そのせいで、今回は予告していた寺子屋の話ではなく、その次でやる予定だった霖之助の話になります。
いやはや、反省、反省。
日進月歩――
私は魔法使いという研究者であり、同時に人形作製家という芸術家だ。
日々繰り返される研鑽と練磨の果て――それは経験と蓄積され、成果という結果として現れる。
「――こんなところかしら」
私が住む「アリス」の家には、地下と地上で二つの人形工房が存在する。
素材庫が近い為、主に部品の作製と人形の組み立てを行う地下の工房と、玄関や寝室と近い為整備と調整に利用する機会の多い地上の工房。
現在、私が居るのは前者――つまりは、地下工房の作業台だ。とはいえ、今行っているのは細かな整備や調整なので、何時もの用途とは少々異なる。
その理由は、私の前で沈黙を続ける人型の人形にあった。
んー、まだまだだなぁ。
幾度新しい調整を施しても、思い描く完璧には至らない。まるでどこかの死神論だ。
繰り返し繰り返し――無限の時を対価に、私は「次」へと進み続ける。
それはきっと、幸福な事なのだろう。
私は、そうする事しか知らないから。
ただ諦めるには、余りに簡単に事を成し得てしまうから。
だから、私はただこの毎日を繰り返す。
さて――丁度良い依頼も請け負ったし、この子の試運転といきますか。
これで、私の悲願がまた一歩近づいてくれる。
魔法使いの人形遣い、「アリス・マーガトロイド」の悲願ではない。「私」がこの世界で定め、そして求める一つの結末へ向けての一歩。
譲れない、譲りたくない最後の意地。
その意地を貫くための一歩を、私が躊躇う理由などあるはずもなかった。
◇
「よう、香霖。邪魔するぜ」
「客じゃないなら帰ってくれ、魔理沙」
何時もの場所の、何時ものやり取り。
冬の足音が段々と近づき、店主が本格的な寒さに備えいち早くストーブを店内へと配備した香霖堂で、馴染みの二人が挨拶を交わす。
「私はお客様だぜ? お茶と菓子でもてなすくらいはしてくれよ」
「ツケばかりで代金を払っていかない客を、世間では疫病神と言うんだよ」
「客を神様扱いするなんて、香霖は商売人の鏡だな」
「はぁ……」
軽口の応酬の後、結局勝てないと諦めた霖之助が溜息を吐きながら店舗の裏にある自宅へと消え、二人分の飲み物とお茶請けを盆に乗せて持って来るまでが常だ。
今日も変わらず何時も通りの決着に落ち着いた店内で、小さなさつま芋の皮を皿にした黄金色の菓子を持って来た霖之助を、魔理沙がいぶかしむ。
普段彼らが使っている湯飲みに入っている飲み物も、今日は緑茶ではなく紅茶らしい。
「なんだ、その菓子? 何時もの煎餅や饅頭じゃないのか?」
「あぁ、君が来る前にアリスが来ていてね。茶葉と一緒にお裾分けされたのさ。菓子の名称は、スイートポテトと言うらしいよ」
「……アイツの菓子かよ」
一緒に盆に乗っていた銀製のスプーンを無視し、全部で六つある菓子の一つを手掴みした魔理沙は憮然とした表情でさつま芋の皮諸共に齧り付く。
美味い――そう素直に賞賛の言葉を口に出来れば、どんなに良いか。
手放しに認めるには、魔理沙が抱えるアリスへの想いは複雑過ぎた。
魔理沙の近くに盆を置き、菓子とスプーンを一つずつ手に取った霖之助は会計用のカウンターの後ろという、何時もの位置へと戻っていく。
「ふむ、何時も通り悪くない味だね。失敗作を無理やり食べさせられているわけではないんだし、そんな顔をしなくても良いじゃないか」
「……ふんっ」
皮に盛った菓子自体も、さつま芋を素材にしているのだろう。牛乳や砂糖などでまろやかさを増した甘さが際立ち、裏ごしされて滑らかになった食感が舌で溶ける。
スプーンで菓子を掬って口へと運ぶ霖之助の指摘に、鼻息だけで返答し二つ目のスイートポテトへと手を伸ばす魔理沙。
「……彼女も災難だね」
ここには居ない人形遣いへと向ける、今ここに居る普通の魔法使いの鬱屈とした内心を読み取り、古道具屋の店主は哀れみの小声を漏らした。
