東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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前半は、グロ注意。
グロが苦手な私の、精一杯を詰めました(真っ青)

後、入れたい場面が増え過ぎてアリスの出番がありません。
ねぇ、主人公どこに行ったか知らない?



26・人間が悪い話・妖怪が恐い話(転)

 ――ここを通った人間を食べよう。

 

 ある日、空腹に堪えられず地面に寝転がったルーミアは、そんな事を考えていた。

 今までもそうして来たし、これからもそうしていくだろう当たり前の日常を崩したのは、偶然に出会った金髪の魔法使いだった。

 

 ――どうして、こんな場所で寝ているの?

 ――お腹が空いて、動けないから。

 

 現れた者の匂いを嗅いで、ルーミアは彼女が人間でない事を軽く落胆しつつ、寝転がったまま魔法使いの疑問へと素直に答える。

 そうすると、その魔法使いは人形たちを操ってルーミアを持ち上げ、すたすたと自分の家に向けて歩き始めた。

 どうやら、連れて行って食事をご馳走してくれるらしい。

 なぜ、自分に優しくするのかと問うた宵闇の妖怪に対し、人形のように表情の変わらない魔法使いはこう答える。

 

 貴女が、私よりも子供だからよ、と。

 

 その後、本当に沢山のご馳走をその魔法使い――アリスから食べさせて貰い、とても感謝したルーミアは彼女とある約束をする。

 アリスは、「吸血鬼異変」における出来事により先代博麗の巫女とそれに連なる記憶を封印された為、その時の約束を覚えていない。

 だが、ルーミアはその約束を覚えている。

 

 ――あのね、ルーミア――

 ――お願いがあるの――

 

 その約束を切っ掛けに、ルーミアはアリスを慕うようになった。

 共に遊び、共に過ごし、あの優しい魔法使いとたくさんの喜びを分かち合う。

 

 ――私が今の生に絶望し、本当に死にたくなったその時は――

 ――その時は、私を食べてくれないかしら――

 ――その時の私は、きっととても「悪い子」なのでしょうから――

 

 心から愛する者を殺め、その肉体の全てを余す事なく貪り食う。これほどまでに、妖怪にとって至上の幸福となる諸行など他にはないのだから。

 人間には到底理解不能な、狂いに狂った歪んだ思考。だが、それは紛れもなく確かな好意に違いなかった。

 その時語られたアリスの言葉は、冗談か本気かすら定かではない。

 しかし、その約束は反故にされる事なく今も果たされるべきその時を、宵闇の少女の中でただひたすらに待ち続けている――

 

 

 

 

 

 

 人間は日の光の下で笑い、妖怪は月の光の下で謳う。

 夜――それは、妖怪の時間の始まりを意味している。

 日輪が沈み、月光が世を照らすこの時間帯になれば、人間たちは人里や自分たちの集落へ戻り決して外へは出歩かない。

 しかし、当然として例外は存在する。

 狩猟を生業とする者などは、獲物を仕留める為に数日間を山で過ごすのが常であったり、他にも様々な理由により住処に戻れない者たちは現地で夜を明かす。

 人間とは弱く、その弱さを補う為に集うものだ。禁を犯し、同族からすら見捨てられた犯罪者たちであってもそれは例外ではない。

 妖怪の山の麓。

 何かの妖怪が掘ったのか、数人で雨露を凌ぐには十分な広さを持つ洞窟が、そんな彼らの根城として使われていた。

 妖怪避けの札を入り口に張り、一人が襲われてももう一人がすぐさま対応が取れるよう、見張りは二人。

 妖怪の脅威を十分に理解するからこそ、彼らは自分たちの安全を確保する為の準備と警戒を怠らない。

 だがしかし、そもそも妖怪とはそんな矮小な都合を塗り潰す、理不尽の権化に付けられる名称なのだ。

 そんな妖怪の一人、河童の河城にとりが洞窟の傍にある水辺よりぽっかりと顔を出し、周囲を見渡す人間たちをじっと見つめていた。

 

「――悪いね、盟友」

 

 片手を眼前に出す彼女の「水を操る程度の能力」により、空中に集う水気が水球となり洞窟の入り口に張られた札を包むと、球体のまま内部で急激に攪拌を起こし一気に細切れの紙片へと分解する。

