ゼロの龍   作:九頭龍

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ゴーシュとドロワット


第55話

 石壁に沿う様に噴き上がり、そびえ立つ炎の壁にトリステイン・ゲルマニアの連合軍の兵達はなす術がなかった。

 飛竜で高く舞い上がり、炎の壁を越えようと試みた者もいたが、どんなに高度を取っても炎の壁からまるで生き物の様に腕が伸びて捕まり、瞬く間に焼き尽くされてしまった。「風」系統のメイジが「ウィンド・ブレイク」を叩きつけて炎を払おうともしたが、炎の壁はビクともしない。

 

「ええいっ! 一体どうなっている!? これでは突入出来ぬではないか!」

 

 他の隊の中隊長が苛立った様に怒号を飛ばす。

 

「「水」系統のメイジは居らぬのか!?」

 

「朝の会議で発表があっただろう! 「水」のメイジは皆医療部隊に移された! 今から呼びに戻っても、その間に新手の敵が来てしまう!」

 

 行き場のない怒りを互いにぶつけ合う様に、中隊長や兵達が怒号を飛ばし合う。今回の作戦の最初からの躓きに、誰もが苛立ちを禁じ得なかった。

 

 

 バルディッシュを構えたバルバトス将軍の前で、ギーシュは新しく生まれた二体のゴーレムをまじまじと眺めた。

 左右それぞれ全く同じ造りのゴーレムは精巧な鎧と兜を身につけ、顔立ちや胸部の膨らみから、「ワルキューレ」同様女性のゴーレムだ。まるで双子の様に顔も背格好もそっくりな二体だが、唯一の違いは左右それぞれ、まるで利き手の様に馬上で使うランスを一本ずつ持っている事だ。右のゴーレムは右手に、左のゴーレムは左手に握られたランスもゴーレム同様青く鈍い輝きを放つ青銅で造られている。

 ギーシュは「ワルキューレ」の時同様に頭の中で二体のゴーレムの動きをイメージする。すると呼吸をするかの様に二体のゴーレムはギーシュのイメージ通り、ギーシュの前で互いのランスを重ね、交差させた。

 

「さっきまでのゴーレムとは造りが違うな。それで? その二体のレディを俺にも紹介してくれよ、坊や」

 

 口調こそ軽いが、いつ飛び掛かられても咄嗟に対応出来るのが伝わってくるバルバトス将軍からの言葉に、ギーシュは二体のゴーレムの名前を考えた。

 「ワルキューレ」の形を基礎に造り上げた上位ゴーレム。今の自分の力では同時に作れるのは二体までの様だ。

 

「なら、紹介しよう。僕が今造り出せる最高のゴーレム、「ヴァルキリー」のゴーシュ、そしてドロワットだ」

 

 「ヴァルキリー」という形状の左のゴーシュ、右のドロワットと名付けられた二体はゆっくりとそれぞれランスの切っ先をバルバトス将軍に向ける。

 二体のゴーレムが臨戦態勢に入ったのを見て、バルバトス将軍の口元の笑みがより大きくなっていく。

 

「悪くない名前だ。なら紹介も済んだし……踊ろうぜ!」

 

 叫んだのと同時に駆け出したバルバトス将軍に合わせて、ギーシュのイメージに伴いゴーシュとドロワットも突進する。

 燃え盛る刃のバルディッシュの右からの横薙ぎをドロワットがランスで受け止め、空かさずゴーシュがバルバトス将軍の胸元目掛けてランスを突き出す。

 右手をバルディッシュの柄から離して身体を反らせ、ゴーシュの突きを回避したバルバトス将軍はランスを右腕と脇で挟み込むと、渾身の力でランスごとゴーシュを持ち上げて投げ飛ばす。

 人間よりも重く造られた筈のゴーレムが投げ飛ばされた事にグラモン中隊の隊員達は思わず驚きに声を上げる。ガチャンと耳障りな金属音を立ててゴーシュが背中から地面に落下するが壊れはしていない。

