ゼロの龍   作:九頭龍

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力の使い方


第44話

 年末のウィンの月の第一週、マンの曜日。

 二つの月が重なる日の翌日であるこの日は、アルビオンがハルケギニア大陸に最も近く日でもある。

 ラ・ロシェールの港からトリスタニアとゲルマニア連合軍六万の兵を乗せた大小五百隻の艦隊がもやいを解かれ、アルビオン侵攻に向けて一斉に空へと浮かび上がった。

 女王アンリエッタと枢機卿マザリーニはラ・ロシェールの港の世界樹桟橋の頂点から出航する艦隊を見送った。

 艦隊に着けられた、青地に白の百合模様のトリステイン王家の旗が風にはためている。

 

「負けられませんな」

 

 飛び立つ艦隊を眺めながらマザリーニが呟く。

 

「負けるつもりはありません」

 

 マザリーニの呟きにアンリエッタは表情を変えずに答えた。

 今回の大戦の切り札である「虚無」……ルイズの存在はアンリエッタと枢機卿、そして王軍の将軍数名のみ。

 その将軍の中の一人に託したルイズを想うアンリエッタは瞳を閉じた。

 ルイズを託した将軍、ド・ポワチエ将軍は初め「虚無」の存在を信じようとはしなかった。無理もない。「虚無」は伝説の中に消えた系統だ。将軍は存在そのものすら疑わしく思えてならなかった。

 しかし、タルブでの戦果を聞いて将軍はやっと納得した。

 伝説の系統である「虚無」を手に入れた将軍は勇気百倍とばかりに勇んで戦艦に乗り込んでいった。

 アンリエッタは初戦を勝利で飾る為にも将軍に「虚無」の積極的な使用を命じた。

 自分の罪深さにアンリエッタは深い溜め息を漏らした。この戦は国や民の為ではない。私怨を晴らす為の物だ。恋人の……ウェールズの仇討ちの為だ。

 その仇討ちの為に、自分は何人の人間を死地へと送ろうとしているのだろう。その中には自分の幼馴染まで含まれている。

 愛国を謳い、国の為、民の為と偽り、自身の復讐心を満たす為に人々を戦わせようとしている自分は必ずや地獄へ堕ちるだろうと自覚した。

 自責の念が重く伸し掛かる中、アンリエッタは唇の端を血が滲むほど強く噛みしめた後に大声で叫んだ。

 

「ヴィヴラ・トリステイン!」

 

 アンリエッタの万歳の声が空に響く。

 艦の上甲板に並んで見送るアンリエッタに向かって敬礼していた将兵達が、アンリエッタに続いて万歳を唱える。

 

「ヴィヴラ・トリステイン! ヴィヴラ・アンリエッタ!」

 

 その唱和は六万の将兵の唱和へと変わり、空を圧した。

 

「ヴィヴラ・トリステイン! ヴィヴラ・アンリエッタ!」

 

 唱和が響く中、口端から伝う血を親指の腹で拭ったアンリエッタは戦場に向かう将兵達へ視線を向けた。

 しかし、その瞳に映るのは将兵達ではなく、未だ姿が見えぬ復讐の相手だった。

 

 

 艦隊がアルビオンへと向かって飛び立った頃。

 魔法学園では己の操る「炎」を何か平和的に利用する為にコルベールが辿り着いたのは、「動力」だった。熱の力を何かを動かす力へ変換するのである。

 蒸気を利用して動き出す装置は幾つか作ってはみたが、それでは満足出来なかったコルベールにとってゼロ戦に積まれていた「エンジン」は、彼の「動力」の理想を具現化させた物だった。

 コルベールはあらゆる方法でこの「エンジン」の解析を試みてみたが、「エンジン」を、更に言うならコレに近い内焼機関を組み立てるのは現状では不可能な事しかわからなかった。

 「エンジン」の製造するに当たっての冶金技術や加工技術は、現代のハルケギニアでは再現は不可能だ。

 コルベールは一瞬落ち込みはしたが、それでも彼の情熱は消える事は無かった。「不可能」である事を知る事が出来たのだ。それだけでも彼にとっては大きな収穫だった。

 コルベールは研究室前のゼロ戦に視線を向けると、半年前に取り付けた新兵器の更なる改良を加えんと手を着け始めた。

 

 

