東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

10 / 119
こちらは後編です。

二話連続で投稿したので、前編を読んでいない方はそちらを先にどうぞ。


10・ラクトガール/スイートマジシャン(後)

 人形遣いの魔法使い、アリス・マーガトロイドはイヤな奴だ。

 私、霧雨魔理沙は常々そう思っている。

 美人だし、料理も裁縫も上手いし、人形の操作や魔法だって抜群に上手いのに、それを鼻にも掛けず平然としている無表情な顔と声が、気に入らない。

 変な服とか無理やり着せて嫌がる私を無視して写真を撮ったりと、玩具扱いをされているのが、気に入らない。

 気紛れに、私の自宅兼店舗である「霧雨魔法店」にやって来ては、私が散らかした部屋を勝手に片付けをしたり、普段食べてないような栄養のある料理を作って振舞ったりと、まるで私の保護者面をしているのが、気に入らない

 弾幕ごっこは弱いくせに、霊夢を始めとした幻想郷の皆から一目置かれているのが、気に入らない。

 私が何年も積み重ねて来た努力の上に、軽々と立っているその後姿が――気に入らない。

 

 

 

 

 

 

 赤子の世話とは、これほどまでに大変だったのか。

 私は、たった一日でへとへとになっていた。

 泣いては暴れ、言葉も通じず、何をしたいのか、何をして欲しいのか、まったく解らない。

 ようやく気付いてやってやれば、また別の事で泣き始める。後は、その繰り返しだ。

 夜でもお構いなしに泣き叫び、昨日はほとんど眠れなかった。

 日差しが痛い。太陽が黄色に見える。

 魔法の森近くの草原に、一本だけ生えている大木の木陰で足を伸ばし、今は眠っている赤ちゃんの頬を撫でた。

 口をむずがらせる白無垢の娘に、私の表情が綻ぶ。

 アリスから奪ったこの赤ん坊を、一体どうするべきなのか。

 私はあの時、明確な解決方法を思い浮かべてはいなかった。今でもそうだ。

 だが、親に返すと言ったアリスの判断だけは、到底許容出来なかった。

 自分が産んだ子供を捨てる。最低最悪の行為をした親に、どうしてこの子を返せるだろうか。

 どんな事情があったって、知った事ではない。それは、決して許される行為ではない。

 だというのに、アリスはこの子を返すと言った。それは、この子を殺すと言っているのと同じ事だ。

 やはり、魔法使いという妖怪になり長い間魔法の研究に没頭している彼女には、人間の感性など残ってはいないのだろう。

 皆や私に向けるあの優しさも、所詮は気紛れの遊び気分に過ぎないのだ。

 ほら、見てみろ。

 私の前に現れたアリスは、私からこの子を奪いに来た。

 大勢の仲間を引き連れて、自分の優位をひけらかし、交渉という命令で私を従わせようとする。

 ふざけるな。私は、お前なんかには負けない。

 絶対に、負けてなんてやるもんか。

 

「――三枚、で良いかしら?」

 

 自分の右手に持った、スペルカードを見せ付けるアリス。

 弱いくせに、苦手なくせに……どこまで私を下に見れば気が済むのか。

 

 あぁ、そうかよ。

 お前はそこまで、私をバカにするのかよ。

 

「ルールだから負けただなんて、下らない言い訳はさせないぜ! 私を止めたけりゃ殺す気で来いよ、アリス!」

 

 八卦炉を手に、私は猛然と吠えた。

 

 お前なんて――アリスなんて、だいっきらいだ!

 

 

 

 

 

 

 翌朝、一睡もせずに延々と本を読んでいたパチュリーは、ついでとして魔理沙の下へと向かう私の同行を願い出てくれた。

 

 ちゃっちゃら~。魔法使いのパチュリーが、仲間になった!

 

 はっきり言って、これで解決したも同然だ。

 魔法使いとしての腕前は私や魔理沙よりも高く、深謀遠慮で頭脳明晰。しかも美少女という、後衛を任せてこれほど頼もしい存在は居ない。

 

 私が何か失敗したとしても、きっとパチュリーなら何とかしてくれる!

