東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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うーむ、少し時間が開きましたねぇ。
速さが足りない(小並感)



53・フラン! フラン!! フラン!!!

 紅魔館の四階。謁見の間として作られた無駄に豪奢で広い室内の最奥で、他者を見下ろす階段の上に作られた椅子には一人の少女が膝を抱えて座っている。

 

「――貴女、当主じゃないでしょ」

 

 所々が破れ、服装の乱れた霊夢が待ち構えていた少女を睨む。

 魔理沙に敗れた赤髪の妖怪は、ここに主謀者が居ると言っていた。だが、いざ訪れてみればそこに居たのはまったく別の誰かだった。

 妖怪――恐らく吸血鬼ではあるし、先程叩き落した女中以上の実力者なのは間違いないのだが、霊夢の前に居るその少女には他者を従える支配者特有の威厳のようなものが見当たらない。

 

「お姉様は、貴女があんまり遅いから先にお姉ちゃんとお話しするって行っちゃった」

 

 宝石の羽根をパタパタと揺らし、どこか手持ちぶさたに見える金髪の少女は膝を抱えたそのままの姿勢で霊夢へと告げる。

 

「姉が姉と話をするの? 器用な奴ね」

「あははっ。何それ、面白そうっ。フランも出来るよっ」

「しなくて良いわよ」

 

 見た目相応にケラケラと笑う妖怪の少女へと、霊夢はお払い棒で肩を叩きながら溜息を吐く。

 

「咲夜以外の人間は初めて見るわ――なんだか、握っただけで壊れちゃいそうね」

「どうやら問題児みたいね。過去に何かやらかしたの?」

「うん、色々」

「へぇ」

「壊したり、殺したり……沢山、たくさん……」

「本当に問題児ね」

 

 何かを思い出しているのか、やや虚ろな笑みを作る吸血鬼の少女。霊夢は同情するでも慰めるでもなく、ただの聞き役として相槌を繰り返す。

 

「でも、解らないの」

「何が?」

「フランはね、悪い子なの。なのに、お姉様もお姉ちゃんも、フランを許すの」

「甘やかしてるんでしょ」

 

 身も蓋もない言い草だが、霊夢の回答はあながち間違いとも言えない。フランにとっての姉と位置付けられた二人が、彼女をこれでもかと甘やかしているのは疑いようもない事実だ。

 

「二人っきりの姉妹だもん。お姉様が何を望んでるのか、お姉ちゃんを一体どうしたいのか――そこだけは、ちゃんと解るよ」

 

 膝を抱える少女の腕に、無意識だろう力がこもる。何かに耐えるように、何かを恐れるように。

 

「フランが「悪い子」のままだと、皆を困らせるの。だけど、フランが「良い子」になるとお姉ちゃんがどんどん離れていっちゃうの。誰にも渡したくないのに――()のものにしたいのにっ」

 

 選べるものは、二つに一つ。もしも中間があるのだとしても、それを選ぶ方法をこの少女は知らないのだろう。

 

「ねぇ、もしも()がこうして狂った()()を続けたら――お姉様も、お姉ちゃんも、ずっと一緒に居てくれるのかな?」

「知らないわよ」

 

 またしても、霊夢はばっさりと見も蓋もない言い草でフランの疑問を切り捨てる。見ず知らずの相手から突然相談を受けて親身になってやれるほど、巫女の少女はお人好しではない。

 そもそも、相手の話は途切れ途切れで要領を得ないので相談に乗りようがなかった。

 

「そうだよね、解らないよね。どうしたら良いのか、どうしないといけないのか、ずぅっと考えてるのに……全然、なんにも解らないの……」

「――あぁ、もうっ!」

 

 次第に声がすぼまり、遂には涙を浮かべてぐずりだした少女を見て霊夢が乱暴に頭を掻きながら苛立ちを込めて悪態を吐き捨てる。

 誰に向けるでもない苛立ちや怒り、そして見ていられないほどの不満や嫌悪。そう、今の霊夢が感じているものは紛れもない同族嫌悪だ。

 何時かのどこかで、霊夢はこの少女と同じ事をしていたのだ。膝を抱え、涙を堪え、そうした救われない毎日を過ごした時期があったのだ。

 

 なんで今更、名前も顔も覚えてない――何があったかも忘れたような()()()が出て来るのよっ。

 

 その「誰か」を思い出そうとすると、どうしようもなく腹が立って――なのに、胸が締め付けられるように苦しくなる。

 全てから「浮く」人間の少女が――「会いたい」と、願ってしまうほどに。

 

「――フラン、これから私と遊びましょうよ」

「え?」

 

 苛立って、悲しくなって――何もかもを振り払いたくなった時、一番簡単な解決方法は一度問題から目を逸らしてそうした不安や悩みを綺麗さっぱり忘れる事だ。

 不貞寝してしまうのも良いだろうし、誰かに甘えるのも、逆に当たり散らすのも良いだろう。

 それは、単に明確な回答や行動を先延ばしにしているだけなのだが、下手な考え休むに似たりだ。そのまま答えを出せずにどつぼにはまっていくよりは、十分マシだろう。

 霊夢は、自分には子供を寝かし付ける為の経験も無償で甘えさせる度量もないと思っているので、残された手段で対応するしかない。

 別にフランの悩みに付き合う義理はなく、本当はただ何時も通り「悪い妖怪」として退治すれば良いだけなのだが――霊夢は何故か、そうしようとはどうしても思えないでいた。

 

「さて、何して遊ぼうかしらね」

「……弾幕ごっこ」

 

