つんつんでれつんでれつんつーん♪
太陽が真上に昇り、目の眩むばかりの直射日光がじりじりと肌を照り付けて来る、正に夏真っ盛り。
昨日から、ようやく引きこもりニート生活を卒業した私は、家を出た幻想郷一年生の新米魔法使いとして脳内で陽気に歌をうたいながら、博麗神社の境内へと続く長い石段の上を飛翔していた。
良いよね、この自作町歌。
幻想郷の住人はツンデレが多そうだし、この歌を幻想郷の郷歌として誰かに伝授出来ないものか。
本来、外の世界にも同時に存在する博麗神社は、外の世界――つまりは幻想郷の外に向けて建っていなければおかしい。
しかし、実際はこうして幻想郷の内へと石段が伸びており、恐らくは神社の裏口ではなく正面がお出迎えてくれるのが現実だ。
魔法使いとして、周囲の魔力を感知出来るようになった私は、この場所一帯の空間が酷く歪に歪曲させられていると肌で感じていた。
恐らく、外の博麗神社と幻想郷の博麗神社を背中合わせのような形で存在させる事で、結界の
押して開くタイプのドアが、正面で重なり合っている状態を想像して貰えば、少しは解り易いかもしれない。
どちらのドアを開けようとしても、反対側のドアが邪魔な壁となって機能し、普通の手段では開ける事が出来ない。
外の世界の博麗神社から幻想郷に入ろうとしても、博麗神社という表裏一帯の
答えは解らないので単なる推測だが、この空間の歪みを見る限りそう的外れでもないかもしれない。
さて、私がのんきにそんな事を考えながら博麗神社を目指しているのは、幻想郷の妖怪側の管理者、八雲紫からの招待状を貰ったからだ。
昨日までの私はひきこもり症状が末期に陥っており、「もう嫌だ、お外恐い」などといった、外の世界そのものへと疑心暗鬼を募らせている状態だった。
アッテムトのBGMが脳内で流れ始めていた私の前へと、いきなりスキマを使って堂々と現れた紫。
突然過ぎる彼女の登場シーンに驚き、椅子に座った状態で紅茶のカップを丁度手に取った姿勢で固まる私。
というか、現れた彼女の身体から溢れる妖気を感じた瞬間、争いにすらならないと把握した。
あ、これ、アカン奴や。
自分の感覚で簡単に計っただけでも、彼女と私の差はドラゴンボールのフリーザ(第一形態・53万)とギニュー(12万)ほどの開きがあると、瞬時に理解出来た。
しかも、恐らく彼女は警戒はすれども全力ではない状態であるにも関わらず、だ(第二・第三の変身を残している可能性が微レ存)。勝てる訳がない。
この時、その歴然とした自力差と紫から放たれる濃密な殺気に錯乱しなかった事で、私の感情が抑制されているという事にようやく気付けたのは、ただの余談である。
この身体になって、初めて出会った人物が彼女という事もあり、私は自分の実力が如何に矮小かを思い知らされた。
しかし、逆さ吊りにされて斬首を待つばかりとなった養鶏場の鶏の心境に達した私を前に、紫は扇子を口元に広げるお得意のポーズを取りながら一枚の紙を机に差し出すと、何一つ言葉を交わさないままスキマへと帰って行った。
取り残された私は、ただただ呆然とするばかりだ。
えっと……つまり、どういう事なんだってばよ。
しばらく動けず、小一時間ほどしてからようやく置かれた和紙みたいな紙を手に取り、筆で書かれた内容を読んでみる私。
そこには、要約するとこんな感じの事が書かれていた。
ワレェ、勝手にウチらの
明日、ここに描いた人間代表が住んどる博麗神社の境内まで来いや。
私が、リアルにその場で両膝を突いたのは言うまでもない。
しかし、その後よくよく考えてみれば、紫が今この場で私を殺さなかったという事は、交渉の余地ぐらいはあるのではないだろうかと思い立った。
ほら、彼女って幻想郷の賢者ですし。
頭が良い人って、他人を駒として利用したがったりとかしますしおすし。
それともう一つ、この紙には私――アリスについての私の知らない新しい情報が、計らずも記されている。
私が「アリス」に目覚めた日、それは、紫たちが幻想郷に私の家を発見した日とイコールなのだ。
紫は、幻想郷の全てを見通す。つまり私は、今の姿のままで突如として幻想郷に家ごと出現した事になる。
結局どういう事かは解らずじまいだが、事態把握への前進である事には間違いないだろう。
という訳で、自分への考察なども含めつつ手紙に指定されていた翌日、紫様の靴を舐めてでも生き残れたら良いなぁという願望を抱きながら、私はこの石段を飛んでいるのだ。
のんきにしているのも、もうどうにでもなーれ、といった半ば以上のやけっぱちだったりする。
死刑囚の十三階段にしてはやけに長い石段を超え、私はとうとう境内に到着した。
あれ? 神社逆さまなんだけど。
え、まさか今昇って来たのって裏参道なの?
