ゼロの龍   作:九頭龍

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新たなる「スタイル」


第47話

 アルビオンへ向かい空を駆ける戦艦隊の間、それぞれの艦で鳴った朝直の鐘の音が響いた。

 二国対一国の戦いが始まろうとするこの朝八時を告げる鐘の音の中、一つの戦艦の甲板でギーシュはニコラを相手にスパーリングを行なっていた。

 朝の冷たい空気が肌を冷やすのも構わず、ギーシュは上半身裸のままニコラの持つ手製のパンチングミットに拳を叩きつけていた。

 三時間ほど前から始めた運動から、二人の身体からは熱気が蒸気機関の如く湯気となって立ち上っていた。

 拳の一発一発を確実にパンチングミットにギーシュが叩きつける度、バンッという鈍い音が響き渡る。

 

「右、右、左っ! もっと速く! そら、右!」

 

「しっ! しっ! だぁっ!」

 

 ニコラの指示に応える様に左右それぞれの拳を上手く使い分け、パンチングミットへと拳を打ちつけていくギーシュ。

 ニコラの両手が重なった所で、思い切り振りかぶって渾身の一撃を叩き付けると、ワンセットの終わりを告げる様にニコラが構えるのを止める。

 

「お見事です、中隊長殿。やはり貴方の強みはその足腰のフットワークを活かした「速さ」ですね。一撃の重み自体はまだまだですが、そのフットワークの軽さは立派な武器になりますよ」

 

 額を流れる汗を腕で拭いながら言うニコラに、ギーシュは膝に手をつきながら荒い呼吸で首を振る。

 

「確かに、動きの速さには多少は自信が、出来てはきた。でも、まだまだだ。まだ僕には、足りない物が多いのを感じる」

 

 冷たく肌を切り裂かんばかりに吹く風を火照った身体で心地良く感じながらギーシュは言った。「ラッシュスタイル」の完成は間違いないだろうが、まだまだ改良の余地を感じているのも事実だった。

 そんなギーシュに、ニコラは顎に手を当てて頷いて見せる。

 

「確かに、中隊長殿の今の動きはそのフットワークを活かした「速さ」が武器ですが……同時に弱点でもありますね」

 

「弱点?」

 

 ニコラの言葉に顎を伝う汗を手の甲で拭い、甲板の柵に引っ掛けていた上着とマントを取って身に纏いながらギーシュが問いかける。

 

「はい。中隊長殿は「速さ」を武器に拳や蹴りを乱れ打つのは得意な様ですが、その足腰の軽さ故に防御が脆い」

 

「防御なんて必要ないだろう? 攻撃こそ最大の防御と言うじゃないか。それよりももっと速く動ける事の方が大事だよ。どんな強力な攻撃だろうと当たらなければどうという事はない」

 

「その考えは間違ってますよ、中隊長殿」

 

 少し厳しい口調になったニコラの言葉と表情に、ギーシュは驚いて身体を硬直させる。それはまるで父に叱られた時の様な、親身になっている者から叱咤を思わせる物がニコラの言葉にはあった。

 

「どんな達人でも、防御は必ず体得してる物です。そして真に強い奴ってのは、攻撃と防御を本当の意味で鍛え上げた人間の事です。防御は勝つ為の手段。それを知らずに強くなった奴なんて居やしないんですよ。現に中隊長殿、貴方はあの三人との喧嘩であっさり防御を崩されましたよね?」

 

 ニコラの指摘に、ギーシュは頬を掻きながらしかめっ面をしながらも素直に頷く。

 あの時、慌てていたとはいえ、あの眼帯の男の拳の一発で呆気なく防御を崩してしまった。そこから攻撃を許してしまい、腹に重い一撃を喰らってしまっている。

 ニコラの言葉で改めて思い知ったが、場合によってはあの瞬間に命を奪われてもおかしくはない。殴り合いだから良かった物の、剣や銃を使われたら一瞬で終わっていただろう。

 

「貴方が本当に強くなりたいと思うなら、攻める事ばかりではなく、生き残る事も覚えて貰わなきゃ困ります。忘れんで下さいよ? あんたはもうただのクソ餓鬼じゃない。自分等「グラモン中隊」の頭であり、自分等の命をその背中に背負って貰ってるんですから」