 

「さて――天狗たちから、「山の妖怪はこの件には関わるな」って散々口煩く言われてるんだ。私はここには居ませんよっと」

 

 自らの仕事を終え、これより起こる惨事を前ににとりは誰にともなく呟いた後、再び水辺の底へと潜っていった。

 見張りたちは、ほぼ無音で行われた背後の現象に気付く事が出来ない。

 そんな二人の前に、今度は一本の縄が垂れ下がって来た。

 

「なんだ、これ――?」

 

 洞窟の入り口近辺に木々はなく、その縄は遙か夜空の彼方から伸ばされていとしか思えない場所から伸びている。

 

「迂闊に触れるな!」

「え?」

 

 好奇心のまま縄へと触れる男へと向けた、もう一人の男の制止は余りに遅過ぎた。

 振り返った瞬間に縄が引かれ、縄と繋がった桶が釣る瓶落としの少女を乗せて高速で縄を持つ男の背後へと落下して来る。

 

「ごびゅっ」

 

 キスメの持つ鎌によって一撃で両断され、水の弾ける音を口から発する男の首が軽い放物線を描きながら、空中へと飛んで行く。

 

「ちっ、敵しゅ――ぶぐっ!?」

 

 仲間の死に舌打ちをし、素早く洞窟の中へと警告を発しようとした男の言葉は最後まで続かなかった。

 振り返ったその場に、音もなく立っていたのは火焔猫燐。男の口を右手で塞ぎ、爛々と殺気立つ瞳が恐怖に揺れるその双眸を穿つ。

 

「――困るんだよねぇ。人形遣いのお姉さんには、あたいが目を付けてるんだ。勝手な抜け駆けはなしだよ」

 

 妖怪猫の言葉は、人間には何を言っているのかまったく理解が出来なかった。

 ただ一つ、彼が理解したのは自分が確実にここで死ぬという、決定してしまった事実だけ。

 

「楽に死にたけりゃ、さっさと居場所を吐いておくれよ? でなけりゃ、ずうっと死ねないまんまの生き地獄だ」

「んー! んんー!」

 

 男は、口を塞がれたままお燐によって宙へと運ばれ、足が地から離れた事で力が乗らず碌な抵抗も許されなくなる。

 

「あたいはコイツと遊ぶから、他のは好きにしなよ」

「んんー!」

「はーい」

「解ったのだー」

 

 暴れる男を掴み、平然と空を飛ぶお燐に答えるのは夜雀と宵闇の人食い妖怪。

 夜は妖怪の時間――闇より出でし者たちの狂宴が、星の瞬く夜空の中で幕を開けていく。

 

 

 

 

 

 

「ちくしょうが! なんだって、こんなことになりやがった!」

「か、頭ぁ。落ち着いて下せぇ」

「オレは落ち着いてるよ! バカにしてんのか!」

「ひぃっ!」

 

 洞窟の内部で、黒髭をたくわえた野盗団の長は荒れに荒れていた。

 飲み干した酒の器を地面へと叩き付け、自らの憤怒を鎮めようとするがまったく上手くいかない。

 

「何が連続失踪だ! くそっ! 金払いの良い上手い話だと思って乗ってみりゃぁ、とんだくそったれだ!」

「オレたちがやったのは、仲介人のヤロウから請け負った一回だけだってのに……一体どうすりゃ……」

 

 ――女を攫って売り物にしたい。

 ――仲介料は貰うが、それ以外で手に入った金は全てお前たちにくれてやる。

 

 野盗たちにそう持ち掛けた、頭巾で顔を隠す正体不明の女からの依頼。

 最初は、怪しさしかないその女を警戒していた男たちだったが、前金として渡された一月は遊んで暮らせる額に目が眩みたった一度の罪を犯した。

 まぁ、彼らは元々が人里の追っ手から逃れ続ける犯罪者であり、今更罪が一つ二つ増えた所で最早手遅れなのだが。

 しかし、その一度がまずかった。

 確かに販売された女の代金も受け取りはしたが、それ以降彼らはその件に関わってはいない。にも関わらず、人里の噂は延々と尾ひれが付き続け野盗たちを窮地に立たせるまでに膨れ上がってしまっていた。