 フランが手の平に出現させたカードは五枚。霊力を滾らせ始めた巫女の少女へと、吸血鬼の少女もまた徐々に高ぶる妖気を放出し始める。

 

「お願いだから、壊れないでね……巫女さん」

「あんたにどうこうされる程度の人間なら、幻想郷の巫女なんて面倒な役は請け負ってないわよ」

「……ありがとう――あぁァァぁあぁあぁぁぁァアアあっ!」

 

 感謝の言葉を終えたフランが内から沸騰するように豹変し、両の瞳を血走らせながら高速で霊夢へと接近する。

 最撃は爪。刃の如く伸ばした右の五爪を、上段から怪力と速度に任せて全力で振り下ろす。

 

「――温いわね」

「ガッ!? ぎぃッ!」

 

 お払い棒で斜めに受けて爪の軌道を逸らし、霊夢は首筋に向けて迫る少女の牙に対し霊力を込めた掌打を腹へと叩き込んで引き離す。

 辛うじて霊夢からの一撃を左手で受け止めたフランは、衝撃に逆らわず大きく後ろへと下がり玉座へと伸びる階段の手前で静止した。

 石壁を余裕で砕くフランの怪力に対し、霊夢の方は相手の動きに刹那の拍子すら寸分違わず合わせる事で受け流すという完全なる技術だ。

 非力で脆弱なはずの人間が、妖怪の中でも高位に属する吸血鬼をたった一打で圧倒する。

 

「グ、ぎ……っ」

「正面からしか能がないんなら、何が起こるか解らなかった分さっきの女中の方がまだ梃子摺ったわ」

「オ゛マえなンて――おまエ゛なんデ、だいっギらイダあぁぁァァぁァッ!」

 

 禁忌 『クランベリートラップ』――

 

 蒸気を上げて焼け爛れる左手からの激痛に顔を歪めながら、止められない激情を溢れるままに吠え散らしフランのスペルが発動する。

 これは狂気などではなく、ただの癇癪だ。己の心に(さいな)まれる少女の慟哭を流し込んだ紅色の弾幕を、霊夢は避け、弾き、最低限の動きのみで的確に攻略していく。

 

「私も貴女が大嫌いよ――だから、下手な演技も遠慮もせずに私を本気で壊す気で来なさいっ!」

 

 表情を引き締め、凛とした声で少女が応える。

 必要なのは、受け止めてあげる事。制御も出来ずに混ざり合い、グチャグチャになったその心の全てを――身体を張って抱き止めてあげる事。

 それが、●●のしてくれた事。

 

 ――霊夢。

 

 どこかの誰かが、少女の名を呼ぶ。

 悲しい出来事があった。苦しい出来事があった。

 初めて、大好きなおやつを誰かに取られた日――

 初めて、雷雨の夜に一人で寝た日――

 初めて、人里からの依頼に失敗をした日――

 初めて――妖怪を殺した日――

 

 ――バカッ、知らないっ、●●なんて、大っ嫌いっ!

 

 ――優しい娘ね、霊夢。

 ――大丈夫よ――貴女はきっと、大丈夫だから。

 

 思い出の中で、その「誰か」は何時だって霊夢を受け止めてくれた。顔もなく、声もなく――言葉すらも、本当にそう言われたのか定かではない。それでも、その「誰か」は確かにあの時幼かった少女を受け止めてくれていたのだ。

 

「――私は、()()ほど優しくはないわよ」

 

 何やってんのかしらね、私……

 

 呆れれば良いのか、苦笑すれば良いのか――揺れる思考に戸惑いながら、霊夢の精細な挙動は微塵も損なわれる事なく繰り返される。

 溜まりに溜まった汚いものは、いっそ全てを吐き出してしまえば良い。霊夢は、経験からそれが正しい事を理解していた。

 だから、彼女はフランを受け止める。怯える少女の内なる叫びを、ただひたすらに正面から受け止め続ける。

 暴れ疲れて泣き止んで――最後には眠ってしまうのだろう、その時まで。

 

 

 

 

 

 

 文にとって、吸血鬼の少女は強かった。

 だが、所詮はそれだけ――それだけで、終わっていたはずなのだ。

 

 禁忌 『恋の迷路』――

 

 少女を中心として螺旋を描くように怒涛の弾幕が放出され、右回転、左回転と放出する方向を変えていく姿は正しく迷路の名に相応しい。

 そんな弾幕と弾幕の間に出来た細い通路の中を、文は軸に沿って逆らう事なく旋回し光の迷宮を攻略していく。

 

「アハハッ、アハハハッ!」

 

 まずいわね……

 

 興奮し、笑い声しか上げなくなった忌々しい吸血鬼を目の端で捉えながら、刻々と悪化していく状況に内心で悪態を吐く。

 先程から、周囲を漂う紅い霧が徐々に濃度を増しており視界すらも塞ぎ始めているのだ。

 霧の濃さが変化しているのは、妖怪の山の内部だけ。相手側の次策だと考えて、まず間違いはないだろう。

 それ自体は、別段困るものではない。文は風を読む事で、白狼天狗たちは自分たちの鼻を使い、例え視覚を完全に遮断されても周囲を把握する事が可能だからだ。

 文が焦っているのは、まったく別の理由――文たちが弾幕勝負を始めた頃は聞こえていた白狼たちの遠吠えが、何時の間にか遠のき完全に届かなくなっているのだ。

 どういう理屈かは解らないが、どうやらこの霧は白狼たちの声すらも遮断し始めたらしい。それは、指示を出していた指令部が戦場から切り離されてしまった事を意味していた。

 命令が途絶えた事で守備隊が混乱し、その隙に更に別の一手を打たれれば戦局が大きく傾く可能性は高い。

 

