吐く息が白くなるほどの寒気が蔓延する、冬の人里。
人間たちが皆一様に厚手の服装で往来する通りで、長袖の白装束に編み笠を被った錫杖を持つ短めの金髪をした女性が、歩きながら物珍しそうに周囲へと視線を巡らせていた。
「ほー、ここが幻想郷で最も人間が集う集落ですか――」
彼女の名は、寅丸星。
虎の化生でありながら、かの毘沙門天の代理としての役割を地上でこなす事が
「ご主人、余り余所見をするものではないよ」
そんな星の隣を歩く、同じ編み笠を頭に乗せた灰色のワンピースを着る背の低い少女――ナズーリンが、呆れの色を滲ませて女性を嗜める。
ネズミの妖怪である彼女の立場は、天上におわす毘沙門天から遣わされた代理者の監督役兼監視役。
街中の平素な情景を珍しがるという事は、その土地に明るくない余所から来た者であると周囲に喧伝しているに等しい。
余所者や新参者は、現地での地盤や背景がない為とかく軽く見られ易く、それが転じて揉め事を引き寄せ易い。
外の世界から幻想郷へと訪れ、秘密裏に目的を達成しようとしている今の彼女たちにしてみれば、星の態度は余り褒められたものではなかった。
「す、すみません」
「いいさ。貴女の心情は、理解しているつもりだ」
慌てて編み笠の端を摘まんで顔を隠す主へと、従者は皮肉気に肩をすくめておどけてみせる。
人間の里である為、見掛ける者の大半は人間だ。しかし、時折妖精や妖怪など明らかに人間ではない者も平然とその異質な羽や角などを晒し通りを歩いている。
妖怪が本能と快楽に任せ人間を襲い食い、人間がその鬱憤を晴らす為に弱い妖怪をなぶり殺す――そんな、血で血を洗う残酷な時代を知る者からすれば、目の前にある光景に感動を覚えるのは当然だと言えるだろう。
しかし、心情を理解出来るからといって己の主が迂闊な行動をして良いという理由には、当然なりはしない。
「そ、それにしても、随分と賑やかですがここは何時もこんな調子なのでしょうか」
お目付け役からのお小言を回避する為に、やや強引に話題を転換させようとする星。
自分の為を思って忠告してくれるのはありがたいが、何度も繰り返されていれば苦手になるのも仕方がない。
「私に聞かれても、解かるわけがないだろう。疑問があるのなら、解かる者に聞かねばね」
言うが早いか、ナズーリンは近くにあった蕎麦の屋台へと近づきのれんを潜る。
「店主、かけを二つ。ネギは抜いてくれ」
「あいよ」
「ナズーリン?」
「安心したまえ。醤油、味醂、椎茸、昆布――出汁にも添えの具材にも、なまぐさ物は使われていないよ」
「いえ、そういう事ではなくてですね」
従者の意図が解からず問い掛ける主人へと、見当違いの答えと理解しながら獣としての嗅覚を活かし出汁の材料を言い当てるナズーリン。
彼女たちは、人里へと入る前に道端にポツリと建っていたとある古道具屋で要らない外の品を買い取って貰い、少ないが幻想郷で利用可能な金銭も持ち合わせていた。
情報の収集であれば、使い所として十分妥当だろう。
「ところで、店主。空気が浮ついているが、今日は何か催しでもあるのかい?」
「なんでぇ、知ってて来たんじゃねぇのかよ」
「すまない。人間の里に来るのは、久し振りなものでね」
茹で上がる麺と立ち昇る湯気を眺めながら、何気ない口調で店主の男と世間話を始めるナズーリン。
因みに、彼女の言葉に嘘はない。外の世界では、星とナズーリンは人の寄り付かない山奥の廃寺を住居としていたからだ。
「今日は、人里を西に出たすぐの所で「らいぶこんさぁと」って祭りをやるんだと」
「ほう、ライブコンサートとは。誰ぞ、歌でも披露するのかい?」
「歌もそうだが、人形を使った芸もやるんじゃねぇか? なんせ、今回の祭りもあの人が音頭を取ってるって話だからな」
