東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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群像劇の練習第二弾。
異変の前に、ちょっと長めのお話どぅえす。


67・幻想のおとしもの(起)

 幻想郷の何処かにある賢者の住処で、冬眠中の気紛れで目覚めた屋敷の主はピンクと白の毛糸で編まれたもっさりした寝巻き姿のまま己の書庫で読書用の椅子に座り、幾つものスキマを広げある探し物をしていた。

 

「んー、何処だったかしらねぇ」

 

 流石に、紅魔館の地下にある巨大な図書館より規模は小さいものの、空間を拡張し縦に横にと伸びた本棚の数は大きな書店の蔵書量程度であれば軽く凌駕しているほどだ。

 スキマの繋がった先の書物たちを無造作に引き抜き、適当にパラパラとめくってはまた元の場所へと戻す。

 

「失礼致します。これより博麗大結界の点検に――また、ですか?」

 

 入り口の襖を開けて(こうべ)を垂れた藍が顔を上げ、己の主人の行動を見て即座に呆れを含んだ半眼へと変わる。

 「また」と語るように、従者の妖獣がこの光景を目にしたのは一度や二度ではないからだ。

 

「以前から何度も申し上げておりますが、紫様の書庫の整理も私にお任せ頂けませんか」

「イヤよ。貴女がやると、面白味の欠片もない配置になるのだもの」

「その「面白味」を追求した結果、同じ書籍が三冊も出てきたり、今のようにお探しの書が見当たらないなどといった事態に陥っては、本末転倒かと」

「まだまだねぇ、藍。こういうのが楽しいんじゃない」

「……左様でございますか」

 

 世界最強の妖怪は、意外と頑固でズボラであり――何より、自身が「楽しむ」という行為を最優先にする御仁だ。

 そんな彼女が一度こうと決めてしまったものを、従者が曲げるのはまず不可能に近い。

 故に、懲りない主に小さく溜息を吐き藍は進言を質問へと切り替える。

 

「では、一体何をお探しなのですか?」

 

 探し物をしているという事は、その書物を紫が欲しているという事。主が欲しているのであれば、手伝うのが従者の務めだ。

 

「んー、随分昔に作った自作の資料なのだけれど……見つからないし、もう良いわ」

 

 藍の申し出を断り、紫は椅子から立ち上がると自身の身体をスキマに通し一瞬で紫のドレスへ着替え終えると、今度は移動用のスキマを開いてそちらへと進んでいく。

 

「ちょっと出掛けるわ。結界の点検、お願いね」

「承知致しました。いってらっしゃいませ」

 

 主の命に、否を唱える理由もない。藍は再び(こうべ)を深く垂れ、紫の出立を見送る。

 スキマが閉じ、彼女の存在していた痕跡が消え失せる――残されたものは、静寂という余韻だけ。

 何時だって、彼女は気紛れだ。

 無言のまま付き合わされる哀れな隣人を想い、藍は静かに首を振ると己の責務を果たすべく改めて出立を開始するのだった。

 

 

 

 

 

 

 メディスン・メランコリーは、人形の付喪神だ。

 毒性を持つ鈴蘭の花畑に捨てられていた事から、彼女自身もその影響を受けて「毒を使う程度の能力」を持って生まれて来た。

 操れる毒は鈴蘭だけではなく、植物の毒、動物の毒――果ては、自然界には存在しないような毒でさえも知識さえあれば生み出せるという、非常に恐ろしい能力だ。

 救いがあるとすれば、彼女は生まれたての妖怪でありその知識がほとんどないという点だろう。

 逆に言えば、この無知で無垢な可愛い少女に優しく語り知恵を授けるだけで、望むままに無限の毒を得られるという事。

 そんな、紛う事無きろくでなしの所業を成した人物とは、永遠亭の薬師と――そして私だ。

 永琳は、「毒」を「薬」へと変換する為。私は、創作物の中にのみ存在する架空の「毒」を求めて。

 正当な対価を用意しての取引だったとはいえ、何も知らないこの娘に随分と酷い「薬」の作製を協力して貰った。

 お陰で私の魔法使いとしての研究は一歩どころか数歩以上も前進したが、その事実は素直に喜ぶべきではないだろう。

 さて、私が現在そんな罪悪感を抱く自動人形娘と一体何をしているかと言うと――何もしていなかったりする。

 