 彼らの後に、誰かが犯行を引き継いでいる。そして、その全ての責任を噂を介して押し付けられているのだ。

 おかげで、妖怪の山を根城にしていながら天狗たちからも睨まれるハメになり、急いで住処を変えなければ命に関わる可能性が高かった。

 否、気付いていないだけで、彼らはもう手遅れな状態にまで来てしまっている。闇の腕は、もう彼らを捉えた。

 

「文句を言っても始まらん。今は、ほとぼりが冷めるまで大人しくしておくしかないな」

「解ってるよ! ちっ、寄越せ!」

「へ、へい」

 

 比較的冷静な右腕的存在の男に怒鳴り、野盗の長は部下の酒杯を奪うと再び酒を注ぎ始めた。

 しかし、どれだけ飲んでも彼の苛立ちは治まる事はない。

 

「あのアマ、何時か見つけ出して生皮引き剥がしてやる――っ!?」

 

 野盗の長が壁を叩いて口汚く吠えた時、事は起こった。

 壁際で灯していた松明の光が消失し、突如として男たちを暗闇が襲う。

 

「な、なんだ!?」

「おい、早く明りを点け直せ!」

「解ってるよ! ――あぢぃっ!?」

 

 点火用の火打石と火種を手探りで探し当て、松明へ向けて手を伸ばした男が悲鳴を上げて大きく仰け反る。

 

「おい! どうした!?」

「き、消えてねぇ! 火はずっと点いたままだ!」

「あぁ!? だったらどうして――っ!?」

 

 ――チン――チンチン――チンチン――

 

 全てが闇に閉ざされた世界で、雀の鳴き声に似たさえずりが響く。

 音は波となって耳を打ち、更に男たちの両の目を歌という名の呪いで深く深く侵していく。

 鳥目などという、生易しい症状ではない。今、彼らの視覚は完全に光を拾う術を奪われていた。

 彼らは知らない。自分たちが、もう逃れられない捕食者たちに狙いを定められた事を。

 彼らは知らない。自分たちが、死なねばならないその理由を。

 

「妖怪かっ!? 外の奴らは、一体何していやがった!」

「えぎゃっ!」

「た、助け――ぎぇあっ!」

 

 暗闇の正体に野盗の長が毒吐いている間にも、部下たちの悲鳴が視覚を閉ざされた洞窟内に木霊する。

 

「おい!」

「あぁ、解って――ぎゃぶっ!」

 

 野盗の長の右腕であり、外法術士として人里を追われた男が何かを仕掛けようとしたらしいが、それすらも暗闇の中の悲鳴に終わるだけ。

 もし、彼らの目が見えていたとしたら。

 妖怪の長く麗しい爪によって顔面をなます切りにされた男を見て、どんな悲鳴を上げていただろうか。

 

「おいっ! おいっ! ちっくしょうがあぁぁぁっ!」

 

 今まで彼らが相手取って来た、弱小妖怪とは訳が違う。

 今、彼らを襲っているのは人間にとって絶対的な死を運ぶ、災厄の怪物たち。

 

「しー――あんまり騒がれると、味が落ちちゃう気がするのよねぇ。料理中(・・・)は、お静かに。ね?」

 

 場違いなほどに透き通った、若い少女の声が人間たちの耳へと届く。

 それは、平然とした口調であるが故により一層の恐怖を彼らへと与え、死の足音を伴ってその精神を押し潰す。

 

「う、うあぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁっ!」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

「くそっ! くそぉっ!」

 

 視覚を失う前の記憶だけを頼りに、洞窟の入り口へと走り出す人間たち。身体のあちこちを壁にぶつけながら、それでも必死に妖怪から逃れようと足を前へと回し続ける。

 

「ルーミアー、キスメー。悪い子たちがそっちに行ったわよー」

 

 先程の妖怪は、逃げた彼らを追う気はないようで同じ場所からのんきな声を発している。

 肌に感じる空気の流れで、ようやく外に出れた事を理解する男たちだったが、そこまで来てもやはり暗闇は続いたままだ。

 

「おぉー、お前たちが悪い子なのかー?」

 

