東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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終わりが無いのが、本当の終わり――



58・ネバーエンディング・「アリス」・ストーリー(途次)

 一枚の紙が捲れる――

 

「……」

 

 綴られる文字の羅列へと、少女はただ無言でその視線を走らせていく。

 もの言わぬ書物が語るのは、過去に起こった一つの異変。

 突如として出現した、悪魔の館に住まう暴君。レミリア・スカーレットと彼女が率いる紅魔館の面々が起こした、紅い霧を幻想郷(せかい)へと撒き散らすという壮大かつ迷惑千万な悪戯の記録。

 あれから、幻想郷は変わった。流れが出来たと言い変えても良い。

 スペルカード・ルール――霊夢の始めた、人間と妖怪が同じ立場として戯れる為の遊戯。

 こちらがカードを出せば、自然と相手もカードを出す。そういったやり取りが当たり前の光景として受け入れられていく、そんな確かな流れが。

 

「――ん?」

 

 前二つと同じく、ただの資料としての価値しかない――それすらも、重要な部分はぼかされている為確信を探るには程遠い――アリスの手記には、その中盤辺りに一つの便箋とその中に入っていたのだろう幾枚かの手紙が差し込まれていた。

 差出人は、この手記の中心人物であるレミリアから。

 文章は全て達筆な外来語で記されており、魔道書を読み解く為にその言語を勉強した魔理沙はともかく、生粋の烏天狗であるはずのはたてが読めた事が驚きだ。

 天狗や河童が高い知識や技術を持つのは天狗の集落に外の世界へと通じる穴がある為だ、という人里の噂もひょっとすると少しは当たっているのかもしれない。

 「我が親愛なる友人へ――」という出だしから始まった手紙には、フランの抱える心の闇についてや、彼女が地下での暮らしを始める事となった原因と理由。

 そして、その最後に「どうか、至らない私の代わりに可愛い妹へ「外」の素晴らしさを教えてあげて欲しい」、という真摯な要望が書き込まれていた。

 目から鱗とはこの事だ。

 時折下らない理由でケンカをしている所は見掛けるが、だからこそ姉妹の仲は悪くないと察していた。

 だが、暇潰しに適当な我侭を言っては周囲を困らせて楽しむ暴君の胸の内にこんなにも純粋な姉妹への愛が溢れていようとは、幾らか付き合いの長くなった魔理沙であっても驚きに値する事実だった。

 

 ……はたてがボロ泣きしてた理由は、コイツか。

 

 確かに、妖怪の癖に無駄にお涙頂戴の展開に弱いはたてがこんな手紙を見たとすれば、あの号泣っ振りも納得である。

 

 自分の内面は語らないのに、レミリアの内面は良いのかよ。

 益々解らなくなって来るぜ……

 

「――酷い顔ね」

 

 本にしか興味がないようでいて、周囲への観察は怠らないパチュリーが目聡く指摘する。

 

「……知ってるよ」

 

 恐らく、今の自分は苦虫を百匹は噛み潰した表情をしているだろう――魔理沙は、遅々として進まないアリスに対する考察への苛立ちが顔中に出ている事を自覚していた。

 結局、三つの手記から解明出来た部分は少ない。

 一つだけ確実なのは、アリスがどこかで「自分の居なくなった未来」を想定しているという事だけだ。

 アリスはパチュリーと同じく、不老の秘術を修めた魔法使いという妖怪だ。

 彼女たちは、寿命という衰弱で命を失う事は絶対にない。つまりそれは、それ以外で死を迎える可能性をアリスが確信しているという証左にも繋がる。

 確かに、過去で異変に参加したあの人形遣いは命の灯を燃やすかの如き働きで多くの事件の解決へと多大な貢献をして来た。

 「限界を超える」、という言葉だけであれば憧れさえ抱いてしまうような事象。地底において一度だけ自らの肉体で体験した魔理沙には、その危険性がはっきりと理解出来ていた。

 

 不老とはいえ、人間に近い肉体でしかないアリスがあんな無茶を繰り返して、身体が無事で済んでるなんてあり得ないんだよ。

 アイツは、永遠の寿命を持ったまま肉体だけを朽ち果てさせていってるんだ。

 その理由はなんだ? 目的は? アリスが求める利益――手に入れようとしている「もの」は一体なんだ?