「むー、いー、おー」

「いー――ぶふっ」

「みー――ぷ、ぷふっ」

「あー、チルノもメディスンも笑ったぁっ! 弱いなぁ」

「むー、もう一回! もう一回よ! 次は絶対、あたいが勝つんだから!」

「や、やるじゃないっ。そろそろ、わたしの本気を出す時が来たようねっ」

 

 正確には、メディスンたちは遊んでいるのだが、私は近くで戯れる彼女たちの姿を眺めているだけなのだ。

 寒さなど知った事かと、慧音の自宅近くで人里の子供たちと遊んでいるのはメディスン、チルノ、大妖精、ルーミア――そして、紫。

 

 ――え?

 なんか変なの混じってるって?

 HAHAHA、気のせい気のせい――だったら良いのになぁ……

 

「ゆかりちゃん、いっくよぉぉ。じゃん・けん・ぽん!」

「ぽん! あっちむいてぇ――ほいっ」

「あっ」

「うふふ、また勝ってしまいましたわ」

「ゆかりちゃんって、強いんだねー」

 

 現実逃避にメディスンとの甘酸っぱい記憶を掘り返してみても、どうやら現実は変わらないらしい。

 人間の子供たちに混じる人外の中に、幼女姿の紫という明らかにおかしい人物が存在している。

 私の隣に座る慧音など、余りの事態に先ほどからずっと目を見開いて茫然となってしまっているほどだ。

 

「ふぅっ、子供は風の子と言いますけれど……流石に疲れましたわぁ」

 

 元気の有り余っている子供たちの相手を切り上げ、紫がニコニコと笑いながら私の隣へと腰掛けてくる。

 

「冬眠は良いのかしら、大妖怪さん」

「あら、嬉しいですわ。貴女が心配してくれるだなんて」

「言ってなさい」

 

 彼女にとっては本来休息を必要とする時期の為か、私の精神世界面(アストラル・サイド)を読み取る両目が感じる紫の妖気は明らかに低下していた。

 それでもなお、私程度であれば軽く瞬殺出来るほど強大なのだが、弱体化した身を晒すなど彼女の立場が許しはしないはずだ。

 

「スペルカード・ルールを提唱してこのかた、最近の異変の頻度は異常の一言でしょう? その影響を受けてか、博麗大結界を含む幻想郷の内部が不安定になっていますの――私の冬眠の間隔も、そのせいで狂わされているようですわ」

「それは、大丈夫なの?」

「一応は。「内」と「外」を隔てる大結界が綻び易くなっていますので、「界」を渡るには打って付けの時期ですわね」

 

 普通に会話しているだけでこれだ。心臓に悪いので、いきなりピンポイントな話題をぶっ込んで来ないで欲しい。

 私の魔界遊覧紀行計画。この悪女は、一体何を何処まで知っているというのか。

 見透かされている驚きと畏怖から二の句を告げられない私を見ながら、ロリ紫は口元で扇子を広げたお得意のポーズでクスクスと笑う。

 

「貴女が一体「何」であるか――何処で何をするつもりかは聞きませんけれど、ちょっとくらいは情報を掴んで来て下さいましね」

「ご期待に添えられるよう、精々頑張らせて貰うわ」

「ノンノン。貴女が「頑張る」と、ろくな事が起こりませんの。ほどほどでお願いしますわ」

 

 以前から、皆の私に対する評価が酷い件について。

 私は、超主人公体質の主人公さんか。

 

