ゼロの龍   作:九頭龍

54 / 55
クラスアップ


第54話

 シティオブサウスゴータの城壁から約一リーグ離れた突撃地点で、ド・ヴィヌイーユ大隊三百五十名はラッパの合図を待ち構えていた。

 それぞれの中隊に別れて待機してる中、一番端の位置に配置された第二中隊を率いるギーシュは朝靄の向こうにけぶるサウスゴータの街を見詰めながら、己の身体の震えを懸命に抑えようと必死になっていた。

 上陸から十五日が過ぎた今日、いよいよ攻撃開始の時がやって来たのだ。必ず来る事は分かってはいたのだが、いざとなると恐怖は際限なく身体の底から湧き上がる。

 懸命に呼吸を整え、過呼吸になりそうなのを抑えていると、ギーシュの肩をニコラが軽く叩いた。

 

「中隊長殿、余計な世話かもしれませんが……小便を垂らしといた方が良いかもしれませんよ?」

 

「……忠告には感謝するが、生憎さっき済ませた」

 

 ニコラに向かって少し睨みを利かせながらそう言ったギーシュは、自分の部下となった隊員達を見回した。

 ギーシュはしばらく悩んだ様に腕を組んで頭を垂れながら首を数回振った後、意を決した様に顔を上げた。

 

「みんな、聞いてくれ!」

 

 突撃の合図を待ち侘びていた隊員達がギーシュの掛け声によって、自分達の隊長へと皆顔を向ける。

 ニコラもギーシュの掛け声に対して腕を組みながら顔を向ける。

 ギーシュは自分の杖代わりでもある薔薇の造花を奮って自分の足元の地面を盛り上がらせて、隊員達全員に自分の姿が見える様にした。

 

「みんな……今日、これから僕達グラモン中隊は敵陣へと突撃する。みんなが僕を隊長と認めてくれた事を、僕は本当に嬉しく思っている。だが……」

 

 ギーシュは一瞬躊躇った様に自分の右手をさすった後、ゆっくりとその手を差し出した。その手は遠くから見ている者も分かるほどに震えていた。

 

「分かるだろう? 僕は今、怖くて堪らない。震えが止まらず、逃げ出したい気持ちで一杯だ。普段貴族だと威張っているのに、肝心な時には弱腰になっている。こんな情けない隊長で申し訳ない。だから、頼むっ!」

 

 ギーシュは手を引っ込めた瞬間、姿勢を正して深く頭を下げた。

 隊員達はそんなギーシュの姿に心底驚いていた。ニコラと、遠くの方からギーシュを見ていたグレゴリオ以外は。

 

「僕一人じゃ何も出来ない! この作戦を成功させる為にはみんなの力が必要だ! 僕にみんなの力を貸してくれ!」

 

 懇願する様に叫ぶギーシュの言葉に、しばらくの沈黙が辺りを包んだ。

 

「……気に入らねぇな」

 

 沈黙を破ってのは一人の男の声だった。

 驚いてギーシュが顔を上げると、声の主は腕を組みながらギーシュをジッと見詰めていた。

 その声の主は、ギーシュが中隊長就任の時に殴り合った、あの眼帯の男だった。眼帯に覆われていないその左眼からは、失望や怒りの色が伺われた。

 ギーシュは苦しげに顔を歪めながら拳を握り締めた。拳を交え、最初に自分を認めてくれた男に対してその様な眼をさせてしまった自分がどこまでも情けなくなった。

 その男を皮切りに、他の隊員達もギーシュに対して眼帯の男と同じ視線を向けながら溜め息や、首を振る者まで見えた。

 ニコラは顔に出さぬ様にしながら、内心焦りを募らせた。ギーシュが自分の弱さを認め、平民である部下達に助けを求めるのは決して悪い事だとは思わない。しかし、必ずしもそういった行為は友好的に捉われるとは限らない。恐らく隊員達はギーシュに対して落胆の意を持ってしまっているのだろう。隊長らしく、いっそ空威張りでも良いからどっしりと構えて貰った方がまだ良かったのかも知れない。

