ゼロの龍   作:九頭龍

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蛇の眼


第46話

 熱い。

 身体を焼く様な熱波と、炎が燃え盛る音を感じる。

 瞳を開いた少女の目の前に広がった光景は、未だ忘れる事の出来ない物だった。

 月のない宵闇の中、赤い炎が雨の様に生まれ育った村に降り注がれている。

 炎の雨は家々を焼き、大地を焼き、逃げ惑う人々を焼いた。

 隣のおばさんも、向かいの友人も、火達磨になって悶え、苦しみながら地面を転がって、やがて動かなくなった。

 少女はそんな光景をただ呆然と眺めていた。何が起こっているのか、何故自分の村が焼かれているのか、何もわからない。

 ふと、視界の端に両親が見えた。其方へと視線を向けた瞬間、何かを叫びながら此方に向かって来る両親は少女まで後一歩の所で炎に包まれた。

 少女は必死に両親の名を叫びながら駆け寄る。しかし、もう両親の身体は消し炭へと変わってしまっていた。

 炭となった両親の身体を掴んだまま顔を上げると、二人の男が此方を向いて立っているのが見えた。

 炎の揺らめきのせいか、黒いシルエットでしか見えない為、顔はわからない。ただ、手にした杖から貴族である事はわかった。

 助けを求めようとした少女の声が上がる前に、後ろから少女を抜かして走っていく村人の男性が二人に駆け寄る。瞬間、村人は二人の男の杖の先端から放たれた炎によって、叫び声を上げながら焼かれていった。

 助けて貰えると思っていた少女の想いは虚しく消え、代わりに目の前の二人が自分の村を焼いた張本人である事に気付いて、少女は恐怖から腰が抜けて尻餅をついて後ずさる。

 二人の男はゆっくりと此方へと向かって来る。少女は必死に手を動かして逃れようとするも身体が上手く動かない。

 とうとう目の前まで来た男達の顔を見上げて、少女は息を飲んだ。

 此方を見下ろしている片方の男の眼。それはまるで蛇の様に瞳が縦長で、見る者を凍り付かせる様な冷たさを秘めていた。

 蛇の眼をした男の手が此方へと伸ばされた所で、少女は意識を失った。

 

 

 ガバッと勢い良くベッドの上で身体を起こしたアニエスは、荒い呼吸のまま辺りを見回した。

 そこは自分が与えられている、銃士隊の宿舎の部屋だ。燃え盛る炎も、熱い熱波も、炎の音も聞こえない。

 ツンと、鼻に汗の匂いが刺さった。身体中から嫌な汗が噴き出して肌を虫が這いずっているかの様に流れ、寝巻きはびっしょりと濡れている。

 アニエスは頬を伝う汗を手の甲で拭うと、窓の外へと視線を向けた。

 夜明けにはまだ早いが、空が若干白み始めている。

 今日はトリステイン魔法学園へと向かい、学園に残っている女生徒達に軍事教練の指導を行う予定が入っている。

 本来アニエス率いる銃士隊も今回のアルビオン侵攻に参加する筈だったのだが、最高司令官ド・ポワチエ将軍の策略によって、数少ない本国に残る部隊の一つに指名されたのだ。

 ド・ポワチエは銃士隊に対して「近衛の銃士隊におかれては陛下の護衛に全力を注がれたし」ともっともそうな理由を与えたが、早い話、アニエス達がメイジでない事を軽んじたのだ。

 更にド・ポワチエ将軍は、平民である銃士隊に手柄を取られては貴族の沽券に関わると私情を含ませているのだ。平民風情に手柄はやらんと、表にこそ出さないながらも腹の底で思っているド・ポワチエ将軍の思惑をアニエスは感じていた。

