東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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まくあいは、わすれたころに、やってくる。
それにつけても、まりさかわいい。

おそまつ。



41・ネバーエンディング・「アリス」・ストーリー(序ノ二)

「……」

 

 苦い――ただひたすらに、苦みだけが口の中に溢れ出す思い出だった。

 読み始める前にはたてへと告げた、「逆から読んだ方が面白そう」や「基本(セオリー)通りにいくのは好きじゃない」などという言い訳はただの方便だ。

 「永夜異変」。このタイトルを見た瞬間、魔理沙はこれを最初に読もうとしか考えられなくなっていた。

 阿呆で、間抜けで、良い所なんて一つもなかった、あの異変を誰かの視点で綴られたこの一冊を。

 

 呆れられただろうな――勢いばかりで何も出来ず、無様に転がり回ってただけだったし。

 あの時、私を庇って受けた矢には毒が塗られていたらしいじゃないか――それすら無視して、アリスは私と交わした約束を優先したんだ。

 道が出来ただけで、私は約束が果たされたんだと勝手に思っていた――なのにアイツは、術そのものを破壊して更にその上を行った。

 誓いを嘘にしない為に――私に、異変を解決させようと――っ。

 

 無意識に、書を握る両手に力がこもっているのを自覚し、皺になる前に肩を緩める。

 宴会を済ませた後日、早く追いつこうと折れた腕を無視して研究をしていたら盛大に失敗し、アリスに助けられる事で更に恥を上塗りしてしまった。

 あれからというもの、あの人形遣いは明らかにこちらを子供扱いし始めた。甲斐甲斐しく世話を焼き、定期的に訪ねて来ては料理や洗濯、掃除などを頼んでもいないのにやっていく。

 完全に自業自得なのは自覚しているものの、理解と納得は得てして別のものだ。

 

 ――やっぱり、気に入らないぜ。

 

 だが、魔理沙の期待と不安に反し開いたアリスの手記には客観的な事実だけが列記され、あの魔法使いが主観として捉えた感想などは一切記載されていなかった。

 

 異変の後で各人の動きを調査し、可能な限り記載した時系列表――

 永琳の敷いた、竹林を覆う形で張られていた術式の原理と詳細――

 紫の仕掛けた、月を停止させる術に関して知り得た情報――

 

 その他、竹林の全体図や星の配置など、異変当時の情報が延々と繰り返されている。

 アリスの使用した竹林をぶち抜いた闇の魔法や、その後で竹林の力場を粉砕した方法など肝心の部分は歯抜け状態になっていてまるで書かれていないのだ。

 

 永遠亭の住人や、藤原妹紅が持つ各人の固有能力に対する考察――

 

 興味を引かれる出だしだったが、その内容もただ能力の名前と阿求の縁記に書いてあった自己申告の内容を丸写ししてあるだけだった。

 

「……なんだよ、コレ」

 

 詰まらないと唇を尖らせながら、しかし魔理沙はこの手記から感じる違和感の正体に辿り着いている。

 

 これは、アリスが自分の為に作った研究用や確認用の資料なんかじゃない。

 自分以外の、他の誰かに読ませる為に書かれた異変そのものの記録だ。

 

 「これは、私の手記である――」などという前置きを書いておきながら、徹底的なまでに自分を記そうとしない書き方。

 自分を書かないという事は、書く必要がない――この手記を読んで欲しい相手にとって、それは決して知られてはならない(・・・・・・・・・)部分だという事だ。

 自己を省みない、独善で利他的な価値観。

 誰にでも気安く、逆に言えば常に一定の距離を保ち続ける社交性。

 感想も評価もない、限りなく自分を排した手記の内容。

 まるで、その誰かがこの手記を読む時には書き手本人がこの世界から居なくなっているとでも言うかのように、証拠は揃いつつある。

 

 アリスは、一体誰を待ってるんだ?

 アリスは、「アリス」を待っている?

 アリスは、アイツは――ひょっとして、本当は「アリス」じゃない?

 何時かその時が来たら、後から来た本物の「アリス」と今のアリスは入れ替わってしまう?

 

 イヤな汗が止まらない。

 舌の根が喉の奥にこびり付き、呼吸が苦しくなる。視界が歪み、文字が読めなくなっていく。

 ただ、知り合いの書いた雑記帳を読んでいるだけなのに――その先のページを捲る指から、震えが止まらなくなる。

 まるで、開けてはならない禁断の箱の開け口に手を添えてしまったかのように。

 

 ま、待て待て、待てって。

 まだ、結論を出すには早過ぎるだろ。本人に確認も取っちゃいない。

 読むべき手記は、まだ三冊も残ってるんだ。最初に、全部読み終わってから考えようって思ってたじゃないか。

 

 辿り着きかけた回答から目を逸らし、先延ばしにする事でなんとか冷静さを取り戻そうとする魔理沙。

 そこまでですら、まだあの人形遣いの抱える真実の半分にも至っていないというのに、白黒の少女の心は怖気付いてしまい読むのを止めようかとすら考え始めてしまっていた。

 

「ん、んーっ」

 

 一端本を閉じて上体を逸らし、大きく伸びをして色々と頭に浮かんでしまったものを強引に誤魔化してみる。

 

「う゛ぅ゛……ぐず……っ」

 

 丁度良いタイミングで、前に座るはたてから涙と鼻水のすする音を聞き付けた魔理沙はこれ幸いにと読んでいた本から意識を外す。

 

「何泣いてるんだよ……」

 

 魔理沙は、自分の発した呆れ声に安堵が混じっていた事を自覚する。

 

「だっでぇ゛……だっでぇ゛……」

 

 大粒の涙を手記へと落としながら、はたての顔は見ていられないほどのぐしゃぐしゃになっていた。

 

「それ、後で私も読めるんだろうな……」

「う゛ぅ゛……レミリアが、妹さんの為に頑張ってるとっても良い子だったなんて――私、あの吸血鬼って生意気で鼻っ柱の強い我侭お嬢様だとばっかり……」

「むしろ、それ以外のなんなんだよ……」

 