 

 これぞ友情。決して他力本願ではない。

 私、パチュリー、慧音、慧音に抱えられた赤ん坊の母親、多分どこかに文、というパーティー編成で、魔理沙の下へと向かう一行。

 昨日赤子を持って逃げる直前、探知の魔法を魔理沙に付けておいたという見事な策士、パチュリー大先生の誘導に従い、魔法の森近くの草原で一本だけ生えた大木に身体を預ける彼女を、あっさりと発見する。

 

「……何か用かよ」

 

 なんか、魔理沙の雰囲気が物凄くどす黒いんですけど……

 

 はなから会話を拒絶する態度で、赤子を抱えて私たちを睨み付けて来る魔理沙。

 寝不足なのか、目の下には薄く隈が出来ており、瞬きを何度も繰り返している。

 

「魔理沙、その子の親を見付けたの。捨てた事も凄く反省している。だから、その子を返して頂戴」

「やなこった。捨てておいて今更反省しただなんて、誰が信じるもんか」

「魔理沙、その子の親はお前じゃない! この人にその子を返すんだ!」

「嫌だって……言ってんだろうが!」

 

 頑なな魔理沙は、座った姿勢のままで慧音の説得への返答として、怒号と共に沢山の弾幕を私たちへと放って来た。

 星型をしたメルヘンな弾幕だが、今の彼女から出たというには、いささか可愛い過ぎる代物だ。

 威力も大した事はなく、パチュリーの張ってくれた結界であっさりと弾かれて消えていく。

 

「魔理沙。もう一度言うわ、その子を渡しなさい」

「お、お願いします! その子を、私の子を――どうか私に返して下さい!」

 

 赤ん坊の母親が、その場で伏して魔理沙へと懇願する。目には涙をたたえ、必死に赤子を取り返そうと頭を下げる。

 

「彼女は、本当に反省しているんだ! 魔理沙。私が、今後間違いが起こらないようちゃんと監視する! だから、もうお前がその子を預かる必要はないんだ!」

「一度捨てたんだろ? だったらそれを――」

 

 ――私が拾っても、良いじゃないか。

 

「魔理沙」

 

 その先は、言っちゃいけない。

 人間の貴女が、言って良い言葉じゃない。

 

「一つの命よ。例外なく、唯一無二の大切な結晶なの。貴女の我侭で、好き勝手にして良いものではないわ」

「見捨てたお前が、それを言うのかよ……っ!」

 

 こちらまで音が聞こえそうなほど歯軋りをして、魔理沙は私を憎しみすら帯びた目で睨む。

 

 どうあっても止まらない、か。

 

 私は、この状況を打開する手段として、手の平に三枚のカードを出現させた。

 弾幕ごっこ用の、スペルカード。

 例えルールを敷いた競技とはいえ、争いを好まない私は自然にその他の趣味へと時間を割いてしまい、腕前はかなり低い。

 一応、見ての通りカードも作ってはいるが、弾幕の密度も薄く弾速も遅い、イージーシューターでも初見で勝てるほどのへっぽこでしかない。

 

「――三枚、で良いかしら?」

 

 だが、逃げに徹しさえすれば、彼女の中に渦巻く感情の捌け口ぐらいにはなってあげられるだろう。

 魔理沙は、未だ思春期の少女だ。持て余した黒い感情は、一度吐き出してすっきりした方が良い。

 そんな風に思って私が掲げたカードを、魔理沙は手に持つ八方体の魔道具。彼女の切り札兼トレードマークでもある、八卦炉からの光線で撃ち抜いた。

 

「ルールだから負けただなんて、下らない言い訳はさせないぜ! 私を止めたけりゃ殺す気で来いよ、アリス!」

 

 なぜだか知らないが、魔理沙は怒りマックスといった表情で私へと強烈に殺気を滾らせている。

 

 えぇ~!?

 弾幕ごっこしようよ。ここ、幻想郷でしょ?

 何? ひょっとして、私が知らない間にカイオウが治める修羅の国にでもなったの?

 

 私の行動の何かが、魔理沙を酷く怒らせてしまったらしく、彼女は私とのガチバトルをご所望らしい。

 

 成程、まったく解らん!

 どういう事なの!?

 

「安い挑発ね。乗る方も乗る方だけれど」

 

 背後で、「全て理解した」といった感じで溜息を吐くパチュリーに、私の混乱は更に加速する。

 

 流石は見た目は少女、頭脳は大人の名探偵パッチェりんだ。

 恐らく、頭の中にとろけるチーズが詰まってる私にはさっぱりだよ!