 

「ごめん、ニコラ。確かに君の言う通りだ。僕は、攻撃こそ一番大事だと思っていた。その考えを改める事にするよ」

 

 以前の自分なら、こんな風に一介の平民でしかないニコラの言葉を素直に聞いたりはしなかっただろう。

 しかし、桐生やシエスタ、そしてこのド・ヴィヌイーユ独立大隊の部下達平民との交流を通じて、貴族という立場の拘りがどれだけ自分の視野を狭くし、自分を詰まらない人間にしているのをギーシュは感じている。

 今こうしてニコラに言われた一言を素直に受け止められるのも、結局は桐生のおかげとギーシュは思っているが、それは間違いだ。

 今はまだギーシュは気付かないだろう。自分が如何に人として成長して来ているのかを。

 ギーシュの謝罪を受けたニコラは、再び朗らかな表情になると顎に手を当てながら首を捻った。

 

「分かってくれれば結構ですよ。ですが、今の中隊長殿の戦い方で防御を意識し過ぎては、せっかくの「速さ」を活かせなくなっちまいます。ですから、今のグラモン隊長の「スタイル」を崩さずに、防御(まもり)のイロハを守った「スタイル」を覚える必要がありますね」

 

「そう言われても……僕にはそんな事を教えてくれる様な相手は今はいないし」

 

 桐生ならばそんな「スタイル」を教えてくれただろうが、今は彼も側には居ない。

 この戦争から生きて帰れる保証は当然ない。下手をすれば、もう彼に出会えないかもしれない。

 少しマイナスな感情が心を支配していく中、そんなギーシュの心情を知ってか知らずか、ニコラがにかっと気持ちの良い笑みを浮かべる。

 

「いや、実はとっておきの人材が居るんですよ。多分中隊長殿に、防御のイロハを教え込めるほどの守りの達人が」

 

「……もしかして、君かい?」

 

 ニコラの様子に少しだけ明るさを取り戻したギーシュは思ったまま問いかける。

 すると、ニコラは少し残念そうに苦笑してから首を振って見せた。

 

「いや、残念ですが自分は中隊長殿に教えられるほど防御を得意とはしてません。なに、ちょっと待ってて下さい。直ぐに連れて来ますから」

 

 そう言うなりニコラは艦の中へと戻って行ってしまった。

 一人残されたギーシュは横に並ぶ艦隊の群れを見る。これほどの戦艦の数、そうそうに見られる物ではない。それだけ今回の戦争が生半可な物ではないのを物語っていた。

 自分は、本当に生きて帰れるのだろうか。「命を惜しむな、名を惜しめ」とのグラモン家の家訓を守ってやって来たが……今更ながら、戦争の恐ろしさをギーシュは実感していた。

 瞳を閉じて脳裏に映るのは、桐生とモンモランシーの顔。あの二人に誇らしく帰還を報告したい。その想いがギーシュの頭を満たしていった。

 そんな風に考えていた数分の内に、ニコラが防御の達人と呼ぶ相手を連れて戻って来た。

 その人物を見て、ギーシュは胡散臭そうに目を細める。

 ニコラの連れて来た達人と呼ばれた人物。それはこのド・ヴィヌイーユ独立大隊に来た時に大隊長の元まで案内してくれた、あの老傭兵だった。

 老傭兵はつい先ほどまで寝ていたのか、緊張感のない寝ぼけ眼で気怠げに大きな欠伸をして見せた。

 

「中隊長殿、お待たせしました。彼こそ防御の達人、グレゴリオです。彼ならきっと隊長に良い経験を積ませてくれますよ」

 

 先ほどの気持ちの良い笑顔でニコラは言うが、ギーシュにはとても目の前の老傭兵がそんなに凄い人物には見えない。

 歳は六十代くらいだろうか。自分よりも背は低く、出会った時と違って兜が取れた頭は白髪混じりのダークレッドの髪が所々抜けて薄くなっている。コルベールの様に禿げ上がってしまうのも時間の問題かもしれない。