 従軍に従い殆どの住人が居なくなった男子寮は文字通りもぬけの殻になっていた。

 メイド達も廊下や階段を掃除するくらいで特に人気のない館に見える。

 そんな男子寮に、本来なら女性禁止であるのにも関わらず廊下を歩く女生徒が居た。窓から差し込む日差しがその女生徒の靡く独特な縦ロールの金髪を輝かせる。

 目当ての人物の部屋の前に来たその女生徒、モンモランシーは周りに人が居ないのを確認すると腰に差して居た杖を取り出して目の前の扉、ギーシュの部屋の鍵を「アンロック」で解除した。

 そっと部屋の中に入ったモンモランシーは眉をひそめた。

 ベッドは整っている物の床や机には本が散乱し、床の所々には筋肉トレーニングで使ったであろうダンベルや重りの様な物が転がっている。

 モンモランシーは溜め息をつきながら机の上で積み重なってしまっている本を取り始めた。

 

「全く……男の子ってどうしてこう片付けられないのかしら?」

 

 モンモランシーは一人愚痴りながら次々本を取ってはガラガラになっている本棚へとしまっていく。

 男子生徒は勿論、男性教師も殆どが戦争に向けて従軍となった為、授業も所々で自習になったり、自由時間になったりとする事が多くなった。その為手持ち無沙汰になったモンモランシーは暇潰しも兼ねてギーシュの部屋を掃除しに来たのだ。

 モンモランシーは本を取ってはタイトルに目を走らせた。

 「古今東西武術録」、「ガルベーダ少尉の兵法」、「ヘイスティス流軍人格闘入門」……武術や兵法と言った、貴族らしからぬチョイスにモンモランシーは頬を掻いた。

 

「もう……脳味噌まで筋肉に変える気なのかしら?」

 

 逞ましくなっていくギーシュを見るのが嫌な訳ではないが、桐生に近付こうとする余りに勉学を疎かにしているのではとモンモランシーは呆れながら本を本棚へとしまって行く。

 そんな作業を数回ほど繰り返した所で、本の内容が変わって来た事にモンモランシーは気付いた。

 武術書や兵法の書物の底からは、「錬金」や「土」系統の魔法に関しての本がどんどん出て来たのである。

 モンモランシーは一冊一冊その本を丁寧に本棚にしまって行き、とうとう片付けが終わった部屋の中ですうっと息を吸った。

 ギーシュの匂いが、鼻を擽る。今までこんなに彼の存在を意識した事なんて無かった。部屋の中のギーシュの香りに包まれているだけで彼の近くにいる様な感覚を覚えた。

 しかし、ギーシュ本人はもう此処には居ない。

 戦場へと出向いてしまった彼を想いながら、モンモランシーはベッドに倒れ込んだ。

 メイドが洗濯したのだろう。洗剤の匂いが鼻腔を満たした。

 

「無事に帰って来なきゃ……許さないから」

 

 一人呟きながら枕に顔を埋めたモンモランシーの手が、シーツをぎゅっと強く握った。

 

 

 ゼロ戦の新兵器や機体の調整を終えてお茶を飲んでいたコルベールは、研究室前にやって来た桐生を見て笑顔を浮かべた。

 

「おお、カズマ殿! そろそろ出発かね?」

 

「ああ」

 

 コルベールの言葉に頷く桐生。

 研究室前に来た桐生は出陣の準備が整っていた。首にはシエスタの祖父の形見であるゴーグルが下げられ、腰にはデルフリンガーが掛けられている。手には生活用品が入っているズタ袋を持っている。

 

「しかし大変だなぁ。コレで直接フネに向かうのでしょう? まぁ、向かうのは不可能ではないだろうが、問題は上手くフネに着陸させられるかですなぁ」

 

 今朝方、アルビオンへと向けて艦隊は出航した。

 ゼロ戦という特殊な機体を搭載する為には艦が航行中である必要があるとの事で、出航を待ってからの出陣を指示された。

 今回の戦争に向けて竜騎士を搭載する為の特殊な艦が建造され、それに合わせてゼロ戦専用の艦も建造されたのだ。

 新鋭のその艦は「竜母艦」という新しい艦種に分類され、「ヴィセンタール」号と名付けられた。

 ゼロ戦の燃料がガソリンである事と、その錬金の材料を知らされた数多くの「土」系統のメイジがガソリンを錬金し、五回は飛行できるだけの量を積んである。

 後は桐生がルイズを乗せたゼロ戦を操縦して、そのフネに着艦するだけだ。

 

「今回はメイジが何人も魔法をかけてくれるって話だからな。無事に下ろせるとは思えるんだが」

 