滅茶苦茶広くて立派だし、うん?
原作って、どっちだったっけ?
半回転してるだけかと思ったら、何だか三回転半捻りぐらいが加えられているようだ。
うーん……あやふや!
脳内で、某オカマのポーズを取って考えるのを諦めた私に映るのは、導師服姿の紫と五歳くらいの黒髪の少女。
石畳の上で、紫は少女へとしきりに話し掛けていた。
「このお札を――こう、前に突き出して霊力を込めるの。そうしたら、妖怪を退治出来るのよ」
普通の巫女服を着た少女の前で、片手で印を組みつつ指で挟んだ札を前へと突き出す紫。
しかし、術者として最高峰の教育者だろう彼女からの指導は、ぼーっと遠くを眺める少女の耳には余り入っていないご様子だ。
「もー、こーら。ちゃんと話を聞いてるの? 霊夢」
少女は紫から霊夢と呼ばれていた――つまり、あの小さな女の子が私の知る楽園の素敵な巫女、博麗霊夢だという事だ。
「……妖怪」
「みびゃあぁぁぁ!?」
驚いて動きを止めてしまった私には気付かず、霊夢は持っていた札を躊躇なく紫へ向けて迸らせ、札からの霊波の直撃を食らった彼女が悲鳴を上げて大きく仰け反る。
「ちょ、違うわよ霊夢! お札は悪い妖怪に使うの!」
「……悪い……妖怪」
「ま、待ちなさい霊夢! そっちの札は護身用に持たせた強力なやつ――ひぎいいいぃっ!」
紫電が舞い、紫の悲鳴がこだまする。
なんか、拍子抜けのするほどコントだった。
小さな子供である霊夢を相手に、妖怪の賢者がまるで形無しだ。
「大丈夫? というか、何をやっているのよ……」
思わず声を掛けてしまった私に、寸劇をやっていた二人が振り向く。
「……妖怪?」
「あ」
茫洋とした顔で、小首を傾げる可愛らしい霊夢と、見られたくない場面を見られたからか服と髪を軽く焦がしながら、若干恥ずかしそうな紫。
「ん゛、ん゛。藍! らーんー!」
「――御前に」
すぐに気を取り直した紫が、両手を二度叩いて大きく名を呼べば、上空に開いたスキマから彼女の従者が降りて来た。
九尾のお稲荷さんという最強の妖獣にして、橙が命の十常寺。賢者と同じ八雲の姓を与えられた唯一の式神、八雲藍。
彼女の着ている、青の導師服の尾てい骨辺りから生えた九つの尻尾がもふもふし過ぎていて、後ろから傅いている姿勢を見ている今の私にはもう殆ど彼女の尻尾しか見えない。
「霊夢の遊び相手をしてあげて頂戴」
「御意」
呼び付けた用事が子供の世話とか、小間使いにもほどがあるぞんざいな扱いにも、藍は文句の一つも言わず淡々と答えて霊夢へと歩み寄る。
「済まない霊夢。我が主はこれより来客との会談がある故、これからは私がお前の相手を
「……別に、いらない」
「そう言わず。ほら、井戸で冷やした水羊羹もあるぞ」
「……甘い?」
「あぁ。とても甘くて、冷え冷えだ」
「ねぇ、藍」
「ご安心を。紫様と橙の分は、家の井戸にてきちんと残しております」
「なら良いわ」
良いんかい。
途轍もないアットホーム感を見せ付けてくれる八雲一家+霊夢に、私の突っ込みも切れ味を完全に殺されていた。
「それでは――こら、霊夢。尻尾に潜り込んで楽をしようとするな」
「……もふもふ」
「これよりは二択だ。私の尻尾を触り続けたければそのままでいろ。しかし、水羊羹を食べたければ自分の足で歩け」
「……お菓子を食べた後、もふもふする」
「良し、それでこそだ」
紫よりも藍の方が、霊夢の扱いは上手いらしい。
藍の尻尾から這い出し、彼女と手を繋いで去って行く霊夢を見送り、私は改めて紫と対峙した。
既に相当和んでしまったが、これからが本題だ。
「良く来てくれたわね。改めて自己紹介といきましょうか」
手に持つ扇子を閉じて腰の帯に差し、紫は優雅に服の両端を摘んで軽く足を折る。
「私の名は八雲紫。この幻想郷の管理者をしておりますわ」
う、美しい……はっ!
