東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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後編を書き終えるまでまだまだ時間が掛かりそうなので、前編だけ投下。
ちくしょう……

今回はめーパチェですね。
ほのぼのじゃねぇけど、まぁ気にすんな!




29・二人はめーパチェ、マックスハード!(上)

 これは夢だ――

 始まった瞬間から、これは夢だと解る程度にはこの夢も見慣れてしまった。

 何もない、真っ白な空間の中で一台だけ置かれた簡素な椅子に座る私の身体にはあらゆる場所から糸が繋がり、それがどこかへと続いている。

 糸の先へと目をやると、長く伸びた白く細いその先はどこにも繋がっておらず、途中で途切れて地面にただ落ちているだけ。

 

 誰が切ったのだろうか――

 誰が操っていたのだろうか――

 私は、こんな場所を知らない――

 でも、どこか懐かしいと思えてしまう――

 どこか、ずっと居たいと思えてしまう――

 

 椅子から立ち上がり、しばし適当に歩いて行くとやがて空中に浮かんだソレ(・・)の元へと辿り着く。

 そして、確認しようと手を伸ばせば、そこで必ず目が覚めてしまうのだ。

 最後に感じるのは、記憶をくすぐる甘く淡い花のような何かの香り。

 それが、「私」の見る夢の全て。

 

「……んっ」

 

 短く声を上げて目を開けると、当たり前のように見慣れた私の部屋の天井が見える。

 ベッドから上半身だけ起き上がって確認すれば、私の身体に糸などどこにも繋がってはいない。

 

 ――酷い中二病を見た。

 いやいや、フラグ過ぎるでしょうよ。

 

 切っ掛けは、恐らくさとりに頼んで私の過去を確かめようとしたあの一件。それ以来、私は毎日といって良いほど先程の夢を見せられ続けていた。

 どう考えても罠の臭いしかしないので無視していたが、イベントを進めるまで永久に同じ展開が終わらないというのであれば、もう腹を括るしかない。

 数ヶ月の間、ずっと同じ内容を延々とエンドレスで繰り返されているのだ。そろそろ、ノイローゼにでもなってしまいそうな勢いである。

 なんだか、最近身体もダルい気がする。いよいよ持って精神にキているのかもしれない。

 自分で作った、人形たちのアップリケが縫われた水色の寝巻き姿のまま、着替えもせずに上海と蓬莱だけを連れて部屋を出た私は、階段を下りて家の地下へと移動して行く。

 私の魔力にのみ反応する扉の封印を外し、木製なのに無駄に頑丈なそのドアを開け、螺旋状の階段を一歩づつ下る。

 辿り着くのは、広大な面積を誇る我が家の地下室だ。

 口の形で一周する通路。直方体の石が、規則正しく連なる壁。

 天井は高く、光源は等間隔で壁に配置されたランタンに似た魔道具たち。

 この地下施設は右回りが倉庫関係、左回りが工房関係になる。

 小麦粉などの粉物や調味料、後はチーズ、ベーコンなどの保存食が置かれ、使っても一夜明ければ元の量へ復活する食料庫。

 同様に、幻想郷では手に入り難いものも含め、多彩な素材が毎日一定量まで湧き出す人形素材庫。

 素材の質は一級品とは言い難いし、日本産である緑茶の茶葉や味噌や醤油がなかったりと全てが完璧に揃う訳ではないが、ここまでして貰って文句を言えば罰が当たってしまう。

 私が、幻想郷で洋菓子や洋食の調理、人形作製を続けられる理由がここだ。

 こちらの二つの部屋の仕掛けは、紅魔館の食料庫にも似たような術式が掘られていたので、私だけが使用出来るチートという訳ではないらしい。

 

 まぁ、それでも十分チートだし、私のレベルで理解出来る術式じゃないから新しくは作れないんだけどねぇ。

 