 せっかく纏まりかけたグラモン中隊だったが、ここまでかとギーシュもニコラも思った時、眼帯の男はギーシュに向かって拳を突き出した。

 

「グラモン隊長、俺達はあんたにとってそんなに信用出来ないんですかい?」

 

 眼帯の男の質問の意味が分からず、ギーシュは戸惑った様に言葉を詰まらせながら首を傾げた。

 

「あの殴り合いの後に言ったはずですぜ? あんたを隊長として認めると。こっちはとっくに、あんたを守る為に命張るだけの覚悟は出来てんだよ」

 

 眼帯の男はそう言って足早にギーシュの乗っている盛り上がった地面によじ登り、ギーシュの隣に立つと声を張り上げた。

 

「みんな聞けぇっ! 甘ったれた貴族の餓鬼なんざ、本来なら守る気も起きねぇだろう! だが、この人は違う! 口ばっかの貴族と違って、俺達に自分の力を示した! みんなでこの隊長を守り抜き、名誉ある戦死を遂げようじゃあねぇかっ!」

 

 眼帯の男が拳を振り上げてそう言うと、他の隊員達も拳を振り上げ大声で叫んだ。少し肌寒かった朝靄の中に、そこだけ熱気が湧き上がった。

 鼓舞し合い、これからの突撃に備える隊員達を見てギーシュの胸に熱い物が込み上げて来た。気が付けば、震えは止まり、呼吸も落ち着いていた。

 そんなギーシュの肩を、ヒョイと地面に登ったニコラが軽く叩いた。

 

「中隊長殿、これが貴方が取った行動の結果です。自分を含め、ここに居る全員で貴方を守ります。なあに、緊張する事はありません。話によれば敵の大砲は先日の艦砲射撃で殆ど潰されてますし、配備されてるのも何故か亜人の部隊だけらしいですし」

 

「亜人……か。しかし、亜人は凶暴ででっかいじゃないか」

 

「確かにそうですが、人間なんかよりもずっとくみしやすいですよ」

 

 火縄銃を担ぎながらそう言って前へと視線を向けるニコラに続き、ギーシュも再びシティオブサウスゴータの方へと前を向ける。

 

「それにしても……何処から攻めれば良いんだ? 地図でも確認したが、この街は高い石壁に囲まれてるみたいだが……」

 

 心配そうに呟くギーシュにニコラが頷く。

 

「今、「工事」をしてくれますよ」

 

 そう言って空を指差すニコラの指先を追うと、いつの間にか上空に十数隻の艦隊が並んでいた。一列に並んだ艦隊から、次々と石壁目掛けて砲撃を開始する。

 轟音と煙と共に成す術なく崩れていく石壁に、突撃の待機地点にいる兵士達から歓声が湧き上がった。

 そして煙の中から、巨大な土ゴーレム達が現れた。

 

「「トライアングル」クラスのメイジによるゴーレムだな」

 

 「ドット」クラスの自分では、あんな巨大なゴーレムは作れない。かつて相対した、「土くれ」のフーケが作ったゴーレムよりも小柄ではあるが、それでも身長二十メイルほどの大きなゴーレムが並ぶのはなかなか壮観だった。

 ゴーレム達はそれぞれの背中に作ったメイジの家紋の幟をなびかせながら、崩れた石壁に向かって歩いて行く。地上の兵士達が通れる様に、崩れた石壁を蹴散らして道を作る為だ。

 

「あれは……兄さんのゴーレム!」

 

 何体も居るゴーレムの中、ギーシュは一体のゴーレムを指差して思わず叫んだ。

 そのゴーレムの背中に差された幟は、薔薇と豹、グラモン家の紋章が光っている。王軍所属の次兄が作ったゴーレムに間違いない。

 石壁に近付くゴーレムに向かって、銀色の何かが飛び込んだ。瞬間、ゴーレムの腹にボコリと穴が空き、そのゴーレムはバランスを崩して地面へと崩れ落ちた。

 銀色の何かは次々と他のゴーレムにも目掛けて飛んで行き、何体かのゴーレムは力なく崩れていった。

 

