東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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タイトルの元ネタを調べてはいけません(戒め)


63・慧音と妹紅が幸せなキスをして終了する話

 災厄の先触れか、天変地異の前触れか――白澤の半獣である慧音が風邪を引いた。

 いきなりで申し訳ないが、私もかなり驚いている。

 

「――ずびっ、不覚……」

 

 白澤様ェ……

 貴女、確かこの前永遠亭で「私は、毒とか病気には耐性があるから(どやぁ)」うんぬんって言ってましたよね?

 

 あの時語った言葉に嘘がなければ、その耐性とやらがあった上で病気になるほどの不摂生な日々を送っていたという事だ。

 頭に氷のうを乗せ、布団の中で鼻を啜る慧音を心配しつつ思わず白い目を向けてしまう。

 今私の居る場所は、人里の近くに建てられた慧音の自宅だ。時間帯は、日が西に傾いた夕暮前といった辺りか。

 人里で良い茶葉と茶菓子が手に入ったのでたまには慧音とお茶をしようと訪ねてみれば、風邪っ引きの彼女を妹紅が看病し永琳が診察している場面だった。

 月の薬師が診察に出向くとは大変珍しい事態だが、どうやら慧音を心配した妹紅が無理を頼んで引っ張って来たらしい。

 

「連日の徹夜続きに、昨日の満月による獣化と歴史()()編纂()――身体に無理をさせ過ぎて、体力と免疫力が低下したのね。早死にでもしたいのかしら?」

「まったく、自分の身体も少しは労わりなよ」

「ふ、普段はもっと、ちゃんとしているさ……このところ、色々忙しかったりどうしても断れない人里の懇親会などが重なってしまって……」

 

 二人から呆れ顔で見下ろされ、慧音は言い訳がましくゴニョゴニョと呟きながら布団に顔を埋めていく。

 

「薬は置いていくから、時間通りに飲んでおきなさい。それと、明日一日は安静にしている事」

「そ、それは駄目だ。明日は、朝から寺子屋で授業が……っ」

「それこそ駄目よ。子供たちに、貴女の風邪がうつったらどうするの」

「う゛ぅ……」

 

 永琳のもっともな意見に、慧音は何も言えずに呻くしかない。

 そんな不満顔の女教師へと、薬師の細い手の平が伸びた。

 病によって熱を帯びた慧音の頬に右手を添え、子供に言い聞かせるようにして永琳が語る。

 

「せめて、生きている内は周りを悲しませてはいけないわ」

「……」

 

 生物は、必ず死ぬ。それは完全なる離別であり、どんなに高尚な理屈を重ねてもその出来事は悲しみと苦しみを伴うのだ。

 その存在が大切であればあるほど、それをなくすなど到底出来はしない。

 

「……すまない」

「謝る相手は、私ではないわね」

「そうそう、まずは自分に謝らなきゃね」

 

 取り残してしまう側の慧音が視線を逸らせば、永琳がその謝罪の受け取りを拒否し、重くなった空気を払拭するように努めて明るく妹紅が笑う。

 

「明日の寺子屋は、妹紅にでも事情の説明を頼んでお休みにしなさい」

 

 教師役である慧音が動けないのであれば、当然の提案だ。

 だが、どうやら半獣先生はたった一日ですら子供たちから教育の機会を失わせたくはないらしい。

 

「……アリス」

「何?」

 

 慧音が身体を起こし、汗を掻いた彼女の身体を拭く為に土間で桶に「浄結水(アクア・クリエイト)」で水を溜めていた私へと声を掛けて来る。

 

「私の事情は今聞いた通りだ。お前に、明日の寺子屋の授業を依頼したい」

「……本気なの?」

 

 慧音は、私を人外として警戒していたはずだ。そんな彼女が大切な生徒たちを私なんかに預けようなどとは、熱で頭が働いていないとしか思えない。

 

「――以前から、一度折を見て依頼をしてみようとは考えていたんだ」

 

 軽くうつむき、人里の守護者はポツポツ内心を語り始める。

 

「幻想郷は今、大きな変化の中にある。妖怪の脅威が減り、人間と人外の距離が縮まり、今までにはない新しい絆も生まれ始めている――一昔前では、想像も出来なかった事だ」

 

