それは、偽物の渇望だった。
全ては贋作。人形に、命はない。
だが、それでも――
彼女は紛れもなく、プロテアの花だった。
「私はただ、愛して欲しくて、花開いたのです」
「どぉらぁぁぁっ!」
恋符 『マスタースパーク』――
気合の掛け声と共に、手に持つ八卦炉から照射される恋の熱波。
魔理沙のスペルカードを、キングプロテアは手の平をかざすだけの動作で受け止める。
「ふっふっふー。なんだか、怪獣映画みたいですね」
「くそったれ! でか過ぎだろうが!」
数多の妖怪変化をぶち抜いて来た切り札が、まるでそよ風の扱いだ。
悪態の一つも、吐かずにはいられない。
突如として命蓮寺の墓地に空いた大穴から、神霊廟のある地下へと降り立った魔理沙と霊夢を待っていたのは、混迷を極めた戦場だった。
霊夢、魔理沙、文は元より、鈴仙や妖夢もすでに参戦していながら、暴虐なる渇愛のエゴは揺るがない。
出現したのは、全員の遥か遠く。
星の雲海と化した
「せーのっ!」
背筋を使って引き絞り、投擲。
即席の隕石が魔理沙へと直進し、その間へと割り込んだ霊夢が極大の結界を構築する。
「ふんっ」
正面から受け止めるのではなく、角度を付けた傾斜で受ける事で威力を逸らし斜め下へと墜落させる。
遠くに居たはずのキングプロテアは、岩によって視界が塞がれた直後、まったく別の場所に居た半人半霊の眼前へと出現していた。
「La――――ッ!」
刀では防げない、音と振動の大瀑布。
真上から撃ち出された巨人の咆哮に対応するのは、月の銃兵と烏天狗だ。
「はあぁぁぁ!」
「よっこいーしょっと!」
狂気の魔眼が音の波を強制的に拡散させ、それでも迫る強風を天狗の団扇によって弾き返す。
「おい霊夢! 何時ものインチキ技はどうした!?」
「それで勝てるんなら、とっくにやってるわよ。あれだけでかいと、弾幕を撃ち続けるこっちの体力が先に尽きるわ」
衝突する二つの力の余波によって巻き起こる烈風の中、頭の帽子を押さえつつ怒鳴る魔理沙へ腕組みをする霊夢がそっけなく返答する。
「夢想天生」。霊夢が最強である由縁となる、博麗の巫女が秘奥。
しかし、その技を扱うのが人間である以上、当然ながら人外よりも肉体面での不利は大きいものとなる。
キングプロテアは見上げるほどの巨体であり、その体力も見た目通りだ。
しかも、彼女は「ヒュージスケール」と「幼児退行」のサイクルによって巨大化と再生を繰り返している。
今、霊夢がラストスペルを切ったとしても、それが決定打となる可能性は極めて低い。
「あれだけ巨大な物体です。人形である以上、動かす動力にもいずれ限界が来るのでは?」
「問題は、その限界が何時なのかまったく解らない事ね」
「それと、恐らくは限界が来るより先に、あの人形が続けている空間への侵食が終わってしまいそうなんですよねぇ」
持久戦を提案する妖夢だったが、鈴仙と文は反対らしく眉をしかめている。
現在、
リソースを食らい続けるキングプロテアの防御力は更に増し、最早並みの弾幕程度では表皮の苔すら削れなくなってしまっている。
この空間全てへの侵食が終われば、何かが起こる。そしてそれは、決して喜ばしい出来事ではない。
不穏な影を見せ付けながら、アリスの作り上げた災厄を模した巨獣はただ悠々と佇み矮小な存在たちを見下ろしている。
「皆さん! お待たせしましたー!」
時間が経過するのは、何も悪い事ばかりではない。
追加の増援として、守矢の
「頭数だけが無駄に増えていくな」
「船頭多くして山でも登る?」
ぬえや見知らぬ狸妖怪も連れて来ているようだが、それらがアルターエゴという大敵への攻略に役立つのか。