 はたての評価は、おおむね間違ってはいない。

 傲慢で、凶悪で、我侭と悪戯が大好きな、幻想郷における最強の一角。それがあの、レミリア・スカーレットと呼ばれる吸血鬼だ。

 確かに、妹のフランが滅多に外出しない為姉妹の仲やその関係は余り知られていない部分もあるが、それでもはたてのこの反応は異常だろう。

 同じアリスの手記だというのに、真逆にすら思える反応の違い――この新聞記者は一体、あの魔法使いの記した書物から何を読み取ったというのだろうか。

 

「ずびびぃっ――あ、定時だ。写真撮らないと――」

 

 備え付けで束ねてある薄紙を数枚とり、全力で鼻を噛んだ烏天狗の少女が時計を見た後ゴソゴソと写真機を取り出し、宙へと掲げて適当に集中を開始する。

 

「んーっと――えいっ」

 

 可愛らしい掛け声と、カシャリッという小さな電子音。

 

「どれどれ――え?」

「どうした?」

 

 写された内容を確認しようとはたての覗き込んだ画像は、魔理沙からは反対方向で見る事が出来ない。

 はたてのみが見るその画面には、一つの目があった。

 真っ黒に塗り潰された一面の中に、限界まで見開かれ血走った一つ目の眼球があろう事か見えているはずのないこちら側を覗き込んでいるのだ。

 そして――飛び出す(・・・・)

 ゴボリッと汚い濁音を立て、携帯電話型という枠の小ささを完全に無視して水死体の如く真っ白で水脹れした二本の腕がはたての首に向かって生え伸びる。

 

「ひぃっ!」

 

 流石の反射神経と言うべきか、直前で顔を逸らし伸びて来た腕を回避するはたて。

 だが、それだけでは終わらない。

 

「な、何これ!? 何これぇ!?」

「おいおい、これはヤバイだろ……っ」

 

 咄嗟に投げ捨てた写真機からは、先程と同じ腕と一緒に淀んだ色の水までもが次々と湧き出し始めていた。

 腕たちは周囲の物体を無差別に掴み、一瞬で腐食、融解させては濁った水の中へと引き摺り込んでいく。

 

「ちょ、な、私の家が……っ」

「バカ、言ってる場合か! 逃げるぞ!」

 

 はたての読んでいた分も含め、アリスの手記を全て自分の帽子の中へと押し込んだ魔理沙は、箒を片手に飛翔しガラス張りの窓を割りながら室外へと一気に脱出を果たす。

 遅れてはたてが飛び出して来る頃には、溢れ始めた腕と水は室外へと溢れ出すほどに量と勢いを加速させていた。

 

「わ、私の……家が……」

「まぁ、なんだ――」

「――おっとっと、こりゃあ大変だ」

「っ!?」

 

 汚水に呑まれ沈んでいく自宅を呆然と眺めるはたてに声を掛けようとした魔理沙だったが、そこへ真近くから第三者の声が突然聞こえ反射的に取り出した八卦炉をそちらへと向ける。

 

「いやはや、旦那の読みが悪い方向で当たっちまったなぁ」

「誰だ、お前」

 

 そこに居たのは、火の鳥だった。燃えている鳥ではなく、火そのものが一抱えほどあるカラスに似た形をなしている赤炎の怪鳥。

 

「あぁ、お気になさらず。こちらは旦那に飼われてるってだけの、ただの歯牙ない眷族ですんで」

 

 そう言って魔理沙の隣から飛び立つと、炎のカラスは底なしの濁流へ消えゆこうとしている家の屋根にちょこんと乗り、はたてたちを見下ろし始める。

 

「た、松明丸?」

「はたて嬢、これも旦那の命令なんでな。悪く思うなよ」

 

 断りを入れた炎のカラス――はたてから松明丸と呼ばれたその鳥が、大きく飛び立つように翼を広げた刹那――豪炎が弾けた。

 

「きゃあぁっ!」

「うおぉっ!」

 

 家の外へと範囲を広げ始めていた水死体の腕と淀んだ水は、怪鳥から放出される極大の焔によって一気に干上がり、空気となって虚空へと溶け消えていく。

 勿論、その間に挟まれているはたての住処だった木材建築物諸共に。

 

「――ったく、ケツの穴の小さい神様だ事で。ま、これでお互いあいことしましょうや」

 

 自らの生み出す獄炎の中でそんな台詞を吐きつつ、松明丸は一帯の全てを灰塵と帰すまで燃え盛り続ける。

 次第に炎の勢いは収まっていき――最後に残されたのは、焦土となった地面と木炭や灰と化したはたての家の残骸だけった。

 

「わたしの……いえ……」

「はたて嬢――あー、どのみちあそこまで蝦蟇の呪いに漬かってちゃあもう住むのは無理だったろうし、いっそ未練ごと綺麗さっぱり燃え尽きたと思う事だな」

 

 余りの事態に放心してしまったはたてへと、視線を逸らしつつ翼を使って頭を掻く動作をしながら火炎鳥は弁解と励ましの言葉を送る。

 

「――居たぞぉ! 霧雨魔理沙だ!」

「ちっ、もう見つかったのかよ。早過ぎるだろっ」

 

 言ってから、魔理沙はあの極大の火柱が上がれば誰だって見つけられるだろうと理解して奥歯を噛んだ。

 遠吠えに近い警笛の声。白狼天狗の青年が空中で叫び、同じ部隊として動いていたのだろう数名の同胞たちも次々と現れ始めている。

 

「あれは――松明丸殿!?」

「あれが、大天狗様の使役されている眷属――初めて見たわ」

「あのお方、何時もあちこちフラフラしながら絵を描いてるだけだもんね」

「まさか、間接的にでもあのお方が眷属を出すほど真面目に仕事をするさまを目にする日が来ようとは……」

 