 アニエスはベッドから出ると、自分の寝汗で濡れた寝間着を乱暴に脱ぎ捨て、下着姿のまま棚の水差しを手に取ってコップへ注ぎ、少し温い水を一気に呷った。

 水が食道を通って胃へと流れるのを感じながら、アニエスは自分の机に置かれている本へと視線を向けた。

 トリスタニアの宮殿、東の宮の一隅に作られた王軍の資料室。王軍でも高位の位を持たなければ立ち入れない資料室から拝借して来た本だ。

 本来、資料室から本を外に、それも無断で持ち出すなんて事は決して許されない事だが、アニエスにとってはどうでも良い事だった。

 その本は、あの「ダングルテールの虐殺」について書かれた物だからだ。

 ダングルテール。かつて何百年も前にアルビオンから移住して来た人々によって開かれたその海に面した北西部の村々は、常に歴代トリステインの王達を悩ませる場所だった。

 独立独歩の気風があり、何かと中央政府に反発を繰り返していたからである。

 宗教国家ロマリアの一司教から新しい宗教が普及され、進取の気性に富んだ村人達がその宗教を取り入れてから百年余り、その宗教を優先して、此方の新制度を全く受け入れないかと歴代の王は不安に駆られていたが、アルビオン人の飄々とした気質も色濃く残した村人達は飲むべき所は素直に飲んでいた。そのお陰で厳しく弾圧される事は無かった。

 しかし、そんな日々に終わりを告げるきっかけとなった出来事があった。

 幼いアニエスが見つけた、大粒の赤いルビーの指輪を身に付けた女性漂流者、ヴィットーリアを匿った事である。

 ヴィットーリアはロマリアの新教徒狩りから逃れ、そのヴィットーリアを匿った事がロマリアにバレてしまい、リッシュモンはロマリアから賄賂を貰って「伝染病の壊滅」というもっともらしい理由で村を焼き払ったのだ。

 ロマリアで新しい法王が生まれて新教徒狩りは打ち切られたが、アニエスの負った心の傷は癒える事はない。

 自らの手で始末する事は出来なかったが、リッシュモンが死んだからといって復讐が終わった訳ではない。

 アニエスは机に置かれている本を手に取った。表紙には「アカデミー実験小隊」と書かれている。

 忌まわしき「ダングルテールの虐殺」を実行した、貴族の小隊の名簿である。中には思わず驚いてしまう人物の名も書かれていた。最も、殆どの隊員は既にこの世から亡くなってしまっていたが。

 アニエスは本を開いて目当てのページを開くと、歯噛みしながらそのページを睨み付けた。

 「アカデミー実験小隊」の小隊長のページ。其処だけが破り抜かれているのである。

 一番許せない、最も罪深い人間の名前がわからない。

 しかし、名前はわからずとも、アニエスにはその小隊長を見つけたら見抜ける自信があった。

 あの「蛇の眼」。あの眼は一生忘れる事はない。あの眼をした人間がそんなに多く存在するとは思えない。

 その眼の持ち主こそ、自分が最も怨み、この手で殺さねばならぬ人間、小隊長に違いない。

 アニエスは壁に掛けてあった自分の剣を鞘から抜いて、刃に鏡の様に写る自分の顔を暫く眺めた後、剣を掲げて瞳を閉じて刃の腹に額を押し当てた。

 あの男……確か、カズマ、と言っただろうか。暗い道を歩み続けた者は先を見るのが嫌になり、永遠に闇の中を彷徨う事となると言っていた。

 確かにその通りかもしれない。しかし、自分は違う。復讐を成し遂げなければ、見えぬ光もある。そして自分は、その光を得る為に此処までやって来たのだ。

 開いた瞳に映るのは、剣の腹に鏡の様に写る憎悪に染まった瞳の自分の顔。

 

「復讐するは……我にあり!」

 

 誰も居ない部屋の中で、アニエスの声が虚しく響いた。

 

 

 アニエスが悪夢から目を覚ます数時間前。

 日付が変わる頃に、アルビオンの首都ロンディニムから馬で二日ほどの距離にあるロサイスの街の港から一隻のフリゲート艦が出港した。

 艦にはワルドとフーケ、そしてメンヌヴィルが率いる傭兵の小隊が乗っていた。

 このまま予定通りに艦が進めば、明日の早朝には目的地であるトリステイン魔法学園に着く事になりそうだ。

 艦の中の狭い部屋で、ワルド達は作戦の会議をしていた。

 作戦の目的は魔法学園の占拠。クロムウェルの話によると、そこに残っている生徒達と教師達を人質に取り、連合軍への切り札として使う腹づもりなのだ。

 作戦は至って単純な物だった。宵闇に乗じてトリステインの哨戒線を潜り抜けて魔法学園へ直接乗り込み、占拠する。

 