 他には、十分な広さと頑丈さで戦闘系の呪文練習には打って付けの鍛練場。

 明らかに使われた痕跡の残った、様々な器具の置かれた拷問部屋と隣室の禁固室。

 鍛冶工房、魔法薬工房、人形格納庫、武器庫、図書室、子供部屋、開かずの間――

 他にも、どこかの城の地下施設をそのまま持って来たような様々な部屋が存在するが、今回の用事とは関係がないのでここまでにしておこう。

 食事、人形作製、研究、鍛練、娯楽――まるで、篭城戦でも想定しているかのように家から一歩も出ないまま、魔法使いとしての生活の全てが揃う摩訶可思議な地下室。

 ご都合主義もここに極まった余りの用意周到さに、この家は「アリス」ではなく「私」の為に用意されたようだと見るのは、いささか穿ち過ぎだろうか。

 この「アリス」の家もまた、解らない謎だらけだ。

 目的地は、地上への階段から最も離れた場所に作られた微細の凝らされた意匠を持つ、重厚な金属の扉で閉ざされる一部屋。

 鋼鉄のかんぬきを外し、上海と蓬莱を使ってこじ開けるようにして扉を開く。

 扉の先は、人間一人すら納まれない非常に狭い空間しか存在しない。

 それで良いのだ。この部屋は、石壁の四方から伸びる金の鎖で何重にも封じられた、たった一つのソレを置いておく為の場所なのだから。

 ソレとは、あの夢に出て来た一冊の書物。

 皮の帯で十字に巻かれ、帯の中央には金で出来た鍵穴が一つ。

 アリス・マーガトロイドの持ち物でありながら、私が未だ身に付けていない彼女のトレードマークの一つ。

 相手は未知の存在で、何の為に誘われているのかも解らない。

 この選択で、私は命を落とすかもしれない。

 この選択で、私は私でなくなるかもしれない。

 それでも、これが真実へと手を伸ばせる手段の一つである事は疑いようもない。

 

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。

 最初にこの地下施設を見回った時に見つけてから、警戒に警戒を重ねて今まで長い間ずっと放置して来たけど、再三の呼び掛けにようやく私も覚悟が決まった――

 よかろう、ならば戦争だぁ!

 

「良いわ、それだけ挑発するのなら乗ってあげる――いい加減、決着を付けましょうか」

 

 誰も居ないたった一人で、それでも私は宣言する。

 究極の魔法が記されているという「アリスの魔道書」。私は、その本へと宣戦布告を叩き付けた。

 

 ――良し。ほどよくシリアスしたし、友達の大魔道士様を訪ねるとしますか。

 助けてぇ、パチェえもーん!

 

 明らかな強敵を前に一人で挑もうと思えるほど、私は無謀ではない。

 相手は魔道書。個人的な問題に友人を巻き込むのは気が引けるが、彼女の助力さえ得られればその時点で勝利は確実だ。

 

 ふっ、お前なんか恐かねぇ!

 ぶっ開いてやる!

 

 失敗フラグな気がしないでもない思いを抱きつつ、紅魔館にお邪魔する為に準備する物を頭の中で考えながら、いそいそと本に絡まった金の鎖を外す私なのであった。

 

 

 

 

 

 

 大図書館で読書にふけるパチュリーへと、休憩時間を与えられたもののやる事がない美鈴が、横の椅子に座ってちょっかいを掛けていた。

 

「パチュリーさまぁ。暇なんですけどぉ」

「だからって、私の読書の邪魔をしないで。迷惑よ」

「アリスさんや魔理沙さんが来た時は、仲良くおしゃべりしてるじゃないですかぁ。構って下さいよぉ」

「アリスは私の邪魔をしないし、魔理沙は大抵追い返してる――こら、帽子を返しなさい。私は、暇潰しの為の玩具じゃないの」

 

 パチュリー()遊ぶ美鈴の前へと、小悪魔が微笑みながら紅茶を置く。

 

「美鈴様――どうぞ」

「ありがとう」

「小悪魔、もてなしてどうするのよ。私を不快にさせる侵入者よ、追い出しなさい」

「ふふっ、パチュリー様もどうぞ」

「――ふんっ」

 

 美鈴の相手をする時のパチュリーは、普段は見せない子供っぽい感情を表に出す。

 長い付き合いだ。家族にも近い関係にもなれば、見栄など張る気も失せるというもの。

 

「で、今日はなぜここに居座っているの?」

 