「や、八雲紫っ!」

「あら、ようやくお目覚め? おっぱい先生」

「その呼称は止めてくれ! ようやく沈静化させたばかりなんだ!」

「まぁ、折角貴女を慕う生徒たちが付けてくれた愛称ですのに、そんなに拒絶にするのは可哀想よ」

「ぬぐぐ……っ」

 

 実直な半獣と口八丁のスキマ妖怪では、相性は最悪だろう。

 弱者である私たちが「強くて賢い妖怪」を止めるのは、閻魔様でも呼んでこない限り相当に困難だ。

 

「こんな乳袋を抱えた堅物の器量良しが、毎日教鞭を取って手取り足取り教えているなんて……子供たちの将来が、別の意味で心配ですわぁ」

 

 それな。

 宴会のビンゴ景品として渡した私お手製の「女教師スーツ」を着て貰ったら、予想以上に似合ってて皆の視線釘付けだったし。

 文やてゐと一緒に、大興奮で撮りまくったもん。

 後で、写真は全部「なかった事」にされたけど……

 

 現像してみると、背景の中に真っ白な女性のシルエットだけがぼんやりと映し出されていたのだから、軽くホラーだ。

 「歴史を食べる程度の能力」――実際に映っていないのではなく、「慧音が写真に映っている」という歴史が消失した為に、そこにあっても認識出来ないのだ。

 必死に頼み込んで、絶対に誰にも見せないという条件付きでなんとか復元して貰った一枚は、今でも自室のアルバムの中に大切に保管されている。

 

「子供たちに何をするつもりだっ」

「そこまで露骨ですと、逆に何かして欲しいみたいに思えてしまいますわね」

「そんなわけがないだろう!」

「慧音、落ち着きなさい。紫も、慧音を困らせて遊ばないの」

 

 相手をおちょくってペースを乱そうとするのは、この意地悪妖怪の常套手段だ。解かっていて避けられないところを突いてくるところが、性悪が性悪たるゆえんである。

 

「あら、怒られてしまいましたわ」

 

 まるで反省の様子も見せず、片目をつぶり舌をペロリと出しておどける紫。

 

 ちくしょう、可愛いじゃねぇか。

 

「眠気が来るまで暇を潰したいのなら、貴女の式か式の式と遊びなさい」

「え? だって貴女、暇でしょう?」

 

 前言撤回。

 やっぱり全然可愛くないわー。

 

 ある意味事実だけに、何も言い返せない辺りが余計に腹が立つ。

 確かに、次の異変の予兆を見つけるまで私は動く事が出来ないので、今は時間を持て余し気味だ。

 

 お寺組の皆さんって、もう幻想入りしてんのかなぁ。

 出来れば、一番話の通じそうなダウジンガーのナッちゃんと最初に接触を計りたい今日この頃。

 

 彼女たちの誰かに、何かしらの形で恩を売れれば最上だ。

 魔界へ行くには、最低限でも時空を超える飛行船である聖輦船に乗せて貰えるだけの信頼を、聖人救出部隊の面々から得る必要がある。

 

「姫は退屈ですわ~。何か芸でもしてくださいまし~」

 

 考え事をしている私の膝に頭を乗せて、紫は適当に宙を掻く仕草で私へと余興をねだってくる。

 

 おいおい、素人芸人に「ここでボケて!」とか無茶振りすんなや。

 まぁ、やれと言うならやるけども。

 

「古き英知の術と我が声によって、今ここに召喚の門を開かん――我が魔力に応えて、異界より来たれ――」

 

 ポケットから取り出した紫色の魔石(ジェム)を右手で握り、その手を宙へとかざして詠唱を開始する。

 

「新たなる誓約の名の下にアリス・マーガトロイドが命じる――」

「わー、きれー」

「なになにー」

 

 宝石へと込めた魔力が光を帯び、その輝きに気付いた子供たちがそれぞれの遊びを中断して私へと振り向く。

 

「呼び掛けに応えよ――異界のものよ!」

 

 祈り、乞い、願い――私の願望を汲み上げた魔力が、魔石(ジェム)を通じて別世への「門」を開く。

 

 ――と思うじゃん?