「確かに相手は子供だけど、それでもメイジの巣にかわりはないわ。そんな所を強襲するなんて、上手くいくの?」

 

 作戦の概要を聞いていたフーケが溜め息混じりに言う。確かに宝物庫を狙った際は上手くいったが、それはあくまで狙いが宝物庫だけだったからに過ぎない。

 「ドット」や「ライン」クラスのみとはいえ、大多数のメイジを相手に戦うのは無謀以外の何物でもないのではないだろうか。

 

「確かにな。しかし、今は教師の殆どは戦場へと駆り出されている。男子生徒もな。今、学園にいるのは戦いに慣れていない女生徒のみだろう。メイジである事にかわりはないが、所詮は甘やかされて育ったお嬢様に過ぎん。攻め入るには簡単の筈だ」

 

 ワルドの言葉に訝しげな顔を浮かべるフーケに、メンヌヴィルがニッと笑みを浮かべて頷いた。

 

「教師共も戦場に出ているのは間違いないだろう。貴族とはそういう物だ。面倒な連中よ。誇りや名誉の為に命を簡単に投げ出せるのだからな」

 

 メンヌヴィルの自嘲の含まれた物言いに、フーケは鼻で笑った。

 

「あんたも元貴族だから分かるって言いたい訳?」

 

「そういう事だ。最も、メイジの殆どは元貴族だろう? あんたもそうだよな、マチルダさんよ?」

 

 貴族時代の名前で呼ばれ、フーケは少し照れ臭そうに顔を赤らめた。そんなフーケの反応にメンヌヴィルの部下達が下品な口笛を吹くと、ワルドが鋭い視線を送って辞めさせた。

 そんな様子を見て、メンヌヴィルが小さく笑う。

 

「すまんな、子爵。俺の部下は躾はなっているが、作法は余り知っている方ではなくてな。あんたの女に不快な思いをさせたなら謝るよ」

 

「……別に、この女は俺の女な訳ではない。これからの作戦に対して緊張感がないからたしなめただけだ」

 

 不機嫌そうにメンヌヴィルに対して言うワルドがチラリとフーケへと視線を向けると、フーケはメンヌヴィル達に顔を背けながら悪戯っぽい視線を此方に向けていた。

 そんなフーケにワルドは小さく舌打ちする。

 メンヌヴィルは二人のやり取りなど興味がないのか、手に持った杖を弄りながら口元に笑みを浮かべていた。

 

「ああ……。早く魔法学園とやらに行きたいものだ。早く人を焼きたい。あの焼ける臭いを嗅ぎたい」

 

 一人口ずさむメンヌヴィルを気持ち悪そうな顔で見ながらフーケが口を開く。

 

「人が嫌いなの?」

 

「逆だ。大好きさ。だから焼くんだ。己の炎に燃える人間が醸し出すあの臭い……。堪らぬ物があるだろう? あの臭いを嗅ぐ事だけが、俺を興奮させてくれる。まるで絶世の美女を抱く様に」

 

 ワルドは顔をしかめ、フーケはゾクッと背筋に冷たい物を感じながら息を飲んだ。生理的に受け付けない、嫌悪感の様な物をメンヌヴィルに感じたのである。

 

「それに気付かせてくれたのは、俺が二十歳の時に所属していた部隊のお陰だな。あそこでの経験が、俺に「人を焼く」という真の快感を教えてくれたんだ」

 

「部隊?」

 

 ワルドは少し興味がある様にメンヌヴィルに問い掛けた。

 メンヌヴィルは軽い咳払いをしてから、語り始めた。

 

「二十年前、俺は二十歳になったばかりの貴族士官でな。「アカデミー実験小隊」って部隊に配属されたんだよ。その小隊は文字通り実験的な部隊でな。なんせ初めて貴族、メイジのみで構成された部隊だったのさ。しかし、ワルド子爵。あんたが居た様な魔法衛士隊みたいな戦の花形部隊って訳じゃない。下級貴族で構成された、汚れ仕事専門の何でも屋みたいな物さ。野党退治や田舎貴族の反乱鎮圧とか、そんな仕事があれば真っ先に投入された。早い話、表舞台には出せない、お偉いさん方の使い捨ての便利な駒って奴さ。そんでその部隊の隊長ってのが、とんでもなく凄い奴でな」