 始まりは、スペルカード・ルールの普及。

 人間を食う妖怪が、居なくなったわけではない。

 夜の闇が、安全になったわけでもない。

 それでも、一部の者たちはその変化を受け入れ始めた。

 外なる脅威として恐れられるだけだった妖怪たちが、当たり前のように人里の路上を歩き店を冷やかす。

 以前よりも多く。

 以前よりも当たり前に。

 

「私は歴史を知る者だ。そして、妖怪やそれらに属する者たちの恐ろしさを知っている……だが、それでも、不安や危険を理由に子供たちに新しい時代への見識を学ぶ機会を奪いたくはないんだ」

 

 恐らく、何年もの間ずっと一人で悩んだ末に出した答えなのだろう。正しさではなく、誠実さでもない、ただ子供たちにより良い未来を見つけて貰う為の身を切るような決断。

 

「実は、生徒たちの親にはもう随分前に許可を貰っているんだ。今まで頼まなかったのは……ただの怯えだな」

 

 保護者としての心配と、教育者としての矜持。

 そんな彼女の真摯な願いに、友人として応じないわけにはいかない。

 

「一つだけ聞いておくわ――私で良いのね?」

「あぁ、お前で良い。授業の予定や内容も、全てお前に任せる」

 

 慧音の目的は、人里の子供たちに人外たちと直に触れ合う機会を作る事。

 そのたった一度の機会を、私一人で済ませてしまうのは余りにもったいないというものだろう。

 

「永琳、妹紅」

 

 だから、私は遠慮なく私の友人たちを頼る。

 名前を呼んだ二人がこちらに顔を向けたのを確認し、私は彼女たちにある問い掛けを送る。

 

「明日、私に雇われてくれないかしら?」

 

 依頼を受ける以上、その達成に全力を傾けるのは当然だ。

 未来ある子供たちに、最高の授業を。たった一日だけの特別な事情であろうと、私は手を抜くつもりなど微塵もなかった。

 

 

 

 

 

 

 さて、本日は快晴なり、と雲一つない見事な青空となった翌日の朝。

 冬の始まりから半ばへと季節が傾き、日を追うごとに空気へと更なる寒さが加えられていく人里の一角で、平屋建ての建物に一同が集う。

 あれからもう少しだけ人員を集めた結果、これから子供たちへと行われる特別授業の時間割りは、次の通りに決まっていた。

 

 一時間目 【算術】 八雲 藍

 二時間目 【心理学】 八意 永琳

 三時間目 【体育】 藤原 妹紅

 四時間目 【道徳】 八坂 神奈子

 五時間目 【図画工作】 アリス・マーガトロイド

 

 ――え? 何この既視観(デジャヴ)。これからラスボスでも蹂躙しに行くの?

 ていうか、このメンバーなら私いらなくない?

 いやいやいや、確かにあの後藍と神奈子には人里で偶然出会ったから、駄目元でお願いはしたよ。

 でも私は、二人に橙と早苗に伝えてねって頼んだはずだよね。

 永琳にも、鈴仙かてゐに聞くだけ聞いてみてってぐらいの、断られるのを前提でお願いしたつもりだったんだけど……

 なのになんで、伝言を頼んだ本人たちが直接来てるの?

 

 想定していた以上に、壮絶な顔ぶれが揃ってしまった。

 どういう思惑なのかは解からないが、教師役の半数以上が各々の組織の重役である。正直に言って、すでに胃が痛い。

 

 オ、オーケー、落ち着け私。

 別にこれから最終戦争(ハルマゲドン)が始まるわけじゃないんだから、大丈夫大丈夫。

 

 依頼した手前強くは言えないが、重鎮なら重鎮らしくこんなにも簡単に腰を上げないでほしいものだ。まぁ、本人たちにとっては単に暇潰しの一環でしかないのかもしれないが。

 本日集まった生徒たちは、男女を合わせておおよそ十五人程度だろうか。

 慧音ではなく私たちが現れた事で顔を輝かせたり不安そうに眉を下げたりしている少年少女たちに、私が代表として事情を説明する。

 時は金なり、だ。その後すぐにトップバッターである藍先生が点呼を取り、座卓を並べた畳部屋の教室にて本日の授業を開始した。

 子供たちが来る前に職員会議をして、スケジュールの管理もばっちりである。

 主に意見をまとめたのは、藍と永琳と神奈子だが。

 

 いや。私もね、呼び掛け人として頑張ろうと思ってたんだよ。

 でもね、あの三人が真剣に話し合いをしてる場に割り込むとか、私には無理ゲーだったよ……

 