 本当に暇を潰したいのであれば、妖精とでも遊びに外へと飛び出して行くのがこの中華娘だ。

 気紛れに訪れる事もあるだろうが、彼女は明らかに何かを待っているような姿勢だった。

 

「いえね。お嬢様曰く、どうも本日はこの場に良くない()の方がいらっしゃるようでして。何が起こるか解りませんが、微力ながらお力になれればと思いまして」

「良くない()、ねぇ……また白黒が、何か面倒でも持って来るのかしらね」

 

 運命の読めるレミリアの言であるならば、それは占いというよりも確定した未来である可能性の方が高い。

 

「やぁやぁ、厄介事はもう来たかしら?」

「失礼致します」

 

 噂をすればなんとやらだ。唯一の出入り口を開き、館の当主とメイド長までもが大図書館へと集まって来た。

 

「えぇ、今正にやって来たわ。咲夜、排除して」

「申し訳ありません、パチュリー様。私のこの身が、お嬢様へと忠誠を誓っている身体でありますれば、そのご命令には従いかねます」

「その様子だとまだみたいね。今回の運命はとても読み辛くて、私も内容を全然把握出来ないのよねぇ」

 

 レミリアの能力は、「運命を操る程度の能力」。操れるという事は、その存在を知覚し干渉出来るという事。

 どの程度の規模で、どれほどの干渉力を持つのか、本人の口から多くを語られない為に詳細を知る者は誰も居ない。

 或いは、能力の強大さから見てレミリア自身もまた、詳しくは把握し切れていないのかもしれない。

 我が物顔で魔女の対面に座る当主の前へと、その斜め後ろへと立つ侍従長が時間を止めた間に用意したのだろう、紅茶の入ったカップと皿に乗せたビスケットなどのお茶請けが瞬時に出現した。

 許可がない限り、主人との相席は無礼になると美鈴が席を立ち、咲夜と同じくレミリアの背後へと移動する。

 

「もしかして、妹様まで来るの?」

「安心なさい、フランは咲夜に頼んで寝かし付けたわ。私の読みが正しければ、あの娘は居ない方が良いでしょうから」

 

 お菓子の赤いグミを中央に乗せたビスケットを口へと放り込み、騒がしさを嫌うパチュリーに悪どい笑みを送るレミリア。

 自分が最大限に楽しむ為ならば、実の妹にだとて容赦はしない。実に悪魔的な知略だ。

 やり口が子供っぽいとは、口が裂けても言ってはいけない。

 

「――パチュリー様、お客様がお見えです」

「どうぞ」

 

 もうどうにでもなれと半ば諦めの境地に達したパチュリーへと、妖精メイドに導かれた来訪者が現れる。

 この来訪者こそが、レミリアの言っていた事件の元凶となる存在なのだろう。

 

「――フランが居れば、全員集合ね」

 

 現れたのは、紅魔館の全員が幻想郷で最も付き合いの長い七色の人形遣い。

 何時もの通りの無表情で菓子折りを持参し、館の住人が集うテーブルを見て感想を漏らす。

 彼女はなぜか、何時も連れている二体の人形を傍に飛ばしていなかった。

 

「何かやっていたの?」

「いいえ、きっとこれから始まるのよ」

 

 椅子に座ったまま身体を反転させ、蝙蝠の羽を楽しそうに小さく羽ばたかせながら、レミリアはアリスを見る。

 

「……そう、私が来る運命を読んだのね。話が早くて助かるわ」

 

 言いながら近づいた彼女が、テーブルへと差し出したのは一冊の分厚い書籍。

 流れ出す魔力と存在感が、その本が魔道の書である事を物語っている。

 

「パチュリー、この魔道書の封印を解除する場に立ち会って欲しいの」

 

 アリスの出した魔道書を軽く一瞥した後、パチュリーは疑わしげな視線を戻す。

 

「……何の冗談かしら。この魔道書を封印している力は、明らかに貴女の魔力(・・・・・)なのだけれど」

「だけど、この魔道書に封印を掛けたのは私ではないの」

「貴女の魔力なのに?」

「えぇ、私の魔力なのによ」

 