純粋な好意を受け取ってもらえないというのは、悲しい事だ。そして、好意として理解していながら受け取る事が出来ないというのも――また同様に。
自分が出しゃばっても良い方向には向かないだろう――という建前のもと、霖之助は厄介事には関わらないようにしようと口をつぐむ。
彼自身、実は今余り雑事に構っている余裕がないのだ。
その理由は、カウンターの引き出しから取り出した一枚の便箋にあった。
「ん?」
三つ目四つ目と、霖之助が貰った菓子にも関わらず遠慮なくアリスの菓子を平らげていた魔理沙が、目聡く店主の行動に気付く。
「手紙? 誰からだ?」
「親父さんからだよ」
霖之助が「親父さん」と呼ぶのは、彼の肉親でも義理の親などでもない。師として教えを受け、この香霖堂を開く為の惜しみない援助を行った霧雨道具店の店主――つまりは、魔理沙の父親へ向けた親愛を込めての名称だ。
「うげっ、アイツからのかよ」
だが、当然その父親から勘当され人里を飛び出した不良娘にしては、耳に入れたくもない名となる。
「魔理沙。生みの親を、「アイツ」なんて呼ぶものではないよ」
「へいへい」
露骨に顔をしかめる少女へ、兄貴分は軽く眉をひそめて苦言を呈するものの、常の通り余り効果はない様子だ。
実の親と娘の関係も、相当にややこしい。
間に立つ霖之助は、等しく二人に対して「素直になれば良いのに」と非常に低い奇跡が起こってくれる事を願うばかりだ。
「で、用件はなんなんだ? 香霖がそんな顔するなんて、よっぽど面倒臭い事が書かれてたんだろ?」
「……その通りだよ。少々厄介な依頼でね、正直親父さんから直々の頼まれ事でなければ辞退したい内容だ」
「ひひっ、ご愁傷様だぜ」
受けた恩に対価を払わず踏み倒すなど、商人としての沽券に関わる。恩というものは、本当に厄介だ。
そして、相手の嫌がる事を理解していながらその上で昔の恩をチラつかせてものを頼む辺り、性根が捻じ曲がっていると言わざるを得ない。
こういう気性が似ている点も、同族嫌悪として親父さんと魔理沙が歩み寄れない原因なのかもしれないな――
霖之助は、頭の中に浮かんだ現実逃避にもならない考えを即座に脇へと捨てた。
「まぁ、なんの事はないさ。ただ、親父さんが推薦した相手と親父さんの屋敷でお見合いをして来るだけだよ」
面倒でしかない上に、本人に結婚願望が皆無なのでまったくの無駄な行事でしかない。
だが、幸いその日一日を後腐れなく乗り切ればそれで解決するのだ。
まぁ、人里から出てまで半妖と連れ添おうなどと思う物好きはいないだろう。
相手側から辞退を申し出てくれれば、万事解決で助かるんだが……
穏便にこのお見合いを破談にするのは、どうするべきか。
霖之助の胸中にあるのは、ただそれだけだ。相手となる女性に対し一切興味がない辺り、彼の枯れっぷりがうかがえる。
「……え?」
しかし、拝聴者である少女は普通の人間で、達観しても枯れてもいなかった。
その時の魔理沙の顔は、正に鳩が豆鉄砲を食らったような呆然とした表情をしていた。
◇
人里一番の規模を誇る道具屋、霧雨店。
その立場に相応しく、店主の住まいである御殿は一般の家屋の数倍の規模を誇っている。
手入れの行き届いた広い庭園の見える、畳張りの和室。それが、本日行われるお見合いの会場だ。
時間より早く到着した霖之助が、一人庭の池を泳ぐ鯉たちを眺めながら逢瀬の相手を待っていた。
机には、冷えた緑茶の入った急須と、小さな茶碗が二つ。霖之助と同じく、相手方も一人でこの場へと訪れるのだろう。
そんな、本来一人しか居ないはずの和室に、招かねざる客たちが三人――
「なんで私が……」
「おぉー。凄いですねぇ、鈴仙さんの能力って。透明人間の気分が味わえちゃいます」
「おい、喋って大丈夫なのかよ」
己の不幸を嘆く鈴仙と、ノリノリで状況を楽しむ早苗――そして、霖之助から今日の日取りを聞き出した魔理沙が、部屋の隅でコソコソと小声で会話をしている。