 授業を行う教室から二部屋ほど離れた、慧音の職員室として使われている広い板張りの室内が私たちの控え室だ。

 教室の一番後ろの棚へと配置した上海が記録する映像と音声を受け取り、職員室の一方の壁へと蓬莱の両目から藍の授業風景を映し出す。

 待っている間の話の肴にしようとやってみたが、これは自分が授業を行う際の予習にもなりそうだ。嬉しい誤算というやつである。

 

『お前たちの中には、勉学を無意味と感じている者も居るだろう』

 

 慧音の自作という白のチョークを使い、黒板につらつらと問題文を書きつつ藍は子供たちへ向けて言葉を続ける。

 

『文字を覚えれば、瓦版や新聞を読む事で昨今の事情に明るくなれる。計算を覚えれば、日常の益となり目指せる職の幅が広がる』

 

 問題の内容は簡単な四則演算が中心だが、後半から分数や括弧閉じの計算式が含まれている事に教師としての悪意を感じざるを得ない。

 

『教師である私たちは、ただ与える事しか出来ない。身に付けたそれらを生かすか殺すかは、お前たちの考え一つで変わる事を覚えておけ』

 

 橙の師を務め、長く幻想郷の管理者代理として人間を見て来たからこその含蓄だろう。

 計算に悪戦苦闘する生徒たちをそのままに、藍は回答へのヒントなどを黒板に追加しつつ視覚と聴覚という二面での授業を継続していく。

 

「――堅いね」

「堅過ぎるだろう」

「堅いわね」

 

 それを見ていた私以外の反応は、予想以上に不評だった。上から目線とも言う。

 因みに、頭から妹紅、神奈子、永琳の評価である。

 

「橙は時々竹林に来るから知ってるけど、藍ってあんまり接点ないんだよね。橙の修行も、あんな感じで指導してるのかな」

「厳しさは期待の裏返し、か……それにしても、もう少し子供相手のやり方があるでしょうに。生徒たちも、威圧的な雰囲気にすっかり怯えているじゃない」

「でも、お尻の尻尾には興味津々みたいね。うどんげやてゐを連れて来ていたら、気に入られたかしら。それと、あんまり言っていると自分が受け持つ授業で恥を掻くわよ」

「しっかし……くくっ」

 

 自分の授業で使う教材を資料室から持ち出して整理している面々に、一人椅子に座っているだけの妹紅が会話の途中で何かを思い出したように喉を鳴らす。

 

「よくもまぁ、こんな用事にこれだけの面子が集まったもんだね」

「こんな用事とは、随分な言い草ね。教育は、人里の未来を築く上でとても重要な案件じゃない」

「信仰の糧として、人心を掌握する為に――かしら」

「ケンカしないの」

 

 神奈子の反論に、永琳がその言葉の裏に隠された本音を探ろうとしたので、険悪になりそうな二人に私が口を挟み脱線しそうな雰囲気を元へと戻す。

 

「慧音は幸せ者だよ」

 

 行儀悪く前の机へと足を乗せ、両手を首の後ろで組んで椅子を前後に傾けながら妹紅の表情が更に和らぐ。

 

「貴女のお陰だね。ありがとう、アリス」

「私は、慧音からの報酬に釣られただけよ」

「十分だよ」

 

 彼女は、本当に慧音の事を友人として大事に想っているのだろう。その態度が、私にはとても羨ましく映る。

 そんな小さな羨望に蓋をして、興味があったので私は教師陣に予定している授業の内容を聞いてみる事にした。

 

「永琳は、何を教えるつもりなの?」

「そうね。ちょっとした手品を見せて、視覚誘導と心理誘導を利用する妖怪や妖精への対処方法でも講義しようかしら」

「妹紅は?」

「頭でっかちたちの話で疲れてるだろうから、思いっきり動けるおにごっこかな」

「神奈子は――信仰の話?」

「まさか。まぁ、道徳に関する授業だからありがたい話にはなるでしょうね」

 

 今回は、教師側に人数を揃えているので一人ひとりの負担は少ないが、慧音はこの五人分の苦労を毎日というほど背負っているのだ。

 

 我ら子の為、子の子の為――か。

 ほんと、慧音を含めて教育者の皆さんって大変だねぇ。

 