 言いながら桐生はゼロ戦の機体に左手を這わせる。瞬間、手の甲のルーンが輝いた。

 不意に、桐生はゼロ戦の翼下に何本もの鉄パイプがぶら下がっているのを見た。

 訝しげに鉄パイプを眺める桐生にコルベールが苦笑を浮かべた。

 

「そう言えばお互い色々忙しくて、カズマ殿に新兵器を説明する暇も無かったですな」

 

「これが……新兵器なのか?」

 

 見た限りではただ鉄パイプが並んでいるだけにしか見えないが、コルベールの事だ。きっと何か機能があるには違いない。しかし、今は説明を聞いていられるほどの時間の余裕もない。

 

「まぁ、詳しくは此方に書いときましたから。いざという時に読んで下さい」

 

 ゴソゴソとローブの内側を弄ったコルベールは数枚の紙の束が重なり折り曲げられた物を桐生に差し出した。

 桐生は頷き、すぐ様その紙を受け取るとジャケットの内ポケットへとしまった。

 桐生が紙をしまったのを見送ってから、言おうか言うまいか迷った様にコルベールが口を数回開け閉めした後、絞り出す様に言葉を漏らした。

 

「本当は……」

 

「ん?」

 

「本当は、カズマ殿にこんな武器等使って欲しくないんです。しかし、これから向かう先は戦場。生き残る為には他者の命を奪って活路を見い出さなければいけない。そして私は……カズマ殿に誰かを殺めて欲しくない。……わかっています、私の言っている事が矛盾している事は」

 

 苦しげに言葉を紡いだコルベールは自身の顔を拭う様に手を這わせて深い溜め息を漏らす。

 そんなコルベールを見ながら、桐生は静かにズタ袋を置いて腕を組んだ。

 

「……以前、カズマ殿には話しましたな。私は破壊の系統と言われている「火」系統を、破壊以外の物に使える様に研究していると。それが私の、かつて犯した罪への「罪滅ぼし」だと」

 

「ああ。その為にあんたが此処で様々な発明をしていると」

 

 コルベールは桐生の隣へと歩み寄ると、並んでゼロ戦を眺めた。

 陽の光を浴びた機体が鈍い輝きを反射して、並んだ二人の男を写している。

 

「カズマ殿……貴方は自分の力を恐れた事はありませんか?」

 

「……どういう意味だ?」

 

 桐生が言葉の意味を問いかけながら顔を向けるも、コルベールの視線はゼロ戦に向けられたまま口を開いた。

 

「私は「火」の恐ろしさを知っています。人を、家を、大地を焼き、用途を変えれば燃やす以外でも生き物を殺害出来ます。貴方の扱う剣やその拳……それもまた他者を殺め、傷付ける事が出来る物です。貴方は、どうやってその力を正しく使う方法を見出したのですか? 私には、正直今でも自分の力の使い方が正しいか迷う事があります。現にこの様に、「ひこうき」に兵器を取り付けた訳ですから。私は本当に、正しい事に力を使えるのか、やはり自信がないのです」

 

 桐生へと視線を向けたコルベールの瞳。その瞳からは不安と懇願が籠っているのが見えた。

 

「ですからお願いです、カズマ殿。行ってしまう前にどうか教えて下さい。どうすれば、貴方の様に正しく力を使う事が出来ますか?」

 

 コルベールは何時もの優しげな笑みではなく、真剣な表情で桐生を見詰めて黙った。目の前の男が、自分の望む答えをくれるという期待を胸に秘めて。

 桐生は暫くそんなコルベールと視線を重ねたまま微動だにしなかったが、やがてゆっくりと首を横に振った。

 

「俺はあんたが思っているほど出来た人間じゃない。そうだな……まだルイズも来ない様だし、少し俺の話を聞いてくれるか?」

 

 チラリと辺りを見回し、まだ支度が整ってないのか来る気配のないルイズを想いながら、桐生は再びコルベールへと視線を戻した。

 コルベールが頷いたのを確認した後、桐生はポケットに手を入れて煙草を取り出すと一本を咥え、そのままコルベールへと差し出した。

 煙草はこの世界でも存在はしており、コルベールもそれがどういう物なのかは理解していた。しかし、嗜む方では無かったからか少し遠慮がちに一本を取ると桐生に習って咥える。