「今回も」という事は、主催者はこの幻想郷という土地でそれなりに認知度の高い人物なのだろう。
人里の事情だけであればまだ誤魔化しも効くが、里の外でも周知の情報を知らない事を悟らせるのは余りよろしくない。
故に、会話の中で語られないその名が告げられる事を期待しつつ、ナズーリンは問いを重ねる。
「そうか――だが、里の外で大規模な行事を行うというのは少々危険ではないかな?」
古道具屋で聞いた情報によると、人里は妖怪からの不可侵を約束された場所であり、逆に一歩でもこの集落から外に出た場合人間の安全は保障されなくなるという。
里の活性化に繋がる催しは結構だが、わざわざ観客を危険に晒してまで外で行う理由は限られる。
賢将の疑問は、その理由を推測出来た状態での答え合わせの意味合いが強い。
「まぁ、妖怪や騒霊たちが集まって開く祭りだ。まるで恐ろしくねぇって言やぁ嘘になるがな――それでも、あの人のやる事なら心配は要らねぇだろうよ」
里の中で催しを開けないのは、主催者側の人員が人間に警戒され人里での滞在に制限が掛けられているから。
「――そうか。「あの人」は、随分信頼されているようだね」
「あぁ。魔法使いだからってだけで嫌ってる連中もまだまだ居るがよ、もう何年も里の為に色々やってくれてんだ。信じてやりてぇじゃねぇか」
そして、そんな警戒されているはずの妖怪が人間から信用されている。
まだ完全ではないという点を差し引いても、驚愕せずにはいられない。
「……っ」
「……ふぅっ」
言葉もなく、話を聞いていた星の顔に隠しようもない動揺が浮かぶ。そして、またもやそんな迂闊な態度を見せる純心な主人へとナズーリンが小さく溜息を吐いた。
「ほれ、この前配ってたチラシだ。良ければ持って行きな」
「これはかたじけない」
店の中をしばらく漁っていた店主が、星の変化に気付かないまま一枚の紙をナズーリンへと渡す。
『第一回 幻想郷ライブコンサート!』と銘打たれたそれは、背景の絵に主催者たちの写真を切り取って張り合わせる手法で構成された広告だった。
恐らくは姉妹なのだろう、それぞれに楽器を持つ星や月のマークを頂点に乗せた帽子を被る三人の少女たちを中心にして、歌い手と思わしき羽を生やした妖怪の少女が両手を広げた姿でその正面に据えられている。
彼女たちの背後を飾るのは、コミカルな描写で描かれた沢山の音符と歌い踊る同じ姿の人形たち。
主催者の名は――
「アリス・マーガトロイド……」
忘れられた者たちの楽園へと辿り着いた者が口にした名は、人形を扱うという人間に親和的な魔法使い。
彼女たちが本当の意味で、七色の魔法使いという存在を理解するのは――異変の最中と、その結末の後となるだろう。
今はまだ、何も知らない彼女たちに映るその名は、如何なる意味も持ち合わせてはいなかった。
◇
草木も眠る丑三つ時。
一部を除き睡眠の必要がない存在だからこそ許される三日間徹夜という強行軍の末に、私の自宅へと頼もしい同士たちが集結していた。
大々的に告知したライブコンサートまで、残す時間は後少し。次の日の出によって始まる大きな宴を前に、席に着いた半数以上からほど良い興奮や緊張が感じ取れる。
まさか、先々月に行われた宴会での笑い話が勢いのままこうして実を結ぶとは――実に感無量だ。
「――皆、席に着いたわね。それじゃあ、最終確認を始めましょうか」
今回の発起人であり、司会進行として一人前に立つ私の言葉に皆がしっかりと頷いてくれる。
この催しが成功すれば、きっと次回開催への気運も高まってくれるに違いない。
というか、お試しとしての自費公演だから大赤字上等で溜め込んだ私財の七割近くを注ぎ込んだんだよ? 成功して貰わんと、ほんと困る。
これから先、楽器妖怪だったり能楽お面少女だったりとの出会いが待ってるんだし。
目標は、目指せ紅白歌合戦だ!
