東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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42・【速報】春で来た(始ノ二)

 幻想(まほろば)の中でさえ、この現実を超える光景を目に出来る者は限られる。

 満開の巨木が横列に立ち並び、舞い落ちる桜花の群れが地面を桜色へと染め上げていく。

 庭に敷かれた石たちが、姿を隠すほどの大量の桜吹雪――その中で、全ての桜から離れて植えられた他よりも更に太く最も樹齢の高いと思われる一本の大桜のみが、周囲とは違い幹と枝のみを晒し葉の一枚すら付けてはいない。

 西行妖。この大桜の名にして、西行寺家と共に冥界へと渡った死の桜だ。

 この桜は、死んでいるわけではない。封印されているのだ。

 溢れ出る瘴気はある程度抑えられているものの、それでも近くに立てばその毒と呪いは確実にその身を蝕むだろう。

 現に、この桜の立つ周辺は舞い散って流れ込んだ花びら一つさえも一瞬で黒ずみ、灰が崩れるように虚空へと消滅させている。

 

「ほとけには、桜の花をたてまつれ――」

 

 危険極まりない妖木の前で、開いた扇子を口元へと当てている亡霊がポツリと呟く。

 

「我が後の世を――人とぶらはば」

 

 私が死んだなら、墓前に桜を添えて欲しい。私を弔ってくれる人が、もしも私の死後に居るのならば――

 

 死人が口にするには、いささか皮肉の利き過ぎるだろう詠だ。

 彼女の前こそが墓前であり、そして桜は目の前のもの以外全てが満開となっている。詠の通りを望むならば、彼女の願いは果たされているのだ。

 だが――足りない。

 全ての桜を散らしてさえ、亡霊の前にそびえる老木は咲きはしないだろう。

 もっと多くの、もっと強い力が必要なのだ。

 桜が春に咲くのならば、この妖怪桜が欲してるのは「春」そのものだと言って過言ではない。

 

「幽々子様――準備のほど、全て完了致しました」

 

 亡霊の後ろにある建物から、雅な柄の襖を開け背と腰に二刀の刃を携える剣士が近寄り亡霊の背後で片膝を付く。

 

「ご苦労さま。それじゃあ、始めてちょうだい――妖夢」

「はっ、全ては幽々子様の御心のままに――」

 

 その場で深く一礼をした従者が、凛とした顔立ちで背筋を伸ばし屋敷の外へと向かって行く。

 

「世を惑わすが悪の常、それを正すが善の常――うふふっ」

 

 亡霊は笑う――少女のように。

 妖しく嗤う――妖婦のように。

 

「楽しみだわぁ。もしも面白い子が来てくれたら、一人くらい亡霊(お仲間)にしちゃおうかしら」

 

 この桜を咲かせたい。亡霊となった姫の願いは、ただそれだけだ。

 西行の桜が咲けば、この妖怪桜を封じる為に犠牲となった名も知らぬ誰かの身体という(かなめ)も解ける。

 

 知りたい、一体どこの誰なのか。

 

 友人の誘いに乗り異変という大騒ぎを起こす手伝いを頼まれた際、彼女はその目的をこの桜へと定めた。

 勝つか負けるか。長い時間を掛け、これだけ面倒な準備を行ったのだ――主に妖夢が。

 失敗しても、それはそれ。だがしかし、例え負け戦でもそれなりに楽しめなければ嘘と言うもの。

 

「始めましょうか――亡霊の宴を」

 

 舞うようにひるがえり、扇を天へと掲げる亡霊姫。彼女に呼応するように、冥界を流れる沢山の霊魂たちが一斉に上昇していく。

 不動と無言を貫く枯れ木もまた、呻くように小さな震えを起こす――振り返った亡霊は、その瞬間を見る事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 春夏秋冬――季節は移り行くもので、幻想郷のそれは正に風情と情緒の溢れる美しい景観の変化を郷全体で見せ付けてくれる――はずだ。

 

 ごめん、ちょっと妄想入ってた。実は私、まだそんなに色々見れてないんだ。

 いやさ、私が登場する原作の異変がまだ発生してないもんだから……今は数少ない知人の家である紅魔館と、自宅をコソコソ行き来するだけの隠居生活を送ってますです、ハイ。

 でも、霧の湖とか妖怪の山とかを遠くから見ても結構変化が大きいから、別の場所でも多分そうなんだろうなぁって結構期待してたり――ムフフッ。

 

 しかし、そんな寂しい思いも最早これまで。苦節十年以上の月日を越えて、遂にこの日がやって来たのだ。

 

「はるですよ~……」

「あらあら」

 