「あれは一体なんだ?」

 

「巨大バリスタでさぁ」

 

 ギーシュの呟きに、眼帯の男が答える。

 

「恐らくはオーク鬼が撃ってやがるんでしょうが、三メイルほどある馬鹿でかいボウガンみてぇな奴だ。人間が食らったら、跡形もなく消えちまう。まぁ、人間に向かって撃つもんじゃあねぇですがね」

 

 ギーシュはハラハラしながら兄のゴーレムを見詰めた。

 グラモン家のゴーレムは脚にバリスタを受けて崩れかかったが、何とか持ち堪えて生き残る。

 ニコラはグラモン家の幟とギーシュを交互に見てから口を開いた。

 

「中隊長殿はグラモン家の係累ですか?」

 

「係累も何も、末っ子だ」

 

 答えるギーシュにニコラも眼帯の男も驚きを露わにした。

 

「グラモン元帥の! こいつはおったまげた! そんな人間が何だってこんな鉄砲大隊に来たんでぇっ? 元帥の名前を借りりゃあ近衛の騎士隊だの、一流連隊の参謀にでもなれたじゃねぇですか!」

 

 心底勿体なさそうに言う眼帯の男に、ギーシュは首を振った。

 

「父の名を借りて戦場に出ても、僕の手柄にはならない。それに、こんな臆病者だが、この一歩は自分の足で歩き始めたいんだ。そうしなきゃ、僕の追っている人には一生追い付けない」

 

 ギーシュの脳裏には、ずっと追い続けている桐生の背中が何時もあった。いつかその背中に並びたい。その背中を預けて貰える様になりたい。だから、強くならなくては駄目なのだ。桐生のその先にいる、モンモランシーという守るべき人の為にも。

 そう口にしたギーシュをしばらくポカンと眺めてから、ニコラはギーシュの肩に腕を絡ませてニカッと笑った。

 

「改めてあんたが気に入りましたよ、お坊っちゃん。こうなりゃ意地でもあんたに手柄を取らせなきゃ、我々も恥を晒す形になっちまう」

 

 馴れ馴れしく話すニコラに以前の自分なら嫌悪を抱いていただろうが、今はその馴れ馴れしさが心強く感じた。

 銀色の矢が飛び交う中、竜騎士がやって来て石壁の上で巨大バリスタを操るオーク鬼諸共炎のブレスで焼き払い始めた。

 瞬く間に巨大バリスタの脅威が無くなり、生き残ったゴーレム達は石壁の瓦礫をどかし始めた。兵士達が通れる様に入り口を作っているらしい。

 ニコラは後続の百人ほどの銃兵達に、銃に弾を込める様合図した。

 今までニコラが見た事がないほど、銃兵達はせっせと弾を込め始める。それだけギーシュと眼帯の男の掛け声に寄って、やる気が高まっているのだ。

 火縄銃の縄にそれぞれ火を着け、焦げ臭い臭いが辺りを漂い始めた頃にゴーレム達が道を作り終えたらしくその場に崩れ去った。

 それを見たニコラがギーシュの腰を軽く突いた。

 

「さぁ、中隊長殿。うちは年寄りが多いんで、ちょっとフライング気味ですが突撃と行きましょう」

 

「まだ突撃の命令は出ていないぞ? そんな事をして良いのか?」

 

「構いやしませんよ。手柄ってのは早い者勝ちですからね。それに、うちの隊員達は準備万端ですよ?」

 

 不安そうに言うギーシュにニコラは笑いながら後ろの隊員達を指差した。其方に顔を向けると、それぞれの武器を構えた隊員達がギーシュに向かって頷いた。

 ギーシュは深く深呼吸してから杖代わりの薔薇の造花を掲げた。

 

