東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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一連の異変は何時もより気合を入れてるから、執筆速度も今までより絶対上がると思っていたけど……
別にそんな事は無かったよ(´・ω・`)

9/27 感想欄を読んで、ラストにシーンを一つ追加。



34・(偽りの)月は出ているか(始ノ一)

 そこは、何もない空間だった。否、ただ二つがあるだけの空間だった。

 ただ漠然とした広大とも閉鎖とも思える空間に、誰かと自分が居る。

 黒でも白でもない、ぼんやりと曖昧に映るその誰かの腕がぬっとこちらへと伸ばされた。

 

 迎えに――

 迎えに――

 迎えに――

 迎えに――

 

 男とも女ともつかない、布越しのようなくぐもった反響音が耳を打つ。耳を塞ごうにも手が動かず、逃げようにも身体が動かない。

 視線を逸らす事すらも許されず、誰かの腕――本当に腕かどうかすらも妖しいその部位が、徐々に、徐々に近づいて来て――

 

「――ぁ、はっ!」

 

 鈴仙・優曇華院・イナバにあてがわれた、永遠亭の一室。

 布団を跳ね上げ、恐怖の表情に顔を歪めた一人の玉兎が涙を湛えて目を覚ます。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ――」

 

 暗い室内で荒い呼吸を繰り返し、自分の胸を鷲掴みにして生きている実感を味わおうと必死に縋る。

 

「――どうだった?」

 

 室内には、別の影が二つ。

 三人の中では最も背の低い体躯をしていながら、あぐらを掻いて頬杖を付くというどこか不遜な態度でてゐが鈴仙の様子に冷めた視線を送っている。

 

「寝ている最中に、彼女の脳内は外部からの特殊なパルス波を受信しているわ。波長の伝達と受信能力に優れた、うどんげならではの現象ね」

 

 鈴仙の頭に取り付けた吸盤付きの電極プラグを取り外し、観測用に作った小さな箱型の装置を片付けながら永琳がその質問に答える。

 

「ごめん、全然解んない」

「彼女の最近見ている夢は、彼女自身が生み出しているものではなく外から送られて来たものだという事よ」

「つまり、とりあえずその兎ちゃんにとっては最悪の展開って訳だ」

 

 鈴仙のみを狙って、限定的に送られて来る謎の情報。

 それは夢という形で彼女を苛め、たった数日でその精神を限界近くへと磨耗させていた。

 

「わ、私は、永遠亭を去ります」

 

 身体と声を震わせながら、それでも鈴仙は搾り出すようにして言葉を紡ぐ。

 彼女だけを狙う勢力など、たった一つしかありはしない。

 月の都。鈴仙が逃げ出し、彼女が辿り着いた地で出会った恩人たちの故郷だ。

 かの地からの追跡が、遂に彼女を捕らえてしまったのだ。脱走した兵士を追い、その身を拘束し罰を与える為に。

 

「つ、月の都の狙いは、私一人です。こ、ここに居れば、姫様と師匠に、め、めめ、迷惑が……っ」

「うどんげ」

 

 歯の根は噛み合わず、両腕を抱いてガタガタと怯える一人の少女の頭へと、呆れ顔で永琳が片手を乗せる。

 

「貴女を匿ったのは姫様の意思で、こちらの都合よ。貴女が負い目を背負う必要はないの」

「でも、実際問題どうすんのさ。どれだけの人数が来るのか知らないけど、私とお師匠と鈴仙だけじゃ全員を逃がさず仕留めるのは厳しいよ?」

 

 大前提として、もしも月人たちを本気で相手にするのであれば、地上に降りた全員を月への連絡を入れさせる前に皆殺しにしなければならない。

 一人でも逃がせば、鈴仙は元より永琳や彼女たちの仕える輝夜の所在までもがばれてしまうからだ。

 

「相手にする必要はないわ。月から降りて来る彼らを、ここに辿り着けなくすれば良いだけの話よ」

 

 しかし永琳は、そもそも月の玉兎たちを地上へと到達させる事すら許す気はなかった。

 鈴仙から聞いた月の情報と彼女が今見ている夢の内容から考えて、月の使者が地上へ降りるのは次の満月の夜。

 月の頭脳が抜けた穴を、そう簡単に他の誰かが埋められる訳もない。永琳自身が作り出した月から地上への移動方法が今もなお使われ続けている以上、幾らでも妨害は可能だった。