 

「隊長?」

 

 メンヌヴィルの言葉に、フーケが首を傾げながら口を挟んだ。

 メンヌヴィルは頷くと、笑みを浮かべて話を続けた。

 

「その隊長ってのは俺と対して歳の変わらない男だったんだが、こいつの肝はとにかく据わっていてな。何せ顔色一つ変えず、眉一つ動かさずに敵を焼き払うんだからな。俺はその隊長が前線に立つ度に惚れ惚れしたもんさ。その隊長はちょっと変わった奴でな、普段はそうでもないんだが、一度杖を掲げれば、まるで蛇の様な冷たい眼をしやがるんだ。あの瞳で見つめられる度に、まるで恋した餓鬼の様に胸が高鳴ったもんだ。そしてその隊長に徹底的に惚れ込んだのが、あの作戦だ。トリステインの北の隅っこにあった、ダングルテールって田舎の寒村。そこで疫病が流行って手が付けられないから、外に菌が漏れる前に焼き滅ぼせって命令があってな。かなり上からの命令って事で、俺達は直ぐに急行した。そして村の少し手前で、あの隊長はとんでもない事をし始めた。なんと、村に向かって火の雨を降らせたのさ。「フレイム・レイン」。聞いた事があるだろう?」

 

「「フレイム・レイン」だと?」

 

 ワルドは魔法の名前を聞いて思わず少し身を乗り出した。

 「フレイム・レイン」。「火」の「スクウェア」クラスの魔法で、文字通り火の雨を降らせて全てを焼き払う。ただし、その雨の範囲を操るのはかなり困難で、狙い通りに発動出来た例は殆どなく、大半が不発か、自爆の様に自分も巻き添えを食らうかのどちらかなのだ。

 

「ああ。あの隊長はそんな高等魔法を難なく操り、一瞬にして村を火の海にしたよ。しかも念を入れて、わざわざ村へと出向いて、女も子供も容赦なく生き残った村人を焼き払った。でも確か一人だけ、気絶していた子供を焼かずに連れてきたんだっけか。アカデミーに引き渡して疫病の研究材料にするとか何とか言ってな。まぁ、結局その村には疫病なんざぁ無かったんだがな」

 

「疫病が、無かった? なら何で村一つを焼いたのよ?」

 

 フーケがメンヌヴィルに問い掛ける。

 

「新教徒狩りって奴さ。ロマリアから圧力がかかったんだと。一人てめぇ(自分)の国から逃げた新教徒の女がその村に匿われている。今後もこの様な事があっては面倒だから、その女もろとも村を焼き払えってな。疫病なんて言うのは、その為の口実に過ぎなかったのさ」

 

 ワルドは表情を変えずに聞いていたが、フーケは露骨に不快感を露わにしてメンヌヴィルを睨み付ける。

 しかし、メンヌヴィルはそんなフーケの表情等気にしていない様に話を続けた。

 

「そしてダングルテールの鎮圧任務が終わった時、俺はその隊長にぞっこんに惚れた。この男の様になりたい、本気でそう思った。その瞬間、俺は隊長の背中目掛けて杖を振っていた」

 

「惚れた相手に攻撃したって言うの? 理解に苦しむわね」

 

「だろうな。まぁ、正直俺にもあの時何故杖を振るったのかわからなかったが、今なら分かる。試したかったんだ。俺が惚れに惚れた目の前の男が、本当にそんな器があるのかどうかを。俺に殺されるくらいじゃあ、所詮はその程度の男だったって事に過ぎないからな」

 

「で、どうなったんだ?」

 

 ワルドが余計な考察を飛ばして結果を話せと言わんばかりにメンヌヴィルに問い掛ける。

 メンヌヴィルは口元をニイッと歪めて自身の焼けただれた目元を指差した。

 

「これで済んだ。あいつは本物だった。俺は渾身の魔法を撃ち込んだ筈だった。それをあいつは軽くあしらいやがった。まるで飛んで来た虫を払い除ける様にな。そのまま俺は隊を脱走した。隊長に杖を向けておいて、隊に残っていられる訳がないからな」

