これ以上続けても、意味はない。ここで彼女が折れなければ、その時は残念だが消滅して貰うしかない。

 

「は、はは……」

 

 レミリアの返答は、乾いた笑い声だった。

 

「長かった……実に、長かった……」

 

 まるで、生の終着点へ到達したかのような語りで、レミリアの声が響く。

 その瞬間、紫たちの足元から壮絶な波動が走り抜けた。

 

「これは、アリス!?」

 

 驚愕の視線を、下へと向ける紫。

 放たれたアリスからの波は、本来彼女を転送した大図書館からではなかった。彼女が居るのは更にその地下、萃香を送ったはずの当主の妹が居る禁固室。

 紫は瞬時に、己の策が利用されていた事を悟った。

 

「藍、ここは任せ――ぐっ!?」

 

 従者に振り向いた瞬間、紫の足を握り潰さんばかりの怪力が掴む。レミリアだ。

 彼女は羽と両手を使って壁を撥ね、高速で紫の片足にすがり付いていた。

 

「私たちでは届かなかった救済の運命が、今――あの娘を捉えた!」

 

 だから、邪魔はさせない。

 

 『不夜城レッド』――

 

 壮絶な笑みの吸血鬼から真紅の閃光が溢れ、天井を突き破って夜空の闇へ舞い上がる。

 紫と藍を含む、室内全てが紅の光に呑まれ、爆音の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 その場所にアリスが出したものは、全てが消失していた。

 肩幅ほどの人形と、それより小さな人形は元の場所へと転送され、人形を出した魔法陣と彼女の前に作っていた幻影は彼女の意思によって消滅する。

 ゆっくりと立ち上がるアリスの腕が、吸血鬼の如き速度で瞬く間に再生していく。

 金色へと変わったその瞳を見た瞬間、フランドールは己の能力を発動させていた。

 

「うわあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 躊躇も加減もない。ただ、破壊する事だけを考えた最速の一撃。

 アリスという「目」は握り潰され、肉体が無残に崩壊する――はずだった。

 

「……それで?」

「何でっ……何で!?」

 

 アリスからの余裕の言葉に、フランドールは訳が解らなくなった。

 目の前で起こっている現実が、何一つ理解出来ない。

 

「「目」を潰したのに――破壊したのに――っ」

 

 アリスの歩みに合わせ、フランドールが後ずさる。一歩、また一歩と。

 

「何で、再生しているの(・・・・・・・)!?」

 

 自分の絶対的能力を否定され、フランドールは絶叫した。

 金色の瞳となったアリスは、右の手の平に携えていた漆黒のものを、フランドールの中へと転送する。

 

「ぎいィやあぁあァァああぁァァぁッ!」

 

 人間では到底上げられない、おぞましい悲鳴が室内へ木霊した。

 右腹辺りに出現した闇は、あっさりとフランドールの身体を抉り取った。しかし、彼女の恐怖は更に続いていく。

 

「さ、再生しない!? 何で!?」

 

 失った箇所は、何時ものように再生が始まらなかった。まるで、そういう穴が前から開いていたとでも言うように、ぽっかりと空洞を残したままで止まって何も起こらない。

 

「う、うわあぁぁ! アァァッ! あァァぁぁっ!」

 

 何度も何度も、アリスの「目」を握り潰すフランドール。しかし、潰す度に「目」は当たり前のように再生し、アリスの身体へと収まって姿を表す。

 

「滅びを与えてあげるよ。フランドール・スカーレット――お前の望んだ、その通りに、ね」

 

 アリスの手に、再び漆黒の闇が出現する。

 否、それは闇ではなく「虚無」だ。

 混沌の海にたゆたいし、金色なるものそのものを表す、消滅(ゼロ)創造(イチ)を生み出すもの。

 

「あ……ぁ……」

 

 最奥の壁まで逃げ込み、それでもアリスからは逃げられなかったフランドールは、唐突に訪れているものの名前を知った。

 

 そうか、これが「死」か――

 これが「破滅」、これが「破壊」か――

 こんなものを、私は誰かへと向けていたのか――

 こんな恐ろしい事を、私は何かへとやっていたのか――

 そんな化け物、死んで当然じゃないか――

 

 全てを受け入れたフランドールの前で、アリスの右手が「虚無」を握り締めた――

 

 

 

 

 

 

 ――危機、いっぱつうぅぅぅ。

 