 そして、妨害はたった一度だけで良い。穢れを嫌うが故に潔癖な上層部は、「二度の失敗」という汚名を被る事を恐れ鈴仙の探索を打ち切るからだ。

 だが、それには問題が一つ。

 

「――それ、もしかしなくても大事だよね」

 

 過去から呼び出した偽りの月を掲げる術式を説明すると、てゐは即座に胡乱気な視線となって永琳を見た。

 月の満ち欠けは、妖怪という種族にとって途轍もなく重要な意味合いを持つ。満月に力を得る者、新月に力を失う者――太陽に嫌われた彼ら彼女らにとって、対となる月の存在は死活問題にすらなり得る。

 そんな、自分たちの命にも近いものが挿げ替えられたとすれば、妖怪たちは確実にそんな事を仕出かした者を探し出そうとするだろう。

 この永遠亭が、現在輝夜と永琳の術によって厳重に秘匿されているとはいえ、それほどの術を行使するのならばもう隠し通す事は出来なくなる。

 

「えぇ。おそらく、この地の住人たちと一戦交える事になるでしょうね」

「これっぽっちの戦力で? 本気?」

「この際、勝敗の重要度はそれほど高くないわ。まぁ、姫様にもそろそろ別の刺激が必要でしょうし、ある意味では丁度良い時期なのかもしれないわね」

「うへぇ、恐い怖い」

 

 自分が扱き使われる事を淡々と説明され、てゐが舌を出して軽く身を引く。

 

「いやだねぇ、こういう時のお師匠は――本人も知らず、どこか楽しんじゃってるんだから」

 

 首を振るてゐの鋭い五感は、表情を変えない永琳の内面に起こったほんの僅かな喜悦を確かに感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 夜の茶会――

 穏やかに、たおやかに――

 夜の王とその「家族」が集うその時間は、しかし、そんな素敵な一夜とはならなかった。

 

「無粋な――っ」

 

 紅魔館のテラスにて、レミリアが歯軋りをしながら頭上へと浮かぶ巨大な月輪を睨みつけている。

 十五夜の名を冠する満月が昇るはずのその場所には今、満月に見せ掛けた満たされない贋物が映し出されていた。

 月の影響を色濃く受ける吸血鬼だからこそ、このような所業は断じて許せるものではない。

 

「満月の月光浴は、私の数少ない楽しみの一つだって言うのに――パチェ!」

「嫌よ、面倒臭い」

 

 苛立ちをぶつけるように呼ばれた親友の反応は、にべもないものだ。何時も通り古めかしい魔道書のページを捲りながら、優雅に紅茶のカップを傾け偽りの月を見ようともしない。

 

「これほどの規模の術式なら、術者を潰した方が手っ取り早いわね。場所はこの辺りだから、自分で行って自分で潰しなさい――小悪魔、お代わり」

「はい」

 

 規模が大きいという事は、それだけ周囲への影響力も大きいという事。月を入れ替えるという途方もない摂理の歪曲は、深淵の魔女にとって自分の居場所を大声で叫んでいるのと同じだった。

 パチュリーは本に視線を下ろしたまま、片手間で生成した術の発生地点へと光を放つ魔石(ジェム)を指で弾いて投げ渡す。

 

「もぅ。居候なんだから、もう少しくらい役に立とうとしなさいよ――まぁ良いわ。行くわよ、咲夜」

「かしこまりました、お嬢様」

 

 飛んで来た魔石(ジェム)を受け取りながら、出不精で面倒臭がりの親友に文句を言って、傍に仕える咲夜と共に夜の帳へと歩を進めていく。

 

「美鈴は何時も通りね。ただし、この異変が解決するまで何人たりとも屋敷に入れてはダメよ」

「はい! お任せ下さい!」

「お姉様! フランも行きたい!」

 

 手の平と拳を合わせ、元気良く返事をする美鈴の後ろから、フランが片手を上げて大きな声で同行を願い出た。

 

「却下。貴女はお留守番」

「やだやだー! それじゃあ、お姉様が代わりにお留守番すれば良いじゃない!」

「ふぅっ、仕方がないわねぇ」

 