 

「それで? 惚れた男にやられたあんたはどうしたの?」

 

「今に至るって訳さ。傭兵をやっていれば、あの隊長にまた会えるかもしれない。そう信じてやって来たんだが……それももう終わった。誰かに殺られたか、はたまた引退したか……それはわからないが、俺に火傷を負わせたあの隊長の噂を聞く事は無かった。あいつを殺す為に魔法を極め、あいつを殺す為に強くなって来たってのに。俺はあの時の何倍も強くなった。なのに肝心のあいつが、あの隊長が何処にも居ない」

 

 メンヌヴィルは深い溜め息を漏らしながら俯いた後、火傷を負った目元を片手で押さえながら顔を上げ、高らかに笑った。

 

「ああっ! もう一度あいつに会いてぇ! 会って強くなった俺を見て貰いてぇ! 俺はあの日、あの隊長に杖を向けた事をこれっぽっちも後悔した事はない! 人殺しになった事も、貴族の名を捨てた事も! なのにあの隊長だけが何処にもいねぇ! 夜な夜なあの蛇の眼を夢に見る度に、この火傷が疼きやがる! 一生消える事のないこの疼きが俺を苛つかせやがるのさ!」

 

 フリゲート艦が飛ぶ夜明け前の空に、メンヌヴィルの笑い声が響き渡った。

 

 

 教師と男子生徒の殆どが従軍した事によって、まともな授業の時間が減った魔法学園にアニエス率いる銃士隊の騎馬隊が現れたのは、コルベールが桐生達を見送った日の昼だった。

 学園に残っている女生徒達は門から現れた、騎乗した近衛隊の姿に驚いた。誰も彼もが一体何事だろう、と顔を見合わせては首を傾げている。

 そんな女生徒達が周りにいる中、学園長のオスマンがアニエス達を迎えにやって来た。

 

「アニエス以下銃士隊、ただいま到着致しました」

 

 馬から降りたアニエスは他の隊員達も馬から降りさせ、オスマンに深く頭を下げた。

 

「ふむ、よう来なすった。お勤め、ご苦労様な事じゃな」

 

 立派に蓄えられた顎髭を扱きながら、オスマンが口にする。が、内心は穏やかな物ではない。

 昨晩、王室より銃士隊を派遣して、残っている女生徒達に軍事教練を施させるという報せが来た。どうやらアンリエッタの王政府は、男女問わずに貴族という貴族を戦場へと駆り出す算段らしい。女生徒達も予備士官として確保しておいて、アルビオンでの戦いで士官が消耗し次第補充に当てるらしい。

 男だろうが女だろうが、輝かしい未来を持っている子供達を戦場へ駆り出す等、オスマンには許せなかった。だからこそラ・ロシェールでの王軍見送りの式典に学園の女生徒と共に参加しなかった。しかし、それが王政府を刺激する結果となってしまったらしい。

 

「戦とは言え、子供まで参加させるとは……酷い物じゃな」

 

「仕方ありません。此度の戦、「総力戦」と王政府は呼んでおります」

 

「「総力戦」じゃと?」

 

 オスマンは小馬鹿にする様に鼻で笑って見せた。

 

「もっともらしい言い方をすれば良いという物ではない。女子供まで駆り出し、流れた血で汚れた旗を振るった所で正義等ある筈がなかろう」

 

 そう言うオスマンをアニエスは冷たい視線で睨み付けた。

 

「ならば学園長殿に問いましょう。貴族の紳士や兵隊のみが死ぬ戦には、正義は存在するのですか?」

 

 アニエスの問いかけに、オスマンは口を閉ざして僅かに後ずさる。

 そんなオスマンを見ながら、今度はアニエスが鼻で笑って見せた。

 

「死は平等です。女だろうが子供だろうが、容赦無く、等しく訪れる。それだけの事ですよ」

 

 苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべるオスマンを一瞥した後、アニエスは部下を引き連れて本塔へと向かって歩き出した。

 

 

 キュルケやモンモランシー等、残された女生徒は数少ない授業を受けていた。

 キュルケは目の前の教壇に立っている、学園に残った数少ない男性教師、コルベールを軽蔑した眼で見つめていた。

 懸命に黒板に炎の方程式を書いては、その結果や炎がもたらす恩恵についての講義を続けている。その顔はイキイキとしており、落ち着かない様子で授業を受けている女生徒の心境等どこ吹く風といった様子である。