 魔理沙の近くで佇む松明丸の姿を確認し、口々に感想を漏らす白狼天狗たち。一部に上司へのけなしが入っているのだが、本人たちに悪気はないのだろう。

 

「松明丸殿! 何やらただならぬ事態とお見受け致しますが、そこな侵入者は我らが捕らえても良いのでしょうか!?」

「あぁ、このお嬢ちゃんはこっちの件とは関係ないんで。悪戯小娘と追いかけっこがしたいんなら、どうぞそちらでご勝手に」

 

 部隊のリーダーとおぼしき青年天狗からの質問に、黒と灰色の大地から動かない松明丸の返答は興味もないというつれないものだった。

 

「了解しました! 後は我らにお任せを!――散開!」

「「「応っ!」」」

「ちっ」

 

 地の利に加えて数の有利も相手に取られ、魔理沙は舌打ちした直後に箒へと跨り全速力での離脱を図る。

 この山は天狗の土地だ。まごまごしていれば、増援は無限に近いほど沸いて来てしまう。

 

「追え!――ぐわっ!」

「へっ、そう簡単に捕まるかってんだ!」

 

 牽制に放った星型の弾幕が部隊の先頭を飛ぶリーダーの顔面に当たり、不敵な笑みを浮かべながら更に距離を離す魔理沙。

 

「わーたーしーのーいーえー!」

 

 魔理沙たちが彼方へと消え行く背後から、どうにもならないはたての切なる慟哭が妖怪の山へと鳴り響く。

 

「ご愁傷様ってヤツだな、はたて嬢。これも部下の悲哀だと、後で飲むだろう自棄酒と一緒に飲み込んでおくれや」

 

 吹き散らした呪いを監視する為に待機を命じられているのだろう松明丸が、暇潰しに毛繕いを始めながらはたてに慰めにもならない適当な事を言っている。

 神を覗き見た罰がこれだ。軽いと見るか重いと見るかは、各々の判断によって異なる答えが出るだろう。

 泣き崩れる烏天狗の上空で、光りの軌跡が流星の如くキラリと輝きながら妖怪の山を離れて行った。

 

 

 

 

 

 

 所変わって時間を戻し、こちらは同じ妖怪の山にある守矢神社。

 神事などを行う為の広い板張りの間に、胡坐を掻いて上座に座るのはこの神社の祭神である八坂神奈子。その隣には、同じく祭神である洩矢諏訪子が座布団の上に座っている。

 風祝(かぜはふり)である早苗は、二柱から見て右横の壁際に立ちその会合を見守っていた。

 三人の前には、天狗の最高権力者である天魔と大天狗一同から書かれた親書と粗品を携えて訪れた天狗たちが正座している。

 天狗側の人数は五人。

 長く真っ直ぐな黒髪を後ろで一つに束ねた、どこにでも居そうな糸目の青年が中央に座り、その左右に護衛兼従者として顔に傷のある凛々しい女性の烏天狗と、同じく烏天狗である射命丸文。

 更にその後ろへ、荷物持ち兼付き人として堂々と座る白狼天狗の犬走椛ともう一人の小柄で若い女の子の白狼天狗が、不安げな表情を隠せずに居心地が悪そうにしている。

 姿形だけで語るならば、残りの四人が気合を入れた正装をしている事も含め翼も耳もなく人間にしか見えない安物の和服を着た中央の青年だけが、酷くその場で浮いていた。

 彼が、訪ねて来た天狗たちの中で一番偉い地位に座す大天狗であるなどとは、言われなければ誰も信じはしないだろう。

 

「ふぅん……つまり、山に住む者たちの混乱を避ける為に架空索道――つまりはロープウェイの建設には反対だが、山を裏手から登る参道の整備と警備は行っても良いと」

 

 つづら折りにされていた親書を読み終えた神奈子が、元の形へと戻しながら大天狗へと視線を向ける。

 

「はい。現状、神奈子様たちがご提案された架空索道に対する反発は天狗一同を含め非常に強いものですので」

「こちらとしても、反発をそのまま押し切った事で計画そのものを妨害されるようになるよりはマシ――という訳ですか」

「ここは、下々の意見を聞き入れ歩み寄るという姿勢を見せて頂く事が寛容かと」

「言ってくれますね」

 

 ニコニコと嘘臭いほどの笑みで語る大天狗の皮肉を、神奈子は鼻で笑って親書を脇へと置く。

 

「今はまだ、長い距離を歩いてまで参拝しに来るほど熱心な信者が居ない事を理解しておきながら、わざわざ道を長くした参道を作ってやる(・・・・・)とは――こちらが新参であるとはいえ、神に対し随分と不遜な態度じゃないか」

「神奈子、待った」

 

 口調を変え、圧迫感を募らせながら立ち上がろうとした軍神を相方の土着神が留める。

 

「――見られてる」

 

 諏訪子が見据えるその先は、天上と地面の間にある何もない空間だ。だが、彼女の言葉には揺るぎない確信が込められていた。

 

「ん? あぁ、この視線は確か姫海棠はたてとか言ったか」

 

 諏訪子の言葉を聞き、神奈子も同じように虚空へと視線を投げながらそんな事を言う。

 

「そそ。千里眼が同席してるからって、油断してちゃダメだよ」

「気付いてはいたさ」

「はいはい」

 

 相手から見えるという事は、こちらからも見る事が出来るという事。土地神であり山の神でもある二人にしてみれば、能力を使った覗き見を看破するなど出来て当たり前の行為に過ぎない。

 はたてが己の能力を過信し、ばれる事はないなどと油断していなければもう少しだけ神を欺けていたのかもしれないが、それももう「もしも」の話でしかなった。

 

「でもま、そろそろ鬱陶しいかなぁ――っ!」

 

 空気が爆ぜるように、諏訪子から発せられる雰囲気に一瞬だけ強烈におぞましい気配が溢れ、そして霧散していく。

 

「っ!?」

「ひぃっ!」

 

