東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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「結局、馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ」
「じゃあ、天才って言ったら天才になるの?」
「お前天才かよ」


111・馬鹿と壁/天才と檻

 幻想郷と神霊廟。二つの組織の大将が上空で火花を散らす中、地中深くへと埋没していた屠自古がようやく地面へと這い出す。

 

「がっ、かっ……くそっ、がぁぁ……っ」

 

 霊夢が本気の霊力を込めて殴り飛ばしていれば、屠自古は拳を食らった時点で消滅していただろう。

 手加減された。取るに足らない相手だと、見逃された。

 その事実が、亡霊の胸中を掻きむしる。

 無様に這いずる屠自古の頭上から、シャンッ、と錫杖の音が鳴る。

 

「助けは、必要ですか?」

「誰……だ……」

 

 擦れた瞳と思考では、相手の人相すら判別出来ないのだろう。

 破れた衣服をそのままに、己の傷を塞ぎ終えた聖は屠自古を見下ろしながら小さく呟きを漏らす。

 

「ふむ。崩壊し掛けている霊体を、霊夢さんへの怨嗟で現世に留めているのですね」

 

 しかし、その程度の「未練」ではいずれ限界が来る。

 早急に霊力を回復させなければ、屠自古はこのまま消滅してしまう可能性が高い。

 

「同意を得る前ではありますが、致し方ありません」

 

 敵対者である以上一応確認を取っておきたかっただけで、元より聖は他者の救済を使命とする者だ。

 聖人のかざした右手から淡い白光が発生し、消滅寸前の霊体へと自身の霊力を分け与えていく。

 

「なんの……つもりだ……」

「困っている方が居れば助ける。それだけです」

 

 屠自古からの問いに、なんでもないように語る聖。

 救いを求める者に――或いは、求めていない者にさえ救済の光を灯す。

 彼女は誓ったのだ、必ず救うと。救い続けると。

 例え、助けた者から(うと)まれようと。

 例え、助けた者から裏切られようと。

 

「馬鹿……だな」

「えぇ、承知の上ですよ」

 

 屠自古へとある程度の霊力を渡し終え、相手からの皮肉に笑顔を返した聖は、再び錫杖を片手に花々の咲き誇る仙界を歩く。

 次に辿り着いたのは、今の景色にはそぐわない自身の身長にも勝る巨大な大岩。

 その下敷きとなっている、血塗れの邪仙へと近づいて行く。

 

「助けは、必要ですか?」

「えぇ……お願い……しますわ」

 

 再び屠自古にしたものと同じ問いを掛ければ、青娥は弱々しく笑みを作りその慈悲を受け入れる。

 同意を得た聖は錫杖を地面に刺し、両手を使って魔人経巻を開く。

 膨大な詠唱の肩代わりとして発光する文字列が高速で流れ、唯人であるはずの魔法使いの肉体が超人の領域へと昇華させる。

 

「そのまま、じっとしていてくださいね」

 

 見た目通りの重量であろう邪仙を封じていた大岩が、聖人の手の平によって楽々と持ち上げられていく。

 大岩を放り捨て、倒れる青娥へとしゃがみ込んで治療を開始する聖。

 

「――まったく、お優しい事ですねぇ」

 

 そんな聖人の真後ろへと、何時の間にか居なくなっていた烏天狗が、これまた何時の間にか出現していた。

 神出鬼没は、風のように速く隠形を得意とする天狗の専売特許だ。

 文は、神子が魔理沙たちを相手に能力を発動させる寸前で、隠形の術を使い気配と存在感を薄めてその場を離脱していた。

 相手が、これ見よがしに何かを仕掛けて来ようとしているのだ。阿呆のようにただ眺めているなど、愚の骨頂。

 実際は、小心者がビビッて逃げだしただけなのだが、本人的には自分が一番大事なので魔理沙たちへの負い目等は特にない様子だ。

 

「他者の目がなくなれば、すぐさま本性を現すと思っていたのですが……どうやら、当てが外れたようですね」

 

 しかも、今まで隠れていたのは聖のゴシップを狙う為だったらしい。

 いっそ、清々しいほどの記者魂である。

 

「私の行いは、他でもない私自身が見ているのです。不道徳な行いなど、出来るはずもありません」

「うーわー。なんですか、その気持ち悪い善人ぶった態度。鳥肌が立ってしまいます」

 