一強他弱とも言える状況で、人数だけが増えても意味がない。
長らく膠着状態が続いている事もあり、魔理沙と霊夢の口から諦め気味の声が漏れる。
「お話は全て、怪しい青仙人さんから聞かせていただきました! 貴女たちは、本当にダメダメですね!」
今来たばかりの早苗が、オーバーな動作で霊夢たちを叱咤する。
「これだけ人数が居るんですから、協力して倒しますよ!」
早苗は現人神だが、今も半分以上の要素は人間だ。
人間とは、協力する生き物だ。
「大勢
「合体技は、全人類のロマンです!」
努力、友情、勝利。
彼女は、その意味を正しく理解していた。
◇
キングプロテアが
単純に、自分自身の体重を両足で支える事が出来ないのだ。
人型というのは、優れているようで欠陥だらけだ。
初期値でもぎりぎり。少しでも成長した後となれば、一歩進もうとしただけでバランスを崩し倒れ込んでしまうだろう。
人体の構造と、面積と体積に関する知識。
現代にて義務教育を受け、様々な媒体から情報を手に入れていた早苗にとって、キングプロテアの構造上の問題は一目瞭然だった。
あからさまな弱点が見えているのだから、そこを突かない手はない。
「鈴仙さん! お願いします!」
「本当に、大丈夫なんでしょうね」
最初の札は、鈴仙。
後の事は考えず、体力が尽きるまで能力を全力で行使し続けろと頼まれ、月の兎が半信半疑のまま早苗の策に乗る。
目と目が合う。その瞬間、キングプロテアという巨獣が紅の瞳の虜と化す。
「――ようこそ、
偽逆眼 『
発動するのは、この巨大な人形の産みの親である人形遣いが玉兎へと授けた、インスピレーションの一つ。
「なに、が……あうぅっ!?」
上下も逆、左右も逆。世界の全てが反対となった景色に戸惑い、咄嗟に地面に付こうとした手が空を切る。
盛大に転んだキングプロテアは、混乱しながらも
数秒固まった後、何も起こらぬ自身に対し初めてその顔が戸惑いの表情へと変化する。
「なん、で」
「残念。私は今、貴女の演算機能に
ならばと、元凶である鈴仙を直接潰すべく左腕を振り上げるキングプロテアだったが、再び身体のバランスを崩し地面へと転げてしまう。
「身体の体感も、逆よ」
右手のつもりで左手が動き、左のつもりで右へ向く。
視覚と体感を滅茶苦茶に狂わされ、無様に転げ回る巨獣を皮肉気に見つめる鈴仙。
「だったらぁ、La――――ッ!」
ならばと、続いてキングプロテアが取ったのは咆哮による範囲攻撃。
しかし、これも当たらない。
「ど、どうして……っ」
暴風が過ぎ去った後には、変わらず無傷の鈴仙が同じ視線の高さで宙に浮いていた。
訳が分からず、戦慄するキングプロテア。
種明かしをすれば、鈴仙の術は上下左右だけではなく「前後」も逆に認識させているのだ。
つまり、アルターエゴの攻撃は誰も居ないまったく見当違いの方角へと、繰り出されている事になる。
強大なる敵を手玉に取る鈴仙。しかし、余裕がある訳ではない。
スペルカードを発動させた瞬間から、月の兎がその場から一歩すら身動きを取っていないのが、その証拠だ。
瞬き一つ許されない両目はこの短時間で充血し、額には隠し切れない脂汗が滲んでいた。
キングプロテアの脳に該当する器官へ、外部から強引にアクセスしその演算を妨害し続けているのだ。
「面倒臭いなぁ」
「ここまで来たなら、一蓮托生じゃて。ほれほれ、もっと「種」をよこさんかい」
鈴仙への援護として、ぬえとマミゾウが加わる。
「正体を判らなくする程度の能力」。
「化けさせる程度の能力」。
正体不明の種を植え付けられた無数の木の葉たちが、一斉に鈴仙の姿へと変わる。