今回のような歌や音楽だけではなく、エンターテイナーとしての矜持を持つ者たちが一同に会しお互いの技術を披露し合える。
皆の晴れ舞台を見る為に――何より、他の者の舞台を通じて自らの技術と向上心を高める為に。
そんな、切磋琢磨を促す芸術の祭典へと発展する事を願う私にとって、このライブコンサートへの期待はとても大きい。
「にとり。会場の設営は、どんな塩梅かしら?」
「ばっちりばっちり。萃香様も乗り気でじゃんじゃん働いてくれたから、最終チェックもオールオーケーだよ」
「――自爆装置は、ちゃんと外したの?」
「う゛……やっぱり、外さないと駄目?」
技術力は高いものの、悪戯心と浪漫を追い求めるにとりに釘を刺してみれば、案の定だ。
本当であれば、格安で仕事を引き受けてくれた彼女の我侭くらいは許容してあげたいのだが、もしも天狗の記事等でその情報がスッパ抜かれた場合コンサートそのものの開催が危うくなる。
「えぇ、外さないと駄目。この催しを次回以降へ繋げる為に、人間を不安がらせるわけにはいかないの。我慢してちょうだい」
「うぅ……はーい」
申し訳なく思いながらもしっかりと諭せば、にとりも不承不承と頷いてくれる。
彼女に対する報酬の上乗せを頭の中で考えながら、私は続いてその隣に座る古道具屋さんへと話を向ける。
「霖之助さん、小道具と衣装については?」
「先ほど、最後の確認が終わったよ。破損やほつれなどもなく、全て万全の状態だ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
天下の河童には劣るとはいえ、十分過ぎるほどの手先の器用さと――何より、その博学を下地にした高い適応力には随分と助けられた。
衣装係が私一人だと心許ないので増援として依頼したのだが、払った料金分以上の働きを披露してくれて本当に感謝しかない。
彼が居なければ、今頃私たちはこんなにも余裕を持って朝日を待つ事は出来なかっただろう。
「てゐ、準備は良いわね?」
「ひひひっ、こんな儲け話で抜かりなんてあるわけないウサ。後は、そろばん片手に珠を動かすだけウサよ」
悪どい笑みに取って付けた語尾を加えて、老獪な兎詐欺師が鷹揚に頷く。
彼女に頼んだのは、ライブにおけるいわゆるグッズの販売だ。
人里からも屋台の募集を募っているが、やはりライブにはこういうお店が必須だろうという私の独断と偏見により、プロマイドに団扇にTシャツなど基本を押さえた品揃えを用意してみた。
啖呵売のプロである彼女に任せておけば、まず間違いはないだろう。売り上げた収益は、興行収入と合わせてこの場に居る全員で山分けする事になっているので、やる気も十分だ。
「ルナサ、メルラン、リリカ――それに、ミスティア。いよいよよ」
最後に呼ぶのは、にとりたちとは反対側に座る大舞台のメインを飾る花形の面々。
彼女たちに関して言えば、私はほとんどノータッチを貫いている。行ったのは、時折舞台の演出についての要望を聞き可能か不可能かを答える程度だ。
同じ芸術畑とはいえ、私は演出家で彼女たちは演奏家。あれこれと口を挟むより、専門家に任せた方が彼女たちとしても動き易いだろうとの判断だ。
「無駄に緊張させないで……やるだけはやったわ」
眉間に皺を寄せた、難しい表情のルナサ。
「いけるよいけるよー! ここまでお膳立てされて、燃えない方がどうかしてるって! わふーっ!」
両腕を上げて、元気一杯にやる気を見せるメルラン。
「だいじょぶだいじょぶー。やるだけやるだけー」
緊張など無縁だと言わんばかりに、何時も通りのほほん顔で答えるリリカ。
ここまで大掛かりな舞台は始めてだと言っていた、三姉妹の士気は上々だ。
「はぁっ……確かに、皆の前で歌いたいって言ったのは私だし。ここまで来たら、逃げも隠れもしないわよ」
屋台の女将から歌姫にジョブチェンジしたミスティアも、諦め気味の溜息を吐きながら何処か楽しげな表情をしている。
人形劇や演奏の舞台を行うに辺り、決して欠かす事の出来ない重要な要素が二つある。