 数少ない知り合いその二であるレティ・ホワイトロックが私の自宅へと連れて来たのは、私の出した上海サイズ用のコップに入れた蜂蜜水を机の上に座ってやさぐれ顔でジュルジュルと啜る小さな隣人。

 白を基調とした帽子に、同色で袖口の広いワンピースに肩掛け(ストール)。背中に淡く薄い六枚の羽を生やし、首ほどまでの金髪にパッチリお目々をした妖精の少女。

 彼女こそ、年中心が春爛漫の白と黒とでプリとかキュアとかしそうでしない開花系女子。春告精の、リリーホワイトその人(?)である。

 彼女がこのように不機嫌な理由は、家の外の景色にあった。

 暦の上ではすでに春なのだが、陽気は一向に訪れずむしろ猛吹雪が吹き荒れるほどの悪天候となっている。時刻は夜半なのでカーテンを開けないとその様子は見えないが、ごうごうとなびく風が窓を何度も叩いている音が室内に響いている。

 春なのに、春が来ない――そう、この異常は正に私の記憶にある「東方妖々夢」、つまりは「春雪異変」の始まりに違いなかった。

 季節の変化と同時に大半の力を失うレティが、未だにまったく妖気を衰えさせていない以上そうとしか考えられない。

 

 私の出番キタコレッ、これでかつるっ。

 

 人形遣いの魔法使いである、「アリス・マーガトロイド」として幻想郷へと大々的にデビューする事が出来るこの日を、一体どれほど待ちわびた事だろうか。

 一つ前に紅魔館勢が起こした赤い霧の異変の後、レミリアたちから解決を祝した宴会に呼ばれ博麗神社で霊夢と魔理沙に出会ってしまうというかなりのうっかりミスをしてしまったが、挨拶もそこそこに壁の花を徹していたのであれはノーカンで良いだろう。

 

 人里との交流と、可能であれば里の中でやってみたい人形劇の公演。

 妖怪の山や彼岸など、特殊な技術や素材が入手出来そうな場所への回遊。

 霊夢や魔理沙など、原作キャラたちとの本格的な出会いと友好。

 

 何より、この異変が解決されれば私はもうアレコレと我慢しながら逃亡者のような生活を続ける必要がなくなるのだ。単なる意地で隠遁していただけなので完全に無意味な時間ではあったのだが、気にしてはいけない。

 そんな訳で、改めてこの幻想郷の住人として名を連ねる事が出来るという喜びに私の心は激しく打ち震えていた。

 

「む~。たくさんたくさん探したのに、「春」が全然見つからないのですよー」

 

 「春が来た事を伝える程度の能力」。リリーは、普通の者では気付かないような微細な変化を感知し、春の到来を幻想郷中に知らせて回るという非常に平和な妖精さんである。

 

「探し方が悪いんじゃないの?」

 

 こちらは小指を立てて紅茶を飲みながら、割と毒舌なレティさん。

 

「リリー、一杯頑張ってるのに……ゆきゆきさんは意地悪なのです」

「私の名前はレティよ。いい加減覚えなさいな」

「むむー、やっぱり意地悪です。リリー、お名前覚えるのは苦手なのですよぉ」

 

 季節を彩る者同士、なんとなく波長が合うのだろうか。一緒に居られる期間は短そうだが、仲は良いらしい。

 

「始めまして、リリー。私はアリス・マーガトロイドよ」

「ア、アリ……マ?」

「呼びづらければ、貴女の好きに呼んでも良いわ」

 

 本人の言った事は本当らしく、難しい頭をして小首を傾げる春妖精に助け舟を出してあげる。

 

「それじゃあ――アリアリさんで!」

 

 これまたすげぇ渾名が付いたな。

 私に、ファスナーを開け閉めするスタンド使いにでもなれと?

 

「ぷっ……ぷふっ!」

 

 予想の遥か斜め上を行くリリーの命名に、白岩さんも思いっきり口元を押さえて噴出している。

 

「それで、どうして私の所に来たの?」

 

 好きに呼んで良いと言ってしまった手前、拒否するのも可哀想だろう。

 ハイセンスな渾名を受け入れた私は、春さんと雪さんが来訪して来た意図が解らず対面で手の平サイズの冬服を編みながら質問してみる。

 

「外を見て貰えば解ると思うけど、どうしてだか春が始まらないの。だから、貴女なら何か知ってるんじゃないかと思って」

「私は、ただの引きこもりよ」

「そういうの、今は良いから」

 

 え? レティさん何その反応。

 私、貴女から一体どんな風に思われてるの?