 考えろ――考えるんだよっ。

 でないと――何も解らないまま、勝手に居なくなって追いつけなくなるかもしれないんだぞっ。

 

 一向に進展してくれない思考に怒りすら覚えながら、それでもあの魔法使いの内側に触れる一歩が足りない。

 

「――パチュリー様、アインです。客人をお連れ致しました」

 

 そんな、一人だけが深く懊悩し空気が悪くなる一方の図書館へと、再びメイド妖精に導かれた誰かが入り口の向こう側へと尋ねて来る。

 

「千客万来……迷惑千万ね。誰?」

「アリス・マーガトロイド様です」

「っ!?」

 

 その名を聞いただけで、魔理沙は机に両手を突いて立ち上がり入り口へと視線を向けていた。

 

「通して」

「かしこまりました」

 

 魔理沙の反応を無視したパチュリーの許可により、図書館唯一の扉が開く。

 肩口で切り揃えられた金髪に、同姓から見ても綺麗だと素直に思える整った顔立ち。

 お気に入りなのか、何時も付けているカチューシャと青を基調とした着慣れたワンピース。

 変化をしない表情も、左右に飛ばす人形も、何一つ変わらない。

 当たり前と言えば、当たり前の話だ。何年も離れ離れになっていたわけでもないのに、そう簡単に変化する方が不自然だろう。

 そう、変わらないのだ。彼女は。

 これまでも、これからも、ずっと――ずっと――

 その先に待つものが、彼女が望む自身の最期であったとしても――

 

「ようやく見付けたわ、魔理沙。それとも、待たせてしまったかしら?」

 

 彼女なりに場の空気を和ませようとしているのか、大して面白くもない冗談を言って肩をすくめて見せるアリス。

 しかし、今の魔理沙にはその冗談に付き合えるだけの余裕はない。

 

「アリス――」

 

 解らなければ、聞けば良い。避けたままでは答えに辿り着けないのであれば、逃げ続ける事に意味はない。

 

 私が間違ってたら、素直に謝って終わりだ。

 だけど――お前が間違ってたら、私がぶん殴ってでも止めてやる。

 あの時、持ち逃げした赤ん坊とあの娘の母親の前で私を止めてくれたみたいに。私がお前を止めてやるから。

 

「頼みがある――()()()()のスペルカードを、今から私に見せてくれ」

 

 叶うなら、その決意が無駄と終わるよう心の内で願わずにはいられない。

 それでも、魔理沙は表情を変えない目標の一つである魔女をしっかりと見据えて、その口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 白玉楼から現世へと戻り、結構な量で降り注ぐ雨を風の結界で弾きながら紅魔館の門前を訪ねてみれば、そこには傘を差して何時も通りの場所を陣取る門番と門前払いされた侵入者未満が倒れていた。

 倒れているのは、小町に似た死神装束をした黒髪の男。気絶しているのか、鎖鎌のような二本の鎌を両手に持ったままうつ伏せで地に伏せピクリとも動いていない。

 

「ご苦労様、美鈴」

「ありがとうございます、アリスさん。ようこそ、紅魔館へ」

 

 傍で着地した私が挨拶をすると、彼女は笑顔で応対してくれる。

 目を向ければ、美鈴の頬や身体には幾つもの刃傷が見受けられた。どうやら、決着が付いてからそれほど時間は経っていないらしい。

 どう見ても、弾幕ごっこで付いたにしては生傷の数が多く、また深過ぎる。つまり、この二人は今までスペルカード・ルールではない問答無用の真剣勝負(殺し合い)をしていたという事だ。

 幻想郷のルールを違反しているわけではない。この戦いは、娯楽でも、遊戯でも、純粋な決闘ですらないからだ。

 死神の目的は、死を逃れた妖精たちと対峙しその魂が生きるに足るのかを見定める事。それが彼の仕事であり、役目であり、こなすべき責任だ。

 そして、その不変たる森羅万象の(ことわり)を阻む以上、美鈴もまた死に足る存在であると見なされる。

 美鈴の側から弾幕勝負での決闘を申し出たならば、死神は間違いなく受けていただろう。

 つまり、今ここで死闘が行われていた以上この門番はその選択肢を選ばなかったという結論になる。

 

 咲夜が心配性になった理由が、すっごい解るわー。

 腕を鈍らせたくないからって、普通に命張るんだもんなぁ。しかも、呼吸するくらい当たり前に。

 普段は昼行灯キャラだけど、美鈴も結構バトルジャンキーだよね。

 