「グラモン中隊、前進!」

 

 ギーシュの命令に掛け声を上げながら、グラモン中隊が石壁の先目掛けて突撃を開始した。

 

 

 連合軍がシティオブサウスゴータに突撃間近になった頃、朝靄が立ち込めるロンディニウムの離れに延びた通りをホーキンス将軍が歩いていた。

 目指した先はバルバトス隊の宿舎である。先日のバルバトス将軍の言葉の真意を確かめる為に、ホーキンス将軍は冬の近付きを知らせる薄ら寒い朝靄の中を歩いた。

 バルバトス将軍は自分の認めた人間以外とは極力顔も合わせたがらない変わり者で、隊長に就任した際に先の国王に自分の隊の宿舎をロンディニウムの離れに造らせた。

 アルビオン軍の中でも平民と貴族が対等で組織されているバルバトス隊の平民隊員の中には、此方が貴族なのも御構い無し乱暴な言葉を使ったりする者も多い。本来ならその時点で打ち首に値する所だが、それで平民隊員に手を出してしまうと、待っているのはバルバトス将軍からの報復である。

 一度他の隊員の貴族が平民隊員に生意気な口を利かれたのに腹を立て、その平民隊員の手を魔法で焼いた事があった。その翌日、バルバトス将軍はその貴族隊員の腕をまるで挨拶をするかの様に突然斬り落としたのである。

 以来、余計なトラブルを起こさぬ為にもあってこの通りをバルバトス隊の人間以外が使うのは珍しい。

 少し歩くと、道はなくなり広がったのは訓練用に整備された平地と、質素な木造の宿舎だった。

 特別早くからの出撃を言い渡されてないバルバトス隊の隊員達はまだ寝ているらしい。普段なら平民と貴族の隊員達が入り混じって訓練に励んでいる平地には誰もいない。

 ふと、ホーキンス将軍の鼻を不意に甘い香りが擽った。匂いの元へと目を向けると、其処には隊員達が訓練の休憩や水分補給に使われている宿舎同様に質素に作られたテーブルがあった。

 そのテーブルに、一人腰掛けている人物が見えた。どうやらその人物は早朝の紅茶を嗜んでいるらしい。テーブルの上には白いポットとカップが置かれている。カップを持つ手の反対には本が保たれていた。

 ホーキンス将軍はその人物に向かって歩み寄った。

 数歩歩み寄った所でその人物はホーキンス将軍に気付き、本を閉じて背筋を伸ばしながら立ち上がった。

 人物はホーキンス将軍より少しだけ若い男だ。紺色のシャツに茶色いズボンとラフな格好だが、その腰には左側に剣が、右側には銃がぶら下げられていた。セミロングほどの銀髪が朝靄の中でも抜き身の刃の様な鈍い輝きを秘めていた。

 

「おはようございます、ホーキンス将軍」

 

 礼儀正しく頭を下げたその男に、ホーキンス将軍は軽く手を振った。

 

「相変わらず早いな、カイル」

 

 カイルと呼ばれたその男は、バルバトス隊の副隊長に当たる人物だ。もともとバルバトス将軍の幼少期からの付き人の平民だが、剣と銃の扱いにとても長けており、並の貴族では勝てないほどの戦闘力を持っている。ホーキンス将軍とも幼少期からの顔見知りで、バルバトス将軍に小言を言える唯一の人物でもある。

 物静かで礼儀正しいが、瞳は血に飢えた獣の様に常にギラつき、バルバトス将軍以上に厳しいとの事で「鬼の副隊長」と陰で呼ばれている。また、いずれはバルバトス将軍を蹴落として隊長の座に取って代わろうと企んでいるとの噂もある。

 

「奴は……バルバトス将軍はいるか?」

 

 ホーキンス将軍の質問に、カイルは困った表情を浮かべながら首を振った。

 

「どうやら夜明け前に出掛けた様です」

 