 授業の内容を考え、生徒の一人ひとりに遅れが出ないよう気を配り、卒業までに十分と言えるだけの教育を施す――頭が下がるとはこの事だ。

 

「そういうアリスは、何を教えるつもりなの?」

 

 藍の授業風景から視線を外し、私の顔を覗き込む妹紅。少しばかり意地悪そうな表情なのは、ご愛嬌だろう。

 

「――人形遣いが教えられる事は、人形だけよ」

 

 皆のような将来の役に立つ授業は出来そうにないので、肩をすくめてお茶を濁しておく。

 私の予定している授業は、自分の得意分野を活かしたレクリエーションだ。

 終わり良ければ全て良し。学ばせるばかりが、教育ではない。

 子供たちに、今日一日の授業が悪くなかったという感想を抱いて帰宅して貰えるよう、私はその時を待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 つつがなく永琳と妹紅の授業が終わり、一度家に帰ったり持って来た弁当箱を広げたりと、子供たちに混じってアリスたちもまた思い思いに昼食を済ませた午後の時間帯。

 

『――人間の徳というものは、習字で使う半紙に似ています』

 

 腹が膨れ、少し眠気が漂う時間帯で授業をするのは、神徳の権化である乾神――八坂神奈子だ。

 

『一枚一枚、丁寧に積み上げていけば皆はその高さを褒めるでしょう。けれど、たった一度でも失敗や悪行を行えば今まで積み上げたものは簡単に崩れてしまう』

 

 黒板に大きく「道徳」とだけ書いたまま、教壇の中央に立ち厳かにも聞こえる良く通る声で、生徒たちへとありがたい話を続ける。

 

『だからこそ、徳を積み上げる努力を忘れてはいけません。君たち一人ひとりが他人をおもんぱかり、そうする事でその誰かも誰かを想う――「情けは人の為ならず」、自らの行いは必ず自らへと戻って来ます』

 

 神としての威厳を放ちながら徳や摂理の話をする時の彼女は、聞く者に有無を言わさぬ説得力を与える事が出来る。

 

『誰かに親切にして貰った時、君たちは嬉しいと感じるでしょう? それを、今度は君たちが誰かにしてあげましょう。逆に、自分が嫌だった事は他の人にもしない。良いですね?』

『はい』

『はいっ』

『はーい』

『うん、とても良い返事です』

 

 頷いたり手を上げたりして答える子供たちへと、神奈子は満足そうににっこりと笑う。

 

『そして、誰かが優しくしてくれた時、君たちはちゃんとお礼は言えていますか? 自分が悪い事をした時、ちゃんと頭を下げて謝れましたか? 朝起きて、お父さんやお母さん、それに友達と顔を合わせた時、ちゃんと挨拶は出来ていますか?』

 

 「道徳」。教育として言葉にすれば、それはどこか笑ってしまうような軽さすらも感じるほどに、現実味の欠ける滑稽な話題に聞こえてしまうかもしれない。

 

『恥ずかしいから、親だから、友達だから――そんな理由で言葉を飲み込んでいると、次からはもっと言えなくなってしまいます』

 

 そうさせないのが、神奈子の話術とその身にまとう雰囲気だ。

 当たり前の事を、当たり前に行う。実際は、語っている彼女自身も出来ていない部分が結構多いのだが、そんな事はまったく悟らせもしない。

 

『「親しき仲にも礼儀あり」、という言葉があります。君たちには、この機会に是非自分たちの日頃の行いに目を向けて貰いたいですね』

 

 人の上に立つ神として、神奈子は徳の道を迷える子供たちへと示し言葉を締める。

 

「まぁ、なんというか……あのお方は、一度鏡を見た方が良ろしいかと」

「今までの経歴と管理者側の苦労を考えると、妥当な評価ね。でも、授業自体は別段間違った事を教えてはいないわよ」

「はははっ」

 

 職員室で神奈子の授業を見物し、複雑な表情で唸る藍に永琳が慰めを入れるという大変珍しい場面を妹紅が笑う。

 受け持った授業が終わっても、集まった面々は帰宅したりもぜず他の者が行う授業を職員室で眺めては寸評を行っていた。

 残すはアリスの授業のみだ。雑談をしている内に神奈子が職員室へと戻り、入れ替わりとして人形遣いが大型の黒いトランクを片手に教室へと移動していく。

 

「最後の授業だ。きっちり締めて来なよ」

「努力はするわ」

 