「問題ないわ。能力まで使っておきながら、簡単に発見されるような間抜けはしないわよ」
瞳を紅く染めた月兎の能力は、「波長を操る程度の能力」。光の屈折も音波の遮断も、彼女にとってはお手の物だ。
「キリキリ働いて下さいね、鈴仙さん。でないと、てゐさんと結託して妖夢さんにある事ない事吹き込んじゃいますから」
この状況は、魔理沙が二人に協力を仰いだ結果ではない。
人里の噂で霖之助のお見合いを知った早苗が魔理沙から日取りを聞きだし、鈴仙を半ば脅迫した挙句強引に二人を引き連れてお見合い現場の出歯亀を強行したのだ。
元々素養はあったのだが、幻想郷に引っ越して来てこの方早苗の行動力は加速の一途を辿っている。お目付け役である二人の神は、さぞや頭の痛い思いをしている事だろう。
「解ってるわよ……代わりに、報酬は忘れないでよ」
「うふふ、解っていますよ。アリスさんが撮った妖夢さんの写真は、私が交渉して必ず手に入れてみせますから」
アリスを苦手とする鈴仙では、交渉にこぎつけるまででも一苦労だろう。それをアリスと仲の良い早苗が代行する事で、交渉の成功率も同時に高めようという魂胆だ。
途中でやる気を失われても困るので、兎兵に十分な見返りを示した上での計画的な犯行だった。
「来たわ」
「さてさて、お相手はどんな方なんでしょうねぇ」
波長によって誰かの接近を感知した鈴仙の言葉に、心からワクワクとしている事を隠そうともせず早苗が嬉しそうに両手を組む。
「……はぁっ」
そんな、他所様の事情を全力で楽しむ
私、何やってんだろうな……
何故、こんな下らない行事に自分が首を突っ込んでいるのか。魔理沙は心底自分自身が理解出来なかった。
彼女にとって、霖之助との間柄は昔馴染み。ただそれだけだ。
世話になったし、世話もしてやったが、惚れたはれたといった浮ついた感情など起こるわけもない。
そもそも、森近霖之助という半妖は女を必要としない。というよりも、他者を必要としないのだ。
でなければ、人里からも他の集落からも離れた寂れた店でたった一人で生きていく事を望みなどしないだろう。
時間の無駄でしかない事が解っていながら気を寄せる者など、余程の物好きか暇人だけだ。
「――失礼致します」
つらつらと思考を巡らせていた魔理沙だったが、霖之助の前にある襖が外から開かれた事で意識をそちらへと移す。
「はわー、綺麗な人ですねぇ」
早苗が感嘆を漏らすのも、無理はない。それくらい、現れた女性の美しさは際立っていた。
上品な藍色の着物に、腰の下まで真っ直ぐに伸びる濡れ羽色の長髪。静々と歩く姿は堂に入ったもので、育ちの良さがうかがえる。
しかし、その整い過ぎとすら思える顔立ちには、感情というものが欠落しているかのようになんの表情も浮かんでいない。
「でも、あんな綺麗な女の方人里に居ましたっけ?」
「ていうか、彼女って――」
「――綺麗だね」
早苗が疑問符と共に首を傾げ、鈴仙が眉を寄せたところで霖之助が女性の第一印象を口にする。
「香霖が、女を褒めた……」
その台詞は、長年彼との付き合いを続けて来た普通の魔法使いにとって衝撃以外の何ものでもなかった。
あの
「え? 私、初めてお店に行った時髪の色を褒められましたよ?」
「え?」
「私も、瞳の色を褒められた事があるわ。波長に変な乱れもなかったし、社交辞令じゃなくて本心からの台詞ね」
「……」
しかし、どうやら魔理沙の認識は常識ではなかったらしい。
きょとんとする早苗も淡々と語る鈴仙も、嘘を吐いているようには見受けられない。
「私……香霖から顔とか髪とか、褒められた事ないぜ……」
「「……」」
別に、霖之助が魔理沙だけを特別除け者にしているわけではないだろう。ただ単に、関係の距離が近く何度も会っている為わざわざ褒める理由がないだけだ。
頭では解ってはいても、微妙に拗ねた口調になってしまう魔理沙を見るのは、口元に手を当てキラキラと瞳を輝かせる緑髪の少女だ。
「むふーっ。こ、これはもしや、楽しい事になっちゃいますかねっ」
「趣味が悪いわよ」