 

 しかし、もう流れが決まってしまったからには、私も腹をくくるしかない。

 ここで空気を読まず、私が「イヤだいイヤだい!」なんて駄々をこねても、魔理沙は確実にこちらへと攻撃を仕掛けて来るだろう。

 なにがなんだかわけわかめ、といった感じだが、場の雰囲気に流される日和見クオリティーの私には、最早どうする事も出来ない。

 

 はぁ~……仕方がないぬぇ。

 

 内心盛大に溜息を吐きながら、私は脳内の思考スイッチを戦闘用に切り替え、精神の集中を開始する。

 

 想像(イメージ)するのは、最強の自分――

 

 妖怪を含む人外の大半は、その肉体や内在する力を精神によって構築している存在だ。

 幻想郷での例を上げれば、チルノが一番解り易いだろうか。

 氷の妖精であるあの娘は、自分を「最強」だと確信する事で他の妖精とは到底比べ物にならないほど、規格外の力を身の内に秘めている。

 紅魔館の当主レミリアは、今でも強大な妖怪だという事に変わりはないが、「吸血鬼異変」の後で最初に出会った頃に比べて、覇気を徐々に失っていく事で精神世界面(アストラル・サイド)から見て格段に弱くなった。最近は、狂気を鎮めつつあるフランも然りだ。

 妖怪が総じて傲慢な背景には、そうしなければ己の「強さ」を保てないという、れっきとした理由があるのだ。

 退けば老いる、臆せば死ぬ――理屈不要の気合と根性論。

 それは、人間から昇華した魔法使いである私も、程度の差はあれ例外ではない。

 だから、私は想像(イメージ)する。

 不変で、不滅で、揺るがない、絶対の勝利を。

 元ネタである錬鉄の英霊には、猿真似にも届かない稚拙な児戯。だが、やらないよりは断然マシだ。

 贋物にも真物にもなれなくとも、「アリス・マーガトロイド」にはなってみせる。

 私が、弾幕や幻影、転送魔法や軽い身体強化など以外で習得している攻撃用の魔法は、ほぼ「聖典(バイブル)」の呪文一択だ。

 それ以外の作品の魔法や、本来の「アリス・マーガトロイド」が使用していた魔法も研究は行ったが、明りを生み出したりする便利な日常魔法を始め、戦闘用の対個人、広域殲滅に至るまで呪文のバリエーションが豊富なので、ぶっちゃけ他の魔法を使用する機会がないのだ。

 

 今回みたいな例外を除いて、私が異変とかに巻き込まれる以外でガチの戦闘をする事って、ほとんどないしね。

 

 原作が基本的に地上戦を想定された世界である為、その魔法も空中戦の三次元的動作には対応しておらず、威力が過剰なものも多いのでかなり手札を制限されてしまうが、それでも使い慣れた魔法の方が信頼度は断然上だ。特に、こういったギリギリの加減が必要になる戦局で、習得しただけで使用した事のないペーパー魔法を安易に使う気にはなれない。

 魔理沙の飛行速度は速い。一度トップスピードに入られてしまえば、防戦一方になるのは確定だ。

 だから、その前に潰す。

 何気に、自分で勝手にハンデを背負って余裕もないが、しかし、負ければきっと魔理沙は止まらない。

 

「魔理沙」

 

 魔理沙――

 

「頭を冷やしなさい――」

 

 少し、頭冷やそうか――

 

 

 

 

 

 

「おい! 二人ともやめないか!」

「やらせておきなさい。どうせ犬も食わないわ」

 

 幻想郷のルールすら無視し、命懸けの争いを始めた二人の魔法使いを引き止めようとした慧音を、更にパチュリーが手をかざして押し留めた。

 

「お前は、あの二人の友人ではなかったのか!?」

「友人の定義を、貴女と論じる必要性を感じないわね――ほら、そんな所に座っていないで、早く行きなさい」

「え?」

 

 慧音からの怒りを軽く受け流し、パチュリーは未だ膝を突く赤ん坊の母親へと声を掛ける。

 

「貴女の役目よ。二人がじゃれあっている間に、赤子を取り戻して来なさい」

「――っ。はいっ!」

「ま、待ちなさい!」

 

 パチュリーに諭され、母親は慧音の制止を振り切って赤ん坊の置かれた大木の下へと走り出す。

 

「どういうつもりだ!」

「心配しなくても、ちゃんと彼女の周囲には結界を張ってあげているわよ。流れ弾程度なら、何の問題もなく弾くわ」

 