 正に聖人。善行こそが救済であると、己自身を律し続ける徳の求道者。

 自分が正しいと思う事をしているのだから、その行為に恥じる所など何処にもない。

 

「それに、被害を出したとはいえ彼女は今「退治」されました。罰を受け終えた彼女を、貴女の独断で殺害させる訳にはいきませんから」

「……」

 

 聖の推察に、文は無言を返す。それは即ち、聖の言を肯定しているという事に他ならない。

 妖怪の山に猿神という混乱を持ち込み、部下である椛をあれだけ手酷く痛め付けた外敵を、どうして見逃せようか。

 文は離れた場所から戦場を俯瞰し、青娥を仕留める機会が訪れるのを待ち続けていたのだ。

 そして、彼女の期待通りこうして好機が訪れた。

 しかし、そんな折角の機会も聖が邪魔者として現れてしまった事で、あえなくご破算となってしまった。

 「他者の目がなくなれば――」。それは、その台詞を口にした烏天狗にこそ相応しい言葉だと言えるだろう。

 

「……弱者に与える施しは、さぞや甘露でございましょうねぇ」

 

 そんな()()()()聖に対し、青娥は治療を受けておきながら彼女の行為を揶揄してくつくつと笑う。

 

「治療の必要がないと言うのであれば、今からでも捨て置きますよ」

「いいえ、いいえ。今の(わたくし)は敗者で弱者。例え、反吐が出るほどの偽善であろうとありがたく受け取りましょう」

「やらない善より、やる偽善です。貴女に不快な思いをさせてしまうのは大変心苦しいのですが、治療が終わるまで辛抱してください」

 

 聖にとってこの程度の悪意など、封印される前から幾らでも浴びせられていた。

 

 自己満足の偽善者。

 妖怪を保護する異常者。

 人間とは相容れぬ異端者。

 

 人間は、己の理解出来ない存在を否定したがる。

 聖の思想は理想的であり、そして、到達不可能な夢想に近い。

 そんなものを本気で目指し続ける狂人を、常人が理解出来るはずもない。

 

「えぇ、承知しておりますわ」

 

 そんな言葉を口にしながら、青娥は立ち上がろうとしているのか両手を地面へと突く。

 

「おっ」

 

 驚きの声を上げたのは、聖の背後から二人を眺めていた文だ。

 跳ねるようにして身体を伸び上がらせた邪仙が、何時の間にか自身の髪から抜いていた(かんざし)を僧侶の右胸へと突き込んでいた。

 これが、救済者が背負う弱さだ。

 手を差し伸べた相手が、その手を取るとは限らない。

 

 マミゾウは、幻想郷で生きる事を決めていた。故に、郷の管理者の定めた妖怪同士の殺害禁止を軽々しく破る事は出来ない。

 半死半生で孤立すれば、この聖人は必ず助けに来るだろう。屍肉を狙う烏が隠れて飛んでいるのだから、なおさらだ。

 治療をするには、当然近づく必要がある。こうして、ほんの少し手を伸ばすだけで届く奇襲には最適な距離へと。

 

 狸の大将と同じく、邪仙もまたこの瞬間へと辿り着くべく無数の糸を張り巡らせていたのだ。

 

「ふふっ、ふふふっ。恋敵さん、どうか死んでくださいまし」

 

 狂人が狂人を知るように、聖人は聖人を知る。

 到達点さえ違えど、神子と聖は救世という大事業を己の使命だと定めている。

 だが、狂人に聖人は理解出来ない。

 人という存在に未練のない青娥に、人を見捨てられない神子の心を本当の意味で理解する事は出来ない。

 それなのに、出会っただけで互いを通じ合わせた聖は、青娥にとって正しく恋敵と言えるだろう。

 常人であれば可愛い嫉妬で終わる話も、殺人鬼に掛かれば一瞬で殺傷沙汰へと振り切れてしまう。

 

「――なるほど。確かにそれは、私を殺すに足る理由となるでしょうね」

 

 心臓へと向けて(かんざし)の先端を突き立てられながら、聖の声は平静そのものだった。

 見れば、空間を歪曲し「穴」を空けるはずだった(かんざし)は、邪仙の術を発動させる事なく完全に沈黙している。

 法力とは、収め鎮める護法の力。邪悪なる道具の効果を封じる事など、造作もない。

 