一つは、壇上へと立つ出演者。
そしてもう一つは、私たちの芸を見る観客だ。
私たちは、ただ人間を楽しませたいのではない。
観客という衆人環視の目の前で、最高の舞台を披露したいのだ。
そしてなにより、私はそんな彼女たちの姿をこの目に焼き付けたい。
叶うならば、観客の笑顔と万雷の拍手にて幕を下ろせますように――
私だけではない。
主演となる三姉妹やボーカルのミスティアは勿論、裏方であるにとりや霖之助もこの初めての挑戦を成功させるべく今まで頑張って来た。
これだけのメンバーが集まって、失敗に終わる場面など見えるはずもない。
ならば、後はこれから始まる夢のような一時を全力で楽しむだけだ。
「それじゃあ、皆――」
諸君――
「派手にいきましょう」
派手にいこう――
祭りの前の、最後の夜。
私の宣言と共に、大半の確信とほんの少し不安を乗せて、
◇
一夜明け、絶好のライブ日和である快晴となった幻想郷。
人里に隣接されたライブ会場では、早くも多くの人間たちと人間以外の者たちで溢れ返っていた。
数百人規模を想定した、段状の観客席。その正面に設置された、巨大な壁を背にする半円上の巨大な舞台。
舞台の壁には、赤や緑や黄色など複数の色を使い乱雑に塗り散らしたような力強いタッチで、大きく『第一回 幻想郷ライブコンサート!』と今回の表題が解かり易く書きなぐられている。
「小悪魔、小悪魔! 綿菓子よ! 私、アレ大好きなの!」
「おっととと。妹様、あんまりはしゃぐと日傘が逸れてしまいます」
観客席の裏で立ち並ぶ屋台の中、早起きした吸血鬼姉妹の妹であるフランが彼女の為に日傘を持つ小悪魔を揺らしてお菓子をせがむ。
「まったく、フランは何時までも子供ねぇ――咲夜、私は水飴が食べたいわ」
「では、まずはその両手にお持ちのたこ焼きと焼きとうもろこしとリンゴ飴を食べ終えてから、買う事にいたしましょう」
同じく咲夜に日傘を持たせて日光を避けるレミリアが優雅に命令すれば、瀟洒な従者は口の周りにべったりとソースを付ける当主へと至極当然な答えを返す。
門番と図書館の魔女は、別々の理由でお留守番だ。
四人は自分たちの食事は勿論、彼女たちへのお土産を帰りに受け取れるよう屋台の者へと頼みつつ、祭り特有の雰囲気を満喫していた。
「しかし――これほどの規模で人間を人里から出して、安全面は大丈夫なのでしょうか」
襲われるかもしれない人間――ではなく、コンサートを成功させようと奮闘しているアリスたちを心配して、咲夜は傘を持たない左手で自分の頬を撫でる。
「ふむ、確かに申し訳程度の結界は張っているようだけれど……」
七色の魔法使いの気配を感じる外周を覆う無色の結界は、その巨大さ故に限りなく希薄だ。
しかも、結界は弾幕などの外部からの攻撃を弾く為だけに張られている。人外の侵入自体を拒んではいないので、これでは人食い妖怪が紛れ込み放題だ。
「人間がどれだけ死のうと知った事ではないけれど、公演中に襲われたら見世物どころじゃなくなりそうね」
「――そんな時は、私が対処してあげるから安心なさい」
「――っ」
レミリアが漏らす答えを求めぬ何気ない問いへと、別の第三者が答えを返す。
彼女の歩みを前に雑踏の波が自然と割れ、同じ場所に三つの日傘が咲く。
「久し振りね。風見幽香」
「えぇ、お久し振り。レミリア・スカーレット」
ただ互いの名を呼び合うだけで、どうしてここまで空気が張り詰める必要があるというのか。
彼女たちを中心に、緊張がまるで波紋のように広がり雑踏の音を消していく。
「少しどころではなく意外ね。貴女が、こんな賑わいのある催しに参加するだなんて」
「静かな場所が好きというのは、否定しないわ――私はただ、あの娘に「邪魔者を排除して欲しい」と乞われてここに居るだけだもの」
人間やそれ以外など関係ない。幽香の台詞に、話を聞いていた全員の身体が自然と強張る。
それは、幻想郷に生きる者にとって絶対と言える抑止が知れ渡った瞬間でもあった。