 神と天狗の交渉を拝聴していてた早苗がぎょっと目を見開き、やって来た天狗の中で一番気弱そうな白狼の少女が短い悲鳴を上げる。

 

「す、諏訪子様。あの、今のは……?」

「んー? じゅ・そ・が・え・し」

 

 恐る恐るといった早苗の質問に、語尾にハートマークでも付きそうな甘ったるい声音で答えた蝦蟇神は、そのままべぇっと長い舌を出してからかうような笑顔を作る。

 呪い、呪われ――視線を合わせている、意識を向けているというだけ、ただそれだけでもそれは確かな「念」となってしまうのだ。

 それを畏れの神が増幅し「怨念」として返したとなれば、それは最早並の者では耐えられるはずもない強烈な呪詛となって相手へと襲い掛かっている事だろう。

 

「殺したのか?」

「どうだろうね。ま、許可も取らずに神様を覗き見するような不届き者に、施してあげる慈悲なんてないしねぇ」

「やれやれ」

 

 呆れながらも諏訪子の言い分を認め、神奈子は再び同じ場所へと座り直す。

 

「――さて、これでそちらの監視役は使いものにならないでしょう。ここからは、お互い腹を割ってお話しをしようではありませんか」

「いやぁ、まいったなぁ」

 

 表情を引き締め再び口調を改めて青年へと強い視線を向ける神奈子に、大天狗はただ朗らかに笑いながら頭を掻くだけだ。

 

「お?」

「ひゃぁっ!?」

 

 交渉を再開させようとしたその時、今度は諏訪子の軽く驚いた声と早苗の悲鳴が起こる。

 突然諏訪子の右手から火炎が迸り、腕を伝って胴体へと走り始めたのだ。

 

「よっ」

 

 無造作に――本当に無造作な動作で、燃え始めた自分の腕を坤神は左手の手刀を使ってあっさりと切り落とす。

 

「す、諏訪子様っ! う、腕が……っ」

「落ち着きなって、大した事はないよ」

「どこがですか!?」

「早苗は可愛いねぇ」

 

 切り落とした部分は一瞬で焼き尽くされ、僅かな灰を残すのみとなっている。隻腕となった諏訪子を心配する早苗だったが、当の本人はまるで気にした様子もなく気楽な笑みを浮かべるだけだ。

 

「神の返した呪いを更に返すだなんて、中々の腕前だね」

「まさか。はたての護衛をお願いした松明丸が、優秀なだけですよ」

「眷属の力の源は術者本人。嫌味を含めた過ぎた謙遜は、アンタの癖みたいだね」

「そんなつもりはないんですが……困ったなぁ」

 

 本人に出来ない事は、眷属にも出来ない。どんなに心血を注いで能力を特化させようと、自らの分身である従僕が主人を超えられるはずもない。

 哀れなはたて(生贄)によって果たされた、実力行使への抑止。

 こちら側に勝ち目のない抗争で敗北しない条件は、「屈服させるには高く付く相手だ」と交渉する者に認識させる事だ。大天狗の実力は本物であり、二神を相手に勝てるとは言えなくとも確実にてこずらせるだけの強さを持つ事が証明されていた。

 

「架空索道は、山の歴史から見て性急に過ぎる変革です。組織の古参を名乗る重鎮などは、自らの持つ山の実権を守ろうと強硬手段に訴える者さえ現れるかもしれません」

 

 居住まいを正し、大天狗の開かれた鋭い瞳が崇め奉るべき二人の神へと注がれる。

 

「紅魔館の来襲、冥界に繋がる結界の破壊、地底に居らした伊吹萃香様の帰郷。そして、守矢神社の出現――」

 

 百年の時すら生きられない人間とは違い、妖怪の生は遠大だ。その長い生の中でさえ、これほど激動の時代は大変に珍しい。

 

「現在、この幻想郷が過渡期にあるという認識は我々天狗の組織としても確かに認めています」

 

 第十三代目となる博麗の巫女が誕生し――正確にはその少し前から――幻想郷には数々の波紋が落とされ、交わりと広がり続けている。

 古い因習を、過去に縋り続ける残滓を――断ち切るのにこれほど都合の良い時期もない。

 

「ですが、我々は妖怪です(・・・・・・・)

 

 変わる事こそが正しい。そんな理屈を認めてしまっては、自分たちが持つ古来より恐れや闇と共にあった矜持を真っ向から否定してしまう。

 妖怪は、肉体よりも精神にその存在を依存する。自分の貫いて来た意思を否定する行為は、確実に弱体化を免れないだろう。

 もしかすると、それは最悪の場合自身の存在そのものへの否定にすら繋がりかねないのだ。

 大天狗や列席した烏天狗、白狼天狗のように十分な自力を持つ妖怪ならばまだ良い。しかし、綿毛のように軽い妖気しか持たない弱者を切り捨てる改革など到底認める訳にはいかない。

 幻想郷は、妖怪の楽土であるべきだ。大天狗の意見は、決して旧体制の維持だけを考えた保身的な我侭ではない確かな正当性があった。

 

「必要であれば切り捨てるが、努力もせずに無駄な贄を生む事は良しとしない――ですか。作られた上下関係に胡坐を掻く組織の重役にしては、珍しい男ですね」

「ははは、俺は若輩者ですからね。偉そうな地位にある内は、せめてそういう子たちの味方を気取っていたいだけですよ」

 

 神奈子の感心に苦笑を返す青年に合わせ、緊張を孕んでいた空気の糸が緩む。

 一枚岩ではない組織の中で、彼が天魔から交渉役に任されたという事実。それは、天狗という集団の難敵さを物語っている。

 

「あやややや。真面目な大天狗様とか、珍しいなんてものじゃありませんよ。思わずカメラを構えそうになりました」

「口を慎め。大天狗様とて、真面目な時ぐらいはある」

 

 和んだ空気を足すように大天狗の隣に座る文がヘラリと笑えば、反対側の席に正座する烏天狗の女性が諌める。フォローが余りフォローになっていないが、つまりはそういう事なのだろう。