 桐生はライターで、コルベールは杖の先端で、ボッと小気味良い音を立てて着いた火がそれぞれの煙草の先端を灯す。

 桐生は吸い込み、コルベールは吹かしながら紫煙を口から燻らせると、穏やかな風が煙をさらって行った。

 

「俺が物心着いた時には、両親はもう居なかった」

 

 紫煙を燻らせながら、桐生は遠くを見る様な目で語り始めた。

 

「孤児院の中で同じ境遇の人間と過ごし、俺達にとって父親とも言える人間に憧れ、俺はその人と同じ、極道と言う道を選んだ」

 

「ごくどう?」

 

 桐生の口から出た聞き慣れない単語にコルベールが首を傾げた。

 

「こっちの世界で言うなら、ギャングって奴か。人様に迷惑を掛けて金を脅し取る様な集団さ。俺は、その組織の一人だった訳だ」

 

 桐生の意外な過去に、コルベールは信じられないと言った表情で桐生を見詰めた。

 桐生はそんなコルベールに構わず語り続けた。

 

「その組織に入る時、父親とも言える人間にぶん殴られたよ。俺の様な半端者が生きるには、優しい世界じゃない事を伝えたかったんだと思う。それでも俺は自分にとって兄弟の様な男と共に組織に入り、その人を、風間の親っさんを目指して働いた。悪い事も沢山やった。人に誇れる人生で無かったのは確かだ。理由は少し特殊だが、刑務所に入ったりな」

 

 自嘲気味な笑みを浮かべる桐生に、コルベールは笑っていいかわからず困った様に頭を掻いた。

 

「その後は、兄弟や親っさん、そして愛していた女を守る為に組織の中と外を奔走し、結果……誰も救えなかった。いや、救われたのは俺だけだったのかもしれない。大切な人間を次々に失って自棄になっていた俺に手を差し出してくれた男と少女がいたんだ。そして今はその少女と孤児院をやっている中、俺はこの世界に召喚された。そして一人の少女の使い魔として、今ここに居るって訳だ」

 

 短くなった煙草を携帯灰皿にねじ込んだ桐生はコルベールに差し出し、コルベールもそれに習って短くなった煙草を携帯灰皿へと入れた。

 

「わかってくれたか、コルベールさん? 俺は別に聖人でも、正義のヒーローでもない。世間からすれば、寧ろ悪人に近い位置にいるのさ。でもな、これだけは言えるぜ」

 

 桐生はコルベールに向き直ると、握った右手の拳をコルベールの胸元にとんっと置いた。

 

「力を正しく使えるか、使えないかは、結局使う人間の意思次第って事だ。あんたの言う俺のこの拳も形を変えれば暴力にしかならない。だが、誰かの為、何かの為にその拳を使う時、それは暴力じゃなくなり、守る為の力になるんだ。あんたの言う「火」の力も、使う者次第で変えられる筈だ。少なくとも俺には、あんたは正しい事の為にその力を使っていると思えるぞ」

 

 胸元に置かれた桐生の拳をジッと見詰めながら何かを考え込んでいたが、やがて優しげな笑みを浮かべて桐生の顔に視線を向けた。

 

「ありがとう、カズマ殿。貴方にそう言って貰えただけで、私は幾らか救われた気がしました。やはり、私はまだまだ人として未熟なんですな。結論ばかりを急ぎ、形ある答えを追って行ってしまう」

 

 桐生の手をそっと退け、身体を伸ばしたコルベールの表情は幾らか晴れやかになっていた。

 

「だが、貴方と接していると答えは常にある物ではない事を思い知らされる。人間と言うのは、難しい物ですな」

 

「難しくていいのさ。本当に正しい事なんて、誰にもわかりはしない。ただ俺達は、一日を精一杯生きればいい。自分が正しいと信じた道を歩んでな」

 

 桐生とコルベールは顔を見合わせると、互いに笑みを浮かべて頷き合った。

 ふと、コルベールの視界に向こうからやって来る桃色の髪の少女の姿が見えた。ルイズだ。

 

「もう良いのか?」

 

 近付いてきたルイズがコルベールに挨拶をしたのを見届けてから、桐生が問い掛ける。

 

「ええ。待たせちゃってごめんなさい。もう大丈夫、支度は済んだわ」

 

 ルイズは軽く身体を回して日用雑貨が詰められた肩掛けのカバンを二人に見せる。

 桐生は頷いて腕を組むと、真剣な表情でルイズの瞳を見詰めた。

 

「ならもう一つ確認させて貰う。ルイズ……覚悟は出来たか?」

 