 両手を振り回して抗議する愛しい妹へ、レミリアは軽く拳を握って突き出して見せた。

 

「じゃんけんよ。勝った方が、咲夜と一緒にこの異変を解決に行く。それで良いわね?」

「うん! いっくよぉ!」

「「じゃん、けん、ぽんっ!」」

「ぁ……」

 

 フランがパーで、レミリアがチョキ。勝負の結果は、レミリアの勝利だ。

 

「私の勝ちね。やっぱり、悪魔はピース(これ)じゃないと」

 

 勝者である吸血鬼の姉が、二つの指をそのままに呪いのサインを口元へと重ねて笑う。

 

「ずるいずるい! お姉様、能力を使ったでしょ!?」

「あらあら、悲しいわぁ。私は貴女から、妹との真剣勝負にそんな無粋な手段を使うような姉だと思われているのかしら?」

「むー」

 

 運命を操られたかどうかなど明確な証拠を示せる訳もなく、本人が認めない限り糾弾もただの推測の域を超える事は出来ない。フランは頬を膨らませた不満顔のまま、可愛らしく唸り声を上げる。

 

「お姉様のバカ! いじわる! ほんとは好きだけど、大っ嫌い!」

 

 最後は涙目になりながら、それでも捨て台詞だけは吐いて屋敷の中へと駆け去って行くフラン。

 

「……大変だわ、パチェ。妹の可愛さが不夜城レッドよ」

「意味不明な事言わないで。大切な身内だとはいえ、シスコンも大概にしておきなさい」

 

 しばらくフランの居た場所を見つめていたレミリアの放心したような呟きに、返答を求められたパチュリーは至極当然の反応を返した。

 

「ご武運を!」

「行ってらっしゃいませ」

「まぁ、精々遊んで来なさい」

 

 残った三人から思いおもいの激励を受け、レミリアと咲夜は改めて星空の夜へと飛び立っ。

 

「時にお嬢様。先程の勝負、能力を使われたのではありませんか?」

「ふふっ、何を言っているのかしら」

 

 不安定な面がそれなりに収まったとはいえ、フランの精神は未だ未熟。幻想郷のお祭りである異変の最中に過去の狂気が再発すれば、彼女の立場が悪くなってしまう。

 大事な大事な妹の為を思うからこそ、全力で阻止するのが姉の役目だ。

 

「悪魔にとっては、悪徳こそが美徳でしょう?」

 

 ただし、悪戯好きする笑顔で舌を突き出す吸血鬼の少女に、そんな殊勝な想いがあったかどうかは定かではない。

 

 

 

 

 

 

「んー、古めかしいという点では確かに乙なんだけど……でもやっぱり、雅じゃないわねぇ」

 

 どことも知れず、どこにもないかもしれない夢と幻の領域。

 八雲紫の屋敷の縁側で、屋敷の主人や従者と共に秋の十五夜を楽しんでいた西行寺幽々子が、突然入れ替わってしまった月に感想を漏らす。

 

「――行くわ」

「えぇ、行ってらっしゃい」

 

 たったそれだけ。

 立ち上がった紫に対し、スキマを使って消えていく彼女を幽々子は一言だけで送り出した。

 聞く必要もなく、語る必要もない。

 二人の間柄には、それで十分だった。

 

「次をお持ち致しましょうか?」

 

 空になった大皿を下げながら、藍が月見団子の追加を申し出る。

 

「遠慮しておくわ。あの月を見ながら食べても、風情がないもの」

「承知致しました」

 

 深く一礼をして、台所へと下がって行く藍。

 幽々子と同じく八雲亭へと招待された妖夢は、月見の準備を手伝った後自己鍛錬をすると一人鉛を仕込んだ木刀を振り続けている。

 振れども振れどもその音から迷いは晴れる事なく、到底無心とは言い難い。

 口が寂しくなり、自分の細く色素の薄い人差し指をチロリと舐めた幽々子は遠くから届くそんな風切り音を聞きながら、しばし自分の思考へと没頭していく。

 

 進むは地獄、戻るも地獄。

 勝ちでも負けでも、戦場(いくさば)に身を投じなければあの娘の霧は晴れそうにないわねぇ。

 