 それでも前へと走る野盗の長の正面から、別の少女の声が問い掛ける。

 妖怪の知り合いならば、この声も妖怪に違いない。

 そう判断した野盗は、腰に下げた太刀に手を掛け相手の声を頼りに上段から全力で振り下ろした。

 

「ちぃえぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 しかし、地面まで振り切っても手ごたえは生まれない。

 かわされたかと顔を歪める男だったが、振り下ろした腕のあるべき至近距離から、再び少女の声が届く。

 

「あっはぁっ、いただきまぁぁす」

 

 野盗の長は見えていないのだ。振り下ろした自分の両腕が、振った刀ごと「闇」によって食い千切られている事を。

 共に逃げていた二人の部下が、既に別の妖怪の振るう鎌によって首を刎ねられている事を。

 

「ぁ……」

 

 だから、彼は最後まで何も理解出来ないまま、あっけなくその生涯に幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「あぐあぐ――あぐあぐ――んふーっ」

 

 その少女は、満面の笑みで頭を食い、腕を食い、はらわたを食う――

 全身を血で汚す小柄な少女の胃袋へと、明らかにその体積を超えた量の肉が次々と飲み込まれていく。

 肉を咀嚼し、骨を噛み砕き、その人間がこの世に存在していた痕跡を一欠けらすらも残さず口内へと押し込む宵闇の少女。

 

「キスメもどうぞ。早くしないと、ルーミアが全部食べちゃうわよ?」

「……」

「え? その首だけで良いの? 謙虚ねぇ」

「……」

「私? 私はいいのよ。そういう願掛けをしているの」

 

 むせ返るほどの血臭が漂う異様で正常なルーミアの所業を眺めながら、ミスティアは遠慮深いキスメの頭を撫でる。

 

「うーん、ここにアリスは居ないみたいだし、次に行きましょうか」

「う゛ー」

「大丈夫よ。待っててあげるから、ゆっくり食べなさい」

 

 口に大量の肉を詰め込んでいる為喋る事が出来ず、恐らく「待って」的な事を言いたいのだろうルーミアからの呻き声に、ミスティアは苦笑を返した。

 綿密な計画など立てられるはずもない妖怪たちにとっては、最終的に目的が達成出来ればそれで良い。

 とりあえず隠れている人間を襲って、アリスが近くに居なければ次へ。次で見つからなければ、そのまた次へ――

 妖怪の時間に、危険な外をうろついているのだ。それはすなわち、例えそれが誰であれ襲われても文句は言えないという事。

 元々区別など付かないが、妖怪にとっては一般人も犯罪者も等しく餌に過ぎない。

 天狗の新聞によって情報を共有した人外たちは、現在その殆どが妖怪の山の麓でこうした「人間狩り」を行っていた。

 

「……内臓は血抜きをして刺身で、皮はさっと揚げて塩をパラリと。骨を砕いた出汁のスープに、目玉と頬の肉にタレを付けて炭火でじっくり――うぅ、美味しそう」

 

 一人目を完食し、二人目へと突入したルーミアの食事を待つ間に、ミスティアがなにやら独り言を呟きながら生唾を飲み込んでいる。

 とある事情により人間は食わない、とするようになった彼女も結局のところは妖怪という名の食人種族。その性質は、死ぬまで変わらない。

 それでも、彼女には心があり意地があった。

 自己を抑制し、自分に課したルールを守れるだけの理性を確かに宿しているのだ。

 

「ダメよ、ダメダメ。あの人間から受け取った屋台に、人間を食材として持ち込むなんて……諦めなきゃダメよ、ミスティア」

 

 その正否を決めるのは、他者ではなく彼女自身。ミスティアは、揺れる己の心を叱責し頭を振って誘惑を払う。

 

「――そういえば、ルーミア」

「んん?」

「貴女って、どうしてそんな変な口調で喋るようにしたの? 前は普通だったわよね」

 

 考えないようにしようと別の話題を探していたミスティアが、ルーミアへと質問する。

 ミスティアとルーミアは、アリスと知り合った事で彼女を橋渡しとして互いの友好を深めているが、それ以前にもただの知り合い程度には面識があった。

 ミスティアの記憶では、その当時は今のような喋り方ではなく極普通の口調だったはずなのだ。

 