 コルベールの講義が続く中、手を挙げた女生徒がいた。

 モンモランシーだ。

 

「おや、質問かね? ミス・モンモランシ」

 

 名を呼ばれ、質問が許されたモンモランシーは立ち上がった。

 

「今は、国を挙げての戦争の最中です。それなのに、こんな風に……呑気に授業をしていて良いのでしょうか?」

 

 モンモランシーや他の女生徒もそうだが、自分の大切な恋人が戦場へと向かい、そしてアルビオン軍と戦っているのを思うと、今の自分達が受けているこの授業の時間がとても無駄な物の様に感じてしまうのだ。

 そんなモンモランシーに対して、コルベールは困った様な表情を浮かべて禿げ上がった頭を掻いた。

 

「呑気にも何も……此処は学び舎で、君達は生徒だ。そして私は教師だ。従って、此処では授業を受けるのが正しい事のなのだよ」

 

 コルベールは感情のない声で言った。

 そんなコルベールに、モンモランシーは納得のいかない様子で首を振った。

 

「でも、クラスメイトや先生方だって戦場へと向かっているんですよ?」

 

「だからこそ、君達は学ばなければいけないのだ。そして戻って来た彼等に教えてやると良い。戦争という物が如何に愚かな行為である事を。「火」の正しい扱いは破壊等ではなく、他者を救い、守る為にあるという事を」

 

 コルベールが席に座る女生徒達全員へと顔を向け、普段とは違う高圧的な声で語った。そんなコルベールのらしくない様子に数人の女生徒は戸惑った様に身体を揺らしながら驚いた。

 一瞬の静寂の後、講義そっちのけで爪の手入れをしていたキュルケは、ヤスリで磨かれた爪にふっと息を吹きかけてから小馬鹿にした様に笑った。

 

「先生、貴方は単に戦が怖いだけじゃありません事?」

 

 自身の父親位の歳の男を見下しながらキュルケが言い放つと、コルベールは何の躊躇いもなく頷いた。

 

「その通りだ、ミス・ツェルプストー。私は戦が、戦争が怖い。恐らく、この教室にいる誰よりもね」

 

 何の恥じらいも無く堂々とそう口にするコルベールへのキュルケの視線は小馬鹿にする物から軽蔑する物へと変わっていった。

 

「ミスタ・コルベール? そういう人間を何と言うかご存知かしら?」

 

「普段、あまり真面目に授業を受けてくれない君から講義を聞けるとは思わなんだ。ぜひとも、教えて貰おうか」

 

 キュルケは段々得体の知れない苛立ちが胸を埋め尽くしていくのを感じた。

 自身より遥かに年下の少女に馬鹿にされていると言うのに、コルベールは何処までも余裕の表情で腕を組みながらキュルケの言葉を待っている。

 その表情が、態度が、視線が気に入らない。

 キュルケの中で何かが爆発し、机を強く叩きながら椅子から荒々しく立ち上がってコルベールを指差すと、怒りに染まった表情で叫んだ。

 

「ならハッキリと教えて差し上げようじゃない! あんたみたいな人を、「臆病者」って言うのよ! 戦場へと向かう勇気もない、こんな意味があるとも思えない授業をするしかない、あんたみたいな人を! 自分よりもずっと年下の子供達が勇気を出して戦場へ向かったって言うのに、あんたは恥ずかしくない訳!?」

 

 らしくも無く声を荒げて一気に捲し立てたキュルケを、遠くからタバサが見つめていた。

 普通の人間ならばただ無表情のまま見つめているだけに見えるかもしれないが、その視線からはキュルケを心配するタバサの想いが込められていた。

 他の女生徒達はそんなタバサの視線に気付かず、キュルケの様子に驚いていた。キュルケは普段、どんな嫌味や小言も余裕で聞き流し、常に相手を冷静に小馬鹿にしているのに、今のキュルケからはそんな余裕は微塵も感じられない。

 呼吸を荒げながら睨み続けてくるキュルケの視線を真っ直ぐ受けながら、コルベールが小さく頷いて見せた。

 