「出掛けただと? 一体何処に?」

 

「さぁ……昨晩も勝手な行動を慎む様言ったのですが、朝隊長の部屋に行くと「遊びに行ってくる」と書き置きだけがベッドの上にあったもので」

 

 カイルは困った物だと肩をすくめて見せた。

 ホーキンス将軍は疲れた様に頭を抑えながら深い溜息を漏らした。

 

 

 誰よりも早く突撃したグラモン中隊は一番最初に石壁に辿り着いた。

 しかし、手柄を奪われんとする数名の馬に乗った騎士達がグラモン中隊を抜かして中へと入っていく。

 負けまいと駆け込もうとするギーシュをニコラが腕で押さえつけた。次の瞬間、騎士達が馬ごと中からグシャグシャにされて吹っ飛ばされた。大きな棍棒を持ったオーク鬼達が、最初に飛び込んでくる間抜けを待ち構えていたのだ。

 体重が人間の五倍はある巨大な豚の化け物。いつだか桐生達と宝探しをした先でも出会った相手だ。

 オーク鬼達はギーシュ達を見ると突っ込んで来ようとした。

 

「中隊長殿! 一番後ろの奴に転ばせる呪文を! 急いで!」

 

 ニコラの掛け声にギーシュは咄嗟に薔薇の造花を振るった。にょっきりと地面から生えた腕が、最後尾のオーク鬼の足に絡み付く。

 狭い石壁の入り口の真ん中で、オーク鬼が転がった。

 

「第一小隊! 目標、先頭集団! てぇーーーっ!」

 

 ニコラは先頭にいるオーク鬼達目掛けて一斉射撃を命じた。

 三十人ほどの銃兵が一気に引き金を引き、オーク鬼達は瞬く間に蜂の巣になった。

 打ち倒された先頭の巨大な身体で入り口が塞がれてつっかえている後ろの集団に、ニコラは容赦しない。

 

「第二小隊! てぇーーーっ!」

 

 後に控えていた銃兵達が交代で再び一斉に引き金を引く。本来のオーク鬼ならこの程度の銃弾等棍棒で弾く所だが、至近距離から撃たれては防ぎようがない。

 残ったオーク鬼達は逃げようとするも、後ろでギーシュに転ばされた仲間のせいで身動きが取れずにいた。

 もたついている所を更に銃兵達に射撃され、オーク鬼達は全滅した。

 

「一番槍は、僕等グラモン中隊が頂きだ!」

 

 歓声を上げながらオーク鬼の死体を跨いでグラモン中隊が中に入っていると、突然石壁の外側手前辺りから炎が噴き上がり、石壁の高さを超える炎の壁が現れた。

 グラモン中隊に続いて中へ入ろうとした他の隊の隊員が瞬く間に炎に包まれ、一瞬で炭へと変わってしまった。

 一体何が起きたのかと炎の壁を見詰めていると、ギーシュの背後からゲップの音が聞こえた。

 音の方へと目をやると、其処には一人の男がオーク鬼の死体の上に座っていた。

 

「ようやく一番槍のご到着か。待ちくたびれたぜ」

 

 腹から横一文字に斬り裂かれ、上半身と下半身が別れた巨大なオーク鬼の死体に腰掛け、片手に持っていたワインの瓶を呷りながらその男は呟いた。

 男は赤い鎧に身を包み、もう片手には巨大な赤い刃のバルディッシュが握られている。オーク鬼の死体に腰掛けている足元には数本のワインの空き瓶が転がっている。

 男は瓶から口を離してジロジロとグラモン中隊の面々を見てから、ギーシュに顔を向けるとつまらなそうに舌打ちした。

 

「何だよ……隊長の貴族はまだ餓鬼じゃねぇか。こんな部隊に一番槍を取られる様じゃ、こいつ等もそんなに使えねぇって事か」

 