誰であろうと、この場で不穏な態度を見せれば――風見幽香が動く。
この世界のパワーバランスを担う一角と矛を交える度胸のある者など、数えるほども存在しないのは明白だ。
もし、存在するとすれば――それは、彼女を知らない余所者か愚か者か、もしくは十分に理解した上で敵対を選べるような同じパワーバランスを担う者たちだけだ。
「貴女を頼るなんて……聞いてはいたけれど、アリスの意気込みは相当なもののようね」
「最初は、興味もないから断ろうかとも思ったのだけれど――一応、この前の借りは返しておかないといけないものね」
誰もが知る大妖怪の幽香に対し、「借り」を作れる者もまた少数だ。
幸か不幸か――本人の与り知らぬ場所で、またしてもアリスへと謎の評価が付加されていく。
「そういうわけだから、私の事は気にせずに楽しんでいらっしゃいな」
「言われなくともそうするつもりよ――行くわよ、咲夜、フラン、小悪魔」
「はい、お嬢様」
「はーい。またね、幽香!」
「それでは、失礼させていただきます」
レミリアの呼び掛けに応え、三人の少女が幽香に別れの挨拶を告げて舞台の観客席へと去っていく。
幽香は振り返って片手を振り続けるフランへと笑顔を向け、そして会場の外へと足を向けた。
舞台の熱に当てられてやって来るかもしれない、無謀で哀れな闖入者。
来ないのならば、それも良し。上空で、流れて来る音楽に耳を傾けるのも悪くない。
もしも、無謀を知らず獲物が来てくれるのであれば――その時は、相手の身体を楽器に鳴り響く悲鳴を存分に楽しめる。
極悪妖怪として人々から恐怖される淑女が考えているのは、きっとその程度だ。
「――ふふふっ」
意味深に、見るものの背筋を凍らせる美しくも冷たい微笑を更に深めて、幽香は会場を後にした。
暴風にも似た、絶対的強者たちによる僅かな時間の邂逅が終わる。
その場に残された、観客となる一般の者たちはようやく緩和された空気を吸ってほっと一息を吐く。
「……なんていうか、凄ぇな」
小波が返るようにして徐々に周囲の喧騒が戻っていく中、レミリアたちと比較的近くに居た一人の男が言葉もないと呆然とした表情で呟いた。
「あぁ……凄ぇ」
「おっかねぇけど……やっぱ、妖怪って凄ぇよなぁ」
力強いからこそ鮮烈で――
空恐ろしいからこそ美しい――
それは、この催しが思い出深いものになるほど、彼ら彼女らの記憶へと強烈に刻まれる事となるだろう。
もっとも、人間とは喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物だ。その後に残されるのは、刻まれた人外たちの美しさや可憐さだけ。
恐怖を覚え、忘れるからこそ、妖怪の楽土であろうとも人の営みは変わらない。
後に、今度は吸血鬼姉妹やフラワーマスターのライブコンサートが見たいという希望と嘆願が殺到し、阿求を含めた人里の上役たちが頭を抱えるのは、また別のお話。
◇
『それじゃあ、一曲目から全開でいくわよー!』
ステージの中央で、マイクを持った右手を高々と上げるミスティア。
元は外の世界から流れ着いたただの玩具だった物を、霖之助が拡声機能付きの魔道具に改造しているので、彼女の声は会場全体へと余裕で届いている。
そんな彼女の衣装は、ピンクを基調とした袖の長い冬用のロングドレスだ。
袖口やスカートにフリルを多用し、動き易さよりも見栄えを重視した上でセクシーさを演出する為に、胸元には大きなハートマークの切り込みが入っている。
背中の羽根を大きく広げ全力で歌い上げるその姿は、何処か神秘的な雰囲気すら醸し出しているほどだ。
伴奏役である三姉妹たちも、それぞれが普段の服装から帽子と色調はそのままに音楽隊を思わせる格式ばった衣装へと変わり、歌姫の美声に負けじと各々の楽器の音色を響かせる。
彼女たちの更に背後に揃えられているのは、アリスの操る膝丈程度の背丈をした大量の人形たち。
演奏に合わせた一糸乱れぬ動きで、華麗なダンスを披露して更に場を盛り上げる。
全員が全力で、本気の音だ。