 

「え? ふぎゃっ!?」

 

 魔石(ジェム)が無残に砕けると同時に私の頭上へと落下して来たのは、伝統ギャグアイテムである金ダライ。

 腹筋の要領で後ろに倒れて華麗に回避すれば、当然その金物は私の膝に寝転がっていた紫の顔面に直撃する。

 

「~~っ」

「慧音をからかったのと、私を暇人呼ばわりした罰よ」

 

 声もなく顔を押さえてのた打ち回る紫へと、私は金ダライを脇に避けて身体を起こし冷めた口調で告げる。

 見物していた子供たちは、盛大に失敗した魔法と紫のリアクションを見てケラケラと大受けしていた。

 余興を望んだ本人以外には、十分な成果を上げられたらしい。

 今私が唱えたのは、普段使用している「聖典(バイブル)」とは異なる作品の技術――その名もずばり、「召喚術」だ。

 本来は、「サモナイト石」と呼ばれる特殊な石を触媒に四つの異なる異界に住まう住人を呼び寄せ使役する術なのだが、失敗すると今のようにして勝手に頭上へと「門」が開き金ダライや壊れたランタンなど術者の意図しない物体が振って来る。

 それなりに長く研究してはいるが、そもそも「サモナイト石」の現品がないので模造品の魔石(ジェム)で幾ら試行錯誤を繰り返しても、無駄な足掻きにしかならない。

 

 プニムとかポワソとかゴレムとかナガレとか――あのマスコット召喚獣たちを呼び出して、全力で可愛がりたかったのに……

 ちくしょう……ちくしょう……

 

 しかし、この研究は副次的に幾つかの恩恵と新たな疑惑を私へともたらしてくれた。

 実はこの「古い召喚術」、原作の話が進んで行くととある理由で術自体が完全に発動出来なくなる。

 今使用した「召喚術」を最初に唱えた時、私は間抜けにもその事実をすっかり忘れていたのだ。

 そして、私は術を失敗した――そう、()()()()()のだ。

 これは、明らかな矛盾である。

 術式の模倣が完全ではないというのも理由の一つなのだろうが、私はこの現象に一つの可能性を見出す。

 魔法の力は、信じる力。

 つまり、私が勝手に諦めているだけで、「聖典(バイブル)」を含み様々な要因で使用出来なくなる魔法や呪文もまた、幻想郷であれば発動出来る――かもしれないのだ。

 発動への「確信」こそが魔法を発現させる上での最も重要な要素である以上、試してみる価値は十分にある。

 

 とはいえ、一度諦めてるものを改めて「信じる」必要があるから、もし本当に使えるようになるとしても相当時間が掛かるだろうけどねぇ。

 

 何事も、簡単にはいかないものだ。

 

「う、うぐぅ……ひ、酷いですわ」

 

 またつらつらと考え事をしていると、なんとか復活した紫が涙目のまま怨めしげな視線を送ってくる。

 あんな小手先芸など、スキマを使うまでもなく簡単に避けられただろうに……こうして私の悪戯に付き合ってくれるほど、本当に暇なのだろう。

 

 なんだか、別の意味で可哀想になってきたんだけど……

 

「貴女今、失礼な事を考えませんでした?」

「……別に」

 

 ちょっと、貴女スキマ妖怪でしょ!?

 私の心読まないでよ!

 

「折角子供の格好をしているのだし、チルノたちと弾幕ごっこでもしたらどうかしら?」

「さて、アリス。「子供」と「大人」の境界線は、何処だと思います?」

「知らないわ」

 

 私の膝枕を堪能する彼女の問いに、即答を返す。スキマ妖怪との問答に、真剣な回答など不要だ。

 

「「子供」が居るから「大人」が居るのか、或いは逆か――卵が先か、鶏が先か――」

 

 煙に巻き、影に謀り――真実を求めたところで、返って来るのはこうした胡散臭い笑みと意味深な言葉遊びだけだ。

 

「……メリー」

「っ」

 

 だからぁ、唐突に返答に困る話題をぶっ込んでくるんじゃないよ!

