へへ、惚れるなよ?
朝霧が立ち込める、夜明け。
門番としての任を勤める紅美鈴は、紅魔館の前で閉じられた門の隣にある壁に寄り掛かり、腕を組んで瞳を閉じていた。
何時間も、何時間も、彼女はずっと同じ姿勢で止まっている。
するとそこに、一匹の妖怪が現れた。
人の体躯に、狼や熊、猿などの山の獣を滅茶苦茶に混ぜた、醜い
現れた妖怪は、動かない美鈴へと獲物に迫るように足音と気配を殺して、ゆっくりと近づいて行く。
一歩、一歩――門番妖怪との距離が縮まり、周囲の空気に僅かな緊張感が生まれ始める。
現れた妖怪の爪が伸びる。長く、刃の如く鋭いそれを手刀の形で構えた妖怪は、更に一歩と近づいて動きを止めた。
静寂――次の瞬間、妖怪は地を蹴り上げ、美鈴の首元に向け一気にその凶器を振り抜く。
次に気付いた時、その妖怪はなぜか空を見上げていた。
続いて、妖怪の頭の側面と脇腹に激痛が走る。
「ぎ、ぎイぃアぁぁっ!?」
訳も解らずのた打ち回る妖怪の前で、美鈴は腕を組んだ姿勢のままで目を開けていた。
「消えなさい――もしまた挑むなら、もう少し腕を上げてから。でなければ、次は殺す」
「ぎ、ギィっ」
不動の門番から、突然叩き付けられる威圧感に恐怖し、獣の妖怪は脇目も振らずに遠くの茂みへと消えて行く。
「……ふむ。アレだと次はないかな」
「――ご苦労様」
視線だけで後を追い、完全に居なくなったのを確認した美鈴の隣に咲夜が出現した。
音もなく、気配もなく、ただ唐突に。
武人として、周囲への察知能力の高い美鈴ですら知覚出来ない能力を使った咲夜の接近に、しかし、美鈴はまるで驚いた様子もなくそちらに視線を移す。
「お疲れ様です。最近は何かと出入りが多くなったからか、雰囲気に誘われてああいった手合いも増えましたね」
「怪我はない?」
「えぇ。あの程度であれば、運動にもなりませんし」
「油断しないの」
「はいはい」
美鈴は強い。幻想郷の最上位に位置する連中が規格外過ぎるだけで、肉弾戦での実力はそこらの木っ端妖怪などから万単位で襲い掛かられたとしても、今のように軽くあしらえるほどだ。
それでも、実戦は実戦。例え百億分の一の確率すらなくとも、咲夜の心配はなくならない。
「どうしたの? 美鈴」
「何がです?」
「――言って」
要点を省いた、二人だけで伝わる会話。
美鈴は、咲夜からの命令に近い発言に僅かに瞳を揺らした後彼女の肩に手を置いて自分へと引き寄せると、背後から優しく抱き締めた。
「ちょっと」
「昔の――昔の夢を、見ていました」
僅かに身じろぎした咲夜へと、長身の美鈴がその頭上からポツリと言葉を落とす。
「幻想郷に来た、あの時の夢です」
「……嫌な夢ね」
「はい、とっても嫌でした」
「吸血鬼異変」。外の世界からこの紅魔館という屋敷を丸ごと転移させて引き起こした一大事件の際、美鈴と咲夜は幻想郷の妖怪に敗北した。
元々、別の目的を達成する為に起こした騒動なので勝敗には余り拘ってはいなかったが、それでも本来命を懸けた闘争において敗北とは死に直結している。
あの時、どちらも相手の妖怪から殺されずに見逃されたのは、単なる幸運でしかない。
「あの時の咲夜さんを見た時ほど、私は自分の不甲斐無さを悔いた事はありません」
美鈴の、腕へと込める力が強まる。
その存在を確かめるように強く。しかし、壊れ物を扱うようなある種の恐怖を伴った、繊細な力加減。