 個々が内包する魔力は、人間で言う指紋に近い。それぞれで異なる性質や特性を持ち、決して全てが同じ者などは存在しない。

 アリスの言葉は、魔道を学ぶ者であればただの冗談だと切り捨てられても文句は言えない戯言だった。だが、パチュリーはこの地においてアリスの一番の理解者だ。

 

「書の内容は?」

「解らないわ。予想としては幾つか候補はあるけれど、それもあくまで予想でしかない」

 

 語られない様々な言葉の裏も、長い時間を共にした彼女であればある程度読む事が出来る。

 

「……罠ね」

「承知の上よ。だからこそ、私はここに来た」

 

 アリスの意気込みはらしくないと言えるほどに強いらしく、簡単な説得程度では折れそうにない。

 アリスの必死さとレミリアの思惑、それと自分自身の興味と関心。

 

「……貴女が無理だと言うのなら、私一人でやるしかないわね」

 

 天秤を動かしたのは、人形遣いの何気ない一言だった。

 彼女自身には、挑発のつもりはまるでないのだろう。だが、七曜の魔女のプライドを掠めるには十分な台詞だ。

 魔法使いという種族は、決して万能ではない。むしろ、他の妖怪たちよりも能力面、肉体面で劣っている部分の方が多いだろう。

 対象を定め、調査し、想定し、入念な事前準備を行って事に当たる。だからこそ、魔法使いには他の誰よりも優れた慎重さと冷静さが必要とされていた。

 無茶や無謀を平気で行おうとする、白黒やこの七色がおかしいのだ。断じて、パチュリーの感覚が間違っている訳ではない。

 

 訳ではないのに、どうしてこう――悔しいのかしらね。

 

「――下らない」

「え?」

「何でもないわ。良いわよ、見届けてあげる」

 

 僅かに浮かんだ感情を即座に切り捨て、パチュリーは小さく息を吐くとアリスからの願いを受け入れた。

 

「さ、さ、話もまとまった事だしさっそく始めましょうよ」

「え? あの、止めないんですか? お嬢様が見えた運命って……」

「あらあら」

 

 鬼が出るか、悪魔が出るか――プレゼント箱を前にした子供のように瞳を輝かせ、立ち上がったレミリアが美鈴と咲夜の背を押してテーブルから離れた。

 

「ごめんなさい」

「謝るくらいなら、最初からそんな面倒事を持って来ないで」

「――ありがとう」

 

 パチュリーも席を立ち、小悪魔をレミリアたちの下へと向かわせると、アリスの隣で魔道書の解呪に立ち会う。

 魔道書の封印は非常に簡易なものだ。解除に必要なのは、封印を掛けている魔力と同一の性質を持つ者の一部。

 つまりは、アリスの血の一滴を落とすだけでこの魔道書は開かれる。

 アリスにとってみれば、それは余りにも簡素な鍵でしかない。本当に身に覚えがないのであれば、罠を含めた何らかの仕掛けが発動する可能性は高いだろう。

 

「いくわよ」

 

 スカートのポケットから取り出した彫刻用の小さなナイフを使い、僅かに切られた右手の人差し指から紅い雫が垂れ落ちる。

 赤の雨粒は、そのまま下に置かれた魔道書を巻く帯の鍵穴に当たり、金色の上から朱色の化粧をほどこした。

 変化はすぐに訪れた。内からの圧力によって鍵穴ごと帯が弾け飛び、開かれた魔道書から半透明の腕が次々と生え伸びるとアリスへと向けて一斉に襲い掛かる。

 

「フンッ――なっ!?」

 

 指先で魔法陣を描き即座に対処しようとしたパチュリーだったが、意識の外であった横手から突き飛ばされて術の構成を崩されてしまう。

 

「アリス!?」

 

 パチュリーが見上げた人形遣いの顔は、変わらぬ無表情でありながらどこか儚げな泣き顔にも見えた。

 

「――ごめんなさい」

 

 全身を腕に捕らえられた状態で、アリスは倒れた友人へと向けて再び謝罪の言葉を発していた。

 アリスを掴んだ腕たちは彼女の身体から一抱えほどの淡い光の塊を引き出すと、その肉体を放置して魔道書の中へと戻って行く。

 

「くっ! 返しなさい!」

 

 火符 『アグニシャイン』――

 