 再度バルディッシュを握り直したバルバトス将軍はランスで刃を受け止めているドロワットを力任せに薙ぎ払う。厳しい訓練で培われてきた剛力の前に、ドロワットは薙ぎ払われるまま左へと吹き飛ばされる。

 力任せにバルディッシュを振り切ったバルバトス将軍に、今度はギーシュが空かさず飛び蹴りを繰り出した。目の前からゴーレムが消えた瞬間現れたギーシュにバルバトス将軍は一瞬面食らうも左腕を挙げて蹴りを防ぐ。

 飛び蹴りを防がれたギーシュは地面に着地した瞬間、右手に予備の杖を握り締めたまま左ローキックから右ハイキックへのコンビネーションを繰り出す。バルバトス将軍はローキックをバルディッシュの柄で、ハイキックを左腕で防ぐと鋭い前蹴りをギーシュの腹に打ち込んだ。

 痛みに顔を歪めて吹き飛びながらもギーシュは杖を握り続け、立ち上がったゴーシュがバルバトス将軍の背後からランスを脳天へ打ち下ろす。ゴーシュのランスによる打ち下ろしを瞬時にバルディッシュを持つ右手の持ち位置を変えて、空いた柄を突き出し防ぐバルバトス将軍。柄の先ギリギリでランスの一撃を防いでいるのに、それ以上ゴーシュのランスが下がらない事から改めて並みの剛力ではないのが伺える。

 ゴーシュが時間を稼いでる間に立ち上がったギーシュとドロワットはバルバトス将軍に向かって駆け出す。そんな一人と一体を見たバルバトス将軍はゴーシュの胸元に滑り込みながらバルディッシュから手を離し、急に支える力がなくなったランスが打ち下ろされる勢いを乗せて自らの身体でゴーシュを抱え上げ、向かってくるドロワットに目掛けて投げ飛ばす。

 勢い良く駆け出したドロワットは止まる事が出来ず、投げ飛ばされたゴーシュと激突して互いに耳障りな金属音を立てながら粉々に砕け散ってしまった。

 ギーシュはゴーシュとドロワットと砕け散ったのを目の端で捉えながら渾身の飛び回し蹴りをバルバトス将軍に打ち込む。

 両腕を上げてギーシュの蹴りを防いだバルバトス将軍の身体一二歩後ろへ後退るのを見た瞬間、ギーシュは杖をその場に捨てて「スタイルチェンジ」を行い、「ラッシュスタイル」の構えを取ると反撃の隙を与えぬとばかりに一気に距離を詰める。

 間髪入れずに顔面に向かって殴りかかったギーシュの右の拳はバルバトス将軍の左手に掴まれてしまう。防御と同時にバルバトス将軍もギーシュの顔面目掛けて右の拳を振るったが、ギーシュも殴られまいとその拳を左手で受け止めて握り締める。

 お互いの利き手を制して睨み合う二人だったが、不意にバルバトス将軍の口元に笑みが浮かんだ。

 その笑みに嫌な予感が走ったギーシュだったが、考える間もなくバルバトス将軍が頭を前後に振ってギーシュの鼻っ面に頭突きを打ち付けた。

 被っている兜の硬さも相まって、衝撃と痛みに鼻血を吹き出しながらギーシュの身体が後ろへとよろめく。その瞬間、バルバトス将軍の右の拳を握っていた手から力が抜けてしまい、ガラ空きになった腹へボディブローを受け、前のめりになった所で左頬に拳を続け様に打ち付けられて殴り飛ばされてしまった。

 土埃を上げながらゴロゴロとギーシュの身体が地面を転がるのを見ながら、バルバトス将軍は掌で顔に浴びせられたギーシュの鼻血を拭う。

 

「ただの殴り合いは久しぶりだが、まだ鈍っちゃいないみたいだな。ほらよ、まだやれるだろ?」

 