 

 紫の呟いた愛称を持つ者の名を、私は知っている。

 未来という時間軸の異なる外の世界の住人だが、彼女には「結界の境目が見える」という明らかに顔を腕で隠すこの妖怪と関連性の深い能力を所有しているのだ。

 当然、今の時代から考えればその少女はまだ()()()()()()()

 だが、未来に生きる彼女はしばし夢などを通じて過去や未来や幻想さえも飛び越える、摩訶不思議な旅を繰り返しているらしい。

 紫が彼女を知る可能性がある以上、迂闊な発言は出来ない。

 

「……本当に、恐ろしい娘。なんでも知っているのね」

「なんでもは知らないわよ。知ってる事だけ」

 

 無言もまた肯定だ。少なくとも、私は紫の口にした少女の存在を知っている。

 目元へ置いた右腕を少しだけずらし悪戯っぽく薄く笑ってチラリとこちらを見る紫へ、私は猫委員長の決め台詞を送る。

 

「ん……ふぁ……」

「眠いの?」

 

 また色々と心臓に悪い話題を振られるのかと警戒していると、紫は一度小さくあくびをして両目を擦りだす。どうやら、ようやくの眠気が来たらしい。

 

「少し……だけ……」

「寝なさい。マヨヒガまで送っておくわ」

 

 紫の家の場所は知らないので送るのは別荘であるマヨヒガまでだが、そこまでの運搬と護衛くらいは私にも出来る。

 幻想郷の守護者に、無茶をさせるわけにはいかない。

 私は紫の帽子を外し、さらさらとした手触りの長い金髪を優しく撫でる。

 

「ふふっ……その鉄面皮さえなければ、良い絵面になりそうなものですのにねぇ……」

「言ってなさい」

 

 うっさいわ、余計なお世話じゃ。

 まったく、幼女になっても口が減らないんだから。

 

「くぅ……くぅ……」

 

 睡魔に敗北する直前まで他人をからかい続けた大妖怪は、ようやく愛らしい寝顔を晒し夢の世界へと旅立った。

 

「……寝顔だけなら、十分子供らしいのだがな」

「そうね」

 

 疲れた様子で溜息を吐く慧音に、心の底から同意しておく。

 幻想郷というシステムを根幹から支える、最強にして至高の妖怪。

 悪戯好きで、口の減らない、迷惑ばかりの――私にとって、大切な友人の一人。

 感謝と慈しみを込めて、私は眠り子の頭を撫で続ける。

 こんな気紛れであれば、付き合うのも悪くはない。

 冬深く、風弱く――今日も、幻想郷は平和だった。

 

 

 

 

 

 

 紫を背負って「翔封界(レイ・ウィング)」で飛ぶ事しばし。

 私は、出会った白狼天狗に以前貰った入山許可証を見せ、妖怪の山の中にある八雲一家の別荘であるマヨヒガを訪れた。

 

「くぅ……くぅ……」

 

 紫は未だ、可愛らしく穏やかな寝息を立てて私の背で眠っている。

 そして、私の目の前には――

 

「ギ、ギギッ……」

「が……げ……」

「ご……べ……」

 

 虫型、動物型、人型、不定形――

 恐らく、紫を待ち構えていたのだろう様々な姿形をした妖怪たちが、死屍累々と虫の息で山積みにされていた。

 それらを生み出した張本人だと思われる前鬼と後鬼が、札で作られた肉体を動かし私へと――正確には、私の背後に居る紫へ深々と(こうべ)を垂れる。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……どうしたの、前鬼、後鬼? あ、ゆ、紫様! アリスさん!」

 