 浮遊と発光を始めた魔道書へと、パチュリーの全力の魔法が炸裂する。

 立ち昇るは紅蓮。巨大な炎塊が砕け、爆音と振動が大図書館の中を駆け抜けた。

 しかし、吹き飛ばされた魔道書には焦げ跡一つすら見受けられない。魔本から、魔力によって形成された球状の防御壁が展開され、彼女の魔法は届いていないのだ。

 

「はあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 土符 『レイジィトリリトン』――

 金符 『メタルファティーグ』――

 

 鋭く尖った大量の岩石と、着弾と共に弾ける黄金の連弾。

 続けざまに、今度は物量と質量に任せた魔法を連続で放つが、それでも魔道書の障壁を貫く事は出来ない。

 返答として魔道書の発光が更に強まり、本を中心とした空間が歪曲し大図書館という空間を別の世界へと塗り替えていく。

 草一本生えていない、荒廃した大地。

 飛び回る、一つの眼球にコウモリの羽を生やした怪生物。

 この場が地下であるにも関わらず、曇天すらも頭上へと姿を見せ始めている。

 

「パチュリー様、落ち着いて下さい! 相手はもう、防御を固めてしまっています! 力押しでの突破は無理です!」

「でも、あの娘が……っ。きゃっ」

 

 駆け寄った美鈴の制止に戸惑うパチュリーと共に、倒れたまま動かなくなったアリスを強引に両肩へ担ぐと、門番妖怪は一足飛びで後退しレミリアの傍へと着地する。

 

「お嬢様!」

「えぇ、これは一旦引いた方が良さそうね。咲夜」

「はい」

 

 美鈴から名前を呼ばれ、レミリアが決断すると同時に従者の少女が瀟洒に動く。

 

 幻符 『殺人ドール』――

 

 スペルカードを掲げた咲夜の前方に無数のナイフが出現し、迫るコウモリもどきたちを次々と打ち落として牽制する。

 

「図書館の内部を封印します! お早く!」

 

 一足早く大図書館を抜け出した小悪魔が、扉に施された術式をなぞりながら魔力を注入し、全員が退避して来るのを待つ。

 

「くっ、待って!」

「待たないわよ!」

 

 浮遊する魔道書へ手を伸ばす友人の願いを無情に断じ、レミリアたちは一気に大図書館からの脱出を果たした。

 

「全員出ましたね!? ……えぇいっ!」

 

 主に代わり、小悪魔が扉を閉じると同時に術式を発動させ、七つの属性が回転する封印が門の前後を完全に遮断する。

 

「……」

 

 突然の連続と余りの状況に、誰もが口を開けない。

 

「……お怪我はございませんか、パチュリー様」

「なぜ、私も連れ出したの……っ」

 

 それでも、アリスの後に肩から下ろしたパチュリーを心配する美鈴に、七曜の魔女はやりきれない悪態で答えた。

 

「ですが、あの状況では――」

「黙りなさい!」

 

 普段は見せない激情を発露させ、美鈴の胸ぐらを掴むパチュリー。

 

 止められなかった。

 あの娘が、今回の件で何かを覚悟している事は気付いていたというのに。

 気付けたはずだ。この人形バカが何時もの人形たちを連れて来ていない時点で、彼女の「予想」の中にこの展開はあったのだと。

 

「器に入っていた魂魄を、強引に引き剥がされたのよ!?」

 

 魔道書から腕が伸びた瞬間、彼女は何かを理解しパチュリーを邪魔してまでその魂を差し出した。

 友人の自殺に、無理やり付き合わされたのだ。

 八つ当たりをしながら、パチュリーは溢れ出る屈辱と後悔の熱を止める事が出来ない。

 

「早くしないと、あの娘の肉体との接続が取り戻せなく――っ」

「黙るのは貴様だ! ノーレッジ!」

 

 なおも続けようとするパチュリーの言葉に被せ、誰かの大喝が響く。

 

「頭を冷やせ、この大バカが! 「頭脳」である貴様が、この程度の事態で取り乱すなっ!」

 

 それは、魔女の服を掴み返した華人妖怪から発せられた怒声だった。

 

「……ぁ」

「――落ち着かれましたか?」

 