動作一つとっても洗練された淑女の動きに、私は内心感動しながら、猿真似で同じ動きをしつつ挨拶を返す。
「私は、アリス・マーガトロイドよ。種族は魔法使い」
ばれている事が大半だろうが、自分から手の内を晒す気はない。戦闘用人形である、上海と蓬莱を持って来ていない理由はそこだ。
転送魔法を使えばすぐに呼び寄せられる為、私は今の状態で既に臨戦態勢を取れていた。
「貴女が本当に来る確率は、一割八分程度だと思っていたのだけれど」
「それは、貴女の誘い方の問題だと思うわよ」
再び扇子を開き、口元を隠して佇む紫へ向けて、私は至極真っ当な意見を述べた。
突然現れて、いきなり紙だけ渡されるという意味不明なお誘いだ。それは確かに、従わない確率の方が高いだろう。
「もしかして、今の娘が?」
「えぇ、第十三代博麗の巫女――博麗霊夢」
紫が語っている意味。それは、彼女が既に博麗の巫女としての役目を、先代の巫女から継いでいるという事。
五歳児にしか見えないあんな小さな少女を、命の危険すら付きまとう異変解決に乗り出させる。或いは、既に乗り出させているというのか。
「霊夢は、未だ修行中の身よ。大規模な異変や、強力な人外との戦闘はまだ経験していない」
紫は、私の心を正確に読んでいるかの如く、何かを尋ねるより先に答えを語っていく。
「霊夢の才能なら、後三年――いえ、二年もあれば、巫女として十分な能力を身に付ける事が出来るわ」
ちょ、霊夢どんだけチートなの!?
いや待て、コントに気が抜けて気付いていなかったが、霊夢は紫に何をした。
幻想郷の賢者に対し、たった一撃で悲鳴を上げるほどのダメージを与えていたではないか。
大妖怪である紫に、生半な攻撃が通用するとは思えない。札の力が凄かっただけなのだとしても、それをあの年で気軽に使用出来ているという事実は、霊夢の才能が規格外なのだと証明しているに等しい。
「貴女をこの場に呼んだ理由はね、新参である貴女に、幻想郷の現状を知ってほしかったからよ」
「確かに、危ういわね」
当代の巫女が修行中という事は、人間が妖怪に襲われた時、退治をする人間が居なくなるという事。霊夢以外にも妖怪退治屋は居るのだろうが、能力は段違いで下だろう。
人を襲い、食らうからこその妖怪だ。博麗の巫女という圧倒的な狩人が休業中と知れば、気を大きくして暴れ回る連中も増えるのではないだろうか。
「そうでもないわ。理由があって引退したとはいえ、先代は今も人里で健在。更に妖怪の山の天狗たちや幾人かの知己を頼って、人里周辺への警戒と手綱握りも任せている」
え、じゃあ別に平和じゃん。何でわざわざ、さも危なげな感じで私に伝えたし。
「……やはり、知っているのね」
「何を――」
――ヤバス。
そうだよ。私が幻想郷に来て、外に出たの今日が初めてだよ。異変とか幻想郷の仕組みとか、何訳知り顔しながら頷いちゃってるんだよ私。
霊夢という幼子を使ってまで私の隙を作り出すとは、このアリス・マーガトロイドの目を持ってしても見抜けなかったわ。
気付けば、紫は扇子を閉じた状態でこちらを推し量るように見据えている。
霊夢とのほのぼの展開を見て、完全に油断した。彼女のたった一言で、もう逃げ場がない。
このゆかりん、想像以上に女優で腹黒の雌狐だ。
「――えぇ、知っているわ」
紫との頭脳戦で勝ち目があるはずもなく、私はあっさりと白旗を揚げた。
今の気分は、完全に仰向けの五体投地。動物でいうところの、服従のポーズ状態だ。
これから私は、エロ同人みたいに酷い事をされて自分についての事を洗いざらい吐かされた後、能力とか封印されて人里の裏路地とかに捨てられてあばばばば――
「……そう」
脳内で、人里の夜の店に売られ店の一番星を目指すサクセスストーリーにまで物語が進んだ所で、紫が一言だけ呟いた。
え? それで終わり?