 

「では、今度は貴方がた天狗側からの歩み寄りを要求しましょう。こちらばかりが譲ってばかりでは、益がありませんからね」

「はい。ですが、ただの会合としてこの席を終わるのは味気ないと思いませんか?」

「ふむ、つまり――」

「えぇ、つまり――」

 

 神奈子は挑発的に、大天狗は変わらず朗らかに、それぞれが笑みを作って見つめ合う。

 

「「弾幕ごっこで」」

 

 互いの意見が合わないのなら、勝負でけりを付ける。延々と口で語り合うよりも、よほど解り易いというものだ。

 

守矢(こちら)が勝利した場合、先程の提案を拒否し更に天狗の新聞各所での大々的な守矢神社の宣伝広告を要求します。お相手は、我ら二柱の風祝(かぜはふり)である東風谷早苗が」

「ふぇっ!?」

天狗(こちら)が勝利した場合、こちらの提案を受け入れ守矢神社への参拝を架空索道以外の方法で我々の意見を聞き入れつつ模索して頂きます。こちらからは、山に住む古参の代表として射命丸文を」

「ふぁっ!?」

 

 蚊帳の外からいきなり舞台の中央に乗せられ、早苗と文から変な驚きの声が飛び出す。

 

「か、神奈子様!? 突然そんな大役なんて任されても――っ」

「だ、大天狗様? まさかとは思いますが、私にこの席への同行を命じられたのはこの為――っ」

「早苗――」

「文――」

 

 慌て出す二人へと、上に立つ二人の笑顔が向く。それは実に見事な笑みであり、有無を言わせぬ迫力さえも伴っている。

 

「負けたら、解ってるね」

「負けても良いけど、出来れば頑張って欲しいな」

「「……っ」」

 

 負けたら――終わる。何がとは言えないが、色々なものが終わる。

 二人にとって、本人の意思を無視した負けられない戦いが間もなく始まろうとしていた。

 

「んー、よっと――まぁったく、神奈子も大天狗も身内が好き過ぎるだろうに」

 

 爬虫類が脱皮するような生え方で失った腕を再生させた諏訪子は、粘液を滴らせるその部位の感触を確かめながら呆れ顔で笑顔の神と天狗を見ている。

 どちらの要求が通ろうと、後で反故にする言い訳は幾らでも立つ。結局の所、双方に欲しいのは「交渉をした」という事実一つだけだ。

 天狗の革命派にしろ旧体制派にしろ、欲しているのは次の方針を派閥全体でまとめるまでの時間なのだから。

 それが解らない早苗は顔を蒼ざめさせ、解っていながらも負ければ自分を推薦した大天狗の顔に泥を塗る事に変わりはない文の顔も、同じように蒼白となっている。

 

「ま、娘たちを追い詰めてその顔を堪能したいって気持ちは、私も解るけどねー」

 

 所詮は茶番。しかし、幼子の風祝(かぜはふり)に経験を積ませるには丁度良い茶番だ。

 良いか悪いかは別にして、天狗と守矢の関係もこれで少しは深まるだろう。一応はめでたい席なのだから、それぞれが自分なりに楽しめば良い。

 いささか趣味の悪い楽しみ方をする神奈子と大天狗を否定しない諏訪子もまた、大概な性格だと言えた。

 

 

 

 

 

 

 魔理沙の行方を辿って、次に私が訪れた場所は迷いの竹林に建てられた月姫様の別荘。永遠亭だ。

 ここにお邪魔したのは、魔理沙探索とは別件の用事があったからだ。

 永遠亭の奥様である永琳からマガトロ洋服店へと依頼された、冬を見越した人型イナバたち用の防寒具の納品。何時でも良いとは言われていたのだが、何時でも良いなら今でも良いだろうと少し時期は早いがお邪魔させて貰った次第だ。

 転送魔法を繰り返して積み上げたkonozamaダンボール(自作)から取り出しつつ、一人ひとりのイナバたちに毛糸で編んだ白い手袋と白いマフラー、それと大きなウサ耳を出せるよう穴を開けたニット帽を渡していく。動物型の方には、モフモフのブランケットだ。

 手袋の手を入れる部分がモコモコしていたり、マフラーにデフォルメした人参の柄が入っていたりと我ながら少女趣味全開で作らせて貰った。

 

「ふかふかー」

「ねー」

「んふふー」

 

 ちくしょう! 天使しかいねぇっ!

 永遠亭のイナバたちは、私を萌え殺す気かっ!

 

 竹林に住む兎の頭目であるてゐと似たり寄ったりの背格好をしているイナバたちだが、精神年齢はあんな捻くれた性悪兎詐欺師とは違って皆見た目通りの幼さだ。

 

「アリスー、ありがとー」

「どういたしまして」

「ねぇねぇ、かわいーい? かわいーい?」

「えぇ、とっても良く似合っているわよ」

「えへへー」

 

 着けた手袋をお互いの頬に当て合ったり、他のイナバのマフラーに自分の顔を埋めたりと、新しいお洒落を自慢するようにはしゃぎ回る子供のようなイナバたち。

 ついでとばかりに、さっき香霖堂で買ったカスタネットやハーモニカなど幾つかの玩具もあげる事にする。

 

 喜んでる喜んでる、微笑ましいなぁ。

 ふふ、ふふふ――ぐふふふふふふふっ。じゅるりっ。

 もうね、もう「可愛い」という単語がゲシュタルト崩壊しそうなほどめがっさ可愛いの。

 超お持ち帰りしたい。

 

「悪いわね」

「報酬は前払いで貰ったもの。ビジネスよ」

 

 永遠亭の庭に集まった全てのイナバに防寒具を渡し終え、なついて来る子達をあやしながら隣に立つ永琳へと答える。

 

 こんな役得な依頼なら、ロハでも全然オッケティングっすよ。えぇもうマジで。

 どこを撮っても可愛いから、ステルスうぜぇ丸のカメラもフル連射状態だし。

 むしろ出資するんで、この子達や鈴仙とかの写真集とか売り出してみませんかね?