 風神 『風神木の葉隠れ』――

 

 相手のスペルが終了すると同時に開かれた文からのスペルは、自身をおおい隠し、そして広がる木の葉を模した弾幕の嵐。

 

「凄い! 凄いわ貴女! こんなにも長い間壊れない玩具なんて初めてよ! 外には、こんなに凄い人が沢山居るのね!」

 

 しかし、少女もまた天狗に迫るほどの速さで空を駆け光弾の中を掠りもせずに飛翔していく。

 その挙動は、明らかに文よりもスペルカード・ルールによる決闘の経験を積んでいる事を物語っている。

 今回の騒動の目的は、幻想郷に新しく敷かれた掟の周知徹底。もしかすれば、仕掛け人である紅魔館の住人たちはこのルールが公表される以前から弾幕ごっこという遊戯に触れていたのかもしれない。

 実力で勝れど、腕前で劣れば勝負の行方は解らない。この遊戯における真の恐ろしさを実感させられながら、長引く戦いへの焦りだけが募っていく。

 焦りは心を乱し、動きを乱し――遂には致命的なミスへと繋がってしまう。

 

 禁忌 『レーヴァテイン』――

 

 鬱陶しいだけの弾幕を避けた先に文を待っていたのは、身の丈よりも巨大な炎剣を大上段で振り被る少女の姿。

 

「あっはぁっ!」

「しま……っ」

 

 避けるには体勢が悪く、防御するにはその怪力と炎の勢いに敵わない。殺すだけの威力で反撃してしまえば、掟破りで敗北となってしまう。

 少女の狂おしいほどの笑顔と共に災いの枝が振り下ろされようとしたその瞬間、文が感じたのは敗北への恐怖ではなく――遥か頭上から降下して来る、身の毛がよだつほどの風の気配だった。

 

「――きゃあっ!」

「うぉぁ!?」

 

 妖怪の山の真上――霧で作られた雲の上から落とされた豪風の余波を受け、少女と文は堪らず体勢を崩した。

 大木さえも薙ぎ倒しかねないほどの強烈な烈風は、山に漂っていた悪魔の霧の一切合財を領域の外へと弾き飛ばして退場させていく。

 

 これは――大天狗様の風っ!?

 

 ろくに仕事もせずに毎日趣味の絵描きを楽しむ組織の二番手は、天魔の側近として微塵もその腕前を衰えさせてはいなかった。

 風に込められた上司の気配を感じ取り、文が最初に思ったのは自分自身に対する激しい怒りだ。

 

 くそっ! ()()()()()()……っ!

 

 射命丸文へと此度の全権を移譲する――大天狗は去り際で、確かに彼女へとそう告げていた。

 彼女に任せておけば、自分の出る幕はない――そんな全幅の信頼を寄せられておきながら、文は大天狗からの期待をこんなにも無様な形で裏切ってしまったのだ。

 

 『無双風神』――

 

 屈辱と悔恨に胸の奥を掻き毟られながら、文はその一瞬で空気を切り裂き最高速度で飛翔する。

 

「え? ――っ」

 

 風刃――

 風を超え、音を超え、己の姿すらも残像として置き去りにした烏天狗の飛び蹴りは、吸血鬼の少女が知覚しないままその胴体を真っ二つに分断していた。

 

「ぁ……」

 

 何かを言おうとしたのか、ただ苦痛の叫びを上げようとしたのか――短い呟きと共に、少女の姿が消失する。

 

「……分身体、ですか。まったく、どこまでもコケにしてくれますね」

 

 山を吹き荒れ続ける風は、そのまま膜として留まり山を包む大きな壁となって戻ろうとする霧を拒み続けている。

 組織の象徴である霊峰を丸々一つ守護してのける、規格外の神通力。山の外からこの光景を見た者たちは、不可侵となったその威風に天狗の権威を改めて認識する事だろう。

 もっとも、もっと早くに文が吸血鬼を仕留めていれば必要のなかった防壁だ。

 どれだけ無様な失態を犯したとしても、事態はまだ終わってなどいない。後悔するのも、叱責を受けるのも、今というこの場を全て乗り切ってからだ。

 立ち止まり掛けた身体を無理やり動かし、文は即座に指令部の小屋へと帰還する。

 凱旋の扉を開け放ち、勝者となった烏天狗は突然の強風に驚くその場の全員に最後となるだろう指示を出した。

 

「敵軍の首魁(しゅかい)は、この射命丸文が討ち取りました! 全ての守備隊は、これより妖精たちの殲滅に移りなさい!」

 

 元々が、数の有利と巧妙な時間稼ぎに停滞していただけの戦況だ。頼みの綱であった吸血鬼を退けた今、後は上がった士気と勢いに任せて狩り尽くすだけで良い。

 

「あ、あやぁぁぁっ!」

「あやややや。仮にも立場を任された烏天狗が、部下の前でそんな情けない声を出さないで下さいよ」

「だっでぇ、だっでぇ……霧がどんどん濃くなるし、出した指示も全然伝わらなっていくし……う゛、ぶびぃっ!」

「ちょっ、はたて! 誰の服で鼻かんでんですか!?」

「文様、ご無事で何よりです」

 

 白狼たちが窓枠に手を掛けて遠吠えを繰り返す中、泣きじゃくるはたてを抱き止めた事で鼻水を擦り付けられた文に椛が深く頭を下げる。

 

「ほらっ、離れて下さいっ」

「むぎぃっ」

「椛、急ぎ各所の戦況を確認して下さい。伝令や千里眼の妨害による混乱を突いて、敵方に動きがあった可能性があります」

「それですが――どうやら手遅れのようです」

「――は?」

 