エロ同人的な展開は?
「アリス・マーガトロイド、だったわね。アリスで良いかしら?」
「えぇ」
「貴女の作っている人形の服みたいに、霊夢の着れる洋服を一着仕立てて欲しいわ。きっと似合うだろうから。それで、今回の件は忘れてあげる」
忘れてあげる、ときたか。
つまり、突如として家ごと現れ知るはずのない幻想郷の情報を把握している、どう考えても怪しさしかない私への詮索は、これ以上必要ないという事。
何だか良く解らないが、私は紫にとって価値の低い存在だと判断されたのだろう。
わちき、許された!
よーし、霊夢にとびっきり似合う服を作って、ゆかりんの度肝を抜いてやろうじゃないか!
死を覚悟するほどの状況から見事生還を果たした反動により、俄然やる気になった私の耳へと、からころと小気味良い下駄の音が私の来た道――すなわち、石段の奥から聞こえて来た。
「引退した身の上で、何の情報も与えていないはずですのに……老婆心でも出たのかしらね」
扇子で口元を隠し、棘を含んだ言い回しで語りながら、紫は僅かに眉を寄せて石段の奥を見つめている。
「どういう意味?」
「会えば解りますわ。これから来るのは、この神社に昔住まっていた先代博麗の巫女」
MA・ZI・DE!?
原作では、設定だけしか存在しない未知のキャラクターとの出会いに、私のテンションが跳ね上がる。
や、やだ。髪型とか服装とか何時も通りなんだけど、おめかししなくて大丈夫かしら?
ねぇ紫、私の恰好変じゃないよね?
乙女思考になりつつ、私の中で期待と不安と喜びが交差する中、やがて足音が近付き姿を現す先代の巫女。
事前の知識など何もあるはずがない、全てが新しい出会い。胸の鼓動が止まらない。
そんな私が、彼女に抱いた最初の感想は――
◇
それは突然の出来事だった。
二月の暮れ、毎年と同じく冬眠していた紫は不意に目を覚ました。
彼女の場合、冬眠といっても春まで絶対に起き上がらないという訳ではない。
時折こうして浅い眠りから覚醒し、一杯の茶を飲んだり適当に散策などをした後で再び眠りに就く時もある。
今回もそうした身体の気紛れかと思い、スキマを広げて幻想郷の隅々を覗いて暇潰しをしていた紫は、そこでありえないものを見つけた。
家だ。魔法の森の入り口近くに、家が建っていた。
そして、その家の中に、見た事もない金髪をした人形のような少女が暮らしているのだ。
幻想郷は狭くも広い。しかし、外からの侵入には必ず博麗大結界を通る必要があり、誰かが通れば例え冬眠していようと知覚出来るよう紫は術式を構築していた。
外からの来訪者ではない。しかし、内部の者の中で記憶にはない。
金髪の少女の体内に流れる魔力は、規格外とは言わないまでも大妖怪と語れるほどには強大だ。そんな者を、紫が覚えていないはずはなかった。
すぐさま藍を呼んで確認するが、大結界には針先の広さすら穴を開けられた形跡はなく、先日の見回りではこんなものはなかったと、自慢の式神は苦い表情で言い切った。
結界を通って来たのを、自分が知覚出来なかった?
否だ。例え穴を開けずとも、「通った」という情報は残り続ける。
それすらなく転移するのは、結界を組んだ自分でさえも不可能だ。
幻想郷の内部の妖怪が、突然変異で強くなった?
否だ。内と外、二重に展開されている博麗大結界は、幻想郷の内部にある全ての固体を把握している。
それこそ、毛玉の一匹すらも見逃さない膨大なデータベースの過去には、彼女の影すら映ってはいない。
藍が嘘を吐いている?
