東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

107 / 119
令和おめ!


104・人形が消えた日(結)

 その日、霍青娥は死に最も近い場所に居た。

 人を惑わし、堕落させ、おとしいれる。

 他者の絶望が、他者の破滅が、預けていた信頼を裏切られた、その今わの際の無様な表情を眺めるのが何よりも(たの)しかった。

 仙術を修める事で永遠の生を獲得した青娥は、それはそれは多くの者を不幸にしてきた。

 しかし、「人が死に過ぎる」という理由で大陸の閻魔から目を付けられた事で、邪仙の悪行は制限される事となる。

 迎え死神と共に、戦闘に特化した獄卒たちも刺客として差し向けられ、邪仙は隠遁生活を余儀なくされてしまったのだ。

 青娥は我慢を嫌う性質だ。いっそ大陸から離れてしまおうと、島国へと向かう渡航船に乗り込むまで、そう時間は掛からなかった。

 日の出ずる国。大層な名を持つその国で、再び青娥はその邪悪な趣味を再開する。

 金を持つ者。才を持つ者。地位を持つ者。

 家を、富を、権力を、武力を。

 それがなんであれ、より多くを持つ者が堕ちていく様にこそ、彼女は甘美な快楽を感じられた。

 そして、そうした上位者たちとの何不自由のない暮らしから、囲いに穴を空けるようにすり抜けていく爽快感がたまらなかった。

 だから、邪仙は富める者の集まる都の宮中に次なる玩具を探しに侵入した。

 それが、己の未来を決める事になるとも知らずに。

 

「物の怪の類か」

「っ!?」

 

 建物を繋ぐ渡り廊下にて、邪悪なる仙人は運命と出会う。

 閃く刃に右腕を切り飛ばされ、青娥はそれを認識した瞬間に全力で相手へと霊符による一撃を繰り出していた。

 しかし、ただの人間には防ぎようのないはずの攻撃は、半歩下がった誰かの斬撃によってあっさりと二つに断たれて消え去った。

 

「あ、が……っ」

「騒ぐな」

 

 返す刃で左腕まで失った少女の絶叫を、口内にその両腕を断った宝剣を差し込み黙らせる。

 青娥は、性格や趣味はともかく非常に優秀な神仙だ。

 こんな辺鄙な島国の猿風情に、後れを取るような者では断じてない。

 だというのに、そのあり得ない出来事が今正に目の前で起こっている。

 ただの人間に敗北し、強者であるはずの人外がその命を散らそうとしている。

 訳が解らない。意味が解らない。

 

「末期の一言くらいは聞いてやろう。良く考えて残すと良い」

「ぁ……」

 

 口の中から刃が抜かれ、自由になった喉が鳴る。

 何故、何故――

 死ぬ。終わる。後悔も反省も間に合わぬまま、ただ首を刎ねられ命が終わる。

 それは、ただの負け惜しみだった。

 なんの意図も計算もない。自分が死ぬ事に対する、精一杯の恨み言。

 

「化け物め」

 

 その時の相手の顔を、青娥は今でも忘れられない。

 

「……っ」

 

 今まで見て来た誰よりも美しいその(かんばせ)が、誰よりも醜く歪む。

 それは、霍青娥という邪仙を滅ぼせるだけの存在が見せる、確かな弱さだった。

 

「そうか。人の道理から外れた物の怪であっても、私を「人」と認めてはくれぬか」

 

 なんという事だろう。本当に、それ以外の言葉が浮かんで来ない。

 これほどの実力を持つ者が。

 これほどの美貌を持つ者が。

 邪仙がとっくの昔に捨てた「人」というしがらみを、後生大事に抱えたままその重さと脆さに潰れようとしている。

 

 この人が真に救われる時、一体どんな美しい表情をするのか。

 この人が真に絶望する時、一体どんな醜い表情になるのか。

 そして、この人のそんな有り様を見た私に――一体、どんな感情が生まれるのか。

 

「……仙道に、興味はございませんか?」

 

 気が付けば、青娥はそんな事を口走っていた。

 その栄光の道を。

 その破滅の道を。

 この人間の結末を見届けたい。

 その場しのぎの命乞いではない。邪仙は己の死を前に、生涯を懸けるに足る最高の命題を見つけたのだ。

 どれだけ利己的で、どうしようもないほどに歪であろうと。

 彼女にとって、それは確かな「愛」の芽生えだった。

 