「くっ」

 

 奇襲を防がれ、青娥は追撃として左手に出現させた短剣を真横に振り抜く。

 

「そちらもですね」

 

 迫る刃を左手の指二本で掴んだ聖は、そのまま圧し折り更には素手で握り砕く。

 そうして手の平を広げて見せたそこには、金属の破片に塗れながら傷一つ見受けられない、綺麗な素肌があった。

 

「毒とは即ち陰なる邪気。骨を溶かし、臓腑を腐らせる蟲毒の外法も、御仏の威光の前には無意味です」

「……っ」

 

 如何に優れた毒薬であろうと、身体強化に浄化と治癒など生存に特化した魔法使いである聖には通用しない。

 二度目の奇襲も失敗に終わり、今度は聖が青娥の頭を掴む。

 鉄を刃を紙屑のように引き千切る剛力が、邪仙の頭部を軋ませる。

 

「が、がぁっ!?」

神子(あの人)との決闘した直後の弱った私であれば、通用すると思いましたか? いいえ、いいえ。私も、貴女と同じく死を恐れるが故に道を踏み外した女なのですよ」

 

 死にたくない。ただそれだけの想いで魔法を極め、人の(ことわり)を捨てた破戒僧。

 結局のところ、聖の習得した技術はその大半が己が生き足掻く事に重きを置かれたものとなっている。

 

「そして、仮に全ての奇襲を防がれたとしても私が貴女を殺害する事はない。それが解っているからこそ、「ものは試し」と殺しに来るなど……」

 

 毒は無効化され、魔法や妖術等の超常の技は法力で止められ、封じられる。

 奇襲も無理だ。彼女の強化された五感の感知を、逃れる(すべ)はない。

 大勢で包囲しても、超人となった身体能力の前にはそもそも檻として成立しない。

 真正面から挑むには、聖白蓮という僧侶を超える必要がある。

 八苦を滅した尼君の殺害。それは、幻想郷の最上位に位置する者たちですら困難極める難行と言えるだろう。

 

「どちらが弟子と師の関係かは知りませんが、似た者問題児の貴女たちにはどうやら更なるお灸が必要のようですね」

「ぎ、ぎぃっ。があぁぁぁっ!」

「うわー」

 

 にっこりと笑う聖、絶叫を上げる青娥。そして、頬を引きつらせながらも写真を撮る文。

 聖は、その若さを維持する為に常時「若返りの魔法」を発動させ続けている。

 普段の聖にとって、失った魔力の補給源は彼女を慕い集う妖怪たちの妖気だ。

 それとは別に、緊急時の補充手段も当然用意されている。

 それがこれだ。妖気と言わず、生命力やその他の力を魔力へと変換し、吸収する魔性の業。

 相手を無力化させつつ、自分は魔力を回復させる。

 ()()()()聖らしい。実に平和的な技である。

 しかし、なまじ力が強い分青娥を無力化するまでには、それなりの時間が必要になる。

 つまり、その間中この拷問のような行為は続くのだ。

 

「あァアあぁァぁぁアぁァァっ!」

「まぁ、この写真で号外を配れば、この人にやられた被害者たちの留飲も下がりますかね」

 

 悶え苦しむ邪仙の横で微妙な表情をしながらもその写真を撮り、新聞記者としての仕事をまっとうしようとする文。

 確かに、青娥がここで死ぬ事はないだろう。

 だが、死んだ方がマシという苦痛は古今東西に存在するものだ。

 幻想郷の人妖たちに、多大な被害をもたらした下手人。

 そんな悪党に相応しい末路として、邪仙は悲鳴を響かせ続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

「天才と、凡人の話をしようか」

「は?」

 

 勝負の最中であるにも関わらず、神子は霊夢からの弾幕を回避しながらそんな事を言い始めた。

 

「なに、私はこう見えてお喋りが好きでね。特に、君のような悩める乙女には声を掛けずにはいられないのさ」

「胡散臭いわね。ペテン師にしか見えないわ」

「まぁ、為政者など皆がペテン師みたいなものさ。人々を導くには、綺麗事ばかりでは務まらないからね」

 

 迫る大玉を宝剣にて両断し、太子は肩をすくめてみせる。

 