「お嬢様とフラン様が先でしょう? それに、パチュリー様と小悪魔が抜けているわよ」
「ですが、貴女は人間だ」
「美鈴」
美鈴にとって、当主であるレミリア・スカーレットを差し置いてでも優先事項とされた事に咲夜は不快感を出して眉根を寄せ、彼女の顔を睨み上げた。
「仲間外れにしないで。私も、紅魔館の一員よ」
「解っています。頭では、解っているんです」
泣きそうな顔になりながら、美鈴が咲夜の額へと軽くキスをする。その意味は、祝福と友情。
「ご自愛下さい、咲夜さん。人間は、とかく脆い」
妖怪と人間。その差は歴然としており、人間である咲夜は例えどんな超常の力を持っていたとしても、妖怪である美鈴に届く事はない。
「バカね……私は、生きている限りお嬢様のメイド。約束を違えるつもりはないわ」
主への忠誠は絶対。咲夜の心に書かれた掟には、主の許可なく死ぬ事も許されてはいない。
眉間の皺を緩め、子供をあやすように美鈴の右頬に手を添える咲夜。
心をすれ違わせた、二人だけの時間。
「――とても良い雰囲気の所で、申し訳ないのだけれど」
「「っ!?」」
視線と視線を絡み合わせていた両者の前から、突然第三者の声が掛かった。
どこまでも平坦で、感情の乗らない少女の声。
目を向ければ、そこには左右に二体の人形を浮かべた人形遣いの魔法使いが、片手に菓子折りを掲げながら不自然なほど自然に直立していた。
「何時もの通り、大図書館にお邪魔しに来たの。入っても良いかしら?」
そんな、とある早朝の出来事。
◇
「それでそれで!?」
「私は、それからすぐに大図書館へ行ったし、それでおしまいよ」
「なぁんだ。でも、門番とメイド長かぁ。忠誠と友情と愛情で揺れ動く葛藤……はぁ、素敵ね」
「えぇ。正直、声を掛けた事を少し後悔したわ」
うちわで口元を隠しながら、瞳を輝かせて話に食い付いて来る割烹着姿の女将さん。人里の外で屋台を営む妖怪シングルソングライター、夜雀食堂店主のミスティア・ローレライに、私は今朝の話を聞かせ終えた。
恋バナは、女子の活力だよね!
異論は認める。
まぁ、厳密には恋バナでもないけど。
最初に断りを入れておくが、私もミスティアも咲夜たちが本当にそんな関係だとは思っていないし、可能性の邪推もしてはいない。
基本人外の少女ばかりである私の知り合いたちは、私を含めて全員が恋愛ぼっち村の住人だ。村長は紫。
一部メンバーを除いて長寿であり、また妖怪組みの少女たちは単一固体ばかりなので、単体として生きる為の強烈な自己を持つ故に番いを必要としない。
女子力の高いミスティアやレティなどは、恋バナがしたくてたまらない。しかし、当の本人たちも自分の恋愛に関しては興味がないのだ。
この、需要に供給がまったく追いつかない状況で彼女たちが考え付いたのが、今のような知人を使った妄想入りの恋バナもどき。
妄言ばかりの地産地消だが、雰囲気だけは十二分に味わえる。ネタ元の少女たちには悪いが、どんな事柄にも大なり小なりの犠牲はやむをえまい。
もし、知り合いたちの誰かが本当の恋愛などをした日には、ミスティアもレティも周囲がドン引きするぐらい祝福した後で、出来損ないだけで我慢していた恋バナ欲を満たそうとする事だろう。
不毛? 上等だ。
私たちはただ、他人の恋バナがしたいだけなんだよ!