「ふっふっふっ。私たちは女の子なんですし、こういった春色の話題は力の限りに楽しむべきですよ。鈴仙さんも、勉強になるんじゃないですか?」
「私は、別に……」
魔理沙や鈴仙が今まで恋愛沙汰に興味を持たない生き方を続けていただけに、この場は早苗の独壇場だった。
もっとも、早苗もまた外の世界に居た頃はまともな恋愛など出来た試しがない為、勝っている点といえば主に雑誌や少女マンガなどで培っただけの正しいかどうかも解らない半端な情報だけだが。
観客である三人が好き勝手に言葉を交し合う中、霖之助のお見合い相手であろう女性が頭を下げる。
「雪代巴と申します」
「ご丁寧にどうも。僕は、森近霖之助だ」
深く腰を折る巴に、霖之助もまた立ち上がり挨拶を返す。
どちらが言うでもなく、巴が手早く両者の為に茶を入れていく。
「どうぞ」
「ありがとう」
お互いが、口数の多い性分ではないのだろう。言葉少なに改めて対面で顔を合わせた二人は、落ち着いた様子でお見合いを開始する。
「霖之助さんは、古道具屋を営んでいるとお聞きしております。ご趣味は?」
「古道具の収拾を少々」
「片付け甲斐がありそうですね」
「整理整頓ぐらい、自分で出来ているさ」
「さようですか」
「巴さんの趣味は?」
「裁縫と料理を少々。最近は、知人に頼まれて子供服を何着か縫いました」
「子供が好きなのかい?」
「えぇ。ですが、私はこういった女ですし、どう接すれば良いのか戸惑ってしまいます」
「変に気負う必要はないさ。心のままに接すれば、子供は君の気持ちを察してくれる」
乗り気のしない態度だった割りに、霖之助は破談にする為に進んでイヤな男を演じるわけでもなく、巴へと正直に心情を語って話を終えようともしない。
むしろ、彼女との会話を楽しんでいるような節さえ見受けられる。
「な、なんだか順調じゃないですか?」
「いや、お見合いなんだし。順調で良いじゃない」
不安そうな早苗とは裏腹に、鈴仙は至極冷静だ。心の底から興味のない玉兎にしてみれば、正直霖之助のお見合いがどうなろうと知った事ではない。
「ダメですよ!」
しかし、早苗はそんな冷ややかな鈴仙の反応に不満と怒りを込めて強く拳を握り締める。
「こういう強引に組まれたお見合いっていうのは、男女のどちらかと両思いの第三者が颯爽と現れて、身体か財産目当てで近づいて来ていた敵対者を打ち滅ぼすのが世界の掟なのです!」
「……随分物騒な常識ね」
まさか霖之助が他人の身体や財産を欲しがるわけもない為、早苗の言う敵対者は必然的に巴という事になる。だが、そもそも彼女がこのお見合いに対し乗り気があるのかどうかすら、その表情と声音からは判断出来そうにない。
「というわけで、魔理沙さん! 出番です!」
「なんで私なんだよ」
「いえ、私別に店主さんの事そういう対象に見ていませんし」
「私だって見てないよ!」
「えぇ!? 見ましょうよ! 幼馴染なんでしょう!?」
「知るかぁ!」
「……帰りたい」
興奮して隠れている事を半ば忘れているのか、早苗も魔理沙ももう普通に叫びあっている。鈴仙が能力を調整しなければ、即座にばれているだろう。
女三人寄れば姦しいというが、溜息を吐いてうなだれる不運な兎を抜きにしても、二人で十分騒がしかった。
「そう言えば、先日――」
「まぁ、そんな事が――」
部屋の隅で、姿を見せぬ無音のまま騒ぎ続ける少女たちをそのままに、美男と美女のお見合いはなんの妨害も横槍も起きないまま平和に過ぎていくのだった。
◇
「――本日は、有意義なお時間をありがとうございました」
「僕の方こそ、君と話せて良かったよ。また会おう」
「はい。いずれ、また」
二人して、単なる社交辞令であるとしか思えないまったく心のこもっていない挨拶だった。
太陽が夕へと傾くより前に、霖之助と巴は座ったままで会釈を行い会話を切り上げる。
これにて、霖之助が請け負ったという依頼は完遂である。成功なのか失敗なのかは、現場を見ていた早苗たちにも解らない。