「んー、だぁってぇ」

 

 ルーミアが、口から血を滴らせながらにちゃりと笑みを作る。

 容姿相応の、子供らしい笑顔。手に持つ千切れた人間の腕と顔中の血化粧がなければ、それはそれは可愛らしい表情だった事だろう。

 

「こっちの方が、アリスが優しいのだー」

 

 アリスは子供好きである。

 ルーミアは見た目通りの年齢ではないが、アリスにとって彼女は子供であるらしい。

 ならば、子供らしく振舞えばもっと優しくして貰えるのではないか。

 そう思い立ったルーミアは、何時からか今のような口調で喋るようになっていた。

 アリスが、以前の喋り方を知っている時点でもう手遅れだという事実を、彼女はまったく考えもしていない。

 彼女はやはり、子供だった。

 

「貴女、悪女の才能があるわぁ」

 

 ルーミアの密かな才覚にミスティアが微笑ましく感心していると、唐突に場の空気が一変していく。

 静謐(せいひつ)にして荘厳。妖怪の彼女たちにして、肌が泡立つほどの濃密な存在感。

 

「――あら、素敵な巫女さんこんばんわ」

「……」

 

 夜空の中から妖怪たちを無言で見下ろすのは、幻想郷の管理者にして妖怪退治の専門家。第十三代目となる楽園の素敵な巫女、博麗霊夢。

 人間の死体が溢れた大地を見ても表情一つ変える事なく、霊夢は静かにミスティアたちを睨む。

 

「夜の見回りだなんて、今日は随分と真面目なのね」

「アンタたちがバカ騒ぎをしているせいで、うるさくて全然寝付けないのよ。全員漏れなくぶっとばしてあげるから、そこに直りなさい」

「あー、れいむだー」

 

 不機嫌な顔で言い募る霊夢へと、ルーミアが笑みを向ける。無邪気に過ぎる、邪悪な笑みを。

 

「なーれいむー、弾幕ごっこしよう? ――わたしが勝ったら、食べて良いかー?」

 

 当初の目的を忘れ、高揚感をそのままに人食い妖怪の瞳がより上質な肉を求めて妖しく光り、「闇」が彼女を中心に渦巻き始める。

 ルーミアは、今この瞬間自分の命がギリギリの地点で助かった事実を理解していない。

 妖怪退治は巫女の務め。本来、スペルカード・ルールは人間を守る為の規則だが、同時に妖怪を守る為にも適用される。

 もしも、弾幕ごっこではなくそれ以外の方法で霊夢に襲い掛かっていたならば、楽園の巫女は躊躇なくこの妖怪の少女を本当の意味で「退治」していただろう。

 

「粋がるんじゃないわよ。妖怪風情が、人間様に敵う訳ないでしょうが」

 

 挑まれた勝負への返答として、霊夢は右手で数枚の札を掲げながら、反対側の手で霊水によって清めた針を握り込む。

 ルーミアの能力は厄介だが、対処法は至って単純。「闇」の侵食速度に勝る攻撃を、連続で当て続ければ良いだけだ。

 そうすれば、いずれは「闇」を引き剥がされた本体に攻撃が届く。

 当時の咲夜には、それが出来なかった。

 今の霊夢には、それが出来る。

 この勝負に、霊夢が敗北する可能性は一厘すらありはしない。

 

「……今の内に、私たちはおいとましましょうか――っとと」

 

 頷くキスメの桶を抱えながら、こそこそと逃げ出そうとしたミスティアの行く手へと、霊夢の投げた札が突き刺さり牽制する。

 

「全員、漏れなくぶっとばすって言ったでしょう。先は長いんだから、大人しく待っていなさい。なんなら、三人掛かりでも良いわよ」

「うーん、私はやめておくわ。今の貴方に逆らっても、痛い目をみるだけでしょうし」

「退治するのに、手加減を期待しているなら無駄よ」

「でしょうねぇ――あら、キスメはやるの? それじゃあ、頑張ってらっしゃい」

 

 軽く手を振りながら、浮遊していく桶を見送るミスティア。

 暇になった彼女は、手頃な岩に腰掛けた後一度小さく息を吸い込むと、それから艶のある声音で夜の調べを歌い始めた。

 