ないなら作れ。昔の人は、良い事を言った。
勿論、本人たちの前では言わないし、基本はその場限りの絵空事という暗黙の了解が私たちの中にはあるので、先で尾を引く事もないという完全な与太話だ。
女同士での話題を楽しんでいる所からも解るだろうが、妖怪は時折人間とは異なる感性を持つ為百合にも薔薇にも寛容だ。当然、推奨はしないし私もミスティアもそちらの道に進む気は毛頭ない。
そんな私は、美鈴と咲夜のキマシタワーを邪魔してしまった後、パチュリーと大図書館で読書会をして昼過ぎに帰宅。
人形作りや魔法の研究などで時間を潰して、今日は久々に外食をしようと思い立ったのが黄昏時。それから外出の準備をして、夜の空をふらふらと飛び回った時間は半刻ほどだろうか。
あぜ道で台車を引く彼女の客寄せの歌声を聞きつけ、私はこの赤提灯の輝く屋台へとお邪魔していた。
骨組みの柱の一つには、「二升半祈願(ますますはんじょうきがん)」と書かれた一枚の札が貼られており、その古めかしい言葉遊びと相まってノスタルジックな雰囲気を味わえる場所だ。
「歌で人を惑わす程度の能力」。彼女の歌は夜盲症(鳥目)を引き起こし、その治療として効果のあるヤツメウナギを自らの屋台で提供するという、彼女なりの気の長い無限ループ。
彼女が、この屋台を営む本当の理由はちょっと違うそうで、割と長い話となるのでまた別の機会に語る事にしよう。
蒲焼などは旬の食材をその場で調理するので、晩秋から初冬にはウナギ、冬から初春の時期にはヤツメウナギと、その実扱っている時期は短い。
秋も近づいたこの季節、みすちーの屋台で扱われる商品はおでんと、その出汁を使ったうどんと蕎麦。おかみすちーの本領であるヤツメウナギがないのは残念だが、こちらも十分本命だ。
大根、こんにゃく、しらたき、ちくわ、野菜巾着、餅巾着、厚揚げ、牛すじ――どうだい、聞いてるだけで胸がぐつぐつ踊るだろう?
出汁は定番の関東風。夜雀という種族柄か、ゆで卵や
「ちくわと餅巾着と牛すじ。後、大根をもう一回」
「はーい」
とりあえず、定番の大根とこんにゃくを頼んで腹に入れた私は、話終わりに追加の注文を出す。
「でも、そこで声を掛けるなんてアリスさんは無粋ねぇ。ずっと見てれば良かったのに」
本当にね。
「あのまま放っておいたら、咲夜も美鈴も何時間でも続けそうな勢いだったから、仕方なくよ」
「――私としては、アリスがあの時現れてくれてとても助かったわ」
そんな言い訳をしていた私の背後から声が掛かり、長椅子の右隣へと誰かが腰掛けて来た。
「あら、噂をすればいらっしゃい。珍しいわね」
メイド長から、カチューシャまで外し私服姿の美少女へとシフトチェンジした咲夜に、ミスティアが声を掛ける。
白地のTシャツの上から着た、スーツに近い紺の長袖ブラウスとタイトな黒の皮ズボン。
以前、美鈴から依頼されて私が作った、彼女の休日用の服装だ。コンセプトは、「出来る女」。
紅魔館のメイド長に休日などある訳もなく、着る機会もないだろうと半ば諦め気味に作製したのだが、どういう訳か日の目を見れたらしい。
「夜に貴女が吸血鬼の屋敷から動くなんて、何か異変でも始まったの?」
「あの後、美鈴から休め休めって仕事を取り上げられたの。屋敷に居ても居心地が悪かったから、許可を貰って外出をしている途中で貴女たちの会話が聞こえて来たって感じかしらね」
勿論、
「ご注文は何にします?」
「そうね。とりあえず、大根とちくわを貰えるかしら」
「お酒の方は?」
「冷やで」
「はーい」
幻想郷では、基本酒と言えば日本酒しかない。紅魔館から幾つかワインが人里へと卸され、製造技術の提供もなされたが、未だその認識は根強く払拭するには至っていない。
製造方法さえ人里の酒屋たちに伝えればビールや他の酒類も浸透しそうだが、生憎私の専門分野ではないのでそのままだ。
「ちくわと餅巾着と牛すじ、それと大根ね。おまちどうさま」
うぉー! キター!