 とはいえ、当人が望んでやっている事を横から部外者がしゃしゃり出て文句を言うわけにもいかないので、私は咲夜と同じように美鈴が大怪我をしないようにと祈りながら静観を続けるしかない。

 

「じっとしていて――「治癒(リカバリィ)」」

「ありがとうございます」

 

 せめてもの気休めに、私は治癒の呪文で頑張り屋な門番の傷を癒す。

 

「彼、放っておいて良いの?」

「良いんですよ」

 

 視線を移す私からの質問に、美鈴もまた雨ざらしとなった死神を見て肩をすくめる。

 

「死神なんですし、風邪なんてひかないでしょう。目を覚ましたら、勝手に帰りますよ」

 

 今の所、この門番が死神に突破されたという話は一つも聞こえて来ない。

 天界といい、この紅魔館といい、メイン盾によって死神たちが追っ払われている組織はあの世役所である是非曲直庁の抱える、非常に重たい悩みの種に違いない。

 閻魔様が直接出張れば問題の解決は確実なのだろうが、流石にそれは本当に他に打つ手のなくなった場合の最終手段だ。

 あんな最恐最悪の存在にポンポン出動などされては、こちらだって生きた心地がしない。

 四季映姫・ヤマザナドゥ――彼女の恐ろしさは、あの花の騒動で行われた幽香との対決を見て心の底から理解させられた。

 

「もう、そのくらいで大丈夫ですよ」

「……そうみたいね」

 

 思考が横にそれていた為か、美鈴に声を掛けられてようやく彼女の傷を粗方塞いでいた事に気付く。

 

「助かりました。先程の姿を見られては、咲夜さんに心配させてしまいますから」

「彼女が気付かないとでも思うの?」

「……でしょうね」

 

 互いが大事に想うからこそ、この二人のすれ違いはなくならない。

 だが、それで良いのだと思う。

 人間と妖怪。隔絶した二つの存在がお互いを想い合えるという奇跡に、無粋な横槍は無用だろう。

 だから、二人の関係はこれで良いのだ。

 

 ほんと、羨ましいよ……

 

「お邪魔させて貰うわよ」

「はい、どうぞお入り下さい」

 

 僅かな感傷を切り捨て客人として訪ねる私へと、門番はうやうやしく頭を下げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 図書館の主たちに別れを告げ、魔理沙とアリスは紅魔館を後にする。

 

「「封気結界呪(ウィンディ・シールド)」」

 

 訪れた時と同じく、風の結界を自身の周囲へと球状に展開したアリスが宙を舞い、それに併せて魔理沙もまた頭上に防御用の薄い魔法陣を発動させ空へと飛び上がった。

 雨は更に激しさを増し、最早豪雨といっても差し支えのないほどの勢いだ。

 二人が止まった場所は、紅魔館の側面にある開けた土地の真上だった。

 元は雑木林だったのだが、「紅霧異変」の際に一部が平地と化したその一帯をレミリアが領土として囲った結果、今ではガラスで囲われた温室やワイン作成の為のブドウ畑などが広がる小規模な農場となっている。

 視界は大量の雨によって埋め尽くされ、離れた場所から二人を見たとしても正確な情報を掴む事はほぼ不可能と言って良い。

 無論、それでも覗き見をする者たちは確実に居るだろう。遠見の水晶、千里眼、念写、スキマ――手段を持っていながら、首を突っ込まない方があり得ない。

 つまり、これから行われる確認は二人だけの秘密となり、同時に公然の秘匿となるのだ。

 

「それじゃあ、いくわよ」

「――おう」

 

 弾幕ごっこを始めるにしては、互いの位置はかなり近い。スペルカードはルール上殺傷力を低く設定しているものが大半とはいえ、至近距離で大量の弾幕を浴びれば怪我では済まない事態になる事も十分にあり得る。

 だが、それでも魔理沙はアリスの展開するスペルの一切合財を見逃さない為に、こうして雨の中にあっても人形遣いの姿がしっかりと把握出来る位置で待ち構えているのだ。

 アリスの作製したスペルカードの確認。魔理沙の願いは、彼女が探り続けた人形遣いの本質を端的に示す良策だった。

 スペルカードは、その者の心と存り方を示す想念と思念の結晶。

 心の強さも、本来の強さも、等しく実力へと変わるのが弾幕ごっこだ。数々の魔法を軽々と使いこなし、様々な幻想郷の強者たちと互角に渡り合う人形遣いが弾幕ごっこであれほど弱いなど、とても信じられるものではない。

 ならば、何故アリスのスペルカードは弱いのか。

 魔理沙はその疑問に、今まで読んだ手記から一つの答えを得ていた。

 

 アリスが「誰か」を待っているのは、間違いないはずだ。

 だったら、今までアリスが使ってたスペルは多分――その「誰か」のスペルなんじゃないか?

