ゼロの龍   作:九頭龍

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喋る剣


第6話

 瞼に当たる日の光を感じ、キュルケは昼前に目覚めた。今日は虚無の曜日の為たっぷりと睡眠が取れた。

 まだ眠気眼のまま窓を眺めて、窓ガラスが入っていない事に気がつく。周りが焼き焦げている。

 しばらくまだ回らない頭で考えてから、欠伸を漏らしながら一人納得する。

 

「そうだわ、ふぁ、いろんな連中が出てきて吹っ飛ばしたんだっけ」

 

 窓の事などまったく気にしない様子でベットから滑り降り、ベビードールから服に着替えて化粧を始める。

 頭に昨日の桐生の顔が浮かび、それだけでウキウキしてしまう。せっかくの休みを彼と過ごしたい一心で、いつも以上に念入りに化粧を施す。

 化粧を終え、自分の部屋を出てからツカツカとルイズの部屋の前に行き、扉をノックする。

 その後、キュルケは笑みを浮かべながら頭の中でシチュエーションを描く。

 桐生が扉を開けたら、いきなり抱き付く。

 ルイズが扉を開けてきたら……その時は、そうね、部屋の奥にいるであろう桐生に視線でアプローチをかけるとしましょう。

 昨日、キュルケは生まれて初めて自分の求愛を断られた。だからこそ、興味が湧いた。学園の周りにいる男で自分の求愛を断る様な輩はいなかったからだ。

 別にプライドを踏みにじられた、と言う訳ではない。明らかに女の扱いに慣れてる様な物言いの桐生に、異性として興味があるのだ。

 しかし、ノックの返事はない。思わずドアノブに手をかけて回すと鍵がかかっていた。

 キュルケはなんの躊躇いもなく、ドアに「アンロック」の呪文をかけた。鍵が開く音がする。本来なら、学園内で「アンロック」の呪文を唱える事は、重大な校則違反に当たるのだがキュルケは気にしない。

 恋の情熱は全てのルールや法律を超越する、と言うのがツェルプストー家の家訓なのだ。

 しかし、残念ながら部屋に二人の姿はなかった。

 キュルケはつまらなそうにルイズの部屋を見回した。

 

「相変わらず色気のない部屋ね……。こんなんじゃ男の子を呼んでも息を詰まらせるだけじゃない」

 

 ふと、キュルケはルイズの鞄がない事に気付く。虚無の曜日なのに、鞄がないと言うことはどこかに出掛けたのだろうか。

 窓から体を出して外を見回して見る。

 門から馬に乗って出て行く二人の姿が見えた。目を凝らして見る。

 それは、やはりと言うか、ルイズと桐生であった。

 

「なによぉ、出掛けるの?」

 

 キュルケは残念そうに呟いてから、ルイズの部屋を飛び出した。

 

 

 タバサは寮の自分の部屋で、読書を楽しんでいた。青みかがった髪と、サファイアを思わせる様なブルーの瞳を持つ彼女は、メガネの奥でキラキラと海の様に目を輝かせて本の世界に没頭していた。

 タバサはその小柄な体から、実年齢より四つも五つも若く見られる事が多い。身長は小柄なルイズよりも五センチも低く、身体もまるで病弱なのかと思わせる程細いからだ。しかし、本人はまったくその事を気にしていない。

 他人からどう思われる事よりも、とにかく放っておいて欲しい、と考えるタイプなのである。

 タバサは虚無の曜日が好きだった。誰にも邪魔されずに、自分の好きな世界に没頭出来るからだ。彼女にとって他人は、自分の世界に対する無粋な闖入者でしかないのだ。自分が信頼したり、必要と思う人間でも、よほどの時でなければ鬱陶しく感じるのだった。

 その日も、どんどんとドアが叩かれたのでタバサはとりあえず無視する。

 一瞬の静寂の後、今度は激しくドアが叩かれ始めた。

 タバサは立ち上がらず、面倒くさそうに眉をひそめてから小さな唇を動かしてルーンを呟き、机に立てかけてあった自分の身長よりも大きい杖を振るった。

 「サイレント」、風属性の魔法である。「サイレント」がかけられたタバサの部屋の中は無音が支配し、恐らくまだ叩いているであろうドアのノックの音もかき消えた。

 タバサは風属性の魔法を得意とするメイジなのである。「サイレント」によって、彼女の集中を妨げる騒音は消え去った。

 タバサは満足して再び本に集中し始めた。その間、表情はぴくりとも変わらない。

 しかし、ドアは勢い良く開かれた。タバサは闖入者に気付いたが、本からは目を離さない。

 入ってきたのはキュルケだった。彼女は二言、三言、大袈裟な素振りで何かを喚いたが、「サイレント」の呪文が効果を発揮している為、その声はタバサに届かない。

 キュルケはタバサの本を取り上げた。そして、タバサの肩を掴んでこちらに振り向かせる。タバサは無表情のままキュルケの顔を眺めている。その表情から感情は読み取れないが、歓迎していない事は確からしい。

 本来なら、自分にこんな振る舞いをする輩は「ウィンド・ブレイク」で吹き飛ばして、部屋から追い出す所なのだが、相手は友人であるキュルケだ。タバサの中で心を許せる数少ない例外の一人である。