「時に、博麗の巫女よ。君は、その友人との弾幕ごっこの戦績がどの程度か大雑把でも把握しているかな」

「……いいえ」

「だろうね。君にとっては取るに足らない、記憶に留める必要もない些事に過ぎない。だが、どうやらその友人にとっては違うという事だ」

「……」

 

 一を聞いて、十を知る。

 出会ったばかりの霊夢でさえ、神子の前ではその内心すら手に取るように把握されてしまう。

 

「君を初めて見た時、震えたよ。よくぞ、ここまで完璧な天才を()()()()()ものだとね」

 

 博麗霊夢。誰とも知れない胎から生まれたただの人間が、ここまでの傑物となった理由。

 それは、妖怪の賢者という人間を知り尽くした妖怪が丹精込めて育て上げたからだ。

 

「自分にとっての常識が、他者にとっての常識にはなり得ない――少し違うな。君の常識は、それが常識となるよう他者から刷り込まれたものだ」

 

 弾幕同士の僅かな隙間を縫うように高速で空を走り、神子が逆袈裟の一閃を放つ。

 

「ふっ、しっ!」

 

 美しく洗練されたその一撃を、霊夢はお祓い棒で防ぎつつ勢いを受け入れくるりと回転し、相手のあごへ向けて左の蹴撃を見舞う。

 

「おっと」

 

 神子はその攻撃を頭を屈める事で回避し、追撃として放たれた右のかかと落としも首を逸らす事で不発に終わらせる。

 

「君は敏い娘だ。感じているのだろう? 自分が、「人間」という範疇から大きく逸脱している事を」

「私は人間よ」

「いいや、君は「博麗の巫女」だよ。人間でも、妖怪でも、ましてや神や悪魔でもない――賢者の生み出した怪物だ」

 

 否定の言葉と共に、神子の斬撃の速度が上がる。

 展開された結界を紙の如く引き裂き、霊夢の頬を強く掠めていく。

 

「づっ」

「強大な敵への恐れもなく、さりとて油断もなく。冷静に、平静に、怒らず、悲しまず、喜びもしない」

「いい加減、離れなさい!」

 

 切り返しの刃が届くよりも早く、巫女の手に持つ霊符に力が込められ至近距離で炸裂する。

 その爆発によって強引に両者の位置が離れ、再び展開される霊夢からの弾幕を神子が小刻みに動き回避していく。

 

「君には欲がない。否、()()()()のだ。君にとって、私を打ち倒す為の情熱は、呼吸への欲求と同じ程度にしか感じられない」

()()()()()()()()()()()()()

 

 霊夢は理解していない。それが、「普通の人間」にとってどれだけ異常な事であるのかを。

 欲望とは、即ち物事への集中に他ならない。

 針の穴に糸を通す時、重い物を持ち上げる時、人は誰しもそれ以外への知覚を狭め、目的の為にあえて自身の視野を狭める事でより大きな力を発揮する。

 しかし、霊夢にはそれがない。

 一挙手一投足。全てに妥協をせず、ともすれば眠りの最中でさえ己にとって最適な挙動を取り続けている。

 太子の言う通り、呼吸をするようにまったくの負担なく、ただ当然の行為として。

 弾幕ごっこにて霊夢の攻撃に容赦がないのは、単純にそれが最適であり、そして、それ以外の戦法を知らないからだ。

 

「……まったく。つくづく妖怪の賢者が恐ろしいよ。私の愛する人間をここまで歪に完成させてのけたその手腕と執念には、感服するばかりだ」

 

 昔は、そうあるべしと定められた修行の一環だったのかもしれない。

 しかし、それが習慣となるほど継続すれば修行としての認識は薄れ、それが日常として定着する。

 或いは、その記憶を遥か昔に封印されている可能性すらあるだろう。

 

「君の友人には同情するよ。「無知は罪なり」。罪に対する罰を受ける者が居ないのだから、益々救いがない」

「相談に乗る気があるんなら、せめて解るように喋りなさい」

 

 博麗神社という孤立した場所に置き、周囲を妖怪やその他の人外で固めているのも、賢者の思惑の一環だろう。

 己を「人間」だと認識させたまま、周囲の怪物たちの「普通」を理解させ、更にはそれらを打倒する為の「最適」を無意識下に根付かせる為に。

 