 二体の鬼の巨体の後ろから出て来たのは、傷だらけでボロボロな橙。息も絶えだえになりながら、私と紫を見て驚いた顔をしている。

 彼女の本来の式神は、青鬼と赤鬼。上位互換である藍の式神がこの場に居るという事は、叩きのめした妖怪たち全員にそれだけの実力があったという事。

 

 成程、紫は弱った自分を餌にして有象無象をこの場所におびき寄せたのか。

 目的は、定期的な「しつけ」と橙の鍛錬といったところかな。

 

 そして、この光景は彼女にとっては私たちとの「暇潰し」以下の価値しかない。

 どうでも良いから。興味がないから。

 だから、紫はこの場の何も知る必要はないとまどろみを続けている。

 彼女から見限られた者は、こうしてただ当たり前のように打ち捨てられていく。

 他にも幾つか目的があるのかもしれないが、私が推測出来るのはその程度だ。

 

「橙、お疲れ様」

「は、はい。ありがとうございます」

「こっちへ来て――「治癒(リカバリィ)」」

「あ、えと……恐縮です」

 

 せめて傷は塞ごうと、紫を背負ったまま片手を伸ばし橙へと自己治癒能力を高める呪文を掛けてあげる。

 

「ふ、ぁ……」

 

 淡く光る手の平から魔力が流れ、妖怪特有の治癒力と合わさって急速に身体に付いた大小の怪我を塞いでいく。

 じんわりと染み入るような暖かさを伴う治療に、僅かに緊張感を引き摺っていた猫娘の表情も緩んでくれる。

 

「紫を家まで運びたいの。頼めるかしら」

「え、ぁ、はいっ、解かりました。少し待って下さい――」

 

 粗方の治療を終え、軽く背の荷物を見せながらそう頼めば、軽く呆けていた橙は慌てて頷き何かを念じるように瞳を閉じて両手を合わせる。

 それは、式術を介した念話だったのだろう。私たちの傍にスキマが開き、橙の主人であり紫の従者である藍が進み出て来た。

 

「手間を掛けたな」

「良いわよ、これくらい」

 

 あどけない少女の寝顔に若干渡す事への抵抗を覚えながら、未練を振り切って藍へと紫を手渡す。

 これにて、私の役目は終了だ。

 

「礼に、夕餉を馳走しよう。上がっていけ」

「ありがとう」

「橙、後の始末は前鬼と後鬼に任せて良い。お前も来い」

「はいっ」

 

 ここで目覚められても迷惑なので、何処かへと捨てに行くのだろう。死屍累々の山を両肩に小分けし、のそのそと下山する鬼たちを見送っていた橙が藍に呼ばれて元気の良い返事を返す。

 三人で藍の開いたスキマを抜ければ、そこはもう八雲の屋敷の玄関だ。相変わらず、この家が幻想郷のどの辺りにあるのかさっぱりである。

 

「そういえば」

「ん?」

 

 家に上がり、粛々と私の前で紫を運ぶ藍が不意にポツリと言葉を漏らす。

 

「今朝方、紫様が書庫で自作の資料を探されていてな。結局その時は見つけられなかったようなので、後で私が幾つか候補を見つけておいたのだが――無駄になってしまったな」

 

 藍の見ている方向へ顔を向ければ、開いた障子の先の畳部屋で机に置かれた幾つかの書物が見て取れる。

 部屋に入って本のタイトルを確認すれば、確かに彼女の探していた資料で間違いなさそうだ。

 

「――なるほど」

 

 「子供らしい仕草目録」、「童とのお遊戯百科・完全必勝攻略法」「冬の童歌大全」――

 書かれているのは、そのふざけた表題を真剣に考察し、研究した、微に入り細を穿つ指南書のような内容だった。

 遊ぶからには全力で。

 彼女ほど、幻想郷を楽しみ愛している女性は居ないだろう。

 そのまま大妖怪直筆の資料を読んでいると、主を寝室に届けた藍と橙が戻って来たので本を閉じて再び彼女たちに付いて行く。

 