 仕方なく、タバサは「サイレント」の魔法を解除する。

 いきなりスイッチを入れたオルゴールの様に、キュルケの口から言葉が飛び出した。

 

「タバサ! 今から出掛けるわよ! 早く支度をしてちょうだい!」

 

 タバサは短くボソッとした声で自分の都合を興奮気味の友人に伝える。

 

「虚無の曜日」

 

 それでわかるでしょ、と言わんばかりに、タバサはキュルケから本を取り返そうと手を伸ばす。キュルケは高く本を掲げてそれを阻止する。背の高いキュルケがそうするだけで、タバサの手は本に届かない。

 

「わかってるわ。あなたにとって虚無の曜日がどんな日か、あたしは痛いほどよくわかってる。でも、今はね、そんな事言ってられないの! 恋なのよ! 恋!」

 

 今度はキュルケがそれでわかるでしょ、と言わんばかりの態度を取ったが、タバサは首を振った。キュルケは感情で動くが、タバサは理屈で動く。どうにも対照的な二人であるが、そんな二人は何故か仲が良い。

 

「そうね。あなたは説明しなくちゃ動かないのよね。ああ、もう! あたしね、恋をしたの! でね? その人が今日、あのにっくいヴァリエールと出掛けたの! あたしはそれを追って、二人がどこに行くのか突き止めなきゃいけないの! わかった?」

 

 タバサはなおも首を振る。事情はわかったが、どうして自分も一緒に行かなきゃならないのか、理由がわからなかったからだ。

 

「馬に乗って出掛けたのよ! あなたの使い魔じゃなきゃ追いつけないの! お願い! 助けて!」

 

 キュルケはタバサに泣きついた。

 タバサは自分の使い魔じゃなきゃ追いつけないと合点がいき、ようやく頷いて見せた。

 

「ありがとう! じゃあ、追いかけてくれるのね!?」

 

 タバサは再び頷いた。キュルケは友人だ。その友人が、自分でなくては解決出来ない問題を持ち込んだ。ならば仕方ない。面倒ではあるが、受けてあげよう。

 タバサは窓を開け、口笛を吹いた。

 ピューっと甲高い口笛の音が、青空に吸い込まれる。

 それから、窓枠によじ登り、外に向かって飛び降りた。

 何も知らない人間が見たら、頭がおかしくなったとしか思えない行為だが、キュルケはまったく動じず、タバサに続いて窓の外へ身を踊らせた。ちなみに、タバサの部屋は五階にある。

 タバサは外出の際あまりドアを使わない。こっちの方が早いからである。

 落下する二人をその理由が受け止めた。

 力強く両の翼を陽光にはためかせ、二人をその背に乗せて、ウィンドドラゴンが飛び上がった。

 

「いつ見ても、あなたのシルフィードは惚れ惚れするわ!」

 

 キュルケが突き出た背びれに捕まり、感嘆の声を上げた。

 タバサの使い魔は、ウィンドドラゴンの幼生なのだ。

 タバサから風の妖精の名を授かったその風竜は、寮塔に当たって上空に抜ける上昇気流を器用に捉え、一瞬で二百メイルも空を駆け上った。

 「どっち?」とタバサが短くキュルケに尋ねる。

 

「わかんない……慌ててて」

 

 申し訳なさそうに言うキュルケに、タバサは別に文句を付けるでなく、ウィンドドラゴンに命じる。

 

「馬二頭。食べちゃ、駄目」

 

 ウィンドドラゴンは短く鳴いて了承の意を主人に伝えると、青い鱗を輝かせながら力強く翼を振る。

 高空に上り、人間の何十倍も良い視力で走る馬を見つけるなど、この風竜にはたやすい事であった。

 自分の使い魔が仕事を始めたのに満足すると、タバサはキュルケから本を取り返し、尖った風竜の背びれにもたれて再びページを捲り始めた。

 

 

 トリステインの城下町を、ルイズと桐生が歩いていた。魔法学園からここまで乗ってきた馬は町の門のそばにある駅に預けてある。桐生は少し腰を痛めながらひょこひょこ歩く。なにせ、生まれて初めて馬に乗ったのだ。

 そんな桐生を、ルイズはしかめ面を見つめた。

 

「情けないわね。馬にも乗った事がないなんて……これだから平民は……」

 

「俺の所じゃあ、移動に馬を使わなかったんだ。仕方ないだろ」

 

 溜め息混じりに肩を落とすルイズに、桐生はなんとか痛みを抑えて言い返す。

 桐生は周りを見回した。白い石造りの町は、まるでテーマパークの様だ。魔法学園に比べると、質素ななりの人間が多い。

 道端で声を張り上げ、果物や肉、籠などを売る商人達の姿が、その場の活気を更に盛り上げる。

 のんびり歩いたり、急いでるやつがいたり、老若男女取り混ぜ歩いている光景は神室町と同じだが、如何せん通りが狭い。

 

「狭いな」

 

「狭いって、これでも大通りなんだけど?」

 

「これでか?」

 

 道幅は五メートルもない。そこを大勢の人が行き来するものだから、歩くのも一苦労だ。神室町の天下一通りが懐かしい。

 

「ブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。この先にトリステインの宮殿があるわ」

 

「宮殿にいくのか?」

 

「女王陛下に拝謁してどうすんのよ」

 

「そうだな……使い魔にももっといい食事を、とでも言ってみるか」

 

 桐生がそう言ったら、ルイズが笑った。

 道端には露店が溢れている。桐生は思わず時折足を止めては、店の品物を眺めていた。そんな事を繰り返していると、ルイズに服の袖を引っ張られた。

 

「ほら、寄り道しない! スリが多いんだから! あんた、上着の中の財布は大丈夫でしょうね?」

 

 ルイズは財布は下僕が持つものだ、と言って財布をそっくり桐生に持たせていた。中にはぎっしり金貨が詰まっていて、ずっしりとした重さがあった。

 

「大丈夫だ。まぁ、こんな重いのスったら、逃げんのも大変だろうがな」

 

「魔法を使われたら、一発でしょ?」

 

 ルイズが呆れた声で言ったが、周りにはメイジらしい姿の人間がいなかった。桐生は魔法学園で過ごすうちに、貴族と平民の見分け方を独自ながら学んだ。まず、メイジはマントを羽織っている。あと、歩き方が勿体ぶった感じなのだ。ルイズ曰わく、それが貴族の歩き方らしい。

 

「見た限り、普通の奴しかいない様だが?」

 

「だって貴族は全体の人口の一割しかいないのよ。あと、こんな下賎な所、滅多に歩かないわ」

 

「貴族でもスリなんてするのか?」

 

「貴族は全員がメイジだけど、メイジの全てが貴族と言うわけではないの。いろんな事情で勘当されたり、家が没落したり、当主の次男坊や三男坊が身をやつして傭兵や犯罪者になったりしてる事もあるのよ」

 

「貴族には貴族の事情があるのか……」

 

 ルイズの話を聞いて、桐生は自分の世界でも起こる犯罪の経緯が似てる部分がある事に溜め息を漏らした。

 道を歩いて物珍しそうに店の看板を眺める桐生に、ルイズは田舎者丸出しね、と心の中で笑いながら裏路地に入った。

 悪臭が二人の鼻をつく。ゴミや汚物が、道端に転がっている。

 

「汚ぇな……」

 

「だからあんまり来たくないのよ」

 

 鼻を押さえながらルイズが忌々しそうに呟く。

 しばらく歩くと四辻に出た。ルイズはそこで足を止め辺りをきょろきょろと見回した。どうやらこの近くに目的の店があるらしい。

 桐生はいつでも動ける様に気を張っていた。裏路地からこちらを見ている薄汚いなりの男達が所々見える。もし追い剥ぎでもしようものなら拳をおみまい出来る様にグッと拳を握り締める。

 ルイズはそんな桐生に気付かず、一枚の銅の看板を見つけ、嬉しそうに呟いた。

 

「あ、あったわ」

 

 見ると、剣の形をした看板が下がっていた。そこがどうやら、武器屋らしい。

 ルイズと桐生は、石段を上り、羽扉を開けて店の中に入っていった。

 店の中は昼間だと言うのに薄暗く、ランプの灯りが灯っていた。壁や棚に、所狭しと剣や槍が乱雑に並べられ、立派な甲冑が飾られていた。

 店の奥で、パイプをくわえている五十がらみの親父が、入ってきたルイズを胡散臭そうに見つめた。紐タイ留めに描かれた五芒星に気付く。それからパイプを口から離し、ドスの利いた声を発した。

 

「旦那、貴族の旦那。うちゃあ真っ当な商売をしておりますぜ? お上に目を付けられる様な事ぁ、何一つありませんぜ」

 

 ルイズは短く、「客よ」と腕を組んで言った。

 

「こりゃあおったまげた。貴族が剣を! おったまげた!」

 

「どうして?」

 

「いえ、若奥様。坊主は聖具を振る、兵隊は剣を振る、貴族は杖を振る、そして陛下はバルコニーからお手を振るうってのが相場と決まっておりますんで」

 

「使うのは私じゃないわ。使い魔よ」

 

「忘れておりました。昨今の貴族の使い魔は剣も振る様で」

 

 主人は商売っ気たっぷりに愛想笑いを浮かべて言う。それから桐生の事をじろじろと眺めた。

 

「剣をお使いになるのは、この方で?」

 

 ルイズは頷いた。

 桐生は腕を組んで二人の会話を聞いていた。

 主人は見慣れない桐生の格好に訝しげに眉をひそめてから、奥の倉庫へと消える。その時、彼は聞こえない様小声で言った。

 

「こりゃ鴨がネギしょってやってきたわい。せいぜい高く売りつけるか」

 

 彼は一メイル程の長さの、細身の剣を持って現れた。

 随分と華奢な剣である。片手で扱う物らしく、短めの柄にハンドガードが付いている。

 主人は思い出す様に言った。

 

「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たせるのが流行っておりやしてね。その際お選びになるのが、この様なレイピアでさぁ」

 

 なるほど、煌びやかな模様や装飾が付いていて、貴族には似合いの綺麗な剣だった。

 

「貴族の間で、下僕に剣を持たせるのが流行ってる?」

 