 想定される全ての未来に対策を置き、十全をもって常とするパチュリーにとっては、慧音の質問は全て愚問だった。

 魔理沙は、八卦炉を使用する以外の方法でパチュリーの張った結界を破るだけの火力はなく、アリスの方は、この戦いでそこまで高い威力の魔法を使う事はない。

 

「甘いのよ、貴女は――」

 

 繰り広げられる、一方だけが死力を尽くす魔法使いたちの激戦を眺めながら、パチュリーはその中でさえ一切表情を崩さない、人形遣いの少女へと伝わらない言葉を送る。

 

「貴女はそろそろ、その甘さが他者の心を抉る時がある事を知るべきだわ」

 

 優しさとは、時に毒にもなりうる危険な代物だ。

 誰彼構わず優しさ()を振り撒くアリスは、未だその事に気付いていない。気付こうともしていない。

 相手の少女もまた、アリスやパチュリーという先達たちから目を掛けられ、どれほど自分が恵まれた環境に居るかという事実を、ほとんど自覚していない。

 

 まぁ、この程度の痴話ゲンカで彼女たちがその辺りを理解するなんて、期待するだけ無駄でしょうけど。

 

 美徳と悪徳。親友と悪友。

 二人に対し、それらを懇切丁寧に一から説明してあげるほど、パチュリーは自分を優しいとは思っていなかった。

 

「……パチュリー・ノーレッジ」

「何?」

 

 気付けば、慧音がなぜか感極まった表情でパチュリーを見ていた。

 

「すまない。私は、酷く失礼な誤解をしていたようだ。魔理沙やアリスは、とても素晴らしい友人を持っているようだな」

「……その認識は、貴女の勘違いよ」

「解っている。みなまで言うな」

 

 慧音は納得顔で笑いながら、パチュリーの訂正も聞かずに腕を組んでしきりに頷いている。

 

 旧友といい、部下といい、この女といい――私の周りにはどうしてこう、話を聞かないやからが多いのだろうか。

 

「……はぁっ」

 

 誰にも届かないパチュリーの深い溜息は、そのまま虚空へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 お互いが、距離を離して構えを取った後、先手を打ったのは魔理沙からだった。

 

「食らえ!」

 

 恋符 『マスタースパーク』――

 

 開始の宣言もなく、魔理沙は八卦炉から極大の魔力波をアリスへと噴出させる。

 弾幕ごっこ用に火力を調節してもいない、正真正銘本気の一撃。

 波動が終わった後でその場に残っていたのは、六体の人形たちが身の丈以上の盾を抱え、アリスの正面を完全防備している姿だった。

 

「「爆煙舞(バースト・ロンド)」」

 

 人形たちの隙間から腕を突き出す、アリスの手の平から出現するのは、十数個の小さな火球群。

 箒を使って飛び上がり、回避した魔理沙の元居た場所に派手な火花と爆音が響く。

 空へと飛んだ魔理沙を待ち構えていたのは、上海や蓬莱を含む、十体を越す人形の群れ。

 

「ちぃっ」

 

 こちらも弾幕ごっこ用ではない、全ての部品に物理と魔法双方の強化が施された、生半可な弾幕などではビクともしない頑丈な人形たちに、直線での動きを巧みに封じられながら四方八方から迫られ、魔理沙は舌打ちしながら回避に専念する。

 しかし、度重なる波状攻撃を前に睡眠不足がたたった結果、一体の人形が魔理沙の箒の柄を両手で掴んだ。

 

「へっ、精々振り落とされないよう、しっかり握っておけよ!」

 

 鼻で笑った魔理沙が、八卦炉を箒の穂先に取り付ける。

 

「行くぜ!」

「――「崩魔陣(フロウ・ブレイク)」」

 

 八卦炉の噴出力によって魔理沙が一気に加速しようとしたその瞬間、アリスの次なる呪文が発動し、六芒星の呪が人形の手の平から箒へと叩き付けられた。

 本来は、歪んだ空間や結界などに発動させ、魔力を中和する事で場に掛けられている術を崩壊させる呪文。アリスはそれを、人形と箒を介して魔理沙本人に発動させる事によって、彼女が今行っている「空を飛ぶ魔法」を中和したのだ。

 

「うわぁっ!」

 