 その形相と、強烈な怒気に当てられパチュリーが止まれば、美鈴も表情を戻し気遣わしげな視線を彼女へと送る。

 

「えぇ、これ以上ないくらいに。ごめんなさい」

 

 首を軽く振り、己の愚かな所業を謝罪するパチュリー。

 

「めい……りん……?」

 

 しかし、今度は咲夜の方が唖然とした表情で美鈴を見ている。

 何時も笑顔が絶えず、陽気で昼行灯の彼女しかメイド長は知らないのだ。獣性を宿す表情で野蛮な言葉を吐き出す姿など、想像すらした事はなかっただろう。

 

「あぁ。そういえば、貴女が態度と口調を改めたのは咲夜が来る前だったわね」

「……門番ががさつな礼儀知らずでは、屋敷の品位が疑われてしまいます」

 

 思い出したようなパチュリーの言葉に、若干拗ねたような口調で答える美鈴。居心地悪そうに肩を狭めながら、咲夜の視線からそっと目を逸らす。

 

「レミィも私も、別に気にしないわよ?」

「私が気にするんです」

 

 どうやら、過去の美鈴はそれなりにやんちゃな少女だったらしい。

 調子を取り戻しからかう魔女へと、恨みがましい視線を向けながらむくれている美鈴は、咲夜の良く知る普段通りの彼女だ。

 小悪魔も驚くには驚いているが、それは「あぁ~、忘れてましたね」などと軽口が言える程度のものでしかない。

 

「私だけ、また仲間外れなのですね……」

「ご、ごめんなさい咲夜さん。でも、こういった過去をお伝えするのは何だか恥ずかしくて――むいぃっ」

 

 疎外感を感じ、うつむく咲夜へと近寄って慌てて言い訳を開始する美鈴だったが、途中で頬を全力で抓られ変な声を出してしまう。

 

「……ばか」

 

 美鈴から離れ、誰にも聞こえないように咲夜が小さくポツリと呟いた。

 

「くくくっ。さて、面白いものと懐かしいものが見れた所で――これからどう出る? 私の魔女殿」

 

 どこまで見えて、どこまでが見えていないのか。

 見透かした笑みを浮かべるレミリアに、パチュリーは数百の罵詈雑言を我慢しながら素早く現状の把握と打開策の模索を開始する。

 

「――あの魔道書の発動にアリスの魂が必要だったとするならば、逆にそのエネルギー源を取り除けば魔本は止まるわ。詰まる所、こちらのやる事は変わらないわね」

「現れたのは魔界の生物たちみたいでしたけど、何だか変じゃありませんでした? 何がどうとは、上手く言えないんですけど……」

 

 小悪魔の曖昧な疑問にも、魔女は既に答えを得ていた。

 

「えぇ、奴らは本物の魔界の住人ではない。恐らくは、あの本から生み出された擬似的な生命体に過ぎないわね」

 

 どれだけ動揺していても、パチュリーの目は冷静に事態を観察していた。短時間ではあるが、魔道書の放つ魔力、浮き出ていた魔法陣の術式、現れた怪物たちの瘴気――目で見たそれらの事実を総合すれば、怪物たちの正体に辿り付く事は然して難しくはない。

 あれらの存在は、絵本の中の住人に仮初の肉体と精神を与えているようなものなのだ。

 見た目は召喚魔法のようだが、その実態は石人形(ゴーレム)の作製魔法の方が理屈としては近い。

 あの魔本は、恐らく自身に記されているのだろう世界を外へと向けて「作製」しようとしているのだ。

 

「小悪魔は、扉の前で待機しつつアリスの様子を見ていて。活性の魔法は使えたわね、気休めにはなるでしょうから私たちが戻って来るまでこの娘に掛け続けなさい」

「はいっ、お任せ下さい!」

 

 パチュリーの指示に、床に正座して力を失ったアリスの頭を膝に乗せる小悪魔が大きな声で頷く。

 出来れば、より高度な治療を行える永遠亭に連れて行きたい所だが、肉体と魂の距離をこれ以上離すのは危険だ。

 そして、蓬莱の薬師を呼び寄せるよりもあの魔道書からアリスの魂を奪い返す方が、時間も掛からず確実な救出方法だと言えた。

 