「普通に終わりましたね」
「普通じゃない終わりなんて、誰も求めてないわよ」
「そんな事はありません! ちゃあんと私が求めていました!」
「はいはい……」
力説する早苗に、もう相手にするのも疲れたと鈴仙が適当に相槌を打ったところで、彼女たちの立っている傍の襖が突然開かた。
部屋へと足を踏み入れた何者かは、何を思ったのかいきなり平手を真横へ――魔理沙たちの隠れている方向と振るう。
「ぶっ!?」
鈴仙は能力を維持しているので、部屋に入って来た者は彼女たちを認識出来なかったはずだ。だというのに、その誰かは寸分違わず魔理沙の顔面に平手打ちを叩き込んだのだ。
「っ!?」
「うわっ」
瞬時の判断により早苗の腕を掴んで自分の背後へと移動させた鈴仙は、侵入者へと銃の形にした右手の指を突き付ける。
「~~っ」
「ま、魔理沙さん、大丈夫ですか!?」
「早苗、下がっていなさい」
顔を押さえてうずくまる魔理沙へと早苗が心配そうな顔でしゃがみ込みこもうとするが、鈴仙が残った左手を伸ばしその行動を制す。
月の兵士が警戒する侵入者は、黒髪の何筋かを白髪に変えた壮年の男性だった。
黒を基調とした和服を着込む男は、無言で眉間に皺を寄せ魔理沙へと振るった手の平を眼前へと移動させて、繁々と眺めている。
「くそっ――鈴仙! 私だけ能力を解け!」
「え、でも……」
「コイツに一言言ってやらないと、私の気が済まないんだよ!」
「わ、解ったわ」
状況が把握出来ず戸惑いを浮かべたまま、魔理沙の気迫に負け鈴仙が能力の一部を解除する。
「いきなり何しやがる! このクソ道具屋!」
姿を晒し立ち上がった魔理沙が、涙目になりながらも男を強く睨み付けた。
「あ~ん? でけぇ蝿でも叩いたかと思ったら、チンケな店のクソ店主さんじゃねぇか」
左耳に小指を入れて、億劫そうな表情で顔だけ向ける男。二人の態度を見るに、どうやら普通の魔法使いとこの男は知り合いらしい。
「胡散臭ぇ上に信用もねぇなんでも屋風情が、一体オレの家になんの用だ? 金に困って、日銭仕事でも漁りに来たかぁ?」
「オレの家」。つまり、この男は霧雨の性を持つ家長であるという事だ。それは同時に、対峙している魔理沙と血の繋がった肉親である事を意味している。
「誰が、テメェの依頼なんざ受けるか!」
「かっ、高尚なこって。仕事を選り好み出来るなんざ良いご身分だなぁ、貧乏泣き虫魔法使いサマよぉ」
「この……っ」
口調こそ強気だが、魔理沙の覇気は普段よりもかなり低い。
二人の間では、すでに争いが始まる前から上下の関係が出来てしまっているらしい。この粗暴な男が魔理沙の父親だというのであれば、それもどこか納得出来てしまう。
「用がねぇんなら、帰った帰った。お前みたいな明日も知れんような穀潰しと違って、こっちは雇った連中を食っていかせなきゃならん身で忙しいんだ」
「あぁ、そうかい! だったらすぐに出て行ってやるよ!」
「おい、そっちは玄関じゃねぇぞ」
「解ってるよ!」
肩をいからせ、男の入って来た方へと部屋を抜けていく魔理沙。
「鈴仙さん。私たちも行きましょう」
「えぇ」
早苗には、もう霖之助のお見合いを見届けようという気はないらしく、魔理沙の後を追いつつ鈴仙に能力を解除して貰いその姿を晒す。
「魔理沙さん、魔理沙さん。今の人が、魔理沙さんのお父さんなんですか?」
「あんな奴、親父でもなんでもねぇ!」
「おおう。風の噂には聞いていましたが……中々に根の深そうな台詞ですねぇ」
「はぁっ……当人同士の問題よ。放っておいて帰りましょう」
実際、普通の少女が何故魔法使いを目指し、そして何故、両親から勘当されたのか。その細かい事情や経緯を早苗たちは何も知らないのだ。
情報が一切解らない今の状況では、訳知り顔で首を突っ込む事すら出来ない。
「ダメです! こんな時こそ、私たちと魔理沙さんの友情が試されているのです!」
「貴女にはあるのかも知れないけど、私にそんなものないわよ……」