 効果範囲の内である、発動者の人形諸共に地面へと落下していく魔理沙。使用していた魔法を強制的に断ち切られ、訳も解らずに宙を泳ぐ。

 箒に取り付け、手を離してしまっていたのが災いし、落ちる人形を上海が、魔理沙の八卦炉を蓬莱が横手から拾い上げて持ち去って行く。

 

「――このっ」

「「氷の矢(フリーズ・アロー)」」

 

 それでも、地面に衝突するギリギリの所で何とか飛行魔法を再発動させた魔理沙に向けて、容赦のないアリスの追撃が放たれた。

 弓を引く動作をしたアリスの手と、その周囲に出現した十数本の氷の矢が、勢いを付けて魔理沙へと疾駆する。

 

「くそっ」

 

 再び宙へと逃げ延びれば、そこに待っているのは人形たちからの襲撃だ。魔理沙は、先程アリスから食らった解呪魔法を無意識に警戒してしまい、その動きを最初よりも大きく無駄の多いものにしてしまう。

 頼みの綱であった八卦炉も奪われ、弾幕の牽制も余り役には立たない。魔理沙は、行く先々で人形たちから邪魔をされる度に、苛立ちと不快感ばかりを募らせていく。

 アリスは別段、複雑で難解な作戦を行っているわけではない。魔理沙に対し、直線の道を作って加速させないという前提条件を軸に、必要な場所に、必要な数の人形を配置して牽制をしているだけだ。

 言うは易く、行うは難し。それを可能にしているのは、「吸血鬼異変」から十数年の歳月を経て進化した、アリスの魔法技術だった。

 あの時行った切り札である、思考の超加速――流石に、原作のような補助具もなしに一千倍の加速を行い続けるような無茶をすれば、負荷が掛かり過ぎて脳神経が焼き切れてしまうので、今アリスが使っているのは一秒を数秒――長くとも十秒以下の時間に引き伸ばす程度の魔法だ。

 思考のみが速まっているだけなので、高速で動けたり、呪文を早口で詠唱出来たりする訳ではない。だが、「相手より長く物事を考える事が出来る」というこの現象は、戦闘において途轍もないアドバンテージとなる。

 刹那の直感と判断によって、相手が即断即決を繰り返しているのに対し、アリスは状況を把握し、吟味して、最善の一手を考えてから行動に移せる。

 それにより、アリスは常に魔理沙から先手を取り、後手である彼女の行動を封じ続けているのだ。

 勿論、例え効果を緩和していても、脳への負担は避けられない。故にアリスは、今回のような敗北の許されない戦闘においてのみ、この魔法を解禁する。

 

「「翔封界(レイ・ウィング)」」

 

 今までその場を動かなかったアリスが、唱えた呪文により魔理沙へ向けて高速で飛翔した。

 

「はやっ!? ――ぐぼぁっ!」

 

 風の結界を身にまとい、己自身を弾丸とした彼女からの体当たりをまともに食らい、魔理沙は肺の空気を吐き出しながら地面へと叩き落される。

 

「ぎっ」

「「火炎球(ファイアー・ボール)」」

 

 今度こそ、地面に着地してしまった魔理沙に向けて、少し離れた位置へと降り立ったアリスの手から、一つの火球が吐き出された。

 飛べば、また人形たちに追い立てられてしまう。

 弾幕は、アリスの周囲に展開した人形の盾で防がれる。

 ならば、後はアリスの苦手な接近戦に望みを掛けるしかない。

 

「うおぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 魔理沙は箒を捨て、アリスへ向かって全力で走り出した。

 

弾けろ(ブレイク)

「ぐわぁっ!」

 

 迫る火球を回避しようとした直前、アリスが指を鳴らすと同時に、魔理沙の目の前にあった火球がその場で爆裂する。

 爆炎と衝撃が周囲に振り撒かれ、強烈な熱風に身体を煽られた魔理沙は、なす術もなく大地を転がっていく。

 

「くっそぉっ!……うっ」

 

 横面に火傷を負いながら、必死に立ち上がろうとした魔理沙の前で、アリスが無表情な双眸のまま彼女を見下ろしていた。

 哀れむような、悲しむような、何も感じていないような――見る者の心を写す鏡にも似た二つの輝きが、魔理沙の瞳と重なり合う。

 

「う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 泣き叫ぶような――実際に、魔理沙は僅かに涙を溜めながら、叫び声を上げてアリスへと殴り掛かった。