 ルイズが尋ねると、主人はもっともらしく頷いた。

 

「へぇ、なんでもここ最近、このトリステインの城下町を盗賊が荒らしておりやして……」

 

「盗賊?」

 

「そうでさ。なんでも「土くれ」のフーケとかいう、メイジの盗賊が貴族のお宝を次々盗みまくってるって噂で。貴族の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせる始末でして、へぇ」

 

 ルイズは盗賊には興味がないのでじろじろと剣を観察した。しかし、すぐに折れてしまいそうな程細い刀身は、桐生にどうも似合いそうにない。

 

「もっと大きくて太いのがいいわ」

 

「へぇ、かしこまりやした」

 

 ルイズの注文に主人はぺこりと頭を下げて奥へ消えた。

 主人は二人に見えぬ様ガッツポーズを取る。このレイピアはそこそこ値段はするが、更に太い剣となるとより高価に売りつける事が出来るからだ。

 今度は立派な剣を油布で拭きながら、主人が現れた。

 

「若奥様、これなんて如何でしょう?」

 

 見事な剣だ。一・五メイルはあろうかという大剣で、柄は両手で扱える様に長く、立派な拵えである。所々に宝石が散りばめられ、鏡の様に両刃の刀身が光っている。見るからに切れそうな、頑丈な大剣であった。

 

「店一番の業物でさぁ。貴族のお供をさせるなら、このぐらいは腰から下げてて欲しいもんですな」

 

 桐生も近寄ってその剣を眺める。

 

「ほぉ……見事な作りだな」

 

 宝石等が少々うざったく感じながらも、桐生も褒めの言葉を漏らす。

 桐生が気に入ったのを見て、ルイズはこれでいいだろうと思った。店一番と親父が太鼓判を押したのも気に入った。貴族はとにかく、なんでも一番でないと気が済まないのである。

 

「これ、おいくら?」

 

 ルイズが主人に尋ねた。

 

「何せこいつを鍛えたのは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかってるから鉄だって一刀両断でさぁ。ご覧下せぇ。ここにその名が刻まれておりやしょう? お安かぁありませんぜ?」

 

 主人は勿体ぶって柄に刻まれた文字を指差した。

 

「私は貴族よ」

 

 ルイズも胸を反らせて言った。主人は淡々と値段を告げる。

 

「エキュー金貨で二千、新金貨なら三千でさぁ」

 

「立派な家と、森付きの庭が買えるじゃないの」

 

 ルイズは呆れてしまった。桐生はこの世界の相場と貨幣価値がわからないので黙っているが、ルイズの言葉から半端な値段ではないのを察した。

 

「名剣は城に匹敵しますぜ? 屋敷で済んだら安いもんでさぁ」

 

「新金貨で百しか持ってきてないわ」

 

 ルイズは貴族なので、買い物の駆け引きが下手くそだった。呆気なく財布の中身をバラしてしまう。主人は話にならない、とばかりに手を振って見せた。

 

「まともな大剣なら、どんなに安くても相場は二百でさぁ」

 

 ルイズは顔を赤くした。剣がそんなに高いなんて知らなかったのだ。

 

「流石に、これは無理か」

 

 二人の会話を聞いていた桐生が剣を撫でてルイズに振り向く。

 

「そうね。買えるのにしましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

 ルイズの言葉に頷くと、桐生は乱雑に積まれ、並べられた剣を眺め始めた。

 ルイズは心の中で恥ずかしさを感じて歯軋りしていた。普段桐生に貴族だとえばっていたのに、これでは格好もつかない。更にルイズに恥ずかしさを感じさせるのは、その事を桐生が一切責めて来ない事だった。いっそ、「貴族のくせに」、とでも言われた方が言い返せるものなのに。

 桐生は並べられた剣の一つを取り、しばらく眺めてから元に戻そうとすると、

 

「さっきから剣なんざ眺めやがって……おめぇみてぇな大男は棍棒がお似合いだぜ」

 

 と低い、男の声が聞こえた。主人の声ではない。桐生が声のする方に振り向く。が、そこには乱雑に積まれた剣の束しかない。

 

「さっさと帰っちまいな。おめぇもだ、貴族の娘っ子」

 

「失礼ね!」

 

 突然聞こえた声に呆気にとられていたが、今度は自分が言われたのを聞いてルイズが声を張り上げる。

 桐生はつかつかと声のする方に向かって辺りを見回す。やはりどこにも人影がない。また、隠れられそうな場所もない。

 

「妙だな……誰もいないんだが……」

 

「おめぇの目は節穴か!」

 

 桐生は思わず後ずさる。なんと、声の主は一本の剣であった。錆の浮いたボロボロの剣から、声が発せられているのである。

 

「驚いた……こっちには喋る剣まであるのか」

 

桐生がそう言うと、主人が怒鳴り声を上げた。

 

「やい! デル公! お客様に失礼な事を言うんじゃねぇ!」

 

「デル公?」

 

 桐生はその剣を取ってまじまじと眺めてみる。先程の大剣と長さは変わらないが、刀身が片刃で細い。薄手の長剣である。ただ、表面には錆が浮き、お世辞にも見栄えがいいとは言えなかった。

 