 

 これが世に言う、女の勘というやつだろか。

 確かに答えは知っているのだが、だからといってそれは極力外出を控えている今の私が持っていてもおかしい情報だ。

 正直に教えるか、それとも誤魔化して知らない振りをするか――悩ましい問題だ。

 

「リリー、アリアリさんの近くから「春」を感じるです!」

 

 ぎくっ。

 

 流石春告精。軽く封印を施して密閉しているというのに、自分の領分にある要素の探知能力は目を見張るものがある。

 

「ほら、ネタは上がってるのよ。キリキリ吐きなさい」

 

 そう言いながら、椅子から立ち上がってジト目で私へと顔を近づけて来るレティ。

 

 レティさん、前屈みの姿勢がなんと言うか――オッパイ!

 ごっつぁんです。

 

「――しょうがないわね」

 

 観念した私がポケットから取り出したのは、小瓶に入った桜の花弁――に見える力の結晶。

 二日ほど前、紅魔館にお邪魔させて貰おうと空を飛んでいて偶然見つけたものだ。

 

「――っ! それ、「春」です!」

「そう。これは、「春」という概念を物質として固形化し視覚可能にしたものよ。今は、幻想郷中のあちこちで見掛ける事が出来るでしょうね」

「ほらやっぱり、探し方が悪かっただけじゃない」

 

 飛び付いて来たリリーに、小瓶の封印を解除して中にある春の欠片を渡すと、呆れるレティを前に小さな妖精はとても嬉しそうに手に入れたその花びらを食べ始めた。

 

 あぁ、食べるんだ。

 

「何者かが、大量の「春」を必要としてるのでしょうね。季節を丸ごと一つ使おうだなんて、相当に規格外の計画よ」

 

 もきゅもきゅと「春」を食すリリーにほっこりしつつ、彼女のプニプニほっぺを撫でながらレティに今起こっている事情を漠然と説明する。

 「春」を集めているのは、死を招く妖怪桜である西行妖が庭へと刺さる白玉楼の当主。富士見の亡霊、西行寺幽々子――正確には、その従者である魂魄妖夢の手によるものだ。

 春をこんな形にした術者は主謀者本人か、主謀者の友人でありスキマ妖怪の八雲紫。

 目的は、力を失った大桜を咲かせる為――その下に埋まる、とある秘密を知りたいというだけの迷惑千万なしろもの。

 

「恐らく、こうやって「春」を探していけば集めている元凶には辿り着けるでしょうね。でも、その辺りは博麗の巫女に任せるべき領分よ」

 

 生活用人形たちを操りお茶請けのクッキーを机に置いた所で、私はそう締め括って編み物の作業へと戻る。

 人外の起こした異変を、人間が解決する。刺激と安全を求めたスペルカード・ルールが制定される以前から、幻想郷に根ざす絶対の不文律。

 妖怪同士が争っただけでは、単なる小競り合いで終わってしまう。人間という弱者が圧倒的強者である妖怪を捻じ伏せるからこそ、異変は異変として機能するのだ。

 幻想に住む者として、その営みを否定したいとは思わない。

 

「貴女の言い分はもっともなんだけど――そうも言っていられないのよねぇ」

 

 事態の中心へ関わる気はないという私の意志表示に、レティは困ったように眉根を寄せる。

 

「どういう事?」

「貴女から見て、今の私をどう思う?」

「綺麗ね」

「そうじゃなくて」

 

 うん? 感想が聞きたかったんじゃないの?

 それじゃあ一体、どういう事だってばよ。

 

 理解力の乏しい私に、レティは苦笑しながら自らの手に氷の刃を瞬時に生み出し無造作にこちらの眉間へと突き付けて来た。

 

「ほら。冬が終われば力を失う私が、未だにこうして存分に妖気や能力を振るう事が出来る。それは、私以外の冬妖怪も例外ではないわ」

「はわわ、ケンカはダメですーっ」

「ケンカじゃないわ、安心して――つまり、冬に力を得る妖怪たちに変化が起こり始めているのね」

 

 誤解するリリーをあやしながら、私は刃を消滅させるレティが何を言わんとしているかをようやく察する。

 

「一つの季節が長引けば長引くほど、力を蓄えていく妖怪も居るわ。このまま春の訪れがズレ込めば、季節を(つかさど)る者たち全てがその循環を狂わせてしまうかもしれないの」

 

 幻想郷の外にある現代社会では失われつつある、自然の営み。

 生きとし生ける者たち全てが季節の影響を受けるのは当然だが、その中でもレティのような限定した時期に力を得る妖怪はその度合いも顕著だ。

 それだけではなく、人里の人間は食料がまともに取れず備蓄していた保存食が枯渇するかどうかの勝負になるだろうし、冬眠していた動物たちはそのまま永久に目が覚めなくなってしまう。