 右の握り拳を見下ろしながら、私は内心盛大な安堵の溜息を吐いていた。

 力を失った足が折れ、抵抗も出来ずに両膝を突く。見えないが、きっと髪は色素の抜けた銀髪になっているに違いない。

 勿論、今のタイミングで呪文が解けたのは偶然などではなく、私自身の意思だ。

 完成版「重破斬(ギガ・スレイブ)」の、完全失敗バージョン。

 この呪文は、力の借り元である金色の王、魔王の中の魔王――その真の正体は、神と、魔と、人と、その世界の全てを構築した、世界の底にたゆたいし混沌の海――原作世界と、その他の世界の創造主たる「金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)」に身体を乗っ取られる呪文だ。

 あとがきで、作者の顔面に豚の角煮を叩き付けるほどどSなL様によって乗っ取られ、完全オート操作モードに入るこの呪文は、破壊された肉体すら復活させる超速再生と、「虚無」を使った消滅攻撃という最強の攻防を併せ持った、暴走エヴァ初号機のような制御不能の無敵状態へと移行する。

 というかこの呪文、研究の結果失敗しか出来ない事が判明している。引き込む力の量が、半端ではないのだ。

 具体的に言うと、私が四方一メートルの水槽だとすると、そこに海の水を全て注ぎ込むくらいの力が入って来る。耐えられる訳がない。

 原作の主人公、リナ・インバースが盛大に失敗したので、私も失敗を前提でこの呪文を研究した。

 本来ならば、L様が引き込んだ力を使い果たすまで暴れまわるという迷惑極まりない仕様なので、ちょっとぐらいはどうにか出来ないかと色々研究した結果、どうにか出来た。

 原作主人公が人間なのに対し、私は魔法使いという人外だ。内在する魔力の総量も、彼女よりは遥かに高い。

 基本的には原作通りだが、乗っ取られた頭の片隅に私という確かな自我を僅かに残し、自分の意思によって彼女(・・)との接続を強制的に断てるよう、理論的には再構築を行っていた。

 ぶっつけ本番の賭けだったが、どうにか上手くいったらしい。

 その代わり、反動によって私は指一本すら動かせないほどの虚脱感に苛まれ、頭が焼き切れそうなほど痛い。

 頭痛の原因のもう一つは、脳内加速の負荷による影響でもある。

 VR(ヴァーチャルリアリティー)ゲームの世界で繰り広げられる少年少女の青春活劇に出て来た脳内加速理論を使った、擬似的な高速思考演算から始まった一連の流れは、戦闘はおろか喧嘩の経験すらない私が考え付いた、勝利への道筋だった。

 この幻想郷は、目の前に居るフランドールのような一撃即死の能力者や、ロボッツ大戦風でいうスーパー系で全十五段階改造済みステータスが初期値という絶望的な自力を持つ妖怪など、ぶっちゃけ手の打ちようがない世紀末世界だ。

 よってそれらに対抗し、せめて逃亡するまでの時間を稼ごうと考え抜いた作戦が、圧倒的速度によるイニチアシブ取得と、物量に任せた飽和制圧。

 名付けて、「最初からずっとオレのターンスペシャル」である。自分で言っていてダサいと思う。

 まず、思考を加速させてその間に演算し、何千何万という魔法を竜の紋章の賢者(笑)が継承した合体魔法理論で重ね合わせて、一回で詠唱する。

 次に、唱えた多重召喚で家の地下室から呼び出したミニ人形たち、通称モスキート部隊を展開し、「魔皇霊斬(アストラル・ヴァイン)」を掛けてとりあえず突撃。その後、相手が人形たちと戯れている間にその相手に有効な魔法を唱えたり、目晦ましの魔法を投げて逃亡するのだ。

 最初の思考加速も、後の「重破斬(ギガ・スレイブ)」も、頻繁に使用すると多分私は負荷によって死ぬ。それでなくとも、寿命は確実に縮むだろう。

 不老とはいえ、不死ではない。身体の負ったダメージは、着実に私の身体を蝕んでいく。

 それでも、私はこの魔法たちを使用するだろうと組み上げた。組み上げなければ、この世界では生き抜けないと解っていたから。

 で、何でこのタイミングでL様にお帰り願ったかと言うと――フランドールを殺したくなかったからだ。

 

 ははっ、甘過ぎだよねぇ。

 

 だけど、もうどうしようもないのだ。

 ここまで来ておいて、彼女を殺す最後の瞬間に、私はそれを拒絶した。

 これが私だ。人間として、日本人として、残ってしまったバカな悪癖。

 だが、それで良い。

 ここで、フランドールに殺される事になっても、私はもう、それで良い。

 死ぬなら、せめて人間として、日本人として死にたいから。

 