 そう言いながら男は腰掛けてるオーク鬼の死体の腹を軽く叩く。

 自分を餓鬼扱いする男にギーシュはムッとしながら詰め寄りかけると、ニコラがそれを腕で阻んだ。そんなニコラに文句を言おうと顔を上げたギーシュの口は一瞬で塞がれた。

 ニコラが未だ見せた事ないほどに真剣な表情で男を睨んでいるからだ。気が付くと、隊員達にも強い緊張した雰囲気が漂っていた。

 

「その赤い鎧……あんた、バルバトス将軍か?」

 

 ニコラがそう言うと、男の口元に笑みが浮かび上がった。

 

「ほぉ……俺もちっとは有名になれたか。とは言え、わざわざこんな所まで来たそこの貴族の餓鬼に自分から名乗らねぇのも無礼だわな」

 

 男はオーク鬼の死体から腰を上げ、残った瓶の中のワインを一気に飲み干して口元を拭った。

 

「お初にお目にかかる、連合軍部隊の一隊長殿。俺はバルバトス、バルバトス・ディル・サルバーンだ。二つ名は「炎斧」。一応アルビオン軍の将軍の一人だ。宜しくな」

 

 ニィッと口元を歪めながら話す男の名に、ギーシュも息を飲んだ。

 「炎斧」のバルバトス。以前読んだ兵法書の中にもその名が記された、アルビオン軍最強の将軍と呼ばれている戦いのエキスパート。

 書物にも書き記されている人物との出会いに些か実感が湧かないギーシュを他所に、バルバトス将軍は空になった瓶を投げ捨てると、片手に持っていたバルディッシュを構えた。燃えているかの様な赤い巨大な刃が朝靄の中で映えた。

 

「将軍なんかになっちまってから、前線に立てる機会が減っちまってな。久しぶりに一兵士として、純粋に殺し合いを楽しませて貰うぜ。さぁ、来な。遠慮はいらねぇ。サシだろうが集団だろうが、相手しやるよ」

 

 ただでさえ大柄なバルバトス将軍は、バルディッシュを構えた瞬間オーク鬼よりも巨大に見えた。

 ギーシュを腕で押さえながらゆっくりニコラが後ずさると、周りを懸命に見渡してから先ほどから湧き上がっていた疑問をバルバトス将軍に問いかけた。

 

「あんた一人か? あの「鬼の副隊長」や、他の隊員達はどうした?」

 

「俺一人だ。大勢で動いちゃあそっちの偵察隊に気付かれちまうからな。……おいおい、まさか俺一人じゃ不満だなんて言わねぇよな? 一応俺一人でも殺れりゃあ、お前等の出世を約束出来るほどの首である自信はあるんだが?」

 

 ギーシュは亜人しかいないという偵察隊の情報に誤りが無いのにはホッとした物の、生きている心地はしなかった。

 相手は「スクウェア」クラスのメイジであり、優秀な武人だ。自分の様な「ドット」クラスのメイジで、しかも実践経験もない子供では敵う相手ではない。

 しばらく警戒した様に睨みを続けながら動こうとしないグラモン中隊に、バルバトス将軍は退屈そうに欠伸をして見せた。

 

「なんだなんだ? トリステインの人間ってのは目の前にある手柄をみすみす逃す人種なのか? 随分と根性がねぇなぁ、おい?」

 

 誰から見ても分かる挑発をして見せたバルバトス将軍に、もともと沸点の低い荒くれ者の隊員の中から三人が剣を抜いてニコラの制止も聞かずに襲い掛かった。

 バルバトス将軍はゆっくりバルディッシュを構え直し、襲い掛かる三人目掛けて横一文字に振るった。

 瞬間、三人の男達は身につけている鎧ごと腹から斬り裂かれ、別れた上半身と下半身の切り口から鮮血を噴き出しながら地面に転がった。

 僅かに顔にかかった返り血を指先で拭ったバルバトス将軍は、残虐な笑みを浮かべてバルディッシュを振り回した。

 