 抱き付くはたてを強引に引き離した文への返答は、彼女の予想が嫌な方向で見事に的中したという無慈悲な報告だった。

 

「先程の視界不良に乗じて、天魔様の屋敷へと襲撃があった模様です。負傷者こそ出ていないようですが、屋敷の一部が倒壊するなど器物関係の被害が出ています」

「……やられましたね」

「襲撃者は、大陸風の服を着た赤髪の女性。現在七合目付近で、天魔様の近衛担当と思われるお方と交戦中です」

「……」

 

 千里眼で確認しているのだろう淡々とした椛の報告を聞き終え、文は右手で顔をおおって天を仰ぐ。

 本命だと思っていた吸血鬼すら、天魔襲撃への布石に過ぎなかったのだ。防衛網が抜かれてしまった時点で、この戦いを完勝と呼ぶ事は出来なくなってしまった。

 

「どうなさいますか?」

「もう良いです、もう疲れました……残りの仕事は、白狼たちとその近衛様にお任せしますよ」

 

 少なくとも、攻め込んで来た妖精を天魔の下に到着させるという最悪の事態は回避されたのだ。戦にしても、一介の烏天狗が指揮したにしては十分過ぎるほどの対応だっただろう。

 武勲を掲げるつもりは毛頭ないが、文句を言われる筋合いもない。

 

「職務放棄ですか。まるで、仕事をしていない時の大天狗様のようですね」

「その評価は、はなはだ納得がいきません。そもそも、最初からあのお方が真面目に仕事をされていれば良かっただけの話でしょうに。私の責務は、もう十分果たし終えましたよ」

 

 椛からの咎めに、文はこれ以上の労働はごめんだと両手を上げて首をふる。

 

「結局、吸血鬼たちは一体何がしたかったのでしょうか」

「……恐らく、私たちにとってはとても下らない事ですよ」

 

 椛の疑問への答えをおぼろ気に察していた文だったが、あえてそれを口にする気にはなれなかった。

 吸血鬼の少女は、勝負の中で常に笑っていた。彼女は、文とは違いあの決闘を本気で楽しんでいたのだ。

 こんなに素敵な一時など、味わった事がないとでも言うかのように。

 あの少女は、長い間孤独を味わっていたのだろう。幽閉され、自由を奪われ、そんなつまらない毎日をただ無為に過ごしていたのならば、あの喜びようも納得がいく。

 彼女の力は、制御出来てない部分も含めて十分に強大だった。あの少女と全力で遊ぶ事が出来る者は、幻想郷の中でも相当に限られる。

 つまるところ、紅魔館の連中はあの少女の遊び相手となれる人材を探していたのだ。そして、この郷で最も多くの人員を抱える組織であるという理由から妖怪の山が狙われた。

 天魔の居る山頂を目指せば、それを阻止する為に相応の実力を持った者が必ず現れる。もしも現れなかったとすれば、そのまま天魔があの少女の遊び相手として選ばれていた。

 後に天狗側が抗議を行ったとしても、吸血鬼の当主は鼻で笑ってこう返すだろう。

 「うちの妹の遊び相手を務めてくれて、感謝する。だが、ご大層な組織の看板を掲げておきながらお前たちは子供のお守りを頼んだだけで文句を言うような、懐の狭い集団なのか?」、と。

 天狗は面子と外聞を重視する。故に、そんな挑発をされれば「強者の余裕」として抗議が取り下げられてしまうのは想像に難くない。

 天狗側も、緩んでいた気風に活を入れスペルカード・ルールの重要性を組織全体でいち早く把握するなど、不利益ばかりを被ったわけではないのだ。派手な騒動だった割に大きな被害も出ていない為、些か消極的ではあるが痛み分けとして手打ちとするのは間違った判断ではない。

 とはいえ、これまで苦労を散々背負わされた文にしてみればそんな事情を把握していたとしても到底腹の虫が収まるものではなかった。

 

「……これは、文々。新聞での紅魔館の独占取材くらいは確約して頂かなければ、褒美がまるで足りませんよ。ねぇ、大天狗様」

 

 この場には居ない適当で暇人で粋な上司は、きっと文が願いを伝えるまでもなくその望みを叶えるだろう。

 だからイヤなのだ。どこまでを頼めばやり遂げ、どこまでを頼めば投げ出して諦めるか――あの青年天狗は、良い意味でも悪い意味でも自分の部下たちを良く見ている。

 苦手にはなっても、嫌いにはなれない。なんとも得な人柄だ。

 

「敗色を感じ取ってか、妖精たちが逃走を開始しています」

「追撃を行う必要はありません。霧が完全に消滅し、異変が終了したと判断出来るまでは警戒態勢を維持するよう通達して下さい」

「承知」

 

 異変自体は、博麗の巫女が解決するのを待つ他ない。よって、それまでは事態の収拾と他組織からの更なる襲撃だけに目を光らせておけば良い。

 

「……そういえば、彼女はこれが「異変」での初陣でしたね」

 

 不安はない。文は一度様子見で取材をした程度なので今代の実力のほどを確認してはいないが、それでも勝手気ままな妖怪たちの抑止として賢者から選出された人材が普通の人間であるはずがないと理解しているからだ。

 仮に大敗したとしても、それはそれで美味しい記事が出来上がるだけ。司令官代理から新聞記者へと戻った少女には、もう大勢が決した山の戦況など完全に眼中から消え失せていた。

 新しい巫女。

 新しい(ルール)

 新しい遊戯。

 新しい勢力。

 新しい――幻想の郷。

 