「咲夜はレミィの補助、美鈴は私の補助よ。魔道書への接続とアリスの救出は、私がやるわ」

「承知致しました」

「了解です」

「あぁそうだ、良い事を思い付いたわ」

 

 ブリーフィングが進む中、レミリアが人差し指を立てて美鈴を見た。その表情は、どう見ても悪戯を考え付いた女の子でしかない。

 

「美鈴、この件が解決するまで昔の口調と態度に戻しなさい」

「……それは、ご命令ですか?」

「そうねぇ、古い友人からのお願いにしておきましょうか」

「ならば、断固拒否します」

「つれないわねぇ。だったら、貴女の望み通り命令ね」

 

 我侭とはいえ、当主直々のご命令だ。雇われ者の身である美鈴に、拒否する権利はない。

 否、本当は拒んでも良い命令だ。なぜなら、館に住まう者たちは皆「家族」なのだから。

 

「……はぁぁっ」

 

 だから、これは妹からのお願いを聞く姉のようなもの。

 帽子を外し、髪を掻き上げて軽く乱し、その表情に鋭い覇気が甦る。

 

「――今回だけだぞ」

「ふふふっ、貴女を雇えた運命に心から感謝するわ」

 

 再び豹変した門番へ、レミリアは心からの笑みを浮かべていた。

 

「美鈴、脱いで」

「あぁ」

 

 パチュリーから言われるままに上着を脱ぎ、肌着も取り払って鍛え抜かれた上半身の裸体を晒す美鈴。

 消えずに残る多くの傷跡が、彼女が歩んで来たその戦歴を静かに物語っている。

 パチュリーは、そんな彼女の背後で自身の親指を犬歯で噛み、切り口を作る。

 切れた箇所から滴り落ちるのは、吸血鬼と精霊の大好物。限りなく熱く、どこまでも濃い、赤い紅い魔女の血だ。

 美鈴の背へと血液を絵の具に、親指の筆を使って魔法陣を描いていく。

 基本的に、妖怪は群れない。我の強い者が多く、強者であればあるほど群れる必要がなくなるからだ。

 同一の目的や、歴然とした上下のある組織ならばまだしも、この館の住人たちにそれらの関係は当てはまらない。

 咲夜がレミリアへと誓っている忠誠は重く確かなものだが、それは彼女が心から望み己の意思で行っている事。

 単なる偶然の連続か、はたまた運命の導きか。

 弱者だからこそ、力を合わせる為に群れるのだ。

 ならば、強者が群れて力を合わせれば一体どうなるのか。

 その答えを、パチュリーと美鈴はその経験から深く理解していた。

 

「アリスのも中々だったけれど――ん~、久々ねぇ。この、甘く芳しい貴女の匂い」

 

 自身の肺一杯に漂う芳香を吸い込んだレミリアが、恍惚の表情をしながら頬を染め上げ口角を下品に吊り上げる。

 

「――あぁ、堪らないわ」

 

 興奮しているのだ。

 歓喜しているのだ。

 これから起こる、争いの熱を感じて。

 これから起こす、殺戮と暴虐を前にした自身に酔って。

 

「パチェが「頭脳」で美鈴が「胴体」、私が「心臓」――咲夜は「両腕」ね」

「光栄です、お嬢様」

 

 昔から変わらない何時もの面子に、人間を一人新たに加え舞台の準備は整った。

 レミリアの紅い双眸が、濡れたように妖しく光る。

 それなりに時間も経過した。侵食速度から考えて、図書館内は既に異界と化している事だろう。

 幻想郷ではない異世界。つまりは、弾幕ごっこのルールの適用されない場での闘争となる。

 

「さぁて、暴れるとしましょうか」

 

 唇を舌で一舐めし、紅の主が嗤う。

 歪みきったその笑みは、実に彼女らしい悪魔的な笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 見渡す限りの全てが白一色の空間に、彼女は居た。

 この空間に唯一存在する、丸い台をした一脚の簡素な机。その傍に置かれた二つある椅子の片方に座り、足をブラつかせながらこちらを見ている。

 

「げいむおぅばぁ~」

 

 やはり――居た(・・)