勿論、手加減などしていない為その音に乗る各々の能力は完全に垂れ流し状態となっている。
鳥目を引き起こす、夜雀の歌声。
躁鬱を引き起こす、騒霊たちの音楽。
しかし、蓋を開けてみれば観客たちは妖怪と騒霊の演奏に高揚はしているものの、そういった能力の影響は感じられない。
これは、互いの能力が干渉し合う事で相殺され、更に音響の調整役であるリリカの音によって中和される事で純粋な音色としてのみが残されるからだ。
この事実を確認する為に、安い日銭に釣られて連日長時間の実験に付き合わされたなんでも屋の白黒魔法使いという尊い犠牲があった事を、忘れてはいけない。
ステージの壁際でヴァイオリンの演奏を続けながら、ルナサが感じているのは、確かな興奮と感動だった。
自主的であったり、依頼であったり、人間や妖怪を相手にライブを行う事は今までにも何度もあった。
楽しい。
だが、これほどまでに周到に準備を重ねた大舞台は、流石に行った記憶がない。
楽しい――っ。
「あぁ……っ」
思わず、歓喜の声が口からこぼれてしまう。
数える事すら出来そうにない、大勢の観客。
沢山の照明に晒されるステージの中で、高々と響く極上の歌声。
客と演奏者が一体と化した、止まらぬ熱狂。
いけるっ。
これなら、これならきっと――
今度こそ、私たちの音が
「――え?」
そこまで思い至ったところで、急に冷静な部分が彼女の思考を現実へと引き戻す。
騒霊の脳裏へ浮かぶのは、遠い昔の誰かの背中。
色褪せ、くすみ、元の形すら思い出せないほどに風化した――そんな曖昧にすら届かないおぼろげな風景の残滓。
「――♪」
「っ」
突然の動揺を救ったのは、長い年月を共に過ごした彼女の妹だった。
隣に立つメルランのトランペットが一際強い音を奏でる事で、意識を戻したルナサは一瞬だけ止めてしまった演奏を再開させる。
感謝の視線を送れば、実に楽しげに管楽器を吹き鳴らす陽気な少女はウィンクを一つルナサへと向けて小さく肩をすくめて見せた。
あぁ――そうか――
自分がそうであるように、メルランも、そして恐らくリリカも、同じ想いを感じているのだ。
居たのだ、きっと。
自分たちに、この音を届けるべき相手が。
だからこそ、こんなにも誇らしく――
だからこそ、こんなにも口惜しい――
それが「誰」であるかなどは、今は考えるべきではない。
誰でも良いのだ。ここには、自分たちの夢が叶うかもしれない理想の舞台が用意されている。
余計な事など、考えている暇はないはずだ。
ねぇ、聞こえているかしら――
私たちの音は、届いているかしら――
私たちは、こうして毎日元気でやっているわ――
確かに、メルランの騒がしさは時々付き合うのが億劫になる――
リリカの適当さには、何時も困らせられてる――
でも、大丈夫だから――
私たちは、きっと大丈夫だから――
だから、心配しないで――
どうか、安らかに――
愛しているわ――●●●――
鎮魂とするにはいささか騒々しい贈り物だが、あの娘ならばきっと喜んでくれるだろう。
天まで届け、果てまで届け。
開幕して未だ二曲目。騒霊たちの祈りと願いを込めた魂の演奏は、用意した新曲を披露する毎に盛り上がり止まらぬ興奮を引き上げていく。
冬空の下で行われる熱の宴は――まだ始まったばかりだった。
◇
楽しんで演奏するので、頑張って聴いていってね!
ていうか、皆凄過ぎワロタ。
お客さん総立ちじゃないっすか、ヤッフーッ!
私は、見えない魔法の糸で操っているバックダンサーの人形たちと時折視覚を同調させながら、会場の熱狂振りを観察していた。
元々、人里の人々は皆ノリが良いので心配はいらないだろうと思っていたが、ここまで盛り上がってくれるとは仕掛け人冥利に尽きるというものだ。
勿論、こんなにも観客たちが沸いているのは単純にミスティアやプリズム三姉妹の功績だ。
即席アイドルユニットだったけど、流石に三姉妹の方はライブ慣れしてるだけあってミスティアの歌を上手くリードしてる。
――ん? 今、ルナサの音止まらなかった?