 かわいい坊や――

 愛する坊や――

 風に葉っぱが舞うように――

 坊やのベッドはひいらひらり――

 

 何時かの昔、人形遣いの少女から教えて貰った子守唄。曲はなく、歌詞だけのそれに即興の音符が当てはめられていく。

 

 天にまします神様よ――

 この子にひとつ――

 みんなにひとつ――

 いつかは恵みをくださいますよう――

 

 鎮魂ではなく、贖罪でもなく、ただ気紛れに思い出したから歌っているだけの、意味を持たない言の葉の残響。

 

 いつかは恵みをくださいますよう――

 

 月を背にした歌姫(ローレライ)の美声がどこまでも響き、彼女の歌に聞き惚れるように風と木々のざわめきが消え短くも長い静寂が生まれる。

 

「気に入らないわね――今、私が気に入らない事が何より気に入らないわ……っ」

 

 霊夢は、非常に珍しく本気で怒っているらしかった。

 しかし、その怒りの矛先はなぜか今この場に居る誰にも向けられてはいない。

 誰に向かう感情なのかは不明だが、憂さを晴らすには十分だと彼女はその憤りを霊力から弾幕へと変換していく。

 

「来なさい。人間の恐ろしさってやつを、骨の髄まで叩き込んであげるっ」

 

 闇夜の舞台が整い、博麗の巫女が吠える。

 星空を弾幕で染める巫女の快進撃は、宣言通り今回暴れていた妖怪全員を退治するまで行われ続けた。

 人を襲うが闇の性質(サガ)――

 闇を祓うが人の性質(サガ)――

 自然の摂理に逆らう事なく、夜の幻想郷は流れのままに回ってゆく。

 

 

 

 

 

 

 人間を売る者が居るならば、当然買う者も居る訳で――

 

「今日びは、人里も治安だ摘発だと住み辛くなりましたなぁ。一昔前はこの程度、簡単に手引き出来ましたのに」

「なぁに、苦労した分手に入れた時の喜びもひとしおというもの。まずは楽しみましょう」

「またまた。そんな事を言って、前の商品は貴方が買われたのだから今回は自重して頂かねば」

「おっと、それとこれとは話が別ですなぁ」

 

 草木も眠る丑三つ時。わざと薄暗くした広い畳の部屋で、猿や翁の面を被った男たちが下卑た声で笑い合っている。

 被っている仮面もまた、ただの演出だ。この場に集った者たちの表の顔など、お互いにとっては周知の事実でしかない。

 人の心は容易に腐る。金があり、地位があり、権力があり――彼らにとって、掟を犯す背徳感もまた娯楽の一つでしかないのだ。

 聞き咎める者も居ないというのに、男たちはひそひそと小声で話しながら今宵一番の催しに期待を溢れさせている。

 そして、遂に待ちに待ったその時が来た。

 

「おぉ……」

 

 部屋の正面へと、襖を開けて二人の人間が入って来る。

 白髪頭で西洋の礼服らしきものを着た、男装の麗人に連れられて舞台に立ったのは、手足に枷を着けボロ切れを着せられた美しい女性だった。

 健康的で張りのある肌、たわわに稔った乳、肉感はないが細過ぎもしない、美しい肢体。

 長い頭髪で顔立ちこそ良く見えないが、この場へと連れて来た時点で醜女である可能性は限りなく低い。

 

「まずは百」

 

 気が逸り、進行役とおぼしき白髪頭の言葉すら待たず、猿の面を付けた男が片手を上げる。

 言葉にした数字は、女の金額だ。今宵この場で行われるのは、外道の極地である人間の競り。

 買ってどうするのかなど、最早語る必要もないだろう。

 

「二百っ」

「二百八十」

「三百五十だ!」

 

 熱を帯びていく男たちからの興奮した視線に晒され、ボロ布だけをまとった女性が小刻みに震え出す。

 この震えは、怯えや恐怖ではない。怒りだ。

 火山の噴火にも似た最高潮の憤怒が、彼女の身を打ち震わせているのだ。

 

「――教師なんて身綺麗な役を続けたいんなら、殺しはなし(・・)だよ」

 