 更に後ろ手に組んで立っている姿ははっきり言って隙だらけだ。今背後から敵が来たら気付かぬ内に殺されてしまう気がしてならない。

 疑わしげに此方とグレゴリオを見比べるギーシュの視線に気付いたニコラは、苦笑しながら首を振る。

 

「中隊長殿、言いたい事は分からなくもありませんが……余り相手を見かけで判断しない方が良いですよ?」

 

「それは、そうかもしれないけどさ……」

 

 ニコラの事を疑う訳ではないが、こんな今にも再び寝てしまいそうな老傭兵を達人だと言われても説得力を感じない。そもそも傭兵として働けているのかすら怪しく見える。

 ド・ヴィヌイーユ独立大隊は他の隊ではお荷物になる様な人材の寄せ集めで出来た部隊だ。自分の部下となった傭兵たちかは確かに頼もしく感じるが、他の隊の人間までがそうとは限らない。はっきり言って戦力にならない輩も居るのは確かだろう。

 不安と疑心に満ちた目でグレゴリオを見つめるギーシュに、ニコラは思い付いた様にポンと手を叩いて見せた。

 

「中隊長殿、百聞は一見に如かずという言葉があります。どうでしょう? 今この場で、グレゴリオ殿と手合わせしてみては」

 

「ニコラ……本気で言っているのかい?」

 

 ニコラの発言にギーシュは驚きを含んだ声で問いかける。

 達人だか何だか知らないが、こんな老人を相手にして何になると言うのだろう。寧ろ側から見たら虐めている様に見られてしまうのではないだろうか。

 そんなギーシュの不安等どこ吹く風とばかりにニコラはグレゴリオに顔を向ける。

 

「グレゴリオ殿、寝起きでまだ本調子ではないと思いますが、是非とも中隊長殿に胸を貸して頂きたい。如何ですかな?」

 

 ニコラの言葉にグレゴリオは面倒臭そうに溜め息を漏らしてから後ろ手に組んだ腕を前に出して肩幅ほどに脚を開くと関節をゴキゴキ鳴らしながら首を回す。

 グレゴリオの行動を了承と取ったニコラはギーシュに向き直ると近づいてそっと耳打ちする。

 

「中隊長殿、先に警告しておきます。グレゴリオ殿をただの老人と見たら痛い目に合いますよ?」

 

「……わかったよ」

 

 自分よりもか弱そうな年寄りに拳を振るうのにはまだ抵抗はある物の、ギーシュはゆっくりと構えを取ってグレゴリオを見詰める。

 まぁ、怪我をさせてしまわぬ様に少し気を遣えば大丈夫だろう。そう思いながらギーシュは軽くグレゴリオに向かって左のジャブを繰り出す。

 すると、グレゴリオの右腕がギーシュの拳が当たるギリギリで突然顔面を覆う様に上げられ、その見かけ以上に硬い前腕にギーシュの拳は弾かれてしまう。

 老体からは想像出来ない予想外な素早い動きに面食らうギーシュに、退屈そうにグレゴリオは大きな欠伸をしながら上げた腕を下ろす。

 グレゴリオの欠伸にカチンと来たギーシュは、もはや手加減等せずに得意のステップを混ぜて殴りにかかる。

 ジャブやアッパー、更にはハイキックやローキックを織り交ぜ変幻自在の攻撃を繰り出すも、グレゴリオはその都度左右それぞれの腕と脚を動かしてギーシュの拳と蹴りをいとも簡単に防いで行く。

 自分の攻撃が全く当たらずに焦りと苛立ちを伺わせるギーシュに対して、グレゴリオは何処までも退屈そうな表情でまるで近寄る虫を叩き落とす様に攻撃を防いで行く。

 ギーシュは遂に苛立ちから一歩後ろに引いてから左脚で踏み込み、自分の繰り出せる攻撃の中でも最も素早く、最も連打の多い右脚による「ラッシュキック」をグレゴリオに浴びせる。