 

 この前売り出した阿求の写真集は、非常に残念な事に稗田家当主が書店に圧力を掛けてまで買い占めてしまったらしいので、リベンジも兼ねてもう一冊くらい出してみたいのだが。

 

「この子たちにも困ったものよ。急に、去年まで使っていたお古はイヤだなんて言い出すんだもの」

「だってあれ、可愛くなーい」

「重たいしー、着るのがめんどー」

「でも、温かかったでしょう? 月の軍人が、現地調達の素材で作った防寒装備だったのだし」

 

 あー、あれねー。あれは酷かった。

 ガスマスクみたいなごっついフルフェイスの黒帽子とか、竹林迷彩柄の分厚いなめし革ジャケットとか――冬場はフル装備イナバを竹林の各地で見掛けるから、その度に驚いてビクッてなってたもん。

 何時他の組織と戦争を始めるのか、毎年気が気じゃなかったよ。

 

「余り言いたくはないのだけれど、流石にあれはどうかと思っていたわ」

「文句があるのなら、私の指示をどう勘違いしたのか変な物を量産したうどんげに言って頂戴」

 

 諸悪の根源は、うどんちゃんかい。あの娘も大概、軍人気質が抜けないよね。

 

「いやー、助かったよ。こっちはこっちで趣味が悪いけど、重いわ臭いわごわごわしてるわのあっちよりは断然マシだ」

 

 他のイナバと同じように、着込んだ手袋やマフラーなどの質感を確かめていたてゐが沢山のイナバたちの中から私を見ている。

 

「礼は言いつつ、文句も言うのね」

「照れ隠しだよ」

「良く言うわ。イナバたちを扇動したのは、貴女でしょう?」

「なんの事だか」

 

 本当に、この兎は口が減らない。他のイナバの純粋さを見習えば良いのだ。

 

「鈴仙は?」

「自宅デートだって」

「白玉楼に?」

「うん。最近じゃ、あの半生侍の稽古だの修行だのに付き合うなんて口実まで作って、時々お邪魔してるみたいだよ」

 

 マメだなぁ。

 妖夢も人見知りっていうか、他人との距離感を掴むのがあんまり上手くない娘だから、仲の良い娘が一人でも増えるのは嬉しい限りだよ。

 

「魔理沙を探して、次はそっちにお邪魔させて貰う予定だったのだけれど――本当に邪魔をしてしまいそうだし、別の場所の方が良いかしら」

「別に良いんじゃない? お化け姫や他の世話役亡霊も居るだろうし、見られながらいたすほどの度胸なんて二人にはないだろうさ」

 

 見事な跳躍でイナバの群れから脱出し、縁側の通路に降り立ったてゐがひひひっと何時もの悪い笑みを作る。

 反応に困るというのもあるが、可愛いその顔と声音で露骨なシモネタを言わないで欲しいものだ。

 

「だったら、隠れてしているかもしれないわね。あの娘ったら、いやらしい」

 

 くぉうらぁっ! てーるーよー!

 貴女お姫様でしょうが、乗っかるんじゃないよ!

 

 通路の奥から、てゐの語りを引き継ぐ形で縁側に姿を現す輝夜。

 

「あら、皆可愛いわね。ねぇアリス、私の分はどこ?」

「永琳から依頼をされたのは、イナバたちとてゐの分だけよ。貴女と鈴仙の分は、きっと永琳が作ってくれるわよ」

 

 もしかすると、鈴仙だけはあの寒冷地仕様の装備を使い続けるのかも知れないが、それは私の関与すべき所ではない。

 この間、早苗と一緒になって妖夢へクリスマスと呼ばれる外の世界の行事の情報と編み物の技術を伝授した私に、隙はなかった。

 

「女の子のお洒落は、幾つあっても足りないものよ」

 

 彼女の言い分には同意だが、だからと言って無償で仕事をしろと平気な顔で要求するのはいかがなものか。

 こういう所が彼女が「姫」という立場にある証明であり、そして私たち下々の一般人とは隔絶した部分になるのだろう。

 

 まぁ、輝夜ならそう言うだろうと思って、ちゃんと貴女や永琳の分も作って来てるんだけどね。

 

「サービスよ」

 

 そう言ってダンボール箱の底から取り出したのは、残っていた最後の荷物。イナバたちと同じ手袋にマフラーと、穴を開ける代わりに兎の垂れ耳を取り付けたお揃いになれるニット帽だ。

 幻想郷の上位組織は仕事の依頼をくれる時に金払いや報酬などがとても良いので、こういった営業努力で印象を良くしておこうという姑息な考えである。

 

「わぁ、流石はアリスね。ありがとう」

「どういたしまして」

 

 早速、私から受け取った手袋やニット帽をいそいそと装着していく輝夜。正直に言って、服が何時もの着物姿という和装なので余り調和が取れていない。

 

「あー、姫様ウサギさんだー」

「姫様かわいー」

「姫様いっしょー、餅つきするー?」

 

 履物を履いて庭へと降りて来た輝夜を、沢山のイナバたちが取り囲む。服の裾を掴み、或いは両手を広げ、大好きな彼女の興味を惹こうと大賑わいだ。

 

「うふふ、皆元気ね」

 

 七人どころではない大量のイナバと戯れ、永遠に眠る事のない姫君が笑う。慈しみを込めた――しかし、どこか作り物めいた笑みで。

 彼女は常に、「置いていかれる」側なのだ。だから、過ぎ去っていく者たちを見送り続ける事しか出来ない。

 

「変わったわね」

 

 私は言う。

 

「変わらないわよ」

 

 輝夜が答える。

 

「誰も彼もが、何かに縛られて生きているわ。永遠であれ、須臾であれ、全てから解放された自由な生などどこにもありはしない」

 