「君は「博麗の巫女」で、君の友人は「人間」だ。そしてそれが、君の友人を傷付けている最大の理由になる」

「私は「人間」で、あの娘は「人間の魔法使い」よ」

「くくっ。君は、そんな言葉遊びで誤魔化されるほど乙女ではないよ」

「……」

 

 博麗霊夢は人間として生まれ、「博麗の巫女」となった。

 その友人は人間として生まれ、今なお「人間」として足掻き続けている。

 同じ見た目をいていても、同じ時間を過ごしても――種族として同一であろうと、それは決して同じ生物とはなり得ない。

 過去、他者との隔絶に打ちのめされ絶望した、とある聖徳導師のように。

 

「理解出来たかな? そして、どうか自覚はしないで欲しい。引っ越し早々大家から睨まれるのは、これから店子となる身としては出来れば避けたいのでね」

「問題児って自覚があるんだから、大人しく睨まれときなさい!」

 

 夢符 『退魔符乱舞』――

 

 霊夢のスペルが発動し、今までの弾幕を超える怒涛の霊符が展開され、神子へ向けて容赦なく降り注がれる。

 最早、一本の滝とさえ言える密度の奔流に、宝剣を鞘へと納めた尸解仙が不敵に笑う。

 

「博麗の巫女、破れたり」

 

 『詔を承けては必ず慎め』――

 

「っ!?」

 

 完全なる脱力からの、渾身の抜刀。

 霊符の波が割れ、その最奥に位置していた霊夢の肩へと無明の斬撃が届く。

 流れる血は少ない。直前で結界を展開し、被害を最小限に抑えていた。

 

「うん、うん。本当に、妖怪の賢者は素晴らしいね。動揺すらしないただの道具に、人間の代表は任せられない」

「くっ」

 

 神子の語りに心を動かされ、集中力を乱された。今の展開は、ある意味当然の結果だった。

 冷やしても、「浮かせ」ても、決して心をなくしてはならない。

 天秤とは、揺らぐからこそ天秤なのだから。

 例えそれが、幻想郷を守護する者にとって不利になる要素であろうとも、その部分を失わせる事は即ち「人間性」の喪失に他ならないのだから。

 

「あんたなんかと、喋るんじゃなかったわ」

「そうだね。私に口を開かせた時点で、君の落ち度だよ」

 

 睨む霊夢を見上げながら、再び宝剣を鞘へと戻し自然体の姿勢を取る神子。

 見た、聞いた。ならば後は、勝つだけだ。

 豊聡耳神子は、今の会話をもって博麗霊夢の「欲」を完全に捉えたのだ。

 ここから先は、霊夢が如何なる攻撃を繰り出そうと神子が一手で切り裂く結果となるだろう。

 状況を打開するには、双方どちらかの大きな変化が必要になる。

 そして、変化とは常に外から持ち込まれるものだ。

 

「霊夢ー!」

 

 ぬえに助けられながら神子の拘束から脱した魔理沙たちが、空の彼方にいる霊夢へと大声を張り上げる。

 

「何やってんだよ、霊夢ー! そんな奴、さっさとやっつけちまえー!」

「フレー、フレー、霊夢さーん!」

「早く終わらせなさい、霊夢! でないと、倒れた妖夢を永遠亭に運べないでしょ!」

 

 無責任な信頼を預ける魔理沙、全力で応援する早苗、心配すらしていない鈴仙。

 三人が、共に霊夢の勝利を疑いもせず信じ切っていた。

 霊夢が小さく笑い、神子が困り顔で頭を掻く。

 

「――ふっ」

「あぁ、しまった。これは、私の落ち度だな」

 

 博麗の巫女は、勝利する。

 例え何度敗北しようと、何度打ち落とされようと、必ず立ち上がる。

 立ち上がって、勝利する。

 

「あんたが何を言おうと、私は何度だって言うわ。私は「人間」で、あの娘は「人間の魔法使い」よ」

 

 それは、確信をもった肯定だった。

 

「例え、あんたの言う通り私とあの娘の何もかもが違ってたとしても、その事実があの娘をどれだけ傷付けるのだとしても、そんな事はどうでも良いのよ」

 

 自分が他者とどれだけ隔絶していようと、決して捨てる事はしないと、見捨てる事はあり得ないと、確かな決意をもって語る言葉だった。

 一人より二人で。二人より皆で。

 その背に、幻想郷と、そして大切な仲間たちが居る限り。

 博麗の巫女の勝利は、絶対に揺るがない。

 