否だ。彼女はもしもが起こった時の為に、自分の代替品として永い年月を掛けて練磨し、心血を注いで完成させた最高傑作。
死ねと命じれば即座に命を絶つだろう忠誠心を持つ従者が、嘘を吐くはずがない。
まるで、気が付いたらという言葉でしか言い表せないような形で、彼女と家は突如として魔法の森に顕現していた。
再び睡魔の始まった自分の身体を忌々しく思いながら、紫は藍に最大級の警戒と監視を命じ、布団に潜ってぐっすりと眠りに就いた。
春告精が飛び回り、幻想郷の季節が移った後も爆睡し、最早完全に「春」とすら呼べない辺りになってようやく目を覚ます紫。
起きた時に待っていた従者の目が、大層剣呑で刺さりそうなほど痛かったが、何時も通り無視して報告を促す。
結果は白。監視をしていた複数の式神からの報告では使い魔や遠見の術は確認出来ず、本人も今まで家から一歩すら外出していないという。
ならば、家の中で何をやっているのかと問えば、日がな一日本を読み、人形を作り、家事をして――食事や睡眠が必要のない魔法使いであるはずなのに、朝昼晩と規則正しい食事をして、夜になれば普通に風呂に入って寝ているのだそうだ。
少女の家は、地面から上にある部分の五倍以上の規模をようした地下室があり、食料や人形の材料などはそこから確保しているので、彼女の生活は家の中だけで完結していた。
訳が解らない。
意味が解らない。
だが、だからこそ興味深い。
紫は、藍に監視を緩める指示を出し、金髪の少女を自らの目で観察しだす。
「まるで、出来損ないの人間ね」
紫の監視が一ヶ月程度と経過し、スキマで少女の様子を眺めていた賢者は少女をそう評した。
人間とは、他者との関係で自分を形成する生き物だ。自分と比べる何かがなければ、途端に自分の形が崩れてしまうほど脆い。
そして、妖怪は自分こそが唯一無二なのだという、確固たる傲慢で成り立っている。
自分以外の何者も存在しない場所で、孤独を当たり前に受け止める少女は、明らかに妖怪寄りの感性だろう。
だというのに、その生活は人形が人間の真似事をしているかのように機械的で、しかし、魔法の練習や人形操作に着々と成果を上げていくという、極めて自然で不自然な生活を送っているのだ。
少女が幻想郷に来てから、既に何もないまま半年が過ぎ去ろうとしていた。
彼女は相変わらず、共に現れた家から出ようとはしない。放っておけば、彼女は永遠に家に留まっていそうな不変さだ。
紫は次なる一手として、接触を試みる事にした。
相手の如何なる返答も視野に入れ、スキマを開いて少女の家の中へと進み出る。妖気を全開で滾らせ、両者の絶対的立ち位置を明確にしながら彼女の反応を待つ紫。
しかし、いきなり現れた侵入者に対し、僅かに動きを止めただけでまるで驚いた様子もなく、少女はただ紫を見ているだけだった。
何故、これほどの殺気を当てられながら、攻撃して来ない。
突然現れた不審者に、何故何も質問しない。
完全なる予想の外。己の読みを外された紫は、自分の口から情報を与えるのは下策と判断し、事前に用意しておいた招待状を机に置いて退散する。
至極穏便な形で記してはいるが、その内容は明らかな罠を臭わせるものだった。
見知らぬ土地。しかも、少女にとっては敵地とも言える場所への招待だ。無視する可能性の方が高いだろう。
しかし、これで彼女は家の外の存在を知った。応じる、応じないに関わらず、周囲への警戒は始めざるを得ない。
そこから、彼女の戦力と特性を読み取っていけば良い。
さて、これでどう動く?