 自然が多いからこそ、その影響の幅は想像も付かないほどに甚大なのだ。

 どうやら、この異変は考えていたよりもずっと恐ろしい事態になりつつあるらしい。

 

「解決は人間に任せるとしても、それまでの時間を短縮するお手伝いはして良いと思うの。私も、この子も――貴女もね」

 

 赤信号、皆で渡れば恐くない理論ですね。わかります。

 

 異変解決に助力をするのは賛成だが、その方法が問題だった。

 妖怪や妖精は、基本人間にとって信用ならない外敵でしかないので面識のないレティやリリーが協力を申し出ても、霊夢たちには信じて貰えないかもしれない。

 顔合わせ程度の間柄である私の弁も、似たようなものだ。

 

「リリーさえ博麗の巫女に預けられたのなら、きっとこの娘が「春」の集まる主謀者の場所まで案内出来ると思うのだけれど……」

 

 僅かとはいえ、「春」を吸収した事で彼女の力も少しだけ上昇している。このまま順当に「春」を食べさせ続ければ、冥界にある白玉楼への道も示せるようになるだろう。

 

「――いけない。来るわ」

「え?」

「むぅ?」

 

 どうしたものかと頭を捻りながら、彼女にとっては巨大だろうクッキーを口一杯に頬張るリリーの頭を撫でていると、突然レティが焦った様子で立ち上がり背後の壁しかない場所を見上げ始めた。

 幻想の郷に降る全ての雪は、レティの目であり手の平だ。

 冬における彼女の探知能力は、恐らく幻想郷に存在する全妖怪の中でもトップクラスの精度を誇る。

 

「来る?」

「えぇ。チルノと一緒に、巫女と魔法使いが」

 

 作戦会議終了のお知らせ。

 いやいや、まだ何も決まっちょらんのですが……もうちょっと、こっちの話がまとまるまでゆっくりしてても良いのよ?

 どうにか誤魔化すのは――無理だなぁ。

 

 冬は、冷気や氷などに関する者の力も増大する。冬の塊であるレティがここに居る以上、あの氷精から逃れる術は咄嗟に思い付きそうもない。

 

「仕方ないわね……出たとこ勝負で行きましょう」

「あはは。妖怪の悪巧みを阻止するだなんて、今代の巫女は優秀ね」

 

 そりゃあもう、歴代最高の巫女ですからね。

 

「お出掛けです? リリー、寒いのはイヤですよぉ」

「これを着けなさい、サイズは合うはずよ」

 

 笑いながら玄関へと向かうレティの後を追おうと立ち上がり、渋るリリーに丁度完成した彼女用のマフラーと厚手の縦縞セーターをプレゼントする。足の分は、全体をすっぽり覆うほど長いルーズソックスだ。

 正確なサイズは測れなかったが、目測では上海たちと大差はない。毛糸の伸縮性を考えれば、十分余裕で着れるだろう。

 

「わぁっ、ありがとうです! アリアリさん!」

「何が起こるか解らないわ。騒がしいのが到着する前に、全部着ておくのよ」

 

 この身体をしばらく使っている内に、私の服飾技術と縫い物、編み物の速度は人間止めましたシリーズの域にまで達している。

 二人が来てから、時計の進みは十分と少しといったところ。これでも、何時もやっている作業時よりは遅いくらいだ。

 

 才能の無駄遣いしてる感が半端ねぇ。

 マジで、スペック高過ぎでしょうこの身体。

 

 万事が万事この調子だ。本当に、「アリス」様々である。

 それだけに――私はこの身体を、十年以上使い続けた今でさえ自分のものだと認識出来ていない。

 記憶にある凡才を鑑みて、隔絶している今の肉体を受け入れられない。本当に、私は自分勝手な生き物なのだと心底思う。

 自分勝手な――「人間」なのだと。

 外は変わらずの猛吹雪だ。私も、人形を使って洋服棚からあらん限りの防寒具を持って来て貰い、ついでに対象を一定の温度にして保ち続ける暖房の魔法を肌着へと掛けておく。

 

 良し、完璧だ。

 パーフェクトアリス――出るっ。

 

「おまたせ、行きましょうか」

「リリーも準備出来ましたーっ!」

「うふふ、なんだかこれから人間を襲いに行くみたいね。楽しみだわ」

 

 レティからなんとも物騒な例えをされながら、私は出口である木製の扉を開け放つ。

 深い木々に囲まれてなお、吹雪は室内へ舞い込んで来るほどに強烈だ。はっきり言って、これだけ色々準備していても滅茶苦茶寒い。

 

 ねぇ、レティ。

 私とリリーだけ、家の中でグラタンかシチューでも食べながら貴女の帰りを待ってるっていうのはダメかな?