「理由は他にもありますよ。私も鈴仙さんも、この先に居る方にはちゃんと挨拶しておかないといけませんからね」
「どういう事?」
「ふふふっ、内緒です。私の想像が当たっていれば、すぐに解りますよ」
この家には一秒でも居たくはないだろう魔理沙が、わざわざ玄関とは逆の方向へ進んでいるのだ。その目的地は、おおよその察しが付く。
早苗から誘われた時点で、安易に抜ける事など許されるはずもない。
嘆きながらも仕方なく付いていく鈴仙の性格にも問題があるのだが、本人がそれに気付く事はなさそうだった。
「――でも……やっぱり、羨ましいですね」
意気揚々と魔理沙の後ろを歩いていた早苗が、不意に歩調を緩めてポツリと言葉を漏らした。
足を止めない白黒の少女から距離を離されながら、視線だけで先へと進んでいくその背中を見つめ続ける。
守矢神社と共に幻想郷という異世界へと転移して来た
自分の意思で幻想郷に永住する事を決めたとはいえ、故郷とそこに置いて来たしがらみを捨てざるを得なかった彼女には、家と親を捨てながらもその縁を保ち続ける魔理沙はどう映っているのか。
「……望む選択肢だけを選べる者なんて、何処にも居ないわ。居るのは、ただ目の前にある分かれ道を選び続け――そうして「今」に辿り着いた者だけよ」
早苗と同じ場所で足を止めた鈴仙は、前を向いたまま自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
玉兎として、軍人として――そして今は、地上の民として。
事情は違えど、故郷を捨てたのは彼女も同じだ。だからこそ、隣を歩く少女に少なからず思うところがあるのだろう。
「鈴仙さんは、もう大人なんですね」
「――いいえ。私も、まだ子供よ」
早苗は、乾神と坤神に。鈴仙は、月の頭脳とかぐや姫に。
守り支えるべき存在から逆に支えられ保護されているという現状では、自分を大人であるとはとても語れない。
「うん、うん。やっぱりです」
「どうしたのよ」
「前々から、鈴仙さんや妖夢さんとはもっと仲良くなれそうって思ってはいたんですよ。それが今、確信に変わりました」
「……」
しきりに頷いた後で人懐っこい年相応の笑みを向けられ、月の軍人が戸惑いを浮かべて視線を逸らす。
長く己の殻に閉じこもっていた鈴仙は、正面から真っ直ぐに気持ちを伝えられる事に慣れていないのだ。
「今度、霊夢さんや妖夢さん、それに咲夜さんも誘って皆でお買い物とかどうですか? きっと、楽しいですよ」
「……気が向いたら、ご一緒するわ」
「はいっ」
守り、導いてくれる者は居た。
教え、知識を授けてくれる者は居た。
――だが、同じ視線の高さで語り合える者は居なかった。
強気の裏に恐怖を隠す鈴仙と、強引さの裏に人恋しさを隠す早苗。まるで違うようで、実のところ本質は似ているのかもしれない。
一人から二人へ。二人から三人、四人、五人――そして、その先へ――
共に笑い、共に泣き、共に遊ぶ。
早苗が求め、鈴仙の知らない「友達」という対等な関係となる者たちは、この幻想の地でようやく彼女たちへと授けられたのだ。
そして、その優しく暖かな輪は今も広がりを続けている。
それは、小さくとも確かな幸福に違いなかった。
◇
「――けっ。あの跳ねっ返り、元気そうじゃねぇか」
魔理沙たちの立ち去ったお見合い部屋で、彼女たちを退散させたこの屋敷の主が吐き捨てる。言葉の端に僅かな嬉しさが覗いているのは、きっと聞き間違いではないのだろう。
「まったく……家庭の事情に、僕を巻き込まないで欲しいものです」
「かかっ。それが嫌なら、オレに借りなんて作るんじゃねぇよ」
和服の両袖に腕を通し、魔理沙の父親は年齢に似合わないほどの子供っぽい笑みを浮かべてみせる。
その表情だけで、彼が魔理沙の親であると納得出来てしまう。そんな、強く明るい表情だ。
「アンタも、面倒な役目を頼んじまったな」
「良いわよ。別に」
霖之助から視線を移す店主に、
ふっふっふっ。美少女かと思った?