 喋りながらバルディッシュを拾い上げたバルバトス将軍はギーシュの杖を掴むと投げ渡した。

 血混じりの唾を吐き捨て、鼻血を上着の袖で拭ったギーシュは杖を拾い上げて振るう。カチカチと金属音を立てて再び造り上げられたゴーシュとドロワットがバルバトス将軍に向かってランスを構える。

 ギーシュは二体のゴーレムをそれぞれ見た後、二体の間から飛び出す様にバルバトス将軍に向かって駆け出す。

 バルディッシュを構え直したバルバトス将軍に向かってスライディングの要領で突っ込むギーシュ。バルバトス将軍はいとも簡単に飛んでギーシュのスライディング蹴りを避けるが、それこそギーシュの狙いだった。

 バルバトス将軍が自分のスライディング蹴りを飛んで避けたのと同時にゴーレムを動かして、ゴーシュとドロワットがランスを左右から横薙ぎに払う。

 ギーシュが一矢報いたと確信するも、バルバトス将軍は自らの前でバルディッシュを地面へと突き刺し、左右から交差する様に襲い掛かるランスを防いだ。

 着地したバルバトス将軍はバルディッシュを蹴り上げて二体のゴーレムのランスを弾いて、そのまま背後にいたギーシュに向かって打ち下ろす。

 後ろへ飛び引いて打ち下ろされた一撃を回避するギーシュ。バルディッシュの刃が叩きつけられた地面に走ったいくつものヒビからその衝撃の強さがうかがわれ、もしあのまま受けてしまったらと考えて思わず生唾飲み込んだ。

 そんなギーシュに構わずバルバトス将軍はバルディッシュを構え直して襲い掛かる。鋭い突きによる一閃をギーシュの胸元目掛けて繰り出す。

 あと半歩浅く動いていたら胸を貫かれるであろうギリギリの距離で突きを避けたギーシュは杖を振るって地面から石の槍を突き出してバルバトス将軍の首に向かって放つ。と、同時に二体のゴーレムを背後から詰め寄らせて襲い掛からせる。

 石の槍を避けてゴーレム達に向き直ったバルバトス将軍に、ゴーシュとドロワットは交互にランスの突きを浴びせた。バルディッシュを操って自分の身体にランスの切っ先を触れさせぬ様に突きを防いで行くバルバトス将軍に背後から襲いかかろうとしたギーシュは瞬間背筋に冷たい物を感じた。

 何となく嫌な予感を感じたギーシュはそのまま大きく後ろへと下がる。そして次の瞬間、バルバトス将軍を囲む様に炎の壁が円状に噴き上がった。灼熱の炎をその身体に受けたゴーレム達はまるで飴細工の様にドロドロに溶けてしまった。

 

「良く気付いたな、坊や。そのまま突っ込んで来てくれりゃあ、骨まで燃やしてやったのによ」

 

 ギーシュは呼吸を整えながら、甲板でのニコラとの訓練の時に言われた言葉を思い出していた。

 

「どんな達人でも、防御は必ず体得してる物です。そして真に強い奴ってのは、攻撃と防御を本当の意味で鍛え上げた人間の事です。防御は勝つ為の手段。それを知らずに強くなった奴なんて居やしないんですよ」

 

 わかってはいた事だが、バルバトス将軍の戦い方に改めてギーシュは感服していた。殴り合いでのラフプレーによる防御からの攻撃、咄嗟の判断で相手の攻撃を防ぐ防御法、そして魔法による攻守一体の戦闘方。今自分が相手にしてる男は、真に強い者なのだ。

 だが、だからどうしたというのだ。確かに自分は弱いかもしれない。この男には到底敵わないかもしれない。しかし、だから諦めるなど、他ならぬ自分の貴族としての、男としてのプライドが許さない。そして何より、自分を信じてついて来てくれたニコラ達に顔向け出来なくなる。そんな事になっては、恐らく自分を一生許せないだろう。