「お客様? はっ! まともに買い物出来なさそうなおのぼりさんがお客様だぁ? ふざけんじゃねぇよ! 顔出せや! 耳ちょんぎってやらぁ!」

 

「それって、インテリジェンスソード?」

 

 ルイズが当惑した声を上げる。

 

「そうでさぁ、若奥様。意志を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさぁ。一体、どこの魔術師が始めたんですかねぇ……剣を喋らせるなんざ。とにかくこいつはやたらと口は悪いわ、客に喧嘩売るわで閉口しておりやして……。やい、デル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでてめぇを溶かしちまうからな!」

 

「おもしれぇ! やってみろ! どうせこの世にゃあもう、飽き飽きしてた所なんだ! 溶かしてくれんなら、上等だ!」

 

「やってやらぁ!」

 

 とうとう主人も堪忍袋の緒が切れたのか、つかつかと剣を持つ桐生に近寄る。すると、桐生がそれを遮った。

 まじまじと剣を眺め、刃に指を走らせる。小さな切り傷が指の腹にでき、血が滲む。

 

「お前、デル公って言うのか」

 

「ちがわぁ! デルフリンガー様だ! 置きやがれ!」

 

「名前だけは一人前でさぁ」

 

「俺は桐生一馬だ。よろしくな」

 

 切れた指をくわえながら桐生が言うと、剣が黙った。まるでじっと、桐生を観察するかの様に押し黙った。

 それからしばらくして、剣は小さな声で喋り始めた。

 

「こいつはおでれぇた。見損なってた。てめ、「使い手」か」

 

「「使い手」?」

 

「自分の実力も知らねぇのか。まぁいい。てめ、俺を買え」

 

「ああ、買うぜ」

 

 桐生が頷いて見せると、再び剣が押し黙った。

 

「ルイズ、これにするぜ。」

 

 ルイズは嫌そうな声を上げた。

 

「ちょっと、そんなのにするの? もっと綺麗で喋らない剣にしなさいよ」

 

「いいじゃねぇか。喋る剣なんて面白い。それに……」

 

「それに?」

 

 ルイズの質問に桐生が剣を掲げて見せる。錆の浮いた刀身はやはり見栄えが良くなく、ルイズとしては貴族である自分の使い魔が、こんな薄汚い剣をぶら下げるのは少々抵抗があった。しかし、そんなルイズとは対照的に、桐生は静かな笑みを浮かべながらその薄汚い刀身を眺める。

 

「この刃の形……俺の国の剣と似てるんだよ。だから気に入った」

 

 片刃の刀身は、なるほど、桐生の国、日本で作られている刀に似ていた。

 そんな事を知らないルイズはイマイチ納得がいかなかったが、他に買えそうな剣もないので主人に尋ねた。

 

「あれ、おいくら?」

 

「あれなら、百で結構でさぁ」

 

「安いじゃない?」

 

「こっちからしてみりゃ、厄介払いみたいなもんでさぁ」

 

 主人は手をひらひらと振った。

 桐生は上着のポケットからルイズの財布を取り出すと、中身をカウンターにぶちまけた。金貨がじゃらじゃらと派手な音を立てて落ちる。主人は慎重に枚数を確認してから頷いた。

 

「毎度、ありがとうごぜぇやす」

 

 剣を取って鞘に収めると、桐生に手渡した。

 

「どうしても煩く感じたら、こうやって鞘に入れれば大人しくなりまさぁ」

 

 桐生は頷いて、デルフリンガーと言う名前の剣を受け取った。

 

 

 武器屋から出てきた桐生とルイズを、見つめる二つの影があった。キュルケとタバサである。キュルケは、路地の陰から二人を見つめると、ギリギリと唇を噛み締めた。

 

「「ゼロ」のルイズったら、剣なんか買って気を引こうとしちゃって。あたしが狙ってるってわかったら早速プレゼント攻撃? なんなのよぉ!」

 

 キュルケは地団駄を踏んだ。タバサはもう自分の仕事は終わったとばかりに、本を読んでいる。ウィンドドラゴンのシルフィードは高空をぐるぐる回っている。なんなくルイズと桐生の馬を見つけた一行は、ここまで後を付けてきたのである。

 キュルケは二人が見えなくなった後、武器屋の戸をくぐった。主人が入ってきたキュルケを見て目を丸くする。

 

「こりゃおったまげた! また貴族だ!」

 

「ねぇ、ご主人?」

 

 キュルケは髪をかきあげ、色っぽく笑った。むんとする色気に押され、主人は思わず顔を赤らめる。自分よりも遥かに年下であろう少々から発せられる色気が、熱波の様に襲ってくる様だ。

 

「今の貴族が、何を買っていったかご存知?」

 

「へ、へぇ。剣でさぁ」

 

「なるほど、やっぱり剣なのね……。どんな剣を買っていったの?」

 

「へぇ、ボロボロの大剣を一振り」

 

「ボロボロの? どうして?」

 

「生憎、持ち合わせがなかった様で。へぇ」

 

 キュルケは手を顎の下に構え、おっほっほ! と大声で笑った。

 

「貧乏ね! ヴァリエール! 公爵家が泣くわよ!」

 

「若奥様も、剣をお買い求めで?」

 