「藍、今日の夕食の予定は何?」

「そうだな――鶏肉が丁度良い頃合いだ、鍋でもするか」

「手伝うわ」

「私も、お手伝いします!」

「三人も居ると、土間手狭だ。橙、お前は疲労があるだろうから休んでいろ」

「ぇ……」

「主人に働かせたままで、従者が気楽に休めるわけがないでしょう。私は上海と蓬莱で手伝うから、橙も手伝わせてあげて」

 

 そんな狐と猫に挟まれながら、気遣いが空回りする二人の間を取り持つ。

 藍は従者を労う為に、橙は主の役に立つ為に――互いが大事だからこそのすれ違いが、なんだか面白い。

 鍋を食べる前から温かい気持ちにさせて貰いながら、三人で他愛もない会話もしつつ土間へと向かう。

 師と弟子、姉と妹、母と娘――血の繋がりなどなくとも、二人は確かに繋がっている。

 紫と、未来に生きるあの少女もまた、どうやら切れない何かの(えにし)で繋がっているらしい。

 

 上海――蓬莱――

 貴女たちは、私にとってのそんな誰かになってくれるのかな。

 

 彼女たちの関係に想いを馳せながら、不意に私は傍へ飛ぶ人形たちの頭を撫でる。

 今はまだ、造物主の為に動き、戦い、傷付き、そして死ぬ事しか許されない――悲しくも愛しい私の娘たち。

 藍や橙とは余りに違う、意思を持たない歯車と部品の集合体。

 どうか、最愛の子供たちに意思と命と魂を。

 「アリス・マーガトロイド」と――そして、他でもない「私」自身の悲願を成就する為に。

 決意を新たに見上げた逢魔ヶ時の夕焼けは、何処か涙を我慢しているような哀愁が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 今日の倶楽部活動も見事に空振りに終わり、夜食前に軽く暖を取ろうと二人が立ち寄った喫茶店は、壁に幾つかの絵画やブリキの人形などの骨董品が飾られた、落ち着いた雰囲気の店だった。

 

「――へっぷしょっ、くしょっ、くしょっ」

「ぷっ、何そのくしゃみ」

「う゛ー」

 

 入り口から二番目に近い机で、ココアの入ったカップで手の平を温めていた少女の口から繰り返される奇妙な声に、対面の少女が堪え切れずに失笑してしまう。

 くしゃみをしたのは、サラサラと綺麗な金髪が特徴的な何処か神秘的な雰囲気を持つ異国の少女。

 それを笑うのは、とある大学のオカルトサークル「秘封倶楽部」の部長であり、対面の少女の相棒である探偵のような黒いつば付き帽子を被った快活そうな黒髪黒目の少女。

 二人には、普通の人間には持ち得ない不可思議な体質を持っていた。

 金髪の少女は、「境界の境目が見える」能力を。

 黒帽子の少女は、「星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる」能力を。

 人の世にありながら、僅かに人を逸脱した者たち。異端である彼女たちが出会ったのは、ある意味必然だったのかもしれない。

 

「一誹り、二笑い、三惚れ、四風邪だっけ? おめでとう、ぎりぎり風邪じゃないみたいよ」

「一体誰に惚れられるって言うのよ」

「そりゃあ勿論、「向こう側」の住人に決まってるじゃない」

「笑えない冗談ね」

 

 注文したブラックコーヒーに砂糖とシロップを幾つもぶち込む黒帽子の少女のブラックジョークに、金髪の少女が眉をひそめてココアをすする。

 実際、「境界の向こう側」に一体何があるかを二人は知らないのだ。

 何があるのか、或いはないのか――住人が居るのかどうかすらも定かではない。

 曖昧で、適当で、信憑性の薄い与太話。

 

「見えないものが見える力、か……」

 

 しかし、実際に「見える」者からすれば、それは紛れもない現実に違いないのだ。

 