 股関節と膝の関節を器用に動かして目にも留まらぬ速さで連続蹴りを繰り出す、ギーシュなりの「ラッシュスタイル」における「フィニッシュブロウ」の一つだ。

 グレゴリオも流石にその速さに驚いたのか、両腕を上げてギーシュの蹴りを受け止める。

 体力の続く限り蹴りを繰り出した後、止めとばかりに右脚を地面に着いて軸にし、身体を回転させて左脚による回し蹴りをグレゴリオをお見舞いする。

 蹴りの衝撃でグレゴリオの身体が数歩後ろへと仰け反るが、ギーシュは額から頬に汗を伝せながら舌打ちする。

 自分が可能な限りに蹴りを繰り出したにも関わらず、グレゴリオはその蹴りを全て両腕で受け止め切った様だ。

 両腕を下ろしたグレゴリオの身体には傷一つなく、表情からも焦りや痛みの色が見えない。

 グレゴリオはチラリとニコラの方へと視線を向け、その視線からグレゴリオの意図を読み取ったニコラは少し迷った様に視線を泳がしてから頷いた。

 二人のやり取りに気付かないギーシュは呼吸を整えてグレゴリオの脇腹目掛けて右脚の蹴りを繰り出す。

 今度はグレゴリオも腕を上げずに蹴りを防ぐ様な仕草を見せない。

 ようやく当たる。その確信にギーシュの口元に笑みが浮かぶ。

 その瞬間、ギーシュの右脚はグレゴリオの脇腹に当たったのと同時に、グレゴリオの左腕が右脚を脇腹と挟む様にあてがわれてギーシュは自由を失う。

 右脚の自由を奪われ、驚愕の表情を浮かべるギーシュに対して、グレゴリオは右脚で身体を支えているギーシュの左脚を強く蹴り飛ばす。

 不安定な支えしかなっていない左脚を蹴られてギーシュが呆気なく地面へと倒れ込むと、グレゴリオはそのまま左腕と脇で右脚を挟んだまま身体を回転させて勢いを付けてギーシュを投げ飛ばす。

 硬い甲板に立て続けに背中を打ち付けられたギーシュは転がったまま背中を押さえながら苦痛に顔を歪める。

 そんな風に悶えるギーシュにニコラが近付き、しゃがみ込みながら溜め息混じりに口を開いた。

 

「言った筈ですよ、中隊長殿。ただの老人だと思っては痛い目をみると」

 

 ニコラの言葉がギーシュの頭の中で木霊する。

 ギーシュはグレゴリオを完全にナメていた。自分よりも背が小さい、こんな老人が強い訳がないと。その結果が、今感じている痛みとなって身体に返ってきた。

 ギーシュは痛みを訴える身体に鞭打って立ち上がると、グレゴリオを真っ直ぐ見詰めた。

 

「貴方の強さは良くわかった。防御が如何に戦いの中で大切なのかも思い知った。だから、頼む。いや、お願いします! 僕に防御のイロハを教えて下さい!」

 

 ギーシュは背筋を伸ばして深く頭を下げながら叫んだ。

 ニコラはそんなギーシュを見てから懇願する様な眼差しでグレゴリオを見詰める。

 しばらく頭を下げるギーシュを見詰めたグレゴリオは、今一度面倒臭そうに溜め息を漏らした。

 

「貴族が儂みたいな平民に、簡単に頭を下げるんじゃない」

 

 少ししゃがれたその声に慌てた様にギーシュが顔を上げると、グレゴリオがちょいちょいと指を動かして見せた。

 

「先ずは構えから行く。今の中隊長殿の構えでは腰に重さがない。そんな足腰では簡単に飛ばされてしまう。ほれ、こっちへ来られい。儂の我流でもあるが、しっかりと攻撃を受け止める構えを教えてしんぜよう」

 

「は、はいっ!」

 

 ギーシュは瞳を輝かせながらすぐさまグレゴリオへと駆け寄る。

 そんな二人を見て、まるで祖父と孫の様だとニコラは内心思いながら一人静かに笑った。

 ギーシュは早速グレゴリオから防御についての講義を受ける。先ずは構えと言われ、言われた通りの体勢を取ってみる。

 両脚を肩幅ぐらいまで広げ、両腕は垂らした状態から肘を曲げてなるべく広げ過ぎぬ様に、かといって締め過ぎて脇にくっ付けない様にする。

 そんな風に構えると「ラッシュスタイル」の時よりも動きは鈍くなってしまうが、両脚がしっかりと地に着いている感じがして身体も安定しているのを感じる。

 