 主人は商売のチャンスとばかりに身を乗り出した。今度の貴族の娘は、どうやらさっきのやせっぽちに比べて、胸も財布の中身も豊富な様だ。

 

「ええ、見繕ってくださいな」

 

 主人は揉み手をしながら奥へ消えた。そして持って来たのは、なんと先程ルイズと桐生に持って来て見せた物と同じ立派な剣だった。

 

「あら、綺麗な剣じゃない」

 

「若奥様、流石お目が高くていらっしゃる。この剣は、先程の貴族のお連れ様が欲しがってたもんでさぁ。しかし、お値段の加減が釣り合いませんで。へぇ」

 

「それ、本当?」

 

 貴族のお連れ様? と、言うことは桐生が欲しがっていた物だろう。

 

「左様で。何せこいつを鍛えたのは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかってるから鉄だって一刀両断でさぁ。ご覧なさい、ここにその名が刻まれているでしょう?」

 

 主人は先程ルイズと桐生に言ったのと同じ商売文句を言った。

 キュルケは納得した様に頷いて見せる。

 

「おいくらかしら?」

 

 主人はキュルケを値踏みした。どうやら先程の貴族よりも羽振りは良さそうだ。

 

「へぇ。エキュー金貨で三千。新金貨で四千五百でさぁ。」

 

「ちょっと高くない?」

 

 キュルケの美しい眉が上がった。

 

「へぇ、名剣は釣り合う黄金を求めるもんでさぁ」

 

 キュルケはちょっと考え込むと、主人の顔に自分の体を近付けた。

 

「ご主人……ちょっとお値段が張りすぎじゃございませんこと?」

 

 無精髭の生えた顎の下をキュルケの手で撫でられて、主人は呼吸が出来なくなった。

 今までに感じたことのない物凄い色気が、親父の脳髄を駆け巡る。

 

「へ、へぇ……名剣は……」

 

 キュルケはカウンターの上に腰掛けた。左の脚を持ち上げる。

 

「お値段、張りすぎじゃ、ございませんこと?」

 

 熱い吐息混じりに囁く様に更に言葉をかける。そのままゆっくりと、投げ出した脚をカウンターの上に乗せた。主人の目は、キュルケの褐色の太股に釘付けになる。

 

「さ、左様で? では、新金貨で四千……」

 

 キュルケの脚が、更に持ち上がった。太股の奥が、見えそうになる。

 

「いや! 三千で結構でさぁ!」

 

「なんか暑いわね……」

 

 キュルケは答えずに、シャツのボタンを外し始めた。

 

「シャツ、脱いでしまおうかしら……よろしくて? ご主人」

 

 主人に熱っぽい流し目を送る。

 

「お、おおお、お値段を間違えておりやした! 二千で! へぇ!」

 

 キュルケは答える代わりにシャツのボタンを一つ外した。

 それから勿体ぶった様に、主人の顔を見上げる。

 

「千八百で! へぇ!」

 

 再び、一個ボタンを外した。キュルケの発育のいい、豊満な胸の谷間が露わになる。それからまた主人の顔を見上げた。

 

「千六百で! へぇ!」

 

 キュルケはボタンを外す手を止め、今度はスカートの裾を持ち上げ様とした。

 その指が突然止まり、主人が情けない顔でキュルケの顔を見る。

 

「千よ」

 

 キュルケは言い放ち、再びするするとスカートの裾を持ち上げる。主人は鼻息を荒くしてそれを見つめた。

 その指が、再び下着が見えかねない高さで止まる。主人はたまらず、悲しそうな声を漏らした。

 

「あ、ああ……!」

 

 キュルケはスカートの裾を戻し始めた。そして、希望の値段を繰り返し告げる。

 

「千」

 

「へぇ! 千で結構でさぁ!」

 

 キュルケはにこっと笑顔を浮かべ、カウンターからすっと降りるとさらさらと小切手を書いた。

 それをカウンターに叩きつける。

 

「買ったわ」

 

 そして剣を掴むと、さっさと店を出て行った。

 主人は呆然として、カウンターの上の小切手を見つめていた。

 そして急激に冷静さを取り戻し、頭を抱える。

 

「あの剣を千で売っちまったよ!」

 

 我ながら、男とはなんて馬鹿なんだと思いながら、主人は引き出しから酒壜を取り出した。

 

「ええい! やってらんねぇぜ! くそったれが! 今日はもう閉店だ!」

 

 

 買い物を終えた桐生とルイズは、来た道を戻る様に大通りを歩いていた。

 ルイズはさっきから機嫌が悪そうにぶつぶつ文句を言っている。どうやら桐生の選んだデルフリンガーの外見が気に入らない様だ。

 桐生はデルフリンガーの鞘の中央を左手で持ちながら、目の前を歩くルイズについて行っている。

 突然、ルイズが振り向き、桐生の手に握られたデルフリンガーを訝しげに眺めて大きな溜め息をついた。

 

「やっぱり……きったないわね」

 

「まぁ、そう言うなよ。指先で試したが、切れ味は本物だ」

 

「そういう問題じゃないの! あのね、貴族の使い魔なんだからそれなりに見栄えを良くして貰いたいの! 大体あんた、服だっておかしいじゃないの!」

 