 自分なりの解釈を加えた模倣ですらない、誰かのスペルを再現しようとしたスペルならあの弱さも納得出来るぜ。

 

 だから、魔理沙はわざわざ「お前自身の」などという面倒な一言を付け足した願いを言ったのだ。

 アリスは魔理沙の意図を理解した上で、それでも一身に関わる秘事を晒す事を承諾した。

 七色の人形遣いの手元に、一枚のカードが出現する。見た目的には、他との違いは見受けられない極普通のスペルカード。

 そして、無言のまま己の結晶を開く――

 

 『虚無』――

 

 掲げられたカードが、白の粒子となって虚空へと溶ける。

 発動したスペルが、幻想郷の空を彩る為に世界へとその暴力性を――現さない。

 耳が痛く感じるほどの雨音が――ただ二人の傘である魔法を打つ。

 幾ら待っても、幾ら周囲に注意を払っても、弾幕の一つすら見当たらない。

 

「おい、アリスお前……っ」

「いいえ。違うわ魔理沙――()()()()()()、確かに発動しているの」

 

 ここまで来ておいて、適当な嘘で誤魔化そうとしているのではと鼻白む魔理沙の強い視線から、自身の双眸を一切逸らす事なくアリスは静かに首を振る。

 水も、火も、光も、闇も――

 たった一つの光弾も、髪を揺らすそよ風すらも――

 雨音ばかりの響く空間に、何もかもがそこには発生していない。

 

「正真正銘、これが私が初めて組み上げたスペルよ――魔理沙」

「なん……」

 

 アリスの言葉に耳を疑い、しかし真実は魔理沙の目の前に無情に晒されていた。

 スペルカードは、その者の心と在り方を示す想念と思念の結晶。

 アリスは、先程間違いなくスペルを開いた。

 その輝きが――

 魂の証が――

 「アリス・マーガトロイド」という存在の証明が――存在しない。

 

「ア、アリス……お前……お前、は……」

 

 魔理沙は何度も口を開こうとして――しかし、結局は何も語れぬままにただ呆然とした意識と思考だけが残されていく。

 

 存在しない――

 誰かの頭を撫でる、あの優しい手付きも――

 存在しない――

 皆に振舞う、あの温かい料理の味も――

 存在しない――

 誰かの浮かべた笑顔に向ける、あの薄くも確かな羨望の眼差しも――

 全て――全て――

 

「――まぁ、今作れば流石にこれよりはマシなスペルが出来るでしょうけれど」

「……ぁ」

 

 箒に掛けた浮遊の魔法さえ制御を失い掛けるほどの動揺の中で、魔理沙は僅かに呆れを含んだアリスの声がすぐ近くにある事をようやく知覚する。

 

「魔理沙」

「――え?」

 

 魔理沙が顔を上げるより早く、アリスは彼女の右腕を両手で掴み――そして、そのまま自身の胸へと押し当てさせた。

 

「ぁ……う、ぁ……あぅあぁぅっ」

 

 抵抗する気力もなかった魔理沙の口から、驚きとも悲鳴とも付かない奇妙な声が漏れ出てしまう。

 至近距離にある人形遣いの美貌と、手の平から伝わる柔らかい乳房の感触。

 普通の魔法使いの混乱は最高潮に達し、呼吸すらもままならない。

 

 な、なんだこれ? なんだこれっ?

 ぁ……アリスって、結構まつ毛長いんだな――じゃなくて!