残念、アリスちゃんでしたー!
いやさ、人形に入るの私だし。
原作通りで作ろうかとも思ったんだけど……無表情な薫たんとか、見たくないじゃん。私が。
霖之助の能力は、「道具の名前と用途が判る程度の能力」。今の私は「魂を移譲する為の人形」という道具を仮初の肉体にしているので、一目で看破が可能だ。
つまり、最初に褒めたのは私自身ではなく、この人形の完成度を褒めたのだ。
屍人形――
この人形は、地下室で保存されている「アリス・マーガトロイド」の左腕。その体組織を培養して製造した、半生体部品を使用し組み上げた異色の作品だ。
当然だが、今取り付けている頭部は完成の際に別のものと取り替える予定である。
他の誰でもない「自分」になるのが目的なのに、わざわざまた「他人」の容姿を借りるつもりはない。
胸部の中心に込めた
抜け殻となった私の身体は、この屋敷の一室で上海、蓬莱を筆頭とした人形軍団によって護衛中だ。
「アリス」の肉体がほぼ人間と変わらないので、この人形の強度も人間相当からは外れていない。
「アリス」へあの肉体を返した後、
味覚と嗅覚と触覚――五感の内三つを再現出来ていない現状でも、人間として生活する
肉体の操作についても難ありだ。本来は無意識で行う呼吸や瞬き一つすら、擬似神経に魔力を通して挙動を操作しなければこの人形は動かない。
改善点は、まだまだ山積み状態である。
まぁ、人間という超精密な物体の模造品を無から生み出そうというのだ。少しでも前進出来ている時点で、破格の状況と言えるだろう。
「魔法使いが嫌いだと聞いていたのだけれど、どうやら違うようね」
「あ? あぁ、オレが嫌いなのは「魔法」だ。「魔法使い」じゃねぇよ」
どうにも口調と厳つさから893の組長にしか見えない魔理沙のお父さんは、私の質問に軽く肩をすくめて答えを返す。
「オレぁ魔法を信じてねぇ。だから魔法が使えねぇ。てめぇで解らねぇもんを、店先に並べる気はねぇ」
「だから嫌いなんだよ」。霧雨の店主は、最後にそう言葉を締め括った。
真っ直ぐで、ただ真っ直ぐで、実に解り易い答えだ。魔理沙のああいう気性になったのは、間違いなくこの男が原因だろう。
子供は親の背を見て育つ。それが良いか悪いかは、判断の難しい問題だ。
「正直で――そして食えない人ね」
「かかかっ」
そして、本当の理由はそれだけではないのだろう。
ここは人里で、人間の里でなければならない。つまり、人外の技術を大々的に広めてはいけないのだ。
人と妖の境界は、曖昧であっても融和してはならないのだから。
彼は――というか、人里の大手実業家たちは軒並み妖怪の賢者となんらかの契約を結んでいるのではないだろうか。
「親父さん。わざわざこんな小芝居を打ってまで、どうして魔理沙と会おうとしたんです?」
私の疑問が解消されたので、今度は霖之助が迷惑そうに眉を寄せて霧雨の店主へと質問を投げ掛ける。
彼の言葉はもっともだ。
私と霖之助への依頼は、結局のところ自分の娘の顔を一目見るという実にありふれたただ一点の目的の為に行われた。
目的の達成にいたる工程が、どこまでも迂遠極まる。
「――娘が出来た」
「っ」
男の言葉に、冷静さが売りである霖之助の表情が驚愕に染まる。
彼の語りに喜びなど欠片もないところから考えれば、出来た娘とやらは本当の子供ではないのだろう。
つまりは――養子。
勘当した娘をなきものとして扱い、別の場所から「次」を見繕った。人里一番の商家という地位と立場を考えればある意味当然の流れだが、やはりやるせないものがある。