 妹紅の激励に相変わらずの無表情で答え、アリスは職員室の開き戸を締めた。

 彼女が部屋を離れても、赤服を着た人形の瞳に宿る光は衰えない。視線の先に写す映像には、小休止の時間で思いおもいの行動を取る生徒たちの様子が流れている。

 元気の良い子、お喋りな子、本を読む子――人里の未来を担う原石たちは、限られた空間であろうと平和な日常を謳歌する。

 

『――皆、今日は一日お疲れ様』

『アリスお姉ちゃん!』

『アリスお姉ちゃんだ!』

 

 アリスは、人里で行われる催し事に主に主催者側の人員として参加している為、子供たちからの認知度はかなり高い。

 そんな大人気である人形遣いの登場に、子供たちは一斉に興奮した面持ちで自分たちの机へと戻っていく。

 

『知っている子は久しぶりね。知らない子は初めまして。最後の授業を受け持つ、アリス・マーガトロイドよ』

 

 持ち込んだトランクを教卓に乗せ、生徒たち全員に見えるようにして漆黒の蓋を開く。

 現れるのは、緩衝材の間に丁寧に敷き詰められた小さな人形の部品たち。

 

『今日は皆に、自分で作った人形の操り方を教えてあげる』

 

 アリスは、誰かから技術や知識を得る事はあっても、自分のそれらを他者に――特に人間へ教える事を好まない。

 それは、単純に自身の情報を第三者へ与えない為の保身であり、同時に人間として天寿をまっとうすべき人里の住人たちを外法に誘うわけにはいかないという配慮からなのだと、彼女の知り合いたちは察していた。

 慧音からの真摯な依頼という事もあり、今回の授業の内容は彼女の中で幾らかの葛藤があったに違いない。

 そんな人形遣いの苦悩を知らず、大好きな人形遣いの登場と授業の内容に、人里一番の人形劇愛好家である少女が一際瞳を輝かせている。

 

「――さて、妹紅以外はそれぞれ忙しい身ですもの。暇潰しに残ったという可能性はないわよね」

 

 アリスの授業が始まった所で、職員室に残っていた面々の中で永琳が最初に口火を切った。

 

「その言い方、なんか腹立つな。私だって、アンタたちの話を聞く為に残ったんだよ」

「ふむ、改めて確認する必要はないと思うけれど――話の中身はアリスについて、で良いのだな?」

「……」

 

 妹紅が鼻白む横で神奈子が口調を変えた事で場の緊張感が高まり、藍は無言のまま議題の発案者である永琳を含めた全員を見渡せる位置へと下がる。

 アリスへの心象や対応方針は、組織や個々人によって大きく異なる。その為、どこに踏み抜いてはいけない落とし穴があるかまったく解からないのだ。

 極僅かではあるものの、自分たちにとっては何気ないアリスへの一言が開戦の狼煙となる可能性を否定する事は出来ない。

 

「えぇ、そうよ」

 

 教室の映像と音声がこの場でも流れている事から解かるように、アリスの人形は未だ職員室の一角に置かれたままだ。

 それでも平然と会話を続けるのだから、永琳は防諜としてなんらかの策を講じているのだろう。

 信頼はしていなくとも、信用している。なので、他の者たちは別段永琳に対して改めて確認をしようともしない。

 

「白黒が、何やらこそこそと動いているようだな。当然、うちの早苗は乗り気だぞ」

「でしょうね。けれど、本当にそれで良いの?」

 

 実に楽しそうな笑みを浮かべる乾神へと、蓬莱の薬師は疼痛を押さえるように額に手を当て、眉を寄せる。

 アリスの感情を呼び起こす――魔理沙が方々を回り、知り合いたちへと呼び掛けている催しの最終目標。

 確かに、アリスへの恩や義理は大なり小なり持っている者たちが大半だ。だが、全ての者たちがその意思に同調するわけではない。

 

「感情を得たあの娘が、今まで通りと変わらないなんて誰が証明出来るの。折角都合良く蓋のされている危険物に、わざわざ切り込みと開き口を作ろうだなんてどうかしているわ」

「ですが、実際に事が始まれば魔理沙に協力するおつもりなのでしょう?」

「えぇ。そうよ」

 

 藍の指摘に、あっさりと頷く永琳。

 彼女の中では、アリスの変化は決して望むものではない。しかし、それでも避けられないのであれば結末までの道筋に手を加えるしかないというのが本音だ。

 