 アリス謹製の黒いスーツを着こなす男装の麗人――藤原妹紅が、遂に次の桁まで競り値の跳ね上がった女性に向けて忠告する。

 

「……すまない、妹紅」

 

 震える声で、その女性――上白沢慧音が妹紅に答える。

 

「もしもの時は、お前が私を止めてくれ――っ」

 

 それは、最早自分では止まる事が出来そうにないという、諦念を込めた宣言だった。

 彼女の身の内より出ずる熱によって長い頭髪が揺らぎ、その髪色を変じながら生え伸びる二本の角が怒髪天を突いてゆく。

 今宵、奇しくも天へと掲げられたのは欠け一つない見事な満月。

 長い雌伏の果てに、手足の枷を引き千切り白沢(ハクタク)の激怒が爆発する。

 

「貴様、寺子屋の半獣教師っ!?――げぶぅっ!」

 

 今更、本来の商品と入れ替わり侵入を果たした者の正体に気付いた所で、男たちの結末など決まっている。

 突進した慧音の強烈な突き上げが炸裂し、最初の犠牲者である男の頭が天井の木板へと見事に突き刺さる。

 

「きぃさぁまぁらぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 頭突きだけでは済まさんぞおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 それは、腹の底から振り絞られた雄叫びだった。

 獣化した事で引き上げられた膂力を頼りに、愚か者たちへ向けて目に付く端からその怪力を叩き込む。

 

「ぎぶっ!」

「ぶげらっ!」

「へぎゃあぁぁっ!」

 

 殴り飛ばし、蹴り飛ばし、投げ飛ばす。

 最早暴風。拘束具と同時に理性の枷さえも外した猛獣が、室内に破壊と破滅を撒き散らしながら荒れ狂う。

 そんな中、妹紅たちの入って来た襖が再び開き、両腰に刀を下げた青年が暴れ回る慧音を傍観する不死人へと一礼をする。

 

「自警団第三班、班長の大神です。自警団各員、配置完了しました――って、もう始めていますね」

「悪いね、段取りを無視しちゃって。慧音がもう限界だったからさ」

「いえ。どのみち、あぁなった先生は俺たちでも止められませんから」

 

 この屋敷は、既に自警団員たちによって完全に包囲されていた。

 自警団の立てた作戦では、今の報告をもって自警団員たちがこの場に突入する手筈だったのだが、阿求からの伝手で作戦に飛び入り参加した慧音が暴走してしまった為、彼らは部屋の外での待機を余儀なくされている。

 だが、どの道この場に居る犯罪者たちはもう逃げられはしまい。結果論になってしまうが、確実に捕縛出来るのであればその方が良い。

 

「――悔しいかい?」

「えぇ、まぁ」

 

 目聡く青年の変化を指摘する妹紅に、青年は軽く頭を掻きながら複雑な表情をする。

 

「自警団なんて大仰な組織を作っておきながら、結局最後は貴女たちのような実力のある方を頼らざるを得ない自分を、不甲斐無く思います」

「その気持ちは大事だよ。腐らず曲がらず、しっかり育ててやると良い」

「はいっ」

「後、こういう屋敷は抜け穴の一つや二つあるのが定石だ。攫った女を入れてるだろう地下室共々、人数を使ってそこから逃げてる奴が居ないか調べてみてよ」

「了解です。妹紅さんも、お気を付けて」

 

 青年は、折り目正しく礼をした後襖の奥へと去って行く。

 去り際に、彼が美少女と話せた喜びによって小さく握り拳を作っていた事を、その後姿を見送る妹紅は知らない。

 

「お気を付けて、か――ずっと化け物か腫れ物扱いだったけど、普通に接せられてもそれはそれでなんだか反応に困るね。やり易いやら、やり辛いやら」

 

 青年から時代による若者の変化を感じ取った妹紅は、そんな独り言を呟きながら気まずそうに頬を掻く。

 

「があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 月夜の晩に、獣が吠える。

 人に仇なす外道共、侘びでは済まぬと獣が吠える。

 人里の悪を挫く為に行われた、二人の強者を加えた深夜の大捕り物はこうして見事な大成功を収める運びとなった。

 後日、今度は「慧音先生は、本気で怒ると身の丈三(メートル)の巨人に変身する」という変な噂が人里に蔓延してしまい、噂の本人が酒の席で涙ながらに愚痴っていたとか、いないとか。