 幽々子の起こした前回の異変で、彼女の願いの妨げとなる者を排除する大役を担っておきながら、妖夢は冥界への侵入者に敗北を喫した。

 勝負が水物である以上、勝利と敗北は表裏一体。魂魄家の剣士として、妖夢の師であり祖父でもある妖忌とて敗北とは無縁ではない。

 負けるのは別に良いのだ。本当はそれほど良くもないが、それが納得の出来る敗北であるのならば糧の一つとして更なる精進が見込めるのだから。

 今の妖夢の心には、そんな敗北を受け入れるだけの余裕がないのだ。心の余裕とは、驕り高ぶった慢心ではなく必要な場面で必要な実力を発揮する事を可能とする、「力を抜く」という剣士にとってとても重要な素養。

 口で説明した程度で、簡単に学べるものではない。ましてや、それが漬物石を頭の代わりに乗せているような娘では、百年経っても無理かもしれない。

 しかし魂魄の名を継ぐのであれば、それは百度死線を彷徨ってでも体得して貰わねばならないものだ。

 

「私も行くわ」

「かしこまりました。お気を付けて」

 

 戻って来た藍へと簡潔に告げ、幽々子もまた戦場となるだろう地へと進み往く。

 

「ようむー」

「――はい!」

 

 これが、活路の一つになってくれるかしら。

 

「今夜は、途中で寄り道しながら帰りましょう?」

 

 汗だくで駆け寄って来る少女の未来に思いを馳せ、亡霊の姫が月夜の下で穏やかな笑みを浮かべる。

 この世在らざる美しさを持ちながら、同時に底を見せない悠然たる微笑。

 富士見の娘とその従者が、歪な月夜を斬らんと飛び立つ。

 

 

 

 

 

 

 深夜の博麗神社にて、特にする事もない霊夢、魔理沙、萃香の三人は幾つかの酒瓶を転がしながら畳の部屋で自由にだらけていた。

 

「ありゃりゃ、こいつぁ頂けないねぇ」

「あん? どうかしたのか?」

 

 突然の変化を理解したのは、開けっ放しの障子から空を見据える鬼の一人のみ。

 魔理沙は、そんな萃香の反応の理由が解らず首を傾げる。

 

「さて、どうするかねぇ。ま、これだけの大事なら紫が動くか……」

「おいおい、私にも解るように説明してくれよ」

「お断りだよ、お嬢ちゃん。解らないって事は、お前さんにゃ知る資格がないって事だ」

「あぁん? この酔っ払いめ、ケンカ売ってるんなら高値で買ってやるぜ?」

 

 魔理沙の方も微妙に酔っ払っており、酒臭い息を吐きながら懐の八卦炉を取り出して萃香へと息巻く。

 

「やめておきなさい。こんな真夜中に弾幕ごっこなんて、どこに当たるか解ったもんじゃないわ」

 

 茹でた枝豆と、おからに佃煮。

 軽いつまみにと、台所にあるものを適当に持って来た霊夢が半眼で魔理沙を諌める。

 

「止めてくれるなよ霊夢。この極悪非道の妖怪に、私の偉大さってやつを教えてやるぜ」

「あー……悪いが、今は気分じゃないね」

「……は?」

 

 鬼が勝負事を放棄するというあり得ない現象を前に、魔理沙は酔いと一緒に思考までもが止まってしまう。

 

「萃香、お前大丈夫か? なんか悪いもんでも拾い食いしたのか?」

「萃香が腹を壊すほどの食べ物って、一体どんなゲテモノよ」

「食ったっていうか、一杯食わされたかなぁ」

 

 気だるげに頭を掻きながら、萃香の視線は空の一点から決して離れない。

 

「霊夢、多分紫が来るよ。準備しといた方が良い」

「あぁ、これってそういう事なの」

「だぁかぁらぁ、二人とも私にも解るように喋れってんだっ」

 

 一人蚊帳の外に置かれ、魔理沙が歯軋りをしながら地団太を踏む。

 

「異変よ」

『その通り』

 

 簡潔に答えて庭へと歩み出た霊夢の前に、虚空からの相槌と共にスキマが出現する。

 博麗の巫女はそのまま歩みを止める事なく、現れた境界の先へとその身を沈ませていく。

 

「待てよ! ――づっ」

 