 ダメ? ダメかぁ……そうかぁ……

 

 無言の訴えは届いてくれず、私たちは夜の吹雪の中を飛び立つ事となった。

 

 あれ? レティって天候操れるから、この吹雪も止められるんじゃね?

 

 私がその事実に気付き、彼女に雪と風を止めて貰うようお願いしたのは霊夢たちと接触する直前で、もう随分と雪を被ってしまった後だった。

 

 

 

 

 

 

 大粒の雪が、これでもかと大量に舞い飛ぶ夜の幻想郷。

 

「おい、チルノ。本当にこっちで良いのかよ?」

「当たり前じゃない! 最強のあたいに任せておけば、だいじょーぶなのよ!」

 

 魔法の森へと続く道の上空で、自信満々に胸を張るチルノが先頭を飛び後ろの二人を案内していた。

 寒い寒いと言うばかりで一向に異変解決へ動こうとしない自堕落巫女を見かね、魔理沙がおだてすかして挑発しなんとか一緒に出陣させたのが二時間ほど前。

 なぜ一人で行かなかったのかと問われれば、魔理沙は「異変は解決したいけど、霊夢がその間こたつに入っていると思うとムカついたから」と答えるだろう。

 

「冷えるわね。視界も最悪だし」

 

 霊夢は麻の手袋をはめた両手を擦り合わせ息を吐きかけて指先の温度を高めようとするが、そんな行為ではさして効果が出ないほど周囲の冷気と豪雪は容赦なく少女の体温を奪っていく。

 しかし、次の瞬間今までの猛吹雪が嘘だったかのように突然周囲の雪と風が完全に停止する。

 恐らく、自然現象ではなく何者かの意思によって天候が操作されたのだ。

 

「「明り(ライティング)」」

 

 風雪が収まると同時に霊夢たちの周囲へと十を超える光球が放たれ、一帯に明りを灯す。

 まるで自然そのものが演出しているかのような登場で、警戒する霊夢たちの前へと大量の人形を浮かべた一人の少女が立ち塞がった。

 

「――冷えるのは、貴女たちの春度が足りないからじゃなくて?」

 

 両肩近くまで伸びる美しい金髪に、宝石を込めたように意思を見せない蒼球の瞳。

 人間に見えるが、人間ではない。魔理沙は即座に、彼女が己の同類であり上位者である事を看破する。

 

「お前は確か、レミリアたちと一緒に宴会に来た――」

「むっ! 何者だ! ――って、アリスじゃない!」

 

 魔理沙が名を確かめるよりも早く、前に居たチルノが答えを言ってしまう。

 

「しばらくぶりね、三人とも。それとも、後ろの二人には改めて初めましてと挨拶した方が良かったかしら」

 

 淡々と、心を乗せない顔と声音でアリスが三人へと声を掛ける。

 強者特有の傲慢と余裕。勿論アリスにその気はまったくないのだが、初対面に近い魔理沙には彼女の不変な態度がこちらを見下しているように感じてしまったのだ。

 それは、紅魔館で魔女の先達の口から聞いたこの魔法使いへの評価から来る誤解でもあった。

 

 ――忠告しておくわ。彼女と何かで勝負をするのは、止めておきなさい。

 ――今の貴女にはお勧めしないし、きっと後悔する事になるわよ。

 

 あれほどの魔法を自在に扱う高位の魔法使いが、そこまで警戒を示す同業者。

 やるなと言われて止まるほど、魔理沙は大人しくも人格者でもない。

 

「――ねぇ」

 

 勝負を申し込もうとした魔理沙だったが、今度はそれよりも先に隣に居た霊夢がアリスへと問い掛ける。

 

「最初に見掛けた時から思ってたんだけど……貴女、前に私と会った事はない?」

「――は?」

 

 誰にでも平等である彼女が誰か特定の人物に興味を示すなど、珍しいどころの話ではない。魔理沙は思わず、阿呆のように口を開けて霊夢を見てしまっていた。

 

「難しい質問ね……多分、可能性はゼロではないと思うわ」

「なるほど――その答えで十分よ」

 

 曖昧に過ぎるアリスの回答に納得し、巫女の少女はスペルカードと何枚もの霊符を取り出す。

 