「さてさて――今代の巫女は、この晴れ舞台で見事伊達役者となれますかねぇ」

 

 文は、開かれた窓から停滞していた世界が塗り変わる春風にも似た清々しくも冷たい空気が流れ込んで来るのを、確かに感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 霊夢とはぐれ、ルーミアは紅魔館の中を適当にふわふわと漂っていた。

 

「――おー、アリスの知り合いかー? アリスの匂いがするのだー」

「あっははははははははははははっ!」

「ぐぇぁっ!?」

 

 通路の奥に現れた、宝石の羽を背負う金髪の少女――フランにルーミアがその赤い瞳でぱちぱちと瞬きをしながら首を傾げていると、脈絡もなしに大笑いを始めた吸血鬼は宵闇の少女へと高速で迫り襲い掛かった。

 ルーミアの首と肩を掴み、そのまま真横へと叩き付けた衝撃によって壁ごと外へ飛び出す。

 

「初めてのお外で、心が爆発しちゃいそうなの! ねぇ、壊れちゃうまでで良いから一緒に遊びましょうよ!?」

「ぐ、いぃっ――がぅっ!」

 

 興奮し、両目を限界まで見開く吸血鬼の怪力によって首の骨が圧し折られる直前で、ルーミアは相手の両腕を掴み返しその肩口へと大口を開けて強引に齧り付いた。

 

「ぎぐぅっ!?」

 

 小柄な人間にしか見えない少女の顎のどこにそんな力があるのか、ルーミアが歯を立てた箇所は大した抵抗もなくあっさりと噛み千切られる。その激痛に驚き、フランは顔を歪めて呻きながら両手を離して距離を開けた。

 

「んぐんぐ……んー。アリスの匂いが沢山するのに、アリスの味はしないのだなー」

 

 口から血を滴らせながらもぐもぐとしばらくフランの肉を租借して飲み込んだ後、あからさまに肩を落とし落胆を示すルーミア。

 

()()()()()()()()()()()()()、残念なのだー」

 

 ルーミアが感じていたご馳走の気配とは、結界が解けた事で知覚出来るようになった紅魔館の住人たちそのものだったのだ。長年アリスと交流を持っていた彼女たちには、当然あの人形遣いの匂いが付いている。

 好きだから、愛しているから――だからこそ食べたい。宵闇の少女の愛は、確かにアリスへと向いていた。

 しかし、もしも本当に食べてしまえば大好きな人形遣いからの温もりは永遠に得られなくなってしまう。

 アリスを食べて失う事なく、彼女の味がする肉を思う存分堪能出来ると考えていたルーミアの期待は、見事に裏切られてしまっていた。

 

「いったいなぁ……っ。アリスお姉ちゃんの匂いばっかりさせて――やっぱり貴女、気に入らないわ!」

 

 再生させた肩に片手を置き、苛立たしげに吐き捨てたフランが紅色の弾幕を放つ。

 

「んー? 勝負するのかー?」

 

 宣言もなく振り撒かれた光弾の群れを前に、ルーミアの周囲から一瞬にして「闇」が溢れ出す。顔の右半分にだけ穴を開け、彼女へと被さった真黒の泥は吸血鬼からの弾幕の全てを飲み干し、食らい尽した。

 

「お返しだぞー」

 

 月符 『ムーンライトレイ』――

 

 開かれたスペルが夜の空に溶け、一旦「闇」を解除した宵闇の少女が広げる二つの手の平から長大な光波の線が伸び上がる。左右の手を正面へと回す事で、光の線もまたフランを挟み込んだ。

 

「あははっ、遅いよ! ほらほらぁっ!」

 

 禁弾 『スターボウブレイク』――

 

 振り回される光波を次々と回避し、フランの背に生える七色の羽から同色の弾幕が天へと昇り、一斉に庭中へと落下して行く。

 再び「闇」をまとい虹色の弾丸を無効化するルーミアだったが――不意に真横へと移動し()()()()()()()

 

「――あっはぁっ」

 

 偶然ではない。ルーミアの展開した防御の弱点に気付いたフランの口元が、一気に三日月へと歪む。

 確認として、もう一度。やはりルーミアは、特定の弾幕のみに対して「闇」をまとったままで身体を逸らす。

 

「なんでも食べちゃう貴女の影は、()()()()()()()()()()

 

 理屈も理由も、理解する必要はない。ただ、「そうなっている」という事が解ってさえいれば十分だ。

 先程、ルーミア自身が放った光波も白だった。だからこそ、彼女は一旦「闇」を解除してその事実を隠したのだ。

 

「おーわー」

 

 フランの弾幕が紅から白へと変わり、ルーミアは防戦一方となって逃げ回り始める。

 宵闇の少女の飛行速度や回避能力は、それほど早くも高くもない。それを補う為の強固な防御が無意味となった今、彼女が圧倒されるのは必然だった。

 追い込まれるままに上へ上へと昇って行くルーミアは、遂に夜空を隠す紅の雲へと突入していく。

 

「あはっ! おにごっこの次はかくれんぼ? 負けないよ!」

 

 姿は消えても、匂いは辿れる。フランもまた紅く染まる雲海へとその身体を浸し、嗅覚を頼りに次々と追撃を仕掛けていく。

 

「貴女みたいな邪魔者がみんなみんな居なくなれば、アリスお姉ちゃんもきっと……っ!」

「――それは違うわ」

 

 自分で無理だと解っていながら、それでも言い聞かせるように呟き拳を握るフランへと、突然雲の向こう側から否定の言葉が被せられた。

 

「アリスは皆を愛そうとはしていても、愛して欲しいだなんてこれぽっちも思ってないんだもの」

 