何かトラブルかとステージの人形から視線を送れば、虹川長女は特に不調などは感じられず隣の次女と笑い合っている。
聴き間違えではなさそうだが……単純な凡ミスだろうか。
「うははは~っ! どうだどうだ人間共めっ、河童様の技術に恐れおののき狂乱しろ~っ!」
私と同じく、ステージの裏から舞台と観客席を見るにとりは何故か悪役のような台詞を吐きながら、大変楽しそうに手元のコントローラーをカチャカチャと操作していた。
彼女は照明役として、ステージの各場所に配置した色取りどりのスポットライトの操作をお願いしている。
続いての曲は、バラード系のしっとりとした曲調だ。
曲の切り替わりに合わせ、ライトの色も鮮やかなレモンからピンクへと移りステージの雰囲気さえも塗り替える。
イナフだ!
みすちーも虹川姉妹も可愛いし、音楽も演出も上々以上。
こんなの、盛り上がらないわけがねぇ!
今回の外の護りは、万全を期す為に幽香を頼った。例え幻想郷最強クラスから横槍が入ったとしても、彼女が居れば何も心配は要らない。
持つべきものは友人だ。
後顧の憂いはないのだ。私たちは、このステージを全力で完走する事だけで良い。
皆と騒いで、楽しんで。
楽しくて、嬉しくて――本当に、私なんかにはもったいないくらい素敵な光景だよ。
あぁ、祭りが終わっていく――
これは、小さな感傷だ。
この宴は、幻想郷へ新しい催しを根付かせる為の挑戦というだけではない。
皆には内緒だが、万が一を想定した私の為の送別会という裏の理由も隠されている。
人間が好きで、妖怪も好きで。
「私」は偽者で、「アリス・マーガトロイド」なんかじゃない。
でも、それでも――「私」はここに、証を残せたよ。
原作なんて関係ない――そんな、小さくも大きな証を。
だから、もう大丈夫。
例えこの先、どんな事実を突きつけられたとしても――
次の異変に便乗して訪れようとしている場所で、皆と永遠の別れを言い渡されたとしても――
私はきっと――全てを受け入れてみせる。
こうして、夕暮れ近くまで続いたライブコンサートは大成功と言えるだけの十分な成果を残し幕を閉じる。
後に、このコンサートを起源として新春を祝う芸術家たちの催しが幻想郷の文化へとしっかり花開く事を願って。
人間は、人間の技術を。
妖怪は、妖怪の技術を。
弾幕ごっこに似た、異なる種族と文化の交流が後に何を生むのかは、遠いとおい未来での出来事となるだろう。
冷めぬ熱と、止まらぬ拍手。
今はただ、その二つにて壇上の者たちへの祝福が捧げられる瞬間を楽しみの待つのだった。
◇
相変わらず編み笠で顔を隠したまま、星とナズーリンは客席の最後方に作られた立ち見席で、妖怪と騒霊の奏でる幻想の音楽に耳を傾けていた。
妖怪が歌い、人間が楽しむ。
そこには確かに、遠い昔彼女たちが追い求めていたものの全てがあった。
「……ナズーリン」
「なんだい、ご主人」
なのに……
「私は、この光景を尊いと思います。そして、素晴らしい光景だとも」
なのに……
「なのに……何故でしょう、ナズーリン」
どうして……
「私は……この光景を、どうしても
「――ご主人、私はすでに伝えたはずだよ。貴女の心情は、理解しているつもりだと」
泣きそうな表情に歪む主人の顔を見ず、ステージへと目を向けながら従者のネズミが素っ気ない態度で言葉を送る。
解っているのだ。どうしようもない事だと。
この時代のこの場所へと、もしも聖が生まれていれば――あんな悲劇は、起きなかったのではないか。
そんな「もしも」を願ったとしても、過去は何一つ変わりはしない。
彼女が封印された事も、毘沙門天の代理として聖と敵対し人間に手を貸した事も――
そして最後に、星自身が己の手で彼女を封印した事も――
他ならぬ、聖自身がそれを望んでいたからとて――それが一体、なんの救いになるというのか。
「――行きましょう、ナズーリン」
自分は、ここに居るべきではない。
言外にそう語りながら、編み笠を深く被り直した星がステージから逃げるように視線を離し会場から立ち去り始めた。