「どうして……」

 

 怯えと恐怖が入り混じった泣き顔で、私を見つめるフランドール。

 

 ごめんね。

 お腹に穴とか開けちゃって、凄く恐がらせちゃったね。後で絶対、治してあげるからね。

 もう大丈夫だよ――って、やったの私だけどね、はははっ。

 

「――私たちがしたのは、ケンカよ。殺し合いなんかじゃない」

 

 ここまで来ると、もう反吐が出るほどの屁理屈だ。

 命のやり取りなんてなかった。私のログには、何もなかった。

 

「けんか?」

「そう、ケンカよ」

「……私、けんかしたの初めて」

 

 だろうね。

 貴女みたいな能力持ちだと、るろ剣の不二みたいに存在自体が反則だし。

 

 だが、その台詞は頂けない。

 その台詞は、私のようなオタク系芸人にはネタ振りにしか聞こえない。

 

「だったら、これも初めてかしら」

「え?」

「「プレゼント」と、「仲直り」」

 

 なけなしの魔力で転送した、くまちゃん人形をフランドールの手元へと落とす。

 某超大作海賊漫画で描かれた、化け物として狩り出され双方の種族から爪弾きにされてしまった人間トナカイと、逃れられぬ病を背負う偉大なるやぶ医者との一幕。

 プレゼントのチョイスを帽子にしなかったのは、フランドールは何故かくまちゃん人形を持ち歩いているイメージがあったから、という独断と偏見だ。

 

 ははっ、もういっそ笑えよ。

 最後までネタたっぷりだよ、ちくしょう。

 

 内心、恥ずかしさと情けなさで死にたくなっている私の前で、フランドールがうつむいた姿勢でぶるぶると震え出す。

 

 え、何? また狂気モード?

 殺す時は、是非一撃でお願いします。

 

 そんな殊勝な事を願っていた私の胸元に、フランドールが突然高速のタックルを仕掛けて来た。

 

「ぐ……っ」

 

 身体に力が入らないので、フランドールの突撃を私が避けられるわけもなく――普段であれば、「どぅふっ!」とでも言ってしまいそうなほどに強烈な衝撃が胸へと叩き込まれる。

 というか、多分今ので肋骨その他が色々折れた。

 もう痛覚とか刺激とか何も感じない状態だが、音的にそんな感じの音がした。

 これ以上攻撃されたら、本気で死ぬ。

 

「……ちゃん」

「え?」

 

 私の胸に全力ダイブをかましたフランドールが、何かを言っていた。

 

「アリス……お姉ちゃん」

 

 ――え?

 

「なぁに?」

 

 いきなりの「お姉ちゃん」呼称に混乱してはいるが、呼ばれたからには答えるのが礼儀だ。

 

「ごめんなさい……ごめんな、ざい……」

 

 戦いの途中であったように、ぐしゅぐしゅと泣き始めてしまうフランドール。狂気は収まったらしいが、この情緒不安定な性格はこれからもしばらく続きそうだ。

 

「フランドール――フラン」

 

 声を掛ければ、叱られる前の子供のようにフランドール――フランはビクリとその身を強張らせた。

 

「私は、貴女を許すわ」

 

 悪さをした子供を許すのは、大人の度量だ。

 何度だって、私はフランを許す。フランにはこれから、許される事を知って貰う。

 

「う、あぁ、うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 フランは泣く。産声を上げる、胎児のように。

 

 くそっ。頭を撫でてあげたいのに、身体が微塵も動かせねぇ。

 

 後、こんな時に思うのはあれだが、フランが抱きついて来なくて良かった。

 今、フランの怪力で抱き締められた日には口から新生物が誕生するか、北斗神拳を食らった三つ葉さんの如く胴が千切れて頭と足がくっついていただろう。

 

「アリス!」

 

 フランが散々泣き腫らし、疲れて眠ってしまったタイミングで紫が現れた。

 スキマから飛び出した彼女の服はあちこちが破けており、顔にも煤や血を付けて折角の美貌が台無しだ。

 

 ぷっ。何その恰好、ボロボロじゃん。

 どうせレミリアを侮って、痛い目に遭ったんでしょ。

 

 実戦を舐めた私と、レミリアを舐めた紫。お似合いの恰好だ。

 紫は、銀髪になった私の髪を見て大層驚いた様子だった。

 

「その身体……」

「見た目ほど、中は酷くはないわよ」

「そう。それでも、一刻も早く治療しないと」

「この娘も一緒よ」

 