しかし、その容姿は同一ではない。
年を取った鈴仙、年若い鈴仙、太った鈴仙、痩せた鈴仙。
格好も、着物や洋服といった普通のものから、ナース服やバニースーツ、警官服や水着といった多種多様なものばかり。
彼女たちの背格好をわざわざ全て別にしたのは、化かす者としての矜持故か。
もしもここにアリスが居れば、内心で狂気乱舞しながらこの「ドキ☆鈴仙だらけのコスプレーパーティー」を激写していただろう。
鈴仙自身も能力で分身は生み出せるが、彼女は今巨獣への妨害だけで精一杯だ。
一人では届かない部分への補填を、他の者たちで補う。
「潰れて! えーいっ!」
ぬえとマミゾウの助力により、キングプロテアは感覚を狂わされた状態で大量の鈴仙たちに囲まれる事となった。
混乱するままに振り回す両腕が、舞い散る木の葉たちをひらひらとただ無為に揺らし続ける。
暴れ続けるアルターエゴを尻目に、今度は早苗たちが準備を開始する。
乾神招来 『御柱』――
「ふんぐぐぐぐぐぐっ」
地上にて、一心に祈りを捧げながらお祓い棒を高々と掲げる
普段とは違い水平に出現した御柱は、早苗が力を込めるだけその大きさを肥大化させていく。
「霊夢さん、魔理沙さん、文さん、準備は良いですか!?」
霊夢が居るのは御柱の突端。魔理沙と文が居るのは、御柱の後方だ。
早苗の策は、単純明快。鈴仙たちの稼いだ時間を使い、各々が限界まで力を溜め込んだ究極の一撃を作り上げ、かの巨獣を打ち砕く。
とはいえ、早苗が来るまでそんな単純なチームワークすらこなせなかったのだから、余り笑い話には出来ない。
個が強く、我が強い。強者である弊害は、人間であるはずの霊夢や魔理沙にすら及んでいる。
「ねぇ、早苗。なんで私、こんな恰好してないといけないの?」
「様式美です!」
霊夢は現在、御柱の上で腕を組んだ仁王立ちといういわゆる「ガイナ立ち」の姿勢だ。
策に乗ると決めた為、早苗の言葉に従ってはいるものの、それを良い事に夢見る少女の趣味に付き合わされる巫女の心境は複雑だ。
「こっちは何時でもいけるぜ」
「一発勝負です。気を逸らせてはいけませんよ」
八卦炉へと魔力を込め続ける魔理沙と同じく、文は扇へと疾風の妖気を練り上げていく。
今までとは違い、時間は霊夢たちの味方となった。
鈴仙とぬえたちがキングプロテアを翻弄するだけ、この一撃の威力は高まっていく。
そしてついに、その時が訪れた。
幼児退行――
「そんな、あぁ、そんなぁー」
結局、分身の鈴仙たちに
己の
侵食速度の増加と回復を兼ねた攻防一体の妙技も、今この時ばかりはただの悪手だ。
「ぐ、うぅっ」
対象の急激な変化に耐えられず、鈴仙の術が停止する。
「お覚悟」
「たわむれはおわりじゃ」
「え――?」
自身の感覚が正常へと戻った人形が最初に見たのは、自分へと向けて刃を閃かせる二人の剣士だった。
『
『詔を承けては必ず慎め』――
「むうぅ!」
キングプロテアが咄嗟に腕を交差させ、最大限の防御でその斬撃を迎え撃つ。
烏天狗の風神に勝る斬撃が、人形の硬化させた両腕に直撃する。
力を溜め続けていたのは、攻撃側の二人も同じだ。
即席の防御と、万全の一撃。後者に分があるのは明白だった。
「あ、あぁっ!」
妖夢の一刀が人形の右腕を、続いて神子の一刀が左腕を切断した。
本体から切り離された事でテクスチャが剥がされ、二つの水の塊となった物体が脱落していく。
そして、この一撃すら陽動に過ぎない。両腕を失い、呆然とする災厄の獣へと満を持して最後となる一撃が解き放たれた。
「いっけえぇぇぇぇぇぇ!」
「はあぁぁぁぁぁぁっ!」
魔砲 『ファイナルマスタースパーク』――