 

「魔理沙――」

 

 動揺に次ぐ動揺を受け、魔理沙が内心で現状の理解すら放棄しそうになる中。互いの息遣いすらも聞こえそうなほどに身体を近付けたアリスの口から、一人の少女の名がこぼれ落ちる。

 

「私は、ここに居るわ」

「……」

「感じるでしょう? 私の鼓動を。ぜんまいでも、歯車でも、振り子でもない、私の心臓が奏でる確かな息遣いが」

 

 魔理沙の最大の誤解は、アリスが最初に作ったというスペルカードを()()彼女の全てだと見誤った事だ。

 実の所、魔理沙が強烈な衝撃を受けている事実はアリスが地底を訪れた際にある程度の解決を見ている。

 己を賭して散った「彼女」たちの犠牲の上に立つアリスは、もう以前のまま漠然と滅びを待つような情けない女では居られない。居てはいけない。

 それだけではない。

 魔理沙が無茶をする度に、彼女の心臓は少しだけ強く跳ねる。

 霊夢が甘えてくれる度に、彼女の心臓は少しだけ穏やかに跳ねる。

 フランが笑顔を向けてくれる度に、彼女の心臓は少しだけ嬉しそうに跳ねる。

 今正に、アリスの心臓の鼓動を肌で感じている普通の少女のように。

 

「食を捨て、寿命を捨てて、私はもう人間である貴女たちのように成長する事はなくなってしまったわ。それでも、心は移ろう事が出来るの」

 

 少しだけ、少しだけ――

 一歩ずつ、一歩ずつ――

 秒針が進むように、歩くような速さで――

 それでも――

 

「私も――貴女と同じように頑張っているのよ。今まで吐いて来た、あらゆる言葉の責任を背負う為に」

 

 偽りがある。抗いようもなく大きく、得体の知れない不気味な偽りが。

 だが、それは決して嘘ではないのだ。

 だから、ほんの一部で良い。

 自身の全てを嘘にしてはならないという覚悟、自身の全てを偽りにしてはならないという決意。

 生まれるはずだった「彼女」たちの命を、これから生まれる様々な(えにし)たちを――

 その二本の足で、しっかりと背負う為に――

 

「アリス……」

「大丈夫よ、大丈夫」

 

 大丈夫――それは、アリスが誰かを慰め励ます時に良く使う言葉だ。

 それは図らずも、自分自身に向けての願いが込められた言葉でもあった。

 ここに居ると、ここに居て良いと、僅かでも証明を得る為に繰り返される、優しくも残酷な意味を持つ言の葉。

 

「だから魔理沙、泣かないで」

「ぁ……あぁ……」

 

 もう、魔理沙は限界だった。

 虚を突かれ、動揺し、混乱した挙句――保っていた最後の一線までもを、あっさりと踏み越えられてしまったのだ。

 もしも狙ってやっているのであれば、アリスは正しく魔女と呼ぶに相応しいほどの演出家だと言えるだろう。

 魔理沙の胸の内から、アリスの手記を読み始めた当初から溜まり続けていた全ての感情が、うねりを上げて込み上げて来る。

 不安、安堵、悲哀、歓喜、恐怖、苛立ち――そして、自身とアリスの間に横たわる言い知れぬ疎外感。

 ありとあらゆる感情が、必死に蓋を閉じていた心の底から堰を切って溢れ出す。

 人間が極限まで追い詰められた時、最後に発露する感情は諦念か怒りである。

 魔理沙が選択したのは――後者だった。

 

「……はっ、口当たりの良い綺麗事ばっかり並べやがってっ。強くて優しい人形遣い様には、私なんざ危なっかしい小者が必死に背伸びしてるだけに見えるんだろうなぁっ」

 

 違う――こんな事が言いたいわけじゃない。

 

 目尻に溜まった涙をそのままに、強引にアリスの腕を振り払った魔理沙の拳が無表情な人形遣いの胸元を何度も叩く。

 力など入るはずもない、ただ駄々っ子のように繰り返される小さく弱い少女の主張。

 

「なんでも出来る素晴らしい魔女様の自己満足に貢献出来て、私も鼻が高いってもんだぜっ」

 

 違う――理由はどうあれ、アリスが命を懸けて他人を救った事実は揺るがないじゃないか。

 感情の幅なんて関係ない。アリスの優しさは――偽物なんかじゃない。

 

「魔理沙……」

「黙れよ……っ」

 

 癇癪を起こして、駄々をこねて、迷惑を掛けて――どれだけ子供なんだか。

 それでもお前は、こんな私を許しちゃうんだろうなぁ。

 

「いい加減、もううんざりなんだよ!」

 