「良いかな? 防御で大切なのは、如何に確実に攻撃を受け止めるかと儂は思っている。攻撃を受け止めるには、足腰をしっかりと固め、重心を身体の中央になる様に意識するのだ。達人の領域になれば、その行為が瞬時に行えるだろうが、貴殿はまだその域に達するには時間が掛かる。ならば最初から防御を意識して、相手の攻撃に即座に対応出来る構えを習得しておいた方が良かろう」

 

 ギーシュの身体に時折触れながら構えがしっかりと作られたのを見たグレゴリオは満足そうに頷く。

 

「ふむ、先ずはこんな所か。次は実際に攻撃を防いでみよう。良いか? 今から儂が貴殿に殴り掛かる。両腕をしっかりと上げて顔面を殴られない様に覆いながら崩されぬ様にしっかりと脇を締め、腹に力を込めて身体を重くするのを意識せよ。では、行くぞ」

 

 グレゴリオの指示通りに両腕を上げて、顔の前を前腕で覆う様にしながら脇をしっかりと締める。そして重心が身体の中央に来るのを意識しながら腹に力を込めて攻撃を受け止める準備を完了させた。

 ギーシュがしっかりと防御の体勢を取ったのを見越したグレゴリオは、やや大振りな動きでギーシュに殴り掛かる。

 硬い拳が自分の両腕に打ち付けられ、その痛みと衝撃に顔を歪ませるも、眼帯の男に殴られた時よりも拳を受け止められているのを感じる。

 衝撃に耐えかねて少しだけ身体が後ろへと下がってしまうが、それはグレゴリオの拳の重みのせいなだけで、自分が足を動かした訳ではない。

 数回試す様にギーシュを殴ったグレゴリオは満足気に頷きながら腕を下ろした。

 

「ふむ、若さ故か飲み込みが早く、筋も良い。どうかな? 初めてまともに攻撃を防いでみた感想は」

 

「……今迄意識した事はなかったけど、身体が普段よりも重く感じて、攻撃を受け止めた瞬間にしっかりと防げてるのを実感した。ただ、やっぱり殴られた腕は痛いんだね。当たり前な事だけど」

 

 グレゴリオの拳を受け止めてビリビリ痺れる様な痛みが走る腕をさすりながら、ギーシュは苦笑して感想を漏らす。「ラッシュスタイル」の軽さがなくなった分、攻撃を受け止める時の衝撃はかなり軽くなった様に感じた。

 そんな風に話すギーシュに、グレゴリオは優し気な笑みを浮かべながら頷いた。

 

「腕に痛みが走るのは当たり前だが、それも鍛えて身体をしっかり作れば軽くなる。ふむ……正直まだ教えるには早いとは思っていたが、今は戦中。生き残る為にも、次の段階へと進むか」

 

「次の段階?」

 

 ギーシュが首を傾げながらグレゴリオに問いかける。

 

「今儂が教えたのは、あくまでも防御の基本に過ぎぬ。確かに相手の攻撃を確実に防げるかが防御において大事だとは言ったが、守り一辺倒では当然勝てる物も勝てない。だから相手の攻撃を防御しつつ、一瞬の隙を突いた起死回生のカウンターを教えてしんぜよう。先ほど、儂が貴殿の蹴りを受け止め、脚を蹴り払ったのは覚えておるな?」

 

「ああ……。あれは正直驚いたよ」

 

 先ほどのグレゴリオのカウンターを思い出してから、背中の痛みがまた蘇りそうになるのをギーシュは首を振って振り払った。

 グレゴリオは頷きながら言葉を続ける。

 