「流れを止められないのであれば、せめてこちらの都合の良いように変化して貰わなければ、安心が出来ないもの」

 

 大局が望まぬ道を行くのであれば、次善の策と楔は確実に打つ。

 至高の姫を守る為ならば、私はアリスの全てを捻じ曲げる事さえいとわない。静かな口調ながら、永琳は言外にそう宣言しているのだ。

 

「似たような考えの者も多いでしょう。恩を売り、自分たちの組織へと帰属するよう仕向けられる絶好の機会を、そのまま見逃す理由はありますまい――煮ても焼いても食えない者など、八雲には不要ですが」

「くくっ。確かに、苦労は確実に増えるだろうな」

 

 静かに冷静な分析を語る藍の最後の一言に、神奈子が然もあらんと低く笑う。

 語られない出自、世界にさえ届き得る強大な魔法、時折顔を覗かせる謎の知識。金脈と言うよりは、魔窟という表現の方が似合うだろう――そんな少女。

 手中に収めれば、待っているのは繁栄か――破滅か――

 

「だが、それでも一部の組織の中核にアリスを慕っている者が居るというのは、純然たる事実だろうさ。うちの神社も含めて――な」

 

 紅魔館における、フランドール・スカーレット。

 守矢神社における、東風谷早苗。

 そういった少女たちは、レミリアや神奈子といった大将格たちの泣き所だ。

 もしも、アリスが自分たち以外の勢力に取り込まれたとなれば、彼女たちは大層悲しむ事だろう。嫉妬して、憤慨してしまうかもしれない。

 それだけではない。あの人形遣いに懐柔されてしまえば、最悪彼女が属した組織への敵対行為すら難しくなってしまうかもしれないのだ。

 単なる実力だけではない。アリス・マーガトロイドという少女は、本人が考えている以上に扱いの難しい厄種だった。

 こうして、幻想郷の強者が自ら出向いてまで彼女とその周囲の動向を気に掛けるのは、ある意味必然なのだ。

 

「まぁ、私はアンタたちみたいにそこまで難しく考えたわけじゃないけどさ。なんて言うか……アリスには、幸せになって貰いたいって思うよ」

 

 腕を組んで聞き役に回っていた妹紅が、溜息を吐き出すようにしみじみと呟く。

 アリスは、他者に大きく比重を置いた生き方をしている。

 知人や友人は言わずもがな、見ず知らずの者が相手でさえ時として命を懸けてのけるほどのど阿呆だ。

 数百年世を忍び、数百年世を恨み、数百年世を諦め――そして、結局捨てるには至れなかった不老不死の少女には、そんな彼女の生き様が酷く危うく、また羨ましく映るのだ。

 

「結局、魔理沙はそうあって欲しいと願う「理想のアリス像」ってやつを押し付けてるだけなんだよ。当人は当人で芯を持って生きてるんだから、周囲が勝手に決め付けたものを押し着せるのは……なんだか違う気がするね」

「しかし、双方あり方を否定し、また肯定するまでには至らない、か」

「……うん」

 

 神奈子の言葉に、やや間を置いて力なく頷く妹紅。

 努力する者には、相応の報いがあるべきだ。それは、アリスの知り合いである妹紅が抱く当然の感想だった。

 魔理沙が利己的な理由だけではなく、アリスの為にと奮起しているのは理解している。

 アリスが皆を羨み、感情を欲しがっているというのも理解している。

 だが、妹紅の冷静な部分は魔理沙の呼び掛けは自己中心的な暴挙であり、アリスが現状で満足している様子がうかがえる以上無理に手を出すべきではないという、別の結論にも至ってしまうのだ。

 齢千年を超えた少女にも、絶対の未来など見えるはずもない。

 

「……まぁ、魔理沙にはそれなりに手を貸すよ。純粋に、あの娘たちの知り合いとしてね」

 

 個々の思惑は別の思惑と重なり合い、より大きな組織としての思惑も交えてドロドロと混ざり合っていく。

 手放しで賛同する者。

 肴のつまみとして冷やかす者。

 計画の失敗を望む者。

 腹に一物抱え持つ者。

 たった一人の少女を取り巻く環境は、中々に複雑だ。

 

『そう――肩の力を抜いて、手首をしなやかに。各動作時のみ、指使いは瞬発的に』

『は、はひ……』

 