 アリスに甘えている事を自覚しながら、吹き上がり続ける感情に任せ魔理沙は遂に積年の思いを吐露していく。

 

「強いならちゃんとしろよ! 弱いなら引っ込んでろよ! いっつも怪我して、傷付いて……私たちが、なんにも感じてないとでも思ってるのかよ!」

 

 魔理沙がアリスの大怪我をした場面を目撃した回数は少ない。だが、それでも彼女はこの人形遣いの性格を知っているのだ。

 きっと、アリスは何度も傷付いて来たのだ。何度も苦しんで来たのだ。

 異変の影で、幻想郷の裏で――

 

「地底で何かあったんじゃないのかよ! 他の異変でも、事件でも、全部だ! 誰かの為にって首突っ込んで、なんでもかんでも秘密にして――お前はそれで満足なんだろうけどなぁ、私にとっちゃあ良い迷惑なんだよ!」

「……ごめんなさい」

 

 黙れよ。黙ってくれよ。

 謝罪が聞きたいわけじゃないだよ。謝られたって、私はなんにも出来やしない。

 私が虚しくなるだけの言葉なんて、聞きたくないんだよ。

 

「そんなに頼りないのかよ! そんなに信用出来ないのかよ! 私はお前に、何一つしてやれないのかよ……っ!」

 

 遠いんだよ、お前はっ。

 たった一歩近づく為に、こんなに苦労するはめになったじゃないかっ。

 バカだよっ。お前も、私もっ。

 

「このバカアリス! アホアリス! おたんこなすのこんこんちき! お前なんて……お前、なんて……っ」

「……ごめんなさい」

 

 謝るなよっ。惨めになっちまうだろうがっ。

 お前が本気で言ってるんだって、解るんだよ。解るから、イヤなんだよ。

 悪いのは私なのに、なんで謝るのがお前なんだよ。

 お前は、私から謝る権利すら奪おうっていうのかよ……

 

「ばかぁ、ばかぁぁ……っ」

 

 遠いなぁ……

 遠いなぁ……ちくしょう……

 追いつきたいのに……なんでこんなに遠いんだよ……

 なぁ、教えてくれよ……

 お前の身体に絡まる、私には見えないその鎖から引き上げてやるには――一体どうすれば良いんだよ……

 解らないんだよ……頼むから、お願いだから、どうか私に教えてくれよ……アリス。

 

「魔理沙――ありがとう」

 

 伝わらない――彼女は、壊れているから。

 伝わらない――彼女は、狂っているから。

 伝わらない――彼女は、未だその一歩を進んでいないから。

 伝わらない――彼女は――彼女は、優しいから。

 誰かが涙を流してくれる。

 誰かがその生を喜んでくれる。

 誰かがその死を悲しんでくれる。

 それは、「アリス」を名乗る少女がこの世に存在する事を許す確かな証明ではないだろうか。

 涙が枯れるまで、少女は泣き続ける。

 少女の姉のように、人形遣いはただその拳を受け止め続ける。

 次第に雨が弱まり、空を覆う雲が綻び徐々に夕暮に近づく太陽の光が地表へと差し込んでいく。

 ともすれば、一枚の聖画のようにも見える二人の光景は、それからしばらく雨が完全に上がるまで続けられるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ○月○日 (晴れ)

 

 今日は紅魔館を訪ね、フランに絵本を読んであげた。

 本当に痛いので、そろそろ彼女には全力で抱き付いて来るのを遠慮して欲しいのだが、この願いが届くのは何時になるのだろうか。

 また、途中で魔理沙が訪ねて来たので、先日祝賀ケーキを食べられた腹いせに強引に捕獲して彼女の撮影会を敢行した。

 手持ちにあった白のドレスを着せたのだが、思っていた以上にウェディングドレスのような雰囲気が出ており、彼女もいずれそういう年になるのだろうという妙な感慨に駆られてしまった。

 もしも本当にその時が来たとしたら、相手が悪漢でない限り全力で祝福してあげたいと思う。

 

 ◇月◇日(曇り)

 