「お、またなんか見えたの?」

「えぇ。最近、「裂け目」に届かないくらいの小さな「綻び」をあちこちに見掛けるようになったの」

「何それ。まさか、世界全体の「境界」が揺らいでるとでも言いたいの?」

「知らないわよ。お陰で視界がもの凄く悪くて、講義を受けるのも一苦労ってだけ」

「切っ掛けとか、何か思い浮かばない?」

「そうね……」

 

 問われ、金髪の少女は唇に人差し指を当てて小首をかしげながらしばし黙考し――何かを思い至ったのか、一度小さく頷いた後に首を振った。

 

「うん――言いたくないわ」

「えぇぇ!? 散々もったいぶっといて、刺激に飢えた視聴者に餌を与えないとか、鬼畜の所業よ!?」

「知らないわよ。言いたくないから、言いたくないの」

「けちー、けちんぼー」

「けちで結構」

 

 子供っぽく拗ねる相棒へ、国籍不詳の少女は片目をつぶり舌をペロリと出しておどけてみせる。

 

「ま、何かあったら相談してよ。「裂け目」の向こう側に行けるなんて事になったら、絶対付いて行くから」

「はいはい。その時私に悲鳴を上げる時間と電話を掛ける時間があれば、仕方がないから呼んであげるわ」

 

 この話題の会話はそこで終わり、今日行った倶楽部活動の内容や近況など他愛のないお喋りへと舵を切る。

 何時も通りの、当たり前の日常。

 少しだけ不思議で、それでも揺るぎない現実を「当たり前」として受け入れる事が出来ていた日々。

 しかし、その日を最後に――そんな曖昧な境界はあっさりと崩れた。

 次の日。

 金髪の少女は大学を欠席した。彼女にしては珍しい、無断欠席だった。

 その翌日も、翌々日も、彼女は学校へは来なかった。

 そして、四日目――

 

「ったく……」

 

 悪態を吐く黒帽子の少女が訪れているのは、金髪の少女が間借りしているアパートの一室。

 否――()()()()()場所だ。

 室内には、何もなかった。

 家具も、本も、服も、布団も、食料も――当たり前だ。何せ、アパートの大家はその部屋を「空き部屋」だと言い切っていた。

 大学の在籍表からも、生徒や教員たちの記憶からも、写真や画像のデータからも――彼女という存在がこの地、この場所に居た痕跡の全てが消失していた。

 少々浮世離れした雰囲気を持つ忘れ物の多い少女だったが――彼女はとうとう、自分自身を浮かしてなくした。

 きっと、悲鳴を上げる時間も電話を掛ける時間もなかったのだろう。

 

「――今日は、絶好の倶楽部活動の日和ね」

 

 ただ一人、覚えているのは友人であり相棒である黒帽子の少女だけ。

 それだって、事実かどうかを証明する方法はない。彼女以外の全てが、世界が、「彼女」の存在を否定している。

 それでも、黒帽子の少女――宇佐見蓮子は立ち止まらない。例え、自分自身すらあの金髪の少女の名前を忘れていたとしても。

 手元に残った鍵は、たったの二つ。

 蓮子だけが呼んでいた彼女の渾名と、携帯端末に残った渾名と一致する名義の登録情報。

 

「自分だけ楽しもうったって、そうはいかないわよ――()()()

 

 本日の活動内容は――自分をなくしたうっかり倶楽部員のお迎え。

 やるべき事は単純明快。

 迷いようがないのに、不安になるのはただの阿呆だ。

 愛用の帽子を下げ、オカルトサークルの部長は不敵に笑う。

 その日――黒帽子の少女もまた、友人を追うように姿を消す。

 行き着く先は、(ゆめ)か、(うつつ)か、幻想(まぼろし)か――

 その答えを知る者は、もうこの世には存在しなかった。

 




メ「私、メリーさん。今、幻想郷に居るの(多分)」
蓮「一人でお楽しみとか蓮子ちゃん激おこ。今すぐ行くから、ちょっとそこで待っとれや」

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