 散々痛め付けられ、少なくないダメージを負った彼女の攻撃など、避けようと思えば簡単に避けられただろうアリスは、しかし、回避も防御もせずに自分の頬でその拳を受け止める。

 一歩後退り、お返しとして右の平手が魔理沙の頬を強かに叩く。

 魔理沙もまた、一歩下がった後に反撃の拳をお見舞いする。

 殴る、叩く、殴り返す、叩き返す――

 一回の殴打に、反撃は一回。右で殴れば右の平手で、左で殴れば左の平手が律儀に返される。

 互いが譲らない肉弾戦の攻防が続き、魔理沙は幼稚な自分に対する惨めさと不甲斐無さで、心の中が一杯になっていた。

 

 私は始めに、殺す気で来いと言ったはずだ。

 なのに、アリスの出した人形たちは、どれも武器を持ってはいなかった。

 最初に箒を掴まれた時、別の魔法を出されていたとしたら、もうその時点で決着は付いていたかもしれない。

 今だってそうだ。こっちは拳、相手は平手。それだけで対等な立場じゃないと解る。

 一体誰が、そんな事を頼んだよ。

 私は、命を懸けた真剣勝負を望んだんだ。一体誰が、そんな下らない手加減をしてくれ何て頼んだよ。

 私には、そんな価値すらないって言うのかよ。

 ――何て、最初から解ってた事じゃないか。アリスなら、多分そうするだろうって。

 それなのに、自分の弱さを棚に上げてピーチクパーチクと、本当に情けない。

 そんなんだから、私はアリスの敵にもなれないんだ。

 そんなんだから、私はアリスの隣にも前にも立てず、後姿を見ている事しか出来ないんだ。

 そんなんだから――私はアリスから、一人前だと認められないんだ。

 アリスの出来ない事を私が解決すれば、きっと見直されると思い上がった結果が、このざま。

 本当に――私は何て無様なんだろう。

 

「ちくしょう……ちく、しょう……っ」

 

 様々なものに対する悔しさと悲しみを溢れさせ、ぼろぼろと涙を流す魔理沙。

 何発繰り返したかも解らない拳と平手の応酬の末に、振り回される魔理沙の拳はもう、何の威力もなくなっていた。

 

「――「霊皇結魔弾(ヴィスファランク)」」

 

 最後の一打として、アリスは詠唱を破棄した呪文を唱えて魔力を腕に這わせ、その平手によって魔理沙の意識を刈り取った。

 

 

 

 

 

 

 思い通りにいかないのが世の中なんて、割り切りたくないから――

 

 戦っている魔理沙の姿を見ていたら、なぜだかとても懐かしいフレーズが思い浮かんでしまった。

 魔理沙は真っ直ぐな娘だ。きっとこの娘は、あの作品で姉を救い、国を救った主人公みたいに幻想郷の歴史に残る偉大な人物になるに違いない。

 数々の異変に自らの意思で介入し、霊夢たちと共に活躍する事で、すでにその片燐は見えている。

 

 あ、姉の居ないエンドの方は勘弁な。

 

 どこかの熱血教師ばりの猛烈ビンタ――とはいかず、本当に撫でるような軽い接触だけで、魔理沙は意識を失った。

 いきなり、八卦炉の推進力で包囲網を突破されそうになった時はかなり焦ったが、偶然唱えていた中和呪文が上手くはまり、その後の展開を決定してくれた。

 なぜか、最終的に魔法(物理)になった殴り合いにも、何とか勝利をもぎ取る事が出来た。

 結果だけを見れば、私の完全勝利である。しかしながら、その実態はかなりギリギリの辛勝だった。

 

 フランの突撃を受け止める為に編み出した、なんちゃって身体強化魔法を使っても魔理沙と肉弾戦互角って、私どれだけひ弱なの?

 しかも、殴られまくった痛みと衝撃で頭がもうろうとしてたから、思わず別の呪文を使って無理やり決着付けちゃったけし……

 魔理沙に後から、「ずるいっ」とか文句を言われたりしないかな。ルール無用の虐殺ファイトを希望してたし、だ、大丈夫だよね?