屋台などの外食で注文した料理が出て来るこの瞬間は、なんて言うかもう「ふふふっ、よくぞ私の前に現れたな」的な、意味不明の高揚感すら抱いてしまうから不思議だ。
やや底の深い陶器の器に、出汁と一緒に盛られた四つのおでん種。少し肌寒くなった夜風に踊る湯気の香りが、脳髄を刺激して食欲を駆り立てる。
「ご飯と水も頂けるかしら」
「はーい」
幻想郷の住人はうわばみが多いが、私にはいまいち酒の味というものが解らない。飲めない訳ではないが、宴会でもない限り酒はたしなまない私のお供は、純白の白米だ。
流石に、こちらは焚き立て直後とはいかないものの、これ以上の贅沢を望めばばちが当たってしまう。
「はい、どうぞ。咲夜さんの注文はこっちね。おまちどうさま」
「ありがとう」
「ありがとう。いただきます」
うんうん、一粒一粒がピンと立ってて実にパーフェクトだよみすちー。結婚しよ。
屋台の奥にある、お米の入ったおひつの上には備長炭が乗せられており、料理人としての確かなこだわりが見て取れる。
「あら、美味しいわね。何時も自分で作ってばかりだから、誰かのご飯は新鮮な味がするわ。今度、お嬢様たちにも勧めてみようかしら」
「うふふ、リピーターもご新規さんも大歓迎よ」
大根を口にして、料理を褒めちぎる咲夜に、ミスティアも商売繁盛で嬉しいご様子だ。
私も、輪切りにされた大根を備え付けの割り箸で縦に割り、更に一口サイズへと分割して口の中へと放り込む。
うめー、出汁の染み渡ったおでんの大根って、何でこんなに美味しいの? おでんの王様っていうか、むしろワールドチャンピョンなんじゃないかな? はふほふっ。
この牛すじの、煮崩れしないギリギリの柔らかさ。やべぇよ、ご飯がご飯がオーバークロック進む君。
「よう、ご両人。珍しい場所と組み合わせだね」
「すまない、隣を失礼する」
咲夜と一緒に夜食を堪能している最中に新しく現れた内の一人には、これを言わねば始まるまい。
もこたんインしたお!
――良し。
不死の蓬莱人型決戦兵器、トリトリの実モデル幻獣種を食べた、煙草を吸ったら似合う選手権常連の、藤原妹紅。その相方は、ご存知上白沢慧音先生だ。
これが、短めのスカートなどを履いた日には真っ赤になってしおらしくなるのだから、正直たまらんですよ。
しかしこの状況は、もこけーねか、もこみすか、カップリング問題が深刻だな。
……って、いかんいかん。最初にみすちーと恋バナもどきをしたせいで、思考が完全に恋愛脳だ。
ちくわと餅巾着を食べて忘れよう。うまうま。
「お二人様いらっしゃい。妹紅さんは何時もの?」
「うん。それと、慧音にも適当になんかお願い」
「はーい」
「妹紅。注文ぐらい自分で出来るぞ」
「今日は、日銭が入った私の奢りなんだ。言いっこなしだよ」
常連客らしい妹紅とミスティアは、ツーカーの間のようだ。
少々堅物の難があるはずの慧音も、子供っぽく笑う妹紅からの奢りを当たり前のように受け取っている。
うんうん、仲良き事は美しき事だよ。
私も見習って、今度誰かの家に遊びに行こうかな。
フラン、霊夢、魔理沙、早苗―――予定を考えているだけなのに、不思議と心が優しい気持ちになれる。
「はい。妹紅さんには何時もので、慧音先生には大根としらたきと野菜巾着、それと冷やが二つね」
「ありがと」
「あぁ、ありがとう。いただきます」
何か良いね、こういう屋台で和気藹々と飲み会してるみたいな感じ。
平和だ。平和最高。
「ご飯、お替わり」
「はーい」
提灯と、店内の幾つかの明りが煌く夜の食堂で、私は素晴らしい夕食を堪能していた。
◇
などと思っていた時期が、私にもありましたとさ。
「うぅー。もこぉ、もこおぉ」
「はいはい、なんだい慧音」
冷やの徳利を五本ほど開けた辺りから、慧音は妹紅へと徐々に絡み上戸と愚痴上戸を発揮し始めていた。今ではもう十本以上が空となっているので、彼女の酔いはかなり深い。
妹紅の方は慣れたもので、もたれ掛かる慧音をあやしながら余裕でおでんをパクついている。