突符 『天狗のマクロバースト』――
魔力の奔流と、愚風の爆流。
二つの極大の推進力を背後から受け取り、神の柱が空を走る。
キングプロテアという規格外の体格に見合うだけの大きさをした木杭が、背後から苔の服を貫きその胴体を貫通した。
「ご、あ、ぁ……っ」
引き抜く為の両腕はすでになく、自身の腹から飛び出した六角の柱をただ見つめるしかないエゴの人形。
「ふぅっ。こんなところね」
柱の先端に、誰かが居る。
発射時は一人だったはずのその場に、二人目の人物が。
一人は、発射時と変わらず博麗霊夢。
もう一人は、キングプロテアに食われ、匿われていたはずのアリス・マーガトロイド。
聖輦船の異変にて、火焔猫りんが見せたたった一度の行動。
博麗の巫女の最高傑作たる霊夢は、それを見よう見真似だけで再現したのだ。
腹を裂いた程度で、この人形を倒せるとは誰も思っていない。
そして、ここまで規格外の人形が動くには、それに見合うだけの動力が必ず必要になる。
アリスが食われたと聞いた時点で、早苗はアリスこそがその動力であると看破していた。
それは、付き合いの長さから来る一種の以心伝心と言えるだろう。
あの人形遣いであれば、きっとそうする。そう確信させるだけの所業を、アリスは今まで早苗を含めた皆に見せ続けていたのだから。
動力の
「
地下空間の侵食が止まり、キングプロテアの崩壊が始まった。
足先から徐々に構築が崩れ、風呂の底栓を抜くように肉体である海水が元々あった外の世界へと引き戻されていく。
「
壊れた蓄音機のように繰り言を呟き、蕾の帽子を被った王者の花が萎んでいく。
その光景に、誰もが勝利を確信した。
脅威は去り、幻想郷は救われたのだと。
しかし、他でもない「渇愛」のエゴがそれを否定する。
「■■■■■■■■■ッ!」
気絶したままのアリスを含めた全員が一ヶ所に集い、キングプロテアの崩壊見守っていたその時、瀕死の巨獣が天へと咆哮を轟かせた。
ヒュージスケール――
崩壊しているという事は、組み込まれたプログラムすらも罅割れているという事。
それはつまり、彼女を縛る枷としてアリスの定めた制限や限界すら、無情に決壊した事を意味している。
「あぁ、あぁぁ、■■■■■■■■■ッ!」
吠える――天へと向けて。
「■■■■■■■■■ッ!」
吠える――世界へと向けて。
「■■■■■■■■■ッ!」
吠える――己の全てであり、最愛の存在である
「おい、おいおいおいおいおいっ!」
「途方もないな」
魔理沙と神子の感想が、その場の全てを物語っていた。
キングプロテアが広げていた
インド神話における神話の一つ、乳海撹拌の逸話をモチーフにした
世界を覆う真白の海。見据える先に果てのない乳海を模した世界にて、エゴの獣は神の獣へと己の身を極限まで成長させた。
足首が崩れ、膝が消失し、胴から下が失われる。
そして、その崩壊の速度に勝る勢いでプロテアの花が成長していく。
仙界を、
見上げたところで、その顔すら見つけられない。丘を超え、山を超え、神のサイズとなった人形が大きく息を吸い込んだ。
右腕はない。それがどうした。
左腕もない。それがどうした。
残された時間は、ほんの僅かだ。だが、その僅かな時間で十分事は足りていた。
たった一息。それだけで、全てが終わる。
「やばいって! 逃げよう、マミゾウ!」
「かかっ! 阿呆め、逃げ場なんぞありゃあせんじゃろうが!」
混乱する正体不明な旧友を笑い、狸の総大将が動き出そうとした全員を片手で制し一歩前へと進み出た。
恐れを知らぬ堂々たる態度。その顔には、会心の笑みが張り付いている。
「あっぱれ見事! この勝負、お主らの勝ちじゃ!」