「余程の強者でない限り、一瞬とは言え四肢の自由を奪われた者はパニックに陥る。更に本来ならば使える手足の一本が欠ければ、当然防御も疎かにならざるを得ぬ。そこを突いて打撃や投げを繰り出すのが儂のカウンター術の真髄だ。儂はあの技法を、掴んで相手を制する事から「キャッチ」と呼んでおる」

 

「「キャッチ」?」

 

 聞き慣れない言葉に思わず首を傾げながら鸚鵡返しの様に言うギーシュに、グレゴリオは構えを取って見せる。

 

「先ほどの手合わせで分かったが、貴殿は目が悪い方ではない。相手の動きをしっかりと見据え、可能ならば掴み、攻撃を返してみると良い。まぁ、言葉よりも身体で学ぶ方が中隊長殿は向いておるだろう。今から儂が軽く攻撃してみる。無理はせずに、可能だと思ったら遠慮なく掴んでみるが良い。では、行くぞ」

 

 グレゴリオの掛け声に急いで構えたギーシュは気合いを入れ直そうと短く深呼吸して頷いた。

 先ほどよりも遅い動きのグレゴリオの攻撃を上げた両腕で受け止めながら、懸命に拳の動きを目で追う。

 最初はそんな風に拳を目で追う余裕があまりなかったが、防御の構えを続けている内に身体がその体勢に慣れてきたのか次第に目の動きにも余裕が出来て来た。

 ギーシュは咄嗟にグレゴリオの拳を掴もうと構えていた腕を動かす。しかし、読みが甘いせいで上手く行かず、顔面に拳を食らってしまい身体を仰け反らせ目を閉じる。

 

「痛みを恐れるな! 戦いの最中に目を瞑る等してはならん! 目を動かせ! 間合いを読め! 強くなりたいならば、諦めるなっ!」

 

 グレゴリオの叱咤にギーシュはカッと目を見開き、再び防御の構えを取って拳を受け止める。

 それから数回、グレゴリオの拳を掴もうと腕を動かしては失敗してしまい、顔面を殴られる。

 痛みに懸命に耐えながらギーシュは拳の動きを追い、左の拳を打ち込んできたグレゴリオの腕の手首を遂に掴む。

 ようやく掴む事が出来た事に喜びを露わにするギーシュの視界に、グレゴリオの厳しい表情が映る。

 

「何をしておる? 掴んだのならば攻撃だろう? 敵はこんな風に待ってはくれんぞ」

 

 グレゴリオの言葉から喜びよりも申し訳なさを感じたギーシュは、一度瞳を閉じた後渾身のボディブローを打ち込む。

 一瞬、グレゴリオの身体が呻き声を上げながら僅かに浮かび上がり、解放された腕で腹を押さえながら後退りながら苦痛に顔を歪める。

 

「そうだっ! それで良いっ! 掴み、生まれた隙から容赦無く打ち込むっ! これこそが「キャッチ」の真髄に他ならぬ!」

 

 痛みに耐えて脂汗を流しながら何処か嬉しそうに笑みを浮かべてグレゴリオが言う。

 そんなグレゴリオの笑顔を見た瞬間、ギーシュの中で閃きが走った。

 「ラッシュスタイル」の様な素早い動きが無くなった代わりに、どっしりと構えた鉄壁の防御で攻撃を防ぎ、「キャッチ」で動きを封じて重い一撃のカウンターを繰り出す。

 自身の中で閃かれた新たなる「スタイル」、防御とカウンターをメインにした「ディフェンススタイル」が生まれた。

 ギーシュの顔色から何かを掴んだと読んだグレゴリオは、痛みが引いたのか身体を伸ばしながら目を細めた。

 

「儂が教えられる事は全て教えた。しかし、忘れてはならぬぞ。儂が教えたのは基本でしかない。これからは貴殿自身の経験と発想で更なる高みへと昇るが良い」

 

「ありがとう……。ありがとうございましたっ!」

 

 再び背筋を伸ばして深々と頭を下げて感謝を述べるギーシュに、グレゴリオは苦笑しながら首を振った。

 

「言った筈だ。貴族が儂の様な平民に簡単に頭を下げるなと。しかし……貴殿の感謝、しかと受け取ったぞ」

 