 

 「霊皇結魔弾(ヴィスファランク)」。決着として私が使ったのは、精神へとダメージを与える魔力を、両腕へと込める呪文だ。

 結構強力な呪文なので、詠唱破棄して効果が減していても侮れない。実際、通常通り詠唱を行ったもので魔理沙を本気で殴った場合、ほぼ確実に彼女の命が危うい事になっていただろう。

 

 研究してて良かった、詠唱破棄。

 

「聖なる癒しのその御手よ、母なる大地のその息吹。願わくば、我が前に横たわりしこの者に、今ひとたびの力を与えんことを――「治癒(リカバリィ)」」

 

 上海と、八卦炉を持った蓬莱以外の人形を家の地下へと転送し、気絶した魔理沙に向けて対象の体力を対価に自己治癒能力を高める呪文を唱え、彼女の傷を塞いでいく。

 

 上位の回復呪文も使えるけど、そういうものを安易に使い続けると免疫力とか落ちちゃうかもだからね。

 

 幸い、頬の火傷以外は大した怪我もしていないので、この呪文だけで十分回復は可能だろう。

 

 うぅ……両頬がめっちゃ痛いとです。

 

(ことわり)(つかさど)るべき魔法使いが、相手のフィールドにのこのこ付き合ってどうするのよ。愚か者」

 

 私はへっぽこ魔法使いなので、ある程度上位の魔法になると併用する事が出来ない。

 魔理沙の治療を優先し、痛みに耐えていた私へと呆れ顔全開で近づいて来たパチュリーが、そんな事を言いながら私に治癒の魔法を掛けてくれる。

 殴られた箇所から、ぽかぽかと暖かな温度が滲み出すような感覚と共に、痛みがゆっくりと引いていく。

 指で魔法陣を描く短縮術式と、僅かな詠唱で発動する複合混成魔法。

 

 一秒も掛かけずに発動する上に、効果も高いってどういう事なの。

 

 一々、詠唱という正規のプロセスを踏まないと十全に魔法の効果を発揮出来ない私とは、文字通り雲泥の差。

 魔法使いとして十数年の研究を続けている私だが、この領域に到達出来るのは一体何時の日になるのか。

 こういった些細な場面での技術差だけで、彼女と私の間に横たわる途轍もない開きを実感してしまう。

 

「ありがとう」

「見学の対価よ。茶番も終わったし、私は帰るわね」

 

 私の治療を終えたパチュリーは、さばさばとした調子で手を振りながら紅魔館へと帰って行った。

 

 何だかんだ言って、危なくなったら割り込めるよう最後まで見届けてくれたパッちゃん。超優しい。

 

 今回も色々とお世話になったし、次回の菓子折りは腕によりを掛けて普段以上の物を作らせて貰おう。

 「治癒(リカバリィ)」の効果は、パチュリーの魔法よりも弱く遅い。魔理沙の為に、しばらくはこのままだ。

 

「――終わったな」

「赤ん坊は無事?」

「あぁ。母親に抱かれているよ」

 

 やって来た慧音の目線を追えば、大木の下で母親が赤子を抱いて咽び泣いているのが見える。

 

 本当に、それだけ泣くほど大事なら、もう手放しちゃ駄目だよ。

 

「彼女たちの事は、私に任せてくれ。決して悪いようにはしないと誓おう」

「そう、だったらお願いするわ」

 

 人里で起こった人間の問題は、人里の者たちが解決すべきだ。人里に住まない部外者の私や魔理沙は、関わったとしても立ち入るべきではない。

 

 とりあえず、人形たちに魔理沙を運ばせて、慧音たちを人里に送り届けて、それから――

 あぁでも、結局魔理沙が何で私に怒ったのかは、解らずじまいで終わっちゃったなぁ。後で聞いても答えてくれないだろうし……何だかなぁ。

 

 久々に使った思考加速の影響で、軽い眩暈と頭痛に苛まれながら、色々と思考を脱線しつつ残された雑事を考えていく私。

 長い長い、たった二日間の出来事。小さな異変「アリスの赤ん坊預かり事件」は、こうして割とめでたしめでたしで幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 事件から数日後、関係がぎくしゃくするのも嫌なので魔理沙と何か話をしようと探してみれば、何と白黒の魔法使いはあの時の大木の下で、あの赤子を両手に抱いているではないか。

 

「おっと。今回はちゃんとこの子の母親から「霧雨魔法店」に頼まれた、正式な依頼だぜ?」

 