頭に葉っぱを一枚乗せ、どろんっという古典的な音と煙でマミゾウの姿が変化する。
それは、最期の一撃を放とうとしている巨獣にとって、最高の禁じ手だった。
首筋辺りまで伸びる金髪に、青のカチューシャ。
まるで抱擁を促すように両手を広げ、
「お、がぁ、ざ、゛ま――?」
気絶した姿しか見ていないマミゾウは、アリスの欠陥を知らない。
生まれた直後に腹へと隠したキングプロテアは、アリスの欠陥を知らない。
そして、どれだけサイズが規格外になろうと、キングプロテアにとって
一秒――二秒――
最大の禁忌に気が付いてしまった人形は、残された時間を「迷い」によって使い切ってしまった。
「あ、あぁ、ああぁ……っ」
何もかもが、崩れていく。
肉体が、世界が、キングプロテアという人形を核として生まれていたものの全てが終焉を迎え、乳海が仙界ですらないただの無骨な岩肌へと戻される。
萎み征く世界の中で、それでも少女は笑っていた。
「怪獣は、倒されるものだから……えへへへ……」
もう、見据える先を間違えはしない。
瞳を閉じ、眠り続ける本当の母へと視線を向け、花が咲き誇るような満面の笑みで死に逝く幼子が問い掛ける。
「
愛に飢え、愛を望み、そうあれとお仕着せられた人形の、それが最期の言葉だった。
幼女の姿にまで縮んだキングプロテアが、その全身を海水へと置き換え消失する。
残されたのは、一抱えほどの大きさをした黄緑色の立方体。
それが、数多くの強者たちを震撼させた、幻想郷史上最大級の大きさを誇った難敵の居た証となった。
◇
「ふぃー。一時はどうなるかと思ったぜ」
「皆さん、ご協力いただき本当にありがとうございました」
帽子のつばを触りながら、全てが終わった荒涼とした天地を眺める魔理沙の隣で、早苗が戦友たちへと律儀にお辞儀をする。
「とりあえず、アリスさんを起こしましょう。怒るにしろ叱るにしろ、経緯を聞きませんと」
散々振り回された文は、やや疲れ気味の口調で眠り続けるアリスの頬を叩く。
しかし、起きない。
というより――
「ねぇ。アリス、呼吸も脈もないんだけど」
「え?」
起きる気配のない少女の脈を取りながら鈴仙が事実を告げ、理解が追い付かない妖夢が気の抜けた声を上げる。
当然である。アリスは今、地獄の女神に脳天を貫かれ魂だけで生きるか死ぬかの試練を受けている真っ最中だ。
霊夢が
しかし、その辺りの事情を知らない者たちからすれば、この光景はまったく別のものに映ってしまう。
「そういえば、貴女はさっき言っていましたね。アリスさんにちょっかいを掛けたから、あの人形が出て来た、と」
文の言葉に全員が視線を向ければ、アリスを囲む一団から一歩引いた立ち位置へと移動していた神子が肩をすくめて苦笑を返す。
「いやはや、ここまで見事な誤解も珍しい。しかし、言葉を尽くす意味もないか」
言いながら、この変事の本来の首謀者が手の平で掲げて見せるのは、淡く発光する小さな球体だった。
弾幕ではない。弱々しくも生命を感じさせる光球は、呼吸するかのように僅かな明滅を繰り返している。
「アリスから頂戴した「欲」だ。私の復活劇を彩るに相応しい、一番最初の事業に必要な要素でもある」
アリスを仮死状態に陥らせている原因は、完全に別だ。
「知ったこっちゃないわ。ぶっ飛ばされてから返すか、返してからぶっ飛ばされるか、さっさと選びなさい」
だがそれは、彼女の「欲」取り戻さない理由にはならない。
「素晴らしい「人間」ですね。私が見て来た中で、最高峰の「人間」だ」
異変を解決する者である博麗の巫女からの宣戦布告に、聖徳導師は背中のマントを盛大に広げ空へと飛びあがる。