「なるほど。私の様な人間は臆病者と言うのか。ふむ。ならば私からも一つ、君に……いや、この場にいる君達に教えておこう。恐怖する事を臆病だと思うのは、若さ故の特権だ。もちろん、恐怖を乗り越える事はとても大切な事ではあるがね。しかし、覚えておくといい。怖いものを素直に「怖い」と口にする事も、一つの勇気なのだよ。それが理解出来る様になるには、君達はまだ若過ぎるかもしれないがね」

 

 寂しげな表情で口にするコルベールに、女生徒達は戸惑った様にそんな彼を見ていた。

 キュルケは納得がいかないながらも、何を言ってもコルベールには響かないのを察して、馬鹿馬鹿しくなって深い溜め息を漏らしてから力無く席に着いた。

 キュルケが席に着いたのを見計らって再び講義を始めようとした時、教室の扉が開いて銃士隊が遠慮無く入って来た。

 鎖帷子に腰から下げた剣と銃。そんな重々しい格好の女性の一団が現れた事に女生徒達からざわめきが走った。

 

「な、何だね、君達は?」

 

 そう問いかけるコルベールを無視して、アニエスが女生徒達を見回して口を開く。

 

「諸君、突然現れた我々に驚かれるのも無理はないが、静かにして貰おうか」

 

 凛としたアニエスの声に教室の中に湧いていたざわめきが止まる。

 

「我々は女王陛下に仕えし銃士隊だ。陛下の名において、諸君等に命令する。これより授業を中断して軍事教練を行う。直ちに正装して中庭に整列せよ。以上だ」

 

 アニエスの言葉が聞き捨てならなかったコルベールが両手を振って抗議の声を上げる。

 

「授業を中断だと!? そんなふざけた事、私は認めませんぞ!」

 

 抗議の声を上げるコルベールを一瞥すると、アニエスは首を振って小さな溜め息をして見せた、

 

「私だって子守は御免だし、せっかく残った貴殿の職務を無駄にする様な無粋な真似はしたくは無いが、これも女王陛下からの命令だ。仕方あるまい」

 

 女生徒達はぶつぶつと文句を言いながらも次々と立ち上がり、教室から出て行こうとする。

 そんな女生徒達に、コルベールは声を張り上げて制止した。

 

「諸君! 待ちなさい! まだ授業の途中ですぞ! 後十五分は私が任されているのです! 何の役にも立たぬ教練等より、私の授業を聞きなさい! 少なくとも教練の無意味さがーー」

 

 コルベールの訴えは、喉元に突き付けられた、アニエスが引き抜いた剣によって静止された。

 窓から差し込む日の光が、抜き身の刃を鈍く輝かせている。

 

「教練が何の役にも立たぬとは……本職を愚弄するには言葉が過ぎるな、ミスタ? 此方がメイジでないからと言って、余り舐めた態度を取られるのは不快なのだが?」

 

「べ、別に……舐めた訳では……」

 

 自分の喉元に突き付けられた剣の切っ先に、コルベールはたじろぎながら冷や汗をかき、生唾を飲み込んだ。

 不意に、アニエスが鼻をスンスンと動かして見せたかと思うと、怒りに染まった表情は更なる険しさを増した。

 

「お前、「炎」を扱うメイジだな。焦げ臭い、嫌な臭いがマントから漂っている。一つ、教えておいてやろう。私はメイジが嫌いだ。特に、「炎」を扱うメイジは、なっ」

 

「うっ! ぐっ……!」

 

 アニエスの剣の柄がコルベールの腹を強く穿ち、痛みから腹を押さえてコルベールが倒れ込む。

 そんなコルベールに舌打ちしたアニエスは視線で女生徒達を急かし、次々と教室から人が居なくなって言った。

 女生徒達はメイジではないアニエスにあっさりとやられたコルベールを軽蔑する様な眼差しで見ながら教室から出て行く。

 

「痛い思いをしたくないなら、私の任務の邪魔をするな」

 

 冷たい口調でそう言い放ったアニエスは教練を始める為に残り少ない女生徒を教室から連れ出した。

 痛む腹を押さえながら立ち上がったコルベールは、誰一人居なくなった教室を見回してうな垂れた。


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