「どういう事だ? お前ら知り合いなのかよ?」

「さぁ?」

「いや、さぁって……」

「気のせいよ。彼女と戦いたいんでしょう? 私は、もう一人の方とやるわ」

「え?」

 

 霊夢から無理やり会話を打ち切られた後で登場したのは、白と薄紫色の配色をした余裕のある服を着込む白髪の女性。

 

「レティ!」

「はーい。相変わらず貴女は元気ね、チルノ」

「当たり前でしょ!」

 

 飛び込んで行ったチルノを受け止め、こちらへと向けて笑顔で片手を振っている。

 話は横に逸れるが、アリスは今より一ヶ月ほど前に偶然人里近くの川辺で幻想郷の技術者(エンジニア)である河童の河城にとりと知り合いになれた為、現在彼女の持つ技術を一部提供して貰い写真撮影に特化した人形を製作中だったりする。

 もしも仮に完成していたとすれば、この光景は確実に激写していた事だろう。

 

「そこの氷妖精が、この異変を起こしたのはあんたじゃないかって言ってたの。申し開きはある?」

「うふふ、くろまく~」

「やっぱり! あたいの推理は完璧ね!」

「――シロね。でも、先へ進む切っ掛けは知ってるって所かしら」

 

 我が意を得たりとふんぞり返るチルノを無視し、霊夢は己の直感のみで真実を暴き出す。ここまで来ると、最早能力にさえ匹敵する理不尽さだ。

 そっとチルノを離しながら、勝負を前に艶めかしく笑みを浮かべるレティの手に現れたのは、四枚のスペルカード。細くきめ細かい指先が、その内の一枚を掲げて見せる。

 

「うふふ。だったら私は、しろまくかしらねー」

「レティ! 頑張って!」

 

 寒符 『リンガリングコールド』――

 

 氷精からの声援を受け、まずは小手調べとレティの手の平から発生した大量の光弾と氷塊が博麗の巫女へと向けて放出される。

 

「貴女を潰せば、少しは温かくなるかしらね」

 

 まったく危な気なく弾幕を回避しながら、反撃として札に更なる霊力を込めていく霊夢。

 鋭い刃のように精神を研ぎ澄まし続ける彼女であっても、逃げ場などない肌に刺さる寒気にはいい加減辟易しているらしかった。

 

 

 

 

 

 

 いやー、負けた負けた。

 自分でやる弾幕ごっこは、やっぱり見てるよりも迫力が段違いだよ。

 綺麗な上にキラキラしてて――魔理沙の弾幕はメルヘンチックだから、夜にとても映えるよねぇ。

 

 お互いに三枚を提示して開始した私と魔理沙の弾幕ごっこは、当たり前の結果として私の敗北で終わっていた。回避のみで相手のスペルを一枚ブレイクしたので、私としては上々の結果だ。

 敗北した理由は単純で、私は弾幕ごっこが弱いからだ。

 より正確な理由の語るならば、私は「アリス・マーガトロイド」のスペルカードを使用する事が出来ない。

 陳腐な表現になってしまうが、魔法を発動させる上で特に重要になるのは「信じる心」だ。

 理論に納得し、術式に確信し、込める魔力を自信に変えて、この世に存在しない「魔」の法則は「魔法」という形をなして顕現する。

 スペルカードは、自己の精神と想念の結晶。自分が「アリス」ではないという事実を理解している私からは、彼女の魔法を十全な形で発動させられる要素が完全に失われていた。

 当然、私も「アリス」とは無関係にオリジナルのスペルカードを作った事はある。

 そして、そのスペルが問題なく発動してしまった(・・・・・・)時――私は弾幕ごっこで誰かと遊ぶ事を断念した。

 もう一度言おう。スペルカードは、自己の精神と想念の結晶だ。

 自分という存在を認めず、否定と諦念ばかりが際限なく溢れながら湖面の如き凪を続ける矛盾を孕んだ無味乾燥の内面――「私」のスペルカードは、私にとっての禁忌となった。

 

 大丈夫大丈夫、弾幕ごっことかしなくても生きていけるって。

 元々争い事とか嫌いだし、問題ないない。

 

「お前……バカにしてんのか!」

 

 しかし、勝者である魔理沙から私に向けて送られる言葉は呆れや不満ではなく、激しい怒りの込められた糾弾だった。

 

「なんの事かしら?」

「ふざけんな! あんなやる気のないスペル、そこらの妖精だって避けられるぜ!」

「失礼ね、あれが私の全力よ」

 