「私はぁ、私の教育はぁ、間違っているのだろうかなぁ」
両手でしっかりと妹紅の上着を掴み、泣きながら教育者としての苦悩を吐き出す慧音。
「慧音って、酔う度に同じ愚痴言うよね。飲み友達とか居ないの? あ、女将さん。そろそろ締めにするから、蕎麦をお願い」
「はーい」
聞き手である妹紅の反応は、何度も同じ状況に合っているのか非情に淡白だ。酔っ払いの扱いに慣れたミスティアも、慧音を全く気にしていない。
「まぁでも、あの時分のガキ共何て、勉強よりも慧音のスカートの中身の方が興味津々だろうしねぇ」
「私はなぁもこぉ、皆に立派な大人になって欲しくてだなぁ」
「大丈夫、大丈夫。慧音の想いは、ちゃんと子供たちに伝わってるよ」
愚痴る慧音に、聞き流しながらも暖かい言葉を送る妹紅。
完全に夫婦じゃねぇか。お前ら、もう結婚しろよ。
そしてもこたん。出来ればこっちも助けておくれ。
「だから……ちょっと、聞いてるの? アリス」
「えぇ、聞いているわ」
勘弁してつかぁさい。
見ての通り、咲夜も愚痴上戸だった。
しかも、慧音と違って呂律もしっかりしている上に、目が据わっているからかなり恐い。
「自分が一番無茶をするくせに、人間だから何て理由で過保護にして。何時までも私を子供扱いするんだから」
「それは、ある程度は仕方がないと思うわよ。貴女と美鈴では、実際に年齢はあちらが上なのでしょう?」
「だからって、そのせいで私があの屋敷から居場所を奪われたら、本末転倒だって何で解らないのよ。あのアンポンタン」
絶好調だね。帰って良い?
愚痴を聞いていたら、締めに頼んだうどんも伸び伸びだよ。うぬぅ、汁は美味いのにこしがない。
「じゃあ、貴女は美鈴が嫌い?」
「好きよ、大好き。お嬢様も、フラン様も、パチュリー様も、小悪魔も。私にとっては掛け替えのない方たちですもの」
酔いが回っているからか、咲夜の答えは直球だ。聞くだけで恥ずかしくなるような台詞を、堂々と吐いてのける。
「だったら、それを言えば良いのよ」
「言ったわ、「仲間外れにしないで」って。でも、聞いてくれないの」
「違うわ。伝えるべき事は、そこじゃない」
「では、一体何を伝えろというの?」
ふふん、任せておきたまえ。
シチュエーションは違うが、人間を割れ物として扱う美鈴にはぴったりの台詞だろう。
「「人間を舐めるな」、よ」
「来いよド三流。格の違いってやつを見せてやる!」でも可。
立ち塞がる人外に向けて、人間の主人公が叩き付ける全力の啖呵。
確かに、人間は妖怪などと比べて脆いかもしれない。
だが、人間は強いのだ。それこそ、妖怪変化がどこまで自力を高めようと到底到達出来ないような、極限のその先まで精神と肉体を持っていける。
「人間を、舐めるな……」
「霊夢を見なさい、魔理沙を見なさい、早苗を見なさい。あの娘たちは、自分が人間である事を悲観しているかしら」
それは否だ。断じて否だ。
魔理沙は魔法使いへの昇華を目指しているし、早苗は現人神も混じっているが、そんなものは些細な問題にもならない。
人間は素晴らしいのだ。人間ではない私だからこそ、恋焦がれるほどの羨望が溢れてやまない。
長い生を無為に生きる事の、何と空虚な毎日か――
努力の価値を見失う、潜在能力の高いこの肉体の何と下らない事か――
命と想いを紡いで行くという、その連綿とした流れの何と美しい事か――
「例え人外の館に仕えていようと、特殊な能力を持っていようと、貴女は人間である事を忘れてはいけないわ。それは、弱点であると同時に私たち人に在らざる者たちへの最高の切り札にもなるのだから」
だから、妖怪は負けるのだ。太陽を背にした人間の、内から出ずるその輝きによって。
あー、ごめんね咲夜。
何か、滅茶苦茶説教染みてる上に、羨ましっとが入り過ぎてるよ。
お酒は呑んでいないけど、雰囲気に酔ってしまったのかもしれない。
「――人間である事を忘れるな、か。良いね、その台詞。慧音にも、この場で聞かせてやりたかったよ」