 桐生の言葉にルイズの身体にピンと緊張が走った。

 覚悟。言葉にすればなんて事ないが、此処で答えれば曖昧な想いは許されなくなる。戦地に赴く覚悟、他者に手にかける覚悟、死ぬ覚悟。本や話でしかなかった事が今、自分の身に降りかかるのだ。

 ルイズはそっと瞳を閉じた。瞳の裏側を駆け巡るのは桐生と過ごして来た日々、そして家族の顔。

 暫くの沈黙の後、ルイズは瞳を開くと真っ直ぐな視線で桐生を見詰めて頷いた。

 桐生はルイズの身体を抱き上げてコックピットへと入れ、操縦席後部の防弾板を外して改造したシートに座らせた。

 

「それじゃあ、行って来る」

 

「ああ。無事に戻って来てくれたまえよ。その時は私の秘蔵のワインで乾杯するとしよう」

 

 コルベールとしっかりと握手した後、桐生もズタ袋をルイズを渡してコックピットに乗り込んだ。

 以前やった様に、コルベールの魔法でプロペラを回してエンジンを点火する。

 コルベールに合図し、烈風を吹かせて貰う。

 首から下げたゴーグルをしっかりと着ける桐生。

 

「カズマ殿! ミス・ヴァリエール!」

 

 エンジンによる轟音が響く中、コルベールが懸命に叫ぶ。

 

「いいか!? 死ぬな! 死んでは駄目だ! みっともなくて良い! かっこ悪くて良い! 周りから笑われても良い! 絶対に死ぬな! 生きて戻って来い!」

 

 エンジンの轟音に邪魔され、コルベールが何を言っているのかはわからない。しかし、聞こえずとも桐生の胸には届いた。

 桐生は軽く手を挙げるとスロットルを開く。瞬間、ゼロ戦が滑走を始めて浮き上がり、グングン上昇して行った。

 空へと飛び上がったゼロ戦は徐々に小さくなっていき、やがて米粒程度の大きさにしか見えなくなった。

 とうとうゼロ戦が見えなくなっても、コルベールはずっと見送り続けた。

 

 

 事前に知らされていた進路に向けて二時間程飛んでいると、雲の切れ間から小さな点々が見えて来た。そこを目指して近付くと、空を埋め尽くさんばかりの艦隊が見えて来た。

 大小何百隻ものフネが並ぶ景色はまさに壮観で、ルイズは息を飲みながら見惚れていた。

 着艦するフネは何処かと桐生が辺りを見回していると、竜騎士が一騎此方に向かって来て手を挙げて見せた。どうやら案内役らしい。

 桐生が竜騎士に誘導されるままゼロ戦を操縦して行くと、「ヴュセンタール」号が見えて来た。

 多量の竜を発着させるためであろう。巨大な平甲板が広がり、マストは左右に突き出る形で六本装備されており、上から見ると脚を拡げた昆虫に見えなくもない。あくまで竜騎士を搭載する構造の為、大砲は着いていない。

 竜騎士に促されるままゼロ戦を「ヴュセンタール」号の甲板に降ろしていくと、何人もの「風」系統のメイジがゼロ戦を程良い高度で浮く様に保ち、着艦の準備に入る様にとメガホンで指示が飛んで来た。

 桐生は言われるまま主脚と尾輪を出してフラップを下げる。

 ゼロ戦はまるで空を舞う木の葉の様にゆっくりと甲板へ着艦した。

 「ヴュセンタール」号への着艦が成功して、ゼロ戦を降りた桐生とルイズはすぐ様護衛の兵を伴った将校に出迎えられた。

 

「ようこそ、「ヴュセンタール」号へ。甲板士官のクリューズレイです」

 

 自己紹介を軽くした将校はそのまま自分に着いて来る様に桐生とルイズに促した。

 促されるまま狭い中甲板を通り向かった先は二人が利用する個室だった。酷く狭い部屋ではあるが、個室である。申し訳程度の机に小さな寝台だけの部屋だが。

 荷物を置くと、将校は再び自分に着いて来る様にと促した。

 狭い艦内をジグザグに歩き、とあるドアの前で止まらされた。

 将校がノックすると、中から入る様にと声が帰って来た為、将校は扉を開いて二人を中へと入れた。

 部屋の中で二人を出迎えたのは、ズラリと並ぶ将軍達であった。肩には金ピカに光るモールがあり、全員の位の高さが伺える。

 唖然とするルイズと訝しげに眉をひそめる桐生に、従兵が椅子を勧めた。ルイズが腰掛け、桐生が後ろで控える。

 ルイズが座ったのを見届けて、一番上座の美髯の将軍が口を開く。

 