 もう勝てなくても構わない。ただこの男に、「こいつは手強かった」と言わせてやる。たとえ、刺し違えてでも。

 恐らく生きてきた中で初めて命をかける覚悟をしたギーシュは、再び杖を掲げてゴーシュとドロワットを造り上げた。

 煌めく火の粉を撒き散らしながら炎の中から現れたバルバトス将軍はギーシュの眼を見て笑みを浮かべた。その目付きには見覚えがあった。兵士になって二十年余り、そんな眼をする男達は皆、強かったと記憶している。そんな目付きを、まだ十代半ばである目の前の少年が見せた事に内心驚きを感じている部分もあった。

 この戦いも終わりが近づいている。二人共それを確信している。

 ギーシュはただ出せるだけの力で向かう事を、バルバトス将軍はこの少年が期待通りかどうかを考えながら対峙した。

 数秒の間の後、先に動き出したのはギーシュだった。ゴーシュとドロワットを従えてバルバトス将軍に向かって駆け出し、左からのハイキックの顔面に向かって放つ。

 バルバトス将軍が右腕で蹴りを受け止めたのを見送り、ドロワットにランスを右から左脇腹に向かって払う。ランスによる払いをバルディッシュの柄で防いだバルバトス将軍は短く呪文を唱えて柄先から炎を噴き出してギーシュの身体へ浴びせた。

 身体を焼く炎に構わずギーシュは後ろから来たゴーシュにランスを下から上へと振り上げる様にイメージして動かす。イメージ通りの動きをするゴーシュのランスに自らの脚を乗せて掬い上げさせる様に上に飛んだギーシュは燃えるシャツを纏いながら渾身の蹴りをバルバトス将軍に向かって繰り出す。

 ギーシュの動きが流石に予想外だった為、一瞬呆気に取られたバルバトス将軍は何とか首を動かして蹴りの直撃を避けるも、蹴りを受けた兜が吹き飛ばされて黒色がかったブラウンの髪が風に晒された。

 後先考えず繰り出した飛び蹴りに着地に失敗して倒れ込んだギーシュの腹を容赦なくバルバトス将軍が蹴り上げる。

 まるでサッカーボールの様に飛ばされたギーシュは蹴りで込み上がった胃の中の物を嘔吐してしまう。痛みに腹を押さえた事で杖が手から零れ落ちて、ゴーシュとドロワットも力無く崩れ去った。

 小さな喘ぎと咳込みを漏らしながら口元を手の甲で拭い、何とか立ち上がって見せるが脚が震えてるのが見ている者に伝わって来た。

 

 

「もう……我慢出来ねぇっ!」

 

 ギーシュの戦いを見守っていたグラモン中隊の隊員の何人かが加勢しようと剣を握り締めて動こうとした。

 しかし、そんな隊員達をニコラが腕で制する。

 

「行かせてくれ! ニコラの旦那! このままじゃあグラモン隊長がーー」

 

「黙って見てろっ!」

 

 ニコラの怒鳴り声に隊員達は動きを止めた。

 隊員達を見回したニコラは握り締めた拳を掲げる。その拳はどれだけ力強く握られているかを表す様に、握られた掌から血が伝っていた。

 

「聞いたはずだ。「手を出すな」と。今、グラモン隊長は……あの餓鬼は俺達を背負って戦っているんだ。「漢」の真剣勝負に水を差す様な真似は絶対にするな! 今から加勢に行こうなんて馬鹿な真似をしようとした奴は、この俺が許さんぞ!」

 

 ニコラの眼から、拳から、声から、その言葉に嘘がない事と同時に、ニコラ自身も今すぐにでもギーシュに加勢したい気持ちを押し殺してるのが伝った隊員達は苦々しい表情を浮かべながら剣を下ろした。

 

「皆の衆、今は信じてみようじゃないか。儂等の隊長殿を」

 

 顎をさすりながらグレゴリオが静かな口調で隊員達に語りかける様に言った。

 隊員達はギーシュを見詰めた。自分達よりもずっと若く、甘やかされてきたに違いない少年がボロボロになりながらも懸命に戦おうとしている姿に歯を食いしばる。あんなにも大っ嫌いだった貴族が、偉そうで気に入らなかった筈の貴族がボロボロになって良い気味だと思える者は一人も居なかった。