 そんな伏魔殿で話題にされている事など露も知らず、その場に居ないアリスは緊張に身体を強張らせる少女の背後から両手を重ね、ただ熱心に指導を行っている。

 無表情のまま真面目な態度を取り続ける人形遣いの少女が、「うぃひひっ。こんな美少女のスベスベお肌を触りながら手取り足取り腰取り――うぃひひひっ」などと心の中で思いながら操作の補助をしているなど、さとり妖怪でもない面々に理解出来ようはずもない。

 周りが隠し事をしているように、彼女にもまた隠し事がある。

 「どちらが悪い」と聞かれれば、きっと「どちらも悪い」という回答が正解なのだろう。

 穏やかな日差しの幻想郷は、未だ平穏の中にあった。

 

 

 

 

 

 

 一日限りの特別授業が終わり、アリスと妹紅は夕暮に慧音の家を訪ねていた。

 たった一回の授業だけで、大きな変革など起こるわけもない。今日一日の貴重な出来事を糧と出来るかどうかは、先人たちからの教えを受け取った生徒たち次第だ。

 一通りの報告と看病を終えたアリスが気を利かせるようにそそくさと居なくなり、一人で住むにはいささか広い家屋には半獣と不死人だけが残される。

 

「すー、すー……」

「あれ? 慧音、寝ちゃったの?」

 

 病人の為にと、胃に優しいおかゆや林檎のすり身などが入っていた食器を片付け終わった妹紅が土間から家主の寝室へと戻って来てみれば、先ほどまでは起きていたはずの慧音は布団の中で小さく寝息を立てていた。

 

「――お疲れ様」

 

 体調を崩すほどの苦労を平気で背負い込む困った教師の隣へと腰掛け、妹紅は苦笑を浮かべながらその頭を優しく撫でる。

 

「……っ」

 

 続ける内に、次に彼女の顔へと浮かぶのは痛みを伴った苦痛の表情。

 大切な人の、ほんの少しか弱い面を見ただけでこれだ。

 こういう時に――否、こういう時だからこそ、より強烈に思い出してしまう。

 慧音は半分だけ人間で、半分だけ人間ではない。人間よりも丈夫で、強く、長寿な存在だ。

 でも――それでも――

 彼女は、妹紅とは違い不老不死ではないのだ。

 十七回――それが、妹紅が永琳という薬師を雇う為に、輝夜から殺された回数だった。

 軽く病を患った程度で、過剰な処置を取ろうとする方がおかしいのだ。実際、輝夜が最初に申し出たのは薬売りであり薬師見習いでもある鈴仙の貸し出しであり、そちらであれば適正な料金を支払うだけで良いとすら譲歩したのだ。

 文字通り生死の境を行き来させながら幾ら説き伏せようともまったく耳を貸さない頑固者の不死鳥に、月の姫君の方が先に根を上げてしまった――というのが、あの状況の真相だった。

 

「慧音……けいね……っ」

 

 震える声音で呟きながら、妹紅は服をめくり自らの腹に爪を立てる。

 

 失いたくない……っ。

 死んで欲しくない……っ。

 

 妹紅にとって、慧音は大切な人なのだ。内から溢れようとするその熱を否定する事など、誰にも出来はしない。

 

「蓬莱人の生き胆を食えば……慧音も、慧音も不老不死に……っ」

 

 不老不死の霊薬――蓬莱の薬は、飲み干した後使用者の肝臓へと溜まる。

 一度発揮し終えてしまった薬の効果が如何ほど残っているかは疑問だが、それでも噂半分で語られる人魚の生き胆など目ではない、不老と不死を体現する者が差し出す本物の秘宝。

 

「ん……」

 

 「悪い事をしている」という意識がある時ほど、周囲の些細な現象に驚くものだ。

 妹紅が腹に当てた指へと更に力をこめようとしたその時、まるで狙い済ましたかのように慧音が寝返りを打つ。

 

「っ――はぁぁっ」

 

 呼吸が止まってしまうほどに身を強張らせ、数秒の後に緊張の糸を切るようにわざとらしく大きな溜息を吐き出す妹紅。

 冷や水を浴びせられるとはこの事だ。

 慧音は、そんな事を望んではいない。

 それは、本人の口からしっかりと明言されてしまっている。

 自他共に認める頑固者だ。その願いに、交渉の入る余地は――ない。

 

「はぁっ。辛いなぁ……なんで生きてんだろ、私……」

 