「あぁ。村紗たちも、随分待たせてしまっている事だしね」
主人の苦悩を理解しながら、その傍に付き従う事しか出来なかった従者もまた、編み笠を指で引下げ後を追う。
星の抱える深く暗い贖罪の念を晴らせるのは、今も昔もたった一人だけしかいない。
「もっとも、もう何百年も待たせていたんだ。今更もう少し長く待たせたところで、特に問題はないだろうがね」
その一人を救う為に、古巣を捨ててまで遥か遠いこの地へとやって来たのだ。
もう二度と、彼女を失わない為に。
今度こそ、彼女の目指す理想を現実とする為に。
シャランッ、と澄んだ音色を奏でる錫杖の音がステージからの大音響に押され、誰にも届く事なく立ち消えていく。
もし、現地の者と争う事になるならば、それもやむを得ません。
全ての障害を乗り越え、決死を超える覚悟にて完遂するまでです。
彼女を救い出せるのであれば、己の命でさえ惜しくはない。
狂信にも届く決意を秘め、幻想郷へと辿り着いた二人の強者が再起を賭けて身をひそめる。
かつての仲間たちが集い、一歩、また一歩と着実に足音が近づいて来る。
未だ春告精の気配はなく、雪解けの息吹きは聞こえず――ただ、静かに足音だけが近づいて来る。
全てを受け入れる幻想郷へと、避けようもなく、どうしようもない――異変と言う名の嵐が迫る。
それはそれは、優しく、残酷で、何より刺激に満ちた御伽話になりそうだった。
◇
追記。
ライブコンサートが終わり、私の家では萃香や幽香も加えた協力者全員が集う祝賀会が開かれていた。
ライブの映像はにとりに頼んでばっちり録画したし、痛んだ懐もある程度は資金を回収する事が出来たので、私的には満足しかない結果だ。
「最初の曲でいきなり姉さんの音が途切れたから、びっくりしちゃったわっ」
「悪かったわよ、メルラン。でも、貴女も四曲目で音程間違えてたじゃない」
「アハハッ。リリカだって六曲目でやってたし、大目に見てよっ」
「おーう、とんだとばっちりだー」
「まぁまぁ、楽しかったから良いじゃない」
「みすちーマジてんしー」
三姉妹は、ミスティアと一緒に出来立てのピザを摘みながら今回のライブについての反省点を話し合っている。
普段は私のような無表情が多いルナサも、今ばかりは奇麗な微笑を浮かべている。
勿論、メルランもリリカも、そしてミスティアも皆がライブの成功を笑顔で喜んでくれていた。
「結構盛り上がってたじゃないか! 酒の肴にするにも丁度良いし、いっそ毎日やりなよ! うん、それが良い!」
「いや、毎日やるのはちょっと予算の都合上難しいんじゃないかなぁ、と……はい」
「あ~ん、わたしの言う事が聞けないっていうのか~い?」
「ひゅぃぃぃ……ア、アリス~」
萃香の絡み酒に捕まったにとりから救いを求められるが、私に出来るのは上海と蓬莱を使ってこっそりと合掌を送る事だけだ。
「私がこの場に居る必要性を、感じないわね」
「そんな事はない。今回の催しは、君のお陰で成功したようなものだ。せめて、僕たちからの感謝の気持ちくらいは受け取って欲しいね」
「要らないわよ」
「折角のお祝いなのに、無粋な事は言いっこなしだよ。宴会は、皆楽しくハッピーが一番ウサ」
団体を好まない性分からか、僅かに苛立っているようにも見える幽香へと霖之助が物怖じする事なく感謝を伝え、塩漬けしたジャーキーを口にくわえるてゐが彼女のコップへと適当に酒を注ぐ。
軒並み精神年齢が高い為取り立てて騒いではいないが、静かに酒を飲むのも宴会の楽しみ方の一つだろう。
私は、どのグループの席に混ざるかしばらく迷った後、反省会を継続するステージメンバーに合流する事にした。
飲んで、騒いで――もう次の話をしている辺り、皆も今回のコンサートで十分な手ごたえを感じてくれているようだ。
未来は見果てぬ先にあれど――
どうか、その「次」に私が居られますように――
私は皆の笑顔の中でそんな小さな願いを見えぬ星へと祈りながら、酒の入ったコップを傾けるのだった。
じわじわ来る(異変が)
さて、次はちょっと話数の多い群像劇リベンジを予定。