 

「コンティニューする? ヒントを聞く? そ・れ・と・も――タイトル画面に戻ってみる?」

 

 可能性は考えていた。

 あり得る事だと。零ではないと。

 私の予想は今、目の前に答えとしてその存在を表している。

 

「なぁんてね」

 

 目の覚めるような金髪、蜂蜜色をした金眼。

 フリルの付いた子供服に、頭に巻かれた青色リボン付きのカチューシャ。

 抱え持つは、一冊の魔道書。

 

「ふふふっ、歓迎するわ。不思議の国(ワンダーランド)へようこそ」

 

 あどけない表情で笑いながら、鈴を転がすような可愛らしい声で私へと語りかけて来る、一人の小さな女の子。

 

「貴女は……」

「よろしくね、アリス」

 

 彼女は過去の存在だ。幻想郷が生まれる前の、一掃された設定であるはずの存在。

 いわゆる旧作版に登場する、私と同じ魔道書を持つ同じ存在。

 死の少女、魔神の申し子――私をそのまま小さくした幼子の「アリス」が、笑みを振り撒きながらそこで私を待っていた。

 

 

 

 

 

 

「まずは――景気付けの一発と行きましょうか!」

 

 神槍 『スピア・ザ・グングニル』――

 

 封印を解除して扉を開けた瞬間、レミリアの生み出す紅光の槍が全力で投げ出され、目玉のコウモリたちを一掃しながら一直線に突き進む。

 しかし、荒野の続くその空間をそのまま直進するはずだった紅の一閃は、その前へと進み出た何者かによって打ち砕かれた。

 

「……」

 

 それは、赤い少女だった。

 赤い長髪、赤い瞳、赤い服、赤いマント。

 神槍を打ち払った右手に掲げているのは、赤色をした十字架の光波。

 その両眼に力はなく、空洞にさえ思える生気のない視線をレミリアへと向けている。

 

「ハッ、おあつらえ向きじゃないの! 誰に断って、そんなに「赤」を使っているのかしらねぇ!」

「ならば、私のお相手は――貴女ね」

 

 喜色を浮かべて突撃していく、レミリアの後を追っていた咲夜の前に立ちはだかったのは、金髪をした赤いメイド服を着た少女。

 

「……」

 

 レミリアの相手と同じく、彼女の瞳にも生気はない。

 金の装飾が施された一振りの長剣をダラリと下げたまま、無言で咲夜を見据えていた。

 

「「心臓」の癖に、真っ先に飛び出してどうするのよ……」

「何時もの事だ。時間がない、行くぞ」

「えぇ」

 

 図らずも、勝手に足止めが決まった事で悠々と「世界」の中心へ向けて駆けて行くパチュリーと美鈴。

 どうやら、魔道書の生み出している「世界」は拡張を続けているらしく、レミリアたちが起こす闘争の音が聞こえないほどの距離を過ぎても、荒野は延々と同じ風景だけを晒している。

 そうしてしばらく進んだ所で、二人の前にもある人物が立ちはだかった。

 

「――おい、これはどういう事だ」

「こっちが聞きたいわよ」

 

 それは、二人の知り合いだった。

 そして、美鈴にとってある意味で因縁の相手でもあった。

 服装はスカートから同じ柄のズボンへ、髪も肩辺りまでの短いものが長髪へと変わっており、本人でない事は解る。

 先でレミリアたちと対峙した二人と同じ虚ろな双眸で、その凶悪な妖気をこれ以上ないほどに滾らせた彼女がそこに立っていた。

 

「風見……幽香……っ」

 

 紅魔館の住人たちは知らない、彼女たちが一体何者であるかを。

 知る必要などない。なぜなら、彼女たちはただ排除すべき敵でしかないのだから。

 偽りの幽香たちを生み出した魔道書が、「世界」の中心で静かに浮かびながら脈動を繰り返す。

 命の鼓動にも似た無音の旋律を奏で続けるその光景は、荒廃した世界で唯一の生命を感じさせるものだった。

 




感想欄で、旧作勢は出さないと言ったな。
すまん、ありゃあ嘘になった。

適当な敵役が居なかったので、急遽の大抜擢とあいなりました。

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