「アイツが逝って、後継が消えて――次はどうにも期待薄ってんで、周りがうるさくてな」
「そう……ですか……」
「連中、本当なら「霧雨」の名を継げる男が良かったんだろうが――かかっ、どうにも上手くいかなかったみてぇだ」
「まったく、貴方は……」
意趣返しはしてやったと、悪戯の成功した子供のように意地悪く笑う男へ、呆れと感心を混ぜて霖之助が溜息を吐く。
捨て切れなかったのは、愛情か、愛着か――それとも未練か。それでも、決定した事実は覆らない。
もしかすると彼は、けじめとしてこれが魔理沙と会う最後の機会だと、心の中で決めてしまっているのかもしれない。
「なぁ、霖之助」
「はい」
「――悪ぃな」
その一言に、一体どれだけの想いが込められているのか。
「――はい」
霖之助もまた、ただ一言で頷くだけだった。
親の心子知らず、子の心親知らず。許し合えずとも、認め合えずとも、子を思わない親が居るものか。
「そういえば――」
「あん?」
「貴方が入って来たあの時、どうやって消えていた魔理沙たちに気付いたの?」
最後の疑問。
「かかっ。何言ってやがる」
だが、彼はそんな事かと軽く笑うと、笑みを深めてとんでもない答えを返す。
「この家の中でアイツがどこに居るかなんて、オレが解らねぇわけがねぇだろ」
なるほど。これが「霧雨」か、と妙に納得してしまう。
それは途轍もない自信であり、同時に揺るぎない事実だった。
この親にして、あの娘あり。
やはり――人間は、素晴らしい。
今日は、人間の営みという偉大さを改めて実感した一日となった。
◇
追記。
それから数日後。
元の身体へと戻り屍人形を再び人形倉庫へと戻した私は、驚愕の光景を目にする事になる。
霊夢、魔理沙、咲夜、妖夢、早苗、鈴仙――バラバラな陣営であるはずの少女たちが一同に会し、最近開店した人里の洋菓子店で舌鼓を打っていたのだ。
彼女たちの近くには、服や小物の入った幾つもの買い物袋たち。
じょ、女子会、だと……
なんで……なんで私を誘ってくれなかったんですかー!
今からでも遅くはないと突撃してみれば、なんと早苗からやんわりと同行を断られてしまう。
彼女の説明を要約すると、姉キャラは今回の女子会にお呼びでないらしい。
なん……やと……
なんでや……妖夢や鈴仙だって、年齢不詳やないか……なんで、なんでワイだけダメなんや……
その時の衝撃は、筆舌に尽くし難い。
年齢ではなく、生き様の問題だ。
まさか、皆と仲良くする為に演じていた姉キャラ設定が裏目に出ようとは。
ウソダドンドコドーン!
仕方がないので、私は私でたまたまその辺を歩いていた藍と幽香を強引に誘い、姉キャラ女子会を敢行する。
私の唐突な誘いに戸惑いながら、仕方がないと言いつつも付き合ってくれて本当に感謝だ。
軽く食事をして買い物を楽しんだだけだったのだが、周囲からの視線が微妙に怯えや恐怖を含んでいたような気がする。
大丈夫、大丈夫。
このお姉さんたちは、地雷に触れなければなーんにも恐くないからねぇ。
更に後日、烏天狗の新聞で私たちの女子会だけ人里侵略計画としてかなり大きく取り上げられていたので、再び九尾の狐と花妖怪のお姉さんたちを連れて妖怪の山までピクニックに出掛けるのは、また別のお話。
山の組織終了のお知らせ。
霖之助の話(霖之助がメインとは言っていない)
次は、リベンジで寺子屋かリベンジでリグルか普通ににとりの話でしょうか。