 

 

 

 

 

 

 妖怪の山に幾つか点在する、天狗たちの駐屯所。

 今回の作戦で動いている幾人かの烏天狗が居座るその小屋に、一人の白狼天狗が大慌てで入室して来る。

 

「何事じゃ?」

「アリス・マーガトロイドを捕らえていた牢に詰める白狼第二班から、遠吠えによる伝令! 「スアナノエサガニゲダシタ、シキュウキュウエンヲモトム」だそうです!」

 

 天狗たちは現在、アリスを妖怪の山とは距離を離した場所にある地下牢へと幽閉していた。

 幻想郷が、現世(うつしよ)から隔離される前に建造されたのか、それとも外の世界で幻想となったが為に転移して来たのか――その起源は不明だが、利用出来るのだからその辺りの事情はどうでも良い。

 そして、「巣穴の餌」とは勿論アリスの事であり、今の伝令はあの魔法使いが牢を抜け足止め役の白狼天狗たちと争っている事を意味していた。

 

「なっ!? 監視役は何をしておった!?」

「それが、その……帰ったそうです、自宅に」

 

 顔に幾つもの深い皺を走らせる老夫の烏天狗の問いに、報告役の若い天狗はかなり言い辛そうにしながらも、自分でさえ耳を疑った事実を告げる。

 

「阿呆か!? 何を考えとるんじゃ!」

「わ、解りません。一体何が起こっているのか……」

 

 今回の作戦は重要度が高い為、召集された白狼天狗たちはいずれも勤勉な者ばかり。裏切り者が居るとは考え辛い。

 それ以前に、報告によれば任務を放棄した同胞たちを咎めるでもなく、他の白狼天狗は当たり前のようにその帰宅を見送っているのだ。

 そのくせ、アリスの脱出を察知するや否や即座に足止めと報告を行って来ている。本当に、訳が解らない。

 

「――このっ、役立たず共が!」

「後にしろ。相手が上手だっただけだ」

 

 戸惑いのまま(こうべ)を垂れる白狼へ向け、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす老天狗を、女性天狗が手早く出立の準備を整えながら諌める。

 アリスが何らかの手段で監視役を退け、牢からの脱出に成功している。必要な情報はそれだけであり、明確な答えが得られないのであればそれ以外は全て不要だ。

 

「――言葉を封じれば、魔法は使えないのではなかったのか?」

「さて。私が今まで見て来た限りではそうですが、どうやら一筋縄ではいかないようで」

 

 部屋の最奥で、白狼からの報告を聞いてもまるで動こうとしない文が、のんきに緑茶を飲みながら適当な事を言う。

 

「敵になるやもしれん相手に、己の手札を早々に晒さんのは当たり前か」

「ご自身の命が懸かっていてさえも、と付け加えさせて頂きたいですね」

「……本当に、厄介な相手だな」

 

 アリスの脅威は実力ではなく、その豊かな発想力だと言えるだろう。魔法一つ、人形一つとっても、こちらが仰天するような使い方や仕掛けを用意してくる。

 しかも、その手札が尽きない。それこそ、今わの際の直前まで。

 窮鼠は猫を噛むが、鼠というには彼女の牙はその全てが余りに凶悪だ。

 

「お先にどうぞ。私は、治療院ではたてと求道丸を見舞ってから行きますので」

「怖気づいたか――ふんっ」

「好きにしろ、後から来い」

 

 老天狗と女性天狗が飛び立った後、残された文はただお茶を飲みながら外の暗がりを眺め続ける。

 

「……どうあっても、貴女は思い通りに動いてくれないわねぇ、アリス。つくづく忌々しい事で」

 

 次第にちりちりと空気が軋み、苛立ちが風となって小屋の内部を強かに撫でてゆく。

 彼女の顔は見えない。今、どんな表情で何を思っているのかも。

 部屋を渦まく風だけが、何も語らぬ彼女の心情を示していた。

 




書きたいシーンを全部書いたら、思いの外膨れ上がり過ぎたの巻。
次回が起承転結の結になるか、転の2になるかは私にも解りませんorz

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