 グレゴリオは優しげな笑みを見せながら背を向けると、軽く手を上げながら艦の中へと戻って行った。

 グレゴリオを見送ったニコラはギーシュに身体を向けると、構えを取って笑みを浮かべた。

 

「さぁ、中隊長殿。今掴んだ感覚を忘れぬ様に最終確認として自分と組み手をして貰います。防御と攻撃、その両方を意識して下さいよ」

 

 ギーシュは強く頷きながらニコラに向き直り、今度はパンチングミットなしのスパーリングを行う。

 「ラッシュスタイル」の素早いギーシュの攻撃をニコラは難なく防いでいく。自分に教えられるほど防御は得意ではないと話してはいたが、やはりあれも謙遜らしい。

 不意に、ニコラは一歩下がってギーシュの拳の攻撃範囲から抜け出すと、今度は攻めに回る様に拳を振り上げる。

 ギーシュは必死に先ほどグレゴリオから教わった通りに腹に力を込めてしっかりと地に足を着ける。

 瞬間、かつて桐生が行なっていた様に「ラッシュスタイル」から「ディフェンススタイル」への「スタイルチェンジ」がギーシュの中で行われる。

 即座に防御の体勢を取ったギーシュはニコラの拳を両腕で受け止める。腕に伝わるその衝撃からニコラが多少手加減しているのが分かるが、今のギーシュは生意気をせずに素直にその手加減に甘える事にした。

 数回拳を受け止めてからニコラが構えを解いたのを見て、ギーシュも構えを解くと汗ばんだ額を腕で拭う。

 

「流石ですな、中隊長殿。しっかりとグレゴリオ殿の教え通りに動けていましたよ」

 

 ニコラに言われて思わず父親に褒められた様な感覚を覚えてギーシュは照れ臭そうに苦笑した。

 自分自身の中で新しい力を手に入れた実感を感じながら、ギーシュは身体を伸ばして何気なく顔を動かすと、目の前の光景に固まった。

 まだ少し先に見えるアルビオン大陸。その方角から此方に勝るとも劣らない量の戦艦が向かってくるのが見える。

 味方の他の戦艦も敵の戦艦隊が見えたのであろう。彼方此方の戦艦から怒号や叫び声が上がっているのが聞こえる。

 固まったままのギーシュにニコラが歩み寄り、その肩を優しくポンと叩く。

 意識が戻ったギーシュはニコラと敵の戦艦隊を交互に見た後深い溜め息をついて何とか気持ちを落ち着けさせ様とするも、身体は自然と恐怖から震えてしまう。

 

「恐怖を感じるのは恥じゃあありませんよ、中隊長殿。自分も初陣に出た頃は、脚を震わせて逃げたい気持ちで一杯でしたから」

 

「君でも、そうだったのかい?」

 

 ギーシュはニコラを驚いた様に見ながら問いかけた。

 幾千もの戦さ場を渡り歩いて来た様な風格のニコラが怯えている姿等、想像出来なかった。

 

「当然ですよ。誰もが最初から強い訳じゃありませんから。今でこそ自分も戦争に慣れはしましたが、それは自分を育ててくれた仲間が居たからに他なりません。あの時あの仲間が居なきゃ、今こうして此処に立っていなかったかもしれません」

 

 ニコラはそう言いながら震え続けるギーシュにニカッと笑って見せた。

 

「大丈夫ですよ、中隊長殿。貴方は独りじゃない。我々が貴方を守ります。だからどっしりと構えていて下さい」

 

 ニコラの言葉に、笑顔に、ギーシュの震えはゆっくり軽くなっていった。

 正直に言えばまだ怖い。しかし、自分には仲間が居る。それをニコラが教えてくれた。

 落ち着きを取り戻したギーシュを見て、ニコラは腕を組みながら敵の戦艦隊に視線を向けた。

 

「いよいよ、始まりますな。我々連合軍と、アルビオンの戦争が」

 

 緊張を含んだニコラの言葉にギーシュは頷きながら敵の戦艦隊を見詰める。

 遂に自分にとって初めての戦争が始まる。その実感がギーシュの身体に満たされて行った。


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