 

 

 

 

 

 神霊廟にある、青娥の工房。

 全快にはほど遠いものの、とりあえず外見だけは繕い終えた邪仙の手には、黄緑色の立方体があった。

 アリスが湖に放り込んだ人形の「種」を屠自古が勝手に回収し、己の師でもある邪仙に解析を依頼したのだ。

 

「まったく、他人の物を盗むのは泥棒ですわよ」

「お前にだけは言われたくねぇよ。それで、何か解るか?」

「そうですわねぇ。専門ではない技術も使われておりますので、「恐らく」という前置きはさせていただきますが――」

 

 回し、撫で、触り。ひとしきりその物体をもてあそんだ青娥は、興味もなさそうに自身の見解を語る。

 

「アリスさんが言った通りのまま、単純に人形が出来上がると思われますわ。大きさとしては、彼女が常日頃から傍に置いているあの二体と同じくらいのものでしょうか」

「なんだそりゃ。今更そんもん作って、何をしようってんだ」

「習ったばかりの仙術と、手持ちの技術を融合させる。こうした日々の研鑽は、芸術家として当然の行いですわよ」

「阿呆か。拉致されてまで、なんで平然と日常を過ごしてんだよ。あいつ、本当に何しに来たんだ」

 

 冗談にしか聞こえない青娥の意見を一蹴し、王の側近は人形遣いの意図が理解出来ず顔をしかめる。

 

「或いは、そう思わせる事こそが狙いかもしれませんわね」

「ちっ、そう簡単に尻尾は出さねぇか。こっちはこっちで忙しいってのに」

 

 太子の命により布都が行っていた人里に縁のある妖怪たちへの襲撃は、意外な形で頓挫していた。

 

「まさか、雑魚妖怪共が人里経由で用心棒を雇うとはな」

 

 しかも、雇われたのはなんと妖怪の山の元四天王、伊吹萃香だ。

 十分報酬が支払われるのだろうが、それでも本来下位の者たちなど路傍の石ぐらいの認識しかしないはずの大妖が、あっさりとその依頼を受けた。

 鬼という規格外の実力は元より、彼女の「密と疎を操る程度の能力」による分身たちが睨みを効かせる今の幻想郷で、襲撃計画を続ける事は出来ない。

 布都自身は妖怪変化など何するものぞと続行を希望していたが、現時点で最強格の怪物とぶつかるのは少々面倒だ。

 

「……アリスは、太子様の計画に気付いている節がある」

「うふふ、(わたくし)を疑っておりますのね」

「お前以外の誰が漏らすってんだ」

 

 この毒婦に道徳感を求める事がどれほど愚かであるか、付き合いの長い神子の側近は十分に知っている。

 他者はおろか己の不幸と絶望にすら喜びを見出すような破綻者だ。太子の計画が進む中、陰でその計画が失敗するよう動いていたとしても、なんら不思議はない。

 神子はそんな青娥の妨害すら楽しんでいるようだが、生憎と屠自古はそこまでの精神的余裕や度量を持ち合わせていない。

 

「鬼を用心棒に雇った件もそうだ。人里は合議制を採用しているはずなのに、どうして妖怪を擁護する政策がこんなに早く実行にまで移せた。誰かの入れ知恵があったと考えた方が、まだ納得出来る」

「それだけ、相手方も必死なのですよ」

「必死に縋る連中を自分の望む方向にたきつけるのは、お前の十八番だろうが」

「だから、計画が上手く進まなくなったのは全て(わたくし)の責任だと? 流石にそれは、いささか穿ち過ぎですわねぇ」

 

 霍青娥は、神霊廟の者たちにとって獅子身中の虫だ。

 だが、二人の主である神子がこの女の排除を許可しない。

 屠自古は、その理由が理解出来ない。

 

「不思議ですか? 太子様が、(わたくし)を許すのが」

「あぁ。幾ら恩があると言っても、どうしてお前みたいな狂人を傍に置きたがる」

「ふふふっ、本人を前に酷い言い草ですわぇ」

 

 ころころと上品に笑い、アリスの作った立方体を近くの机に置いた青娥が椅子から立ち上がる。

 