 

「頑張ってくれ、グラモン隊長……!」

 

 隊員の一人が思わず呟いた言葉に、その隊員自身が驚いていた。今まで社交辞令やご機嫌伺いの為に貴族を応援した事はある。しかし、こんなにも拳を握り締めて、懇願する様に応援したのは初めてだった。

 

「そうだ……! 頑張れっ! グラモン隊長!」

 

「隊長! 俺達がついていますぜ!」

 

 手は出せない歯痒さもあって、懸命にギーシュを応援し始めるグラモン中隊の隊員達。そこには貴族だの平民だの、そんなわだかまりはなかった。

 

 

「煩いな……」

 

 身体中に走る痛みに意識が持っていかれそうなギーシュの耳に、グラモン中隊隊員達の応援の声が突き刺さる。

 

「そんな、一所懸命に応援なんかするなよ。そんな事されると……」

 

 一人呟きながら心の中から湧き上がる熱い物に、ゆっくりだがギーシュの拳は硬く握り締められていき、「ラッシュスタイル」の呼吸が整っていく。

 

「意地でも……負けたくなくなるだろうがぁっ!」

 

 弾かれた様に駆け出したギーシュの動きは、限界が間近なのにも関わらず今までで一番速かった。

 向かってくるギーシュにバルディッシュの横薙ぎの一閃を浴びせるバルバトス将軍。しかし、バルディッシュの横薙ぎよりもより低く身体を屈ませて避けたギーシュは一気に間合いを詰める。

 そのまま「スウェイブロウ」の要領で右肩によるタックルで、鎧でダメージは無いものの衝撃でバルバトス将軍の身体を後ろへ下げさせた事で自身の間合いを確保したギーシュ。左ジャブから右ストレート、更に左フックとコンビネーションを繰り出す。

 バルバトス将軍は顔面に迫るギーシュの鋭い拳に身体を動かして避けるが、頬を掠って薄皮が擦れる。

 ギーシュは自らの「フィニッシュブロウ」の一つとしている右のアッパーを顎に向かって打ち上げた。右の拳はバルバトス将軍の顎を見事に捉えて打ち抜くが、バルバトス将軍も伊達にアルビオン最強の座についている訳ではない。ギーシュの拳で脳が揺れるのを感じながらバルディッシュを操って脇腹へと叩き付ける。この時バルバトス将軍が距離感を完璧に測れる状態だったらギーシュの身体は脇腹から横一文字に斬られていただろうが、不幸中の幸いで当たったのは柄の部分で衝撃だけで済んだ。

 が、それでも強烈な一撃である事には変わりなく、ギーシュの身体は再び吹き飛ばされた。

 余りの痛みに呼吸が上手く出来ない状態で脇腹を押さえうずくまりながらギーシュはバルバトス将軍に目をやった。

 軽い脳震盪を起こしているのか、バルバトス将軍が初めて地に膝をついている姿が目に入る。

 今がチャンスだと立ち上がろうとするも、脚に力が入らない。

 

「う、動けっ! 動けよっ! 頼むっ! 動いてくれっ!」

 

 自分の身体に懸命に拍車をかけるが、身体は思う様に動いてくれない。

 そして、勝負は無情である事を伝える様に、頭を振りながらバルバトス将軍が先に立ち上がった。

 バルディッシュを担いでうずくまっている自分に近付いて来るバルバトス将軍に、ギーシュは悔しくて痛いくらいに歯を食いしばり溢れそうになった涙を必死に抑えるが、一つ、また一つと涙が頬を伝った。

 

「死ぬのが怖いか、坊や?」

 

 片手で顎を押さえながらバルディッシュの切っ先を突き付けてくるバルバトス将軍の質問に、ギーシュは首を振った。

 

「違う……悔しいんだ。貴方が強い事は知ってた。でも、部下の仇も取れない、自分が情けなくて、悔しいんだっ!」

 