多分来ないだろうと高をくくり、言う事を聞いてくれない霊夢の相手をしている場面を見られてしまい、紫は内心侮られたかと失敗を呻いた。
つつがなく自己紹介も終わり、アリスは藍と霊夢の去って行った方角を見る。
「もしかして、今の娘が?」
「えぇ、第十三代博麗の巫女――博麗霊夢」
才能はあれど、未だ幼い霊夢が既に役目を継いでいるのには、理由があった。
先代博麗の巫女。彼女の寿命だ。
未だ三十には届かない身ではあるが、彼女の身体はもう長くはないと、人里の医者から再三言われている事だ。
今でも、見た目には健康でどうやっても死にそうにないほどだというのに――人間とは、やはり脆い存在だ。
「霊夢の才能なら、後三年――いえ、二年もあれば、巫女として十分な能力を身に付ける事が出来るわ」
だから、せめて彼女が逝くまでの時間で、新しい巫女を出来る限り鍛えておく必要があった。
確かに、巫女が居らずとも幻想郷は回る。代替可能な部品の一つが欠けた程度で揺らぐほど、この土地は脆弱ではない。
しかし、欠けた部分は他所へと不和を蓄積していく。出来る事なら避けたい事態だという事に、変わりはない。
「貴女をこの場に呼んだ理由はね、新参である貴女に、幻想郷の現状を知ってほしかったからよ」
「確かに、危ういわね」
要所を省いた簡潔な説明。幾つかの問いを想定していた紫に、外を知らないはずの彼女は、まるで全てを理解しているかのような反応を返して来た。
「そうでもないわ。理由があって引退したとはいえ、先代は今も健在。妖怪の山の天狗たちや幾人かの知己を頼って、人里周辺への警戒と手綱握りも任せている」
探りとして、幻想郷の情報を軽く伝えてみれば、やはり彼女は知っている反応だった。
「……やはり、知っているのね」
「何を――」
策士の前でようやく晒した、最初の不和。
無から湧き出た彼女が、一体何をどこまで知っているのか。
ここからは慎重に、しかし出来得る限りの情報を引き出す。
「――えぇ、知っているわ」
嘘、誤魔化し、無言。一挙一動を見逃すまいと、注意深くアリスを観察していた紫は、開き直りともとれる返答に唖然としてしまう。
こちらが問えば、何も隠すつもりはないと彼女は言っているのだ。
こちらへの敵対もなく、警戒もなく、諦観もなく。あるのはただ、無機質で機械的で人形のような無味乾燥の表情だけ。
訳が解らない。
意味が解らない。
なるほど。だが、悪くはない。
「……そう」
紫はその一言で、彼女への追求を取りやめた。
聞けば答えるだろうが、それでは少々大家として狭量が過ぎるだろう。
「アリス・マーガトロイド、だったわね。アリスで良いかしら?」
「えぇ」
「貴女の作っている人形の服みたいに、霊夢の着れる洋服を一着仕立てて欲しいわ。きっと似合うだろうから。それで、今回の件は忘れてあげる」
良いだろう。私が、この妖怪の賢者が、貴女を幻想郷の住人として認めよう。
この場で藍と共に、彼女を滅するのは容易い。だが、そんな短絡的な式しか打てないようなら、策謀家としては二流以下だ。
敵対者、もしくはそれに類する者と対峙した時、最も高い成果はその相手を仲間に引き込む事だ。
掟で縛り、情で縛り、惰性で縛り、価値観で縛る。幻想郷が彼女にとってかけがえのない場所になれば、それだけで未知を持つ彼女を味方に引き込める。
使える手札は、多いに越した事はない。
その後、先代と出会ったアリスは霊夢の身体を糸を使って採寸した後、魔法を使って転送した小包を霊夢に渡してあっさりと帰路に就いた。
小包の中身は、カルボナーラという麺を使った外洋の料理。
アリスは、引越し蕎麦代わりだと真顔で言っていた。ますます変な魔法使いだ。
紫も我が家へと帰り、腰掛けるスキマと同じ形に歪んだ口元を、扇子を使って覆い隠す。
さて――これからは、楽しい楽しい悪巧みの時間。
互いの領域に規則正しい線引きがなされ、決められた節度に唯々諾々と従い生きるだけの惰弱な者しか居ない場所を、一体誰が「
境界とは、常に曖昧で混沌としている方が望ましい。
日常と刺激、平穏と殺伐。辛く苦いものを食した後ほど、甘味は数倍の味となって舌を潤す。
アリスという未知は、一体どんな波紋を幻想郷へと投げ込んでくれるのだろうか。
敵となれば討つ、味方となれば利用する。駒程度で終わるのならば、使い潰しておしまいだ。
単純で、実に解り易い答え。
「あの娘ははたして、敵か味方かそれとも駒か――うふふっ」
幻想郷に、玩具が増える。
愛しい庭の、賢者の玩具が。
紫は嗤う。三日月を背と腰に、裂けるような口元で妖しく嗤う。
はてさて、後はお代を頂き役者が集い、幕を開けてのお楽しみ――
ゆかりんは少女です。