(わたくし)は、あの方をお慕い申しておりますの」

「寝言は寝て言え」

「愛するお方の意に添わぬ事を、どうして出来ましょうか」

「寝言は寝て言え」

「……少しくらい、手心を加えていただいても罰は当たりませんわよ」

「うるせぇ」

 

 どうせ、どんな返答をしようとその口から出るのは嘘と妄言だけだ。

 ならば、まともに相手をするだけ無駄というもの。

 そもそも、神子の計画は最初から無駄が多過ぎるのだ。

 豊聡耳神子は、人を支配出来る者だ。比喩ではなく、文字通りの意味で。

 故に、人里程度の規模の集落であれば彼女がそこに行くだけで片が付く。

 だが、神子は何故かそれをしない。その上で、本来は必要のない策を打ち人間や妖怪に混乱を招いている。

 

「太子様の計画は、成功や失敗は二の次で……いや、違うな。()()()()()()()()作られている」

 

 でなければ、人里や妖怪への攻撃はもっと苛烈で容赦がないものであったはずだ。

 だが、だからこそ何故という疑問が浮かんでしまう。

 

「それでいて、成功する確率も十分に残してある。訳が解らねぇ」

「難しく考える必要はありませんわ。結局のところ、屠自古さんの言う通り太子様はどちらに転んでも良いのです」

 

 人を愛し、人から愛される偶像(アイドル)

 偶像は偶像であり、人にはなれない。

 

「きっとあの方は、試したいのでしょう。「今の人」という存在の可能性を」

 

 人から愛されながら、人としてある。

 人を超越した者にとって、それがどれだけ困難であるかは、きっとこの霊廟の主自身が一番に理解している。

 

「……」

 

 青娥の回答に満足したのか、屠自古は無言のまま机に置かれた黄緑色の立方体を手に取り、足早に立ち去って行く。

 害がないと解った為、再び湖へ沈めに行くのだろう。

 彼女が持って来た「種」は、こうなる事予期して用意された(ダミー)でしかないというのに。

 術者として優秀でも技術者ではない屠自古に、真贋を見極める(すべ)はない。

 青娥はそんな屠自古の楽観を指摘しなかったし、「種」についての真実も伝えなかった。

 

「やれやれ。亡霊となって、精神が剥き出しになった弊害ですわねぇ。太子様のお役に立ちたいと願う余り、それ以外がおろそかになってしまっている」

 

 何故なら、()()()()()()()から。

 所詮、毒婦は何処までいっても毒婦なのだ。

 亡霊になる前の屠自古であれば、主の役にたとうとはしても「役に立つ事」そのものに執着するような、そんな愚かな真似は絶対にしなかっただろう。

 自覚の有無は解らないが、屠自古の精神は生前とは比べ物にならないほど変質している。

 

「死して屍拾うものなし。死してなお尽くす貴女と、生きてなお貪る私。一体どちらが醜いのでしょうねぇ」

「あー?」

 

 妖艶に微笑む邪仙の姿を見つめるのは、生憎彼女の人形である芳香しかいない。

 計画を達成しようとする屠自古と布都。

 計画を頓挫させようとする青娥。

 何がしたいのか。

 何を目指しているのか。

 その真意は、どちらも等しく見守る神子の胸の内にある。

 そして、その答えを出す為の異変という名の舞台が、ようやく幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、人里にある阿求の屋敷には今までとは異なる人物が訪れていた。

 

「ねぇ、暇なんだけど」

 

 後ろ腰に付けた瓢箪ではなく、人里で作られた最上級の酒が入った瓶をあおり、萃香が不満を漏らす。

 

「それはそうでしょう。貴女に忙しくされていては、そもそもこの策は成立していません」

 

 さらさらと巻物に何かを書き付けながら、阿求は素知らぬ顔で幼女の不満を聞き流す。

 

「言い方は悪いですが、妖夢さんが人里を襲ってくれたお陰で、上役たちへの説得と説明は簡単でしたよ」

「何やってんだかね、あの半人前は。お陰様で、こんな茶番に巻き込まれちまった」

 