「今日も俺の相棒、「紅月(あかつき)」の切れ味は抜群だ。良い感触だぜ。さぁ、次はどいつだ? もっと俺を楽しませろ」

 

 目の前で呆気なく散った男達を見て、ギーシュの心は恐れよりも怒りに満ちていった。自分を隊長と認め、短いながらも仕えてくれた部下達を殺された事に血が一気に上った。

 

「貴様ぁぁぁっ!」

 

 ニコラの腕を乱暴に振るい払って、ギーシュは胸に差していた薔薇の造花を手に取りバルバトス将軍へと駆け出した。

 薔薇の造花を振るい、二体の青銅のゴーレム「ワルキューレ」を作り上げると、手に持った剣の切っ先をバルバトス将軍に向けて突進させる。

 バルバトス将軍は容赦なく「ワルキューレ」を薙ぎ払い、バルディッシュを向かって来るギーシュ目掛けて振り下ろす。

 ギーシュはギリギリまでバルディッシュを引き寄せると、軽やかなステップで横へと避けてバルバトス将軍に殴りかかる。

 ギーシュの拳が届きかけたその時、突然バルバトス将軍の握るバルディッシュの柄の先から火球が飛び出してギーシュの腹へと直撃した。

 衝撃に後ろへ飛んだギーシュはゴロゴロと地面を転がって服に着いた火をすぐさま消し去り、そして混乱した。

 バルバトス将軍の手には、バルディッシュしか握られていない。なのに何故、魔法を出せたのか。魔法は杖を振るわなければ、どんなに凄腕のメイジだろうと決して出せないはずだ。だから魔法衛士隊の多くは杖をレイピア状にして、防御を取りつつ魔法を発動出来る様にしているのだ。

 改めて、ギーシュはバルバトス将軍の持つバルディッシュをマジマジと見つめた。しかし、何処をどう見てもただの武器にしか見えない。肝心の杖の役割になりそうな作りが見つからない。

 そんなギーシュに、バルバトス将軍はバルディッシュを肩に担ぎながら鼻をさすった。

 

「頭に血が完全に上ったかと思ったが、なかなかどうして良い眼をしてるじゃねぇか。それで? 杖を持ってない俺が何で魔法を使えたか分かったかい、坊や?」

 

 からかう様に口にするバルバトス将軍にギーシュは顔をしかめながらただ黙る事しか出来ない。

 その間にもニコラ達は懸命にギーシュへの助太刀の算段を考えるが、バルバトス将軍の眼が常に此方の動きを察知しているのを感じて飛び出せないでいた。考え無しに突っ込んでは、先ほど三人と同じ様に斬り捨てられるのがオチだ。

 

「頭が固ぇなぁ、トリステイン人は……」

 

 呆れた様にそう言いながらバルディッシュをクルクルと手を軸に回したバルバトス将軍はギーシュに再び斬りかかる。

 繰り出された袈裟斬りをギーシュが避けた瞬間、そのまま横薙ぎにバルディッシュが振るわれると、赤い刃に炎が覆われた。

 驚きながら何とか横薙ぎの一閃を背後に避けたギーシュをバルバトス将軍は逃がさないとばかりに、燃え盛る刃を地面に突き立て、バルディッシュの柄先をギーシュに向けてそこから火球を三発繰り出した。

 それほど速い訳ではない火球を避けながら、ギーシュも薔薇の造花を振るって花弁を飛ばし、バルバトス将軍の背後に三体の「ワルキューレ」を創り出して斬りかからせる。

 しかし、バルバトス将軍は地面に突き立てたバルディッシュの刃側の柄を蹴り上げて一体をかち上げ、残りの二隊を拳で打ち砕いた。

 再び薔薇の造花を振るおうとしたギーシュに対して、今度はその杖代わりである薔薇の造花をバルディッシュの切っ先で斬り払うバルバトス将軍。

 花の部分が砕かれ、魔法が発動出来なくなったギーシュに容赦なく燃え盛る刃が振り落とされた。

 もう駄目だと一瞬覚悟した瞬間、ギーシュとバルバトス将軍の間に入ってバルディッシュの動きを止めた人物が居た。

 それはグレゴリオだった。バルディッシュの柄を掴んで止め、その間にニコラが横からバルバトス将軍の脇腹目掛けて剣を振るった。

 