「そうか? 気に入ってるんだがな」

 

 剣のついでに自分の服装を指差された桐生は自分の着ているスーツとシャツを交互に見る。長年このスタイルで来ている為、全く違和感を感じない服装なのだ。

 ルイズはまだ何か言いたげだったが、そんな気力も切れたのだろう。再び歩き始めた。

 桐生も歩き出そうとした時、突然背後から女性の悲鳴が聞こえた。ルイズも桐生もそちらを振り向く。

 見ると若い女性が倒れていて、その女性の物であろう鞄を持った、ターバンで顔を隠した二人組の男がこちらに向かって走ってくる。

 

「ひったくりよ! 捕まえて!」

 

 女性が大声で叫ぶが、あまりにも突然の事に道を歩く人は驚いた様に振り返るだけで二人組に押しのけられてしまう。

 こちらに向かっているのがわかった桐生は、道の真ん中に立って二人組を睨み付ける。

 

「どけぇ! おっさん!」

 

 鞄を持った前を走る男が怒声をあげながら、スピードを緩めず向かってくる。

 桐生はふぅっ、とまるでリラックスする様に溜め息をついた後、鋭い前蹴りを男の腹に打ち込む。

 桐生の蹴りの射程圏内に入った男の腹に深々と脚がめり込み、目をぐるんと回してその場に男が倒れ込む。

 とっさの事に反応出来ないルイズを横目に、手からこぼれた鞄を掴み取ると、もう一人の男が桐生の前に立ち止まる。

 

「なにしてくれてんだぁっ!? おっさん!?」

 

 怒りを剥き出しにして桐生を睨み付ける男。しかし桐生は動じる事もなく、鞄をルイズに投げ渡す。

 

「俺はてめぇ等みてぇなチンケな野郎が嫌いなんだ。そこの伸びてるのを連れて、さっさと行け」

 

「ふざけんなぁ! ぶち殺されてぇか!?」

 

 桐生の言葉に男はポケットからナイフを取り出す。刀身が太陽に照らされ鈍い光を放っている。

 周りの通行人も息を飲みながら後ずさる。ルイズも初めてちらつかされたナイフに不安が隠せない。息を飲んで桐生と男を交互に見つめる。

 

「そんな(もん)取り出すなら……遊びじゃ済まねえぞ?」

 

「うるせぇ! こちとら何人もこれでぶった斬ってんだ! 殺されたくなけりゃそのガキに渡した鞄こっちに寄越せ!」

 

 しっかりとナイフを握り、男はその刃先を桐生に向ける。

 ルイズはすかさず杖を引き抜こうとするも、自分の魔法の才能の無さに呪文を唱えた後の恐怖がよぎって手が止まってしまう。万が一、自分の失敗で桐生にもしもの事があったらと考えると、迂闊に杖を抜けない。

 

「そうか……なら好都合だな」

 

 一瞬の沈黙の後、桐生がデルフリンガーの柄に手をかけ始める。

 相手の獲物が自分のナイフより長いのを確認し、男の顔が一瞬困惑した色をしたのを見逃さない。

 

「俺は今日剣を買って貰ったばかりでな……この剣の切れ味がいまいちわかんねぇんだ。お前で試させて貰うぜ……」

 

 そう言って、男の方へ一歩歩み寄る。

 男はそんな桐生に笑い声をあげた。

 

「はははっ! てめぇ、人斬った事あんのか!? 初めてだっつうんなら、止めーー」

 

「うるせぇよ」

 

 もう一歩、桐生の足が男に近づく。笑い声を遮り、静かな表情で剣を握る姿には妙な迫力がある。

 男の方もナイフをしっかり構え、桐生の間合いを確認する。

 

「逆に聞くが……お前、斬られた事はあんのか?」

 

「なに……!?」

 

 桐生の質問に男が戸惑った様な態度を表す。そんな男に桐生は容赦なく間合いを詰め、デルフリンガーの切っ先が届く距離まで近付いていく。

 

「お前は俺に殺すって言ったな。それはつまり、自分も死ぬ覚悟があるって事だよな?」

 

 じりじりと、静かな動きで桐生と男の距離が縮まる。男の呼吸が荒くなり始め、少し離れているルイズですら、その荒い吐息の音が耳に届いていた。

 

「お前がどんな人生を送ってきたか知らねえが、この剣で一瞬にして終わらせる事も出来るんだぞ?」

 

 もう桐生と男の距離は手を伸ばせば届く所まで来ていた。そして、ルイズや周りの人間は初めての光景に驚愕する。

 桐生の体から、青いオーラの様な物が迸り始めたのだ。魔法を習っているルイズにも、そのオーラが何なのか、全くわからない。

 周りの目も気にせず、桐生はただ一言、静かに、しかしはっきりと聞こえる様に言った。

 

「今ここで……死ぬか?」

 

「ひっ!」

 

 圧倒的な威圧感に男は悲鳴を上げて、でたらめにナイフを突き出した。

 ナイフが突き出されたのと同時に、桐生は手に持っていたデルフリンガーを天高く放り投げた。そして、ナイフを握る男の手首を右手で掴み、鋭い膝蹴りを腹に打ちつける。そのまま呻き声と共に前屈みになった男のズボンをもう片手で掴んで乱雑に宙に投げ上げた。