 嗚咽混じりに叫ぶギーシュに、バルバトス将軍は首を振った。

 

「お前の気持ちはわからなくもないが、大の男が戦場で涙を流すなんてあっちゃいけないぜ? そういうのは勝負が終わってから、一人で流しな」

 

 バルバトス将軍の言葉にゴシゴシと目元を拭った。

 涙のせいか、それとも痛みと疲労からか、霞み始めた視界の中でギーシュはバルバトス将軍へと顔を向けた。

 

「バルバトス将軍。僕にこんな事を言う資格は無いと思うが……一つだけ、頼みがある」

 

「ほう、何だ? 聞くだけ聞いてやるよ」

 

 ギーシュはゆっくりと自分の部下である隊員達へと目を向けた。もう視界はぼやけて輪郭しかわからないが、そこに自分の部下がいるのはわかった。

 

「僕はどうなっても構わない。だから、僕の部下達には手を出さないでくれ」

 

「それはいけないっ! グラモン隊長!」

 

 ギーシュの言葉にニコラが叫ぶが、もうギーシュには届いていない。

 ギーシュの視界はますますぼやけていき、もうバルバトス将軍の顔もまともには見えない。耳に入る声も何処か遠く感じて、ニコラが何かを叫んだとは思うのだがハッキリとは聞こえなかった。

 

「……最後に一つ教えてくれ、坊や。まだ聞いてなかったからな。お前の名前は?」

 

 自分を見下すバルバトス将軍がどんな表情をしているかもわからないまま、ギーシュは口を開いた。

 

「僕の名はギーシュ……ギーシュ・ド・グラモンだ……」

 

 力なくそう呟いたギーシュの脳裏に、桐生とモンモランシーの顔が浮かび上がった。

 

 ごめん、二人共……僕はここまでだ。

 

 心の中でそう呟いたギーシュの意識はゆっくりと闇の中へと引きずり込まれ、瞳がゆっくりと閉じられた。

 

「グラモン……トリステインの元帥と同じ名か。覚えとくぜ、ギーシュ」

 

 バルバトス将軍はそう呟くとバルディッシュを高く掲げた。

 

「止めろぉぉぉぉっ!」

 

 叫びながらニコラが二人に駆け寄るも、バルディッシュは無情にも振り下ろされる。

 ドンッ! という鈍い音が辺りに響き渡り、ニコラは力無く動きを止めた。

 振り下ろされたバルディッシュの刃はギーシュの鼻先スレスレで地面へと打ち付けられていた。

 

「この隊長を助けたかったら、今から言う俺の二つの条件を飲め。それが出来なきゃ、今度は本当にこいつの首を跳ねるぞ?」

 

 それが脅しでない事は分かっていたニコラも、他の隊員達も何度も強く頷いた。

 その様子に満足したバルバトス将軍はバルディッシュをヒョイと背中に担いで笑みを浮かべた。

 

「よし。まず一つだ。今から俺は此処から退いてやる。俺が去ってから数分後にはあの炎の壁は消える。そこでお前等のお仲間がやって来て、何を聞かれても俺が此処に居た事を言うな。何者かに奇襲を受けたなり突然襲われたなり適当に理由をつけて、「何が起きたかわからない」で通せ。わかったか?」

 

 再び強く頷くグラモン中隊の隊員を見たバルバトス将軍は、焼かれたり斬られたりでボロボロになったギーシュのシャツを掴んで持ち上げると、ニコラに向かって投げ渡した。

 

「グラモン隊長っ!」

 

 投げられたギーシュをニコラが抱き止めて安否を確認すると、他の隊員達も二人を囲む様に集まってギーシュを心配そうに眺める。身体の火傷や切り傷、顔の痣等傷だらけではあるが呼吸はしており、気を失っただけである事が確認出来ると隊員達は安堵の溜め息を漏らした。