 傍に置いた箒を拾い上げて霊夢に続こうとした魔理沙だったが、スキマから侵入を拒絶され指を痛めるだけで終わってしまう。

 

「ちっ」

「一応、忠告はしといてあげるよ」

 

 舌打ちする魔理沙へと、萃香が一人部屋の中で瓢箪の酒を傾けながら、ヘラヘラとした笑みを貼り付けて語り出す。

 

「今回の相手は、多分わたしみたいにルールに正面から喧嘩を売るんじゃなく、ルールの穴を横から突いて来るような奴らだ」

 

 術の規模から考えて、相手の一人は確実に紫と伍するほどの術者だろう。(まじな)いを得意とする者は、得てして絡め手を好むものだ。

 

「下手をすりゃあ、死んじまうかもよ?」

 

 引き止めているようで、その言葉は紛れもない挑発だった。

 蛮勇を好むのが鬼の性分だ。例えその結果が死であろうとも、見物人にとってはただの余興に過ぎない。

 

「――例え死人が出たとしても、そいつは私じゃないだろうさ」

 

 萃香に顔を見せる事なく、魔理沙は箒に跨り空へと高速で飛翔する。

 一つの流星が、地上から空へと舞って行く。自分の遥か先を進み続ける好敵手(ライバル)の背を、決して見失わないように。

 

「青いねぇ――んぐっ、んぐっ」

 

 水を入れれば酒となる瓢箪――伊吹瓢(いぶきびょう)から、無限に作られる強烈な度の酒を更に飲み下し、残された小さな百鬼夜行が霧となって移動する。

 勇気と無謀を履き違え、本当の意味で自分の「死」と向き合った事のない青瓢箪。

 熟さず腐るか、虫に食われて消え失せるか、それとも――

 

「運が良くて腕一本って所か。ほんとに死体で帰って来たら、指を差してしこたま笑ってやろうかね」

 

 ちゃっかりつまみと一緒に神社の屋根へと移った萃香は、瓦の上へと寝そべって偽りの月を眺めている。

 

「風流ぜい、風流ぜい。朔月、三日月、宵の月――偽りの月(お前さん)は酒の肴にゃああんまり向かないが、今晩だけ我慢しといてやるよ」

 

 なべて世は事もなし。

 春は桜、夏は時雨に秋は月、屍山血河に酒池肉林――酒飲みにとって、この世の全ては肴に変わる。

 小さな鬼の孤独な酒宴は、この夜が終わるまで続く事だろう。

 朗報も凶報もまた、酒の肴とする為に。

 

 

 

 

 

 

 星詠みは、魔女のたしなみの一つだ。

 占いとして用いるのは勿論、時には儀式や魔法の仕掛けなどとしても重要な要素になって来るので、習得しておいて損はない科目だろう。

 星を見て時刻の解る能力者だっているのだし、綺麗な光景というだけでは終わらない自然の偉大さが凝縮されているのだ。

 

「……」

 

 現在の時刻は午前四時。だというのに、月は天井の真上の位置から一切動く事なく不変の輝きを続けている。

 そんな異常な現状の中、私は自宅の居間で広げた白紙の紙を前にひたすら空の星を書き記す作業に没頭していた。

 家から上空へと人形たちを飛ばし、森を抜けた場所で待機させたその視線を私の視覚と繋げて、満天の星空を室内で観測する。

 理由は解らない。ただ、空に浮かぶ月に異常が起こり夜が停止した時点で、私の中に「そうしなければならない」という思いが浮かんで来たのだ。

 この時期にこれほどの規模で摂理を歪める事件となれば、もう永遠亭の起こす永夜異変と見て間違いはないだろう。

 だが、それと私が今宵の星座を把握する事にどんな繋がりがあるというのだろうか。

 

 うーむ……ほんと、なんだろねー。

 これが凄く大事な事なんだっていうのは感じるのに、なんで大事なのかがさっぱりんぐなんだけど。

 

 もしかすると、私がなくした記憶の中に答えがあるのだろうか。

 湧き上がる疑問に明確な解を出せぬまま、ただ身体の動くままに空の星を記録し、記憶していく。

 普通に考えて、今やっている作業は永遠亭や迷いの竹林に関係があるのだろう。

 一番に思い浮かぶのは、月の頭脳であり宇宙最高峰の薬師である八意永琳。彼女を見つけ出し、当時の私が何かを頼もうとしていた可能性だ。

 しかし、幻想郷の賢者の目すら欺く彼女たちの住処を暴く行為は、手の込んだ自殺以外のなにものでもない。

 しかも、「吸血鬼異変」の前となればスペルカード・ルールさえ制定されてはいない時期だ。永遠亭の危険度は、異変の影に姿を晒した現在の比ではない。

 

 それでも、という事になるのなら――私には、誰か助けたい人でも居たのかな?