 その声は、今まで弾幕勝負をしていたルーミアの声だった。

 

「アリスはね、きっと仲良くなった誰かに殺して欲しいのよ。永遠でなくても、しばらくは彼女の事を思い出に留めてくれるような誰かに――」

 

 だが、決定的に何かが違う。幼さを見せず、おどけている様子もなく、声の若さから見れば不相応に感じるほどの大人びた口調へと変わっているのだ。

 

「死にたくないのに死にたくて、だからアリスは皆に優しくする事でそんな誰かを探しているのね」

「貴女……誰っ?」

 

 姿を隠し雰囲気を変えたルーミアに、不審を感じたフランの眉が寄っていく。

 

「――がぎぃっ!?」

 

 そして次の瞬間、視界を塞ぐ雲の奥から首と肩を掴む形でルーミアが吸血鬼の少女へと襲い掛かった。

 

「ぐ、ぎ、いぃっ」

 

 驚くべき事に、ルーミアの腕はフランがその怪力で幾ら振り解こうとしてもびくともせずに掴んだ部位を締め上げ続ける。

 まるで別人である。()()の双眸でフランを見据えるルーミアの頭で、結われた赤いリボンの半分以上が黒ずんでいる事に気付く者は居ない。

 

「答え合わせは、次の機会にしておきましょうか――アリ()()()()()()()()()()る、その時に」

「何……ぉ……っ」

 

 フランの疑問に答える事なく、ルーミアの操る「闇」が周囲へと一気に膨れ上がった。

 夜とは暗闇であり、暗闇とは宵闇――音もなく生まれた漆黒の球体が全てを飲み干し、幻想郷の空に掛かった紅い雲を際限なく平らげていく。

 急速に収束する大気が金属の振動するような高音を響かせ、中心にある大きな黒点が何もかもを食らい尽くす。

 

「――ぷぁっ」

 

 吸血鬼も雲も取り込み終え、最後に残ったものは「闇」を解除した宵闇の少女だけだった。

 赤いリボンから黒色がなくなり、瞳の色を赤に戻したルーミアがお腹を擦りながら空を泳ぐ。

 

「あぁ……お腹が空いたのだー」

 

 ルーミアは妖怪だ。彼女の渇きや空腹は、そのまま満たされない精神と直結している。

 どれほど豪勢な料理を食べても、どれほど高級な美酒を飲んでも、山よりも多くの食料を平らげても――彼女にとっては、なんの価値すらありはしない。

 彼女の腹を満たすのは、彼女が心から満たされたと感じる事の出来る食事だけなのだ。

 ルーミアにとって、アリスとの食事は楽しかった。その量でも、味でもなく、ただ頭を撫でながら汚れた口元を拭いてくれる優しさが、孤独を享受していた少女の心をたっぷりと満たしてくれた。

 アリスの料理は、夜道で襲われ恐怖に染まった人間の肉よりもずっとずっと美味しいと感じられた。

 しかし、ルーミアは再び空腹になる。一度味わってしまったあの温もりを、再び感じたいと願ってしまうのだ。

 人間の欲に際限がないように、妖怪の欲にもまた際限など存在しないのだから。

 

「アリスゥ、お腹すいたぁ」

 

 ルーミアは満たされない。

 宵闇の少女は、これからも永遠に空腹を感じ続けるだろう。

 何時か、極上の快楽にすら届くほどに何もかもが満たされる――そんな素敵な()()を夢見ながら。

 

「んー……」

 

 紅の蓋が消え去り、夜の星々を取り戻した暗闇の空でふわふわと浮かび続ける少女は、そのまままどろみへと身を委ねていった。

 

 

 

 

 

 

 春先である為、未だ花を咲かせぬ大量の向日葵が植えられた太陽の畑で行われていたのは、余りに一方的な戦いだった。

 もしかすると、それは戦いとすら呼ぶ事が出来ないほどに――

 

「ぐっ、ぎぃっ!」

 

 妖気によって生み出された二枚の花弁の大輪が、鋼に勝る硬度と切れ味をもって相手からの弾幕をことごとく弾き飛ばし、防御の為に交差させたフランの両腕を跳ね上げる。

 

「――うぁっ!?」

 

 体勢を崩した瞬間、フランの足には遥か前方の地面から生えた植物の蔓が幾つも絡みついていた。それ自体が意思を持つかのように植物が動き、抵抗も許さず吸血鬼の少女を強引に引き寄せる。

 蔓の根元で待っているのは、ほど良く背筋をしならせた大妖怪の右拳。

 

「ぁ、ガァッ!」

 

 それでも辛うじて両腕を戻し幽香の拳を受け止めたフランは、周囲に振動が起こるほどの轟音と同時に肉が裂け骨の砕ける不協和音を鳴り響かせ、蔓の拘束から解放されて彼方へと吹き飛んでいく。

 

「う……ぁ……」

「――立ちなさい」

 

 盛大に地面を擦り、幾度も転がった後で仰向けに倒れる少女へと幽香は無慈悲に()()を下す。

 対峙している吸血鬼の少女が分身体である事は、とうに理解しているのだろう。幽香はフランが消滅しないぎりぎりの力加減で叩き伏せ、再び立ち上がらせては勝負を始めるという行為を繰り返していた。

 幽香の手に、一枚のスペルカードが出現する。しかし、この符が開かれた事は戦いの内で一度としてない。

 相手からの攻撃は一度も当たらず、花による飛び道具を使用し、殺さない程度に加減した一撃を命中させて決着とする。

 酷く理不尽な屁理屈にはなるが、幽香は確かに新しい規範であるスペルカード・ルールを踏襲した上でフランを圧倒しているのだ。

 