 驚く私に向けてニヒルに笑い、帽子のつばを人差し指で持ち上げる魔理沙は、その後にあった事情を説明してくれた。

 何でも、慧音が伝手を使って方々へと尋ねた結果、あの母親の就職先が決まったらしい。

 独り立ちを目標に実家から出た若者たちの下宿先、「秋桜荘」で大家見習いとしての住み込みの仕事だそうだ。

 今の大家さんが高齢の女性で、身寄りもなく後継者を探していたというから、渡りに船だ。

 一日でも早く仕事を覚えて子育てと両立する為に、今は先代からの修行に専念したいと、一時的に魔理沙へこの子を預けているのだそうだ。

 美人で金髪の未亡人という、かなりの属性を盛り込んだ彼女が運営する下宿なら、きっと余裕で満室契約がなされるだろう。

 

「今度は、ちゃんと返すのよ。魔理沙」

「ふん、お前は本当にイヤな奴だぜ。お前もそう思うよなー、有沙(ありさ)?」

 

 軽く皮肉を言えば、魔理沙は憮然とした表情をした後、金髪の赤子を正面に持って来て私の悪口を言い始めた。

 アリサ――本来この子には、別の名前が付けられていたらしい。だが、母親が私と魔理沙に強い感銘を受けて、二人の名前から文字を取って改名したのだそうだ。

 何だかくすぐったいが、嬉しくもある。

 

「――なぁ、アリス」

「何?」

 

 こちらを向かず、魔理沙が言い辛そうに話を切り出した。

 

「――私はさ、この子とは違ってちゃんと私の意志で親を捨てたぜ」

 

 うん、知ってる。それがどうしたの?

 

 魔理沙の親元は、人里で「霧雨店」という相当大規模な道具屋を営んでいる。

 詳しい事情は知らないが、あの店は魔法に関する道具を扱っていないので、その辺りが関係しているだろうとは原作公式資料での見解だ。

 今は絶縁状態にあるという親から、魔理沙が家族の縁を断ち切ってまで離れるには、彼女がそれなりに成長した後でなければ不可能だ。

 しかし、それを私に伝えて一体どうしたいのだろうか。

 

「貴女が頑張っているのは、ちゃんと知っているわ」

「気軽に頭撫でるなよ! 子供扱いするな!」

 

 多分違うだろうとは思ったが、やはり褒めて貰いたかったわけではないらしい。

 

 む、難しい。

 思春期の女の子って、本当に難しい。

 どうすりゃ良いのさ。

 

 へそを曲げて、そっぽを向いてしまった魔理沙の機嫌を直そうと、座っている彼女の三角帽子を自然な動作で外しながら、正面からその頭を私の胸へと抱き寄せる。

 

「私は、貴女の事大好きよ」

 

 無表情がデフォルトで、言葉にしなければ想いが伝わらないのなら、こうして言葉と態度で示せば良い。

 

 届け、私のラブ注入!

 

「~~~~っ!」

 

 案の定というか、顔を真っ赤にした魔理沙が私を突き飛ばし、三角帽子を被りなおして傍に置いていた箒に跨ると、抱えた赤ちゃんと共にふわりと浮かび上がった。

 

「私は、アリスの事なんてだいっきらいだよ!」

 

 魔理沙。そんな赤ら顔で言われても、ツンデレにしか聞こえないぞ。

 自宅にお邪魔しても普通に上げてくれるし、本気で嫌われてはいないと思うんだけど……うーむ、ちょっと直球過ぎたか。

 反省、反省。

 

 まばらに雲の浮かぶ、夏の広い空へと飛び去っていく魔理沙を視線で追いながら、私は今度こそ事件の解決を確信していた。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 文に割られた私の家の窓ガラスは、その後きちんと妖怪の山の組織に請求書を送っておいた。

 山の幸と修理代金を持った初めて見る顔の白狼天狗が、一体何を吹き込まれたのか名前の通り顔面蒼白で土下座に来るという文からの嫌がらせを受け、後日、逃げるマスゴミ烏を全力で追い回すのは、どうでも良い蛇足である。

 




はいはい、大好き大好き。
シリアスを入れようとすると、どうしても無駄に話が長くなってしまいます。しかも冗長。
あぁ、文才が欲しい。

とりあえず十話という、個人的目標達成です。
やったね!

次回は咲ぽきゅん。
私の最も苦手なジャンル、アダルト路線で攻えたい気分。
予定は未定です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。