 普段通りの一日の終わりに、夜食としてミスティアの屋台を訪ねた。

 昼に立ち寄った紅魔館での出来事を肴におでんを食べていると、咲夜や妹紅、それに慧音も席に着き賑やかな食卓になった。

 慧音の愚痴上戸は有名だが、咲夜まで愚痴上戸だったのは少々意外だった。

 紅魔館で唯一の人間だという彼女の悩みは察するが、お陰で締めのうどんが伸びてしまい作ってくれたミスティアと料理には申し訳ない事をしてしまった。

 帰りも鳥目にされて帰り道が解らないという事態に陥り、損得で言えば微妙に損をしたかもしれない。

 それでもまた皆と食事がしたいと思うのは、私は愚か者だからだろうか。

 

 ×月×日(晴れ)

 

 今日は、博麗神社の近くに出来た温泉にパチュリーや知り合いを連れて皆で入りに行った。

 妖怪とは人間の願望の結晶でもあるが、彼女たちの身体は何度見ても溜息が出てしまいそうなほどに美しい。

 最後にちょっとしたハプニングもあったが、それも含めて十分に有意義な一日だった。

 今度は、今日一緒に入らなかった別の娘たちを誘ってみよう。

 楽しい事や嬉しい事は、何度やっても楽しいし嬉しいのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 「明日には返す」という約束をして、自宅の自室で最後の一冊となった「日記帳・3」というタイトルの手記を読み進める魔理沙は、その余りにほのぼのとした内容に思わず頭を抱えてしまう。

 異変の手記とは明らかに毛色の違う、お気楽で能天気な日常をこれでもかと幸せ一杯に謳歌している事が解る、そんな日記。

 何が本当で、何が嘘か。別人が書いたと言われても信じてしまいそうな二極化したそれぞれの文章を読み、益々解らなくなってしまう。

 

「なんだよ、もーっ」

 

 とはいえ、先にこちらの日記から読んでいれば変な誤解でやきもきする必要も、正解とはほど遠い迷推理もしなくて済んだだろう。

 丸一日掛けてまで盛大な独り相撲をしてしまった魔理沙は、机に突っ伏しながら顔を真っ赤にして懊悩する。

 

「うー、うーぐー」

 

 可愛い呻き声を何度も上げ、椅子に座った両足をバタバタと振りながら燃え上がってしまいそうなほどの羞恥を誤魔化そうともがく。

 

 全部が全部勘違いじゃなかったけど……それにしたって、なぁ……

 もう少し、こうさぁ――あぁぁぁもうっ。

 ダメだ。このまま一人で居たら、何度も思い出して耐えられそうにないぜ。

 ――今日は、霊夢の神社にでも泊まるかぁ。

 

 外はすでに西の彼方が黒ずみ始めた時間帯だが、魔理沙は気にせず愛用の箒を手に取り外出の準備を手早く済ませていく。

 入り口近くの帽子置きから三角帽子を手にし、被る暇も惜しいと反対側の手で扉を開けてそのまま空へ。開いた反動によって締まっていく扉を見向きすらせず、森の上空まで一気に飛び上がってから博麗神社の方角へと舵を切る。

 加速によって生まれる少し湿った風が、少女の火照った顔を心地良く撫でていく。

 ほどなくして、神社の庭へと着地した魔理沙は何時も通り一つだけある石畳に靴を脱ぎ挨拶もなく縁側へと上がって、障子を開けながらそこに居るだろう巫女へと一杯の茶を所望する。

 

「よー霊夢ー、とりあえずお茶くれー――が、いぃっ!?」

 

 何時も通りの入室は、何時も通り許しては貰えなかった。

 障子を開けた瞬間、足下に設置されていた結界が発動し一瞬にして白黒の魔法使いを拘束する。

 

「な、がっ」

「良く来たわね、魔理沙。待ってたわよ」

 

 突然の出来事に動揺し、目を白黒させて呻く魔理沙の前では、霊夢が何時もの通り使い古した木製の丸机で湯飲みに入れた緑茶を啜っていた。

 だが、普段であれば面倒な客が来たと億劫そうに頭を掻くはずの彼女は、あろう事か魔理沙の来訪を歓迎するような言葉を口にする。

 その部屋に居るのは、霊夢だけではない。

 

「まぁ、予想通りだね」

「時間的には、夕飯の支度までに来てくれた方が助かったのだけれど」

「あらあら、遂に年貢の納め時ねー」

 

 霊夢と同じ机で、湯飲みを置いて魔理沙を見る霖之助、永琳、幽々子。

 

「まったく。結果的に的中したとはいえ、随分と無駄な時間を浪費したわ」

「魔理沙さん、貴女の悪行もここまでです。お覚悟を」

 