 正真正銘、「アリス」のスペルカードを模倣したあのへっぽこスペルたちが今の私(・・・)の実力だ。

 勝つ気がなかったというのは正解だが、頑張って再現したスペルの貧弱さに文句を言われるのは心外である。

 

「だって、パチュリーはお前と勝負するなって……っ」

「弱いからでしょう。私を倒しても、自慢にも経験にもならないでしょうし」

「……ちっ、期待外れかよ」

 

 露骨に舌打ちされちゃったよ。

 この場合、悪いのって私じゃなくて誤解されるような言い方をしたパッちゃんじゃなかろうか。

 

「霊夢! 先に行ってるぜ!」

「はいはい、どうぞご勝手に」

「待って」

「聞くかよ。弱いんなら、お前は家で大人しくしてろ」

 

 完全にこちらを見下した口調で、魔理沙は制止するこちらへとヘ字口を見せて飛び去って行ってしまった。

 友人のせいで巡って来た理不尽な仕打ちに、私のガラスハートはブレイク寸前である。

 まぁ、異変の最中は妖怪などが活気付くので危険な外を出歩くな、というのは彼女なりに私を心配してくれたからこその台詞なのだろうが。

 

「一緒に出発したって、結局はこうなるんじゃない」

 

 レティからの激しい弾幕に晒されながら、霊夢は焦りも動揺もなく精密に反撃を繰り返していた。

 

「あらあら、これは流石に……っ」

 

 スペルカードを展開している側――つまりは攻撃側であるレティの方が、その表情に苦悶を表している。

 霊夢の弾幕として放たれる札は、回避するレティへと追尾し、追い込み、追い詰める。

 

「まぁ、普通の黒幕にしては中々だったわ」

 

 言葉の最後に霊力を込めた巫女の霊符が正方形の結界へと変わり、冬女の逃げ道の丁度眼前へと出現する。

 

「く……っ。あぐぅっ!」

 

 咄嗟に足を止めてしまった得物へと背後から迫る追っ手の札が殺到し、遂にはその内の一枚が彼女の右肩に直撃して盛大に爆ぜる。

 

 ちょっ、当たった箇所めっちゃ抉れてるじゃん!

 

 彼女が絶賛パワーアップ中の妖怪でなければ、腕の一本は確実にもげていただろう。

 

「やり過ぎよ」

「妖怪なんだから、これくらい平気でしょ」

「霊夢――やり過ぎよ」

「妖怪が博麗の巫女にお説教なんて、良い度胸してるじゃない」

 

 なぜだろう――出会って間もないはずなのに、私は彼女を「叱ってあげなければ」などと考えてしまっている。

 再び霊符を構えて私を睨む最強の人間を、私はまったく恐ろしいと思えない。

 

「霊夢貴女、怒っているの? いいえ、拗ねているのね」

「違う」

「貴女らしくないわ」

「「らしくない」?――私の事なんて良く知りもしないくせに、勝手な事言わないで」

「えぇ、知らないわ。それでも、今の貴女がらしくないという事くらいは解るつもりよ」

「――うるさい。バカ」

 

 霊夢ちゃんキュンかわっ!

 いや、違くて。

 

 霊夢が不機嫌になっているというのは、なんとなく解る。だが、どうして機嫌が悪いのかという原因が解らない。

 霊夢自身も、自分の感情に戸惑っているような印象を受ける。

 

「もう良いわ。さよなら」

 

 霊夢もまた、それだけ言って夜の彼方へと飛んで行ってしまう。

 

「……結局、なんだったのかしら」

「アリスは女泣かせね」

「その台詞、そのまま返すわ」

「レティ! 大丈夫!?」

 

 笑いを含んだレティからの言葉に、私は彼女に泣きながら縋り付いているチルノを見下ろしながらそう指摘した。

 

「じっとして――「治癒(リカバリィ)」」

「ん……ありがとう。でも、あの娘を渡し損ねちゃったわね」

「むにゃむにゃ……ケンカはダメですよぉ……」

 

 レティの傷を治療していると、一緒に飛び立ったリリーが小さい身体故かようやく今になって眠そうに目を擦りながら、私たちへと合流してくる。

 

 全然真っ直ぐ飛べてないし。この娘ったら、冬眠し掛けてらっしゃるわぁ。

 

 引き止めても強引に立ち去られてしまったので、説明した所で受け取ってくれたかどうかは疑問だ。

 

「誰かが、後を追って届けに行くしかないようね。この娘が居れば、解決が早まるのは間違いないのだし」

 

 チルノでは少々不安があり、私は彼女たちに嫌われてしまった。ここは順当に、レティが適任と言えるだろう。

 

「それじゃあ、お願いね」

「うみゅう?」

「え?」

 