何時の間にか、そのまま眠ってしまっている慧音を肩で支えながら、妹紅が蕎麦をすする手を止め頬杖を突いてこちらを見ていた。
「老いる事も死ぬ事も無い程度の能力」。蓬莱の薬を飲み、永遠の――死すら許されない本当の永遠を生きる彼女には、私の台詞はどう届いたのか。
ていうか、皆してこっち見んな。
恥ずかしいでしょ、もー。
「喋り過ぎたわね。お会計をお願い」
「うふふ、照れなくても良いのに」
居心地が悪くなり、立ち上がった私にミスティアがクスクスと忍び笑いを送ってくる。
鉄面皮に感謝。でなければ、私の今の顔はとても見れたものではないだろう。
「咲夜はちゃんと帰れる? 今、私の出してる指は何本?」
「バカにしないで。七本でしょ」
「二本よ」
咲夜さん、人間の指は片方五本が限界です。
後二本、どこから来たし。
「運んだ方が良さそうね」
「貴女も、私を子供扱いするっていうの?」
「酔っ払い扱いしているのよ」
「人間を舐めるな」
「ここで言うべき台詞じゃないわよ」
「はははっ、良いオチが付いたね」
笑ってないで、手伝ってよもこたん。
酔っぱ霊夢といい、酔いどれ咲夜といい、扱いにまいっちんぐだよ。
「私も行くよ。女将さん、おあいそ」
「はーい。お勘定確かに」
人里で材料を仕入れる事もあり、この店は物々交換と通貨の両方で会計が可能だ。しかし、物品の場合も通貨の場合も、お釣りは帰って来ない。
大雑把で適当な、実に妖怪らしい会計だ。
「今日は楽しかったから、また同じメンバーで飲めると良いね」
「博麗神社の宴会に参加すれば、大体こんな感じよ」
「そっか。それじゃあたまには、慧音を誘って行ってみるかな」
出会う事が別れる事を確定してしまう妹紅は、他者との接触を好まない。それでも慧音が居るように、人間はどうしようもなく孤独ではいられない。
私は彼女に、酷く辛い選択肢を突き付けているのかもしれない。
「またね」
「えぇ、また」
「皆、またのご贔屓にねー」
慧音を抱える不死の少女と、夜雀の妖怪に手を振り返しながら、私は咲夜を紅魔館に届けるべく飛翔を開始した。
「ねぇ、アリス」
「何?」
満点の星空が舞う空の中で、肩で背負った咲夜がポツリと呟く。
「貴女は、人間なの?」
「――いいえ。私は魔法使いよ」
心は人間の、歪な魔法使い。
人間に憧れる、もう戻れない魔法使い。
「貴女は、きっと人間よ」
――ありがとう。
酔いによって意識の落ちる前、最後に言った咲夜の言葉が、今日のおでんよりも私の中に染み渡ってくれた。
◇
追記。
食事の最中、ずっとミスティアの鼻歌を聴き続けた私は夜雀の能力をモロに受けて鳥目になっており、結局紅魔館には辿り付けなかった。
彼女は、機嫌がすこぶる良い時でないと鼻歌なんて歌わないし、私も逃げるように帰ったからすっかり能力の事を忘れていた。
もこたんたちの方は、大丈夫だったのかな?
常連みたいだったし、解決法とか知ってたなら教えてくれても良かったのに。
感覚をリンクさせた大量の人形たちを散開させ、何とか自分の家を探し当てて辿り着いた時には、朝日も昇ろうかという時間帯。
その時にはもう鳥目も治っていたものの、今から咲夜をレミリアたちの下へ届ける気にはなれず、彼女を私のベッドに寝かせ、私はリビングの椅子を並べて毛布に包まって就寝した。
その後レミリアが咲夜の運命を読み取り、何かを勘違いした美鈴が私の家の壁を粉砕しながら現れて修羅場るのは、それからもう少ししてからの話。
昨夜はお楽しみでしたね。
まずは、その手に持っている石をゆっくりと地面に置きましょう。
ちゃんと、アダルティー(屋台で飲み会)でハード(じっくり)ボイルド(煮えてた)でしょう?(おでんが)
思い付かなかったんだよ! ごめんね!
次はいよいよ、真打ちの早苗さんですね。
彼女はギャグからシリアスまで網羅出来る逸材なので、扱いに困ります。
そして、加筆修正は未だ全然終わらず……orz