 ギーシュに蹴り飛ばされた兜を拾い上げたバルバトス将軍はピュイッと短く口笛を吹いた。

 地響きの様な唸り声が辺りに響いたかと思うと、燃える様な赤い毛並の巨大な虎が颯爽と現れた。四本足のそれぞれ足首と口端からは炎が噴き上がっている。

 巨大な虎はグラモン中隊の隊員達を敵意を剥き出しにした眼で睨みながら唸り声を上げる。その迫力に気圧されながらも隊員達も剣を握っていつでも抜ける様に構えを取る。

 

「止めろ、ディン。今のこいつ等は敵じゃない。少なくとも、今はな」

 

 笑みを交えながら言うバルバトス将軍の言葉にディンと呼ばれた虎は小さく唸ると隊員達に背を向ける。どうやらバルバトス将軍の使い魔の様だ。

 バルバトス将軍は近付いてきたディンの頭を軽く撫でた後、真っ赤な毛並の背中に跨った。

 

「もう一つの条件は簡単だ。お前等の隊長に伝言を伝えてくれりゃあ良い」

 

「隊長に伝言? 一体、何を?」

 

 ギーシュを抱きかかえたままのニコラが訝しげな表情で問いかける。

 バルバトス将軍はそんなニコラに対してニッと笑った。

 

「「次に会うまでにもっと強くなっとけ」。それから、「今度は国じゃなく、互いの誇りをかけて殺り合おう」ってな」

 

 バルバトス将軍の言葉を信じられないかの様に、ニコラは数回ギーシュとバルバトス将軍の顔を交互に見てから頷いた。

 

「わかった。必ず伝えよう」

 

「頼んだぜ」

 

 ニコラの態度から約束を違えないと確信したバルバトス将軍はディンに拍車をかけて駆けさせる。

 まるで火の玉の様に赤い煌めきを放ちながらあっという間に遠くへ消えて行ったバルバトス将軍の言葉の通り、数分もしない内に炎の壁は消えて連合軍の部隊が次々と中へ入って来た。

 先を越され、悔しそうに何があったのかを次々と聞いてくる他の隊の兵や隊長達にグラモン中隊の隊員達は誰一人として質問に答える者は居なかった。

 それはバルバトス将軍との約束は勿論だが、今はそんな下らない質問に答えるよりも自分達の隊長を休ませたい気持ちで一杯だった。

 

 

 昼過ぎにアルビオンの首都ロンディニウムに到着したバルバトスは、自分の隊の宿舎への道を歩いた。

 宿舎の前の訓練場となる平地が見えると、既に隊員達が訓練を開始しているのが見える。ふと、その平地への入り口の所に、隊の副隊長であるカイルが立っている事に気付いた。

 背筋を伸ばして腕を組み、此方を無表情で見ているカイルに、バルバトス将軍は面倒臭そうに兜を脱いで無造作に伸ばされた黒色がかったブラウンの髪に包まれた頭を掻いた。カイルが怒っている時の、お決まりの格好だ。

 

「お帰りなさいませ、バルバトス様」

 

 口調の中に棘があるのを感じながら、バルバトス将軍は適当に手を振った。

 

「早速ですが、昨晩もあれだけーー」

 

「あ〜、あ〜……わかった、わかってる。悪かったよ、カイル」

 

 説教を言わせまいと適当に相槌を打つバルバトス将軍にカイルは溜め息を漏らしたが、不意にバルバトス将軍の表情がいつもよりも楽しげである事に首を傾げた。

 

「随分機嫌が宜しいご様子で」

 

「わかるか? 暇潰しのつもりだったんだが……中々どうして、良い楽しみが出来た。あの餓鬼、今度会う時はどれだけ強くなってるか……本当に楽しみだ」

 

 まるで童心に帰ったかの様な口調で呟くバルバトス将軍に、カイルはますます首を傾げた。

 しかし、バルバトス将軍の頬や顎にある傷を見る限り、どうやら久しぶりに手応えのある相手に巡り会えたらしいのが伝わって来た。

 カイルは内心連合軍の兵達も侮れないと一人警戒を強めた。


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