「う……ぐぅ……」

「貴女、窮屈そうね」

 

 夜の力を得ているはずの吸血鬼をものともせずに地へと這いつくばらせる幻想郷の強者は、閉じた日傘を地面に付きふらふらと起き上がるフランを冷たい視線で眺めている。

 

「アリスから聞いているわ。「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」、だったかしら――それを私に使わないの?」

 

 流石の幽香であっても、防御を無意味とするフランの能力は防ぎようがない。

 だというのに、相手に命を握られるに等しい提案をする大妖の威風は小揺るぎもしない。

 自分は死なない、などという甘い楽観は微塵もない。あるのはただ、無様を晒すくらいならばその場で死を選ぶという強者としての絶対的な自負と矜持のみ。

 

「う……うぅ……」

「ふぅん。誰かに何かを言われたのかしら? 「大人になれ」だとか、「力の制御を学べ」だとか――下らないわね」

 

 上目遣いで弱々しく唸りながら、再生した自分自身の腕を押さえ込むフランの瞳を正面から見下ろし、幽香は肩をすくめて哀れみの視線を送る。

 

「私たちは自由なのよ。何もかもを心の動くままに従い、どんな事をしても許されるの」

 

 本来、他者の畏れや負の感情より生まれ出る妖怪とはそういう存在でなければ意味がない。

 強大な力? 当たり前の事だ。

 忌み嫌われる能力? 当たり前の事だ。

 他者と相容れない歪んだ精神? 当たり前の事だ。

 ()()()()()()()()()、闇に住まう者として生まれた彼女たちにとっての当たり前なのだ。完璧に解明され、十全に理解の出来る怪異に怯える者など居はしない。

 

「遊びたいように遊びなさい、殺したいように殺しなさい――それが罪だとのたまう輩は、残らず捻り潰しなさい」

 

 誰よりも孤高である事、誰よりも自由である事。

 妖怪にとっての善行とは、存在意義とは、誰かに恐れられてこそ果たされる。

 

「誰に何を言われたのだとしても――私のこの言葉でさえも、従う必要はないわ」

「……」

「目を見開いて、良く御覧なさいな」

 

 恐れず、怯まず、束縛されず――初めから「悪」として生まれた身でありながら、一体誰に遠慮する必要があるというのか。

 

「貴女の眼にも直に映るでしょう? 幻想郷で最も華麗な、一輪の花の姿が」

 

 必要悪の、絶対悪――譲れぬ生き様を貫くからこそ、その花は崇高ささえ放つほどに気高く見る者を魅了する。

 

「……」

 

 フランは何度か口を開こうとして、結局言葉を飲み込みうつむいた後――もう一度幽香へと顔を上げる。

 

「フランは……貴女みたいに、自分の事を好きにならなくちゃいけないのね」

「えぇ、そうね」

「この能力も、フランの一部なんだから――だから、受け入れて、受け止めなくちゃいけない」

「上出来よ」

 

 間違っているのかもしれない。

 正しくはないのかもしれない。

 それでも、フランドール・スカーレットという名の少女は今ここで生きているのだ。それを否定する事は、何人たりとも出来はしない。

 自由であるという事は、同時に己の全てに責任を負うという事だ。幸福も、不幸も、全てを自分で背負うからこそその生き方は許される。

 他の誰でもない、自分自身に許されるのだ。

 

「えへへっ、ありがとう。また遊ぼうねっ」

「えぇ、さようなら」

 

 会話が終わり、この戦いにも幕の引かれる時が来た。

 幽香の開いた傘の先端が、フランに向けて照準を付ける。溜める間すらなく起こるのは、両手を広げるよりもなお広い特大の閃光。

 漂う霧も、夜の帳も、大地を踏み締める一人の少女の一撃を前になす(すべ)もなく敗北し道を開けていく。

 

「あ、あぁァアぁぁぁァァァあぁぁァァぁッ!」

 

 大河の瀑布を超える光の奔流の中で、一人の吸血鬼が絶叫を上げながら大地に両足を踏み締めて耐え続ける。

 盾とした左腕を灰塵の帰し、裂けた皮膚から血液をぶち撒け、それでもフランは一歩すら退かずに残された右腕を伸ばす。

 

「ぁ――っ!」

 

 閃光が収まった場所に、もうフランの姿はなかった。分身としての再生能力が限界を迎え、実体を維持出来ずに消滅したのだ。

 それでも、少女の一撃は大妖に届いていた。肉体が崩れ去る瞬間、千切れる寸前で強引に握り込んだ右腕によって幽香の日傘が微塵に砕けていく。

 

「――やれば出来るじゃない」

 

 地面に落ちた日傘の破片を一瞥し、一人残された幽香は口の端を持ち上げて悠然と微笑む。

 踵を返し空を見上げれば、別の誰かがどうにかしたのか鬱陶しいほどに空をおおっていた紅の雲が消え去り、星や月がようやく顔を覗かせていた。

 

「折角乗って上げた相談事の落ちが、「相手が死にました」では流石に締まらないかしらねぇ」

 

 だからといって、幽香自身から何か行動を起こすつもりはない。

 これから夏が訪れるように、秋となって冬が来るように、その命が幻想の園で終わる瞬間まで彼女は「風見幽香」として不変のままでこの地に存在し続けるだろう。

 本来、妖怪は想いを燃やす必要がない。長い永い悠久の時の中で、ゆらゆらと熱を灯し続けるだけで良いのだ。

 決して満足してしまわないように。決して燃え尽きてしまわないように――

 だが、時に誰かの熱がそんな人外の心を焦がす。燃え盛る激情や、猛り狂う情熱の火が、妖怪の身体を火照らせる。

 