 宙を舞う男は身体を何回か回転させて容赦なく地面に叩きつけられ、そのまま気絶する。

 我流喧嘩体術、「物怖じの極み」。武器を持った相手がこちらに怯え、怯んだ隙に腹を蹴り上げ、宙に投げ飛ばす豪快な技である。

 

「ビビるくらいなら最初(はな)っからナイフなんて出すんじゃねぇ。馬鹿が」

 

 気絶して聞こえない男に言い放ちながら、落ちてきたデルフリンガーを華麗に受け止める桐生。

 呆気に取られてた周りからその鮮やかさに大きな歓声が上がった。

ハッと我に返ったルイズが桐生に駆け寄る。

 

「ちょっと、カズマ! あんた、大丈夫なの!?」

 

 ルイズは桐生の体を眺めながら心配そうに言う。そして傷が一切ないのに安堵すると、今度は思いっきり桐生を睨み付ける。安心した瞬間に、腹が立ってきたのだ。

 

「何やってんのよ! 勝手な事しないでちょうだい!」

 

「荷物取られんのを見たら助けんのが普通だろ?」

 

 桐生は当然の様に言ってルイズに返す。

 ルイズは自分の身体が僅かに震えてるのを桐生に悟られまいと、大きな溜め息を漏らした。怖かった。初めてナイフを突きつけられ、本当に殺されるんではないかという恐怖が、一瞬で身体を駆け巡った。話や書物の中とはやはり違う。

 しかし、桐生は違う。あんなにも殺気を露わにし、ナイフまで突きつけてきた相手に動揺する事なく打ち破ったのだ。改めてただ者ではない事を思い知る。

 そんな事を考えていると、鞄を取られた女性が二人に駆け寄ってきた。

 

「す、すみません! 私の鞄は……!?」

 

 不安そうにこちらに声をかける女性にルイズが持っていた鞄を手渡す。

 女性の顔が満開の笑顔になって何度も二人に頭を下げた。

 

「ありがとうございます! なんとお礼を言っていいか……あの、申し訳ありません……生憎御礼になる様な物は……」

 

 感謝を表しながらも、女性の声と表情から覇気が薄れていく。そんな女性に桐生は首を振って見せた。

 

「そんなのいらねぇよ。もう、引ったくられない様に気をつけな」

 

 それだけ伝え、女性に背を向けて再び歩き出す。ルイズも慌てて桐生の後を追う。

 ちらりと振り返ると、女性がこちらに深々と頭を下げているのが見えた。

 町の入り口にある駅に辿り着き、二人の帰りを待っていた馬がこちらを見て首を振る。桐生はその馬の頭に手を添え、優しく撫でた。

 

「ねぇ……ちょっと聞きたいんだけど」

 

「なんだ?」

 

 馬の頭を撫でながら桐生がルイズに視線を合わせず答える。

 

「ナイフを突きつけられたって言うのに、あんた、怖くなかったの?」

 

「俺の過ごした街じゃ、あんなの日常茶飯事だったからな。もう慣れてるんだ」

 

「日常茶飯事って……」

 

 あんなのが毎日の様にあるなんて、一体どんな町なのだろうか。ただルイズの中に広がる妄想はとてつもなく野蛮な光景に溢れていた。

 弱肉強食、欲しい物は力で奪う、殺られる前に殺れ……絶対に違うとは思うもどうしても勝手なイメージがつきまとう。

 

「……ならもう一つ。さっきあんたの身体から出てたあの青い光は何?」

 

「ヒートの事か?」

 

 ルイズの質問に思わず質問で返しながら首を傾げる桐生。

 「ヒート」。極道として生き始めた頃から体得した闘気の様な物で、身体から迸ると普段以上の力を発揮する優れ物だ。しかし、この場合はなんと説明すれば良いのか悩み、思ったままの事を口にする事にした。

 

「一種の闘気にも似た、精神力だ。あの光が身体から溢れ出すと動きや反応が良くなるんだ……学んで身に着けた訳じゃないから、体質なのかもしれないな」

 

「妙な体質持ってんのね、あんた……」

 

 ルイズが奇妙な表情で此方を見てきたのに桐生は苦笑を浮かべて見せた。

 二人揃って馬に跨がり、学園に向けて走り出す。来る時はかなり苦戦していた乗馬も、今の桐生は軽々とこなしていた。物覚えはいいらしい。

 久々の町への買い物は、色々な事があった。それもこれも、この異世界から来た男のせいだ、とルイズは隣を走る桐生を横目で見る。真剣な眼差しで前を向いて馬を操る桐生の顔はどこか力強い男らしさを感じさせ、覗き見たその横顔に思わず見とれてしまったのに気付き、慌てて視線を逸らす。

 沈みかけた太陽が夕陽に変わり、淡いオレンジ色の光を漏らして草原と山々を暖かく染めていく。

 

「綺麗だな……」

 

 馬上から沈む夕陽を眺めながら呟いた桐生の言葉に、ルイズも夕陽に顔を向ける。町へ買い物に行って帰る頃にはいつも見てる見慣れた風景。しかし、今日はそんな景色も素直に美しいと思えた。


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