 

 危険をかえりみず、命を懸けてさえ救いたいと思えるほどの誰かが。

 居るか居ないかも定かでないような、ほんの僅かな可能性にさえ縋らねばならないほどに、逃れられない死を背負う誰かが。

 今の私で言えば、霊夢やパチュリーたちのように大切な――そんな誰かが。

 解らない。

 思い出せない。

 だったらもう、自分の目で確かめに行くしかない。

 

 ――んー、でもなー。

 前の異変は、出しゃばったせいでかなり酷い目に遭ったし……何か良い手はないものか。

 あぁ、そうだ。別に考えなくても、裏方に回れる方法があるじゃまいか。

 

 原作の「東方永夜抄」では、皆がチームを組んで異変解決に挑んでいた。私ことアリス・マーガトロイドのパートナーは、普通の魔法使いであり二人目の主人公である霧雨魔理沙だったはずだ。

 彼女もこの異変を察知して元凶を探しているだろうし、目的地への案内役という形で同行すれば目立たずに済むのではないだろうか。

 交渉材料は、無難に魔道書にしておこう。

 地下の図書室の蔵書には結構難易度の高いものがチラホラあるので、あの娘ならばきっと喜んでくれる事だろう。

 魔理沙は異変を解決し、私は疑問を解消する。実にウィンウィンの契約だ。

 

 霊夢たちも動いているだろうし、彼女たちとも協力関係を築くのが最良の展開かな。

 まぁ、無理なら無理で弾幕ごっこは魔理沙に頑張って貰えば良いしね。

 

 チートクラスを含め、総勢八人の大所帯が攻め入るのだ。こちらの勝利は確実なので、私は少女たちのちゃんばらを尻目にこそこそと動く事にしよう。

 

 まずは皆を戻して、それからまずは魔理沙の家を訪ねてみようかな。

 

「上海、蓬莱、行くわよ」

 

 上空を飛ぶ人形たちに帰還を呼び掛け、相棒である二体の人形を傍へと飛ばして準備は完了だ。

 

 さぁ、丘の向こうを探しに行こうか。

 

 駄肉魔王様の言葉を胸に、私もまた彼女に習うべく自分の足でその一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 他の色を排した、白だけが許された世界。

 無限に続きながら切り取られ、閉ざされた空間の中にはフリルの多いワンピースを着た一人の少女が存在していた。

 白の机に、白の椅子。机に置かれた分厚い書物へと、少女は何かを訴え続けている。

 

「お迎えに来たよー、こっちだよー。おいでおいでー」

 

 しかし、早々に飽きてしまったらしくその態度は適当そのものだ。

 

「ねーぇー、ねぇってばー。暇なのー、退屈なのー、恐くないからー――もー、このポンコツ!」

 

 しまいには、上手くいかない事に腹を立て呼び掛けに使っていた魔道書を全力で放り投げてしまう。

 

「むー、届いてる感じはするのになぁ。やっぱり、こんなやり方だと警戒されちゃうのかなぁ」

 

 自分以外は誰も居ないので、拾いに行くのも自分だ。しょぼくれた顔の少女は、椅子から降りてのたのたと魔道書へ歩き出す。

 

「今回も失敗、か。またしばらくは魔力を溜めないと……はぁっ」

 

 魔道書を手に何度溜息を吐いても、現状は改善されない。

 消えかけの残滓でしかない彼女には、待つ以外の選択肢は許されていないのだから。

 

「アリスちゃーん、早くぎゅってしてあげたいのよー」

 

 何もない空へ向け、少女の悲痛な願いが木霊していく。

 自分の行いが、呼び掛け続ける相手にとって最悪の連鎖を生み出している事など、外を知らない待ち人である彼女には知りようがなかった。

 

 


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