「邪魔だぜ、ジジイッ!」

 

 バルバトス将軍はそのままバルディッシュを力任せに無理矢理横へと払い、グレゴリオ諸共動かしてニコラを柄で殴打した。

 衝撃にニコラが吹き飛び、グレゴリオも薙ぎ払われた瞬間、ギーシュの拳がバルバトス将軍の顔面目掛けて繰り出される。

 バルバトス将軍は何とかギーシュの拳を避けると、柄の先でギーシュの腹を穿ってから距離を取った。

 一瞬焦りの色が見えたバルバトス将軍の顔は、次には活気に満ち溢れた表情が浮かんでいた。

 

「こりゃあ良い、久々に楽しいぜ! 今のは惜しかったなぁ、坊や」

 

 痛みに耐えながら腹を押さえていた手を上げると、ギーシュは茎だけになってしまった造花を投げ捨て、予備の仕込み杖をポケットから出した。

 そのギーシュの姿を見て、バルバトス将軍は首を振った。

 

「坊や、ゴーレムを出すスピードは悪くねぇ。けどそれだけじゃあ、メイジとしちゃあ二流だ。ゴーレムの使い方をもっと考えてみな。ただ出して突っ込ませるだけじゃあ芸がねぇぞ?」

 

 まるで言い聞かせる様に言うバルバトス将軍の言葉に、ギーシュは息を落ち着かせながら考え込んだ。

 そんなギーシュに対して、バルバトス将軍はただ黙ったままギーシュを見詰めた。まるで、蛹から孵化する蝶を待っているかの様に。

 急に殺意が消えたバルバトス将軍に、ニコラ含めたグラモン中隊一同は動けなくなった。理由は分からないが、今この二人のやり取りを邪魔してはいけない気がしてしまったのだ。

 真剣に考え込んだギーシュの脳裏に、あるイメージが湧き上がった。それは、二体の「ワルキューレ」とは形の違うゴーレムの姿だ。

 ギーシュの身体から、淡いピンク色のオーラがゆっくりと立ち上がり、何処か虚ろな、何処も見ていない瞳のまま杖を振るいながら囁く様に呪文を唱える。

 突如、ギーシュの左右真横の地面から青いゴーレムがゆっくりと創られていった。「ワルキューレ」よりも精巧に創られた、鎧に包まれた女性の姿をしたそのゴーレムの手には左右対象にそれぞれ片手に馬上用に使われるランスが握られている。

 「健全な肉体と健全な精神はその者を高める」。いつだったか授業で学んだ言葉を思い返しながら、ギーシュは創り上げられたゴーレムをそれぞれ見詰めた。

 そして確信する。今、自分は「ドット」クラスから、「ライン」クラスへのメイジになれた事を。

 

「ニコラ、他のみんなも、手は出さないでくれ。この男は……僕が倒す。隊長として、部下の仇を取ってやる!」

 

 強い覚悟を秘めたギーシュの瞳を見て、ニコラ達は剣を下ろした。覚悟を決めた男の邪魔をするのは、同じ男として野暮だと思ったからだ。

 「ワルキューレ」とは比べ物にならないほど精巧な創りのそのゴーレムを見て、バルバトス将軍は笑みを浮かべた。

 

「この土壇場でクラスアップしたみてぇだな。こっからが本番って訳だ。来いよ、坊や! 俺を倒して、いっぱしの「漢」になってみな!」

 

 楽しげに話しながら、バルバトス将軍はバルディッシュを構え直した。

 ギーシュにとって命を懸けた一対一での初の実戦が始まろうとしていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。