 阿求たち人間は、確かに伊吹萃香という大妖を雇った。そして、雇った時点で目的は達成された為、もう彼女との契約は終了している。

 まさかの秒速解雇である。それでも契約は契約であり、支払われた高級酒五本はすでに酔っぱらいが持つもの以外全て消費済みだ。

 解雇した事実を伏せたままにしておけば、例え萃香が何処に居たとしても、仙人たちは警戒を続けざるを得ない。

 後は、そうして仙人たちが動きを止めている間に、解決の糸口を見付ける。

 幻想郷は広くも狭い。すでに、根城となる可能のある場所は粗方探り終えた。

 残す場所は、やはり結界が張られたという命蓮寺の地下のみ。

 

「聖さんも、お人が悪い。一体何故、元凶を擁護するような真似をするのか」

 

 自分たちが結界を張った以上、封じたはずの者たちが抜け出しているのは把握出来ているはずだ。

 なのに、事態の悪化を静観し、あまつさえ元凶へ辿り着く為の捜査を妨害している。

 阿求は命蓮寺の意図を計りかねていた。

 他人事としてからからと笑う萃香が、最後の一滴を飲み終えて立ち上がる。

 

「坊主を相手に損得勘定なんて、説くだけ無駄だよ。あいつらが考えてるのは、何時だって自分に都合の良い「救済」一択だ」

「萃香さん?」

「前回の異変で、ちょいと派手にやり過ぎてね。紫からもなるべく動くなって小言を言われんのさ。ったく、面倒臭いったら」

 

 空の酒瓶を適当に放った萃香は、用は済んだとばかりによたよたと千鳥足で障子を開き空へと飛び去って行く。

 自由過ぎる鬼に慌てて立ち上がり、部屋を出た阿求が萃香へ向けて大きく頭を下げる。

 

「あ、あのっ。依頼を受けていただき、ありがとうございました!」

「またねー」

 

 感謝も、嫌悪も、人間から向けられる感情になど、露ほどの興味もないのだろう。

 下げられた側である最強の鬼は、変わらぬ調子で振り返りもせず小さく片手を振り、屋敷の外へと見えなくなって行った。

 

「やれやれ、ようやく帰りましたね。貰ったその場で飲み始めるとか、堪え性がないにもほどがあるでしょう」

「ひゃっ。文さんですか」

 

 苦手な鬼が居なくなった瞬間に、何処かに隠れていた烏天狗が阿求に真後ろに姿を現す。

 

「あやややや。随分と可愛らしい悲鳴でしたねぇ。写真では音を残せない事が、残念でなりません」

「もう、意地悪しないでください」

 

 はたてと椛は、この場には居ない。

 解決の目途が経ち、妖怪の人間の慣れ合いはすでに終了していた。

 

「文さんたちも、本当にありがとうございました」

「構いませんよ。我々山の組織としても、アリスさん誘拐事件の二の舞はごめんですからね」

「あの時の首謀者は、いずれこういった侵略が起こる可能性を予期していたのでしょうね」

 

 九分九厘解っている犯人に名は、口にしない。それが礼儀であり、様式美だ。

 過去に似たような事件があったお陰で、人里と山の組織の連携は迅速だった。

 もし、あの事件が起きていなければ、今回の捜査や対策はもっと長い時間を必要とし、その分だけ犠牲は増え続けていただろう。

 

「妖夢さんの件は、はたてさんの作ってくれた号外に併せ、こちらで適当に噂を撒いて誤魔化しておきます」

「はぁ~。捏造でないだけまだマシですが、やはり真実を伝えられないのはもどかしいですねぇ」

 

 文は、自身の書く新聞に()()は誠実だ。

 そんな彼女にしてみれば、事実を曲解して報道する事を嫌悪せずにはいられないのだろう。

 だが、真実を広めたところで仙人たちの思うつぼでしかない事も理解している。

 故に、今回の記事作成には文ではなくはたて適任として選ばれた。

 以前は、念写した写真一枚から憶測のみで書かれていた妄想記事ばかりだった「花果子念報(かかしねんぽう)」。

 そんな想像力のたくましいはたてによって、妖夢の凶行はお涙ちょうだいの美談として記事になり、現在人里の上空から盛大にばら撒かれている。

 

「博麗の巫女には、人里の代表として私から依頼を出しておきます」

「了解です。相手の仕込みによっては異変規模の騒動になる可能性もありますし、私も方々に声を掛けておきましょう」

 