「人間が私の存在を否定し、伝説となる時を待っていた!」
歓喜を持って、高々に聖人が叫ぶ。
神子の霊力が地下の全域へと迸り、剥き出しとなった岩肌が、空を隠す天井が、再び仙界へと返り咲く。
待って、待って、待ち続けた。
人間では辿り着けない場所へ行く為に。
人間では叶えられない夢を、現実へと届かせる為に。
全ては、あまねく人間たちを導く為に。
「屠自古! 青娥!」
「こちらに」
「はーい」
回復した亡霊と、案内役に徹していた邪仙が主の前へと出現する。
ようやくだ。ここからようやく、霊廟から復活した神仙たちによる侵略が開始される。
「さあ、私を倒して見せよ。そして私は、生ける伝説となる!」
滾る霊力を乗せ、宝剣を引き抜いた人類の救世主が朗々と吠えた。
長い長い回り道が終わる。
少女の人形劇が終わり、次なる劇の幕が開く。
幻想郷と神霊廟による最後の戦いが、花々の咲き乱れる地下の楽園にて開始された。
◇
「振り返らずに進みなさい」。
そのルールさえ守れば何をしても良いのであれば、全力疾走だって許される。
アリスー! マガトロー!
ファイ、オー! ファイ、オー! ファイ、オー!
真っ白な空間をただひたすら歩くのに飽きた私は、両手両足を振り上げ走り続けていた。
どうも、今の私は魂だけの存在らしく、どれだけ走ってもまったく疲れない。
普通であれば、呼吸が乱れ体力が尽きてしまう肉体という枷から解き放たれた私を、止める者は居ない。
何時間でも延々と走り続けられるという、現実では絶対に出来ない奇行。
うおぉぉぉぉぉぉっ!
うおぉぉぉぉぉぉっ!
うおぉぉぉ……だめだぁ、これも飽きてきたっぽい。
しかし、悲しいかな。
それなりに楽しいはずのお遊びも、感情が一定値で止まる体質の私にとってはただの作業になり果ててしまう。
出口もなければ妨害もない。ないない尽くしの真っ白空間。
ここまで何もないのであれば、この試練の本質も薄々察する事が出来る。
この試練に、まっとうな突破手段はない。
恐らくだが、このまま進み続けても永遠に解決は不可能だろう。
ヘカーティアと喋った感じから考えて、多分「
だが、出来ない。
する気が起きない。
うーみゅ、運動っぽい事すればちょっとくらい何かの刺激になるかと思ったんだけど、変わんないかぁ。残念。
女神は言った。私が試練に敗北した場合、「歪められた全てが、元に戻る」と。
私の願いは、ずっと昔から変わっていない。即ち、本物の「アリス」へこの肉体と立場を返す事。
つまり、試練の失敗により私の目標は達成出来てしまう。
神子によって「欲」を抜かれた影響からか、今の私は何時もよりあらゆるものが欠けていた。
生への執着も、死への願望も、上海と蓬莱への罪悪感も、幻想郷への未練も。
この空間と同じように、何も生まれてはくれない。
だから、私は何も出来ない。
出来るのに、しない。
生に縋る事も。死を受け入れる事も。
世界は正すべきだ。
だが、世界を正す為に私が死ぬ事は、正しい事なのか。
生きたいのか。
死にたいのか。
自分は一体、どうしたいのか。
その答えを導き出し、自らの意思を示す事こそが、この試練の本質だ。
故に、未だ答えに至れない私はただ歩みを進め続ける。
ゆっくりと摩耗していく精神に気付かない振りをしながら、永遠の歩みを繰り返し続ける。
この思考の先に、答えがある事を願いながら。
太子「なんかめっちゃ誤解されてるけど、まぁ良っか!(開き直り)」
自機勢「アリスへの愛が、世界を救うと信じて!(集中線)」
アリス「ファイ、オー! ファイ、オー! ファイ、オー!(全力疾走)」
アリスさぁ……