「きっと咲くのは、紅のダリアね。少しは楽しませて貰えるかしら」

 

 クスクスと小さな笑い声を何度も漏らしながら、幽香は上機嫌で岐路に着く。

 この騒動は、後に巻き起こる数々の「異変」の序章に過ぎない。彼女の足取りは、半ばそれを確信した浮かれた足音を奏でている。

 しかし、幽香はきっとどの「異変」にも自分から関わる事はしないだろう。或いはただの傍観者として、事態を眺めるだけの立ち位置を貫くはずだ。

 だからこそ、幽香が読み手であり続けるには読むべき物語が必要だった。

 彼女はただ、幻想が繰り返す摩訶不思議な物語(異変)を退屈しのぎの娯楽として楽しみ続ける。

 太陽の畑に住まう極悪妖怪にとって、何千何万何億回目になる気ままな一日が終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 柱が砕け、花瓶が割れ、床の絨毯と壁の絵画が燃え散っていく。

 両者の弾幕が周囲を散々に破壊し、謁見の間として作られた部屋は無残な有り様へと変貌させられていた。

 

「がっ! ――あぐっ、ぐぎぃっ!」

 

 霊夢の強烈な蹴りによって屋敷の壁へと叩き付けられるとほぼ同時に、フランの両肩に近い腕の付け根へと退魔の針が打ち込まれる。針は肉を貫いたまま背面へと突き出し、その後ろにある壁へと刺さり少女を縫い止めた。

 

「こんな……こんなもの……っ!」

「無理よ。それを解きたかったら、人間にでもなる事ね」

 

 両腕に力を込め、強引に針の拘束を引き抜こうと足掻くフランへとその前方に着地した霊夢が冷淡に告げた。

 簡易ではあるが、結界術の応用による封印だ。フランが吸血鬼という人間に調伏される運命(さだめ)を持った種族である限り、この縛りを解く事は容易ではない。

 

「くっ……ぐぅぅっ――くはぁっ」

 

 しばらくもがいていたフランだったが、どうにも出来ない事を悟ると大きく息を吐いて力を抜く。

 

「負けちゃった……」

 

 ぼんやりと遠くを眺め、自分の境遇が信じられないというようにパチパチと瞬きを繰り返すフラン。

 

「人間って、強いのね」

妖怪(あんた)たちと同じよ。強かったり、弱かったり――私の強さは、まぁまぁかしらね」

 

 霊夢の回答は、謙遜ではない。彼女は基本、比較の対象を人間ではなく人外に限って想定しているからだ。

 単純な肉体の能力だけで言えば、霊夢とて妖怪には敵うべくもない。

 

「まさか、皆負けるなんて――外って凄いわ」

「これに懲りたら、これからは精々大人しくしておく事ね」

「あははっ、無理よっ。外がこんなに楽しいなんて、全然知らなかったわっ!」

「やれやれ……」

 

 最初の分身は、風より早い天狗に引き裂かれた。

 次の分身は、闇を操る少女に食い尽くされた。

 最後の分身は、向日葵の淑女に吹き散らされた。

 何もかもが鮮烈な外の世界には、フランの想像していた何倍もの驚きに溢れていた。

 数多くの「初めて」を体験した少女の胸は、歓喜と興奮の色に染まりきっている。

 

「ねぇっ、貴女ともまた遊びたいわっ」

「あんたみたいな元気な子供の遊び相手は、気の合いそうな適任が別に居るわ。今この屋敷に来てるでしょうし、後で会っておきなさい」

「うふふ。まだまだ沢山、色んな人に出会えるのね――楽しみだなぁ」

 

 霊夢が面倒な役割を知り合いに投げたところで、腕をはりつけにされたままフランがゆっくりと目蓋を閉じていく。

 

「ん……ぅ……きっと、またあそんでね……やくそく……」

「はぁ……っ。遊ぶだけ遊んだら勝手に寝るなんて、本当に子供ね」

 

 お願いを最後に寝息を立て始めたフランへと溜息を吐き、やれやれと頭を振りながら軽く髪を掻く霊夢。

 

「まったく、とんだ無駄足を踏まされたわ。明日の朝日を拝む前に、さっさとケリを付けたいわね――眠いし」

 

 何時かの誰かのように上手く出来たかどうかは解らないが、とりあえずはこれだけ満足させておけば十分だろう。

 最後に本音を漏らしつつ、霊夢は退治した妖怪を放置して扉の吹き飛んだ入り口へと足を進めていく。

 幻想郷の全てを紅い霧がおおうという今回の変事は、幸せそうな表情で寝息を漏らすこの少女の為に起こされた。

 幻想郷は、全てを受け入れる。己の力に怯える小さな少女もまた、例外ではなく。

 不変である妖怪も、心は育ち、そして変化する。良い方向にも、悪い方向にも。

 生まれて初めて外の世界を味わった吸血鬼の少女は、今宵――確かな成長をしっかりとその身に刻み夢の世界へと旅立っていた。

 

「だぁいすき……おねえさまぁ……」

 

 次に目覚めた時、誰もが幸せになれる夢の続きがある事を願いながら――

 




文が苦戦した理由は、スペルカード・ルールを上手く把握出来ず手加減をし過ぎたから。
幽香が圧倒した理由は、逆にルールを半分くらい無視して余り手加減をしなかったからになります。

幽「つまり、私がルールよ」


追記

最近マジで忙しいので、感想返しやアンケートに関してはまた後日になりそうです。
すまねぇ……すまねぇ……orz

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