 永琳の傍で起立し「休め」の姿勢を続ける鈴仙と、右手で背から外した白楼剣の鞘を握り幽々子の隣で正座する妖夢。

 客としてはいささか多く、宴会を始めるにはやや少ない。そんな人数だ。

 

「お、おいおい……大層な面子が雁首揃えて何事だ?」

 

 冷や汗を流しながら、魔理沙はここに居る全員の目的を察してしまっていた。

 何故なら、彼や彼女たちの視線は揺らぐ事なく今現れたばかりの少女へと向いているからだ。

 

「アリスがね、「大切な物を貴女に盗まれた」って方々を探してるのよ。今この神社に居る連中は、彼女が訪ねて回った場所の暇人たちね」

「へ、へぇ……」

「満場一致で、あんたは最終的に博麗神社(ここ)を通るだろうって結論が出たみたいよ――で? 何か言っておきたい事はある?」

 

 震える――

 これから起こるだろう、銘々からの説教という名の折檻を前にして――足底から這い上がる恐怖と同じくらい、魔理沙の心には喜びが込み上げて来ていた。

 

 なんだよ……悩む必要なんて、これっぽっちもなかったじゃないか。

 アイツは間違ってる。そして、今の私じゃアイツの間違いを正してやれない。

 ――なんで気付かなかったんだろう。

 私じゃ止められないんなら、()()()で止めれば良いじゃないかっ。

 きっと、どいつもこいつもアイツには貸しも借りも幾らでもある連中ばっかりだ。動かす理由を、わざわざこっちから作ってやる必要もない。

 まずは紅魔館の連中。次に白玉楼、永遠亭、守矢神社――どうせだ、アイツの知り合い全部巻き込んで、あの頑固バカに解らせてやる。

 まったく――

 

「――お前ら、アリスの事好き過ぎるだろ」

 

 臨終を前に、魔理沙はそれでも引きつった表情でこの場に居る全員を笑う。

 

「「「……」」」

「あらあら、ふふふっ」

 

 客人たちからの反応は、盛大な呆れを含んだ半眼だった。幽々子だけは扇で口を隠し、コロコロと子供っぽい笑みを浮かべている。

 

「……あんたにだけは言われたくはないわ」

「私は、アリスの事なんて大っ嫌いだよ!」

 

 皆の心の声を代弁する霊夢へと、魔理沙は今度こそ会心の笑みを返す。

 結局、日頃の行いも含めたお仕置きとして上白沢慧音監視による人里での無償奉仕活動二ヶ月を言い渡された彼女は、それから一時の期間随分と健康的な毎日を過ごす事となる。

 その間にも、白黒の魔法使いは時が惜しいと行動を開始していた。

 幻想郷の全土を巻き込む、たった一人の少女を救う為の舞台劇。

 人形遣いに気取られぬよう、しかし着実に舞台に上がる役者の数は増加していく。

 拒む者など居はしない。それだけの事をアリスは成し、そして、彼女の抱える孤独を多くの者が感じているから。

 

 私に火を付けた、分からず屋のお前が悪いんだぜ?

 見てろよ、アリス。お前の心臓が飛び出すくらい、度肝を抜いてやるからな。

 

 急ぐ必要はない。だが、手遅れになってもいけない。

 慎重に、慎重に――深く静かに事は動く。

 仕掛け人は、普通の魔法使い。

 演目は未定。お代は見てのお帰りだ。

 さぁ、始めよう。

 一人の少女を救う為に、救われた者たちの感謝と祈りを込めて。

 始めよう――一人の少女に、望むままの笑顔を浮かべて貰う為に――

 一世一代の大芝居が幕を開けるのは、一体何時になるだろう――

 その時が訪れるのは、そう遠い未来ではないのかもしれない。

 




燃え尽きた……真っ白に、燃え尽きちまったよ……(真白)
これにて、三大過去異変全編が終幕と相成ります。おめでとう(セルフ)

一応の段落という事で、次の更新は独自の裏設定などを軽く交えたキャラクター紹介を書く予定です。
その後は、私が一日千秋の思いで待ち望んでいた日常話へ移ります。
それはもう、一杯書きますから! 満足するまで一杯書きますから!

キャラクター紹介もそうですが、日常話もアンケートの回答を反映した内容のものを書きますので、お答え頂いた方々は楽しみにお待ち下さい。

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