 続く輝夜の言葉には、悲しみも苦痛も何一つ乗せられてはいない。

 

 私もまた、百年も生きればこんな風に思うようになるのかな……

 霊夢、魔理沙、咲夜、早苗――彼女たちや、出会った人間たちが次々と死んでいくのを、私は慣れてしまうのかな……

 だけどね、輝夜。私はそれでも、せめて口だけではこう言っていたいんだ。

 

「雨の中、傘を差さずに踊る人間がいても良い。自由とはそういうことよ」

 

 閉じられた世界の中で、交渉人(ネゴシエイター)が殺し屋へと告げた誰もが抱く「当たり前」への否定。

 大切だった誰かの墓前に、私はきっと毎年花を添えるだろう。一人増え、二人増え――次第に花は持ちきれないほど多くなり、その重さは私の両手では支えられないほどに積み重ねられていく――

 解っているのだ。私はきっと、「永遠」を前に膝を屈してしまうのだと。

 千年先で、万年先で、私は自分の貫いて来た想いを否定してしまうのだと。

 

「変わらないわね」

 

 輝夜が言う。

 

「変わるわよ」

 

 私が答える。

 変わらなければならないのだ。私も、輝夜も。

 想いは馳せても、捕らわれてはならない。縛られてはならない。

 例えどんなに失いたくない過去があったとしても、私たちは次の明日へと一歩を踏み出して行かなければならないのだ。うつむき、悔やみ、ただ立ち止まるだけでは、大切だったその人たちの上に足を置き続ける事になってしまうから。

 だからこそ、私はきっと――いずれ皆の事を忘れていってしまうのだろう。

 

「用事も済んだから、おいとまさせて貰うわ」

 

 少しだけ浮いて来た暗い感情に蓋をして、私は解体したダンボールを自宅へと転送しつつ永琳たちに告げる。

 

「診察は、また今度暇が出来た時にお願いするわね」

「えぇ、今日は本当にありがとう。もしもこの後で魔理沙が来たら、拘束して貴女に知らせてあげるわ」

「そこまでしなくても良いわよ」

 

 私の書いた恥ずかしいドヤ顔雑記帳を返して貰いたいだけなので、それほど事を急いでもいないのだ。今日中に取り返せなくとも、それはそれでまた後日に魔理沙を探せば良い。

 

「アリスー、またねー」

「今度は一緒にあそぼー、やくそくー」

「お餅も一緒に食べよー」

「いっしょいっしょー」

「えぇ、約束」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねる兎たちの頭を撫で、最後の一匹と指切りしてから出口の門へと歩き出す。

 竹林の上空は、この屋敷の位置を把握させない為に強力な意識阻害の結界が張られている。気付いた時には竹林の外に出ているのだが、代わりに頭の中を掻き回されるような感覚を味わう事になるので余り何度もやるものではない。

 なので、今回は竹林唯一のガイド役である妹紅に案内をお願いしている。

 門の外に出れば、腕を組んで壁に寄り掛かって待ってくれていた妹紅が、私に気付いて壁から背を離した。

 

「来たね。それじゃあ帰ろうか」

「えぇ、待たせてごめんなさい」

「それが仕事だしね」

 

 歩き出す妹紅の後ろに付き、変わらない景色が延々と続く迷いの竹林に足を踏み出す私たち。

 

「そう言えば――」

「うん?」

「イナバたちのついでに、貴女の分も防寒具を作ってみたのだけれど――着てみない?」

「それ、きっとあの小さい兎たちに着せるような意匠なんでしょ? 絶対にイヤ」

「……可愛いのに」

「その言い方やめて。なんだか、輝夜に言われてるみたいだ」

「……可愛いのに」

「やめてって。なんで二回言ったの……」

 

 大事な事なので。

 仕方にゃいにゃー、もこたんったら照れ屋なんだからぁ。

 今度慧音先生を洗脳――もとい、お願いして彼女から渡して貰う事にしよう。

 

 頼るべきは、信頼出来る友人だ。彼女なら、きっとなんとかしてくれるはず。

 「ウサミミもこたん」というあざといフレーズと完成予想図に思いを馳せながら、私は妹紅と一緒に竹林を後にする。

 次の目的地は、冥界と地上の結界を越えた先にある富士見の霊屋――白玉楼。

 「八雲」の(ゆかり)の地でもあり、私が初めて強者から完全なる敗北を味わった運命の岐路とも言える場所だ。

 

 春雪異変か――懐かしいなぁ。

 

 喉元を過ぎれば熱さを忘れるもので、誤解と勘違いによって窮地に立たされたあの異変も今では思い出の一つとなってしまった。

 この地で私が、「アリス・マーガトロイド」として始める事を誓った運命の異変。

 あの時に立てた誓いは、今も破られる事なく続けられていると思う。

 

 私は、魔法使いのアリス・マーガトロイド。

 それで良いんだ。今も、そしてこれからも――

 

 今と、昔と――過去に異変のあった場所を巡ろうとしているせいか、昔の事ばかりを思い出してしまう。

 思い出に浸れるほど、この今生の郷で長生きはしていないだろうに。

 

 さぁて、暗い話はポイだポイッ。

 てゐの話だと、うど×みょんがいちゃいちゃしてるらしいし――早速うぜぇ丸で撮りに行かないとねっ!