「アルビオン侵攻軍総司令部へようこそ、ミス・「虚無(ゼロ)」」

 

 ルイズの身体に緊張が走った。桐生は胡散臭そうに上座の男を眺めた。

 

「私は総司令官のド・ポワチエだ。そして此方が、参謀総長のウィンプフェン」

 

 美髯の将軍は自分の名を名乗った後、左に腰掛けている皺の深い男を紹介した。

 

「そして此方が、ゲルマニア軍司令官のハルデンベルグ侯爵だ」

 

 角の着いた鉄兜を被った将軍が、自分の名を紹介されてルイズ達に重々しく頭を下げる。

 どうやらこの竜母艦は旗艦であり、同時に総司令部でもあるらしい。

 それからド・ポワチエ将軍は、会議室に集まった参謀や将軍達にルイズを紹介した。

 

「各々方。彼女こそ我々が陛下より預かりし切り札、「虚無」の使い手、ミス・ヴァリエールにあらせられます。タルブの村でのアルビオン艦隊撃墜も、彼女の功績なのです」

 

 紹介をされても会議室の面々は盛り上がらない。胡散臭そうにルイズとその使い魔を見詰めるばかり。

 

「ラ・ヴァリエール公爵の名は聞き覚えがあります」

 

 三十代後半か四十代前半位のゲルマニア軍の将軍の一人がルイズを見詰めながら口を開いた。

 

「確かに公爵も強力なメイジであり、また兵法を知っている方だ。しかし、「虚無」を扱えるご息女がいるとは初耳だ。しかもその後ろの男……従者にしては腰にぶら下げている物が大きい。それにただの平民とは思えぬ眼光、体格。何者ですかな?」

 

 ゲルマニアの将軍はパイプを吹かしながらルイズよりも桐生をマジマジと見詰めた。戦場を生き抜いて来た将軍にとってはルイズよりも、只ならぬ雰囲気を漂わせる桐生の方に興味を惹かれていた。

 ド・ポワチエ将軍はルイズに目配せし、桐生を紹介する様に促した。

 

「彼は、カズマと言います。人間ではありますが、私の使い魔です」

 

 ルイズからの紹介を受けて桐生は将軍達を見回してから軽く会釈する。

 桐生の紹介を受けた将軍達の間にどよめきが起こり、皆胡散臭そうに桐生を眺めては小声で何かを囁き合っている。

 

「使い魔ですと?」

 

 先ほどの将軍がパイプを吹かしながら小馬鹿にした様に呟いた。

 

「人間の使い魔とは……トリステインではその様な物が流行っておるのですかな? 此度の戦では、我々の知らぬ作法が多く見られそうですな」

 

 遠回しに馬鹿にされたのを感じたルイズはムッとするが、桐生はムッとするだけでは済まなかった様だ。

 

「あまり俺の主人を馬鹿にしないで貰いたいな。俺が黙っていられなくなるんでな」

 

 殺気の籠もった視線を飛ばす桐生に、将軍が笑みを浮かべた。

 

「ほう……。どうやら血の気もそれなりにある様だ」

 

 将軍が杖に手を掛けかけた時、ハルデンベルグ侯爵が大きく咳払いをして見せた。

 

「いい加減にしろ、エルギース将軍! 我々は協力し合う為に此処に居るのだぞ! 下らん挑発はもう止めろ!」

 

 エルギースと呼ばれた将軍は暫く桐生を見詰めていたが、やがて小さな笑みを浮かべると両手を挙げて見せた。

 

「此処が戦場で無いのが残念ですな。しかし、お陰で意地でも生き残る理由が出来た。カズマ殿と言ったな? この戦が終わり、お互い生きていたら一杯奢らせて貰いたい。どうかな?」

 

「ああ。奢られてやるよ」

 

 エルギースに合わせる様に小さく笑いながら桐生も答え、そこで二人は互いに視線を外し合った。

 そんな二人の様子を見て、ド・ポワチエ将軍は溜め息を漏らしてから身を乗り出した。

 

「それでは、役者が揃ったという事で……打倒アルビオンに向けての会議を始めさせて貰います」

 

 ド・ポワチエ将軍の言葉から、会議室に緊張感が漂い始めた。


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