 時間は稼いだ。居場所も知れた。

 後は、仙人たちの根城へ乗り込み潰すだけだ。

 散々やられた仕返しだ。誰も彼も、精々派手に暴れて貰うとしよう。

 決戦の時は――近い。

 

 

 

 

 

 

 神霊廟の一室。

 霊廟の主が、何時かと同じように座禅を組み精神を統一している。

 

 王とは、民を支配する者である。

 王とは、民を搾取する者である。

 王とは、民を慰撫する者である。

 王とは、民を庇護する者である。

 王とは――王とは、「人」である。

 

「……」

 

 それは、ある意味当然の帰結である。

 人の上に立つ者が、人以外であってはならない。

 価値観が違う、思考が違う、理想が違う。

 人と人でさえ真に理解し得ぬというのに、人々が人以外を王と認めるはずがない。

 だが、人の王では何もかもが届かない。

 知識が、精神が、寿命が。あらゆる要素が、余りに不足し過ぎてしまう。

 だから、彼女は人であるままに「人」である事を捨てた。

 尸解仙。肉体を捨て去り、魂を別の器に移す事で昇華する神仙への覚醒。

 

「……」

 

 目覚めてすぐに、神子は青娥から己が眠りに就いてから現代に至るまでの人の営みを訪ねた。

 結論から言って、それは決して満足のいく内容ではなかった。だが、だからこそこうして彼女は幻想郷転覆の計画を立てた。

 まずは、この小さな小さな集落から。

 次のその周囲を。そして、範囲を広げいずれ国家を、世界を掌握する。

 人の営みを疎外するものは、神子にとって害悪でしかない。

 つまり、人外に優位をもたらす博麗大結界もまた、彼女にとっては排除の対象だ。

 この理想郷という名の鳥かごを破壊する為に、()()()()()の策は打ち終えた。

 ()()()()()()()()

 神子は賢人であって、暴君ではない。王であって、神ではない。

 結末の天秤は、今はまだどちらにも傾き得る。

 試されるべきは、何時だって己自身でなければならない。

 

「では、戯れを始めようか」

 

 目を見開き、口角を上げ、不遜な表情でにやりと笑う至高の人が、誰にも聞こえぬ宣戦布告を告げる。

 これは、生存競争だ。

 社会の敵、人類の敵、世界の敵。

 今の世界にとっては違い過ぎて、敵にしかなれない者たちが居る。

 そうした外れてしまった者たちとの、互いの存続を掛けた盤上遊戯。

 その結末の鍵を握るのは、何時もと変わらず金髪で無表情な人形遣い。

 何度でも、何度でも。それが異物である限り、世界はアリスに苦難と試練を与え続ける。

 それはつまり、彼女が安寧を手に入れる手段が世界の崩壊と同義であるという、残酷過ぎる結論を意味していた。

 

 

 

 

 

 

 泉の底にて、()()はあった。

 屠自古が持ち去っていた囮ではなく、本命としてアリスが隠した黄緑色の立方体。

 己が育つ為の栄養として、静かに、ただ静かに周囲の神霊を取り込み続ける暴食の「種」。

 「種」の形は変わらない。だが、その中身はすでに起動しており予め定められていた順序を踏んで羽化を目指し始めている。

 外見だけを同じとしたまま、無限に膨張と拡張を繰り返し、肥え太り続ける揺りかごの胎児。

 作り手(はは)に産まれ、プログラム(ちせい)を呑み、真水(いのち)を充たす――

 その果てに、誕生する瞬間を夢見る()()とは何か。

 

『マスター――』

 

 これは、奇跡ではない。

 アリスが作ると決め、その為の素材を用意し、技術の粋を尽くし、底なしの愛情を持って完成させた。

 ならば、これより起こるのは予定調和そのものである必然だ。

 異変が始まる。

 始まる事すらなく終わる異変が。

 

『マスター、マスター――うふふ、うふふふ――あぁ、マスター――』

 

 元凶を胸に抱く仙界にて、生まれ続ける神霊が端から食われて居なくなる。

 呼吸をしないはずの「種」から、ごぽりと濁った気泡が浮かび――それは、水面に届く事なく清浄なる泉の中へと溶け消えた。




次回、異変解決(嘘)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。