 撮るぜぇ、滅茶苦茶撮るぜぇ。

 

 最早当初の目的を忘れそうになっているが、幻想郷では良くある事だ。

 そこでふと、今後は一人であの場所に辿り着けるようにと永遠亭の壁に付けた無色透明の魔法の糸の感覚が途切れてしまう。どうやら、繋げていた場所から切断されてしまったらしい。

 

 あちゃ、やっぱりバレてたか。

 

 過剰にも思えるセキュリティーの高さに、内心で舌を出しつつ苦笑する私。

 仲良くはしていても、締める所はしっかり締める。

 世俗を嫌う月の貴族のお屋敷は、何時も通りの堅牢さだった。

 

 

 

 

 

 

「ったく、酷い目に遭ったぜ……」

「あれ? いらっしゃい。何しに来たの?」

 

 白狼たちを撒いた後に進路を戻し、魔理沙が逃げ込んだのは再び妖怪の山の一角だった。

 マヨヒガ。妖怪の山にありながら、天狗たちの権威が届かない独立地帯の屋敷に入ると、そこに住まう妖猫である橙が居間で机に置かれた本から目を離し土間に立つ魔理沙へと挨拶をする。

 

「よう、悪いがお邪魔させて貰うぜ」

「その汚れた恰好、また天狗たちとケンカしたの? 少しは懲りなよ」

「ふふん、今回も私の逃げ勝ちさ」

「凄いんだか、凄くないんだか――タオルは何時もの所だから、汚れたまんまで上がらないでね」

「へいへい」

 

 勝手知ったる他人の家と、魔理沙は土間を通り過ぎ調理場に干してあるタオルの一枚を手に取ると、近くの水瓶の中身へと浸して顔や服を適当に拭いていく。

 

「あぁっ、また摘み食いしてる!」

「これみよがしに置いてあるのが悪いんだよ。あむっ」

 

 土間へと降りて来た橙が、調理場にあった瓶詰めの干し柿を盗み食いする魔理沙を糾弾するものの、白黒の泥棒は悪びれた様子もなく更にもう一つを口へと放る。

 

「もうっ、お腹が空いてるなら私の分と一緒にお昼ご飯作ってあげるから、藍様の作ってくれたその干し柿は食べちゃダメッ」

「あぁ、道理で美味い訳だ。お前じゃまだ、この味は出せないもんな」

「むうぅっ、余計なお世話!」

 

 八雲における最強の従者は、年季の入った家政婦でもある。彼女の料理やその他の家事に関する腕前もまた、橙が密かに目指している目標の一つだ。

 

「あぁ、三個も食べてるぅ。毎日一個ずつ、大切に食べようと思ってたのにぃ……」

「これを教訓にして、今度から大事な食べ物は盗み食いされないようにどこかに隠すか、容器に鍵でも掛けておくんだな」

「そんな食いしん坊、魔理沙しか居ないよ!」

 

 涙目になって頭からプンプンと音が出そうなほど怒りながらも、二人分の食器を準備し始める橙。捻くれ度合いが人間に負けているという、妖怪としては少々致命的な優しさと素直さだ。

 彼女が人間たちから恐れを抱かれる日は、まだまだ遠そうである。

 

「さて、甘いもん食って頭の栄養を付けたところで、次にいくか」

 

 橙と交代する形で居間へと上がった魔理沙は、そんな独り言を言いながら帽子を外して中から一冊の雑記帳を取り出す。

 タイトルは、「春雪異変」。魔理沙が知る中で、あの人形遣いが幻想郷で起こる数々の事件や異変に関わり始めた最初の出来事だ。

 出会った最初から、魔理沙の抱いたアリスへの印象は良いものではなかった。

 幻想郷で制定された、スペルカード・ルール。その勝負を受けておきながら、彼女の腕前はこちらをバカにしているとしか思えないほどの弱さだったからだ。

 だから、魔理沙は彼女が本当に弱いのだと勝手に思っていた。

 彼女は自分の下であり、教えを請う立場であり、守ってやるべき存在なのだと。

 そう思っていたのに――彼女は異変を解決する(すべ)を悠々と引っさげて冥界の屋敷へと現れ、更にはあの場に居る全員を救って見せた。

 あの時感じた膨大な魔力の奔流は、今でも思い出す度に鳥肌が立つほどだ。

 彼女は自分の実力を偽り、平気な顔をして皆を騙していた。

 ずる賢く他者を欺き、決して本気で戦おうとしない臆病者。

 そうかと思えば、他人の為に平気で命を張ってのける。

 訳が解らない。知り合ってそれなりの月日が経った今でさえ、あの人形遣いの内面はほとんど理解出来ていない。

 だからこそ知りたいのだ。彼女がこれまで何を想い、何を感じて来たのかを――

 この雑記帳にも、きっと望む答えは記されていないのだろう。

 だが、文章の一部に、言葉の端に――どこかで彼女を感じられる場所があれば、例え小さくともそれがきっとアリスの内面を紐解く糸口になってくれる。

 

 これは、私の手記である――

 

 お決まりの一文から始まった、「春雪異変」の記録。

 西行妖――一本の枯れた大桜を咲かせる為、幻想郷中の「春」を奪おうと長く冬の続いた異変。

 魔理沙は、挨拶ついでに弾幕ごっこをした後アリスがどう動いていたのかの詳細を知らない。

 知っているのは、最後の最後に永夜異変の時のようなボロボロの身体で白玉楼へと乗り込み、自分たちを助けてくれたという事だけだ。

 誰と出会い、何があったのか。今度は、こちらにも記されているだろう時系列の情報が役に立ってくれるだろう。

 魔法使いとは、知識欲の塊でなければならない。

 もう、知らないままでいたくはないのだ。彼女の秘密に欠片でも触れてしまった今、魔理沙の胸にあるのは不安や恐怖と同じほど強くなった興味だった。

 

 知るんだ。アリスの抱えているものを。

 知らなきゃいけないんだ。私がアイツを。

 もう、逃げるのも背負わせるのもなしだ。

 だって、私は――

 私は――アリスの友達なんだから。

 

 一方だけが支えられ続ける関係を、友情とは言わない。

 友人とは、対等であるべきだ。

 魔理沙は決意と共に、そのページを捲っていく。

 七色の魔法使いを知る為に。

 彼女の見えているこの世界を、同じ視点で見つめる為に。

 外は次第に曇天となり――一雨来そうな雰囲気へと変わり始めていた。

 




はたてぇ……

さぁこれで、次話から妖々夢編に突入ですね(爽やかスマイル)
今回の異変は、何話くらいで終わるでしょうかねぇ。

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