「だって――あの娘は、私の友だちなんだから」

「眩しいね。本当に」

 

 ついぞ、世界を憂う救世主が「人間」として持ち得る事はなかった、自分以外から得られる「強さ」。

 それが、今の霊夢には満ち溢れていた。

 

 一つ、美しさと思念に勝る物は無し。

 

 スペルカードは、心の強さとその輝きを示す想念の結晶。

 今の巫女に勝てる者など、幻想郷中を探したとしても見つかる事はないだろう。

 

 『夢想天生』――

 

 幻想郷の守護者が秘奥、ラストスペルが切られる。

 博麗の巫女は、幻想郷にて最強。

 その意味を、その理不尽を、侵略者は「退治」される事で理解する。

 

「潰れなさい」

「あぁ。やはり――「人間」は素晴らしい」

 

 抵抗は無意味だ。しかし、それでも「諦められない」神子は抵抗するしかない。

 現世に復活した聖徳導師にとって、最も長い蹂躙が開始された。

 

 

 

 

 

 

 博麗の巫女による怒涛と攻勢に、神子は回避を続けながらも徐々に追い込まれていっている。

 このままでは、敗北するのも時間の問題だろう。

 勝負の決着は、近い。

 そんな中、魔理沙たちとは別の場所にて、聖に助けられた屠自古と藍の拘束から開放され仙界へと送り返された布都が無数の光が乱れ飛ぶ青空を見上げていた。

 

「まったく。太子様の傍に控えておきながら、なんたる無様か」

「今の今まで音信不通だった、てめぇにだけは言われたくねぇよ」

 

 布都は魔理沙に敗北し、屠自古は霊夢に敗北した。

 そして今、神子もまた幻想郷を守ろうとする者へと挑み、敗北しようとしている。

 力を持って統治を叫んだ以上、同じく力によって踏み潰されるのは道理と言える。

 

「幻想郷は、間違っておる。一刻一秒でも早く、この誤った統治を正さねばならんはずだ――なのに何故、太子様はああして笑っておられるのだ」

「……さぁな」

 

 嘘だ。二人共、その理由は当に理解出来ている。

 

「なぁ、屠自古よ」

「なんだよ」

「太子様があのように笑うお姿を最後に見たのは、何時だったか覚えておるか」

「……さぁな」

 

 宝剣によって裂いた弾幕の数が百を超えても、巫女の攻勢が揺らぐ事はない。

 そんな絶望的な展開の最中にありながら、神子の表情は晴れやかだった。

 これから敗北するというのに、己の野望の実現が遠のくというのに――今この瞬間が楽しくて仕方がないとでも言うように、(わらし)のように笑いながら剣を振り続けている。

 

「我らは、一体何処で間違えてしまったのか……」

「……」

 

 顔をおおう布都の嘆きに、遂に屠自古は返答すら出来なくなる。

 布都や屠自古は神子の幸福を願い、神子は自分以外の他者の幸福を求めた。

 完璧な統治。完璧な采配。完璧な運営。

 それは素晴らしい未来であり、誰もが望むべき真なる平和に他ならない。

 理想は良い。

 手段の善悪も問うまい。

 だが、己を幸福に出来ぬ者が、他者を幸福に出来るものか。

 心から笑う事すら忘れた王の下で、民たちが心から笑う事など出来るものか。

 今正に、輝かしいばかりに笑う神子の姿が、その無情を従者たちに突き付ける。

 

「ふんっ。とりあえず、一から全部出直しだ。私らも、太子様もな」

 

 童心に帰った神子の姿を見上げながら、腕を組んだ屠自古が大きく鼻を鳴らしてそんな事を言う。

 

「あぁ、そうだな」

 

 うつむいていた布都も、その台詞に思うところがあったのか視線を上げて頷いた。

 弾幕の処理が間に合わず、最後の悪あがきとして展開した結界すらも微塵に砕かれ、聖徳導師が落とされる。

 異変が終わり、蘇った救世主の挑戦が終わる。

 その敗北の味は、彼女にとってさぞや甘美だったのだろう。

 無数の弾幕によってボロボロになって落とされながら、神子の笑みは続いていた。


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