 寝ているフランを見下ろしながら語った私の願いに、紫は目を剥いてまた驚く。

 

 解ってる。これがどれだけバカな判断かぐらい、私にだって解る。

 殺し殺されと、互いに刃を向け合ったはずの相手を心配しているのだ。正気を疑うのは当然だよね。

 でも、もう良いんだ――

 もう、偽善者で良い――

 偽善者で良いから――

 せめて私に、心だけでも人間でいさせてよ――

 

「……解ったわ」

 

 私の願いが本気と解ったのか、紫は神妙な顔で頷いてくれた。

 

 あー、後もう一つ。

 紫に会ったらお願いしようと思ってた事があるんだ。

 

「紫」

「何?」

「私から、先代博麗の巫女の記憶を、完全に封印して欲しいの」

 

 フランと戦い死に掛けて、結局死ねなかった私はもうこの幻想郷で生きていこうと考えていた。

 だが、それには邪魔なものが一つある。

 先代との記憶だ。

 今の私が持つには、あの人は強過ぎる。

 あの人は、眩し過ぎる。

 あの人を今思い出せば、またきっと死にたくなる。

 人間に焦がれて焼け焦げて、私はきっと人間を羨む。

 

「……無理よ」

 

 紫が、ゆるゆると首を振った。

 

「記憶とは、一本の線で繋がり切り貼り出来るような、単純な構造じゃないの。物事の一つ一つに、クモの巣のように大量の糸が行きかうとても複雑な代物。そこから個人の情報を完全に隔離するなんて、どれだけの規模で記憶を失うか私にも想像が出来ないわ」

 

 なんだ、紫の能力でも出来ないのかと吃驚した。

 その程度なら、全然オッケーだよ。

 惰性で生きてた時の記憶なんて、残しててもしょうがないしね。

 

 これからは、過去ではなく未来を見て生きていかなけらばならない。

 紫に頼んでおけば、皆へのフォローも問題はないだろう。

 

「今回の件。私は報酬を何にするか、まだ決めてなかったわよね」

「貴女……」

「お願い」

 

 きっと私は、何時か好奇心に負けて記憶を取り戻す時が来る。

 だが、その時にはもう手遅れだ。

 十年か、二十年か、はたまた百年後か――

 その時にはもう、私は魔法使いとして生きている。それ以外の生を考えられないほどに、魔法使いに馴染んでしまっている。

 私はきっと泣くだろう。人に戻れず、妖怪にもなれず。

 だが、それで良い。

 私は人でも、妖怪でもない。「アリス・マーガトロイド」として生きよう。

 彼女に因んで、人里で人形劇も始めよう。

 紅魔館にも訪ねよう。フランやパチュリーや他の皆と、改めて仲良くなろう。

 春雪異変で魔理沙と出会い、他の異変でも誰かと出会い、きっと友達になっていこう。

 

 あぁ、なんだ――

 私はちゃんと、幻想郷(ここ)で生きてるじゃないか――

 

 

 

 

 

 

 気が付いたら、私は自分の家のリビングで椅子に座っていた。

 

 ――あれ、何してたっけ?

 紅魔館に突撃して、フランと出会って戦って。それで、フランと一緒に運ばれて――だめだ、思い出せない。

 まぁ、思い出せないって事は、思い出す必要もないほどどうでも良いって事だよ。きっと。

 おっと、そうそう。

 大図書館でパチュリーと出会う為に、少し時間を空けて紅魔館にお邪魔しなきゃね。

 あそこって洋食のイメージだから、イチゴのショートケーキとか作って持って行こうかな。

 人里で人形劇もしたいから、参考になる書籍を借りさせて貰えば助かるけど。

 あれ? 何で人里で、人形劇をしようと思ったんだっけ? 人里って、行った事あったっけ?

 確か――そう、アリス。

 私は「アリス・マーガトロイド」になろうって決めたんだった。

 おかしいな。所々記憶が曖昧だ。

 さてはゆかりんの仕業だな。

 まぁ、彼女のする事だ。きっと理由があるんだろうし、大きな問題がなければ放っておけば良いか。

 

 人と、妖怪と、神と、獣と――忘れられ、認められなかった幻想たちの住まう、素敵な楽園、幻想郷。

 私は、七色の人形遣いアリス・マーガトロイドとして、この素晴らしい世界を生きている。

 




かなり強引な上、ご都合主義全開ですが、これが作者の限界です(爆)

とりあえずここまでで、一端筆を置こうと思います。

指摘箇所を直したり、次の話を考えたりで、次回更新は未定です。

感想返しはまた後日。

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