 そんな彼女から、とても良い笑顔で寝惚け半分の妖精を手渡され訳が解らず困惑する私。

 

「いたたたた……巫女にやられた傷が痛むわぁ」

「こんなに怪我したレティを働かせようなんて、アリスは酷いヤツね!」

「待ちなさい。レティは妖怪なのだから、それぐらい大した怪我ではないでしょう」

「あら、貴女やチルノが怒ってくれるほどの重傷よ」

 

 わざとらしく痛がる三文演技をした後、チルノを味方に付けてお茶目にペロリと舌を出しおどけてみせる冬のお姉さん。

 流石は季節限定妖怪と言うべきか、この短時間であれほど深く抉れていた傷は完全に塞がっていた。破れた服も復元し、見た目だけなら元の通りへと戻っている。

 

「何があったのかは知らないけど、どうせ悪いのは貴女なんでしょ?」

 

 あのさぁレティ……マジで私、貴女からどんな風に思われてるのよ?

 

「そんな風に言われるほど、貴女に酷い事をした記憶なんてないのだけれど」

「そんなの、貴女の日頃の行いと周囲の反応を見てれば大体解るわよ」

 

 引きこもってお茶をしているだけのへっぽこ人形遣いが、一体何をしていると言いたいのか。解らないのは、当事者であるはずの私ばかりだ。

 

「さ、切っ掛けはあげるから仲直りして来なさいな」

 

 彼女が私を知っているように、私もまたレティの性格をある程度理解している。気を使っているように聞こえるが、体良く面倒事を押し付けてようとしているだけだ。

 

 さてはレッちゃん、自分で言い出しておきながら面倒臭くなったな。

 もう、飽きっぽいんだからぁ。

 

「魔法使いは妖怪の山の方角へ行ったみたいだけど、巫女は上に向かって雲を抜けたわ。私の感知が雪を頼りにしているのを察しての行動なら、敵には回したくない相手ね」

 

 しかも上空って、確か冥界と現界を隔てる結界がある所だよね。

 紅白の巫女さん、マジぱねぇ。むしろ、もうリリー届けなくても良くね?

 

 とはいえ、彼女も完全無敵で万能というわけではない。

 必要なければそれでも良し、もしも道に迷っていたのならばその時は渡して上げれば良いだけの話だ。

 

「リリー、大丈夫?」

「むにゃむにゃ……はるですよー、はるなんですー。みなさーん、おきてくださーい……」

 

 起きていないのはお前の方だという突っ込みは、きっと聞こえてくれないだろう。

 腰のポケットに入れるには少々サイズが大きいが、我慢して貰うしかない。無理やりにならないよう慎重に妖精を突っ込み、私は霊夢を追って真上へ向けて上昇を開始する。

 

「行ってらっしゃーい」

「レティは大丈夫よ、あたいに任せておきなさい!」

 

 ありがとー! 皆ありがとー!

 無駄足になっても別に良いけど、助けになるなら届けるのは早ければ早いほどこちらとしても益に繋がる、か。

 それでは――張り切って行ってみよう!

 

「「翔封界(レイ・ウィング)」」

 

 冷凍コンビからの声援を受けながら、私は人形たちを自宅に転送しドラ○ンレーダー並に便利な探知機を懐に曇り空へと高速で向かって行く。

 星の輝きさえも閉ざされた夜の暗闇は、私のような小さな存在を丸呑みしてしまいそうなほど、黒く虚ろな姿に見えた。

 

 

 

 

 

 

 霊夢に懐の春告精を渡すまでが、自分の仕事。

 彼女が必要としなければそのまま取って返して魔理沙に届けるか、自宅で異変解決を願って温かい食べ物でも一緒に食べるか――当時アリスの心にあったのは、この程度の考えだ。

 その雲の先がすでに破壊された境界の向こう側――つまりは冥界の入り口を越えた場所であり、霊夢すらも飛び越えて主謀者の本拠地へ一番乗りを果たしたという事実を彼女が知るのは、随分と後の話になる。

 安請け合いから引き起こされた誤解と勘違いは、何も知らない人形遣いをとても切れ味の良い断頭台の根元まで優しく案内してくれる。

 

「――紫様、最初の侵入者を感知しました。アリス・マーガトロイドです」

 

 結界と同調し、地面で座禅を組んだまま集中を続ける最強の従者の瞳が今――彼女の姿を捉えた。

 




【亡霊は笑う――少女のように。】

まったく、この作者は一体何を書いているんだ。ゆゆ様は少女です~。

はーい、そして安定の絶望シーン入りまーす。

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