 これも解かっている。

 蓬莱の薬を飲んだからだ。

 たった一度、恨みつらみから過ちを犯したからだ。

 だからこそ、藤原妹紅という女は未来永劫の「罪」を背負った。

 本人が口にするには、いささか重過ぎる軽口だ。

 

「――あぁ、そっか。私は……アリスが羨ましいんだ」

 

 不意に、彼女の胸の内へとストンと答えが落ちて来た。

 自分と同じ不老であり、自分にはない「死」を持ち、自分と同じくらい他者を切望している。

 そして、受け止めて、受け止め続けて――最後に潰れる事が許されている少女。

 

「ばっかみたい……」

 

 本当に馬鹿らしい。

 アリスはアリス、妹紅は妹紅。似ても似つかぬ赤の他人。

 それが解からぬ年でもないだろうに。

 勝手に比べて、落ち込んで、嫉妬して――これではまるで、どこぞの自称魔法使いだ。

 久し振りに大勢と話したせいで、感情の糸がほつれているのかもしれない。

 

「ごめんね慧音。もう退散するよ――て、うわぁっ」

 

 このまま病床の身に愚痴を聞かせ続けるのも忍びないと、もう一度寝息を立てる友人の頭に手を置いた瞬間――妹紅は布団の中から飛び出して来た両手に肩を掴まれそのまま中へと引き摺り込まれてしまう。

 

「ちょ、ちょ、慧音っ。寝惚けてるのっ?」

「――大丈夫、大丈夫だよ」

 

 狸ね入りとは、意地の悪い事だ。

 何処からかは解からないが、不死の少女の独白を寝惚け眼に聞いていたらしい。

 お返しをするように、優しい声音で慰めながら半獣の少女が胸へと抱いた不死の少女の頭を撫でる。

 

「お前は泣いて良いんだ。それは、許される事なんだ」

「……ずるいよ、慧音」

「うん。私はずるい女だ――だから、悲しんで良いんだ、妹紅」

 

 あのまま止まらず、自分の口に無理やり友人の内臓を捻じ込まれたとすれば、きっと慧音は怒っただろう。

 散々怒って、怒り散らして、罰という罰を与えた後で――その罪を許すのだ。

 許した後で、きっと己の死ぬ(すべ)を探し始める――上白沢慧音とは、そういう人間なのだ。

 正しいからこそ、間違いを許せない人間なのだ。

 

「お前に背負わせる重荷は、きっと途轍もなく重いのだろうな。私は、ただ無責任に預ける事しか出来ないけれど、忘れてしまう程度の思い出しか残せないけれど――それでも、私が生きている内はお前に幸せを届けてあげるから」

「辛いよ……それが、辛いんだよ……っ」

「ごめんな、妹紅。私はやはり、ずるい女だ」

 

 布団に被さり、まるで隠れるように涙を流す一人の少女をあやしながら、半病人の半獣人はクスクスと場にそぐわない可愛らしい笑い声を漏らす。

 

「私はな、お前が辛い辛いと悲しんでくれるだけ――お前が人間である事を忘れないでくれるだろうと、誇らしく思えてしまうよ」

 

 教え導く事が教師の誉れであるなら、こうして人間である事を忘れていた少女に温もりを思い出させたのも、また誉れと言えるだろう。

 

「う゛……う゛ぅ゛……」

「ごめんな。ごめんな――妹紅」

 

 泣き続ける少女の額に、教師は小さく口付けを落とす。

 どうか、どうか――この娘に幸福が訪れますように、と。

 永遠の先に、確かな救いがありますようにと。

 二人は、そのままの姿勢で夜を過ごす。

 一秒でも長く、一秒でも多く――ここに居ると、確かに居ると、触れ合う箇所から流れ込む互いの体温を確かめ合いながら。

 慧音の願いは、きっとどこまでも残酷なのだろう。

 それでも、その想いは美しく、だからこそ違えてはならないのだ。

 永遠の少女と、永遠ではない少女は、互いの幸福を切に願いながらゆっくりとまどろみに身を委ねるのだった――

 




タイトル通りとは恐れ入った(セルフ)

期待を裏切るようで申し訳ないのですが、この作品はKENZENなので普通にぐっすりおねむしただけです。しただけです(大事な事なのでry)

最近、主人公さん影薄いですね(半笑い)
次回は、清涼剤として小悪魔でも放り込みましょうか。

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